たくろふのつぶやき

秋はやきいも ほくほくしてうまし。

雨ってのはどういうことだ

まだアメリカではクリスマスイブ。時差ばんざい。
しかし気温52度ってのはどういうことだ。
摂氏にすると12-5度くらいか。

おかげで雨なんか降ってるし。雨
いつも通りの寒さだったら雪になってホワイトクリスマスになるところなのに、こう雨に降られるとうざくてかなわん。
となりの席でもSerkanがぶつぶつ文句言ってる。

今日から家主のおじいちゃんの甥夫婦とその息子が遊びに来るらしい。このところおじいちゃんが張り切って2階のベッドルームを掃除してる。なんか楽しそう。なんとなくクリスマスらしいすごし方にはなりそうな気配。

やばい。明日クリスマスってことは店が全部閉まるじゃないか。買い物に行っておかないと。

右折信号

ペンギンアメリカで車を運転していて戸惑うことは、赤信号でも右折してよいこと。とうぜん、アメリカでは右側通行なので、日本に置き換えると、赤信号でも左折してよいということに等しくなる。赤信号のときに右折のレーンで止まってると、後ろからプップッと催促される。

ところが左折の時はそうではなく、普通の信号の横に「左折信号」なるものがついている。ちょうど日本で右折信号があるのと同じ。正面通行の信号が赤のときでも、左矢印の信号が点ってたら、左折に関しては通行が許されることになる。

論理的には、同じ効果を出す方法は二種類ある。
ひとつは現行の方法。メインの正面通行が赤信号のときに「左折だけはしてもよし」とする方法。
もうひとつは逆の方法で、基本的には青信号なんだけれども、「正面通行だけはダメ」と表示する方法。
どちらの方法でも、「正面通行はダメ、左折だけはOK」と同じことを言ってることになる。

ところが、世界共通で前者を採用している。当たり前といや当たり前なんだけど、これを形式的な思考方法で原因を説明するとどういうことになるだろう。
まず、交通の流れにとっては「正面通行がunmarked、左折がmarked」ということになる。数量的にはunmarkedの方が多数派なので、大多数の方に適用されるものを基本として表示していることになる。
一般化すると、「数が多いほうを中心に扱え」という行動原則がある、と言える。

ところが、この原則は社会で一般的でありながら、思考法においては一般的ではない。
ある雑多な現象を一般化する規則を考えるときに、まず簡単なのは、極端な少数の例外的な事例を先に考えることだ。

2次方程式を解くとき、われわれ人間はまず因数分解を考える。二次変数、一次変数の係数と定項がそれぞれ因数分解できない組み合わせのとき、仕方なく解の公式を使う。ところが、潜在的に存在可能なすべての二次方程式の中で、因数分解できるものはほんのごく少数に過ぎない。つまり我々は二次方程式を解くときに、まず「特殊な事例と仮定して」扱っていることになる。人間の行動原理として「量が多いほうを中心に扱え」というものがあるならば、いきなり解の公式を使うほうが理に適っている。事実、コンピューターが多次方程式を処理するときには、すべての可能な整数解の組み合わせを高速で代入し、あてはまる解だけを抽出する、という力技に頼っている。Sieve(篩)といわれる方法である。

PhonologyやMorphologyで変形規則適用順序を考えるときにも、特殊な事例を先に適用させる。英語の複数形をつくる操作を考えてみよう。話を単純にするために、
-sをつける、-esをつける、-iesをつける、-enをつける、-renをつける
という5つの規則を仮定しよう。この5つの規則は、どういう順で適用されるか。もちろん、「特殊で例外的な事例に適用される規則が先に適用される」ことになる。-enはoxにしか適用されないし、-renはchildにしか適用されない。この二つはかなり上位の順位で適用される。
しかるのち、
「子音+y」で終わる語幹には-ies、
sで終わる語幹には-es、
それ以外にはすべて-s、
という順にルールは適用される。
このなかで、もっとも多数のデータを扱えるのは、最後に適用される-sの規則である。規則の適用順では、「大多数のものは後回し」になっている。

アインシュタインが相対性理論を考える契機となったのは、「光速で移動できたら、光はどのように見えるだろう」という素朴な疑問だった。それまでの万能薬だったニュートン物理学は、光速を超えるとその説明力を失い、扱えない反例が多数生じる。アインシュタインは「物理現象とは独立普遍のものではなく、他者(主に観察者)の状態に左右される相対的なものだ」ということを、森羅万象、すべての物理現象に対して形式化しようと試みた。まず彼がとりかかったのは、観察者が特殊な状況におかれた場合―つまり運動量ゼロ―として相対性を形式化することだった。人が歩きながら光を見ても、光の速度は変わらない。人の歩く速度は秒速1m,光は秒速30万Km,相対化すると人の歩くスピードはゼロに等しい。いわゆる特殊相対性理論である。その特殊な場合での形式化に成功したことで、彼はゼロだったパラメーターを動かし、さまざまな変数の元でも統一的に扱えることを示そうとした。いわゆる一般相対性理論である。この場合でも、特殊で例外的な事象が先に処理されている。蓋し、人間の思考法では「まずmarkedなものを処理し、つぎにunmarkedなものを処理する」という傾向がありそうだ。

