中学生のときに、2次方程式の解の公式を習った。


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中学校の数学では、2次方程式の問題は8割が因数分解を使う。必死で因数分解のやり方を覚えたあと、突如として万能薬のごとく、すべての2次方程式を一瞬で解ける解の公式を教わり、「それはないぜ」と思ったものだ。

冷静に考えてみると、世の中に存在可能なすべての2次方程式のうち、因数分解できるものなどほんの一握りにすぎない。中学校で因数分解を中心にした解法で扱っているのは、世の中の全事象のなかで考えると、例外的な事例と言って良い。数学を世の中の真理を理解する方法と捉えると、真実に肉薄できる本質的な解法は、実は因数分解ではなく解の公式のほうだ。

のちに、2次方程式の解の公式は実は暗記する必要などなく、平方完成をすることで間接的に求められることを知った。中学レベルの数学など、本当の数学の全世界からすると箱庭のなかのおもちゃ箱のようなほんの些細なものだろうが、僕は2次方程式の解の公式を習ったときに数学の深遠さをちらっと垣間みたような気がしたものだ。

ところで、3次方程式にも4次方程式にも解の公式はある。
3次方程式についてはカルダノの公式があり、4次方程式についてはオイラーやフェラリが解法を与えている。いずれも、多次方程式の一般解を求める代数方程式の目標に沿った研究成果だ。すべての3次方程式、4次方程式をあまねく解ける万能の公式なぞ発見したら、さぞや気分がよろしかろう。


ところが、5次以上の代数方程式には、解の公式が存在しない。


5次以上の方程式の解法については、代数学の分野で積年の課題になっていた。
ところが世界中の最高峰の数学者達がどうしても解けなかったこの問題が、ノルウェーの片田舎に住む、当時わずか21歳だった青年によってあっさり解決された。


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ニールス・ヘンリック・アーベル (Niels Henrik Abel, 1802-1829)。
「薄幸の天才」というのは、彼のような者のことを言うのだと思う。

ルーテル派の牧師の家に生まれ、生活は極度に貧しかった。クリスティアニア大学(現オスロ大学)で数学を学び、1823年末に「5次以上の一般代数方程式が、係数から出発して四則演算とべき根をとる演算だけで解を求めることができない」という証明に成功した。このアーベルの功績により、代数方程式の解の公式を模索する諸研究はすべて終止符が打たれることになる。

この証明から27歳で死ぬまでの5年間に、アーベルは通常の数学者が人生を5, 6回やり直せても追いつかないほどの業績を積み重ねる。5次以上の方程式に解の公式が存在しないのは、全ての累乗 n で解公式を得ようとすると何らかの超越的関数が必要になるからだ。アーベルはこれを示すのに楕円関数に目をつけた。ガウスのほんの数語をヒントに楕円積分の逆関数として楕円関数を導入し、楕円関数論を自力で開拓したと言われている。

また、後にアーベル方程式が代数的に解けることの画期的な証明にも成功したが、これはアーベルにとっては楕円関数論の副産物にすぎなかったらしい。その他、アーベルは可換群についての研究、無限級数の収束、多様体、幾何学など、多様にわたる研究を残した。まさしく天才と言っていい。

これだけの才能がありながら、数学界でのアーベルは悲運の連続だった。
彼は一般的な5次方程式を解くことが不可能であることを証明した「世紀の論文」をガウスに送った。しかしガウスは「n次方程式は解を持つ」 という定理を発表していたため、アーベルの論文の題名を見ただけで一顧の注意も払わなかったという。また一説には、極度に貧しかったアーベルは自費出版の印刷代を節約するため論文を短縮したので、説明が十分でなく、ガウスには内容が理解できなかったとも言われている。

さらにアーベルは解析学の金字塔とも言える重要論文を、フランスのパリ科学学士院に提出した。これを受け取った論文の審査員コーシーは、なんと論文を紛失するという大失態を犯す。

