いうまでもなく人間は高等動物であり、進化が進んだ部類に属する。身体的な運動能力は他の動物に譲るところはあったとしても、知能の点では他を大きく引き離していると考えられる。
ところが、人間を進化の進んだ生物と考えると、私にはどうにも納得がいかない生物学的事実があった。

私は常々、なぜ人間をはじめ哺乳類などの高等生物は、セックスをしないと子孫を残せないのかが疑問だった。人間とアメーバを比較しよう。生殖能力において勝っているのは間違いないくアメーバのほうである。アメーバは両性生殖ではなく単体で分裂生殖をするので、パートナーを必要としない。ほっておけば指数関数的に増加する。かたや人間はというと、必死になってパートナーを探し、はずれの多いセックスという作業を地道にくりかえし、奇跡的とも言える確率で妊娠し、やっとのことで一個体の子孫を得る。普通は一生をかけて2、3個体の子孫を得るのがやっとだろう。種の保存ということを考えれば、単体で分裂できるほうが子孫を残しやすいに決まってる。少子化なんていう問題もそもそも生じないに違いない。進化の究極系に属する人間が、なぜこんな不便な生殖法をとるに至ったのだろう。

Lyall Watosonは著書、Lifetideの中でこの問いに触れている。曰く、高等生物は両性生殖という面倒な生殖法をとっているからこそ進化したんだそうな。仮にアメーバのプルスケくんが細胞分裂をしたとしよう。その子孫はプルスケの能力を上回ることは絶対にない。もとの個体が単一なのだから劇的な変化が起こる余地がない。ところが人間のように両性生殖をすると、両性の遺伝子が結合することで新個体の能力、特徴は決定される。この「結合」というのがあやふやなところで、うまくいかないことも多い。まちがった結合の仕方をしてしまうこともあり得る。そして、これが進化の原因になる。アメーバの場合とちがい、両者の遺伝子結合の際に、いわば「まちがって」くっついてしまった場合は、先の世代とは違った特徴を備えた世代が誕生する余地ができる。親の2個体のいずれも持ち得ない特徴が具現する可能性がある。

こう考えると、人間は「高等生物なのに両性生殖」なのではなく、「両性生殖だから高等生物」になれたと言える。生殖の方法が同じなのに、なぜ人間だけが知能がこんなに発達し、なぜ人間以外の両性生殖動物で人間に匹敵する動物が存在しないのかは未だに謎だ。進化の過程で「人間」と「それ以外の動物」を分ける何かがあったはずだが、そのmissing link(失われた環)は今もって不明のままだ。

ちょうど今日はクリスマスだが、日本の街では、人間に飛躍的進化をもたらしてくれた両性生殖という宿命の行為を完遂すべく、生物的本能に従う若者達があふれているに違いない。たしかに、両性生殖を達成させるべく女の子を篭絡しようと必死に手練手管を駆使し、その開発に昼夜努める男子諸君の奮闘を見るにつけ、「こりゃ進化もするわ」という気分にもなる。

よかったなお前ら、日本に生まれて。アメリカにゃラブホってのがないから学生はしたくてもできねーんだとよ。