信号機をはじめ、一般社会の約束の適用順を考えると、どうも「最大多数の最大幸福」という原則があるような気がしてならない。税金や社会保険政策を鑑みるとそうも言えない側面もあるが、基本的には左折信号のように「多数のものをまず処理する」というのが一般的だろう。人間の論理思考法と社会の一般規則の適用で、順序に違いが出てるのはなぜなんだろう。

信号機の場合、事故の防止がその第一義だから、まぁわからんでもない。人間は「やってよし。ただし、こいつらだけはダメ」よりも、「やっちゃダメ。ただし、こいつらだけはよし。」の方が、好ましくない結果を生みにくい。高校などの校則でも、とりあえず禁止する。信号でも、左折信号に気づかずにボケっと止まっていても事故にはならないが、もし「青信号、ただし正面通行だけはダメ」という表示を採用し、直進車がその信号を見誤ったら大事故に繋がる。扱っている対象が自然現象、物理現象ではなく人間の時には、まず大多数のほうを先に処理しなければならない、ということなんだろうか。

Frente!

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Frente!というオーストラリアのユニットです。
僕が一番好きな曲はBizarre Love Triangle.
Marvin The Album (Mammoth, 1994)の14曲目です。

僕は曲を好きになるというよりも、声を好きになることが多いようです。
好きな声がいい曲とシンクロすると、そのアーチストに興味が出るんですね。
Frente!のvocalの女の子も、飾りのないストレートな声をしてます。
細めの声で、せつせつと囁くように歌います。
この曲は伴奏がギターだけ。余計な装飾音がなくて染み入るような曲です。

服と同じように、音楽にもTPOが在ると思います。
その考えでいくと、Frente!は「夜の歌」だと思います。決してお日様のもと、野外で、友達と聞く歌ではありません。夜、一日の全てが終わったあとで、仄かな明かりのもとでゆっくりと聴く曲です。「癒し系」という概念は好きではないんですが、一般的にはそれに属する音楽でしょう。

僕ははしゃぎがちな傾向にあるにもかかわらず、趣味は夜方面が多いです。音楽、絵画、物語、思想、だいたいにおいて陽より陰が好きです。
プロデューサーのつんくは面白いことを言っています。人は、景気のいいときには涙を求め、景気の悪いときには陽気さをもとめるのだそうです。だから彼の作る曲は、バブル時代のシャ乱Qは涙物が多く、不況期のモー娘。は唖然とするほどノリノリです。
そのアナロジーに従って、僕は人生の波において、おおむね好調なのかな、と思うことにしています。

Romane Bohringer

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大好きな女優というのはいませんが、気になる女優ならいます。
Romane Bohringer (ロマーヌ・ボーランジェ)。
まぁ、皆さん知らないでしょう。

Mina Tannenbaum (「ミナ」1994)
Total eclipse (「太陽と月に背いて」1995)
などが代表作とされています。
特に後者ではLeonardo DiCaprioと共演しているので有名になりました。

ところが,僕が気になる作品はこういう代表的な作品ではないんです。

L'accompagnatrice (「伴奏者」1992)

という作品。
第二次世界大戦のパリを舞台に,ある声楽家の伴奏者として雇われた少女が,人生のさまざまな陰影を知り成長していく,という内容です.伴奏者という決して表舞台に立つことのない立場から、登場人物の人間模様をみつめる視線が基本的なスタンスになっています。

はっきりいってB級映画です.興行収入を上げられる作品でも,後世に残る作品でも,賞を受賞する作品でもありません.ストーリーは平凡で,あっと驚く展開も,手に汗握る展開もありません.

僕がこの映画が気になる理由はただひとつ,「作品の持つ雰囲気」です.作品を通して,常に闇の中の仄かな灯を頼りにストーリーが進みます.霧に包まれたパリの街を舞台に,ナチスがパリに落とした暗い影が作品全体を覆っています.

ふつう,「好きな映画」というのは,度肝を抜くアクションや込み入ったストーリーにその魅力があると思います.僕も今までそうでした.
僕の好きな映画の要素は,「撃ち合い,殴り合い,爆発」です.しかし,この映画ははじめてアクションでもストーリーでもない,雰囲気にのまれた映画でした.この映画の主人公のRomaneも,決して華のある女優ではありませんが,彼女以外にこの役をやれる女優がそう何人もいるとは考えられません.
ハリウッドでは,どうがんばってもこの手の作品は作れないでしょう.わかりやすいアクションやストーリーを売り物にし,興奮系か感動系のどちらかに分類できるハリウッドとは,あまりに作風が違いすぎます.フランス映画はたまにこういう作品を作るから無視できないんですね.

この映画は街のレンタルビデオ屋さんに行っても貸し出してません.日本では発売すらされてません.僕はテレビの深夜映画で見ました.なんとなく見てたんですが,引き込まれて,最後まで見てしまいました.ゴールデンアワーに流す映画ではないと思います.深夜枠に,人知れずひっそりと流れるにふさわしい映画だと思います.

この作品を彩る印象の原因をもうひとつ。Romaneの陰のあるフランス語ですね.英語は張り上げる言葉で,フランス語はささやく言葉と聞いたことがありますが,この作品に関する限り言いえて妙です.Romaneのしっとりとしたフランス語を聞くだけでもいい作品です.

この作品のビデオは,アメリカに来てから通販で買いました.
もう品切れだそうです.

しまったクリスマスだ。

油断してた。
なにもしてない。

師走といっても走り回ってるのは学生らしく、後輩が留学のためのapplyをしているらしい。こっちの様子がわかるように日記をたまに更新してやっかな。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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