スタジオジブリの作品の中では「天空の城 ラピュタ」が一番好きだ。
夢と冒険にあふれたストーリー、速い展開としっとりとした情景のバランスは、シリーズの中で秀逸だろう。
シータとパズーがお互いを想いあう、ほのかな恋の要素もよろしい。

DVDで見る。年末でヒマだからのんびり見れる。
ベットにひっくり返り、ポップコーンをもぐもぐ食べながら見ることにした。

DVDのいいところは、音声、字幕が日本語と英語で選択できるところだ。
英語を勉強してる身としては、ここはやはり英語だろう。
英語の映画を見ると、口語表現がダイレクトに身につくので非常に勉強になる。

物語の途中で、非常に気になるセリフがあった。
軍隊から開放されたパズーが、とぼとぼと家に帰り着くと、海賊のドーラ一家が勝手に家を占領している。
飛行石を奪うべく軍隊に襲撃をかけようとするドーラに、シータを助けたいパズーが仲間に入れてもらう場面だ。

「おばさん、僕を仲間に入れてくれないか、
シータを…助けたいんだ。

このセリフを、英語で聞いて驚いた。

"Dola, please let me come along with you.
Sheeta means everything to me."
(「シータは僕の全てなんだ」)

ほのかな恋どころの騒ぎではない。
大きく出たなパズー。お前はイタリア人か、フランス人か。

なぜ英語に吹き替るえときに、こんなセリフにしたのだろう。
I have to rescue Sheeta、ではダメなのだろうか。

ここらへんに、男女関係に関する日米間の相違が見られやしないか。
男女は平等である。そんなことは常識である。
しかし日本において、若年の男女関係において男女が平等というのはまったくのウソである。

「私の彼、毎日大学まで車で送ってくれるの。」
「へえー。いいなぁ。」

自分で動け。
こういう風潮をよしとするのは、「男は女のために働く」という一方的な認識がありはしないか。
学校は、自分が自分のために行く場所だ。その場所に、他人に依存して通うのを喜ぶとは何事か。
女性の側が本当に独立した立場で男性と共存するとしたら、可能な限り自分で行動しようとするはずではあるまいか。
毎日の送り迎えなどを押し付けられたら、怒ってしかるべきだろう。

どうも日本では、「女性は男性に助けられるもの」という前提がありはしないだろうか。
軍隊に拘禁されている間も、パズーは自力で脱出しようと懸命に壁を這い上がる努力をする一方、シータは窓際にぽつんと座ったっきりなんの努力もしない。

平等という意味をきちんと考える欧米では、男女とも一方的な依存関係に陥ることを嫌う。
「独立した個人同士」、せいぜい「持ちつ持たれつ」というのが当たり前の関係だ。
当然、「お前は俺がいなきゃダメなんだな」などという言動は、もっともプライドを傷つける禁句である。

もしパズーが、"I have to rescue Sheeta" などと口走ったらどういうことになるか。
印象として、「パズーはシータの保護者ぶってる、偉そうな顔をした奴」というイメージができてしまうのではあるまいか。

「シータを…助けたいんだ」というセリフは、日本の価値観の中では、パズーがシータに対する万感の想いをこめたセリフとして受け取れる。
だったら、英語に訳すときにも、「英語圏における、相手に対する万感の想いをこめた表現」に訳せばいいのだ。
それがSheeta means everything to me.であろう。
日本語でこんなことを言ったら赤面ものだが、英語では普通に使う。
なにも一字一句を辞書に忠実に訳す必要はないのだ。
翻訳というのは、表現ではなく、心を訳すことではあるまいか。

以前レンタルビデオ店でアルバイトをしていたときに、店長に「ありがとうございました」というのは英語でなんていうのか訊かれたことがある。
「ありがとうございました」というのは、礼ではあるまい。来店した客と商品のやりとりという触れ合いをもったあとに、その一時的な人間関係に対する「残心」を伝えるものだろう。
そう考えれば、英語でそういう「残心」をあらわす表現を使えば、「ありがとうございました」を英語で言うことになるのだ。
英語ではレジの女の子はThank you very muchなどとは決して言わない。
Have a nice day.と声をかけてくれる。

ちなみに個人的には、適度に甘え上手な女の子は大好きである。
なぜなら日本人だからだ。文句あるか。