周期表。


元素を周期律に従って配列した表。
世の中に存在可能な元素を網羅している。

小さい頃、「ものを壊して粉々にし、極限まで小さくしたら、究極的には一体どんなものになるんだろう」と思った人もいるのではあるまいか。僕は思った。

小学校では「酸素は燃えると二酸化炭素になる」と習った。中学に入ったら、「では消えた酸素はどこへ行ったのか」まで突っ込んで考えた。そのときに「元素」という概念を習う。化学物質を構成する基礎的な成分のことだ。

世の中の森羅万象、すべての物理的存在物は、すべてその基本的な構成が元素同士の結合によって決まる。フライパンも、レンガも、木も、水も、空気でさえも、すべてが元素同士の組み合わせによって構成されている。

中学のときにこれを知ったときには興奮した。理科の先生が、「世の中のすべてのモノは、たったこれだけの元素だけで成り立っている。つまり世界のすべては、この表で成り立っている」と豪語していた。

周期表は1869年、ロシアの科学者メンデレーエフによって提案された。元素はその原子の電子配置に従って、似た性質の元素が規則的に出現する。これに気づいたメンデレーエフは、それまで知られている元素を配列した表を完成させた。当時、すべての元素が知られていたわけではなかったが、メンデレーエフはそうした未発見の元素の存在を予言した。

その後、周期表に基づいて数々の未知の元素が発見された。その中には自然界には存在せず、人工的に作り出す必要のあるものもある。たとえばアクチノイド系の最後の元素、原子番号103のローレンシウムは、1961年カリフォルニア大学で作られた際に、わずか4.2秒で素粒子の構成が崩壊した。

周期表が化学で重要なのは、煩雑で無規則に見える物質が、実は一定の規則に従ってきれいに区分できる一般性が明らかになったからだ。周期表は原子量に基づいて18のタテ列に区分されているが、横の順番に元素を並べて行くと、なぜか18個周期で似たような性質をもつ元素が集まる。横に並べたはずなのに、似たような元素がタテ列に並んでいる。

化学が苦手な人にとっては、周期表は悪夢の象徴かもしれない。しかし、世の中のすべての物質は、しょせんこの程度の表にまとめられるほど単純化できるものなのだ。

僕はそれまで化学があまり好きではなかったが、周期表に夢中になって化学を勉強するようになり、化学が得点源になった。高校に入ってからは、男子校だったこともあり、周期表を覚えるために相当にアホな覚え方をした。テスト前になるとクラス中で意味不明な呪文が蔓延した。共学だった方々はどう覚えていっらっしゃったのだろう。

実は学校の化学では、周期表を覚えただけではテストの点にならない。周期表の穴埋め問題など、定期考査でも出題されない。周期表は、すべての化学式の基本となる土台であり、覚えるだけではない「使いこなすべき知識」に属する。

周期表を丸暗記しようと思うとかなりきついが、化学の勉強をして化学式を解く練習を積むと、エッチな覚え方などしなくても自然に周期表が頭に浮かぶようになる。その点、覚えるのが目的ではなく、使うのが目的である、数学の公式に似ている。


文部科学省が威信を賭けて無理矢理に推進していた「ゆとり教育」のもと、周期表は「暗記教育の弊害」の象徴とされ、中学の理科の教科書から削除されていた時期があった。しかし化学史からメンデレーエフを無視するわけにはいかないので、中学の理科教師は「周期表に言及することなくメンデレーエフを紹介する」という無茶苦茶なことを要求されていた。

この時期の文部科学省は周期表だけでなく、イオン、進化など大幅に理科の内容を削り、挙句の果てには数学の二次方程式の解の公式までも削除するなど、理性を失った教科内容削減に奔走した。その結果、当然ながら生徒の学力低下が明らかになり、公式にはゆとり教育の大失敗を認めず、陰でこっそり方向修正するという失態をくり返している。周期表も2005年から教科書に復活している。


「暗記が落ちこぼれを生むから、教科書から抹殺すればいいんじゃね?」という文科省の姿勢は、勉強に必要な姿勢を理解していないことをまざまざと露呈したと思う。


知識は、覚えるために覚えるのではない。使うために覚える。暗記が苦痛に感じるのは、暗記のために暗記をしているからだ。勉強の目的を間違えている。

日曜大工に使う工具の名前や型番を片っ端からすべて覚えろと言われたら、かなり難しい。チェーンソーだってプライヤーだって、用途に応じていろんな種類がある。しかし工具に詳しい人は、覚えようと思って覚えたのではない。いろんな作業をする過程で、経験と熟練によって、それぞれの名前と用途を自然に覚えてしまう。

勉強も似たようなもので、自分で使えない知識は覚えられない。歴史の年代だって、数字を単純暗記するだけでは試験で点を取れない。フランス革命は1789年。これを「非難爆発」と語呂合わせで覚えるのと、「なぜ1788年でも1790年でもなく、1789年にこの事件は起きたのか」「この事件の背景になったできごとは何年に起きて、それから何年後にこの革命は起きたのか」と、知識を有機的に体系立てて覚えるのとでは、知識の足腰が全く違う。

「暗記教育の弊害」と簡単に言うが、覚えるべき内容が悪いのではない。内容のせいにする姿勢が悪いのだ。暗記教育の弊害と言うのなら、知識を体系的に包括したり使い方につなげたりすることなく、覚えるために覚えさせるような授業方針が間違っている。覚えるべき内容を覚えなければならないこと自体に変わりはない。

文部科学省が「じゃあ減らそう」という態度をとったのは、「知識はとにかく覚えるものだ」という姿勢に警鐘を鳴らすことなく、むしろその姿勢を前提としていることに他ならない。本当に学校教育で必要なことを理解しているのなら、内容削減などという本末転倒なことにはならないはずだ。

周期表は真実美しい。世の中に存在可能な基本単位が規則正しく配列する様は感動ものだ。こういう世の中のしくみに感動する心を持ち続けると、勉強がものすごく楽しくなる。文部科学省はそういう「知識の実用化」「勉強する基本姿勢の発揚」を掲げて、総合学習なる珍妙な教科を作り出したが、実情を無視した理想論としか言いようがない。別にそんな現実困難な教科など作り出さなくても、各教科の根本となる姿勢をしっかり踏まえた教え方をすれば、暗記教育の弊害なるものは克服できると思う。

暗記の帝王の優等生は、どうせ大学に入ってから壁にあたる。教科書を一冊丸暗記しても、大学の評価では一点にもならない。弊害とされる行為の上っ面だけを見て、安易にそれを排除して知らん顔する姿勢からは、本質的なものは何も生まれない。周期表を見るたびに、そういう姿勢を思い出して笑ってしまう。



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