たくろふのつぶやき

お鍋には熱燗をつけてくれたまへ。

言語学の授業で「混成語(かばん語)」というのを教えるんですけどね。


混成語というのは、たとえばbreakfast と lunch を合わせて、brunch という新しい語を作るような造語法。smoke と fog を合わせた smog というのもある。
最近、この混成語の例として、Brexit という造語を入れて説明することが多くなった。イギリスの新聞で多く使われている新語だ。

その意味は、Britain と exit を合わせたもの。つまり「イギリスの欧州連合からの脱退問題」のことだ。2016年6月23日に国民投票が行なわれ、結果は多くの国民にとって「まさか」の「離脱」。離脱票が51.9%、残留票は48.1%という僅差でありながら、過半数の国民がEU離脱を指向していることが判明した。

多くのマスコミは大慌てでこの件を報道していたが、それはマスコミの側が残留側を希望していたからにすぎない。アメリカ大統領選のトランプ勝利のときと同じように、マスコミは事実を報道するのではなく、「マスコミにとってのあるべき姿」を報道する。事実から目を背け、事実が理想からはずれていれば迷わず煽動する。そのブレーキを効かせて尚、この結果だから、本当のところは離脱を指向する国民はもっと多かっただろう。蓋し、アメリカ大統領選挙とイギリスEU離脱のふたつの件は、マスコミの報道のあり方が事実から乖離しており、世相を客観的に報道していないことを示す顕著な例として、同じようなものだろう。

僕はこのイギリスEU離脱は、昨今おおはやりの「グローバル化」なる大合唱に対するアンチテーゼだと思う。
学生は、この「グローバル化」という言葉が大好きだ。学生に国際関係についてレポートを書かせると、この言葉が出てくる回数が10回や20回では収まらない。とにかく「グローバル化」とさえ書いておけば、時流を正しく捉えたような気になれる。視野が広い人間を装える。そんな安直な「言葉のイメージ」だけで、安易に「グローバル化」という念仏を唱える輩が増えている。

もしグローバル化を極限まで押し進めていけば、それは「国家」としての垣根が一切働かない事態になる。全世界を均一化し、富める国が貧しい国に財力を配分することになる。
日本は、世界の中でも経済的に恵まれている国だ。もし「グローバル化した社会」なるものが究極に達成されたとしたら、それはつまり「日本が、貧しい国に富を譲り渡し、今の経済レベルからかなり失落した状態を甘んじなければならない」ということだ。日本は、世界を均一化したら、「得られる側」ではなく、「与える側」なのだ。「明日から外国人を100人雇用しなければならなくなったから、日本人を何人かクビにしなきゃならん。というわけでお前、明日からクビな」と言われても、「グローバル化だから、しょうがないか」と納得しなければならない。

無邪気な大学生は、「グローバル化」という言葉を使うとき、上しか見ていない。アメリカやヨーロッパ各国の、日本よりも洗練されて上品でカッコいい(と思い込んでいる)文化や価値観を手にすることしか考えていない。発展途上国や経済破綻国との関係でも、「そういう国独自の文化を」という「得したい欲求」は依然として根強い。また「そういう国に日本が技術援助を」と、安易に「正義の味方」に成り切って使命感に燃え盛る脳足りんも多い。

島国である日本の学生は、潜在的に外国に対する憧れが大きい。「意識高い学生」ほどそうだ。日本のことを何も分かってないくせに、やたらと海外に出ることを「自己実現」と捉える安直さがある。
ところがそんな学生でも、就職活動の時期になって、外国人雇用を増やさなければならないから自分の就職先がなくなっても平気か、と問われれば、そんなことはない。彼らの「グローバル化」というのは、あくまでも「(自分の権利が充分に保障された上での)グローバル化」に過ぎない。グローバル化なる傾向によって、日本にとっては得るものよりも失うもののほうが多いことに、気づいていないし、気づこうともしない。

今回のイギリスのEU離脱は、そういう「見ない振りしていた真実」が、表面化した出来事に過ぎない。イギリスでEU離脱派が多くなった背景は、移民流入が増え過ぎたことだ。アフリカやヨーロッパ内の難民は、イギリスを目指す。社会保障が最も充実しているからだ。その金は、国民の税金から出ている。つまりイギリス国民にとっては、「自分が払っている税金で、よその外国人を養っている」という状況になっている。そりゃたまらんだろう。

今回のイギリスのEU離脱は、突然生じた動きではなく、いままで何回もその傾向が見られている。たとえば、EU内でイギリスだけは通貨としてユーロを使用しておらず、いまだにポンドが流通している。その判断が正しかったことを示したのが、2015年のギリシア経済破綻だ。

ギリシアは国民の4人に1人が公務員で、ろくに働かなくても国が食わしてくれる、という特権階級意識が強い。国内にはろくな産業がなく、過去の遺産による観光収入が命綱だ。唯一世界レベルの海運業は、国が税金を取れない。そりゃ経済も破綻する。
そこでEUはギリシアの経済危機がEU圏内に広がることを心配し、IMF(国際通貨基金)を通して経済援助を行なった。金遣いの荒い奴に金を貸すには、条件をつける必要がある。IMFがギリシアに突きつけた条件は「財政緊縮」。公務員の数を減らし、年金や社会保障を削減する歳出削減を要求した。そうしなければ借金を返せる見込みもないからだ。

ところがギリシアは、国民投票でその財政緊縮策を否決してしまう。「生活を我慢して苦しくするよりも、今まで通りのほうがいいじゃん。国が破綻?俺には関係ないもん」という、なんともいいかげんな理由だ。その結果、当たり前だが、ギリシアはIMFへの借金が返せず、債務不履行(デフォルト)状態に陥る。

慌てたのはEU各国だ。EUという枠内にある以上、破綻国家が生じてはEU全体の経済政策に歪みが生じる。ここに至ってギリシアは初めて反省し、緊縮財政を立法することを条件に、EUから借金をする。EU各国はギリシア支援のために、貴重な国家財政を削減する羽目に陥った。

国家の財政が厳しくなったら、とりあえず国債を発行し国民に借金をして、後で通貨発行によって補填するのが常道だ。好ましい方法ではないが、その場しのぎにはなる。
ところがEU各国にはその手が使えない。EU圏内で流通しているユーロの発行権は、各国が独自に有しているのではなく、欧州中央銀行(ECB)だけが有している。各国が勝手に紙幣を刷っていいわけではない。そのためギリシア支援のための支出を賄う緊急措置がとれず、EU各国は経済的に苦境に陥った。

その例外がイギリスだ。イギリスはポンドを使っているため、自国で紙幣発行権を有している。つまり、国債が簡単に発行できる。国債は要するに借金なので、根本的な解決にはなっていないが、紙幣流通量の激減がもたらすデフレを防ぐ程度の役には立つ。イギリスはユーロを使わないことでギリシア経済破綻の影響を受けず、安定した為替相場を保つことができた。

おそらくこの頃に、イギリスは「あまりEUに深入りすると、ロクなことはないぞ」という実感を得たのではないか。イギリスの経済力は、EU圏内で文句なしのトップランクだ。もしEU圏内で「助け合いましょう」の事態が多くなれば、イギリスは間違いなく「助ける側」に廻らなければならない。自国は損をする一方で、それで得られるものなど何もない。そういう「グローバル化」に対する胡散臭さが、イギリスでは蔓延していたのではないか。
そういう流れで見てみると、イギリスのEU離脱は、むしろ必然だったのではないか、という気がしてならない。


僕はかねてからヨーロッパのEU化を懐疑的に見ていたが、それに反する動きがイギリスから出てきたのが、いわば歴史を反映した事態に見える。
EU圏内で「助ける側」の国は、イギリスだけではない。EU経済は実質上、ドイツが動かしているし、オランダやフランスも外貨獲得が上手い。そういう国だって、ギリシアの一件以外にも、「なんで俺たちが損をしなければならんのだ」と感じることは多かっただろう。なのに、そういう国からはEU離脱の声が上がらず、イギリスからは上がった。それはなぜなのか。

それを考える際には、最近の、表に見える事態だけではなく、ひとの考え方の内面に関わる要因を考える必要がある。イギリスというのはどういう国なのか。イギリス人というのはどういう考え方をする国民なのか。



Bentham


ジェレミ・ベンサム(1748-1832)
イギリスの哲学者・経済学者・法学者。
「功利主義」の提唱者として知られている。

僕にとって、学生時代に受けた印象と、現在の印象がかなり変化している人が数人いる。ベンサムはそのひとりだ。学生時代は「無茶苦茶なこと言う嫌な奴だな」という感じだった。ところが実際にベンサムの著作を読み、当時の時代背景やイギリスの歴史の流れを考えてみると、その本意が徐々に分かってきたような気がする。

功利主義というのは、要するに「多くの人が幸せになれるのだったら、それが正義ってことじゃね?」という考え方のことだ。ちゃんと言うと「最大多数の最大幸福」という言葉で表される。
ちょっと考えれば分かるが、この考え方は、多数決の暴力に直結する。「多くの人が良ければそれでいい」という考え方は、言い方を変えれば「小数派を容赦なく切り捨てる」ということだ。また産業革命によって増大した資本家の「幸福」を実現するため、植民地獲得を指向する帝国主義の理論的背景となった。ひとむかし前に多くの書店が気が狂ったように売り出していた『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著)でも、功利主義は批判対象の叩き台として使われている。

現在、功利主義の功罪が議論されるときには、おおむね「その後の世界に与えた影響」だけで判断されていることが多い。確かにこの考え方は、現在否定されている帝国主義を招いた一面があり、それは負の面として認識しなければならないだろう。
しかし、本当にベンサムを批判し、その思想を否定するのであれば、後世の影響だけを云々するだけでは「第二のベンサム」を阻止するための抑制力にはならない。なぜ、ベンサムはそんなことを言い出したのか。ベンサムが現れた前段階の歴史からつなげて考えなくては、功利主義の正しい位置づけはできない。

ベンサムが登場した時代背景には、「外面」と「内面」がある。
外面というのは社会経済史、内面というのは哲学思想史の範疇に入る。

外面的な背景としては、イギリスが世界で初めて市民革命を達成し、力づくで平等を作り出した歴史がある。この市民革命は、他のヨーロッパ各国に衝撃を与えた。生まれた時から身分階級が決められ、王や教会に隷属することが当たり前だと思っていたヨーロッパ各国は、「世の中って、もしかして実力行使で変えられるのか?」と啓蒙された。

ベンサムが生きた時代は、絶対王政が倒れ、市民が主権を持ち、経済活動が活発して産業革命が起きる過渡期だった。ところがベンサムの目には、移行する政治経済の形態は同じようなものに映ったようだ。「王・貴族」という小数派が絶対権利を持っていた時代に替わって、「資本家」という小数派が絶対権利を持つ社会に移行するに過ぎない。ともに、わずかな小数の特権階級が富を独占する形態に違いはない。

一般に誤解されているが、ベンサムは資本家寄りの経済重視主義者ではない。ベンサムは「幸福」とは何ぞや、を定義する際に、それを「本能的快楽」と定義づけた。これは弟子のミルからでさえ「下品」と蔑まれる事態を招いたが、これはミルの見方が狭かったというべきだろう。ミルは後述する、当時の「内面」的な背景に染まっていたと言ってよい。

ベンサムが「幸福」を「快楽追求」と定義したのは、便宜的なものだろう。別に個人が持ってる資産金額でも、愛人の数でも、女の子に告白された回数でも、何でもよかったのだと思う。ポイントはそこではない。
ベンサムが重視したのは、「個人の幸福度は、足せる」という計量的な考え方にある。「正しい社会のあり方は」と考えた時、その要因は社会の構成要因たる個々の人間に帰着する。されば、個人の幸福度を順々に足していった総和が、社会全体の幸福度ということになる。これを倫理・世界史の用語では「量的功利主義」という。

ここで重要なのは、「個々人の幸福度を足す」ということは、その対象者に区別をしない、ということだ。貴族も資本家も労働者も、誰もが等しく「快楽追求」の原則の前では、同じ対象者に過ぎない。つまりベンサムは、「誰もが平等」という理念を持っていた。
実際に、このベンサムの量的功利主義は、のちにイギリスが世界に先駆けて「ひとり一票」の普通選挙を実現する背景となる。

ベンサムは、経済学者であるだけでなく法学者でもある。当時、社会を律する規則は宗教的道徳観だった。「神が見ているからそんなことをしてはいけません」という道徳だ。しかし、ベンサムはそれに「何を言っているんだ」と堂々と反論する。個人の幸福が「快楽追求」を基にしているのであれば、神がどうのこうの言ったところで効果はない。僕自身の経験からしても、自分の中で「快楽の追求」と「道徳観」が戦えば、勝率8割で前者が勝つ。

そこでベンサムは、社会を律する原則として「法律」を提唱した。個人は幸福の実現手段として快楽を追求しても良い。しかし、社会を脅かすような個人の快楽追求は、法によって規制する。
ベンサムの仕事をよく見てみると、法体系の整備にかなりの力を割いている。選挙権を拡大すべく選挙法を改訂しているし、囚人を一望に監視できる円形監獄を発案したものベンサムだ。法によって社会を律するシステムは今日でこそ常識だが、宗教による支配が強かった中世から、人間中心の世界に移行する過渡期にあって、法によって社会の規範をつくる発想はかなり掟破りなものだっただろう。


