たくろふのつぶやき

食欲の秋の季節がやってまいりました!o(^▽^)o

年が明けた。

元旦だ。
停電した。

朝、マフィンを焼いていたら、いきなりトースターが止まった。なんじゃぁこりゃと思ったら、家中の電気が消えている。
近所に電話してみると、どこもそうらしいので、地域一帯の停電らしい。
電気会社に問い合わせると、のんびりした声で「2時間くらいしたら復旧しますので」だと。
この国にしては、正月からなんとかしようというだけまだマシか。
2時間寝坊すればよかった ZZZ

それにしても電気がないのは困った。
朝ごはんが食べられない。コーヒーも飲めない。
お湯も使えない。
洗顔しておいてよかったー。セーフ。
オール電化のアメリカ社会の盲点露呈。
しかも元旦。どの店もやってない。
ハラへったよー。

友達にメールの返事もできない。バッテリーあんまり残ってないしなぁ。
というわけで今、研究室。何が悲しゅうて元旦から研究室に来にゃならんのだ怒

今日のまとめ:
「電気を大切にね」

サルトル雑感

人間とその他のものを分ける決定的な違いは何か。
いろんな人に訊く。そのひとの考え方の切り口が見えて面白い。
結構、気に入っている質問である。

サルトルの答えが気に入っている。
「人間は定義よりも実存が先立つ」。
最初、何を言っているのか分からなかった。今でもちゃんと分かっているのか怪しい。
以降、自分なりの解釈で…。

たとえばハサミ、たとえばペン。
ハサミは「ものを切る」、ペンは「字を書く」、そういう目的があってはじめてつくられたものである。
こういう「存在理由」にあたるものを、哲学では「定義」と呼ぶ。「本質」と訳されている場合もある。

人間はどうか。人間に定義はあるのだろうか。
これは、「人間は何故生まれてくるのか」という問いに等しい。
サルトルはここで「人間に定義はない」と喝破する。「人間は、定義よりも先に存在がある。人間が何のために存在するか、それはすでに存在した後で個々人が決めることだ」。
これが「人間は定義よりも実存が先立つ」という言葉の意味だろう。

なんのために己が存在するのか。
それを自分で決められる。
考えてみたら、これこそ人間しか持ち得ないプロパティではなかろうか。
教育現場でもよく引き合いに出される概念だ。「自分は何者か」を発見する手助けをするのが教育の真の役割だ、という見解には一理ある。

詳細は「実存主義とは何か」(Jean-Paul Sartre, 伊吹 武彦訳)に詳しい。
実存主義の大要がよくわからなかったが、この本でだいぶ分かったような気がする。
専門書でありながら、入門書になり得る哲学書というのは珍しい。
ちなみに、原著のほうがわかりやすい。私のつたないフランス語力をもってしても、非常にわかりやすかった。

サルトルは個人的に好きではない。
自分の思想と実生活が一致してないところなど、「口ばっかりじゃねぇか」という思いがある。
しかし、考えてみたら、思想と実生活が完全に一致しているなどというのは、自らの思想の奴隷になってはいまいか。真に自由な人間は、自らの主義主張からも自由になれるのではないか。世間の目も気にならない。
サルトルがノーベル文学賞を辞退した理由は「自由の尊重」だそうだ。ノーベル文学賞を受賞すると、周囲はそういう目で著作を見る。真に自由な視点で著作を評価されることがなくなる。
「―人は自由であるように宣告されている」( l'homme est condamné à être libre)と言い放った哲学者にふさわしい価値観だ。「自由の鎖」という概念は、とっつきとしてカッコよく響くため、昭和中期の学生運動に大きな影響を及ぼした。彼らは本当にサルトルをちゃんと読み、考えていたのだろうか。
現代の大学生は、その大半がサルトルなど読んではいまい。しかし、まったく読まないのは、半端に読んでのぼせあがるよりもましではないか。

サルトルは思想の内容以前に、キャッチコピーで若者を惹きつける術を心得ていた。批判力のない若者が踊らされていたのは、日本現代史の恥部だろう。
全共闘世代はいまや中年だ。「最近の若者は流行に踊らされる」という批判は聞き飽きるほどよく聞く。
しかし、「最近の若者」にとって、全共闘世代の流行に対する踊りっぷりにこそ呆れて声も出ない。
思想の上っ面に溺れ、死者を出し、真摯に学ぶ姿勢のある学生の勉強の機会を奪っておいて、何のための思想か。

