僕はアメリカに5年間留学した。


アメリカに留学する学生の大半が苦慮するのが、英語力だろう。
専門の分野についてはある程度の知識や土台ができている学生でも、英語でコミュニケーションをとり、英語の講義を聞き、英語で発表する、という英語力については不安を覚える学生が多い。

僕は日本で大学院を4年修了してからアメリカに行った。
ふつうだったら博士論文を書き始めなければならないくらいの時期だから、言語学の基礎知識は、まぁ身に付いている。
しかし、英語については惨憺たるものだった。

アメリカでの僕の同期には5人の留学生がいたが、全員英語が流暢だった。TOEFLは満点、ネイティブ並みの英語力を持っている学生ばかりだった。
留学すると、まず留学生は英語力を判定するための簡単な試験を受ける。同期の学生が楽々と満点で合格するなかで、僕一人が不合格だった。

言語学の知識にはある程度の土台があったから、講義やゼミの内容は理解できる。レポートも書ける。
2, 3年めになると学会発表の機会も増え、原稿なしで発表できるくらいまでにはなった。
大学の中や、自分の専門分野を勉強する限りにおいて、不自由はない。
それをもって、自分でも英語はある程度できるつもりになっていた。


そんな僕が、留学の最後の段階まで理解できなかった英語がある。
レストランに食事に行く時の、ウェイトレスのお姉ちゃんの会話だ。

「ハーイ、わたしベティ。あなたたちのテーブルを担当するからよろしくね。今日のおすすめはビーフとポテトのシチューよ。スープはここ一押しのクラムチャウダーよりも、ブロッコリーのクリームスープのほうがいいかもね。今日はいい材料が入ってるの。じゃあまず何か飲み物は要るかしら?」

これを、恐ろしい速さでまくしたてる。さっぱり分からない。
一緒にいる英語の流暢な日本人留学生の先輩から、ニヤリとして「どうだ、今のは分かったか?」と訊かれる。
あまりに英語が分からないので、 ICレコーダーでこっそりウェイトレスさんの英語を録音し、部屋に戻ってからスロー再生して聞いてみる、などということをやってみたりもしていた。

まぁ、典型的な日本人の英語能力と言ってもいいだろう。
特定の専門分野に特化して外国語を鍛え、それ以外の場面についてはあまり努力が及ばない。
僕は英語の論文を読むことで英語を勉強した。音に関する訓練がおざなりになっていたことは否めない。
そのため、その遅れを取り戻すために5年間、えらい苦労をした。

いま大学に勤務して学生に英語を教えていると、どうも「半年から一年ほど留学すれば、英語はペラペラに喋れるようになる」と思い込んでいる学生が多いようだ。
ひどいのになると、「どうせ日本で英語やっても向こうでは通じないんだから、アメリカに行ってからやればいいじゃないか」と決め込んで、ろくに英語を訓練しない学生もいる。

僕の経験から言うと、日本にいてもアメリカにいても、英語力を上げるためにしなければならない努力の種類は変わらない。
数限りない英文を聞き、声に出して読み、暗唱してしまうまで覚え込む。発音のまちがいをネイティブに直してもらう。そういう、「自分で汗をかく」という地道な訓練なくしては、語学の上達はありえない。
その国になんとなく居て、なんとなく会話をしているだけでは、なかなか本当の語学力は身に付かない。


1889年8月、いまから120年前のロンドン。


外交官としてロンドンに赴任した、あるエリート官僚。日本では「英語の達人」といわれ、その卓越した英語力を買われて外交の任にあたった。
ある日、仕事で植民省に赴くとき、馬車を拾った。ところが御者に英語が通じない。こちらの言っていることが通じず、向こうの言っていることも理解できない。
ところが、いったん植民省についてしまえば、何事もなかったように用件を果たすことができる。

日本にいた頃は語学力で鳴らしたエリートにとっては、この経験はショックだった。
自分の身につけていた英語は、なにか間違っていたのではないか。

彼は自費で語学教師を雇って、自分の英語力を鍛え直すことにした。
その先生は英語の文章を彼に示し、音読するように言った。
その英語を黙って聞いていた先生は、諭すように言った。

「あなたの英語の程度は分かりました。今のあなたに必要なのは、新たに英語を学ぶことではありません。あなたの耳や口には、日本で学んできた英語の音がこびりついています。まず、これを一掃することが先決です。 learnするよりも、まずunlearnしなさい」

それから先生は、音に特化して外交官の英語を訓練した。
まずABCから始めて、アルファベットの発音を徹底的に繰り返し練習する。
次に、書物の3, 4ページを課題としてだし、それを全文暗唱させる。
それを先生の前で復唱し、発音を厳しく直してもらう。

