たくろふのつぶやき

お鍋に熱燗にしてくれたまい。

南半球の強さ

時計はなぜ右回りなのかご存知だろうか。

このあいだの秋に行われたラグビー・ワールドカップで、イングランドが初優勝した。

ご存知のように、ラグビーは、イングランドの名門パブリックスクール、ラグビー校ののエリス少年が、フットボール中にいきなりボールを抱えて走り出したのが起源である。ラグビーの母国にとって、ワールドカップ(エリスカップ)を母国に持ち帰るのは悲願だった。実は、ラグビーのワールドカップにおいて、北半球の国が制したのはこれが初めてのことである。

20世紀は、経済、技術のみならず、スポーツの世界でも南北問題は厳然と存在していた。オリンピックでは北半球が圧倒的な強さを占め、サッカーのワールドカップにおいても、ベスト8以上に進出できるのは、ブラジル、アルゼンチンやアフリカの何カ国かを除き、ほとんどヨーロッパ勢で占められている。

そんなスポーツ界の趨勢に逆らうのがラグビーである。ラグビーの場合、圧倒的に南半球の方が強い。先のワールドカップまでは、優勝国はすべて南半球が独占していた。ベスト8までを見ても、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチン、トンガ、サモアなど、南半球の強さは際立っている。なぜ北半球が席捲するスポーツ界において、ラグビーは例外的に南半球が強いのだろう。

ラグビーは、力の差が如実に結果となって現れる。他のスポーツと比べて、番狂わせが起きにくい。また、短期的な作戦の如何によっていきなり強くなったり弱くなったりするものではない。強くなるには「ごまかし」は効かず、個々の能力を底上げする以外に方法はない。結局のところ、一人一人のタックル力と突破力、中央ラインの展開力で力のほとんどが決まってしまう。長い年月をかけて累々と築き上げてきた南半球の国々の伝統的な強さは、短期的なプランではなかなか崩せないのだろう。ニュージーランドは国技がラグビーである。代表チーム・オールブラックスのメンバーは、国内では日本の横綱に相当する名誉と誇りを担っている。街中の原っぱでは、ラグビーで遊ぶ小学生たちが、8対8の本気でスクラムを組んでいる。

現代に繋がる文明の歴史は、そのほとんどが北半球を中心に展開されてきた。人間最古の文明とされているのは、ほとんどが北半球に発生している。当然、現在でも世界共通の約束事とされているのは北半球の視点で作られたものが多い。自らを上と見なす視点が地理学上の地図で北が上という約束をつくり、太古の昔に北半球で日時計が作られたときの回転そのままに、現在でも時計は右回りになっている。

今回のラグビー・ワールドカップで、南半球最後の砦だったラグビーにおいても北半球に凱歌が上がった。次回のワールドカップに向けて南半球諸国の巻き返しを期待したいところだ。

やっぱりピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドよりもイアン・ソープを応援しちゃうんだよね。

ヤク漬け

アメリカはほんとに薬がいっぱいある。

痛み止め(アスピリン)、下痢止め、カゼ薬、抗生剤、なんでも種類が多い。僕はカゼひいてたときにこっちのカゼ薬を飲んだが、ものすごく強力だった。すぐ眠くなる。一晩で熱がひいた。

西洋医学は、人間の調整力なんか念頭におかず、強引に薬の力で病気の原因を殺すという発想が原則だ。だから、薬はものすごく強力なモノが売っている。日本ではたぶん許可されないくらい強力。僕はカゼ薬の副作用ですこし頭痛がしたくらい。

驚くのは、睡眠薬が普通に売ってること。大学のCoopに入ってるコンビニでも普通に売ってる。いいのかな。こわいからまだ試してはいない。でもなんかに使えそうだから買っておこうかな。

朝起きたら雨が降ってる。誰だって「あーあ」とすこしうんざりする。このうんざりする気持ちをも、アメリカ人は薬で治すんだそうだ。そういうための薬も売っている。そういう気分を晴れやかにするために精神科医に通う人もいる。歯医者よりも精神科医の方が多いんだそうな。なんだかなぁ。

