ギリシアと中国の共通点。
現在よりも3000年前のほうが優れている。


ギリシアはいまや地中海の一小国だが、世界でもっとも早く近代に通じる近代政治体系を整備した国だった。都市それぞれが自治権をもった都市国家を形成し、その連合で外敵にあたる。その基本構造は現在の地方分権をもとにする集権体制に通じる。

政治だけでなく文化の面でも世界を一歩も二歩も先んじた。アクロポリスに残る古代建築のほとんどは、現代の建築技術をもってしても再現が難しいらしい。その他にも、彫刻、絵画、文学、演劇の面でも最高に洗練された作品を生み出した。のちにヨーロッパ圏を制圧するローマ帝国は、政治、文化、精神面、すべての面でギリシア文化を踏襲している。

紀元前8世紀ごろにはホメロスが2大叙事詩をはじめとする作品を書いていた。日本ではじめて律令政治体制が整う千年前のことだ。いま現在(2008年)から千年前といえば、ヨーロッパの十字軍とイスラム教徒が殺し合いをしていた時代にあたる。これほどの時代格差は尋常ではない。


翻って中国。中国も三千年前から独自の文化圏を形成し、政治機構を早くから整えていた。ふつう高校生が世界史で中国史を学ぶときには王朝の変遷を軸として勉強するが、紀元前の昔から「王朝」という単位で政治形態を整備し切っている完成度があった。度量衡、統一貨幣、道州制、法体系など現代政治にも大きな役割を果たしている基本概念などは、このころの中国ですでに完成されている。

文化の面でも中国の歴史は古い。紀元前2世紀には司馬遷が長大な歴史書『史記』を書いている。その量は尋常ではなく、「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻の、計130巻から成る。日本ではまだ歴史らしき歴史も始まっていない時期に、すでに中国では「それまでの歴史の集大成」が完成されていた有様だ。いまから二千年以上前に執筆されたにも関わらず、その内容は現代的な視点からも汲み取るべき知見に溢れている。僕は個人的に、司馬遷は現在までに通じる史上最高の歴史家だと思っている。


ギリシアも中国も、過去に壮大な文化を築いていながら、現在がその延長上にあるようには見えない。ギリシアが現在、ヨーロッパにおいて政治、文化の面でイニシアチブを取っていると思うひとは、まぁ、いないだろう。中国は国連で拒否権をもつなど大国の威厳を保ってはいるものの、学術、文化、政治などの面で名実ともに世界をリードしているようには見えない。人件費の削減を目当てに世界各国の企業に工場を作られ、安い労働力を提供することによって工業純益をあげている。他の工業先進国に足下を見られているような経済発展のしかたに見えてならない。

ギリシアと中国が、かつて栄華を誇る文明を築いていながら、それが今になって凋落しているのは、なぜだろう。
僕が思うに、いわゆる「一神教」的な精神構造に変移したことが理由のような気がする。


ギリシアはもともと多神教だ。ギリシア神話には大神ゼウスを筆頭に数多の神々が登場する。自然現象、寓話、日常的な科学的関心は、すべて神話との絡みによって説明された。政治がひきおこす戦争でさえ「神々のしわざ」と謳われている。多くの神々が入り乱れる複雑な様相は、そこから止揚をもたらし、多くの文化に昇華する下地になっていたのではあるまいか。

そのギリシアは現在、キリスト教の一神教だ。特に11世紀のシスマ(東西教会分裂)において東側に属したギリシアは、その後ギリシア正教のもとで比較的原始に近いキリスト教を保存する役割を担った。地理的にイスラム世界との戦争における前線基地としても機能したギリシアは、それだけキリスト教の教義が色濃く熟成される土地柄だっただろう。

別にキリスト教や一神教が悪いのではあるまいが、ひとつの神、ひとつの精神、という構造が、多様な価値観や精神世界を阻んだ要因になったのだと思う。古代ギリシアの彫刻、絵画、建築を見ると、非常に躍動感に溢れている。生命の美に対する礼賛が感じられる。その基本となるのは、美しいものを良しとする価値観、生命の躍動に対する喜び、人生を楽しむ朗らかな歓喜、そういった陽性のものだっただろう。

翻ってキリスト教は、一言で言えば陰性だ。教義の第一義が「悔い改めよ」なのだから気が滅入る。「人は生まれながらに罪を背負っている」とする概念が、自由な躍動感を生み出すとは考えにくい。一般にキリスト教の生み出した文化は、色彩的に暗い。宗教画のほとんどは、一面の闇にわずかな陽が射す構図になっている。地中海のまぶしい太陽という土地柄に恵まれていながら、こんな陰性の宗教が席巻したら、そりゃ民族の躍動感も抑圧されるだろう。