外交官は、夜も日も繰り返し暗唱に没頭した。汽車の中でもバスの中でも、常に課題の英文を持ち歩き、わずかな時間の隙間を使って英文の暗唱を繰り返す。
課題をクリアしたら、先生はまた新たに3, 4ページの文章を渡し、暗唱させ、その発音を矯正した。

のちに、その外交官はベルギーに転勤となり、日露戦争の戦局に対応するため釜山に派遣される。その後、駐米全権大使としてアメリカに赴く。
その間ずっと、 30年以上、彼はロンドン時代の先生に課された宿題を継続し、英語の暗唱をし続けた。

1921年11月のワシントン会議。
軍縮や、太平洋および極東問題を討議するための会議で、日本の台頭を警戒する欧米各国が日本の海軍主力艦の保有率を米・英・日で 5:5:3に抑えた。世界史の教科書にも載っている。
この会議場での争点は、中国と日本の権利攻防だった。

日本は第一次世界大戦に乗じて山東半島を押さえ、中国大陸への進出を狙っていた。これを不当とする中国側は、ワシントン会議を利用して山東半島の返却を欧米諸国に訴えた。
日本側の全権代表は加藤友三郎。

欧米の支持を得るため、中国側はとびきりの英語達人を会議に送り込んだ。英米の代表が傍聴する中、中国代表は洗練された英語で日本を攻撃する。それに対する日本代表はどうも旗色が悪い。英語の応対があやふやで、自国の主張をうまく展開できない。
「山東問題は決裂するだろう」との悲観的な観測が流布した。

そのとき、駐米全権大使の例の外交官は、腎臓結石を病み大使館で静養していた。
しかし、会議での日本側の不利を伝え聞くや、医師の制止も顧みず会議へ出席した。
脈も体温も安定せず、何週間も寝たきりのあとで足下がふらつく中、ようやく会議場に到着した。

会議では相変わらず中国代表が日本を盗人呼ばわりし、激しい舌戦を繰り広げていた。
それを聞いていた外交官は、廻りの英米代表が驚くほど流暢な英語で、静かに応戦した。

「日本は山東省の鉄道その他を奪い取ったようなことを言われるが、それは違う。買収の主な根拠は、パリ講和会議に依っている。日本は相当の額を支払うのだから、盗人でも何でもない。中国側は、パリ講和会議の記録をよく調べてもらいたい」

この外交官の演説を境に、会議の流れが変わった。英国のサー・ジョン・ジョルダンは外交官の手をとり、その好判断と適切な演説の内容を讃えた。
その結果、新しい国際秩序、いわゆる「ワシントン体制」が成立することになる。



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その外交官は、幣原喜重郎(1872-1951)
のちに第二次世界大戦後、第44代内閣総理大臣に就任し、戦後処理にあたった。
日本国憲法第九条の成立にも深く関わっている。

自分の英語力が国の命運を左右する、などという状況は、そうあるものではあるまい。幣原が背負った重圧はかなりのものだっただろう。たまたま病床に臥せっていなくても、ワシントン会議のプレッシャーだけで十分に体調を壊す要因たり得る。
英語教育の方法論も不十分、録音機器も音声機材も不十分な時代に、どうしてこれほどの英語力を身につけ得たのか。

幼少の頃の幣原は学制発布以後で、すでに英語教育はネイティブの手から日本人教師の手に渡りつつあった。幣原が初めて英米人の英語の授業を受けたのは12,3歳の頃。今の我々と対して変わらない。
その後、第三高等中学校を経て、東京帝国大学に入学。この頃からすでに語学は得意だったらしいが、まだ留学経験もなく、「並の英語上手」程度の実力だっただろう。

しかし、幣原と我々凡人の違いは、その努力の質と量にあると僕は見る。
いまは英語教育の方法がつまびらかに研究され、良心的な英語講師であれば生徒の英語力を伸ばすために「正しい努力のしかた」を教えることはできる。
しかし、生徒の側がその努力を継続できるかどうかは別問題だ。

語学というのはスポーツと同じで、ある程度のレベルまでは練習量と実力が比例する。理論の理解だけでは実力にはならない。毎日の研鑽によって汗をかかなくては自由自在に実力を発揮できる段階までは達しない。

語学習得に必要なのは「努力の継続」であることくらい、誰もが知っている事実だろう。問題は、その継続をどうやって成し得るのか、だ。
僕は明治から昭和初期にかけての日本の国際人の伝記を読むときに、つねにその英語学習法に注意を払っている。どうも彼らに共通するのは、努力を努力と思わないような心の持ちようにあるような気がする。

彼らにとって語学の習得とは、当然行うべき日常生活の一環であり、そのための時間は自然に生活に組み込まれているものだったのではないか。それは学習というよりも「修行」に近い。聖職者が聖典の詠唱を欠かさないように、野球選手が素振りを欠かさないように、家庭の主婦が包丁を握らない日は無いように、彼らにとっての語学習得というのは、毎日の日課として当たり前の習慣になっていたのではないか。

