むかしのSFマンガでは地球にやってきた地球外生命体が「ワレワレは宇宙人だ」と名乗る。
この名乗り方って何なのだろう。

仮に地球人がどこか他の星に行ったとしよう。
そのとき、地球人は「ワレワレは宇宙人だ」と言うのだろうか。

そもそも「宇宙人」って誰のことだろう。
火星から来ればそれは火星人だし、
金星から来ればそれは金星人だし、
地球から来ればそれは地球人のはずだ。

例えて言えば、地球外生命体が「ワレワレは宇宙人だ」と名乗るのは、アメリカに住んでいる僕が「ワタシは外国人だ」と言っているようなものだと思う。
そんなことは、見れば分かると思う。何の自己紹介にもなってない。

やたらにリアリティーを追求する漫画家でも、平気でこういう誤謬を犯すことがあるらしい。視点が地球人の側だけだと「ワレワレは宇宙人だ」という名乗り方は別に違和感を感じないでかもしれないが、ちょっと視点を双方向性にすれば、すぐに「これおかしくないか?」と気づくだろう。


「差別」というのは、別にユダヤ人をぶっ殺したり、黒人に参政権を与えなかったり、という身体的、社会的な圧迫だけを指すのではない。
差別の根底にあるのは、自己を絶対化してしまい、他者から自分を見る視点を持とうとしない硬直した姿勢だ。
人間はだいたい自分の視点を基準に物事を判断するものだろう。しかし、それが唯一の視点となり、他の可能性を一切顧みなくなったときに、人間は歴史上、多くの間違いを犯してきた。

「ワレワレは宇宙人だ」という地球外生命体の自己紹介に何の違和感も感じない人は、無意識のうちに、差別につながる自己絶対化をしているのではないか。



手塚治虫に多いですよね