たくろふのつぶやき

秋はやきいも ほくほくしてうまし。

迫る試練

僕の研究室のわきにmirror lake (鏡の湖)というきれいな湖がある。
人は、水面(←「みなも」と読みやがれ)のそばに佇むと落ち着くらしい。
僕は埼玉育ちで、海を見慣れていないので水の魔法はよく効く。よく勉強に疲れると湖のそばのベンチでサンドイッチをはむはむと食べる。

その湖が、あまりの寒さに凍っている。しかも、氷の上に雪が降り積もってどこからが湖なのかも分からない。
最近、研究室の窓から湖を見下ろすたびに非常に葛藤がある。

歩いて渡っちゃおうかな

うーむ、トライしたら間違いなく学内新聞モノかな。渡りきっても落ちても。噂によると、みんな卒業までには一度渡ろうとしてなかなか勇気が出ず、dissertationを書き終わる寸前、最後の冬に勇気を出して渡るんだそうだ。まだ駆け出し、残りの刑期をたくさん残したこのオレ様が湖を渡りきったら、

一躍、伝説の勇者。

アメリカはヒーローの国だ。行為が必要なものか妥当なものかは関係ない。誰もができないことをやり遂げること自体が偉大なのだ。アホなことでも、バカなことでも、何でもいい、やっちまったモン勝ち、やっちゃった奴がエラいのだ。郷に入っては郷に従え。ヒーローの国ではヒーローを目指せ。僕がこの国に来た以上、この国で生きていく以上、湖を踏破するチャレンジはまさしく宿命の行為と言えるのではなかろうか!!

... なんかどこかで生きる方向性を激しく間違えてるような気がする。

お金はちゃんと払いましょう。

[発明の対価]「『報酬』巨額化の時代に備えよう」
(2004年01月31日 読売新聞社説)

200億円判決??優れた発明に手厚く
(2004年01月31日 朝日新聞社説)

200億円判決 発明補償は経営リスクだ
(2004年01月31日 毎日新聞社説)

大学内で研究している身でよかった。
(別に儲かる研究してるわけじゃないけど)

企業が従業員の研究に対価を支払うのは当然だろう。なぜこんなに大騒ぎをするのかがわからない。各紙とも、200億円という絶対的な額の大きさに驚嘆しているが、驚き方が間違ってると思う。どうもその報酬を企業が支払うべきだという判決に驚いているらしいが、企業が従業員から得たものに対する代価を払うというのは当然のことではないか。驚くなら、会社の適切なサポートも得られず、むしろ妨害に近い扱いをされていながら独力で成し遂げた一社員の発明の価値にこそ驚くべきだと思う。

劣悪な環境のもとで、600億円とも見積もられる価値をもたらす発明を成し遂げた研究に対する代価が2万円とは、技術大国の名が笑わせる。「会社に対する忠誠心」を振りかざし、利益をもたらす知的財産を搾取する日本企業のあり方は、時代錯誤で腹立たしい。各紙とも、企業に対して、従業員の研究に対して妥当な対価を支払うリスクを説いているが、これは、今まで万引きを繰り返しお金を払ったことがない小学生に対し「これからはちゃんとお金を払わなきゃダメだよ」と諭しているのと何ら選ぶところがない気がする。

企業研究者は短期間、小予算で直接的なカネをもたらす研究を要求される。研究の成果は、もたらされるカネでのみ評価される。当然、求められる結果が研究の方向性や方法を制限することも多々あろう。気の毒で仕方がない。結果として得られる対価で十分に報いられる世の中になるとしても、自分の望む研究が思う存分できないというのは、研究者にとってものすごいストレスではないか。今、私自身が夢中になって追っている研究に対して、「そんな研究はカネにならんから即刻打ち切れ」などと言われたら、途方もない挫折感を味わうと思う。