ベンサムの時代背景のうち「内面」のものは、当時世界の思想界を席巻しつつあったドイツ観念論哲学だ。雑に言うと、カントによって提唱され、ヘーゲルによって大成した。
ドイツでは、イギリスやフランスのような市民革命が起きていない。起きようがなかったのだ。ドイツでは各諸侯が分裂状態にあり、ひとつの国家として絶対主義を敷く「絶対君主」がいなかった。革命が成り立つには、革命が倒すターゲットがひとりである必要がある。国がいくつにも分かれ、国王が10人も20人もいる状態では、革命になりようがない。

そんなドイツでは、イギリスやフランスのように、わかりやすく革命によって社会のしくみを実際に変えるよりも「自分たちの内面世界を変えたほうが早くね?」という話になる。心の中に理想的な社会を夢想し、観念としての「あるべき世界の姿」を現実世界に投影するほうが、望ましい社会を実現できる。「まず動く」のイギリス・フランスに対し、「まず考える」のドイツ、という構図は、この頃に確立した。こういう流れで生まれたのが「ドイツ観念論哲学」だ。

ドイツ観念論哲学は、その発生背景から分かる通り、実践が伴わない。「理想的な世の中」を、頭の中で考えているだけだ。理性を動員し、道徳律をつくりあげ、それに従って生きる規範的な世の中を夢想している。カントは個人レベル、ヘーゲルは国家レベル、という違いこそあれ、上から目線で「世の中はこうあるべし」という規律をつくろうとしたことに変わりはない。

ドイツ観念論哲学は、当時すでにヨーロッパ中に拡散していた啓蒙主義と合致し、市民理念として革命運動の理論的背景となった。啓蒙主義というのは「神とか国王とか、ぜんぜん当たり前じゃなくね?自分の眼で見てみ?自分の頭で考えてみ?」という流れだ。身分階級差による差別が当たり前「ではない」ということを言い切った考え方だ。
啓蒙主義によって「自分たちの国をつくれる!」と盛り上がっても、いざ革命を起こしても国の作り方が分からない。国としてもつべき理念が分からない。そこにドイツ観念論哲学が「国っていうのはこういう気持ちで作るんだ」という「答え」を与えた。

イギリスも市民革命を経験した国として、市民感情としてドイツ観念論の影響を受けていた。要するに、「道徳に従って、人として正しい生き方で、ちゃんとした国を作らなきゃな」という理念だ。
当然ながら、そんな理念は実現できない。いままで人間が作った政権で、そんな綺麗すぎる理想を実現した例などひとつもない。みんな実権や特権を握ったらそれに固執し、「自分だけ良ければそれでいい」という我がままを言うようになる。

そういう流れで、ベンサムは功利主義を提唱した。為政者の「自分さえ良ければそれでいい」という、小数による幸福独占に対して、「おいおい」と突っ込みを入れたわけだ。しかも、道徳だの理想だの建前論を並べる観念論哲学に対して、「なーにきれいごとばっかり並べてるんだ、できもしないくせに」と啖呵を切った。いわばベンサムは、きれいごとばかり並べて現実が伴わない世の中を喝破し、人が見ない振りをしていた人間の暗部を白日の下にさらけ出した。
後世、ベンサムの功利主義を「下品だ」「勝手過ぎる」と批判した哲学者は、まー道徳律に満ちた、それはそれは美しい思想を生み出した、ご立派な人たちばかりだ。そして、そういう批判者が、実際に行動して理想の社会を作り出した例は、ひとつもない。

ドイツ観念論哲学の基本理念として、「人間の理性を信じる」という性善説がある。これをベンサムは全否定した。ベンサムは最初から、「人間は理性的な存在」とは微塵も思っていなかった。人間は放っとけば本能的な存在であり、快楽のままに生きようとする。それを否定するのは自己欺瞞だろう。本能的な存在だからこそ、法を整備し、システムによって個々人の暴走を制御する必要がある。

こういう考え方が、イギリス人のベンサムから出てきたというのが面白い。イギリスの道徳観は、とにかく固い。ビクトリア朝時代の厳格な道徳律、ノブリス・オブリージュと称される特権階級の義務感、英国紳士の儀礼作法。がっちがちの道徳律だ。
こういう国から、「快楽を追求すりゃ、それが幸福ってことだろ」と本当のことを言い切る人間が、いきなり出てくる。それがイギリスという国だ。ひとつの考え方が支配的になった時、必ず「それって違くね?」と逆を向く人が出てくる。

考えてみれば、ヨーロッパの歴史上、時代の常識を覆す新い理念は、常にイギリスから出てきた。絶対王政が当たり前だった中世に、市民革命を起こした。キリスト教の権威が絶対的だった時代に、国王がキリスト教を捨てた。キリスト教的な世界観に逆らうと死刑だった時代に、ニュートンの科学、ロックの政治思想で、「神の世界」に平然と叛いた。イタリアはガリレイを宗教裁判にかけ弾圧したが、イギリスではニュートンは国会議員を勤めている。

「道徳と理性によって良い世の中を」という理想論が席巻していた時代に、ベンサムは「いやいや、人間はそんなに高尚にはできていないだろ」と言い放った。全員が右を向いている時に、ひとりだけ左を向く。伝統的にイギリスは、そういう思想を許容する文化的背景をつくりあげてきた国なのだ。そしてベンサムというのは、当時の常識に逆らい、本当のことをズバッと言い切る「変な人」だった。

現在、「グローバル化万歳」の大合唱の世界において、イギリスがEU離脱という「流れに逆らう決断」をしたのは、こういう歴史的背景の延長上にあるような気がしてならない。しかも、その根本原理は「理想論ばっかり言ってても、EUによって実際には俺らの暮らし悪くなってね?」という、きわめて功利主義的な理由だ。今回のイギリスのEU離脱を見てみると、18世紀にベンサムによって引き起こされた功利主義のインパクトが、再生産されているように見える。

つまり、どんなに理想主義者がベンサムの功利主義を批判し否定しようとも、昨今の世界の流れは、彼の考え方が一面では正しかったことを示している。ベンサムの思想を「こうあるべき」論で捉えるのではなく、「事実はこうだろ」論で捉え直してみると、否定するのは難しい。

それは、ベンサム思想の最大の弊害といわれる帝国主義にもあてはまる。帝国主義は、国家レベルとしての「欲望のままの最大幸福」を極限まで突き詰めた形態だ。
もともとベンサムは、幸福追求に伴う抑止装置として、法の体系の必要性を説いた。幸福追求権と法体系は、車の両輪のように片方が欠けてはならないものだ。ベンサムの幸福追求論は、常に「法の範囲の中で」という但し書きがついている。国という範疇の中であれば、国民の幸福追求と、国が定める法体系で、適切な社会のあり方が求められる。

しかし、国と国とがぶつかる帝国主義の時代には、国同士を制御する国際法を定められる主体がなかった。法という規範がない状態で、国同士が勝手に幸福を追求すると、どういうことになるか。それが帝国主義時代の有様だった。
帝国主義時代にも、ベンサムのように「植民地を作りまくる帝国主義って、何かおかしくね?」と提唱するイギリス人が出てきても、おかしくなかったと思う。しかし実際には出てきていない。それはベンサムの「人は理性で生きてはいない」「人は、利益や幸福を追求するようにできている」という考え方が、正しかったことを示している。


伝統的な道徳律が固いイギリスでは長いこと、同性愛は投獄対象となる「犯罪」だった。しかし、ベンサムは200年以上も前に同性愛を合法化する提案をしている。「誰に対しても実害を与えず、むしろ当事者の間には快楽さえもたらす」という理由だ。ひとの理念が決めつける「道徳観」と、ベンサムの理念と、どちらが正しいのか、いずれ時代が判断を下すだろう。
産業革命、帝国主義の時代に限らず、EU離脱、同性愛の法的処置に至るまで、イギリスはまだベンサムの手の内で踊り続けているように見える。



美し過ぎる理念を唱えた共産主義の末路で答え合わせは充分だろ

かつて、東京大学入試問題(日本史)で、次のような問題が出たことがある。

守護大名と戦国大名のちがいは、室町幕府が戦国時代においても存続し、戦国大名の多くが将軍から守護に任命され、みずから守護と称したこともあって、形式的には必ずしも明瞭ではない。下記の文章は、『今川仮名目録』のなかの条文の一部を現代文に訳したものである。ここで、戦国大名今川氏は、みずから「守護(使)不入地」に対する位置づけの相違を通して、両者の違いを明らかにしている。これを中心にして、守護大名と戦国大名のちがいを、6行(180字)で述べよ。


「もともと「守護使不入」といのは、将軍が全国の支配権をもち、諸国の守護を任命していた時代のものである。(ところで、そのような政治体制のもとでは)守護使不入であるといっても、(将軍から守護使不入の特権を与えられた者が)不入地に対する将軍の干渉を拒否することはできないであろう。(それと同じ理屈で)現在は、一般に(大名が)自分の力で国法を制定し、両国内の秩序と平和を維持しているのであるから、(大名が認めてやった守護使不入地に対し)大名の干渉をまったく許さないということは、あってはならないことなのである。」
(東京大学 1988年)



表向きは「守護大名と戦国大名の違いは何か」という問題だが、実際のところ東大の出題意図は「戦国大名、戦国大名って簡単に言うけど、戦国大名っていったい何なのか、ちゃんと定義して覚えているのか?」というところだろう。


「戦国」大名というからには、そうでない大名もいる。それが「守護」大名なわけだが、その違いを問う問題。一般常識の盲点を突く良問だろう。
しかもご丁寧なことに、この問題では、盲点の突き方が二重になっている。引用資料が「今川仮名目録」。戦国大名のひとりである今川義元が発布したものだ。



ImagawaYoshimoto

今川義元(1519〜1560)。
駿河国及び遠江国(現在の静岡県)一帯を支配した「戦国大名」。
名前だけは有名だろう。

「戦国大名のなかで、誰が一番好き?」と聞くと、おおむね武田信玄、上杉謙信、織田信長、毛利元就、徳川家康、伊達政宗などの勇猛知将を挙げる人が多い。昨今ではご当地ブームによって、生まれ故郷の戦国大名を贔屓にする人が増えている。NHKの大河ドラマで取り上げられようものなら、地元に大いに経済効果をもたらしてくれる。

そんな中、好きな戦国大名として今川義元を挙げる人はほとんどいない。静岡県の人であってもそうだろう。おおむね、今川義元のイメージは「桶狭間で織田信長に殺された敗者」というものではあるまいか。

実際には今川義元は、群雄割拠の戦国時代において「京に最も近い戦国大名」とされていた。武田信玄が最も怖れた戦国大名としても有名だ。武田信玄の甲斐国(現在の山梨県)は、今川義元の駿河と、上杉謙信の越後(現在の新潟県)に挟まれた位置にある。今川と上杉から挟撃されたら、武田は簡単に滅ぶ。そこで武田信玄は、今川義元と和睦を結び、上杉謙信と戦った。その反対ではない。実際に武田が戦ったのが上杉、ということは、武田は今川のほうをより怖れていたことになる。

今川家は源氏の末裔にあたり、室町将軍である足利氏の分家にあたる。つまり血筋が良い。血縁関係による領地支配の気風が多少は残っていた時代にあって、その毛並みの良さは一目置かれた。今川義元自身、京の公家文化に精通しており、白化粧やお歯黒など公家の格好をして京風文化に染まっていた。現在では織田信長のやられ役として、バカ殿のような風貌で揶揄されることが多いが、その格好は当時としては京に通づるものとして誰にでも許されるものではなかった。

そんな今川義元、戦国大名のひとりとして数えることに異論はなかろうが、自分の推しメンが今川、という人はあまりいない。そういう「いまいちマイナーな戦国大名」を出題するあたり、東大が突いている盲点だろう。


東大の出題に端的に答えると、守護大名と戦国大名の違いは、「支配権の根拠」だ。守護大名の場合、将軍が任命して軍事警察権を委託される。ところが戦国大名は、将軍など関係なく、己の実力を行使して腕力で支配権を公使する。

戦国大名の時代というと、「全国を統括している権力がなく、地方によって勝手に戦国大名が乱立している」というイメージをもっている人が多いだろうが、そんなことはない。織田信長によって足利義昭が京を追放され、室町幕府が終焉したのは1573年、今川義元の死から13年も後のことだ。それまでは室町幕府は存続しており、守護は相変わらず「将軍によって任命された者」という位置づけに変わりはなかった。

現在では俗に「守護大名」とよく呼ばれるが、実際に室町幕府で「守護大名」という名称を使っていたわけではない。鎌倉幕府の時代から、守護というのは「任命されるもの」だ。幕府の将軍によって任命され、土地の軍事警察権を委託された。

最初は単なる警察・自衛隊に過ぎなかった守護が、室町時代になるとやや変質する。
守護というのは文字通り「軍事警察権を委任されたもの」であって、経済基盤がない。荘園を取り仕切る地頭と違って、赴任地に自分の所領をもっているわけではない。それが室町時代になると、守護請や半済令などによって守護の権限が強化された。守護は強化された権限をタテに、荘園や公領を侵略し、「自分の土地」を手に入れるようになる。

なぜ室町幕府は、地方分権を招くような守護の権限強化を行なったのか。
歴史の教科書には「地方武士の独立の気風」やら「相次ぐ内乱」など、分かるような分からないような理由がぼんやりと書いてあるが、その大元を辿るとすべての理由は「観応の擾乱」にあるだろう。初代将軍・足利尊氏と直義の兄弟ゲンカだ。実際には尊氏と直義の兄弟はとても仲が良かったらしく、観応の擾乱の原因は、尊氏の執事だった高師直と、直義の配下の権力争いにあったらしい。