僕の場合は、人間本来の生命力を引き出して、体の中から健康体を維持する東洋医学のほうが、まだ性に合ってるみたい。

家でぬくぬく

マイナス15度って。

そりゃあもう寒いこと寒いこと。
窓は凍ってるし、道路はムチャクチャ冷たいし。
これじゃDepartmentに行く気もしない。
でもField Houseに泳ぎに行ったオレ。

長いことほっとかれてたPhonologyの成績がついた。
結構、むふふハートな成績。
がんばったからなぁ。この後に及んでああいう新しい分野でもちゃんと吸収できるからまだまだオレも捨てたもんじゃないな。

再びMirror Lakeが凍った。
そろそろ肝試しに湖の上を渡ろうとする勇者が出てくる頃ではないかな。

すげぇな

小2女児、危険物取扱者試験を突破=最年少の合格

「門前の小僧、習わぬ経を読む」と言うが、これは経というよりアブない呪文では

試験は合格者30%だったらしいが、小学校2年生に負けた不合格者の奴ら、恥を知れ。

いいのかこれ

墓地を散歩する。

夜は怖そうだが、昼はただの芝生。アメリカの墓石は地面ににょきっと立っているだけなので、背が低く、見晴らしがよい。人間の背以上もの墓石が建ち並んで、かくれんぼができそうな日本の墓地とは違う。

さっぱりわからんのが、墓銘碑にジョークを入れるアメリカ人の感覚。よくよく読んでみると、目が点になるものが多い。

「ここに我が妻眠る。妻の魂ここに安らぐ。私もまた然り」

「C.U.Latorここに眠る。あの世でまた会おう(See you later).」

「冒険家L.Jackson。 一所に留まる事無き活動家。おそらくはまだこの下に眠る」

「Jaklineここに眠る。明朗快活にして会話好き。願わくは他の死者が安らかに眠れんことを」

「我らの師W.J.ここに眠る。先生は常に朗らかな喜びの大切さを強調なさった。今ここに我々は先生の死を喜ぼう」

…いいのか?

こういう書き方があるのか

産経抄 (2004年1月8日 産経新聞)

最初は笑いながら読んでたけど、最後で物凄く凍った。
下手に言葉を尽くすよりも遥かに強烈。
びっくりした。

トーナメントに強いチーム

高校サッカー選手権準決勝、鹿児島実業(鹿児島)vs筑陽学園(福岡)の試合結果を見た。
筑陽高校の監督のコメントとは裏腹に、完全に鹿児島実業を手玉にとった試合だったと見える。初出場で決勝進出はフロックではないだろう。

セットプレーで点をもぎとり、守備を固めるというスタイルは、相手にとっては戦いようがない。焦りがスキを生み、裏を取られて自滅する。トーナメント式の短期決戦では、最も戦力の消耗が少なく、確実な戦い方だ。

思うに、90分に及ぶ戦いで、すべての時間が同じ密度をもつわけではないのではないか。
勝負には、まさしく「ここが勝負どころ」というポイントの一瞬がある。実力が伯仲していながら、その一瞬のポイントを読めないばかりに勝負の天秤が傾く場合がある。そのポイントの一瞬をそれとわかるには、相当の経験値が必要だ。

私はナショナルチームではドイツ代表がひいきだが、ドイツはまさしくそういうチームだ。勝ち方を知っている。勝負をかける時間帯を11人全員が共通して理解して総攻撃をかけ、ワンチャンスをものにする。華麗なテクニックを操るファンタジスタは存在しないが、各々の役割分担がはっきり決められており、負傷やサスペンションにより選手を欠いても戦力が落ちない。190センチを上回る選手を揃え、セットプレーの重要性を知っている。ディフェンスが堅く、本気で守られると得点が非常に困難だ。
ドイツ代表歴代得点3位のクリンスマンは、競技場で実際に見ると非常に運動量が少なく、やる気がなく見えたそうだ。しかし、勝負どころを熟知しており、勝負の時間帯になるといきなり運動量が増え、気づくと得点をあげている。通はクリンスマンの運動量を観察し、彼が動き始めると得点を予感できたらしい。

筑陽学園の監督は、勝負どころを熟知し、状況に応じた戦い方を柔軟に変えられるようだ。トーナメントの戦い方の常套手段の正道を踏んでいると見る。なかなか面白いチームが勝ちあがったもんだ。

