2足す2は?

答えは4。あたりまえですね。
では、なぜ4なんだろう。
子供に、「なんで2足す2は4なの?」と聞かれたらなんとしよう。

発明王、トーマス・アルバ・エジソンはこの問題に固執したため小学校を退学になった。小学校の算数の時間で、なぜ2足す2が4なのかをしつこく質問する。小学校の先生は「理解力なし、集団教育に対応する能力に欠ける」と判断し、母親に家庭での教育を薦めた。

レベルが違いすぎた、と言わざるを得ない。小学校の先生レベルでは、少年エジソンが疑問に思ったことに答える技量がなかったのだろう。それどころか、エジソンが何を疑問に思っているのかすら理解できなかった。

エジソンは2足す2の計算問題の答えが出せなかったのではない。正確には、「2足す2が絶対に4にしかならず、他の答えにはなり得ない理由」に疑問を感じたのだ。整数同士の加法演算の解がただひとつしか存在しない理由は、整数の定義、数論の基礎、ペアノの公理系などをみっちり勉強してはじめて証明できる。大学の数学科3年生くらいのレベルである。

この疑問を本当にエジソンが小学校低学年の段階で発したならば、それは明らかに少年エジソンがただ者ではなかったことを示している。既存の知識を「あたりまえ」として丸憶えせず、自分の頭で思考して納得するまで考える。幸いだったのは、エジソンの母親が本人に輪をかけてただ者ではなかったことだ。母親はエジソンが疑問に感じていることを正しく理解し、それが小学校の教師には理解できないことを見抜き、学校を退学し自宅で学習させることに何も異を唱えなかったという。自宅で知的好奇心を満たす勉強を重ねたエジソンの幼少時代は、彼が後に発揮する大いなる独創性と無関係ではあるまい。

「あたりまえ」という概念は、人間が世界をありのままに受け入れたときに発する言葉だ。しかし、科学的思考においては「あたりまえ」は禁物だ。すべてを疑うところから哲学や科学は始まる。言葉を憶えたての子供は、「なぜ空は青いの」「なぜ雲は浮いているの」など、多くの「なぜ」を発する。世の中のことを当然と見る常識がまだ身に付いていないからだ。成熟した大人がこういう問いを発しないのは、そういう日常にあふれる疑問点にいちいち興味をもっていては社会生活に支障がでるからだ。そのため、世の中の事象に関して「そうだから、そんなんだ」と理解することによって、余計な思考に迷い込む手間を省いている。

大人は、そういう生活態度を送ることによって、疑問に感じる能力を錆び付かせている。科学の研究において最も重要なのは、答えを求めることではなく、問いを発見することだ。未だに解かれていない謎を見つける為には、既存の現象をあたりまえと思わず、澄んだ目で事実を見、先入観のない思考で考えることが必要になる。

疑問など持たなければ、人生は楽だ。
しかし疑問を持つと、人生は楽しい。