「ここに集まってる連中を、一応、手榴弾でぶっ殺しておきます


(;´Д`)



インタビュー・鈴木史朗さん (タブ・ハウス)

● アナウンサーになるきっかけは、小学校4年生の時に読んだ和田信賢アナウンサーのエッセイです。「アナウンサーは人間修養そのものである。人間修養できたものだけが人前で話す資格がある」という言葉に感銘を受けました。

● 「さんまのスーパーからくりTV」
最初はお年寄りを笑いものにすることに反対でしたが、やってみるとお年寄りたちは喜んでいるんです。ある老人ホームで、車椅子に乗り、おしめを当てている元重役のおじいちゃんがいました。やる気もなく顔色も悪かったのですが、この方に集中してヒントを差し上げていたところ、クイズに答えたんです。正解した途端、顔に赤みが差して笑顔が戻った。介護やボランティアの方も大喜びで、その後、「おじいちゃんは車椅子から立ち上がって頑張っています。番組のおかげです」とお手紙をいただきました。人から誉められることは、身体にいいことなんですね。

● 定年後は、今までガマンしてきたことから自分を解放することに努めました。定年後に新しく始めたことは、歌です。すぐにTBSのカラオケ道場に入門し、発声と演歌とポップスの先生について習いました。ラジオ番組でご一緒した永六輔さんから「20年ぶりにボクが詩を書きます」ということで、平尾昌晃さん作曲で「想春譜」というCDを出しました。当時の3人の年齢を合わせると188歳のトリオです。

● やりたいことはガマンしないのがモットーで、ゲームも大好きなんです。特に、「バイオハザード4」の大ファンで、芸能界でこれをクリアしたのはボクと加山雄三さんだけ。加山さんに初めてお会いした時に「クラウザー!」とあいさつを交わして以来、ゲーム親友として情報交換しています。ゲームはもっぱら女房たちが寝た夜十二時くらいから。朝方三時くらいまでやってることもあります。




「若さ」というのは新しいものに抵抗無く挑める気持ちの問題なんだろうな