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三次方程式 ax3+bx2+cx+d の、解の公式。


2次方程式の解の公式は中学生で習う。当時はなんとも面倒な公式だなと思ってたが、考えてみれば、代数方程式の解の公式というのは、係数に何が入ろうが、未知数の値を導いてしまう。こんな万能の解法がまかり通るのは数学の世界しかあるまい。


そんなワクワクものの代数方程式の研究史で、なんか悲惨なことばかり起きているのはどうしてか。



上掲の3次方程式の解の公式は「カルダノの公式」と呼ばれている。この公式をはじめて世に公表したジェロラモ・カルダノの名に因んでいる。
しかし、実はこの公式はカルダノが考えだしたものではない。

実際にこの解の公式を発見したのはニコロ・タルタリアというおじいちゃんだった。
タルタリアは密かにこの解の公式を発見し、悦に行っていた。その噂をききつけたカルダノが必死に頼み込み、「絶対に他言しない」という誓約のもとに、この秘術を教えてもらった。
するとカルダノは速攻でa: Ars magna de Rebus Algebraicis (『偉大なる術』)という本を書き上げ、いかにも自分が考えだしたことのように世に公表してしまった。

さぁタルタリアの怒るまいことか。さっそく公の場で論争が始まった。ところがカルダノは自ら論争の席には立たず、若い弟子のフェラーリを送り込んだ。才気煥発な若手と人生に草臥れてきたおじいちゃんとでは論争で勝負にならず、なんと本当の発見者であるタルタリアが言い負かされてしまった。タルタリアは3次方程式解法の発見者という栄誉を奪われ、失意のうちに死んだ。

カルダノの悪行はそれにとどまらない。カルダノが書いた本には、3次方程式のほかに4次方程式の解法まで記してあった。しかし、それもまたカルダノの発見ではない。弟子のフェラーリが解いたものを、またもや剽窃したものだった。カルダノの手先となって本家発見者を理不尽に打ち負かしたフェラーリは、師匠にまんまと自分の手柄まで横取りされてしまったことになる。いい面の皮だ。人を見る目がないと、こういうことになる。

このカルダノという男、数学者として以前に人間として腐ってるのだろう。本人曰く、本業はギャンブラーだというのだから推して知るべしと言える。金遣いが荒く、人の業績や手柄を横取りすることで知名度を挙げていた。かなりの人の恨みを買っていたらしい。

学術の世界には、たまにこういうモラルの欠けた人間がいる。自分の業績が他人に剽窃されることなく安心して世に発表できる世の中というのは、現在の我々はあたりまえと思っているが、そうでない時代のほうが長かったのではあるまいか。

カルダノだって一応数学者なのだから、すべてがすべて他人の業績の横取りだけで生きていたわけではない。たとえば3次方程式を解くときにカルダノが導入した「虚数」という概念は、たしかにカルダノ自身で世界ではじめて到達した知見だった。そういう能力がありながら、それを磨くことなく他人の剽窃に走ると、後世の評価は汚れたものとなる。


代数方程式の解法に心血を注いだのち不遇のまま死んだ数学者は、タルタリアだけではない。
ノルウェーの薄幸の数学者アーベルも、代数における輝かしい業績が日の目を見ることなく不遇のうちに死んでいる。

複数次の代数方程式のうち、4次方程式までは一般的な解法が存在するが、5次以上の代数方程式に関しては解の公式が存在しない。
アーベルはわずか21歳のときにその証明に成功した。

ところがアーベルの論文は、当時の数学の最高峰の権威、ガウスによって握りつぶされてしまう。当時のガウスはアーベルとは違う立場で代数方程式の解法を追求しており、論文の題名だけをみて放っておいたという。また一説には、極度に貧しかったアーベルは、自費出版の論文のページ数をなるべく節約するために論文を簡潔に書きすぎたため、理解しにくい論文になってしまった、という説もある。

いずれにせよ、代数方程式の歴史には、「本当に偉い人がなかなか評価されない」という暗いジンクスがあるような気がする。従来の代数学の諸問題を「群論」という画期的な方法でことごとく片付けたガロアだって、21歳のときに決闘で死んでいる。数学にはさまざまな下位分野があるが、ここまでドロドロした陰惨な様相は、代数方程式でのみ見られる特異な点のような気がしてならない。

これは僕の勝手な想像だが、当時の数学者にとって代数方程式は、どんな宝箱でも開けてしまう魔法の鍵だったのではあるまいか。ドラクエの「さいごのかぎ」のように、それさえあればどんな扉でも開く万能の鍵は、ものすごくワクワク感を誘う。中学生だって、2次方程式の解の公式さえ知っていれば、世界中に存在可能なすべての2次方程式を解き尽くせる。変数をものともせず、世の中の森羅万象、すべての数をすべて余すところ無く解き尽くす代数学には、そのような魅力があったのではあるまいか。

宝箱を探し求める旅には、海賊がつきものだ。代数学の歴史に跋扈する数多くのカルダノたちは、そういう側の人間だったのだろう。数学というと、退屈でつまらない教科という印象しか残っていない人が多いかもしれない。しかし、いま我々が知り得る数学の知見の裏には、そういう壮絶な戦いと累々とした屍が積み重なっている。



嫁が出張中なのを幸いに朝から晩まで勉強しておりまして