たくろふのつぶやき

秋はやきいも ほくほくしてうまし。

免許制成人に一票。

it_teacherさんが、成人式について面白いことを言っている。

どこかで聞いたことのある話だな、と思ったら、

星新一編「ショートショートの広場(5) / 大人免許 (星野光浩)」(講談社文庫)

で、似たような話があった。
たしか上記のショートショートでは、年齢に相応した段階に見合う様々な試験があり、最終的に「老人試験」に合格すると年金が授与され、若くして悠々自適の生活が送れる、というオチだったと思う。奇抜なこと考えるなぁ、と思ったけど、同じことを考える人っていうのはいるもんだ。

たしかに、人間を見るときに、その年齢に相応な「合格ライン」をクリアしてるか否かで人を見ることは誰もがよくやってることだろう。
ホントのところ、誕生から物理的に20年経てば自動的にみんな同じ社会的立場、ってのは実際問題としてヘンだよな。

プリウスほしいな。

社説 日本車の躍進と米ビッグスリーの凋落
(2004年1月13日 日本経済新聞社説)

日経、容赦ねぇ。

「悔しかったら日本車よりも優秀なクルマ作ってみろ」といわんばかりの、なかなかの啖呵だ。たしかにアメリカ車と日本車の大きな違いは「燃費」と「故障頻度」だから、日本車がよく売れるのも当然だ。アメリカではFORDとはFix Or Repair, Dailyの謂だというのが、冗談になってない。

日本の主幹産業がこれほど海外の脅威になってるとはね。
やっぱこっちでも日本車買おうっと。

メッセージ

20歳の君に――世界に一つだけの花
(2004年1月12日 朝日新聞社説)

こういうのをメッセージというのだろう。

本文中には、新成年を名指しして意識を植え付けようという記述はない。しかし、表題がなくても、読む人がきちんと読めば、読み取るべきものがちゃんと書いてある。読みやすい書き方だが、書きにくい書き方だと思う。

「そんな時代に巡り合わせた若者たちは、父親や母親たちとは違う生き方を自分たちで見つけなければならないから大変だ」という言葉は、むしろ若者よりも両親の世代こそ認識する必要があろう。

ドレミの詩(うた)

昔、ピアノをたしなんでいた。
楽譜を見るたびに不思議だったことがある。

音楽では、「音名」と「階名」を区別するのをご存知だろうか。
「音名」というのは、周波数で絶対的に表される音の高さを示すものだ。440HzをAと定め、周波数が2の整数乗になれば、その整数分だけオクターブが上がる。日本では音名は「ハ、ニ、ホ、へ、ト、イ、ロ」で表している。他の音との比較ナシに単音で周波数を感知できる能力が、いわゆる絶対音感である。I wishのキーボード、naoはこの絶対音感の持ち主。ゴスペラーズには絶対音感の持ち主がいないため、歌い始めの音を取る為に音叉を使っている。

それに対し「階名」というのは、主音との関係によって音階の各音に付けられた、相対的な名前のことだ。長調の場合、主音をドとし、上に向かって以下レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シと名付ける。一方、短調の場合は、主音をラとし、上に向かって以下シ、ド、レ、ミ、ファ、ソと名付けるのが一般的だ。

つまり、ハ長調の「ド」と、ニ短調の「ド」は、階名は同じでも、違う音名のつく違う音なのだ。説明するとややこしいが、これはピアノやバイオリンを習っている5歳の女の子でも感覚として身につけているほど基本的なことである。

音名を「ハ、ニ、ホ、へ、ト、イ、ロ」という大和ことばで表すのは、まぁ分かる。私が疑問だったのは、階名の「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」というのは、いったい何なのだろう、ということだ。何語なのかすらも分からない。この謎の記号は、いったいいつ、どこで、どうやって決まった名前なのだろうか。

最近、その謎が解けた。
「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」というのは、ラテン語だそうだ
ラテン語で古くから伝わる「パプテスマのヨハネ賛歌」という歌がある。

Ut queant laxis
Resonare fibris
Mira gestorum
Famili tuorum
Solve Polluti
Labil reaturn
Sancte Johanes

この歌は「ドレミの歌」のように、それぞれの行で一音ずつ上がっていく。各行の歌詞の先頭の音をとって、階名がつけられたらしい。主音の「ut」は口調をよくするために「do」に変えられ、第七音はSancte Johanes(聖ヨハネ)をフランス語表記したSaint-Ianから「Si」になったそうだ。この歌から「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」を作った人も分かっている。11世紀のイタリア人、グィードという人だそうだ。Johanesを勝手にIanに変えてしまうと、もはや「ヨハネ賛歌」ではなくなっちゃうのではないかという懸念はないのだろうか。