20ドルあったらそーとーうまいもん食えるぜ

アメリカの値引きのシステムは面倒だ。
まず、とりあえず定価で買う。しかるのち、商品に添付されている所定の用紙に住所、氏名、年齢、電話番号などを記載してメーカーに郵送する。そうすると、割引額に相当する小切手が送られてくる。つまり、メーカーは値引に相当する金額で、客の個人情報を買ってることになる。合理的といえば合理的だが、こんなやり方じゃ日本の値引き商戦と競合したら全く相手になるまい。客がどっちに流れるかは明らかだ。ヨドバシカメラの勝ち。
僕は夏にケンジントンのコンピューターバッグを買った。キャッシュバックは20ドル。さっそく送ったが、半年経った今でもぜんぜん小切手は届きゃしねぇ。
俺の20ドル返せ!!
(確かに事前通知なしにいきなり引っ越したけどさ)

家主おじいちゃんが冷凍食品のハコからなにやら切り抜いている。キャッシュバックのために郵送するらしい。
ハコの注意書きに、「このバッケージについているUPCを同封しろ」と書いてある。
おじいちゃん、UPCが何なのか分からんらしい。僕も知らない。
ちょっと待ってな調べてやっから、と、辞書を見たけどぜんぜん載ってない。
最終兵器、インターネット辞書。さすがに載ってた。ビバ21世紀。
UPC: Universal Product Code。バーコードじゃねえか。
だったらそう書けよ。老人世代が困るだろうが。
老人が略語に翻弄されるのは洋の東西を問わず一緒らしい。

記号は相互理解が前提で使えるものであって、片方が分かってなかったらただの暗号だ。自分が知ってるから使うのではなく、相手に分かる記号を使おうという当然の気遣いがない。そりゃ業者にとっちゃUPCなんて略語は常識だろうさ。だけど隠居してる87歳じいちゃんにとって常識かどうかを考えてる気配が全くなし。
なんでそう自己中心的かなぁ。顧客をなんだと思ってるんだ。

僕もメールで、当たり前のように書かれた略語の意味が分からなくて、友達に聞いても、みんな知らない、ということが何回かあった。送り主はそれで通じると思ったんだろうか。
どうもこの国、「自分の常識は世間の常識」と思い込んでいる方が多くないか。

不完全性定理の恐怖

数学の魅力はその永遠性にある。

形式科学である数学において、形式に基づいてなされる考察は証明が可能である。これは観察に基づく一般化が求められる物理学、天文学、化学、地質学、言語学、生物学などの経験科学などと厳然たる違いを成す数学独自の特徴である。

数学において一度証明された言明は、永遠に真実である。
中学生でも知っている「三角形の内角の和は180度である」という命題は紀元前に証明されたが、20000年以上経ってなお真実だし、2000年後にもなお真実であり続ける。仮説の構築と事実の検証というサイクルを永遠に繰り返すことで成り立つ経験科学に終わりはないのに対し、数学は山の頂上に立てる一瞬がある。その快感は想像するに余りある。前人未到の処女峰を征服する数学者の悦楽は、人類のいかなる快楽にも増して深く広いものであるに違いない。

数学的な命題は、証明可能か反証可能かのいずれかである。つまり、ある数学的命題が提示されたとき、それは「正しい」か「間違っている」かのいずれかである。正しいことは「証明」でき、間違っていることは「提示」できる。ゼロかイチか、マルかバツか、シロかクロかの世界。理を重んじる者にとって、これほど納得のできる世界はない。

私はかつてそう思っていた。
私だけではない。数学者を含めた世界中がそう思っていた。

1931年。その信念が崩壊した年だ。
数学は完璧ではあり得ない。そのことが証明されてしまった。
どんなに難しい命題も、証明もしくは反証できるという幻想はもろくも崩壊した。数学的命題のなかには、その真理値を決定できない、正しくもないし間違ってもいない、邪悪な命題が存在するのだ。

