トリノ五輪 雪と氷が描いた明暗
(2006年2月27日 朝日新聞社説)


 山にも街にも闇が降りた。20回目の冬季五輪がトリノで閉幕を迎えた。選手たちが競い合った7競技84種目のどれにもドラマがあり、それぞれが鮮烈な印象を残した。

 結果から見れば、優勝候補が勝てなかった大会、といえるかもしれない。アルペンスキーでは、昨季のW杯総合王者が無冠で終わった。アルペン最終日の男子回転では、今季開幕からW杯5連勝のイタリア選手が1回目でコースから外れて棄権、地元の大きなため息を誘った。

 原因は様々だろう。体調のピークを合わせる難しさ。注目の大きさとその重圧。それが4年に一度しかない五輪の面白さでもある。しかし、この波乱の連続を番狂わせとは呼びたくない。

 スキーのジャンプで、2季続けて君臨してきた年間王者をラージヒルで破ったのは19歳の新鋭だった。バイアスロンの男子では、前回4種目の優勝をさらった強豪を抑え、3冠を手にした新しい王者が生まれた。

 スポーツは、強い者が勝つとは限らない。勝った者が強いのだ。

 もう一つ記憶に残る場面がある。スピードスケート男子1000メートルでシャニー・デービス選手が見せた圧倒的な速さだ。冬季五輪の個人種目で黒人選手の金メダルは初めてだった。

 今大会の参加国・地域は80の大台に乗り、雪や氷には縁遠いアフリカや中南米の選手も増えた。デービス選手は米国人だが、新しい冬の仲間にも大きな刺激になったろう。

 こうした競技の華々しさの裏側で、ドーピング(禁止薬物使用)問題の闇の深さも見せつけられた。

 渦中にいるのはオーストリアのスキー距離・バイアスロンのチームだ。4年前のソルトレーク五輪で、チームのドーピングに関与したとして、責任者のコーチが五輪2大会の追放処分を受けた。

 ところが、チームは再びこのコーチと契約し、選手村の外に設けた宿舎に出入りさせていた。そこからドーピング用とみられる注射器などが見つかった。

 宿舎にいた選手の尿検査では薬物は出なかったが、選手のうち2人が無断で帰国し、ドーピングをほのめかした。チームぐるみの可能性が強く、冬季競技の大国として、その影響と責任は重い。

 事件がさらに衝撃的なのは、イタリアの捜査当局が積極的に疑惑を追及していることだ。イタリアでは自転車やサッカーの選手のドーピングが相次ぎ、独自の反ドーピング法がつくられた。そこには禁固刑もある。五輪での違反者が起訴される可能性は十分ある。

 日本もひとごとではすまない。昨年10月、ユネスコで反ドーピングの国際条約が採択された。各国とも法整備を含めた対応を迫られているのだ。

 五輪を開催するには厳しいドーピング対策が条件になっている。2016年の五輪の招致へ動きだした日本には、とりわけ緊急の課題だ。



日本人のメダル数云々にとらわれずトリノオリンピック全体を包括する所見は珍しかったので全文掲載。



確かに勝ったものが強い。