農協改革を避けて農業は再生できない
(2006年1月29日 日本経済新聞社説)


「農協」と聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか。
「農協?知らんなぁ」というのが、大方の都市生活者の実感ではあるまいか。


日経の社説は、日本の現在の農協の在り方に疑問を呈し、農業改革の必要性を訴えている。農家でもないサラリーマン家庭にはちょとイメージしにくい問題だ。

根源的な問題は、そもそも農家の互助組織として発足したはずの農協が、その機能を形骸化させている現状にある。流通経路がダブつき、国内生産の農産物の値上げにつながっている。しかも農協は独占的に農産物の流通を請け負っているため、競争原理が働かず、価格に流動性がない。


 農協は本来、地域内で互いに助け合って農業を営むための共同体組織である。それが逆にコスト削減の力学を働きにくくする足かせになっていないか。



「日本の農家の在り方が、農協が想定している在り方と大きく異なってしまっている」という現実も問題だ。


日本の農業の中核であるコメ農家は、約9割が企業などで働きながら営農する兼業農家である。農業による収入と経費の管理で経営に工夫を凝らす時間と意欲がある農家ばかりとは限らない。兼業農家は農協への依存度がおのずと大きくなる。

 農協は現在、全国に約870あり、合わせて約500万人の組合員を擁する。1人1票の議決権を持って組織運営に加わるのが協同組合の基本的な仕組みだ。だが受動的な兼業農家が圧倒的多数を占める中で、日本の農業の「担い手」となる専業農家は少数派となり、その声が農協経営に反映されにくい構造ができてしまっている。



こうした状況で、農家の農協離れが進んでいるらしい。農協はそもそも農家の保護のための互助組織なのだから、農協を通して流通をするほうが利点があってしかるべきだ。しかし、現在はどうもそううまくは機能していないようだ。


北陸の篤農家は「農協より値段が安い」ため、近郊の大型量販店で農薬や肥料を購入している。九州の高級果実の農家は農協に出荷せず、インターネットで首都圏の消費者に直接販売して利益を上げている。従来農協が担ってきた機能を企業やネットがとって代わる時代が来ている。



こういう現状を知るだけでは、「農家のみなさんは大変ですねぇ」で終わってしまう。
問題は、なぜ日経がこの現状を問題視しているか、だ。


1月24日から5日間、スイスのダボスで「世界経済フォーラム」の年次総会(ダボス会議)が開かれた。世界各国の政財界の要人や学識経験者が一堂に会して、政治、経済の動向を議論する会議だ。

その会議の席上で、世界貿易機関(WTO)の交渉が再開した。各国の貿易担当相が市場開放の具体的な方策を話し合った。その主なテーマは農産物の貿易自由化だ。

現在の日本の国産品の農産物は、高い関税によって輸入商品との競争から保護されている。国産品のほうが品質が良いのは周知の事実だし、価格も安いとなれば誰もアメリカ産のお米など買わないだろう。

この現状に不満をもつ各国が、自国産の農産物の売り込みのために関税の引き下げをはかっている。もし、ひとめぼれが「おいしいけど5000円」で、カリフォルニア米が「それほどでもないけど3000円」だったら、カリフォルニア米を買う家庭が増えてもおかしくない。

そうなると、国産品としてはどう対処するべきか。「値段を下げ、市場における競争力をアップさせる」しかない。品質のみならず、値段の点でも十分に勝負できる商品を市場に出す必要がある。

しかし、その要となる農協が、上記のザマなのだ。もし関税が大幅に引き下げられ、安い外国産の農産物が国内に大量に出廻ることにでもなったら、今の農協ではとても太刀打ちできない。独占市場であることにあぐらをかき、流通経路を複雑にして価格を下げられない体たらくでは、競争力はゼロに等しい。

日経の社説が最も危惧しているのは、「このままではいずれ外国産の農産物に、国産品が喰われてしまう。そうなったら、日本の農業が壊滅的な打撃を受ける」ということだ。日経はもはや「関税引き下げ反対」などという立場をとってはいない。「いずれ諸外国の要求に屈して、関税を引き下げざるを得なくなるだろう」という前提に立っている。

つまり、日経の社説のスタンスは、「関税引き下げ上等。アメリカ米だろうと何だろうとかかってこい。迎え撃ってやろうじゃないか」という態度だ。そのために「農家を束ねる農協がそんなザマじゃ勝てる勝負も勝てない。もっとシャキッとしろ」という主張だ。既存の関税による保護にぬくぬくと甘えたり、既存の権益にしがみついたりすることなく、世界の時流に従って「勝負するべきところはきっちり勝負すべきだ」という、なかなか気合いの入った姿勢だ。その意気や善し。