結局、批判力はすべての思考活動の根幹を成すんだろう。

2004年にふさわしく、「猿トル」の話題から。
おそまつさま。

2003年最後の日

アメリカはあと半日2003年。
いわゆる大晦日。

テレビ事情は日本とだいたい同じなんだろうか。深夜に古い映画ばかりやってる。
年が明けたら録画収録かスポーツばかりっぽいのも日本と似てる。

今年最後のPaycheckが入った。
Deduction(諸経費の自動差し引き)がもう終わってるから、最後のcheckはちょっといつもより多かった。ラッキー。
ちょっとうまいもんでも食べに行くかな。

日本の友達からはやくも年始メールが届く。
喪中なんだけど、メールで挨拶ってのはいいのかな。「明けました」とだけ打って、「おめでとうございます」とは書かなきゃいいか。
そういう問題じゃないのかな。

一年を偲んで散歩にでも行くか。
いい天気になってきたし。

なにやってんだこのガキャ

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アメリカはご存知の通り、喫煙に厳しい。
日本で吸ってても、アメリカに来るとなかなか吸えないという人は多い。公共の建物ではほとんど吸えないと言っていい。

あるホームページで、タバコを一服してる子供の写真をみつけた。
ずいぶんうまそうに吸ってるな。
おい。

ちなみにこの写真はホワイトハウスのホームページ
なにやってんだか。

はーあやれやれ

いつまでも遊んでるわけにもいかんので勉強などしてみる。

提出間際にサボってあんまり本気だせなかったSyntaxのペーパーを考え直す。最初は二重目的語構文をやろうと思ったんだけど、Beck&Johnson (LI to apeear)のペーパーは実は「accomplishnent verbはイベントの特性に応じて語彙分解できる」というところが真価のような気がする。
というわけで日本語のaccomplishment verbを整理しようと思ってるんだけど、面倒なんだこれがまた…。

勉強に飽きたらコトバでも勉強してみる。
最近、興味のある言語が多くて困る。語学好きなわりにはそのどれも極めてないとゆーハンパな語学力。特に英語悲しい

MITにいるTさんが送ってくれた論文を読む。よくこんなアイデア思いついたな、としばし感心。いいなぁー。これ思いついたときは「俺の勝ちだ」と思ったんだろうなー。

気がついたら大晦日なんだね。
早いもんだ。
勉強なんかしてていいのかな。

来年もいい年になるといいね。

死滅したはずが。

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EurotalkのCD-ROM語学学習教材で、「ラテン語」なるものをやってみた。
ラテン語の単語を知ると、なんとなく現在の英語、ドイツ語、フランス語の語源がわかるような気がして面白い。

ただ、ちょっと気になることが。

辞典で「ラテン語」と調べてみると、「古代ローマで使われた言語。現在は死滅し、国語としては存在しない」とある。中世にはすでにラテン語で説教ができることが聖職者のステイタスだったくらいだから、歴史の相当早い時期に死滅したに相違ない。

CD-ROMに出てくる単語のうち、

「ビール」(cervisia)
「ワイン」(vinum)

などといった単語はよい。古代ローマにもビールやワインくらいあっただろう。
しかし、

タクシー」(carrus conductus)
クレジットカード」(charta credita)
飛行機」(velamobile)

といった単語があるのはどういうことだ。
古代ローマ時代に「飛行機のチケットをクレジットカード決済」なんてことがあったのか。

文章の練習のところになるともうめちゃくちゃである。

「電話を使っていいですか?」
(Mihi tua longivoce uti permitteas?)
「救急車を呼んでください」
(Carrum medicum fere.)

ちょっと待て。出典は何だ。
ラテン語で書かれたどの本を調べればそんな文が載ってるんだ。

だいたい、教材のパッケージからして、古代の格好をした男が携帯電話で話をしている。
お前はいつの時代のどこの奴だ。

おそるべしラテン語。
この類推で行くと、Eurotalkの教材のうち、他の死滅した言語にも「インターネット」「メール送信」なんていった言葉が載っていそうだ。

イスラム圏の新年儀式禁止

Morality Police to Ban New Year Trinkets
Mon December 29

RIYADH (Reuters) - Morality police in southern Saudi Arabia plan to conduct raids to ensure that shops do not sell flowers, candles and gifts to those planning to celebrate New Year, a local newspaper reported on Monday.
The Arabic-language al-Watan said the Authority for the Promotion of Virtue and Prevention of Vice (APVPV) in Aseer province was determined to uphold a ban by the conservative Muslim kingdom on non-Muslim celebrations.