外来語を母国語と勘違いしたり、その逆の勘違いをしたり、ということはよくある。まさか小学校の時に習った「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」が、ラテン語だとは思わなんだ。我々が小学校で最も早く習う外来語は、実はラテン語だったという衝撃の事実。

僕と違い、兄は長じてもピアノをたまにつまびくらしい。兄曰く、「音を聞くと、本当にその音に聞こえる」んだそうだ。ドの音は、ほんとうに「ド」、ファの音は本当に「ファ」という言語として聞こえるらしい。それって本当だったら絶対音感では。絶対音感はそれだけで相当なカネになる才能だ。鍛えて身につくものではない天性のものなので、使わない手はない。

おい兄、職業間違えてないか?

はらいっぱい

アメリカ経済は例外的に景気がいい。

なにせムダ使いする。「必要なもの」じゃなくて、「欲しいもの」「面白そうなもの」を買う。景気というのは貯蓄通貨量じゃなく、流通通貨量で決まるから、ひっきりなしにカネが流れるアメリカはのべつまくなしに景気がいい。お母さんが「ムダ使いするんじゃありません!」なんて子供を叱ってるうちは、日本の景気は良くならないだろう。貯金は景気の敵なのだ。

部屋の近くにあるファミレスに行く。アイスクリーム屋さんが母体になってる、まぁ日本の不二家みたいな感じのファミレス。勉強して頭が疲れるとちょっと甘いものが食べたくなるので、サンデーを頼んだらまぁびっくり。大ジョッキみたいな量のガラスの器に山盛りになって出てきた。ほんとに一人分なんだろうか。

アメリカの甘いものは、ほんとに甘い。ケーキなんて砂糖のカタマリみたいのが出てくる。それをペロッと食べるアメリカ人。で、太らないようにせっせとジムに通って運動する。

日本の女の子は、極力甘いものを食べないようにしてカロリーを調整しているような気がする。甘いものが好きな娘でも、さすがにあのアメリカのパフェやサンデーは食べられんだろう。で、運動をしない。
甘いものをバリバリ食べて、バリバリ運動する種族と比べると、どっちが金を使うかは明らかだ。こういうところにも、景気の浮き沈みの原因がある気がする。

サンデーを食べながら日米の景気比較に思いをはせる午後でした。

blog文化論

My So-Called Blog
(New York Times, January 11, 2004)


だれだってそう心配するわな。ここまで社会現象になるか。

Blogって、自分がやってみて思うけど、自分が考えていることを世間に公表して、その反応が帰ってくるという不特定のコミュニケーションが結構おもしろい。ひとつの自己実現の形になるんだろう。トラックバックなんてされて自分の意見が人に引用されるとそれに快感感じる手合いもいるんだろう。それが逸脱すると、記事に出てくるM君みたいに、対面関係に弱く、ネット上でしかコミュニケーションできないサイバー世界の住人が増えて来るんだろうな。

Blogをする51パーセントは13歳から19歳の年代だそうな。ちょうど、対人関係の対処法を体で覚えるべき年代だろう。実際に生身の人間に接して、様々な失敗をして、時には殴り合いの喧嘩をするくらいにして人間関係を経験するべき世代だろう。リアルな世界じゃなく、仮想現実の世界で、ハンドルネームでコミュニケーションをとるほうが正常になると、自己同一性障害が出やしないか。まだ10代だったら自己の確立がしっかりできてない世代じゃあるまいか。

もしかしたら21世紀は仮想現実上の対人関係のほうがむしろ重要で、現実世界の人間関係がそれほど重視されない世紀になるのかもしれない。そりゃわからんが、時代の要求を満たすからといって迎合するには、なにか人間の本質的な部分が薄れすぎるような気がする。人間が自分を支えるための自己の確立は、やはりリアルな生身の人間との人間関係からでしか培えないんじゃないかな。もともと持ってる自己があっての、サイバー世界の自己があり得ると思うんだが、どうだろうか。

Blogはあくまで情報公開の手段であって、人間が利用するものだと思う。Blogごときに人格を支配される人間が出てきそうでちょっと気になるな。

なになに、Blog人口の90パーセントは13歳から29歳…。

セーフ

大学図書館の管理

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大学図書館というところは管理が厳重だ。

IDカードを持たないものは基本的に入館禁止のところが多い。飲食物の持ち込みはもちろん禁止、貸し出しは正規の学生か職員に限る。

で、どうなのよコレ

Cambridge University Libraryが度重なる書籍の被害にブチ切れて、被害状況と原因を徹底的に調べたらしい。ご苦労なことだ。現在の大学図書館は温度、湿度が保たれている密閉の作りになっているところが多いから、ネズミやコドモや、ましてやイヌなどによる破損被害がそれほど多いとは思えないんだけど、どんな管理の仕方をしてるんだろう。

