ちょっと前に、和歌の技法「折句」について書いた事があった。

高校の教科書なんかを見ると、折句が出てくる定番は、おおむね『伊勢物語』第九段。俗に「東下り」と言われる物語らしい。

主人公(おそらく在原業平)が失恋し、傷心旅行に東へ向かう。友人どもが2, 3人同行し、やいのやいのと旅をしているうちに三河(愛知県)の八橋まで辿り着いた。そこに咲いていた美しいかきつばたを見た一行は、主人公に「かきつばたをネタに歌でも詠めよ」と迫る。しかも注文付きで、「かきつばたという五文字をそれぞれの句の上に据えて詠め」とのこと。

主人公はそれを受けて立ち、歌を詠む。

らごろも
つつなれにし
ましあれば
るばるきぬる
びをしぞおもふ

この歌がよく教科書にとり上げられるのは、折句だけではなく他の技巧が乱れ撃ちに使われている修辞カタログみたいな歌であるかららしい。「唐衣」は「着る」の枕詞、「唐衣来つつ」が「馴れ」の序詞。「唐衣、着、馴れ、褄、張る」が着物の縁語。「つま」は「妻」と「褄」の掛詞。「はるばる」が「遥々」と「張る張る」の掛詞。

よくこんな歌を作れるなぁと思う。僕自身、枕詞や序詞、掛詞などはなんとなく使えるような気がするが、折句に至ってはどうやって作るのか想像もつかない。

僕が和歌を読んだり(←「詠んだり」じゃないぞ。詠めないから全く)、文学作品などを読んだりするときに一定の評価の基準になるもののひとつに、「作り方のプロセスが見えるか、見えないか」というのがある。いかな世間の評判の高い作品であろうとも、「ははぁ、たぶんこのネタが出発点になったんだな」というプロセスが見えるものはあんまり感銘を受けない。僕は松本清張をあまり高く評価してないが、それは読むと物語を組み立てたときのプロセスが分かるような気がするからだ。『点と線』だったら「東京駅のホームには一日でたった4分間、3つのホームを見通せる時間がある」、『砂の器』だったら「東北地方の一部と中国地方の一部で、偶然に同じ語彙を使う方言がある」、というあたりがネタのおはじめだったのではなかろうか。そういった雑学的知識を強引に推理小説につなげている気がする。牽強付会の観が甚だしく、全体的に統一された完成度というものをあまり感じない。ひとつの小ネタのインパクトだけがいびつに膨らんだ作品に見える。

一方、「これ、どうやって書いたんだろう」という作品には正直に感嘆する。なんというか、同じ人間の頭脳でありながらその頭の回転の仕方が想像できないとなんとなく落ち着かない。折句はその最たるもので、やれと言われても僕自身がどうやればいいのかさっぱり分からない。こういう言葉の修辞を操れる人というのは、どうやって歌を詠んでいるのだろう。

つねづねそのことを疑問に思ってたら、俵万智さんが『恋する伊勢物語』(ちくま文庫)という本でその種明かしをしてくれていた。この本は『伊勢物語』をひとつの恋愛物語としてわかりやすく説きあかしてくれる本で、書体もやわらかく非常に読みやすい。古典に親しむ上では絶好の入門書だと思う。

僕にとっては折句など「守らなくてはいけないチョー厳しい制約」としか感じられなかったが、俵万智さんは、いや、そうではない、と説く。歌人は折句の制約を、「窮屈な制約と考えるのではなく、言葉を切り取る剣として使う」。

「かきつばた」の歌に関しては、まず「か・き・つ・ば・た」のつく言葉をまず考える。おそらく「つ」のつく「妻」、「た」のつく「旅」あたりが真っ先に思い浮かんだのではなかろうか。「妻」を使うんだったら、それの前につく言葉としては枕詞や序詞がてっとり早い。そこで「か」のつく枕詞を考えると「からごろも」が浮上。都合良く「からごろも」の直後には「着る」がくるから、「き」もクリア。「旅」があるんだったら「はるばる」を見つけるのはそう難しくはない・・・。

こう考えると、「か・き・つ・ば・た」という制約があったのに歌が作れる、のではなく、そういう条件があったからこそこれらの言葉が有機的に結びつくことができたのだ、と俵さんは説明する。


なるほどねぇ。


やたらめったら歌を作ってそれに条件をフィルターとしてかけるんじゃなくて、条件そのものからアプローチすることによって最初に大きく外枠を決めてしまう、というプロセス。こういう思考過程もありなんだろう。

東京の街を歩いていて思うのは、ビルの谷間などの狭い場所にうまーくスペースを使った隙間建築が多いこと。アメリカの空間を無視したおおらかな建築様式を見慣れてると東京の建築様式は神業に見える。あれとて、「建物を立てるときに、狭い場所の制約に従う」のではなく、「そもそも限られたスペースに建てることを前提に設計する」のだろう。そもそも制約があるのであれば、その制約を逆手にとって基本的な枠組みをまず確保してしまう。それが出発点であれば、制約と本来の目的がぴったりとかみ合った作品ができるのだろう。

論文を書くときに、「なんでもいいから自分の好きなテーマで書いてごらん」と言われると途方に暮れる学生が多い。しかし、たとえば「二重目的語構文について従来の研究を批判してごらん」などと条件つきで課題を出されると、具体的に何から始めればいいのかが明らかなので論文が書きやすい。蓋し、条件というのは制約になって自由を束縛するだけではなく、一定の枠を提供し具体的な指針を定めてくれるものにもなり得るらしい。


『恋する伊勢物語』の中で、俵さんが感心したという十代の歌人の歌が紹介されている。

リスマス
んりん響く
ずの音を
ったく無視して
タディーハード

さぁ、この歌はどこから始まってどうやって作られたんだろう。