"Patrols will be dispatched to gift and flower shops in the next two days before the New Year to ensure that ornaments are not sold for New Year celebrations," al-Watan quoted the local APVPV head as saying.

++++++++


なんじゃ、the Authority for the Promotion of Virtue and Prevention of Vice (「美徳推進ならびに悪徳追放事業機関」)ってのは。
イスラム圏には凄い機関があるんだな。現代の特高か。「道徳的に好ましくないから逮捕する」なんてことをやってるんだろうか。

ずっと、イスラム圏の人はクリスマスを祝うのかどうか疑問だった。
だめだったのねー。そりゃそうか。
特に昨今の緊迫した現状ではもっての外だろうな。

クリスマスは分かるが…新年も祝っちゃいけないっていうのはどういうことだろう?
西暦はキリスト教の概念だけど、1月1日ってのは別にキリスト教と関係ないだろうし…。
考えてみたら、なんで1月1日にあたる日を一年の基点にしたんだろう。
自然的に、1月1日ってなんの日なんだ?

一年のちょうど真ん中の日(183日め)を計算してみた。
7月2日らしい。

Quirky Case

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アイスランド語が非常に気になる。

格の振る舞いが狂ってる。普通、時制文の主語は主格(nominative、日本語の「…は」)、直接目的語は対格(accusative、日本語の「…を」)という格になるのが普通だが、アイスランド語は主語だろうが目的語だろうが斜格(dative、日本語の「…に」)が出てこれる。当然、従来のCase theoryに基づく格付与のシステムでは説明できない。
なんじゃこりゃ。
まさしく人間言語の例外だ。

今まで格付与に関する分析は正面攻撃せず、横目で眺めるだけだったが、気になるものは気になる。
Marantzの1991、ESCOLの論文で仰天して以来、どうもnominativeなんかにはdefault caseという考えは妥当な気がする。
格付与の方法をすべてgovernmentで説明し切った生成文法のやり方は、一見、統一感があって美しいが、冷静に考えてみたらすべての格が統一の方法で付与される必要はどこにもないんだよね。Marantzみたいに格付与に序列があって、「残ったものがnominative」みたいなものもアリかなぁ。

理論的分析だけでなく、アイスランド語そのものに興味がでたので、ちょっと遊んでみることにした。
音声教材をインターネットで注文してみる。
Eurotalkという会社が、現存、死滅を問わず、世界中の言語の音声教材のCD-ROMを作ってるらしい。
アイスランド語なんて外国語学習のなかではマニアックな方だと思うが、なんのなんの、ラテン語、アフリカーンス語、マオリ語、ナバホ語、ほかにも「こりゃどこの言葉じゃ」という言語教材がいっぱいある。
いい仕事するじゃねぇか、Eurotalk。

話のネタに、どこの言葉かもわからん言語をひとつくらい覚えてみようかな。

「奥の手」の効用

学部生のときに勉強していて、「誰々の研究」と、名前だけしか知らない論文が結構あった。
名前は知っているが、読んだことはない。そういうエラそうな学者さまの研究は、学部生にはとてつもなく高尚ですばらしいものに思えたものだ。

長く勉強しているうちに、名前を知ってるだけでは済まなくなり、実際にそういう論文を読むハメになってきた。
ところがどうだろう。実際に細かく論文を読んでみると、「なーんだ」という程度のアイデアであることが結構あるではないか。中にはつまらないと感じるものすらある。
「勉強」と違い、「研究」は、今までに誰も言っていないことを自ら言う必要がある。先行研究を積み上げてきたエラい研究者さま方にビビっていては、問題点の指摘も反論もへったくれもない。

相手の手の内が見えると、なんとなく相手になりそうな気がするものだ。
逆に相手が何者かが分からないと、不気味な感じがする。
孫子によると「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」だそうだが、これは実質的な可能性を言ってるものではなく、多分に精神的な効用が含まれてないだろうか。
一晩、楽しく飲むことを目的とする合コンでも、気に入った相手の経歴、学歴、家族構成などを聞きたくなるのも同じ理由なんだろう。これらは本来、知る必要のない情報だが、知ると知らないのとでは親近感がまったく違うのだろう。