「まるで日記のように」さんは、この訴訟判決の結果が理系研究に夢を与えるかもしれない、という安直な指摘に対して苛立ちを感じておられるが、まったくもって同感だ。カネに釣られる研究動機など、真の動機ではない。「ほほうこんなカネが儲かるのか」という安易な姿勢でやり抜けるほど、研究は甘くない。新聞という影響力の少なくない媒体ともあろうものが、若い世代を間違った方向に煽るような無責任なコメントを垂れ流すのはいかがなものか。

「得られたものに対して相当する代価を払う」という当たり前のことが徹底していない国だった、ということを明らかにした事例。僕はどうしてもこの事例を研究者の側から見てしまうが、誰か企業経営者の側からこの事例を批判してほしい。この判決に対して如何ほどの論拠を持って反対し得るのかを聞いてみたい。

忠誠心?帰属意識?食ったことねぇから分かんねぇなぁ。

ご苦労様です。

ハイジャックは「禁止」 イスラム権威、巡礼者に異例の説教
(2004年2月1日 産經新聞)

はい。ぜひとも禁止してください。
僕も近々飛行機に乗るかもしれないので。

9.11のテロ以来思うんだけど、一部のイスラム過激派が暴走したおかげで、真摯なイスラム信者はかなり迷惑してるんじゃないだろうか。僕の友達にも一人、イスラム圏から来ているのがいるが、彼は出身国が理由でなかなかビザがおりず、セメスターの終盤になってやっと渡米が叶った。個人的にはなかなかいい奴。迷惑していることだろう。
(だけど、「ラマダンだから」って授業に来ないのはどうかと思うよ僕は)

イスラムの指導的な役割を担う人も大変なんだろうな。イスラムってのは政教分離がちゃんと明確なのかしら。イメージではどうも宗教的指導者が政治的な主導権を握ってる気がするけど。もし政教分離が不徹底なら、不用意に自分の信者の一部を牽制する発言をすると、外交的に欧米に付け入る隙を与えることになるから大変だろうな。

アメリカはまだ1月だぞ

のっけから二日酔い。
昨日ちょっと飲み過ぎた。

今日は近くのカフェにてコーヒー飲みながらネットしてみました。
アメリカは公共の場所にはだいたい無線通信の環境が整ってるので、ワイヤレスでインターネットができる。必要な装備はすべて標準装備されているので、カフェでpowerbookをあけた瞬間にネットワークにつながってビビった。なんのコードもいらない、ホントにただpowerbookひとつでネットできる。
というわけで、カフェでバッテリーコードなしのワイヤレスでインターネットを楽しむというナウなヤングにバカ受けのライフスタイルを楽しんでみました。macって便利だなー。勉強しろよとか言うな。

来週のSyntaxの授業まで読まなきゃいけないペーパーが4本あるんだけど、半分以上は読んだことがあるやつ。今週末は一息つけそう。
仕事が一段落したので、新たなネタを目指してまた論文を読みまくるかな。この調子を持続させたいなぁ。勉強が楽しいってのはうれしい。

知らなかった。

「笑点」のテーマソングって、歌詞があったのか。

泣ぐごいねがー

「鬼」事なかれ主義で減った
(asahi.com 2004.01.31)

人の上に立つ者は、どこかしら鬼でなければならない気がする。

一つの集団を統括し一つの事業を行うとき、上に立つ者に必要とされる能力は様々だろう。先の展開を見抜く能力、個々の能力を把握する能力、事務処理能力など、リーダーシップに必要な力はいろいろある。

中でも重要なのは、「気迫や緊張感をもたらす厳しさ」ではないかと思う。みんなが和気あいあい、仲良しこよしの和やか集団は、大きな仕事を成し遂げることができないと思う。厳しさは、別に大声を出し人を叱り飛ばす尊大な態度とは限らない。もの静かで口数も少ないが、その人のあり方を見ているだけで背筋が伸びてしまうような内に秘めた厳しさもまた、ひとつの厳しさだろう。いずれにせよ、「その人がいるだけで場の緊張が引き締まる」という要素こそ、リーダーシップの条件だ。