内紛が武力衝突にまで発展すると、とりあえず人数が要る。地方武士を動員する必要がある。地方武士を軍事徴用するには、それぞれの土地で軍事を取り仕切っている守護に任せざるを得ない。そのための見返りが、守護の権限強化だった。

歴史的に見れば、この判断は大失敗だっただろう。土地を持たない根無し草だった守護が、守護請や半済令によってガンガン荘園を侵略し、自分の土地にしてしまった。土地を得てしまえば、それを元手に国人を家臣化できる。そうして守護は「あたかも大名であるかのように、自分の赴任地を支配してしまう」という事態になった。これが「守護大名」と呼ばれるものの正体だ。例えて言えば、警察署長が強引に県知事になってしまうようなものだろう。

つまり、「守護大名」というのは、決して幕府の側が名付けた名称ではない。むしろ幕府にとって全然望ましくない事態だろう。軍事警察権を握るだけでなく、基盤となる土地を得て支配実権を握る。
この、鎌倉と室町における「守護」の違いについては、東大は1996年の日本史で出題している。

さて、その守護大名だが、守護である以上、役職としては室町将軍から任命されたものであることに変わりはない。単なる野武士集団とは訳が違う。しかし、いくら守護が基盤となる土地を得たところで、当時の地方武士たちは一揆を形成し、守護からの上からの支配に抵抗した。土地の武士にしてみれば、鎌倉以来の分割相続によって細分化された土地を必死に守らなければならないのだから、自治の気風が強いのはあたりまえだ。つまり守護(大名)にしてみれば、土地の武士というのは家臣として手駒にしにくい状況にあった。

そこで、当時の守護大名はどうやって土地の武士を支配下に入れたのか。
これはもう、有無を言わさぬ腕力公使だ。「ここの領地は俺のもの」と高らかに宣言し、検地を実施して土地の耕作量や年貢量を登録して農民を実効支配下に置く。そのための基盤として使ったのが分国法だ。つまり、自分の領地での法律を制定し、あらゆる紛争を自分ルールで裁いてしまう。

東大の問題で出されている「今川仮名目録」というのは、その分国法のなかでも最も整備されたものだ。この分国法によって単なる「守護大名」だったものが「戦国大名」に変貌する。つまり、この文章の中に、問題の答えが堂々と書いてある。

「今川仮名目録」に書いてある論理を単純に並べると、次のようになる。

(a)守護も公領内武士も、ともに将軍から任命されている
(b)つまり両者は同格である。
(c)同格だから、公領内武士に守護使不入地が与えられたら、守護はそれを冒すことはできない。
(d)しかし俺は違う。領国の支配権は俺様が実力で得たものだ。幕府の威光は関係ない
(e)だから領国支配の主体は大名自身。最高権力者。法も作れるし、武士に与えられた特権なんぞ知らん。

「守護大名」と「戦国大名」の違いは、つまるところ「守護とはなにか」に帰着する。守護とは本来、将軍から任命される「役職」だった。戦国大名には、それがない。つまり将軍に任命されるとかされないとかに関係なく、実力で領地の支配力を握った存在、それが戦国大名だ。

つまり「今川仮名目録」は、守護大名として初めて、「今後は将軍なんて知らん」と宣言し、幕府と決別して、「戦国大名」として生きていく決意を表したものだ。
東大は、数ある戦国大名のなかで「たまたま」今川を出題に使ったのではない。「今川義元は戦国大名のひとり」なのではなく、今川義元によるこの文書によって、歴史上初めて「戦国大名」が定義されたのだ。

歴史を大きく眺めれば、この文書が、よりによって今川義元によって発布されたというところが皮肉だろう。多くの戦国大名は、たまたま土着の武士だったものが、土地の支配者や守護大名を「下克上」によって打ち倒し、腕力で支配権を得た。
しかし今川氏はそうではない。もともと源氏の血筋で、鎌倉時代から守護を務め、室町時代には土地を得て守護「大名」となり、それが「戦国大名」に転じた、非常に珍しい例だ。本来ならば、下克上によって打ち倒される側だっただろう。それが幕府によって保障されていた身分を捨て、在野からのし上がってきた他の戦国猛将と同じ土俵で戦う決意をした。

幕府の権威におもねず、むしろ弱体化した室町幕府に見切りをつけ、実力行使の世の中に移行する時代の流れが正確に読み取れている。世間一般のイメージと違って、今川義元は、世相を見抜く力があり、既得権益に溺れず慣習を転換する決断力があり、それを行なうに足る実力を持っていた。文字通りの「戦国大名」だったと思う。

惜しむらくは織田信長の奇襲に破れたことだが、あれは織田信長のほうを褒めるべきであって、今川義元を貶めるには足りないだろう。織田信長だって、正面切って戦えば今川に勝ち目がないことくらい、よく分かっていた。だからこそ、あんな無謀な奇襲を試みたのだ。あの奇襲戦法は、日本の軍事史においても唯一無二と言っていい程の例外的な策術であり、失敗確率のほうがはるかに高かっただろう。それを執念で成功させた織田信長のほうが例外なのだ。


「戦国大名」といえば、そうでない大名のことを知っていることが前提となる。守護大名と戦国大名という、時代をつなぐふたつの立場を経た者として、今川義元が出題にあがるのは不思議なことではない。しかし、世間一般の「戦国大名」というイメージは、そういう歴史の本質から乖離して、ドラマ性や英雄譚に安易に傾きがちだ。東京大学は、そういう傾向を戒める目的としてこの問題を出題したような気がしてならない。



家康が死ぬまでトラウマにしてた人だからなぁ。

chinchirorin



期待収益を計算してみると、

ゾロ目:6/36 (0円)
偶数(ゾロ目以外):12/36 (175円)
奇数:18/36 (700円)

期待収益は、個々の事象の発生確立とその結果の積の総和で求められるから、

(6/36)*0 = 0
(12/36)*175 = 175/3
(18/38)*700 = 331.5789…

全部足すと、408.33
つまり、通常価格350円のハイボールを、実質408.33円で販売していることになる。



割高じゃねぇか。

寒い日が続きますな。


今年は例年と比べても寒波の襲来が多いらしく、関東でも大雪注意報が発令されるなど、近年になく気合の入った冬となっておるようです。
センター試験も終わり、受験シーズン本番を迎える学生さんたちは体調に気をつけて頑張ってほしいものです。

冬になるたびに思うんですが、ちょい数ヶ月前に感じてた、あの夏の鬱陶しいほどの暑さは、記憶のどこに消えてしまったんでしょうか。
夏になったらなったでまた逆のことを思い、「ほんの数ヶ月前までは、冬の寒さに凍えていたんだよなぁ」などと思うことしきりです。

日本には四季がある、というのは日本文化の隅々まで影響を及ぼす天候上の制約ですが、それを肯定的にとらえている日本人は少ないようですね。
よくある巷の問答として「夏と冬、どっちが好き?」というのがあります。人の好みをどちらかに寄せて考えよう、という質問ですね。こういう質問は、「常夏の国か、北方の雪国か、家を買うとしたらどっちがいい?」という類いの質問のようです。

僕もたまにこういうことを訊かれますが、おおむね「どっちでもいいけど、両方あったほうがいい」と答えることにしています。まぁ、だいたい変な顔をされます。先の質問は、両方の季節があるからこそ成り立つ質問なわけですが、その前提こそが得難い環境だと思っています。同じ国で、狭い地域内で、夏にサーフィン、冬にスノボーを両方楽しめる国というのは、世界的に見ても珍しいですからね。



話は突然変わるんですが、日本人のなかで松尾芭蕉の価値を理解している人が、非常に少ないような気がします。


basho


松尾芭蕉(1644-1694)。
名前だけは誰でも知っている。

大学で学生に「松尾芭蕉ってどんな人?」と訊くと、99%の学生が「俳句をつくった人」と答える。中にはもうちょっと言い方に気を使って「俳句という分野を確立した人」と答える学生もいる。
まぁ、五十歩百歩だ。

まず基礎的な知識として、松尾芭蕉の時代には「俳句」という用語は使われていない。芭蕉自身、自分のことを「俳諧師」としていた。芭蕉が完成した形式は五・七・五の17文字のアレが有名だが、あれはあくまでも連歌の発句として作られたものだ。芭蕉の作った発句は完成度が高く、連歌から切り離して単独でも鑑賞に耐え得るほどの芸術性があったが、芭蕉自身、発句自体よりも連歌を綴るほうを好んでいた。 

「で、その何が凄いの?」と重ねて訊くと、大体の学生はそこで固まる。
もう少し分かりやすい質問をしてあげると、「俳諧は芭蕉以前の時代にもあった。芭蕉は、それまでの俳諧師と何が違ったのか」という質問だ。
ここに至ると、おおむね学生は全滅する。

多くの人が芭蕉の凄さを実感していないのは、芭蕉を「それまでの人よりも、すごく上手な俳句を作ったから」程度のイメージで考えているからではなかろうか。そして、大抵の人はその「上手さ」を実感できない。何が上手な俳句で、何が凡作なのか、判断できる人は少なかろう。
そもそもそういう人は、芭蕉以前の俳諧など、見たこともないのではあるまいか。

俳諧というのは、今でこそ高尚な芸術のように思われているが、もともとは「ことばの遊び」だ。遊びだからこそ、そこには凝った技巧を入れたがる。和歌と同じように、過去の名作の本歌取り、掛詞、見立て、頓知といった、「知ってるぜ」「できるぜ」という、腕前を競い合うものだった。

和歌という表現形を延々と継承してきた日本には、それ相応の地理的要因がある。
日本は島国のため、大陸的な歴史の動乱に見舞われる危険がなかった。要するに「100年前に正しかったことは、今でも正しい」という普遍的歴史観に染まっていた国と言ってよい。気象的にも温暖で、生死に関わる天候被害も少ない。おおむね、生ぬるい条件に恵まれて、平和を謳歌してきた民族と言ってよかろう。

そういう環境で暮らしてきた人間は、当然ながら保守的な傾向が強くなる。農耕民族としては、新しいことに挑戦してすべてを失うよりも、堅実にそれまでのことを繰り返して、来年もまた同じ収穫量を確保することのほうが重要だった。変わることは脅威であり、現状を維持することが安心につながっていた。日本では革命が一度も起きていない所以だ。

保守的な生き方を手に入れると、人は多面的なものの見方を失う。画一的なものの見方しかできなくなり、「他の考え方もあるのではないか」「自分とは違う考えの人もいるのではないか」という柔軟性がなくなる。それが高度に発達し、保守の力によって260年の平和をつくりだしたのが江戸時代だった。

松尾芭蕉が行なったのは、そうした時代の常識に真っ向から刃向かう、思想的転換と言ってよい。
世界は変わらないのか。
常識が一変する変化は起こり得るのではないか。
今の世界だけでなく、もしかしたら別の世界があるのではないか。
物事には、すべてその裏側でまったく違う出来事が起きているのではないか。
ひとつの考え方には、必ずその反対となる考え方があるのではないか。

そうした「変化を指向する発想」は、ひとつ間違えれば時代の糾弾を受けて闇に葬られる危険性があっただろう。保守的な世相は、革命的な思想を良しとしない。松尾芭蕉は、世間に一切その危険性を悟られることなく、革新的な世界観の転換をはかる芸術様式を開拓した。

しかも、その為に要した媒体は、たった17文字のことばに過ぎない。
17文字で完結する表現様式のなかに、従来の世界観を裏返すような思想を込める。


古池や蛙飛びこむ水の音

芭蕉入門とでもいうべき代表作。これが静けさを表す俳句であることが、芭蕉のオリジナリティーだ。
普通、静けさを表す時は、無音であることを表現する。音がしないことを描写する。しかし芭蕉は、「カエルの飛び込む音」という動的な要因を無造作に放り込むことによって、その対比として周囲の静寂を描いた。

和歌でいえば、ふつうカエルというのは「鳴くもの」だ。カエルの鳴く音を雅ゆたかに描く和歌もある。しかし芭蕉は、カエルを「鳴くもの」ではなく、「飛ぶもの」としてその動きを描いた。音を出したのはカエル自体ではない。池の水だ。

白い壁に黒ペンキを一点だけ付けると、それまでがいかに「完璧な白さ」だったかが分かる。同様に、静寂の中に動的な音がひとたび混じると、それまでの静寂が改めて認識できる。
「静」の裏には「動」があり、「動」によって初めて「静」が認識できる。「静」から「動」に転換する変化の一点だけを切り取り、その両方を包括する。そのような複眼的視点、多面的視点で、ものごとの両側から世界を認識することによって、画一的な視点から解き放たれた芸術性を作り上げた。

保守傾向、不変の恒久を良しとする風潮などおかまいなしに、芭蕉は「変化」にこそ描写すべき価値を見いだした。不動とされているものにも、容赦なく変化を強いる。のんびりした平和を謳歌していた日本という国で、そのような「変化」を歌うのは、さぞ難しかっただろう。そこで芭蕉は、平穏な世の中に見いだす「変化」として、ひとつの軸を打ち出す。

それが「季節」だ。いくら平穏な日本でも、夏は暑いし、冬は寒い。季節の移り変わりは、人の保守傾向とは関係なくやってくる。季節の変わり目に敏感になることは、平穏な毎日に「変化」を見いだすことだった。俳諧では、それを「季語」という形で方法論のひとつとした。

