科学研究―第二第三の「iPS」を
(2008年7月28日 朝日新聞社説)


なんの変哲もない皮膚の細胞に四つの因子を入れて、からだのどんな組織にでもなれる万能細胞にする。  

京都大学の山中伸弥教授が、魔法のような技をマウスの実験でやってのけたと発表したのは2年前の夏だ。昨年秋には、iPSと名付けたこの細胞をヒトでも同様につくれることを示し、世界をあっといわせた。  

実際の治療に使うためには、まだまだ地道な研究が必要だ。時間もかかるだろう。しかし、この発見が大ホームランであることは間違いない。  

今大切なことは、こんな成果が日本から次々出る、つまり、第二、第三の山中さんが現れるようにすることだ。  

そのヒントは、山中さんの研究がたどった道から見てとれる。  

若い研究者の野心的な研究を支えていくことが、なによりも大事だ。  

2年前の成果を生んだ研究費の審査に当たった岸本忠三・元阪大総長は、因子を入れて万能細胞になるなんてありえない、と思ったそうだ。「しかし、若い研究者の迫力に感心し資金提供を決めた」と語っている。  

岸本さんは「研究とは壮大な無駄をすることだ」という。「千に三つ」ともいわれるが、山中さんはその三つに入るような成果を出したのだ。  

成功する可能性は低いかもしれないが、うまくいけばとてつもなく影響が大きい。そんな試みは「ハイリスク研究」とも呼ばれる。科学技術白書によれば、科学に力を入れる国々は、こうした研究の大切さに気づいている。  

米国は、こうした研究を拾い上げる方策を探り始めている。中国が昨年改正した科学技術進歩法も、ハイリスク研究でたとえ成果が出なくても寛容に扱うことなどを定めている。  

日本で先月成立した研究開発力強化法も、この流れを意識したものだ。  

だが現実には、科学研究費の分配で政府が重点分野を絞り、短期に果実を求める傾向が強まっている。それでは、未知の領域に踏み込む探究や、すぐに成果が出るわけではない基礎研究への意欲をそぎかねない。若い研究者の自由な発想にもとづく研究を支援していかねばならない。  

もう一つ、研究の基盤づくりも大切だ。山中さんの成果は、理化学研究所がつくった遺伝子のデータベースなしではありえなかった。ここから四つの因子を探り当てたのである。こうした基盤づくりも、成果が見えにくくおろそかにされがちだ。  

政府は、厳しい財政事情のなかで科学技術には例外的に多くの予算を投じている。成果を出して納税者の期待に応えることは当然だろう。  

しかし、本当に新しいものを生むには、じっくり腰をすえ、長い目で科学を育む必要がある。政府の総合科学技術会議はその決意を示してほしい。




研究者側のモラルハザードを警戒するのはもちろんであります