農産物の関税引き下げへの対処には、ふたつの姿勢がある。


ひとつは、関税引き下げそのものに反対し、あくまで日本国内の農産物だけを市場に確保するという考え方だ。こういう立場の人たちは、国内の農産物の優秀性を声高に訴え、外国産の農産物がいかに粗悪であるかということをアピールする。

マンガ『美味しんぼ』は、こちらのスタンスに属する。国産品と外国産の味の違いを指摘し、農薬や環境問題などにからめながら外国産の農産物を悪者に仕立て上げる。その違いを知らない消費者を「食について真剣に考えていない」と啓蒙する姿勢だ。この作品の一連の巻では、国産品が高価格であることは認めるが、「なぜ高価格にならざるを得ないか」の問題には触れない。「たとえ高くても、ホンモノが分かる人はこちらを買うべきだ」という姿勢だ。


もうひとつの姿勢は、関税の引き下げを認め、国内の農産物を国際的に競争力のある商品にしようとする姿勢だ。日経の社説はこちらの姿勢にあたる。

この立場があまり大衆受けしないのは、ひとつには「外国の要求に屈した」という気分になることがある。もともと関税とは自国の産業を保護するためのものであり、古くから農業国であった日本が農産物を保護するのは当然の成り行きだった。 もうひとつには、「国産品を国際的な競争力のある商品にするためには、現状を大きく変える必要がある」ということがある。農業改革とも言うべき変革を経ないと、農産物の価格は下がらない。流通経路を簡素化し、農協内のリストラを進め、無駄を省く。要するに痛みが伴うのだ。

どちらの姿勢もそれ相応の根拠があり、主張する気持ちは分かる。
日経は後者の立場をとっているが、それは別に世界の時流の尻馬に乗っただけ、という軽佻浮薄な姿勢ではないような気がする。

日経の社説の書き方をよく見ると、「貿易が自由化したときに備えて国産品の競争力を上げるべきだ」という点にはそれほど力を入れていない。主張しているのは一貫して「国内の農業の在り方を改革する必要がある」という点だ。

おそらく日経は、「関税が下がるから農業改革が必要だ」という意図ではなく、「関税が下がろうが下がるまいが、今の農業の在り方はおかしい」とかねてから思っていたのではあるまいか。たとえ高い関税によって国産品が保護され続ける状態であっても、現状のままではいずれ日本の農業は内部から崩壊する、という危惧を感じているのではないか。ダボス会議やWTOの交渉期限は、たまたまこの問題を世に問う機会にすぎない。

ダボス会議では中国やインドの経済発展ばかりが話題になり、日本は影が薄かったという。「それがどうした」という気がする。個人的には中国の発展は、環境問題や雇用環境などをすべて無視し、生産高の数字だけを目指した無茶の産物である気がする。国レベルでの経済発展が、数字上、驚異的だったとしても、そこの国民ひとりひとりが豊かな生活を実現させているのだろうか。中国の急速な経済発展が及ぼした傷跡も多い。


 「しかし中国は今、前しか見えていません。後ろを振り返ること決してしない。後ろを振り返れば、見えるのは無残に汚れた国内の姿。しかしそれでも立ち止まることを考えることなく、さらに汚しながらも前に進もうとする。 (中略)  一度立ち止まって後ろを振り返ることを覚えないと、自壊の日は間違いなくやってきます。」



今の日本にとって重要なのは、やたらと「こんなに経済発展しました」などとアピールすることではない。今の日本は成長率を誇るような段階はとっくに通り越してる。むしろ、各国が要求していることと国際貿易の流れをしっかりと把握し、そういう現状に対応するために国内で何をしなければならないか、国としてどういう姿勢をとらなければならないか、と考えることが大切だろう。


同日(1月29日)の他の全国紙では、ライブドア問題、行政改革、自民党総裁選、鳥インフルエンザなど、流行の話題が多く飛び交った。たしかにこれらは論点となる問題であり、看過できない。しかし、新聞をはじめマスコミというのは、話題になっている事象ばかりを取り上げるだけでなく、「誰も気づいていないが重要な問題」を自ら発掘し、広く世に問うべきものでもある。一般的には話題性に欠ける問題でも、農業改革を何の躊躇もなく社説に取り上げて真剣に議論する日経のような視点は、大事だと思う。



おこめいっぱいくいたい。カツ丼がいいな。


社説 農協改革を避けて農業は再生できない(1/29)