みんなに常に愛されるリーダーなど、たいしたリーダーではないと思う。人の上に立つものは、何かしら小さいことでメンバーの反感を買うような「個」を確立してるのではなかろうか。妥協は許さず、緊張感をもたらすためなら意見や注意の口数を惜しまない。しかし同時に、落胆し意気喪失させないように後のフォローに気を配る。こういう厳しさと気遣いの同居が、魅力のあるリーダーの要素であるような気がする。

阪神の星野前監督がピッチャーが投球練習をしているブルペンに姿を現すと、場の空気が一瞬に張りつめたという。怒鳴り散らすでもなく、大声を出すでもなく、黙って投球を見ているだけでピッチャーは「まるで試合本番で投げているような」緊張感に襲われたそうだ。その「鬼」は、ただ厳しいだけでなく、褒めることのタイミングと重要性を心得ていた。星野監督に褒められた選手は、その達成感と充実感だけでシーズン中の気力が充実したらしい。日頃の厳しさが、褒めることの効果を相乗的に高めていたのだろう。

そういえば、ここんところ生活に緊張感がないなぁ。

これ、いいかも

パソコン用語の解説。
実はオレも大いに勉強になる。

いとこ同士

言語学をやってて思うことがある。

世界中の言語を見てみると、やっぱり隣接している地域の言語はよく似ている。相互に交流があったのだろうし、もしかしたら太古の昔には同じ人種だったのかもしれない。脳の作りも似ているんだろう。

日本人である僕は英語がいまいち上達しきれない。なんというか、発音が日本人なのだ。テレビを見ていて日本紹介の番組を見るともなしに流しっぱなしにしてしまうことがあるが(そのあいだにこんなblog書いてたりするんだが)、在米日本人がコメントをしているときにはすぐそれと分かる。発音が明らかにヨーロッパ人と違うのだ。考えてみりゃ、地球の反対側の言葉を使ってるんだ。すぐに流暢になれる方がウソだろう。

ヨーロッパ人は英語がうまい。当たり前のような気がするが、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語などは単語、文法など英語と派手に違う特徴を持っている場合が多い。これはなんとしたことか。
要するに、類似の違いじゃないだろうか。例えば、ドイツ人が英語を学ぶというのは、言ってみればサッカー部だった学生がラグビー部にコンバートするようなものなのではないだろうか。違うスポーツではあっても、どことなくにているところがある。要求される能力がかなり似通っている。それに比べ、日本人が英語を学ぶというのは、言ってみれば剣道部だったのが登山部に転向するようなものではなかろうか。あまりにも特質が違いすぎる。

日本人は文法を叩き込まれて育つため、慣れないうちは頭の中で英作文してから話す癖がある。僕もはじめはそうだった(今は違うのかとか突っ込むなバカ者)。ところが、ヨーロッパの奴らが英語を話すときには、母国語の語順をそのまま使うだけでそのまま自然な文になれるということが多いのではないだろうか。日本語は語順が自由で、

僕が 学校に 明日 荷物を届けに 行く
僕が 明日 学校に 荷物を届けに 行く
僕が 学校に 荷物を届けに 明日 行く
学校に 明日 僕が 荷物を届けに 行く
荷物を届けに 僕が 学校に 明日 行く
学校に 僕が 荷物を届けに 明日 行く
明日 僕が 荷物を届けに 学校に 行く
明日 僕が 学校に 荷物を届けに 行く

要するに最後が動詞でありさえすれば真ん中の語順はどうでもよい。こんな自由奔放な言語能力を持っている日本語話者が、基本的には正しい語順は一通りしかない英語を勉強すると、窮屈さを感じるのはあたりまえだ。ヨーロッパの言語は、おおむね正しい語順が一つに定まっているので、単語を並べて文を作るときに、母国語の能力をそのまま外国語に使える場合が多いらしい。世界共通語とか言っちゃって実はヨーロッパですら通用しないエスペラント語は一応、各国の語順の最大公約数的な文法を持っている。こういう人造言語が曲がりなりにも成立可能なところがヨーロッパ言語の類似性を示している。