芭蕉自身の句や、芭蕉一門の弟子の作品を見てみると、思いのほか季語が含まれていない作品も多い。それは、別に「季節を詠むことこそが俳句」ではないからだろう。別に季節でなくても何でもよい。移り行く「変化」の一瞬を捉える視点を備えた姿勢であれば、なんでも俳諧になり得る。
今では「俳句には季語を入れるべし」というルールだと思っている人が多いが、もともとは「季節に注目することで、ちょっとした変化にも気づきやすくなるよ」という、入門者に対するレッスン・ワンに過ぎなかったのではないか。

数学では、連続した関数上で、変化率さえ分かれば、任意の1点が与えられただけで増減が分かる。いわゆる微分だ。ふつう「変化」を捉えるには2つ以上の基準点が必要だが、微分を使うと1点を観察するだけで変化が分かる。
芭蕉が目指したのは、要するに「世の中を微分する視点」だった。その日、その瞬間、その一点を視るだけで、悠久の移ろいを認識する。そう考えれば、蕉風俳諧のなかで季節の果たした役割の大きさが分かるだろう。


夏草や兵どもが夢の跡

今の岩手県平泉で詠んだ句。芭蕉が実際に見たのは、ただ雑草が生えただけの草っ原だ。しかしその風景は、いま自分が見ている世界であって、恒久的に普遍の景色ではない。時代が違えば、そこは数多の強者が、己のため主君のため、命を賭けて戦った戦場なのだ。「いま現在」の姿形だけに世界を狭めず、時間から解き放たれた「世界の全体像」を描こうとする。縦・横・高さの三次元だけでなく、時間をも含む四次元で世界を認識する。夏の暑さのなかでも冬の厳寒に思いを馳せ、冬の大雪にあっても夏の猛暑を念頭に置く。そうした「時間の制約から解放された世の中の見方」を手にすることが、多面的な世界観につながる。


荒海や佐渡によこたふ天河

新潟県出雲崎町で詠んだ句。カエルの句と同じく、これが静寂を描いた句であることに気づかないと、芭蕉の描いた世界は見えない。
日本海の荒海は恐ろしい。多くの漁師の命を奪い、天災を引き起こしてきた。しかし、視点を動かさずとも、同じ景色の中で、水平線を境として、凛とした天の川が静かに佇んでいる。動の反対側には、必ず静がある。静を描くには、その対極である動を知る必要がある。時間のみならず、空間的にも、対比される両端を包括することによって、いま在る世界を視ることができる。

江戸時代という恒久的平和の時代にあって、見える世界の裏側を想起し、対極にある概念を包括することで、世界の広がりを鋭く切り取って描く。表現形が伴わなくとも、たいした哲学者だと思う。ましてや、芭蕉はそれをたった17文字という制約の中で表現した。哲学者であるだけでなく、それを表現する手段をも兼ね備えた芸術家でもあった。

日本で「文豪」と言えば、夏目漱石や森鴎外、古くに下れば紫式部などを挙げる人が多いだろうが、松尾芭蕉を推す人は少ないと思う。芭蕉が描こうとした世界を、正しく理解している日本人は、思いのほか少ないのではないか。芭蕉は決して、保守的な芸術様式を固めた堅固な人ではない。時代の常識に逆らい、人の常識に逆らい、変化を求めて飽くなき追求を続けたチャレンジャーだと思う。

そうした芭蕉の業績が理解されていないのは、ひとつの名詞で切り取れる情報形態ではないからだと思う。行なったことがきわめて概念的なことなので、「源頼朝ー鎌倉幕府」「徳川家康ー江戸幕府」のように、教科書の太字だけでは凄さが説明できない。僕は個人的に、日本人が凄さを理解していない3大変革者として、聖徳太子織田信長コチラも)、松尾芭蕉をひそかに挙げている。

「蕉門俳諧」の名が示す通り、芭蕉は多くの弟子をとっていた。後進の指導にも熱心だったと見える。宝井其角、服部嵐雪、森川許六、向井去来、各務支考、内藤丈草、杉山杉風、立花北枝、志太野坡、越智越人は「蕉門十哲」と称される。弟子の中から「十哲」なんぞが成り立つ時点で、かなりの門人数だ。

面白いのは、蕉門の中で、芭蕉と同じ作風を継承している弟子がほとんど見られないことだ。中にはまったく別の方向性に進んだり、師匠の芭蕉を批判して新たな基軸を編み出した弟子さえいる。しかし芭蕉はそうした弟子の言動を一切とがめることなく、穏やかに容認していた。一説には、自身がそうした批評を加えることによって俳諧が形骸化し、単に季語を入れただけの17文字に堕することを怖れたのだという。

しかし本当のところ、芭蕉がそういう弟子の奔放さを容認していたのは、己の作風「変化にこそ世界の本質がある」という哲学に根ざした姿勢だったのではないか。芭蕉は決して弟子として「自分のコピー」を作ろうとはせず、俳諧が発展し、変化し続け、日本の気候風土に合った表現形として定着する土台を作ることに専念した。300年以上経った現在でも、俳句を趣味としている日本人は多い。芭蕉の作った土台が、いかに強固なものだったかが分かる。

松尾芭蕉の紀行の速さを訝しみ、「実は松尾芭蕉は幕府の隠密だった」という説がまことしやかに囁かれることがある。芭蕉の業績の、本当の価値を理解していない人の言うことだろう。ニュートンは国会議員だった時期があるが、彼はあくまでも科学者であって、政治家ではない。仮にアインシュタインが諜報活動を行なったことがあっても、彼は相変わらず科学者であってスパイではないだろう。学者はスパイができるが、スパイに論文は書けない。
それと同じく、松尾芭蕉が仮に隠密活動を行なっていたとしても、「芭蕉は『実は』隠密だった」というには当たらない。芭蕉の俳人としての業績は、そんな隠密活動ごときを上回って余りある。「奥の細道」が仮に地方探索のための旅だったとしても、そこで得られた芸術性は、日本にとって、隠密活動によって得られた情報の数億倍の価値があるだろう。

芭蕉は、日本という風土で、日本という国の、日本人の感性に根付き、それを土台として俳諧の芸術性を完成させた。日本以外の国で、それぞれの芭蕉を擁した国が、どれだけあるだろうか。芭蕉は日本の文学史の中で、外国人にとって最も研究しにくい題材のひとつだ。自分の国でそれを成し遂げた人がいない人にとって、日本が生んだ「天才」を知るのは、そりゃ難しかろう。

俳句を作るのに必要なのは、語句のひねり回しではない。世の中をよく視て、形にとらわれることなく、見えないものを見ようとする、世界の見方だ。毎日のちょっとした変化に思いを馳せ、そういう変化を脅威ではなく肯定的に受け入れ、対極にある概念をともに抱える精神世界の充実がなければ、俳句など作れない。俳句を作るという行為は、代わり映えのない毎日に喝を入れ、常に新しいものを取り込む挑戦だ。そのことを理解していない日本人が多い。



嫁は僕がつまみ食いをするとすぐに気付きます。

日本には謎の鳥がいる。正体はよく分からない。

中国から見れば「カモ」に見える。
米国から見れば「チキン」に見える。
欧州から見れば「アホウドリ」に見える。
日本の有権者には「サギ」だと思われている。
オザワから見れば「オウム」のような存在。
でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。

それでいて、約束をしたら「ウソ」に見え、
身体検査をしたら「カラス」のように真っ黒、
釈明会見では「キュウカンチョウ」になるが、
実際は単なる鵜飼いの「ウ」。

私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。
新聞記者はその鳥を「キジ」にする。




誰がうまいこと言えと。

「慰安婦合意の再交渉主張、韓国の国際的信用落とす」
(朝鮮日報日本語版 1/13(金))

リーダーシップ不在の韓国外交が「複合危機」に直面している。北朝鮮の脅威は次第に増しているにもかかわらず、間もなくトランプ政権が発足する米国は韓米同盟の見直しを要求する構えを見せており、中国は米最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の在韓米軍配備に反対して韓国に圧力をかけてきている。また、日本は旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像の撤去を求め、強硬的な対抗措置に出た。周辺の大国はトランプ氏、安倍晋三首相、習近平国家主席、プーチン大統領と強力なリーダーたちが「強い国の復活」を叫んでいるのに、韓国は政治的混乱と分裂の中で自分の首を絞めるようなことばかりしている。  

危機の時ほど方向舵(だ)をしっかり握り、外交・安全保障の基本を再確認すべきだ。米国による保障がなければ、韓国の安保は揺らぐ。それこそが、THAADの配備を先送りできない理由だ。圧力に負けて配備を先送りすれば、この先、中国による圧力は逆に強くなるばかりだろう。THAAD配備は北朝鮮の核兵器に対する防衛的な対応措置だと中国を説得してきた韓国の努力も無になる。北朝鮮の「槍」は鋭くなる一方なのに、韓国は自ら「盾」を下ろすことになるのだ。  

中国は北朝鮮を動かす「てこ」にはなるかもしれない。だが、韓国の安全を保障してくれる国ではない。韓米日の協力は、北朝鮮核問題の対応において欠かせない。そして3カ国の連携は、韓日間の協力があってこそ可能になる。韓日間の葛藤を助長しようとする言動は、究極的に韓米日の協力を弱めることにつながり、対北朝鮮での足並みの乱れを招く。  

慰安婦問題をめぐる2015年末の韓日合意は、両国間の葛藤を解消しようとするものだった。合意内容に不満を持つ人はいるかもしれないが、これを無効にして再交渉しようという主張は、一部の国民には受け入れられても現実的ではない。外交には相手がいる。日本の安倍首相は「最終的な解決」という合意内容を挙げ、再交渉に応じないだろう。状況が変わったからと交渉のやり直しを求めれば、「韓国は必要ならゴールポストを動かす」という日本の右翼の論理を私たちが自ら証明することになる。韓国の国際的信用は低下し、国際社会の非難は韓国に向かう公算が大きい。

韓国の市民団体は、日本の誠意のない謝罪に抗議する意味で釜山の日本総領事館前に少女像を設置したと言うが、在外公館の「安寧と威厳」を守るよう定めたウィーン条約に無視するこうした造形物の設置に国際社会は批判的だ。「世論が好意的なら国際条約も無視できる」という主張は、私たちの間でしか通用しない。政治家たちは、こうした感性に容易に便乗してしまう。万が一、日本と再交渉できることになったとしても、既存の合意よりも良い結果を得られなければ次の政権に重荷になるだろう。合意当時に生存していた46人の慰安婦被害者のうち、34人がすでに合意を受け入れたことも、再交渉論者たちには負担だ。  

日本にも自制を求めたい。「日本は合意に基づいて10億円を拠出したのだから、韓国が誠意を見せるべきだ」という主張は、合意の本質から大きく外れたものだ。10億円は少女像の撤去の対価、または前払い金ではなく、慰安婦被害者への謝罪と反省を具体的に示すための政策措置だった。金銭的な補償が謝罪に代わるわけではない。謝罪の気持ちを疑われないようにするには、日本は10億円の拠出と少女像の移転を直接結び付けないようにすべきだ。韓国政府も日本公館前への追加の少女像設置を防ぎ、日本の世論を刺激する愚を犯さないようにしてほしい。




要するに言いたいことは

「今設置してある像については不問」

ということ。



最後まで読まないと主張が分からないように書いてある。

大学入試問題を見ていたら、変な英文を見つけた。


To succeed financially without inheritance or advantages in an economic meritocracy lent individuals a sense of personal achievement that the nobleman of old, who had been given his money and his castle by his hater, had never been able to experience. But, at the same time, financial failure became associated with a sense of shame that the peasant of old, denied all chances in life, had also thankfully been spared.
(一橋大 2010年)


経済的能力主義のなかにあって、相続財産も有利な条件もなしに経済的に成功することによって、個人ひとりひとりは、父親から財産や城を譲り受けた昔の貴族では決して経験しえなかったような個人的な達成感を得られるようになった。しかし同時に、経済的な失敗は、人生におけるあらゆる機会を奪われていた昔の農民がありがたいことに感じずにいられていた、恥の意識と結びつけて考えられるようになった


まぁ、構文と文法の知識がない人が、単語だけのイメージから文の意味を理解しようとしても、決して読めない類いの英文だろう。
いまの高校では、ちゃんとこの文が読めるようになる程度の英語の授業を行なっているのだろうか。

この文を読むために知らなければいけない文法事項はふたつある。まずひとつめは、動詞denyとspareの語法だ。
これらの動詞を覚えるときに、安易に単語帳に頼って、「deny: 拒否する」「spare: 〜なしで済ます」と覚えているだけでは、この英文はまったく手も足も出ない。

一橋大学がこの英文読解を課した意図は、おそらく「動詞はちゃんと構文まで含めて覚えていますか」ということだろう。動詞を覚えるときには、単語単独で切り離した「意味」だけでなく、文のなかでどのように使われるかという「構文」まで覚えていなくては、実際には使えない。

denyとspareは、両方とも第4構文(SVOO)がとれる。第4構文をとる動詞は、通称「授与動詞」といって、意味はおおむね「誰かに、何かを、渡す」という意味になることが多い。「渡す」のニュアンスには「伝える」「知らせる」「もたらす」など様々なバリエーションがあるが、ふたつの目的語にヒトとモノをとり、何かを相手に渡す、という意味になることには変わりない。

denyとspareはそれが否定になった語だ。だからdenyは「誰かに、何かを、与えない」、spareは「誰かに、なにか嫌なことを、押し付けない」という意味になる。ともに目的語としてヒトとモノをとり、その授与がブロックされる、というイメージをもつことが大事になる。
ここまでが、一橋大学が受験生に要求している「あたりまえの知識」に相当する。