 農産物の貿易自由化をめぐる世界貿易機関(WTO)の交渉が再開した。27日にスイスのダボスに各国の貿易担当相が集まり、市場開放の具体的な方策を話し合った。決着への道筋はまだ見えないが、交渉期限は3カ月後に迫っている。

 はっきりしているのは、日本の農業改革が「待ったなし」だという世界の現実である。日本のコメやコンニャクなど高率関税で保護されている農産物には、関税率に一律の天井を設ける制度が検討されている。例外として保護してもよい品目の数が大幅に減るのも確実だ。

中間コスト削減の壁

 市場開放の程度や時期の差はあれ、農業のグローバル化の潮流には逆らえない。日本の農業の高コスト体質を改善するために、早急に取り組むべき課題が「農業協同組合(農協)」の改革である。生産現場だけでなく、生産者と消費者の間に立つ農協が負う部分のコストについても、議論を深めなければならない。

 農協は本来、地域内で互いに助け合って農業を営むための共同体組織である。それが逆にコスト削減の力学を働きにくくする足かせになっていないか。地元社会に密着する協同組合であるため、農協以外に競争相手がいない地域などでは、市場競争がうまく機能しないからだ。

 農協が扱う仕事は農作物を農家から集荷し、流通、販売するだけではない。「農業協同組合法(農協法)」は、農業機械、肥料、農薬などの農家への販売や、住宅ローンや預金など各種の金融業、共済事業(保険業)まで幅広く扱うことを認めている。ガソリンスタンドや生活用品の大型店舗を営む農協も多い。

 意図的な独占ではないとしても、農家の生産や生活に直結する市場で、農協が巨大な支配力を握ってきたのは事実だ。競争が少なければ、生産に必要な資材などの価格は下がりにくく、農産物を消費者に届ける流通の効率化も進まない。この結果、農業全体のコストは下がらず、農産物の価格を押し上げる。

 農家は農協の顧客であり、組織運営に参加し監視する構成員でもあるはずだが、時に主客転倒ともいえる農協独走の構図が見られる。相次ぐ不祥事はその典型だろう。

 昨年4月には、秋田県で農協の全国組織である全国農業協同組合連合会(全農)の秋田県本部で、コメの架空取引などの不正が起きた。一昨年10月には、輸入肉を鹿児島県産の黒豚に偽装した事件で農協の関係会社が取引に関与していた。いずれも組織のガバナンス(統治)が緩んでいる証左といえる。

 日本の農業の中核であるコメ農家は、約9割が企業などで働きながら営農する兼業農家である。農業による収入と経費の管理で経営に工夫を凝らす時間と意欲がある農家ばかりとは限らない。兼業農家は農協への依存度がおのずと大きくなる。

 農協は現在、全国に約870あり、合わせて約500万人の組合員を擁する。1人1票の議決権を持って組織運営に加わるのが協同組合の基本的な仕組みだ。だが受動的な兼業農家が圧倒的多数を占める中で、日本の農業の「担い手」となる専業農家は少数派となり、その声が農協経営に反映されにくい構造ができてしまっている。

 農協法は、農業を営む組合員以外でも農協の各種サービスを利用できる「准組合員」制度も認めている。住宅ローンの利用などが増え、議決権がない准組合員は現在、400万人に膨れあがっている。これでは「農家のための農協」とは呼べない。

「協同組合」がいいのか

 農協も危機感を抱いている。全農は昨年末、子会社を含めたグループ全体で現在2万5000人いる従業員を5年後までに2万人に削減するなどの「改善計画」をまとめた。流通改革にも努め、現在は60キログラム当たり3000円かかるコメの中間流通コストを、2008年産までに2000円以下に抑える計画を立てている。

 こうした改革が遅れれば、農家の農協離れは確実に加速するだろう。北陸の篤農家は「農協より値段が安い」ため、近郊の大型量販店で農薬や肥料を購入している。九州の高級果実の農家は農協に出荷せず、インターネットで首都圏の消費者に直接販売して利益を上げている。従来農協が担ってきた機能を企業やネットがとって代わる時代が来ている。  相互扶助を建前とする「協同組合」が最適な組織形態なのか。玉石混交の護送船団方式で、競争力を備えた「担い手」は育つのか。金融、保険、販売事業の分割も視野に置きながら、巨大な農協事業に関する規制緩和と組織改革を検討する必要がある。日本の農業を再生するには、厳しい農協改革が避けて通れない。

 今年はWTO交渉が最終段階に入り、3年に一度の農協全国大会も10月に開かれる。この農協改革の好機を逃してはならない。