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ジャッキー・チェン。


香港出身のアクションスター。50を越える映画に出演し、監督、脚本、武術指導もこなす。そのほとんどの作品で自らスタントを演じ、そのため大ケガを負うことも多い。

もともと香港、韓国、日本などアジア全般での人気は圧倒的だったが、1995年の『レッド・ブロンクス』が封切りと同時に全米興行収入初登場1位という快挙を成し遂げる。これはアジア映画としては初のことだった。これをきっかけにハリウッドで知名度と人気が高まり、2002年にはハリウッドの殿堂入りを果たしている。

私生活は香港、オーストラリア、アメリカを軸にしている。1983年(『醒拳』『キャノンボール2』『五福星』『プロジェクトA』の年)に、台湾女優の林鳳嬌とアメリカで極秘結婚。2006年現在で22歳になる息子がいる。


ジャッキー・チェンの映画が、日本をはじめとするアジアで爆発的な人気を誇った80年代、香港の映画界では脚本の剽窃が公然と行われていた。人気俳優を擁する映画の脚本を手に入れ、ストーリーをパクった作品を安価な制作費で先回りして製作し、本家よりも先に公開してしまう。

ちょうどジャッキー・チェンが監督と脚本を手がけるようになった頃、こうした弊害が顕著になったらしい。人気が上がる一方のジャッキー・チェンの映画も、こうした剽窃のターゲットとなっていた。

ある大作の構想を練っているとき、ジャッキー・チェンはこうした盗作に対処する方法として、いままでにない映画の制作方法を取った。脚本を印刷せず、出演者にストーリーの全体像を前もって知らせない。撮影する場面場面で、その場で出演者に演技をつける。全体のストーリーを知る者は、製作の中枢に関わるわずか数人だったという。

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この撮影方法につけられた作戦名は、そのまま作品の名前になった。『プロジェクトA』は、伝説の時計台落下シーン、海賊島での大格闘など、見所が多く、現在に至ってもジャッキー・チェンの最高傑作との呼び声が高い。この作品の撮影はかなり過酷だったらしく、このときの時計台落下シーンでジャッキー・チェンは頸椎を骨折し、1年間の休養を余儀なくされている。


実は、この独特な撮影方法には、盗作に対処する以外に、もうひとつ理由があった。


『プロジェクトA』は、ジャッキー・チェン自身が脚本を担当している。
実は彼は、字の読み書きができない文盲だった。


1994年に、ジャッキー・チェンは自身が文盲であることを告白している。

「英語も中国語も読めない。勉強しなかったことを、とても悔いている」

香港で生まれた彼は、7歳から約10年間、中国戯劇学院で京劇を学んだ。その後、学院が閉鎖してしまったため、エキストラやスタントマンとして映画に関わるようになった。つまり、ジャッキー・チェンには、きちんとした教育を受けられた時期がなかった。ひたすら体術を叩き込まれ、10代のうちから生きるために稼がなければならなかった。

映画の出演に際しては、マネージャーが台本を読むのを手伝ってくれていた。唯一、読み書きができるのは自分の名前だけで、ファンにサインをするために必死で覚えた。「自分は読み書きができない。だからこそ、今の若い人たちにはしっかりと勉強してほしい」と語っている。

しかし文盲でありながら、広東語・北京語・韓国語・英語を流暢に話せる他、日本語も多少話せる。文盲であることは職業と日常のコミュニケーションの両方で相当なハンデだろうが、卓越した語学力でそのハンデを乗り越えてきた。


現在、日本で普通に生活していれば、文盲の人はほとんどいないと思ってよいだろう。日本の識字率は99.8%を越えている。識字率は主に発展途上国の教育の質を測るうえでの指針にされることが多い。

だが、そういう読み書きのできる人が外国語に秀でているかというと、そうではない。我々日本人が外国語を学習しようとすると、まず教科書を使う。辞書を使う。ノートを使う。一流大学の英語の入学試験問題を楽々と読み解き、英語の本を原書で読めるような人でも、なぜか会話ができない「音盲」の人が多い。字幕がないと洋画が見れない。英語圏に行っても電話で宅配ピザ一枚注文できない。

ジャッキー・チェンの伝記を読むと、文盲として生きることになってしまった教育環境には同情を禁じ得ない。あれだけ真摯に熱意をもって目的に向かう人だから、学問に目覚めても、どの道を志しても、そこそこ一流になれたのではないか。

しかしそれとは別に、どうやって語学を習得してきたのか、とても興味がある。文字の力を借りずに外国語を学ぶことが、どうやってできたのだろう。

具体的な方法は分からないが、おそらく根底にあるものは、強力な動機づけではないか。欲求といってもいい。もともとジャッキー・チェンの海外志向は強かった。香港で留まるつもりはなく、中国、韓国、日本、アジア全域、はてはアメリカに至るまで、自分の作品を広めたい。そういう野心に似た欲求が、猛烈な語学に駆り立てたのだと思う。

おそらく、そこにはブルース・リーの影響もあるだろう。アメリカ・サンフランシスコ生まれのブルース・リーは英語に堪能だった。そのため『燃えよドラゴン』で、白人至上主義だった当時のハリウッドではあり得なかった主演の座を勝ち得ている。

語学に必要なのは、熱意と、謙虚な姿勢だと思う。特にジャッキー・チェンの場合、本から学べないのだから、語学は人から教わるしかなかっただろう。人との関係を大事にし、人から多くのものを学び、吸収しようとする気持ちがなければ、なかなか上達しない。

アジアでアクションスターとして君臨し、ハリウッドでも大成功を収めた「映画界の大物」でありながら、ジャッキー・チェンは偉そうな素振りを見せることがないという。ファンにはひとりでも多くサインに応じる。撮影ではスタッフと車座になって同じ食事をとり、率先して現場の掃除もする。そういう姿勢が、そのまま生きるために必要なことを学ぶ力になっていたのではないか。


本当に本気の熱意と目的があれば、文盲という大きなハンデがあっても、執念で目的を達することができる。いま日本では英語教育の小学校必修をめぐる議論がさかんのようだが、一体何のために英語を勉強するというのだろう。「完璧なカリキュラムと立派な教科書があれば、英語ができるようになる」とでも言うのだろうか。恵まれた環境にある国の子供が週に2時間程度の授業を受けたら、流暢に英語を話せるようになるだろうか。外国語の習得に必要なものを根本から勘違いしている限り、どんなに文科省が鼻息を荒くしても、役には立たないと思う。

中国語も英語も書けないジャッキー・チェンにとって、自分のサインを書くのは、字というよりはむしろ意味が分からない絵を描いているようなものだったろう。その絵もどきを書くたびに、勉強する機会がなかった自らの半生を顧みることもあったと思う。それでも卑屈になることなく、ファンに頼まれれば喜んでサインに応じた。ジャッキー・チェンは、サインをした数だけ、これから未来に向かって成すべき語学の向学心を燃え上がらせていたのではないか。



本当に強い人は、自らの弱点に潰されることなく生きられるんだと思う