Cambridgeくらいになると、もう世界でそこにしか現存してない本もあるんだろうから、もっとちゃんと管理してもらいたいなぁ。

アホかあいつら

今日はバスケットボールの公式戦。大学内にあるバスケ専用スタジアムに長蛇の列ができていた。

当日券狙いなのか、列のあちこちに小型のテントが張ってある。徹夜組らしい。徹夜って、夜は零下15度だぞ。そんなにしてまだバスケ見たいんだろうか。アホか。

今日の午後にフィールドハウスに泳ぎに行く途中にちょいと見たら、並んでる若い連中がチーム名を合唱して大騒ぎしていた。血が余ってる連中はこれだから。

テレビで試合を見たけど、余裕で勝った。夏になるまでに、オレも一回スタジアムに見に行くかな。

ウワサによると春セメのSyntaxの成績は、学科内で金曜午後にやるバスケの出来如何でつくらしいから、今のうちに練習しておくか。見てろよZeljko、クビ洗って待っておけ。

ラテン語って生きてるのか。

ラテン語について「おいそりゃねぇだろ」と疑問に思ったことがあったので、blogに書いたことがあった。
世の中に先達はあらまほしきかな。学部時代の友人フルカワ氏が調べてくれた。彼は僕が学部時代に歴史学のゼミに出てたときに稽古をつけてくれた先輩で、今はドイツで中世史を研究している。当然、ラテン語学習も現役なので、僕が疑問に思ったことを調べる手段を持っている。フルカワ兄さんサンキュー。昔、同じ教室で学んだ人から今になっても新しい知見を得られるというのはいもんだね。blogバンザイ。ビバ21世紀。いい世の中だ。
言語学、論理学専攻の僕がなぜ歴史学のゼミに出てたか、っていう疑問はナシで。

僕も学部時代、一応ラテン語は勉強した。
成績を見てみると、「優」がついている。おかしいなぁ。
学部で歴史学を専攻していた「ことよ」さんと同じ授業を受けていた。僕もあの呪文だけは覚えてるな、懐かしい。たしか動詞の受動形の接辞変化じゃなかったっけ。ラテン語そのものよりもコメディアンみたいなウケのする先生が面白かった記憶がある。
最近、スラブ系の言語に興味があるので、ラテン語はできるに越したことはない。ロシア語なんて、けっこう几帳面にラテン語の特徴が生き残ってる。アメリカに来たら、イタリア人の友人がラテン語の文章を延々と暗記しているのを聞いてびっくりした。さすがだ。彼らにとっては「自国の古典」という誇りがあるらしい。

最近、学部生のときにいいかげんにとってた授業を、真剣にやり直すハメになってきている。ラテン語しかり、音声学しかり。そうやって考えてみると、僕は学部時代にちゃんと将来のことを考えて授業をとってたんだなぁ(歴史学は?)。しかしイマイチちゃんと身についておらず、今になって必死にやり直す必要があるところが、そこはそれ、たくろふということで
気分は初心者

感性と理性

「ねぇ、私のこと好き?」
「ああ、好きだよ」
どうして?ねぇ、私のどこが好き?

よくある無意味な問答だ。禅問答の方がまだ意味がある。電車、喫茶店、図書館の談話コーナーなどで、こういう会話が聞こえるとイライラする。
きっと訊かれてる彼氏の方もイライラしていることだろう。
覚えておけ訊かれる相手がいるだけまだ幸せなんだぞ(泣)。

感性と理性はどう違うのだろう。
私が察するに、「理由のあるのが理性、ないのが感性」なのではないだろうか。理(ことわり)を由(よし)とするものが理性であり、そこから得られるものが「判断」であろう。一方で、感性は理とは関係ない。そこから得られる「感情」は、当然ながら不条理であり得る。アタマで導く「判断」と、ココロで感じる「感情」は、むしろ一致しないことのほうが多いのではないか。

