後輩と飲みます。


「実はこないだ、すごいことに気づきまして」

なに。

「ツルっていますよね」

あの首の長い鳥で、千年生きるっていうアレか。

「そうっす。あれって英語で何て言います?」

craneだよな

「ですよね。で、工事現場のクレーン、あれもcraneですよね」

そうだね。

「僕、知らなかったんですよ。『クレーン』って名前、ツルの形から来てるんですね」


 
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首の長い方々



「それに気づいて、超興奮しちゃったんすよ。なんか『あ、つながった!』って感じがして」



彼が何をきっかけにツルとクレーンのつながりに気づいたのかは知りませんが、とにかくめちゃくちゃ興奮する経験だったようです。

その後輩はあまり感情の起伏を表に出すタイプではなく、飄々として澄ました感じの奴なんですが、ツルとクレーンについて熱く語ってるときは、珍しく、嬉しさを前面に出した満面の笑みでした。
ヽ(゚∀゚)ノ ←こんな感じ。


知識を得ることが大事なのではなく、知識を得ることに喜びを感じる感性のほうが大事なのだと思います。その知的興奮を楽しむ心があれば、知識なんてものは勝手に増えていくもんです。
自分が学び続ける必要がある時、他人に何かを教える立場になったときには、そのことさえ忘れなければ大崩れすることはないと思います。

感性というのは、使えば使うほど伸びます。新しいことを知ったり気づいたりする喜びを感じる経験を積めば積むほど、そういうアンテナが鋭敏になります。たくさんのことを知っている人というのは、むろん努力もあるでしょうが、何よりも積極的に新しいことを知ろうとしているもんです。そして、そういう積極性を生み出すものは、知的好奇心の成せる喜びだと思います。

ひとつの知識としてクレーンとツルとの関係を知ったということだけのみならず、ひとつスコーンと靄が晴れるような経験ができて、後輩も重畳だったと思います。
「最近、そういう経験をしてないなぁ」と思って、ちょっと羨ましかった次第です。



うちの嫁さんは「キリンさん」と呼んでおるが