ところがこの英文ではこれらの動詞のとる構文に、若干の変化が加えてある。一橋大学が要求している知識のふたつめ、「受身(受動態)というのは一体何なのか」という根本的な理解だ。

大学生に「受身って一体何なのか、説明しなさい」と問うと、ほとんどの学生が「何々されること」のように答える。要するに、意味を答えようとする。
受身というのは文の構造を変化させる文法事項だから、受身を定義するときは、文の構造に基づいた答えをしないと、その本質を理解したことにならない。

本当のところ、受身というのは「行為者が不確定なときに、目的語を、主語の位置に移したもの」だ。中学で受身を習うときに、よく能動態を受動態に書き換えるような練習問題をする馬鹿な教師がいるが、両者の構文は発話状況がまったく違う。I ate the apple.と The apple was eaten.は、表している状況がまったく違う。

I ate the apple.という文の場合、リンゴを食べた人間がはっきりしている。だから「僕がそのリンゴを食べた」でよい。しかし、受身というのは「行為者が不確定のとき・わかっていないとき」に使う。そういう時には、文の主語がはっきり定まらない。そういう困った時に、目的語の「リンゴ」を主語にもってきたものが受身だ。だからThe apple was eaten.の正しい訳は、「誰かがこのリンゴを食べた」である。受身の意味上の主語を「by 誰々」と書くのは、「あいつでもない、こいつでもない、誰でもない、他ならぬ私によって食べられたのだ」のように、行為者を他と対比する、一種の強調構文だ。発話の状況を無視して乱雑に両者を書き替えるような授業をしておいて、「コミュニケーション重視の授業」が笑わせる。

My hat has been sat on. という文を学生に訳させると、「私の帽子が座られている」という答えが多い。自分で何を言っているのか分かっているのだろうか。
受身の本質「主語が不確定」ということがちゃんと理解できていれば、「誰かがぼくの帽子の上に座っている」と、きちんと訳せる。

A tree is know by its fruit. という英文は、いままで授業で誰一人きちんと訳せた学生がいない。おおむね「木はその果実によって有名になる」のような誤訳が多い。
これも文が受身になっている理由「主語が不確定」というニュアンスを汲み取れば、「(誰だか分からない不特定のヒト)が、木を知る。それは果実によってである」という意味から、「木は、果実を見れば名前が分かる」と訳せる。

この国ではフランス語を使っています」を英訳しろ、という程度の、簡単な英作文が書けない大学生が本当に多い。いちばんひどいのは This country uses French. というへんてこ英文。国が喋るものか。しかもuseは目的語に道具がくるもので、少なくとも目的語に言語をとれない。
たとえ英作文であっても、「行為者が不特定のときには受身を使う」という基礎的なことが分かっていれば、French is spoken in this country. と素直に英訳できるはずなのだ。

当該の入試英文では、denyとspareの両方が受動態で使われている。denyのほうは形容詞的過去分詞、spareのほうは分かりやすく受動態になっている。
これらの構文をもとに、denyとspareの、SVOO構文のふたつの目的語がどこに行ってしまったのか、きちんと復元できるかどうか。それが、一橋大学が問うている問題だ。

この文の主文そのものは簡単だ。
[financial failure] became associated with [a sense of shame]
という、単純な構文。「経済的な失敗は、恥という感覚に、結びつけられた」という意味。これで文は終わっている。これ以下の部分は、関係代名詞thatに導かれてshameという名詞を修飾し、どういう「恥」なのか、を延々と説明している部分になる。

そのうしろに the peasant of old 「昔の農民」という名詞が出ているが、はじめて出てくる言葉なのに冠詞のtheがついている。これは「後ろにちゃんと説明がありますよ」という、修飾節による説明をつけるときのtheだ。その説明が、denied all chances in life になる。

denyがSVOOの構文をとることを知っていれば、形容詞的過去分詞になったときに「目的語がひとつ抜けてるな」という構造が簡単に見抜ける。ようするにもとの文では

denied (the peasant of old) all chances
「昔の農民に、あらゆる機会を、与えない」

という構文だったことが分かる。そのうち、直接目的語のthe peasant of oldが被修飾節として飛び出してしまっただけだ。だからここまでの部分で「人生であらゆる機会を与えられていなかった昔の農民」という長い名詞句が完成する。

これだけでも充分に入試問題としては難問の部類に入るだろうが、一橋大の問題が鬼なのは、これにさらにもうひとつ受身の構文を重ねていることだ。先に完成した長い名詞句が主語となって、述語のspareがさらに受身になっている。この文はsparedで終わっているため、SVOO構文の目的語が、ふたつともどこかへ行ってしまっている。

目的語のひとつめを見つけるのは簡単だ。受身なのだから、文の主語がもともとの目的語だ。それがthe peasant of oldに相当する。
もうひとつの目的語を探すときには、この文がもともと関係節にあることが分かればいい。関係代名詞thatの節が修飾しているもの、つまりa sense of shameがもうひとつの目的語になる。
だからspareの構文を復元してみると

spare (the peasant of old) (a sense of shame)
「昔の農民に、恥の意識を、味あわせない」

という意味構造になる。これを関係詞節として修飾的に訳すと、

「人生であらゆる機会が与えられなかった昔の農民が、ありがたくも味あわなくて済んでいた、恥の意識」

という長い名詞句になる。
これが、主文の動詞 became associated with の目的語に相当する。


一橋大学がこのような英文解釈を出題しているということから、昨今流行りの「コミュニケーション重視の英語教育」なる代物に対する、一橋大学の明確な姿勢が見て取れる。一言で言えば、「そんなの知るか」だろう。
大学というのは、英会話学校ではないのだ。大学で英語が必要である理由は、日常会話や挨拶表現をするためではない。学問のために英語で論文を読み、論文を書くためだ。そのためには、英語という言語のシステムをきちんと体系的に理解し、それを使いこなせるレベルまで把握していなければならない。

車に例えると、大学の英語入試が要求していることは「車を上手に運転すること」ではない。「車をドライバー1本でバラバラにし、再度それを組み立て直せること」なのだ。知識として知っているだけでは何の役にも立たない。それを実践レベルまで昇華する「使える知識」として縦横無尽に駆使できなければ、知っているうちに入らない。

上の英文を解釈する際だって、言ってみれば必要な知識は「denyとspareの語法」「受身」のふたつだけといってよい。しかし、受身ひとつだけとっても、受身の構文をあいまいに理解したままでは決して解けない。「受身というのはどういう文か」だけでなく、「どういう時に受身は使われるのか」「受身になった時の構文の特徴は何か」というところまで、きっちり極めなくては「受身が分かった」とは言えない。

受身の構文は、Microsoft Wordなんかでは、うるさく赤い波線か何かがついて「受身が使われています」などと、まるで文法エラーのように指摘される。大きなお世話だ。大学に入ってからの英語力は、さらにその上のレベルが要求される。
普通に読めば、当該の入試英文は悪文中の悪文だ。一読して意味が分からない、というのは、悪文と断じて良かろう。問題は、筆者が敢えて、なぜそのような分かりにくい構文で英文を書いたのか、だ。 大学受験のレベルではそんなこと気にしなくてもよいが、大学に入ってからは、筆者がこういう小難しい文を書いた理由までが問題になる。

この英文は、文体論的な効果を狙って書かれている。下線部の前に、「親から財産や城を譲り受けた貴族」というのが出てくる。これと対比して「人生であらゆる機会を奪われていた農民」というのを出している。つまり対句になっている。
意味的な対句は、構文的にも対句にするのが英文の王道だ。貴族の箇所では、「貴族ー(修飾節述語)ー項が欠落している述語(関係節述語)」という構造になっている。下線部は、この構文を繰り返して対句の効果を出したものだ。
また、下線部の箇所にはassociated, old, denied, hadなど、意図的にーdの音で終わる音が多用されている。これに締めのsparedをもってきて、韻を踏む効果も狙っている。

大学では第二外国語を必修として課されることが多いが、そのように知識を体系立てて身につける習慣がついていれば、第二、第三の外国語の習得は簡単になる。僕が見るところ、第二外国語の授業の履修に苦労している学生というのは、その言語に限らず、既習のはずの英語や、はては母国語である日本語においても、知識が雑な学生が多い。


文科省が「コミュニケーション重視の英語」なる世迷い事を言い続けて、はや十年以上が経った。はたして、どれだけ今の若年世代が「英語のコミュニケーション能力」が上がったのだろうか。大学というのは観光地ではない。学問をするための場所だ。せめて英語で議論や喧嘩ができる程度の英語力は身に付いているのだろうか。一億歩譲って、そのような「コミュニケーション能力・括弧笑い」なるものが身に付いたとして、そんなものは大学では何の役にも立たないだろう。そういう「コミュ力お化け」が、英語で論文の一本も書けるのだろうか。

大学教育でいう「コミュニケーション能力」というのは、別に外国人観光客を案内したり、カフェでお茶を注文したり、電話でホテルの予約をしたりすることではない。論文を読んで、論文を書いて、研究会で発表することだ。それらが英語でできるようになることを、大学側は求めている。そのへんをきちんと理解せずに、やみくもに日常会話練習ばかりやっていても、少なくとも大学入試には受からないだろう。



高校ではちゃんと英語を教えているのだろうか


ルパン三世'78 




MI : III 




宇宙戦艦ヤマト 




Truth 




楽しいだろうなぁ。



トルコ行進曲(モーツァルト作曲、ヴォロドス編曲)


モーツァルトの有名な『トルコ行進曲』を、ロシアの超絶技巧ピアニスト、アルカーディ・ヴォロドスが編曲したもの。同時に複数の旋律が並行したり、異なるコードでの演奏が同時に進行したり、とても一人で弾いているようには聞こえない曲。

演奏は中国のピアニスト、ユジャ・ワン



指は本当に10本なのだろうか。

最近、ちょっと面白い本が復刻出版された。


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岩淵悦太郎 編集、角川ソフィア文庫 


文章作法の本は数多く出版されているが、その中でもまぁまぁ面白い本。
僕は復刻前の第三版を読んだことがあるが、このたび文庫として復刻した。こういう「名著」が文庫で復刻されて読みやすくなるのは、非常によろしい。

数ある文章作法の本の中で、良書と屑を見分ける方法は簡単だ。そこで引用されている具体例を見比べればよい。良書というのは、具体例を見るだけでも充分に勉強になる。

端的に言えば、よい文を書けるようになるためには、よい文をたくさん読み込まなければならない。ところがほとんどの文法指南書には、よい例としてのお手本がほとんど載っていない。その理由は、本が「この文がお手本ですよ」として「よい文章」「正解」を載せてしまうと、その文がその本の程度を決めてしまうからだ。どんな美文・良文だって、必ず改良の余地がある。それにビビって、お手本を示さない指南書が非常に多い。

ところがこの「悪文」は、怯みもせずに「よい文章のお手本」を堂々と載ってけている。これだけでも相当な自負の上に書かれた本であることが分かる。チャレンジとして充分に評価できる。
この本は、今となっては「名著」として崇め奉られる本となってしまっているが、その内容の価値は、むしろそういう試みを怯まずに行なっている、挑戦的な意欲にあると思う。守りに入らず、攻めの姿勢で書かれた本といってよい。

悪文を書く人の特徴は、「自分が悪文を書いている」という自覚がないことだ。どういう文が悪文で、そのどこが悪いのかが分かっていない。だからこの本は、まず悪文というのはなぜ悪文なのか、それを示すことから始めている。さらに、その文をきちんとした文章に書き直した「添削例」まで示してある。

悪文の例として本書が掲載している文章は、決して学生の作文のようなものだけではなく、新聞記事や雑誌記事など公に出版されているものもある。そういう、いわば「プロ」の書いた文章の欠点をあげつらうことは、一般的にタブーとされている。書いた文章に欠点があることは、お互い様だからだ。しかし本書では、そのタブーをものともせず、悪文は悪文とはっきり言い切り、酷評している。

エゴの位置するシテュエイションを破壊する為には、自殺まで辞さなかった潔癖さと、通俗性の中に埋没するのを辞さない時代への忠実さと表裏をなして、それぞれの方向に解体していったところに大正の近代文学の運命があった。

この本の冒頭で示されている例だ。確かに悪文だろう。なにせ、一回読んだだけでは意味が分からない。専門知識がある・ない以前の問題だ。こういう文を書く人の中には、わざと分かりにくい言葉や構文を使って衒学的な文を弄する人もいる。そのほうが学術的に品位が高い、という勘違いをしている人もいるだろう。本書は、そういうお高く止まった知性主義を「馬鹿ではあるまいか」とばっさり切って捨てている。


統制をはずして行こうとするこのような動きに対しては、生産者と農協が協力して、予約数量の売り渡しを早めに完了することはもちろん、進んでそれ以上に、余る見込のお米を積極的に政府に売渡して、その実績をあげることが、当面の特別集荷制度の実施をはばみ、従来の強権による供出割当制度の欠陥を是正し、生産者の増産ならびに自主的な売渡しの意欲を高めようとするこんどの予約売渡制を、今年も存続させる事にもなる上に、増配という形で、消費者の期待にもこたえることが出来るのであります。

これで一文、という長い悪文の例。しかもこの文、ラジオのニュースで読まれた文だというのだから恐れ入ってしまう。これを一度聞いただけで理解できる人などいるのだろうか。

