キルギス政権崩壊 露も民主化の軌道に戻れ
(2005年3月26日 産経新聞社説)
[キルギス政変]「民主化ドミノが及んだ結果か」
(2005年3月26日 読売新聞社説)
キルギス政変 長期独裁で民心が離れた
(2005年3月26日 毎日新聞社説)


どこかの国の単なる政権交替と思っている人が多いだろうが、世界史的に重要なことが起きていると思う。

要するに、旧ソ連支配国のひとつがまた民主化したという話だ。キルギスでソ連時代の中央集権体制が崩壊し、民衆運動によって民主化が実現した。

時代の流れなのだろう。2年前のグルジア、去年話題になったウクライナに続いて3つめの政権交替だ。政権交替に伴う混乱を考えると、革命と呼んでいい政変だと思う。


ところで、我々はなんのために歴史を学ぶのだろうか。


いま自分が生きている時代は、どういう時代を辿って成立しているものなのか。過去の歴史を理解することは、未来への指針を与えてくれる。人間は現状の一点のピンポイントの視点だけでは未来を志向することはできない。過去を知り、現在に至る大きな流れを知ることで、正しい流れでの未来のあり方を知ることができる。

その他に、歴史は単純に「人間っていうのは、どういうものなのだろう」ということを知る大きな助けになる。いかな古代から綿々と続く歴史とて、しょせん人間の行なってきたことなのだ。教科書の太字で紹介される偉人たちだって、同時代の人にとってはただの人だった。

ロシア革命以来、共産主義国家の建築とその推移を辿ってみると、人間の本質というのは要するに「自分さえ良ければいい」「貧乏よりも金持ちになりたい」「他人よりも優れたい」「自分の利権は絶対に確保したい」ということに落ち着くのではあるまいか、という気がする。

理念としては共産主義国家は国民すべてが全く平等であり、すべての人々の経済状況は等しいことになるはずだ。労働者はすべて国に奉仕する公務員で、政治を行なう者は労働者の代表に過ぎない。

しかし実際は、共産主義国家のほとんどは政権が独裁的に権力者に握られる。理念としてはすばらしいものではあるはずの共産主義は、「そもそも人間とは得をしたい動物で、他人よりも優れたい性質をもつものだ」という本質的な人間の情を無視して理想に走った、非現実的なきれいごとに成り下がってる。

思うに、民主主義国家のほうが、自分勝手な人間の性質を抑制できるように機能していると思う。日本やアメリカのような国においては、特定の一族が15年にもわたって政権を独占するということはそもそも不可能だ。自分勝手で、自分だけが得をしたい人間の本質は、一見奔放に見える民主主義でこそ厳しく制限されている。

本当は国民がすべて等しい立場であることを謳っている共産主義国家でこそ、そういう腐敗した体制が可能であることは、建前と現実がきれいに逆になっていて面白い。共産主義が弾劾するところの「民主主義における特定の資本家による富の独占」云々よりも、共産主義内部における「特定の一族による政治権力、経済力の独占」のほうが、より深刻な問題だろう。

今回のキルギスの政変は、いかに最初は潔癖高潔な政治指導者でも、権力の座に長く居すぎるとしょせん人間の本性が出てくるということを示している。独裁権力が可能な政治形態だからこそ、「自分さえ良ければいい」という本性が遺憾なく発揮されてしまうのだろう。1989年に処刑された旧ルーマニア独裁者のチャウシェスクだって、政権樹立当時はソ連に対して断固とした態度の独自路線をとる指導者として評判が高かった。1984年のロサンゼルスオリンピックではソ連の影響下で東ヨーロッパ諸国が相次いでボイコットしたが、ソ連を無視してただ1カ国だけ参加したのがルーマニアだった。

独裁権力が可能な政治形態は、その座についた人間の腐敗を招くのだろう。人間は本来、権力と富を求めるもので、それが可能な環境にあれば遠慮なく欲求を追求してしまうのだろう。権力も富も手に入れることが可能でありながら、きれいごとの政治形態に殉じてストイックな生活を送るというのは、どうやら人間にはありえないらしい。そういう例がまたひとつ増えた。

そんな歴史的視点はさておき、今回のキルギスの政変ではイスラム過激派によるテロの波及が一番の脅威になると思う。産経の社説がその部分に敏感に反応している。地理的にもヨーロッパ、アジア、イスラム圏のちょうど中心に位置しているだけに、政変がテロに及ぼす影響がもっとも最重要課題になるだろう。

毎日だけが指摘していることだが、今回の政変があまり大げさに報道されていないのは、アメリカ、中国、ロシアの各国が内政干渉をせず経過を冷静に見守ったからだ。さすがに各国とも3回めともなると対応に馴れるか。



まずは治安の安定を