買い物に行く。AスーパーとBスーパー、どっちに行くか。
「今日はAスーパーの特売日だからAに行く」というのは理性に基づく「判断」だ。理由がある時点で理性が働いている。「なぜ特売日だとそっちを選ぶのか→特売日だと安く買い物ができ、お金が節約きる」→「なぜお金が節約できるほうがいいのか→余ったお金を他の目的に向けられる」→「なぜ他の目的にお金を向けられるのが好ましいのか→様々な経済活動にお金を費やすほうが、生活が楽しくなる」というように、判断はすべて理由に基づくため、基点になる理由まで遡ることができる。

二人の女の子あり。AちゃんとBちゃん。どっちが好みのタイプか。
これは理由に基づく判断をするものではあるまい。好きなほうが好きなのであって、理由もへったくれもない。本当に感情に基づいているのであれば、理由などないのではあるまいか。思うに、心の働きを形式化する試みというのは、心の構造そのものに矛盾している試みなのではないだろうか。感情は理由がないとすれば、その感情の源を探るのは不毛であろう。「ナイキよりもアディタスが好き」「季節は春が一番好き」「あの課長、すげームカつく」これらの感情は、すべて理由のないものだろう。仮に理由らしきものを挙げられたとして、そのポイントが修正されたら、容易に感情を変えることができるだろうか。

女の子が「私のどこが好き?」と理由を訊いている時点で、彼氏が自分と付き合ってるのは感情でなく、思考による理由を鑑みた判断に基づいている、という前提を作っていることになる。好きな理由をすらすらと答えられるとしたら、彼氏は彼女のことを心から好きという「感情」を持っているのではなく、「この人間と一緒にいると、自分にとっては…という利点がある」という「判断」をしていることになる。大方の人間は家族を大事にしていると思うが、その理由を問われて答えられるほうが尋常ではない。

察するに、「私のどこが好き?」と訊いてくる女の子は、要するに褒められたいのだろう。だったら正直に「私のことを思いっきり褒めてください」と頼んだほうが清々しくないか。

ここに私は世の男性諸君に声を大にして提案する。
諸君を悩ませる「私のどこが好き?」に対する回答としては

「私があなたのことを好きなのは感情に基づくものであって理由はない。
それともあなたは私が特定の理由に基づく判断によってあなたを選んだと思っているのか」


と訊き返せばいい。

結果については責任を持たない。

音楽の色彩

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カンディンスキー、「コンポジションVIII」です。

超ヘンな奴です。なんでしょうこれ。最初は「へんな模様だなぁ」と思うだけでした。
でも、なんとなく好きなんです、この絵。
もともと絵の好みとしては、何が描いてあるのかがはっきりした、写実的なものが好みでした。抽象画はその存在意義がまったく分かりませんでした。
その好みが変わったきっかけは、この絵だったような気がします。

この絵を知ったきっかけは、NHKの「ドイツ語講座」でした。ストーリーに登場する女の子がこの絵を見て、首をひねってるシーンがありました。自分の好みのものから脱却して新しいものを知るには、歩き回って棒に当たるのが一番だと思います。あてのない逍遥は芸術に有用なんですね。

芸術とは何か。人にとっていろいろな定義があると思いますが、僕は「言葉にしにくい概念を表現する手段」と定義しています。音楽は音を、絵画は色彩を、彫刻は形状を媒体とする表現手段です。絵画において、「何を表すか」以前に、「何で表すか」という、もともと手段であるはずの色彩が、目的化した絵画も当然あるでしょう。色の鮮やかさだけを読み取る絵画。何を描いているのかは不問。そういう絵だと思います。この絵の色彩は僕の好みです。何を書いているのかさっぱり分かりませんが、使っている色が僕の好みです。今までにはできなかった絵の見方でした。

後から知ったことですが、カンディンスキーは「音楽を絵画化する」という変なことを試みていた画家でした。音楽は聴覚、絵画は視覚に基づき、それぞれの認知のしくみはまったく異なるため、科学的にはまったく無意味なことをしていることになります。でも僕個人としては、こういう無意味なことをする面白い奴が、もっともっといていいんじゃないかなと思います。

行為に目的なし、存在に定義なし。本質よりも実存が先立つ人間だからこそ、破れた殻なんでしょうね。

南半球の強さ

時計はなぜ右回りなのかご存知だろうか。

このあいだの秋に行われたラグビー・ワールドカップで、イングランドが初優勝した。

ご存知のように、ラグビーは、イングランドの名門パブリックスクール、ラグビー校ののエリス少年が、フットボール中にいきなりボールを抱えて走り出したのが起源である。ラグビーの母国にとって、ワールドカップ(エリスカップ)を母国に持ち帰るのは悲願だった。実は、ラグビーのワールドカップにおいて、北半球の国が制したのはこれが初めてのことである。