現在の中国は、外交といえば日本、韓国、台湾などの東アジアなどが取沙汰される。しかしもともと歴史上、中国の外交の主要な観点は北と西にあった。大陸の東端に位置し、北のモンゴル、西のアジアから絶えず他民族の侵攻に悩まされていた。各王朝の最も大きい関心事は「西戎北狄にどう対処するか」に終止していたと言って過言ではない。その努力の結晶は万里の長城となって現在に残っている。

中国にはもともと王権神授説という観点がなく、一種の社会契約論のようなものが通念となっていた。皇帝は神から遣わされたのではなく、人民の頂点に位置する人間にすぎない。だから一般民衆が不適切と判断すれば容赦なく殺された。中国史上、王朝を滅ぼした革命の数は尋常ではない。世界史のなかでこれだけ革命によって権力者を引きずりおろしてきた国は、他に例がないのではないか。

王朝が代わり、支配層が代わり、大陸内でさまざまな人間が入り乱れることによって、中国では多様な支配体制がめまぐるしく変遷していた。皇帝を擁立する王朝が成立しても、内部外部に常に対立勢力が並立している。こうした多様な政治権力が、中国内に流動性をもたらし、価値観の固定化を防いでいたのだと思う。

それが変わったのは1949年。毛沢東が率いる中国共産党によって、中華人民共和国が建国された。現在の世界では、国連その他の調整機関によって、他国に対する侵攻は厳しく制約される。ここに至って中国は三千年の長きにわたって悩まされていた外患から開放され、国内の先制支配に専念できるようになった。しかも中国は共産党の一党独裁で、他の政治集団の存在を認めていない。価値観の固定化が図られ、国内の流動性は著しく凍結された。毛沢東が初期に行った人民公社の制度は、まさしくヒトの動きを防ぎ土地に縛り付けることを意図している。


こう考えてみると、ギリシアも中国も、「ひとつの価値観」に固定されてから、文化的な爆発力が停滞してきたような気がする。すべての人間をひとつの価値にまとめることは、宗教や政治を執り行う側からすれば好都合だろう。しかし、人間本来がもつ自由さ、奔放な発想を生み出す飛翔力は、著しく低下するものではないか。

人間が精神的に大きな成長を遂げるには、様々な価値観、様々な知見に触れることが望ましいのは言うまでもない。自分と違った価値観に触れ、それを咀嚼し自分の中に吸収することにより、異質のものと触れ合うことができる調整力が生まれる。自分の枠のなかで自分の好みのものしか触れないような姿勢からは、新しいものは生まれない。

大学生あたりが「自分の知らない世界を見たい」と海外旅行に飛び回るのは結構だ。しかし、既存のガイドブックを片手に観光客向けの観光地をツアーよろしく廻ったところで、いかほどの世界を知ることができるのだろう。確かに観光を安全に行うためには、あまり異世界すぎる地域には足を踏み入れないほうがよろしい。しかし「自分の知らない世界を知るため」であれば、わざわざ海外旅行をする必要などない。いつもの日常生活の中で、自分の知らない世界、自分とは違う価値観を吸収する機会はいくらでもある。少なくとも、それを心がけている人にとってはその機会がそれと見える。自分の価値観に拘泥し、異質のものを受け入れない人にとっては、たとえ100カ国を歴訪したところで無駄だろう。

大学の1, 2年生は、一般教養科目(通称「般教」)というものを受けさせられる。自分の専攻とは関係なく、幅広い分野の科目を取らざるを得ない。これを「面倒だなぁ」と感じるのか、「自分の知らなかった分野を知るチャンス」と捉えるかで、学生の吸収力は雲泥の差になる。大学受験を控えている高校生が「俺は私立文系だから、英・国・社しか勉強しない」なんて言っているうちは、たとえ大学に入ったとしても大した人材には育たないような気がする。


ギリシアと中国の二大凋落勢力は、アテネオリンピック、北京オリンピックと、立て続けに世界的イベントを招致して気炎を上げた。オリンピックの成功は結構だが、そんなことよりも気を割くべき面があるだろうにと思う。次回のオリンピックは、その両国の古代遺産を略奪しまくった国で行われる。件の国も過去の栄光から一転して凋落の憂き目にあっている国だ。最近のオリンピックがそういう国ばっかりで行われるのは、「せめて国民が元気になってくれれば」というIOCの嫌味だろうか。



個人的にはアフリカ大陸開催のオリンピックがあってもいいと思うのですが