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山口素弘


Jリーグ開幕期から横浜フリューゲルスのボランチとして活躍。当時まだ日本では珍しく、高い持久力と徹底した戦術浸透が要求される「ゾーンプレス」を指揮。その戦術眼とスペースを消すクレバーな守備が高く評価され、日本代表にも選ばれた。1998年W杯フランス大会に3試合出場。日本代表国際Aマッチ59試合出場、4得点。そのうちフランスW杯アジア最終予選第3戦、国立競技場で行われた韓国戦でのループシュートは、伝説と称されている。

Jリーグでは、フリューゲルス消滅時、最後のキャプテンを務めていた。その後、名古屋グランパスエイトに移籍。2002年に戦力外通告を受けてアルビレックス新潟に在籍し、2005年には横浜FCに正式移籍した。2006年シーズンは44試合に先発出場。現在も中盤の底からゲームをつくる司令塔としてチームに貢献している。

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横浜フリューゲルスは1998年、出資会社の佐藤工業と全日空が経営悪化によりチーム運営からの撤退を表明。横浜マリノスに吸収合併されることになり、チームは事実上消滅することになった。プロスポーツのトップリーグに属するチームが消滅するのは、世界中でもきわめて異例のことだ。

ちょうど世の中はバブルがはじけて不景気になり、Jリーグでは初期の熱狂的ブームが一段落して観客動員数が減り始めた時代だ。横浜フリューゲルスの消滅は、Jリーグのバブル崩壊を象徴するような出来事だった。

佐藤工業と全日空は、その不誠実な撤退方法が多くのサポーターの反感を買った。事前に何の説明もなく一方的に決定し、チームや選手には何の事前連絡もしない。記者会見では一方的に「決定事項」として通達し、質問にも答えずに言い逃げの連続だった。これを契機に合併反対署名運動等が全国で起こり50万を超える署名が集まったが、合併は覆らなかった。

チームの消滅が決まった最後のシーズン、1998年の天皇杯で、横浜フリューゲルスは「一試合でも多くこのチームで戦いたい」と気迫のこもったプレーを見せた。準々決勝でジュビロ磐田、準決勝で鹿島アントラーズを下し、決勝では清水エスパルスに逆転勝利。有終の美を飾った。横浜フリューゲルスは合併発表後、リーグ戦・カップ戦を通じて1度も負けていない。


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「フリューゲルス」の名称を含む諸権利は横浜F・マリノスの運営会社が保有することになった。「F」は「フリューゲルス」のFだ。ところが吸収合併とは別に、フリューゲルス存続を願うサポーターの熱意により、横浜FCが設立された。

月日は流れて2006年11月26日、Jリーグ2部(J2)第51節で、首位の横浜FCが鳥栖を1?0で退け、勝ち点90で初優勝を決定、1試合を残して1部(J1)初昇格を決めた。チーム発足から6年がかりの悲願だ。来シーズンから横浜FCはJ1で戦うことになる。


チーム消滅から9年、横浜フリューゲルスの分身として出発した横浜FCで、また山口選手はJ1に戻ってくる。


山口はフィジカルに強いタイプではなく、それほど運動能力も高くない。一対一の勝負はむしろ弱いほうだろう。僕もテレビで試合を見ていたときは、なんで山口が日本代表に選ばれるのか不思議だった。

僕は1997年の韓国戦(国立競技場)で、初めて山口選手のプレーを実際にスタジアムで見た。この試合は中田英寿選手が初めてA代表にデビューした試合として知られている。

韓国チームがボールをキープして日本陣内に攻めるとき、縦にボールを送れずに横に展開するだけになることがよくあった。どんなに速攻をかけても攻撃が途中で止まる。ボランチの山口がパスコースをすべて消し、中盤の選手を動かして守備陣形を指揮していたからだった。

それに気づいてから、僕は守備のときの山口選手の動きと指示に注目して試合を見ていた。攻守の切り替えが異様に速い。攻撃参加したあとでも一瞬のうちに守備に戻ってる。カウンターをかけられたときでも、山口と井原だけはちゃんと定位置で待ち構えていた。

こういう、ボールから離れた位置の動きは、テレビでは写りにくい。テレビはボールをキープしている選手を中心に映すので、ボールをもたない側の位置取りまでは見えない。この試合は比較的凡戦だったが、危なげない守備で凡戦に持ち込むボランチの仕事というのを、はじめて見た気がした。マンマークに秀でるストッパー的なボランチではないが、戦術的な守備を徹底させるには不可欠な選手だろう。それ以来、僕は本当にスポーツを見るには実際にスタジアムに足を運ばないといかんと思うようになった。

そういう頭をつかったプレーヤーだから、消耗が激しく怪我の多いボランチでありながら、38歳の今も現役生活を続けられるのだろう。消滅したフリューゲルスを率いていた山口にとって、その後進となるチームの一員として再びトップリーグでプレーできるのは、いかほどの感慨だろう。現役生活はもうそれほど長くは続けられないだろうが、Jリーグ創成期を知るプレーヤーとして、少しでも多く若手世代にプレーの範を見せてほしい。


僕が観た韓国戦は、三浦知がPKを決めて日本が得点した。チームが歓喜の輪を作り、その中心で三浦知が腰を振りながら踊っているなか、山口と、その日デビューしたばかりの中田英寿の2人だけは、すばやく自陣に戻ってディフェンスに備えた。「この選手がいるかぎり日本は大崩れすることはないだろう」という気がした。



現役生活が長い選手は有無を言わさず偉い