かようにこの本は、引用されている「悪文」の例がなかなか面白い。日常的に、かなり時間をかけて言語資料を集めている人が書いている。書き方の原理原則を論じている部分と、具体例としての言語資料の分量的なバランスが非常によい。読んでて面白いし、文章を書く時の心得をつくるためにはよい本だろう。


僕も大学で文章の書き方なんぞを教えることがあるが、実は文章の書き方というのは、中学3年生までの国語で習うことがほぼすべてといってよい。だから、どんな文章作法の教科書を読んだところで、「今まで知らなかった新しいテクニック」などというものは出てこない。野球のルールを知っていても野球がうまくプレイできるわけではないように、文章作法を知っていてもそれを実践できない人が多い。

「文章を書く」というのは一般的に頭脳的作業だと思われがちだが、実のところ料理や日曜大工と同じような単純な肉体的作業に近いと思う。要するに、経験が熟練度を決める。毎日文章を読み、書いていれば、そこそこの文章は書けるようになる。良い文章と悪い文章の見分けもつくようになる。

文章を書くのが下手な人というのは、毎日文章を書いていないのではあるまいか。 自分の書いた文章を他人に添削されたことも、批判されたことも、あまり経験していないと思う。欲を言えばそういう経験を経るのが王道なのだが、学校にでも通っていなければ、なかなかそういう環境は得られない。そのための代替経験として、こういう本で、圧縮してある文章経験を仮想体験してみるのもよいかもしれない。



笑っちゃうような面白い例も出てましたぞ。

今年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦に呼ばれたら、どうするんですかね。


そろそろ年の瀬が近づいて参りましたが、たくつぶ読者のみなさまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
年末年始の予定を考えたり、忘年会の予定が入ったり、いろいろと年末的な行事が入ってくる季節ですね。
NHKの紅白歌合戦の当落も、年の瀬らしいニュースといえましょう。

去年の2015年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦に「落選」して話題になった。報道では、高圧的なマネジャーがやたらとももクロの演出やら出演方法やらにいろいろと注文をつけ、それにブチ切れたNHKが「そんじゃ出なくていい」と落選にしたんだとか。それに対してももクロ側が「紅白歌合戦を『卒業』します」と声明を出し、紅白ファンから顰蹙を買った。

「卒業宣言」まで出してしまったのだから、普通に考えれば、今年紅白に呼ばれても拒否するだろう。しかしこればかりはいろいろと思惑が錯綜して、本人達の思うようにいかないのが世の中というものだろう。最初から呼ばれないなら呼ばれないで困ったことだろうし、呼ばれたら呼ばれたで去年の言動との辻褄合わせに苦労する。ご苦労なことだ。

そういう時、ももクロのファンとしてはどういう反応になるのだろうか。
僕はアイドルのファンをした経験がないので、追っかけに近いファンの方々の反応のほうが気になる。アイドルのファンというのは、時間も金も使ってアイドルを楽しんでいる方々なので、紅白の当落に際してのファンの気持ちはいかばかりか気になる。

AKB48のような大きなグループでも、ファンの気持ちの持ち方が不思議になることがある。
AKBでは、グループ全体が好き、というよりは、自分一押しの「推しメン」というのがいるファンのほうが多いそうだ。AKB48側でもそれをよく分かってて、総選挙だのじゃんけん大会だの握手会だの様々なイベントで、各メンバーの人気度をランキングする試みを行っている。

たとえば宮脇咲良はAKB48とHKT48を兼任しているが、宮脇が押しメンであるファンは、AKBとHKTの両方のコンサートにも握手会にも行くだろう。そういう時、「純AKB48ファン」から、裏切り者呼ばわりされることはないのだろうか。
AKBとHKTであれば、まぁ、同系列のグループだからまだいい。これがたとえば、AKB48のファンとももクロのファンを兼ねている人が、両方のコンサートに行くことは、「ファンの仁義」としてどう捉えられているのだろうか。


話がまったく変わって申し訳ないのだが、有史以来の人間の知的活動の歴史を紐解くと、中世ヨーロッパを席巻した「スコラ哲学」なるものに行き当たる。
名前だけは世界史や倫理の授業で習ったことがあるが、それがどういうものであるのかは知らん、という人が多いのではあるまいか。

スコラ哲学は、要するにキリスト教の教義の正当性を体系化した学問のことだ。学問とは言っても、「哲学」なる名称を冠していても、その実体は学問でもなければ哲学でもない。
教科書的な知識としては、スコラ哲学の目的は、キリスト教の正当性を追求すること、ということになっている。それは裏を返せば、それに叛くものは「異端」として扱う、ということだ。こっちの見方のほうがスコラ哲学の本質を理解しやすい。

スコラ哲学の成立背景には、内的要因と外的要因がある。
内的要因は、キリスト教が巨大化し過ぎ、各地でそれぞれの生活実体に即した信仰のあり方が分岐したことだ。「○○派」と呼ばれるローカル派閥がいろいろと発生して、ローマの意向とはかけ離れた信仰に向かう宗派もあった。
そもそもキリスト教は395年にローマ帝国が分裂して以来、ローマ・カトリックと東方教会で、ほぼ違う宗教として独自に発展する下地ができあがっている。聖書が編纂されるよりも前の話だ。こうして多岐に渡った教義のあり方を、ひとつの宗教としてみなすには、最初から無理があっただろう。

これはアイドルファンに例えてみれば、「俺は○○ちゃん押しだ」「いや△△ちゃんこそ至高」のような言い争いや、「AKBファンであればHKTに『浮気』するなど邪道」「いや同系列であれば良いはずだ」などという論争に相当する。

外的要因としては、7世紀からキリスト教の「脅威」となったイスラム教の存在がある。イスラム教を「異教徒」「蛮族」と決めつけるためには、「自分達の宗教こそ正当」という理論武装が必要になる。
これはアイドルで言えば、「AKB48ファンであれば、ももクロなどものの数ではない」のような言い方になる。

いずれにせよ、現代的な観点、特に僕のような宗教とは縁なき衆生からすれば、くだらない話だ。宗教というのは本来、人が平穏に生きるためのものであって、誰がどういう方法で何を信じようが、その人の勝手だろう。それを宗教の側が「正当派」のあり方を決め、「こういう信じ方をしない奴は異端だ」のように決めつけることが、宗教本来のあり方からして真っ当だとは思えない。
僕のようにアイドルに疎い者にとっては、別にAKB48とももクロが両方好きでも、別に構わないだろうとしか感じない。それを「正しいアイドルファンのあり方とは」などと規定することが、アイドル人気そのものに寄与する姿勢とは、とうてい思えない。

では中世キリスト教では、なぜそのような自分達の首を絞めるようなことをわざわざしていたのか。
中世ではまだ体系だった政治的方法論が確立しておらず、共同体を治める方法論としてはまだまだ宗教のほうが実効力をもっていた。宗教が、単なる生きる為の信念であるのみならず、政治的な役割を背負う必要があった。

また学問も、哲学や科学が「知の包括的な方法論」として確立するまでには、まだまだ時代を要した。世の中はどうなっているのか、世界を統べる法則はどういうものか、そういう理解を得るための方法論が確立しておらず、キリスト教会が示す「答え」を拠り所にするしか仕方がない時代だった。

スコラ哲学は、そうした時代の中で生まれた。宗教、政治、学問という、基本原理がまったく違う3つの営みを、短期間のうちにまとめあげる必要があったのだ。内的要因と外的要因の必要性に迫られ、世界のあり方と「正解」を、人々に示す必要があった。

スコラ哲学は、13世紀にトマス・アクィナスによって編纂された『神学大全』によって大成した、とされている。僕は学生時代に『神学大全』を通読したが、何が書いてあるのかまったく分からなかった。僕はキリスト教徒ではないし、そもそも『神学大全』が何を目的として書かれたものなのかが不明瞭なままこれを読んでしまった。分かるわけがない。
当時の僕は、『神学大全』を、単に人類の知の集積のひとつとして読んでいた。古代に生まれた哲学と、近代に生まれた科学の、間をつなぐミッシング・リンクとしてこの本を位置づけていた記憶がある。

実際のところ『神学大全』は、当時すでに巨大化していたキリスト教の各分派の教義の違いや、イスラム教に対する正当性をでっち上げるための「辻褄合わせ」が全てと言ってよい。敬虔なキリスト教徒にとってはまた違った位置づけができる書物なのだろうが、キリスト教の外側から見る『神学大全』は、その程度のものだ。少なくとも、現代の科学に立脚した思考方法から逆算して、その方法論の進展を補完する役割としては、まったく役に立たない。

たとえば、キリスト教は「人類に普遍的な愛の必要性」を説いてはいるが、十字軍の時代にはイスラム教徒をぶっ殺して全滅させることを命じている。これは矛盾ではないのか。
こうした素朴な疑問に対して、スコラ哲学は、さももっともらしい「正当性」を説いている。何も矛盾していることはありませんよ、すべて神の御心のままに均整を保っていますよ、という理屈がこね上げられている。

スコラ哲学の必要性のひとつに、「権力」を確立する必要性があっただろう。全体の統一を重んじたキリスト教とよく対比される宗教として、インドや南アジアで広まったヒンドゥー教がある。ヒンドゥー教もキリスト教と同様、広い地域に多くの人を取り込んだ宗教なので、多宗派に分岐する歴史を辿っている。

しかし、ヒンドゥー教にスコラ哲学は発生しなかった。ヒンドゥー教は「分岐したけりゃ分岐すりゃいいじゃん」「この辺とあの辺では生活の仕方が違うからな」のように、宗派が分岐することにあまり抵抗感がなかった。いまでは「ヒンドゥー教」と一言で括るには無理があるほど、各地に根付いた土着宗教のように変容している。それは他宗教に対する姿勢でも同様で、同じ地域にイスラム教が浸透した地域は政治的にも独立している。現在のパキスタンだ。

「統一」を指向するのは、そこに「権力」の存在が必要とされるからだ。少なくとも逆は成り立つ。権力を掌握しようとする者は、必ず統一を指向する。中世のキリスト教がスコラ哲学という理論武装によって教義の統一を図ったのは、当時のキリスト教が政治的な役割を負わざるを得なかったという背景によるものだろう。

当然ながら、そういう姿勢は学問にとってはマイナスでしかない。「これが答えだ」と唯一解が強制され、その他の異論が一切認められない姿勢など、学問とは呼べない。
世の中の成り立ちを理解する学問としてスコラ哲学が採用したのは、アリストテレスの哲学だった。アリストテレスという人物は能力の偏りが激しく、博物学的な分類に関しては驚異的な能力を発揮しているが、自然科学の能力は皆無だった。

クジラが魚ではなく哺乳類であることを発見したのはアリストテレスだ。そういう観察や分類に関しては現代的にも正しいとされる「答え」を出していたが、化学や物理に関しては全くの無能と言ってよい。「物はそれが本来あるべき方向を指向する。だから物は地に落ち、炎は空に上がる」「あらゆる物質は、土、火、空気、水から成り、それを補完するものとして『第五の要素』が満ちている」「軽い物と重い物を同時に落としたら、重い物のほうが早く落ちるに決まってる」「太陽は地球の周りを廻っている」。こうした、現代では中高生でも間違いと分かるような誤謬を、平気で犯している。現代的な観点から答え合わせをしたら、間違いだらけだ。

驚くべきことは、アリストテレスの間違った世界観が、2000年以上の長きにわたって「常識」とされてきたことだ。人間の知を結集すれば、こんな間違った世界観が2000年もまかり通るほど、人間は馬鹿ではあるまい。それがまかり通ってしまったのは、アリストテレスの知見を「教義」にまで昇華し、それに対する異論をすべて犯罪視した、スコラ哲学の弊害があった。人間は2000年の長きに渡って、アリストテレスの間違いに「気がつかなかった」のではなく、そもそも「疑うことを許されていなかった」のだ。

現代の科学では、先行研究に対して「説明できない事実」を発見したら、科学者は嬉々として論文を書く。「間違い」は科学を発展させるための原動力でこそあれ、科学の権威を貶めるものでは決してない。仮説を立て、それに対する反証を見いだし、それを包括するようなさらなる仮説を立てる。そういう無数の階段を積み上げることで、科学は成り立っている。

つまり、科学の実体とは「何か固定化した知識」という静的なものではなく、「間違いを修正していく営み」という動的な方法論なのだ。だから、科学には「聖典」は存在しない。ニュートンの『プリンキピア』であろうと、アインシュタインの『一般相対性理論』だろうと、それらは単に「途中の階段」に過ぎない。その中の矛盾を見いだし、それを克服する営みは、今もなお延々と続けられている。

ところがスコラ哲学では、「これが答えです。これ以外は認めません」という『聖典』を求めてしまい、かつそれを作ってしまった。その枠から外に出ることを禁じたのだから、学問が発展するわけがない。スコラ哲学の「発展」というのは、あくまでもキリスト教的世界観の中での辻褄合わせが遂行されることを指すのであって、それはいわば同じ屋根の下で延々と動き回るような行動に過ぎない。

中世のキリスト教世界では、分化した教義の統一を図るため、「公会議」というものが何度も開催されている。世界史の教科書では、三位一体説を確立した381年のコンスタンチノープル公会議、十字軍派遣を決定した1095年のクレルモン公会議、教会大分裂(シスマ)を収拾した1414年のコンスタンツ公会議などが有名だ。一番新しいところでは、他宗教との対話を重視する声明を発表した1962年のバチカン公会議がある。