これがゲーテルの「不完全性定理」である。

不完全性定理は二つの定理から成る。
第1不完全性定理は「いかなる論理体系において、その論理体系によって作られる論理式のなかには、証明する事も反証することもできないものが存在する。」というもの。
第2不完全性定理は「いかなる論理体系でも無矛盾であるとき、その無矛盾性をその体系の公理系だけでは証明できない」というものである。
誤解を恐れず平たく言うと、「数学には正しくもなく間違ってもいない命題がある。そのようなことがあり得ないということは、、数学自身では証明できない」ということだ。

これは数学者にとって眠れぬ夜の始まりだった。自分が取り組んでいる命題が正しいか間違っているかを突き止めようと日夜研究を重ねるときに、「そもそも、どちらとも決められない命題かもしれない」という恐怖が襲うことになる。

アラン・チューリングは、数学的命題の中にそのような「邪悪な命題」が含まれるのなら、せめて有限回の手順でそれを見抜く操作はないか、と考えた。彼は1937年の論文で、そんな方法は存在しないことを証明した。このなかで彼は「有限回の操作」を厳密に定義し、あらゆる論理手続きを演算できる計算プログラムを考案している。これが「チューリング・マシン」である。これが現代のコンピューターの始まりであった。今に繋がるコンピューターは、この、当時25歳の青年による論文が出発点となっている。

不完全性定理はコンピューターの分野において、人工知能の実現性に対して限界を突きつけた。
精神を持つ機械は製作可能であろうか?デカルトによって「精神とは何か」という問いが提示されて以来、人間は精神について考察を重ねてきた。精神についての仕組みが明らかになれば、人工的にそれを再現可能なはずだ。そう信じ、人工知能の開発研究が進められた。

ところがペンローズは不完全性定理を元に、人間精神と完全相似の人工知能は設計不可能であることを見抜いた。「量子脳理論」である。
Deep Blueというスーパーコンピューターは、チェスの世界チャンピオンと対決して勝利した。コンピューターがチェスをできるのは、単純な計算の集積にすぎないからだ。真の人工知能は、単純な計算の集積以上に深いレベルで人間の脳が果たす役割を再現しなくてはならない。ところがコンピューターはその性質上、計算集積以外のアルゴリズムを持たない。そして、不完全性定理は、非計算的事実の存在を証明してしまった。現実世界には、0でも1でもない、計算不可能な命題が存在する。開けてはいけない扉が開かれたとき、そこに人工知能の限界が見えたのだ。不完全性定理によって、人間にできることと機械にできることの区別が冷酷に区切られた。

人間の脳は規則正しく機械仕掛けに動いているのではない。
20世紀の科学の成果である量子力学は、「物理現象は外界と完全独立の規則性をもつわけではない。観察者による観察という行為が、対象に影響を与え、ゆらぎをもたらす」ということを示した。きわめてファジーだ。人間の脳は、量子力学が明らかにした「ゆらぎの効果」を示して「計算」以上の「判断」をしている。脳がもたらす精神は、有限回の演算による予測可能な計算ではなく、対象によって様々な変化形をとる意思である。この現代科学の説明力を凌駕する機能こそ「心」であろう。この存在の特徴を解明するためには、現代科学はほんの緒端を発したに過ぎない。

認知能力の一分野である言語を解明しようとする者のなかには、言語機能のしくみを明らかにすれば、自動的に人間の精神構造が把握可能になり、人工的に再現可能になるという楽観視をしている者が少なくない。心に直結する精神構造において言語はほんの数パーセントの役割しか果たさない。しかも、人間の精神構造そのものが人工的に再現不可能であることがすでに示されている。言語を「心」とは独立した純粋な計算手続きと見なし、したがって人工的にプログラムが再現可能であると信じる者は、言語の計算機構と心のゆらぎを厳密に区分する覚悟が必要だ。

言語は知能に含まれるか。この問いは、不完全性定理によって心の再現が不可能であることが示されてはじめて成り立つ問いであることを、失念している言語学者が多いのではないか。

冬休み、時間をもてあます余り、最近の認知意味論の動向を読んで、ふとそんなことを思った。

うるさいなよくあるんだよこういうことは。

欧米人は刺身のことをraw fishとか呼んで珍しがるくせに、ユッケ食うのかよお前ら、と思った。

テレビのCNNニュースショーを見ていた。
BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)についての討論で、貿易関係にある国は、国際伝播を防ぐためにどういう反応をとればよいのか、というディスカッションをやっていた。
聞いてると、やたらと「ユッケ」「ユッケ」と聞こえる。
「ユッケは危ない」とか「ユッケのこれからの展開は」とか。
確かBSEはナマで食べようと焼いて食べようと関係ないはずだったけどな。

