アメリカの薬はムダに効き目が激しいので、日本から持ってきている薬がいくつかある。
「正露丸」もそのひとつ。整腸薬としてお馴染みの薬。

正露丸のあのツーンとする味が苦手な人も多いだろう。あの味は、フェノール系化合物を主成分とする「クレオソート」(化学式: CH3C6H4OH)という物質によるもの。これは発がん性物質としても有名で、正露丸の「使用上の注意」には「本剤が誤って皮膚に付着した場合は、せっけん及び湯を使ってよく洗ってください」と明記してある。コナン・ドイル著のシャーロック・ホームズ譚のひとつ「四つのサイン」には、クレオソートに誤って足を突っ込んでしまった犯人を追跡するためにシャーロック・ホームズが犬の嗅覚を使って追跡をするシーンがある。

この正露丸、有名なのはテレビのCMでおなじみの「ラッパのマークの大幸薬品の正露丸」だろう。僕も長らく薬屋さんでバカ正直に「ラッパのマークの正露丸ください」と言って薬屋さんのお姉さんにクスクス笑われていた。

しかし、大幸薬品が必死になって「ラッパのマークの」と連呼していることから分かるように、正露丸は他の製薬会社からも発売されている。その種類の多さたるやこのザマだ。

実はこの「正露丸」、もともとは日露戦争の頃につくられたもので、その名も「征露丸」だったそうだ。 日露戦争当時は戦傷者より病気により闘えなくなる兵士のほうが多かった。衛生状態の悪い戦地においては、赤痢、ペスト、腸チフス、脚気、凍傷他がひどく、泥水を飲むほどの状況だった。そんな中において征露丸は「神薬」といわれるほどの効き目を発揮したらしい。一粒でニワトリ一羽と交換したとか、お守りのためフンドシの中に入れておいたなどの話が伝わっている。

その頃からいろんな企業が征露丸を製造していたが、大きなシェアを誇る大幸薬品は正露丸の製造・販売独占を図り、正露丸を自社製品としての登録商標に申請した。この申請は受理され、現在でも正露丸は大幸薬品の登録商標として認められている。

しかし、現在販売されている他社の正露丸が違法かというと、そうでもない。昭和49年(1974)3月に、「『正露丸』は商品名ではなく一般名である」とする最高裁判決があったからだ。ラッパのマークの大幸薬品が独占使用権を以前から主張していたのに対し、以前から製造販売を行なっていた数社が一般普通名詞として自由使用を訴えていた。その結果、最高裁の判決によって自由使用権が認められた。

現在市販されている様々なメーカーの正露丸は、ほぼ同じ成分で作られており、その効き目は変わらないそうだ。むしろ広告費がかかっている分、大幸薬品のラッパのマークの正露丸は少々割高らしい。

さて、それをふまえて

あなたが薬屋さんに行って正露丸を買う時、「大幸薬品のラッパのマークの正露丸」と「他社の正露丸」、どちらを買うだろうか?

以前、僕はヒマなときに近所の薬屋さんのお姉さんに聞いてみた。お客さんは圧倒的に「ラッパのマーク」を買うんだそうだ。一応、他のメーカーのもあること、違法ではないこと、効き目は変わらないこと、値段もそっちのほうが安いことなどを説明するのだが、それでもラッパのマークを買う人が圧倒的に多いらしい。


なぜ、みんなラッパのマークのほうを買うのだろう?


「ヒューリスティクス(heuristics)」などという言葉は形式論理学を学んだことのある人でないとなじみがないかもしれない。一般的には「発見法」と訳されることが多いようだ。「ロジック(logic「論理」)」の対義語として頻繁に使われる。妥当な推論を積み重ねた手続きによって結論を導く「論理」に対し、経験上の背景、直感的方法、無意識的情動などによって直感的に結論を導くプロセスが「ヒューリスティクス」だ。

ヒューリスティクスは形式的にいくつかの種類に分類できるが、そのうち代表的なタイプに「利用可能性ヒューリスティクス」というものがある。我々は判断を下すときに、真っ白で公明正大、明鏡止水な心で判断を下すのではない。「かつて馴染んだことのあるもの、なじみ深いもの」に流される傾向がある。この判断の仕方は論理的ではないが、利用可能な知識がすでに習得済みだと、ついそれに基づく根拠のない思い込みをしてしまうことが多い。

次の問題を考えてみよう。
「eで始まる英単語と、eが3文字目にある英単語は、どちらが多いだろうか?」

ほとんどの人が「eで始まる英単語のほうが多い」と答える。実際にはeが3文字目にある英単語のほうがはるかに多い。我々がそう判断してしまうのは、ふだん我々が接するのは「eで始まる英単語」のほうだからだ。辞書はそのように編集してある。これは純粋に事象の可能性を考慮しているのではなく、「なじみ深いものを手がかりとする」というヒューリスティクスに従って判断をしている。利用可能な知識や背景があれば、人は安易にそれを使ってしまうものなのだ。

テレビのCMというのは、このヒューリスティクスを誘発するために行なわれる。CMで目と耳に馴染んだ商品があると、実際に店で他の商品と比べたときに、CMで見たことのある商品を選んでしまいがちになる。テレビのCMの狙いは、商品の性能アピールや企業のイメージを作るにとどまらない。商品名を流すこと自体が、すでに「消費者が利用可能な背景の形成」という目的を満たしている。

ラッパのマークの大幸薬品の正露丸が圧倒的なシェアを誇るのは、「登録商標」という錦の御旗を掲げたテレビCMによって、消費者に利用可能な背景が作られているからだ。論理的に考えれば他社製品のほうがメリットがあろうとも、ロジックを凌駕して利用可能性ヒューリスティクスが消費者の判断の全面に出てしまう。


ちなみに「人は馴染みのある日常的なものに流されがち」というヒューリスティクスと、「遠くの彼氏よりも近くの男友達」というよくある遠距離恋愛の破綻原理には何の関係もありません。ないと思う。ないんじゃないかな。