20世紀は、経済、技術のみならず、スポーツの世界でも南北問題は厳然と存在していた。オリンピックでは北半球が圧倒的な強さを占め、サッカーのワールドカップにおいても、ベスト8以上に進出できるのは、ブラジル、アルゼンチンやアフリカの何カ国かを除き、ほとんどヨーロッパ勢で占められている。

そんなスポーツ界の趨勢に逆らうのがラグビーである。ラグビーの場合、圧倒的に南半球の方が強い。先のワールドカップまでは、優勝国はすべて南半球が独占していた。ベスト8までを見ても、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチン、トンガ、サモアなど、南半球の強さは際立っている。なぜ北半球が席捲するスポーツ界において、ラグビーは例外的に南半球が強いのだろう。

ラグビーは、力の差が如実に結果となって現れる。他のスポーツと比べて、番狂わせが起きにくい。また、短期的な作戦の如何によっていきなり強くなったり弱くなったりするものではない。強くなるには「ごまかし」は効かず、個々の能力を底上げする以外に方法はない。結局のところ、一人一人のタックル力と突破力、中央ラインの展開力で力のほとんどが決まってしまう。長い年月をかけて累々と築き上げてきた南半球の国々の伝統的な強さは、短期的なプランではなかなか崩せないのだろう。ニュージーランドは国技がラグビーである。代表チーム・オールブラックスのメンバーは、国内では日本の横綱に相当する名誉と誇りを担っている。街中の原っぱでは、ラグビーで遊ぶ小学生たちが、8対8の本気でスクラムを組んでいる。

現代に繋がる文明の歴史は、そのほとんどが北半球を中心に展開されてきた。人間最古の文明とされているのは、ほとんどが北半球に発生している。当然、現在でも世界共通の約束事とされているのは北半球の視点で作られたものが多い。自らを上と見なす視点が地理学上の地図で北が上という約束をつくり、太古の昔に北半球で日時計が作られたときの回転そのままに、現在でも時計は右回りになっている。

今回のラグビー・ワールドカップで、南半球最後の砦だったラグビーにおいても北半球に凱歌が上がった。次回のワールドカップに向けて南半球諸国の巻き返しを期待したいところだ。

やっぱりピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドよりもイアン・ソープを応援しちゃうんだよね。

ヤク漬け

アメリカはほんとに薬がいっぱいある。

痛み止め(アスピリン)、下痢止め、カゼ薬、抗生剤、なんでも種類が多い。僕はカゼひいてたときにこっちのカゼ薬を飲んだが、ものすごく強力だった。すぐ眠くなる。一晩で熱がひいた。

西洋医学は、人間の調整力なんか念頭におかず、強引に薬の力で病気の原因を殺すという発想が原則だ。だから、薬はものすごく強力なモノが売っている。日本ではたぶん許可されないくらい強力。僕はカゼ薬の副作用ですこし頭痛がしたくらい。

驚くのは、睡眠薬が普通に売ってること。大学のCoopに入ってるコンビニでも普通に売ってる。いいのかな。こわいからまだ試してはいない。でもなんかに使えそうだから買っておこうかな。

朝起きたら雨が降ってる。誰だって「あーあ」とすこしうんざりする。このうんざりする気持ちをも、アメリカ人は薬で治すんだそうだ。そういうための薬も売っている。そういう気分を晴れやかにするために精神科医に通う人もいる。歯医者よりも精神科医の方が多いんだそうな。なんだかなぁ。

僕の場合は、人間本来の生命力を引き出して、体の中から健康体を維持する東洋医学のほうが、まだ性に合ってるみたい。

家でぬくぬく

マイナス15度って。

そりゃあもう寒いこと寒いこと。
窓は凍ってるし、道路はムチャクチャ冷たいし。
これじゃDepartmentに行く気もしない。
でもField Houseに泳ぎに行ったオレ。

長いことほっとかれてたPhonologyの成績がついた。
結構、むふふハートな成績。
がんばったからなぁ。この後に及んでああいう新しい分野でもちゃんと吸収できるからまだまだオレも捨てたもんじゃないな。

再びMirror Lakeが凍った。
そろそろ肝試しに湖の上を渡ろうとする勇者が出てくる頃ではないかな。

すげぇな

小2女児、危険物取扱者試験を突破=最年少の合格

「門前の小僧、習わぬ経を読む」と言うが、これは経というよりアブない呪文では

試験は合格者30%だったらしいが、小学校2年生に負けた不合格者の奴ら、恥を知れ。
ペンギン命

takutsubu

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