…ご存知の通り、英語では我々が「イギリス」と呼ぶ国を「UK」と呼ぶ。
イギリス衛生管理局のスポークスマンが出てくるに至って初めて気がついた。
こんなアメリカ在住の大学院生(英語学専攻)

落葉して枝だけの木々がクリスタルみたいにキラキラ輝いてる。
なんだろうと思ったら、雨でついた水滴がそのまま凍って、光ってるみたい。
ちょっといいもの見た気分。

透明な眼

ある新聞の文芸欄のアーカイブで、糸井重里のコラムを読んだ。

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「若者好きになれる?サイト」

おもしろいぞーっ。

こういうサイトを紹介するのは、書いてるぼくのほうもわくわくする。

「侍魂」というコラムのページだ。

23歳の青年がひとりでつくっているらしいのだが、これがため息がでるくらいおもしろい、ユーモア、真剣さ、大小の文字やスクロールの間の(ま)を利用した表現の技術、これだけ上手にネットで語れる人は、そうはいないだろう。

累計で600万ヒットを越えるアクセスがあることに、びっくりする人もいるだろうが、これには理由がある。

中国で開発されたという、どう評価していいのか分からないロボット「先行者」のニュースを、ここで演出を加えて紹介した企画が大ヒットしてしまったのだ。

掲示板やメールで口コミ的に評判を呼び、知る人ぞ知る名物サイトになってしまったのである。これはもう事件だったとさえ言える

むろん先行者についての抱腹のコラムもおもしろいのだけれど、せっかく訪問するなら、ぜひ、このサイトのメイン「魂」のページに行って「ヒットマン事件簿」という膨大な日記を読んでください。この頃の若い人を、とても好きになるかもしれないから

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さっそく「侍魂」にアクセスしてみた。
このページはWebの世界では伝説のページで、一時期は一日のアクセス数が、個人運営のホームページとしては当時の世界記録となる20万件を超えていたらしい。Web日記という分野に革新をもたらし、個人運営のホームページ数を爆発的に増やし、そのコメントは東証株価までをも動かす影響力があったという。現在ではアクセスカウンターが1億を越す信じられない数字を示している。

徹夜ですべて読んでしまった。

超面白い。信じられないくらい面白い。
「ヒットマン事件簿」は確かにめちゃくちゃ面白かった。この日記は、現在、出版されているという。

糸井重里は何回か著作を読んだことがあるが、あまり琴線に触れる作家ではなかった。
印象として、言っていることよりも、目の付け所が普通の人と違うなという感じがある。
しかし、今回の「侍魂」を紹介しているコラムは、正直に凄い。
コラムが書かれた当時は、すでに「侍魂」は相当な人気を博していたため、人に知られない価値を発掘したという凄さではない。
先入観を持たず、透明な眼でものを見ることができること、そしてなによりも、自ら進んでそういう機会を求めてるであろう姿勢が垣間見えることに驚愕を覚える。

「最近の若い者の考えていることは良く分からん」という嘆きは時代に普遍の嘆きだろう。
しかし、こう嘆く中高年世代は、なにをもとにこう嘆くのだろうか。
本当の理解を求めて何を行っているから、そういう嘆きが出るのだろうか。
一握りの、例外的な若者がひきおこす凶悪犯罪を目の当たりにして、それを若者一般の傾向と安易に一般化してはいないか。
「よく分からん」という以前に、本当に分かろうとしているのだろうか。
自らの価値観だけで世界を見ている、狭い視野から抜け出せていないだけではあるまいか。

「この頃の若い人を、とても好きになるかもしれないから」という言葉に、現代の日本に欠けている何かを感じる。

そりゃあ驚いたろう。

'Dead' Man Comes Back to Life at Funeral Home
(死者が葬儀屋で生命回復)
Mon January 5, 2004 08:00 AM ET

SANTA FE, N.M. (Reuters) - A New Mexico funeral home owner received the surprise of his career when a man pronounced dead at a hospital came back to life just before he was to be embalmed.