公会議を実施するには、決定の基盤となる聖典が要る。理屈づけのために拠り所となる「正しい理由」が必要となる。その目的のためには、聖書は役に立たない。キリストが指向した原始キリスト教は、そもそも政治的・学問的な目的に基づく教義のあり方を目指していない。スコラ哲学は、そうした必要性に迫られて作られた、いわば「最初に目的ありき」の、理屈の集大成だったと言えるだろう。

政治的、学問的な「権威」を確立してしまったら、それを制度に適用する際に、必ず歪みが生じる。特に人間は権力を握ると、必ずそれを濫用する誘惑に駆られる。キリスト教の権威といえどもそれは例外ではなかったようで、スコラ哲学を背景とした政治・学問的な腐敗が顕著になった。それが16世紀のルターによる宗教改革につながっていく。宗教改革というのは、実際のところはカトリックとプロテスタントという二大流派が生じる「宗教分裂」のことだ。教義の統一を図ったはずのスコラ哲学が、行き着く先として宗教分裂を巻き起こしたのは、皮肉としか言いようがない。


スコラ哲学の実体を調べてみると、「多くの人が集まると、あり方を統一しようとする欲求が生じる」「人は人、自分は自分と割り切って、他者を違うものと認めつつ接するのは難しい」という、人間に普遍的な傾向が見て取れる。AKB48のファンであろうと、ももクロのファンであろうと、自分と他人を切り離して、それぞれのあり方を尊重する、というのは、なかなか難しいことなのだろう。「そんな参加の仕方じゃ、本当のファンとは言えないぜ」という言い方は、有史以来スコラ哲学が発生して権威を得た理由を、現代に反映したものだと思う。

もし今年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦の出場を打診されたら、スタッフの間でさぞ盛大な「公会議」が開催されることだろう。過去の言動と、実際の行動の辻褄を合わせ、かつファンが納得のいく形で「教義」をでっち上げなくてはならない。
人間というのは、どの時代でも、やっていることは基本的に同じなのだな、という気がする。



初詣に出かけるタイミングが重要なのだ。

いじめの手記 きみは独りじゃない
(2016年11月17日 朝日新聞社説)

鉛筆で書いたんだろうか。きみの手記を読んで、胸が張りさけそうになりました。  

「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」  

見知らぬ土地でばい菌あつかいされたり、支援物資の文房具をとられたり、福島から転校してきた5年前からずっとつらい思いをしてきた。それが、いたいほど伝わりました。

きみは独りじゃない。そのことをまず知ってほしい。学校の外に目をやれば、味方はいっぱいいる。そして、学校以外に自分の居場所をみつけて、いまかつやくしている大人も大勢いる。東日本大震災のぎせいとなって生きられなかった多くの人やその家族も、「生きる」という決意を後おししてくれるはずです。  

原発事故で自主避難した横浜で、きみがいじめにあったことは、すこし前の新聞にのっていました。でも多くの人は今回あらためて、きみや同じような立場の人たちに思いをはせるようになった。手記の公表を弁護士さんはためらったそうだけど、「ほかの子のはげみになれば」と、きみが求めたと聞きました。その勇気をありがとう。  

東日本大震災では、いまも大勢の人たちが、住みなれた家をはなれて避難しています。事故を起こした原発のある福島県双葉町の伊沢史朗(いざわしろう)町長が先週、こんな話をしていました。避難先で町の人がパートなどにつくと「賠償金をもらっているのに」とかげ口をいわれるというのです。かといって働かずにいると、今度は「賠償金があるからだ」といわれる。
同じ学年の子たちが、きみに「ばいしょう金あるだろ」と言い、大金をはらわせたことなどは許せません。しかし彼らも、そんなまわりの話を耳にしていたのかもしれない。これは大人の社会の問題です。  

福島からの避難者への冷たい仕打ちは各地で問題になっていたし、きみもサインを出し続けていた。だれか気づいてほしい、助けてほしい。そう思っていたんじゃないだろうか。

なのに学校の対応はまったく不十分だった。ほかの保護者からの連絡で、お金がやり取りされているのを2年前に知っていながら、相談をよせたご両親に伝えなかった。教育委員会も本気で向き合ってほしかった。同じことをくり返さないようにしなければなりません。  

きみが将来、自分のことも、他人のことも大切にできる大人になることを信じています。



勝手に浸ってろ。



晒しておく。

トランプ氏の勝利 危機に立つ米国の価値観
(2016年11月10日 朝日新聞社説)
米大統領選 トランプ氏勝利の衝撃広がる
(2016年11月10日 読売新聞社説)
米大統領にトランプ氏 世界の漂流を懸念する
(2016年11月10日 毎日新聞社説)
米社会の亀裂映すトランプ氏選出
(日本経済新聞 2016年11月10日)
日本は防衛努力を強める覚悟持て 規格外の人物登場「トランプ・リスク」は不可避だ
(2016年11月10日 産経新聞社説)
トランプのアメリカ(上) 民衆の悲憤を聞け
(2016年11月10日 東京新聞)


政治経験皆無の不動産王ドナルド・トランプが、アメリカ合衆国大統領に当確した。
それを受けての新聞各社の社説。大学生に読ませて批判的読解力を試すのにはいいトピックだろう。
上記社説のなかで、ずば抜けて優れた社説がふたつある。実際に読んでみて、それがどれとどれだか分かるだろうか。

それを判断するには、まず今回の社説で言及すべきことは何か、から考える必要がある。
政治経験皆無、暴言連発の候補者が大統領に当選するという事態は、はっきりいって異常だ。アメリカ大統領選というのは大きなイベントなので、誰が当選しても各社は社説として取り上げるだろう。しかし今回は、その取り上げ方が通常とは異なる。異口同音に「こんなので大丈夫なのか」という論調だ。

日本の立場から、アメリカ大統領選の及ぼす影響および対策を考えることは、どのみち必要だ。しかしその前段階として必要なことがある。現状をまず把握することだ。
現状を正しく把握することなく、理想論によってあるべき方策を提言しても、絵に描いた餅に過ぎない。理想論というのは、すべてがうまくいっている理想状態においてさえ、実現が難しいものだ。ましてや、今回の大統領選のように「異常事態」が発生している時に、のんきに理想論など唱えていても、何の役にも立たない。

つまり、今回の社説がまず明らかにするべきことは、「どうするべきか」ではない。それよりも前に、まず「何が起こっているのか」なのだ。なぜトランプのような奴が大統領に当選してしまったのか。それはアメリカでどういう原理が働いているからなのか。その理解なしでは、これからの対策も方針もへったくれもない。
それを明らかにすることなく、「するべき論」で正論ばかりつらつら並べている社説は、無価値と断じてよい。


そういう観点で社説を読み比べてみると、毎日新聞と東京新聞の2紙がずば抜けている。
いや、冗談ではない。普段は主観ズブズブで煽動意欲バリバリのこの2紙が、今回に関しては書くべきことをきちんと書いている。

そもそも、なぜトランプ氏が勝ったのか。10月末、フロリダ州で開かれた同氏の集会では、元民主党員の40代の男性が「民主党のクリントン政権は女性スキャンダルにまみれ、オバマ政権の『チェンジ』も掛け声倒れだった。もう民主党には期待できない」と語った。これはトランプ支持者の代表的な意見だろう。
(毎日社説)
クリントン氏の決定的な敗因は経済格差に苦しむ人々の怒りを甘く見たことだ。鉄鋼や石炭、自動車産業などが衰退してラストベルト(さびついた工業地帯)と呼ばれる中西部の各州は民主党が強いといわれ、ここで勝てばクリントン氏当選の目もあった。

 実際はトランプ氏に票が流れたのは、給与が頭打ちで移民に職を奪われがちな人々、特に白人の怒りの表明だろう。米国社会で少数派になりつつある白人には「自分たちが米国の中心なのに」という焦りもある。教育を受けても奨学金を返せる職業に就きにくく、アメリカンドリームは過去のものと絶望する人々にもトランプ氏の主張は魅力的だった。

政治経験がなくアウトサイダーを自任する同氏は富豪ではあるが、経済格差などは既成政治家のせいにして低所得者層を引き付けてきた。米国社会の不合理を解消するには既成の秩序や制度を壊すしかない。大統領夫人や上院議員、国務長官を歴任したクリントン氏は既成政治家の代表だ--という立場であり、徹底したポピュリズムと言ってもいい。
(毎日社説)

支配層への怒りが爆発した選挙結果だった。ロイター通信の出口調査によると、「金持ちと権力者から国を取り返す強い指導者が必要だ」「米経済は金持ちと権力者の利益になるようゆがめられている」と見る人がそれぞれ七割以上を占めた。

トランプ氏はその怒りをあおって上昇した。見識の怪しさには目をつぶっても、むしろ政治経験のないトランプ氏なら現状を壊してくれる、と期待を集めた。
(東京新聞社説)
政策論争よりも中傷合戦が前面に出て「史上最低」と酷評された大統領選。それでも数少ない収穫には、顧みられることのなかった人々への手当ての必要性を広く認識させたことがある。トランプ氏の支持基盤の中核となった白人労働者層だ。

製造業の就業者は一九八〇年ごろには二千万人近くいたが、技術革新やグローバル化が招いた産業空洞化などによって、今では千二百万人ほどにまで減った。失業を免れた人も収入は伸びない。米国勢調査局が九月に出した報告書によると、二〇一五年の家計所得の中央値(中間層の所得)は物価上昇分を除いて前年比5・2%増加し、五万六千五百ドル(約五百七十六万円)だった。六七年の調査開始以来、最大の伸びだが、最も多かった九九年の水準には及ばず、金融危機前の〇七年の時点にも回復していない。
(東京新聞社説)
 一方、経済協力開発機構(OECD)のデータでは、米国の最富裕層の上位1%が全国民の収入の22%を占める。これは日本の倍以上だ。上位10%の占める割合となると、全体のほぼ半分に達する。これだけ広がった貧富の格差は、平等・公正という社会の根幹を揺るがし、民主国家としては不健全というほかない。階層の固定化も進み、活力も失う。

展望の開けない生活苦が背景にあるのだろう。中年の白人の死亡率が上昇しているというショッキングな論文が昨年、米科学アカデミーの機関誌に掲載された。それによると、九九年から一三年の間、四十五~五十四歳の白人の死亡率が年間で0・5%上がった。ほかの先進国では見られない傾向で、高卒以下の低学歴層が死亡率を押し上げた。自殺、アルコール・薬物依存が上昇の主要因だ。
(東京新聞社説)
ピュー・リサーチ・センターが八月に行った世論調査では、トランプ支持者の八割が「五十年前に比べて米国は悪くなった」と見ている。米国の先行きについても「悪くなる」と悲観的に見る人が68%に上った。

グローバル化の恩恵にあずかれず、いつの間にか取り残されて、アメリカン・ドリームもまさに夢物語-。トランプ氏に票を投じた人々は窒息しそうな閉塞感を覚えているのだろう。
(東京新聞社説)


普通であれば、トランプが勝利することはないだろう。ということは、今のアメリカは「普通でない状態」ということになる。であれば、その「普通でない状態」とは何なのかを知ることが先決だ。

要するに、今のアメリカで、白人層の生活が困窮していることが要因だ。原因は経済赤字による不況と、移民の増大による労働機会の減少。
今回の大統領選挙を動かしたのは、政治がどうの、経済がどうの、国際関係がどうの、といった理想論の実現可能性ではない。 金がない、仕事がない、生活ができない、という、非常に日常的な不満が鬱積したことが要因だ。

しかも今のアメリカは、その不満を公然と口にすることが禁じられている。
「日本のせいだ」「中国の野郎」「メキシコが悪い」などと公然の場で口にしようものなら、直ちに批判されて引責辞任だ。また移民に対する憎悪の根底には、はっきり言って人種差別的な感情があるだろう。「黒んぼはアメリカから出て行け」と言いたいが、言えない。不満が鬱積していることもさることながら、それを口に出して言えない、ということが、ストレスに拍車をかけている。

それを公然と口にして、白人層の「口に出しては言えないけど、誰もが思っていること」を具体化したのがトランプだった。トランプだったら、溜まりに溜ったストレスを解消してくれる。有色人種の移民どもを懲らしめてくれる。

東京新聞の社説は、かなりのスペースをとって、「アメリカ人の生活が困窮している」ということを具体的な数字で表している。ここの具体例に東京新聞が力を入れているということは、東京新聞が「現状を把握することがまず先決」という姿勢で記事を書いていることを示している。



アメリカ国民は、決して「トランプはアメリカ大統領にふさわしい能力がある」と思って投票したのではない。現状がどうにもやるせなく、生活は苦しく、ストレスがたまり、苛々している。そういう破壊欲求が根底にあるため、現状を破壊するエネルギーをもつトランプが票を集めた。
つまり今回、アメリカ国民がトランプに一票を投じたのは、暴動の替わりだったのだ。クリントンは既得権益を持つ側とされ、いわば打ち壊される側に廻ってしまった。

今回の選挙では、事前の窓口調査や、選挙投票場の出口調査がことごとくまったく役に立たなかった。そりゃそうだろう。アメリカ国民の本音は、口に出して言えないことにある。それを出口調査で「どうでしたかー?」とマイクを向けられて、堂々と喋れるものか。
つまり、今回の要因を考えれば、出口調査が実際の結果と食い違っていたのは、必然だった。それなのにアメリカの新聞各社は、「出口調査をもとに予測をたてる」という固定化した思考パターンに固執し、蓋を開けてから慌てふためく有様となった。