このコーシーという数学者は当時のフランス数学界の最高峰だった。極端に多産な数学者で、科学アカデミーの会合に毎週出席し、そのたびに新論文を発表する有様だ。数学者として有能であった反面、偏屈な性格で、科学アカデミーでは人脈的に孤立していた。また相当な無責任で、若者の独創性を認めない偏狭なところがあったらしい。彼の被害にあったのはアーベルだけではなく、ガロアの最重要論文「循環連分数に関する一定理の証明」もコーシーは紛失している。現在ではコーシーは彼自身の業績よりも「アーベルとガロアを潰した数学者」として名を残している。両者とも彼の無責任さが夭逝の原因となっただけにコーシーの責任は重大だ。二人の天才を若くして死なせただけでなく、彼のせいで数学の研究が半世紀遅れた面がある。



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こいつがコーシーです。




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こいつがコーシーです。






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こいつがコーシーです。






現在の学会であれば、投稿論文をジャッジする側が紛失するということは、まぁないだろう。かりそめにもそういう世界に身を置く立場として、寒気がする。僕ごとき大学院生が学会に投稿することなど年に2, 3回で、その内容たるや世紀の論文どころか、つまらないものばかりだ。そんな論文でも現在では学会はちゃんと扱ってくれ、コメントをつけてしっかり返してくれる。僕が生まれたのが安心して研究成果を発表できる世の中であってくれて、本当にほっとする。

生まれた時代の不運というものがある。アーベルの生まれた時代はまだ科学研究のための諸体制が十分に整っておらず、体系的で包括的な研究が萌芽した段階に過ぎなかったのだろう。数学は他の自然科学に比べて歴史が桁外れに古いが、人と人とがネットワークを形成して科学研究を行う環境としては、まだ黎明期だった。そういう世の中では、ほんの一握りの天才が一気に研究を進めることが往々にしてあったのだろう。もしかしたらアーベルのような、才能をもったまま、時代の水面に浮かぶ前に沈んで消えていった市井の天才というのが、他にも大勢いたのではないか。

唯一、アーベルが幸運だったのは、ライバルに恵まれたことだ。楕円関数論についてアーベルと激論を交わしたヤコビは、アーベルの一連の論文を読み、「私には批判することさえ及ばない大論文」と激賞し、アーベルの研究成果を広く知らしめた。現在に残るアーベルの業績は、ヤコビに負うところが大きいと思う。それをきっかけにガウスは最初却下したアーベルの論文を読み直し、深い慚愧の念に駆られたという。アーベルが死ぬわずか1年前のことだった。

研究活動というのは、才能だけでは成り立たない。才能を磨く環境、優れた指導者、同じ分野を志す同僚、実力を認め合うライバル、そういった所々の要素が混ざり合い、研究者の能力が開花する。22歳から27歳までの5年間というのは、現在ではちょうど大学院博士課程の在学期間に相当する。そんな若い時期に、ほぼ自力で数学の未知の分野を切り開いた能力は半端ではない。研究環境と研究能力の相関関係を思うたびに、悲運のまま死んで行ったアーベルのことが頭をよぎる。

2001年、ノルウェー政府は、顕著な業績をあげた数学者に対して贈る「アーベル賞」を創設した。4年に一度で受賞年齢対象が40歳以下のフィールズ賞と違い、毎年実施され、年齢制限はない。受賞金額は約100万円のフィールズ賞のなんと100倍、1億円が贈られる。ノーベル賞に匹敵する、数学界最高の賞になる。不遇のまま人生を閉じたアーベルの名を冠する賞として、多くの数学者にチャンスを与える賞であってほしい。


おまけ。
数学の研究史を紐解くと、全く関係のない独立した分野で楕円曲線や楕円関数がキーとなっている例が多く出てくる気がする。最近では、アンドリュー・ワイルズ教授による「フェルマーの最終定理」の証明方法で楕円曲線論が鍵となっていた例がある。僕は数学に疎いが、どうも楕円関数というのは、所々の独立した分野を紡ぐ横糸のような役割を果たす分野なのではあるまいか。言語学で意味論におけるNPIのライセンス条件の研究になんか似てる気がする。



僕は研究環境には恵まれてるんですがいかんせん能力の方が