Russell Muffley, the owner of Muffley Funeral Home in Clovis, New Mexico, said he noticed Felipe Padilla breathing when the man pronounced dead at a hospital was being transferred to his facility on Wednesday. Padilla, 94, was rushed back to the same hospital, but did not recover. He was declared dead for a second time.

"When we were getting ready to move him from the stretcher to the embalming table, we noticed signs of life," Muffley said.

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おいおい頼むよ。
死亡確認くらいちゃんとやってくれ。

アメリカは土葬だ。焼かない。なんかの拍子に死亡確認が誤ったまま埋められたら、文字通り生き埋めになってしまう。

日本の墓石はものものしくて、夜に一人で墓地を通るとすこし涼しさを感じるが、アメリカはぺらっとした墓石が一個あるだけで、墓地はなんとなく間延びして見える。
だけどよく考えると、ちゃんと骨になってる日本の墓地と違って、アメリカののんきそうな墓地の足の下には、ナマで埋められた死者さま方がお休み中なんだよなぁ。
こっちのほうが怖ぇじゃねえか。

「問題なし」に読売サマ一票

[靖国・伊勢参拝]「戦没者追悼は日本の国内問題だ」
(2004年1月6日 読売新聞社説)

さぁて、朝日はどう出るかな。

非優等生の爆発力

テレビで「Drunk Master (ドランクモンキー・酔拳 (1978))」という映画を見た。
ジャッキー・チェンの映画はガキの頃から死ぬほど見た。僕がはじめて語学に興味を持ったきっかけもこれだった。
特に「酔拳」はジャキー・チェンが成功のきっかけをつかんだ出世作。男の常識、紳士のたしなみと言える逸品だろう。英語で見ようが広東語で見ようが、セリフもストーリーも全部覚えてる。

子供の頃に見たときには気にならなかったが、改めて見て非常に印象的なシーンがあった。

この作品は、中国拳法界の伝説の達人、黄飛鴻(ジャッキー・チェン)を主人公にして展開する。拳法道場のドラ息子である彼に手を焼いた父親は、弟子を痛めつけ再起不能までシゴき抜く蘇化子という達人に彼を弟子入りさせる。修行嫌いの黄飛鴻はいったん逃げ出すものの、街で会った殺し屋に半殺しの屈辱にあい、執念で修行をおさめ、伝説の秘拳「酔八仙」を伝授される。

黄飛鴻は様々な素材に登場しており、映画では「酔拳」のほかにも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」で中国拳法全国大会優勝者のリー・リン・チェイが演じている。ほぼすべての作品で黄飛鴻は人格高潔な真面目人間として描かれている。その黄飛鴻が、なぜジャッキー・チェンの映画でだけこれほどグータレた人間像として描かれているのかは私が幼い頃から少し疑問だった。

酔八仙は八つの酒仙の型から成るが、八仙目の何仙姑(かせんこ)は女仙であるため、その型は腰をくねらせ足をからませ、はっきりいってオカマっぽい。その型をバカバカしく感じた黄飛鴻は、何仙姑の型を習得するのをサボる。
作品の最後に、黄飛鴻は因縁の殺し屋と再び闘うことになる。幻の酔八仙を、一度自分が倒した若造が使うことに殺し屋は一旦は驚くが、実は、彼には酔八仙についての知識があった。黄飛鴻の繰り出す技はすべて見切られる。技を出し尽くしたとき、彼は闘いを見守る師匠の蘇化子に、何仙姑の習得をサボったことを白状する。
ここで蘇化子が黄飛鴻に喝を入れる。「お前の知っている型を組み合わせて、お前だけの何仙姑を作れ」

黄飛鴻は咄嗟に女仙に見立てた型を自分で編み出す。自分の知らない何仙姑の型にうろたえる殺し屋に向かって、彼は言い放つ。

「術は変化する。師の教えを弟子が発展させるんだ」

このシーンこそ、この作品が最高傑作と評されている点ではないだろうか。
先達の教えを忠実に踏襲することは、自らの道程において通過点であって、目的地ではない。伝授された技に自らの技術を盛り込み、師匠の技を超えるところがこの作品のポイントではなかろうか。黄飛鴻が真面目な拳徒ではなく、グータラな修行嫌いとして描かれていたのも、この最後のシーンを魅力あるものにするための伏線なのではあるまいか。この伏線は実に利いている。「師匠の技を超える」というコンセプトは次作の「スネーキーモンキー・蛇拳」にも踏襲されているが、伏線の利かせ方、人物描写の魅力など、「酔拳」の方が数倍上回ると感じる。