アメリカの新聞でトランプを支持する・当選を予想する新聞社は皆無に近かった。これも後から見ればなんのことはない、新聞社は「既得権益をもつ側」の情報発信源だったから、多数派の国民の声を黙殺しただけだ。新聞各社は、口には出せないアメリカ人の本音を、意図的にしろ無意識的にしろ無視し、のんびりと「大統領に必要な資質」「実際に行わなければならない政策」などの理想論をだらだらと並べ、現状を正確に把握できなかった。

今回の日本の社説の中にも、それと同様な社説がある。「普通の場合では妥当な理想論」がまったく役に立たなかったのが、今回の大統領選なのだ。それを無視して、相変わらず「理想論」「するべき論」を並べている社説は、まったくの無価値だろう。

無価値な社説の最たるものが、日本経済新聞。まぁ行儀のよい理想論と正論が、ずらずらと書き並べてある。言っていることは要するに「みんなでよく考えて、しっかり政治をしましょう」ということに過ぎない。こんな屑のような正論、たとえ本一冊分書き並べたところで、何の役にも立たない。
この社説は、本気で現状に対する策を提案しているようにはまったく見えない。なにせ「現状」を最初から無視している。日経社説で提案していることが現実可能な状況であれば、そもそもトランプは当選していないのだ。

思うに、日経のこの社説は、購買層の必要性に迎合したものだと思う。今回の大統領選挙に関して、なにか「建設的な意見」を求められた時には、この日経社説を棒読みで音読すりゃいい。朝のカフェで、意識高い系の若手サラリーマンが「勉強会カッコ笑い」をするときには、うってつけのカンニングペーパーだろう。意気軒昂とした若手の先輩がひと演説したあとに「それって日経社説の丸パクリですよね」とでも言ったら、顔色が変わると思う。


効果的な対策は、正確な現状把握からしか出てこない。トランプの当選原理が「口に出せない不満を解消する」というのであれば、なんのことはない、要するによくあるパターンのポピュリズムだ。その内容は

(1) 有色人種の移民は死ね
(2) 国内の金持ちは死ね
(3) アメリカ経済の困窮は、有色人種のサルどものせいだ。

くらいに集約できる。そこから逆算すれば、トランプが施行するであろう政策の見当はつく。

馬鹿正直に(1)〜(3)を実行に移していたら、たちまち行き詰まることは明らかだ。トランプは今後、これらの「本音」と、実施する「建前」の、つじつまを合わせるために奔走することになるだろう。
だから、「本音」を保つメンツを守ってやりながら、「建前」として実効性のある落としどころをそっと提示してやることが、今後の具体的な対策になる。社説が論じなければならないのは、その詳細な内容だろう。その「本音」を理解しないまま、高い所から偉そうに「こうするべきなのだ」的な理想論を振り回したところで、机上の空論に過ぎない。

以上のことを簡単に要約すると、次のような文章になる。

 欧州連合(EU)離脱を決めた英国の国民投票でも、グローバル化から取り残された人々の怒りが噴き出した。グローバル化のひずみを正し、こうした人たちに手を差し伸べることは欧米諸国共通の課題だ。

トランプ氏は所得の再配分よりも経済成長を促して国民生活の底上げをすると主張する。それでグローバル化の弊害を解消できるかは疑問だ。対策をよく練ってほしい。
(東京新聞社説)


ここでいう「グローバル化」というのは、要するに「表向きに整えた正論」くらいの意味に理解してよい。差別はいけない。機会は均等に。みんな仲良く。こういう世界基準の「いいこと」が、どれだけ多くのアメリカ人にフラストレーションを与えてきたか。
  東京新聞が問うているのは、「じゃあ国民ひとりひとりの所得を増やせば、それが問題の解決になるのかな?」ということだ。生活に困っている白人の所得を上げたところで、それは対処療法でしかなく、根源的な問題解決にはなっていない。

ではその根源とは何か。

女性や障害者をさげすみ移民排斥を唱えるトランプ氏は、封印されていた弱者や少数派への偏見・差別意識を解き放った。そうした暴言は多民族国家である米社会の分断を、一層進行させることにもなった。

オバマ大統領は「先住民でない限り、われわれはよその土地で生まれた祖先を持つ。移民を迎え入れるのは米国のDNAだ」と語ったことがあるが、その通りだ。米国が移民を排除するのは、自己否定に等しい
(東京新聞社説)


いくらアメリカ人が本音として移民を嫌っても、そもそもアメリカというのは移民によって作られた国なのだ。本当の意味で移民を排斥してよいのは、古くからその土地に居たネイティブアメリカンの人達だけだろう。移民のくせに移民を嫌う、そういうアメリカ人のアイデンティティーに関わる問題なのだ。いくらトランプがアメリカ人の差別感情を口に出して放言したとしても、その差別感情は廻り回って自分たちに跳ね返って来る。

要するに、人というものは、正義も正論もまったく関係なく、「自分さえ良ければいい」という生き物なのだろう。他人に禁じることを、自分では平気でやる。他人が特権階級にいるのは我慢ならないが、自分は特権階級に就きたい。自身が移民でありながら、新たに流入する移民は排斥する。「差別はいけない」と言いながら、差別が大好きなのだ。
そういう人たちに対して、「じゃあ、望みを叶えてあげます」といえば、そりゃ支持はされるだろう。しかし、それが支持されたところで、永続的・恒久的な原則から逸れずに正しく国の方向性が示せるのか。


僕の直感だが、アメリカが今後、いわゆる日経的な「正論」を認めざるを得なくなることは、ないと思う。トランプが社会のしくみを一旦すべて壊し、その後に対処療法的な制度をつくったとして、その不備や欠点はいずれ露呈する。しかしその時にも、アメリカという国は、自分たちの過ちを決して認めないだろう。現実的には保守反動が起こるとしても、それを「新たなチャレンジ」的なイメージでごまかすと思う。実際にアメリカは、それと同じことを何度も繰り返している。

結局のところ、今まで何度も起きてきたことが、また繰り返される、というだけのことになるだろう。やたらに「対トランプ」のような未曾有の危機感を煽る前に、少しは冷静になって現状を把握してはいかがか。



人が死ぬ流血騒ぎよりは、よっぽど平和的な暴動だろ。
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小数と分数は、どちらが便利なのか。


直感的には、「分数」と考える人が多いのではあるまいか。「1枚のピザを8人で分けます。1人分はどれくらいになるでしょう」という問題を考えるとき、「1÷8=0.125」と考えるよりも、「8分の1」と考えるほうがビジュアル的に理解しやすい。
また欧米では、いわゆる「÷」という計算記号が無い。割り算はすべて分数の形で記述する。これも、分数を基本と考え、そこから計算によって小数を導く、という「主従関係」が見える。

確かに日常生活では分数というのは直感に近い理解が可能だが、ことを数の概念全般に拡張して考えれば、小数のほうが広い概念を考えられる。それは「有理数」と「無理数」の違いを考えてみれば明かだろう。
有理数というのは、整数比で表される数のことを言う。要するに既約分数のことだ。例えば1/3というのは有理数だが、円周率πは既約分数で表せないので無理数である。有理数は有限小数か循環小数となるため、小数は有理数も無理数も表せる。しかし整数による既約分数では無理数を表すことはできない。

ヨーロッパの数学は分数に基づいて発展し、アジアの数学は小数を駆使して発展してきた。その違いは、代数方程式に対する「姿勢」の違いに反映されているように思えてならない。
2次、3次、4次の方程式には解の公式が存在するが、5次以上の方程式には解の公式が存在しないことが、アーベルによって証明されている。ここまでは数学上の事実として、まぁいいとしよう。問題は、ヨーロッパとアジアでは、「解の公式がないと、どうなのか」という、そこから先の話が違っていることだ。

ヨーロッパの数学では、5次以上の方程式を解く公式が無い、ということが証明されれば、そこで話が止まる。「求まらないんじゃ、しょうがない」とでも言おうか、その事実を前提とした上で、代数学の発展がもたらされた。

ところが、小数を使う中国の数学や、それを取り入れた日本の和算では、5次以上の方程式に解の公式があろうがなかろうが、関係なく腕力で事実に肉薄しようとする馬力を感じる。なんというか、高次方程式の問題を「正確な数値が求められるかどうか」よりも、「どこまで正解に近づけるか」という問題として捉えていたように見える。

算木や天元術(和算で「代数学」に相当する分野)で計算すれば、無限に「近似解」を求めることができる。例え整数解でなくても、小数点以下100桁でも1万桁でも、時間さえかければどこまでも計算できる。また5次方程式どころか、10次方程式でも100次方程式でも、どんなに次数が上がろうとも関係ない。腕力で計算が可能だ。和算の文献を読むと、1000次を越える方程式を解いたという剛の者も登場する。

たとえば、ある高次方程式の解のひとつが 123456.78910233456789… と求められたとしよう。小数点以下を四捨五入すれば、だいたい123457だ。
これはヨーロッパの数学では「解」として認められない。「だいたいこのくらい」では数学としての解の条件を満たさない。有理数であれ無理数であれ、正確な数値でないと解とはならない。

ところが和算では、数学が目指す方向性が違う。その高次方程式の解を「小数点以下いくつまで計算したか」という競争になっている。それが正確に定まるか否かでばっさり分け、定まらない式については切り捨てるヨーロッパ数学とは、はじめから方程式に向かう姿勢が異なる。

5次以上の方程式が「解けない」というのは、あくまでも「解の公式による冪根では解けない」という意味であって、「その値が求められない」という意味ではない。和算が指向したように、小数点以下を延々と求めるチャレンジとして捉えれば、望む範囲での値は手に入る。

例に挙げた高次方程式だって、そもそも「何のための解を求める方程式なのか」を考えてみれば、たとえば小数点以下100桁までの正確性が求められる状況など、そうそうあるものではない。解が 123456.78910233456789… と求まれば、「だいたい123457」としておけば問題ない状況がほとんどだろう。

つまり「全か無か」という分数に比べ、小数は「近似値」というマージンの存在を許す。「だいたいこのくらい」という概算をする必要がある分野では、小数のほうがむしろ直感に近い理解が可能となる。
たとえば1.8769… という数字を見たら、「1と2の間の数で、だいぶ2のほうに寄ってる数」と分かるが、それを同じことを 595/317 という分数の表記で感じ取るのは困難だ。

また、小数というのはすべての実数を表せるが、分数は有理数しか表せない。
「概算」という日常的な必要性を考えても、表記が記述できる数体系を考えても、小数のほうが優れた記述法と言える。
ただし、便利であるがゆえに、和算では代数学の発展が阻害された観は否めない。なにせ、必要なだけ近似値が求まるのだから、代数方程式を形式的に解く必要性を一切感じなかったのだろう。明治期に西洋の数学を輸入するとき、和算に慣れた日本の数学家は、まず代数学の目指すところが理解できずに苦心したのではあるまいか。

有理数と無理数という区分にしても、その対立概念の根底にある「整数による分数表記の可否」という議論の必要性を、そもそも感じていたようには見えない。江戸時代の和算家にとって、無理数と有理数の違いというのは、「小数計算の終わりがあるか・ないか」程度の違いではなかったか。


tan1°は有理数か
(京都大学)


「世界一短い入試問題」として、日本以外の国々でも話題となった、有名な問題だ。
有理数と無理数の境目を考える問題を出しているということは、京都大学が、数学を学ぶ上で日本と西洋の対立概念を念頭に置く必要性を提唱している気がしてならない。

入試問題に「1°」なんて尋常でない角度が出てくる時点で、加法定理を使う問題と思って間違いない。あとは整数論の証明問題の王道に従って、背理法と帰納法を使えばいい。

(こたえ)
tan1°が有理数であると仮定する。
kを正の整数として、tan k°が有理数であれば、加法定理より
tan(k+1)°= (tan k°+tan 1°)/(1-tan k°tan1°)
となり、これは有理数である。従って帰納的に、すべてのkに対してtan k°は有理数となる。
しかし、例えば30°に関して
tan30° = 1/√3
であり、これは無理数となる。これはすべてのkに対してtan k°が有理数となることと矛盾する。
よって仮定が誤り。tan 1°は無理数である。
(Q.E.D.)


「有理数であれば分数で表せる」という特徴を対偶として使うと、「分数で表せないものは有理数ではない」ということになる。されば、「分数で表せない」ということを背理法で導けばいい。見た目ほど怖い問題ではない。

入試問題程度の世界では、「tan 1°は無理数」ということが言えればそれでよく、その事実がもつ意味などはどうでもいい。しかし実際の数学史を考えてみると、この事実は、ヨーロッパの数学では「そうか、じゃあ分数で表せないのか」という「議論の終点」であり、和算では「そうか、じゃあどこまで求めることができるかやってみよう」という「チャレンジの出発点」だったのではないか。ひとつの数学的な事実が、議論のスタートでもあり、ゴールでもあり得る。その違いは事実の側の違いなのではなく、無理数というものをどのようなものとして捉えるか、人の側の違いに過ぎない。

議論を始める際には、まずその議論の必要性を明確にする必要がある。議論の必要性をそもそも認めない立場にとっては、議論の末の結論がどんなものであろうと意味はない。その齟齬に気がつかないまま議論に臨んでも、見当違いなことを追いかけてしまう恐れがある。こういう徒労は、わりとありふれたものではあるまいか。



考えてみりゃ「無理」の反対は「有理」だと習ったのは数学だったな

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