世阿弥は『風姿花伝』の中で、「秘すれば花なり、秘さずば花なるべからずとなり」と言っている。奥義とは、隠すこと自体に価値があるのであり、人に知られてはならない。
昔、武道の世界では、一門の奥義は門外不出の最高機密だったのではあるまいか。大事なのは、そういう奥義が「存在する」ということは人に知られる必要がある、ということだ。他流試合のとき、相手が「正体はまったく分からんが、相手には一撃必殺の奥義があるらしい」という状態で臨んでくれれば勝ったも同然だ。相手が分からない、というのは、かように不安のもとになるものだ。

「秘することの重要性」という大事なことを、全く秘していない世阿弥はずいぶんユーモアのある奴だ。
600年後の現在に至るまで広く知られて、何が「秘すれば花」か

研究とおカネ

国立大予算――角を矯めて牛を殺す愚
(12月30日 朝日新聞社説)

厳しいなぁ、国立大学。

今まで日本では国立大学、アメリカでは州立大学に在籍しているので、税金のお世話になりっぱなしだ。
「予算削減」の字にはやはり反応してしまう。

朝日の論調はおおむね予算削減について批判的だが、批判の仕方がちょっと面白い。
大学という機関を独立して見るのではなく、各種特殊法人と比較して「一緒にするべきではない」という国会決議を持ち出してる。
その根拠は「すぐに成果が出ない」という基礎研究独自の特殊性だ。
言ってることは同じだろうが、大学がすでに特殊法人として見られている視点には気づかなかった。

「まずは大学側のお手並み拝見といこう」には参るね。
税金を投入してもらって研究する側にとって、成果を世間に還元するのは当然の義務だけど、還元の効果的な方法を考えるのは、研究そのものと同じくらいのウェイトを占めることになるんだろうな。
日本の研究者は研究成果を見せびらかす能力と意欲に無頓着だしなぁ。

年末、年末、と。

なんかし忘れたことがあるような気がして、郵便の束を整理した。
やっぱり。
定期購読している雑誌の、来年分の更新手続きをしてなかった。

きようび、雑誌掲載の論文はダウンロードできるんだけど、やっぱり紙の雑誌は持っておかないとね。

日本の年末とはずいぶん感じが違う。
門松もダルマもないし、酉の市も初詣の広告もない。
思うに、欧米の祝日というのは「感謝の日」だから、ひっそりと過ごすのが通なのかな。お店も全部休むし。日本の祝日の方がダイナミックなお祭り騒ぎをしているような気がする。

なんか年末っぽくないのはそのせいかなぁ、と思ってたら、もっと簡単な理由があった。
忘年会がないからだ困った

自由の手に入れ方

アメリカに来てから、妙に自由な気分を感じることがあった。
別に日本が窮屈な国で、アメリカが自由な国とは思えないんだけど。
この正体不明な開放感はなんだろう…。

最近、その原因が判明した。
携帯を持ってないからだ。

思えば日本で携帯を持っていたときは、携帯を持ってるが故にかかる制約がいかに多かったことか。
充電しなきゃいけない、メールを頻繁にチェック、出先でも電話がかかってくる、毎月の請求書…。

よく、「せっかくXXXしたんだからXXXしなきゃ」という言い方を聞く。
「せっかく新しいお皿買ったんだから、たまには使う料理でも作んないと」
「せっかくあの本買ったんだから、すこしは読まなくちゃ」など。

それって一種の呪いでは。

もしPCなんて持ってなければ、1日24時間、ものすごく自由になれるような気がする。
blogにこんなネタ書くこともなくなるし。

自由になりたい、と潜在的に思ってる方は多いはず。
自由ってのは、手に入れるものではなく、手にしてるものを全て捨てることで勝手に得られるものなのかもね。

テレビ

いい天気でいい気分。

家主おじいちゃんのクルマがピンチ。とうとうイカれたらしい。パークウェイを走ってたときにいきなりのエンジントラブル。
しょーがねーよな。あのクルマ、オレより歳くってるから。
「たくろふはクルマ探してたよね、あれ、いる?」だって。いるか。