世の中のエリートと呼ばれる優等生は、教わったことをほぼパーフェクトに理解する信じられない能力をもつ努力家だ。教わったことを反復し理解することが求められる段階では、真面目な態度は賞賛に値する。しかし、そこから階段を上り、自ら新しい知見を上積みすることが求められる段階になると、1000の知識は1の発想に劣る。学問の世界では大学院に入ってからが奉公の始まりのようなものだが、大学院において既存の知識を理解するのは手段であって、目的ではない。最終目標はあくまでも自らが新しい知見を切り拓くことにある。大学院生は、素直な優等生である必要はない。むしろ、先行研究を胡散臭そうに斜めに読み、少しでも穴が見つかると嬉々として穿り出すような生意気な態度のほうが伸びる。既存の概念を破壊する爆発力を持つ。

「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」
2003年2月の東京大前期入試、数学の問題だ。まさに良問と言える。ほとんどの学生は最後のページをめくって出てきた1行だけのこの問題に仰天したという。明らかに手持ちの型で解ける問題ではない。このときにパニックを感じた優等生は相当の数に上るだろう。むしろ、入試中にイスにあぐらをかいて、鉛筆を齧りながらニヤリと笑って考えることを楽しむ現代の黄飛鴻のほうが、試験時間内に自分なりの何仙姑を編み出せたのではないか。
実際、この問題はそれほど難しくない。私でも解けた。基本的な発想は円に内接する多角形(たとえば24角形)を考え、円の面積の方が内接多角形よりも大きいという当たり前のことを示せばいいだけの話だ。ネタを明かせば中学生にでも分かる。しかし、常日頃から既存の技に頼らず、自ら考えて前に進む気概のある者のみが開けられる扉だろう。

優等生であることが賞賛に値するのは、他人が自分を評価する間だけだ。真の意味で自分の人生を歩くものには、他人の評価など副次的な産物に過ぎない。まさかこの歳になって「酔拳」から感じることがあるとは思わなかった。

うっしゃ、泳ぐぞ。

今日は久しぶりにField Houseがオープンする。
このジムはフルタイム資格を持つ学生だとタダで利用可。バスケ、スカッシュ(←なかなか発音が通じなかった)、フィットネス、プール、いろんな整備が整ってる。久しぶりに泳いでこよう。最近、ずっと運動不足だし。
ベンチプレスのMAXも測ってくるかな。どんなに落ちても100Kgは上がるはず。

結局、QRをかけるときにスコープが広くなる要素が上がるわけだが、その要素はFocusで決まる、と言っちゃっていいんだろうか。Roothではスコープで真理条件が変わる文なんかを扱ってるから意味的に考えていいんだろうけど、ぶっちゃけFocusってPragmaticsっぽい要因だからなぁ。QRにダイレクトに影響するって言っていいんだろうか。Pragmaticな要因がSyntaxに影響するって、アリ? Focusってなんなのか、考えれば考えるほどわからん。

先輩が置いていった「三国志VIII」で遊ぶ。もう何回も全滅喰らった。俺って戦争が下手なのか?
呂布強すぎ。何だお前は。
むきになってやるもんだから、一気呵成の短期決戦に走る傾向があるみたい。
熱血してやるもんだから勉強中断しすぎ。罠かな?

最近、雨が多い。雪にならんくらいだから日中は暖かい。
たまに雪になることはあっても昼には雨に変わって全部溶けちゃうから雪かきがいらなくてよい。
ただ雨だと外に出るのが億劫になっちゃって、運動不足になることなること。
そんなこんなで部屋で逆立ちなんかしてるオレ。
家主じいちゃんの散歩にでも付き合うかな、と思ったけど、昨日なんて雨の中1時間半も歩ってきたらしい。即取りやめ。
ペンギン命

takutsubu

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