僕は、語学に限らず、根性で勉強する人というのはあまり伸びないと思う。人間というのはつらいことを継続して行えるようにはできていない。結果をもたらすための努力をしているうちは、本当の継続は生まれないだろう。
大切なのは、結果如何に関わらず、毎日の生活になかに自然に組み込んだ習慣として、その過程そのものを楽しむ心がけではないかと思う。

部活でスポーツをしていたときは練習が憂鬱でしょうがなかったのに、卒業して部活から解放されたらプレーするのが楽しくなった、という経験をもつ人は多いだろう。部活というのは基本的に試合や大会のための結果を出すために練習する。そういう明確な目的意識に伴う猛練習は、人を急激に成長させるが、長くは続きにくい。人の一生を支える生き方にはなりにくい。

幣原は、こつこつと勉強をし続け、ゆっくりと英語の達人になっていったのではないか。TOEFLもTOEICも英検もない、努力が成果として表れにくい時代に、弛まぬ努力を何十年にもわたって続けた「継続力」の根幹は、その営みそのものの中に意義を見いだしていたことではないか。英語力の精進を「道」として、自分の生きる姿勢に取り込んでいたから、あんなに長期にわたる勉強を続けることができたのではないか。


政治史において幣原の功績は賛否両論あるらしい。ワシントン会議というのは所謂「協調外交」であり、強行に中国大陸進出を目論んでいた軍部にとっては「軟弱な姿勢」だった。結局、戦況を拡大させまいとする幣原の必死の努力は、軍部の暴走によって無惨に打ち砕かれることになる。その後の日本の進んだ道は周知の事実だ。軍部に「弱腰外交」と罵られた幣原は、政局を去り、引退することになる。

戦後、日本を立て直すために内閣総理大臣に指名されたのは、幣原だった。すでに引退済みであり、世間の反応は「そんな奴、まだ生きてたのか」「また古い奴が出てきたもんだ」という感じだったらしい。最初、幣原は首相就任を嫌がり、引っ越しまでして断ろうとしていたらしい。しかし、昭和天皇直々の説得をうけて、政界に返り咲く。

自分の外国理念に反して軍部が暴走した国策の後始末をさせられるのは、さぞ嫌な仕事だっただろう。しかし、幣原は淡々とこの激務をこなしていく。この時代の日本の政治に求められた主な能力は、その後何世代にも渡って引き継がれていくであろう新たな国の方針を打ち出すことだった。その作業にGHQが関わる以上、当然ながら英語力が重要になる。人間性、政治家としての力量、英語力などを勘案すると、幣原以外に適切な人材はいなかった。

有名な、昭和天皇の「人間宣言」の成立過程は諸説あって詳しいことは分かっていない。しかし、幣原がこの草案に直接携わったことは確からしい。
この草案には、かなり英語を知っている人でないとその意図が分からない箇所がある。


We feel deeply concerned to note that consequent upon the protracted war ending in our defeat, our people are liable to grow restless and to fall into the Slough of Despond.

惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ縁ニ沈淪セントスルノ傾キアリ

「俺思うんすけど、国民はみんな戦争に負けちゃって、焦って、がっかりしてるっぽいと思うんっすよ」



別にDAIGO訳にしたことに意味はないが、かなり英語を知っている人でも"Slough of Despond"という語句の意味は知らないだろう。
大文字で始まっていることからも分かるようにこれは固有名詞で、ある地名を表す。17世紀に書かれたジョン・バンヤンの『天路歴程 (The Pilgrim's Progress)』に出てくる、「失意の沼」の寓意で登場する地だ。主人公のクリスチャンは、いちどこの失意の地にはまり込むが、ヘルプという人物の助けを借りてそこから脱出し、最終的には「天の都」にたどり着く。
ちなみにこの物語には「失意の沼」のほかに「虚栄の市」などが登場し、「ドラゴンクエスト6」の「狭間の世界」に登場する「失望の街」「欲望の街」のモデルとなっている。

幣原が天皇の「人間宣言」にこの語句を入れたのは、別に英文学に造詣が深いことをひけらかすためではなかろう。日本が終戦という苦難を乗り越え、天皇と国民がともに国の復興にあたる決意を、祈りをこめて寓話のことばに込めたのだろう。


幣原はユーモアのセンスを持ちあわせ、よく英語でも冗談を飛ばしていた。
「幣原」という名前は欧米人には発音しづらかったらしく、よく現地の記者に「閣下、あなたの名前は『シデハラ』ですか、それとも『ヒデハラ』ですか」と質問された。
幣原は同行の妻をちらと見て、「私は男ですから『Heデハラ』、家内は女ですから『Sheデハラ』ですな」と答えたという。




僕も毎日英語の音読を繰り返してます