アメリカのTVガイドは見方がよくわからん。
日本みたいに、時間と放送局順に表になってない。各時間帯ごとにだらだらと横書きに記述してあるだけ。インターネットの番組表もよく見方が分からん。
一番確実なのは、「TVガイド専用チャンネル」というチャンネルで、その時間にどんな番組をやってるのかをチェックすること。2時間先までしかわからんけど。

テレビで日本のアニメをよく見かける。一番多いのはポケモン。英語で見てもストーリーがよく分からん。
ドラゴンポールはよくDVDが売ってるが、なんと14歳以下制限付き。お子様向けではないらしい。人を爆死させたり、腕ちぎったり、挙句の果ては街を破壊したりしてるからなぁ。

お前も違うぞトッティ。

バロンドール受賞ネドベドにトッティ大批判

 ネドベド(ユベントス)のバロンドール(欧州最優秀選手)に、イタリアサッカー界が猛反発している。「彼はファンタジスタではない」と、このブーイングの大合唱はしばらく続きそうだ。

 「ネドベドはバロンドールにふさわしくない」と口火を切ったのは、セリエAで首位に立つASローマの主将トッティ。テレビ番組で「彼は今季、最上のプレーをしたが、テクニックの面で特に優れているわけではない」と批判した。

++++++++


出典が「夕刊フジ」なんで、念のためイタリアの報道を調べてみたら、ホントだった。

いいじゃんねぇ、ネドヴェド。
個人的にはあーゆー泥ヨゴレ仕事するプレーヤーは好きだけどな。
ネドヴェドって「うまい」っていうより「強い」って感じのプレーヤーだしね。

トッティは「彼はファンタジスタではない」と言ってるけど、ファンタジスタがパロンドールの条件ってわけじゃないのにね。
だったらキーパーは絶対受賞できない。

イタリアのマスコミも「もしタイトルを取っていたらトッティがパロンドールだったろう」といってるみたいだけど、ネドヴェドは実際にタイトル取ったしね。
だまれ敗者、というところだ。

もしかしたらこういう不満を感じるところに、最近イタリアがタイトルから遠ざかってる原因があるのかもしれないな。
サッカーはファンタジスタが11人揃っても勝てるわけじゃないのにね。
イタリアのサッカーってのは、どーしてそうファンタジスタをひいきするかなぁ。

でも、個人的にはこれでネドヴェドに調子に乗ってもらいたくないなぁ。
チェコは、EURO2004の予選プールで、たくろふひいきのドイツと当たってるからなー。

おーいネドヴェド、ケガしていいぞー。

ことわざロジック

「ペンは剣よりも強し」

わははは。ウソをつけ。
だったらためしに戦ってみろ。

ある大手新聞社の入社試験で、「ペンは剣よりも強し」という題で作文を書かせたそうだ。試験を受けたほぼ全員が必死になって「ペンはいかに剣よりも強いか」を論じており、逆に「実は剣のほうが強い」ということを書いた受験生はひとりもいなかったという。採点官はうんざりして、「剣のほうが強い」ということを書いた受験者がいたら、もうそれだけで2次、3次面接を免除して採用したくなったらしい。

歴史を紐解くまでもなく、焚書坑儒をはじめとして文筆が権力に屈した例は数限りない。現在では世界最高の水準を誇るドイツ医学界さえ、20世紀前半には権力に屈し、「人間の能力の優劣比較は民族間の相違に基づく」という遺伝子学の見解を取らざるを得なかった暗黒の時期がある。

ことわざというのは、世の中の真理を表すものでは決してない。
「二度あることは三度ある」
「三度目の正直」
どっちだ。
「ペンは剣よりも強し」という言葉は、「こういうふうにできている」と世の中を喝破したものではない。そうではない世の中を憂い、「こうあれかし」という願望をこめたものだ。

よく教訓話で偉そうにことわざを引用する手合いがいるが、よく内容を検証してみると、ことわざの使い方で論理的に破綻していることが多い。有能な社員としては、社長の訓示に内在する論理の破綻をその場で指摘し、社長に一回り大きく成長して頂くに如くはない。クビの危険など顧みてはならない。

個人的に好きなことわざは「二階から目薬」である。
場面を想像しただけで爆笑できる。
ペンギン命
ここでもつぶやき
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