実はドイツ人の英語は少し聞きにくい。動詞が最後にくることがたまにあるからだ。語順の差異に敏感なのは専門病かもしれないが、音に対する習熟度もヨーロッパ人とアジア人では異なる。しょせん同じヨーロッパ、言語の持つ音はそれぞれ似通っている。中国人の留学生とヨーロッパからの留学生で、どちらが早く日本語が流暢になるかというのと似ているのかもしれない。

今のヨーロッパは本気でEU統合を考えている。国境がなくなったら、言語的に興味深い融合が起きるのではなかろうか。ドイツ語とフランス語を足して二で割った言語なんて想像しにくいが、時間の問題のような気もする。言語変化は100年単位の大きな流れだが、今の時代はその節目にあたってるような気がする。僕はヨーロッパの新聞の文芸欄を読むたびに、その辺に注目して読んでいる。

今日は飲むぞー!

学会提出、完了。
長い戦いだった。

現段階の時点でできる限りのことはやった。これで落ちたらもうしょうがない。今のオレではこれ以上の分析は思いつかない。

指導教官にいくつか褒められた。単純にうれしい。そのひとつは、絶対否定できないデータと解釈を見つけたこと。分析なんぞ、はっきり言って水物だから、何年かしたら反証されたり論破されたり、いずれ崩される。しかし、データを一つ発見すればそれはずっと残るのだ。分析にはいくらでもケチを付けられても、データは否定しようが無い。僕が発見したデータは、今回の学会に落とされてもどこかで発表して、はやく自分の名を冠するようにしよう。うきうき。

もうひとつは「はぁ?そんなにすごいことか?」と思ったけど、とりあえず褒められた。
それは、形式化の能力。自分で説明したいことを、「だいたいこういうことなんですけどね」という感じで直感的に説明するレベルでは、学会で発表なんぞできない。自分の思考を一般化し、あらゆるケースに適応可能な一般形に結実させることで、思考は形になる。数学や論理学はそのための武器だ。
今回の論文では、僕のアイデアは、任意の項から集合の平均値を引いたものを二乗し、その演算を初項から末項まで足し合わせたものにルートをかける、という操作で一般化できた。何のことはない、ただの標準偏差だ。エクセルなんかでは標準装備されてるほどメジャーな演算。Σ(シグマ)を使えば一行で書ける。日本の高校二年生だったら誰もが知ってる基本的な演算だ。
ところが、アメリカを始めとして世界中の中等教育では、数列でのΣの演算も、確率統計の標準偏差も、常識ではないらしい。「どうやってこれ形式化したの?」と聞かれたから、日本では高校で必ず習う基本的な演算だ、と言ったら驚いてた。そんなもんなのかなぁ。日本の数学教育のレベルは高いと聞いたことがあるけど。でも最近では建前と実態の間の地滑りが問題化してるみたいね。

改善点ももちろんあり。いくつかいただきました。
中でもいちばんアイタタタだったのは

「英語に間違いが多いね」

しょ、精進します!!

うるせぇんだよいちいち

スープのオーダー間違いで告訴 FL
(asahi.com 2004.1.31)

この国の非常に悪い部分だと思う。

何でもかんでも他人の過失につけ込んで少しでも利益を得ようとする。自分の過失を責任転嫁してすぐ他人のせいにする。己の非を認めることは賠償、余剰労働等のペナルティーが課せられるため、とりあえず他人を攻撃することによって「攻撃は最大の防御」に走る。

うんざりだ。

なぜ違うスープを飲むと睡眠障害になるか。
これが裁判になり得るところにアメリカ訴訟社会の醜さがあると思う。407ドルと言えば42000円くらいだろうか。裁判所がこの金額の支払い命令の根拠として「医療費」を挙げるのなら、それは睡眠障害の原因と認めたことじゃないのか。訴える方も訴える方なら、判決を出す方も出す方だ。

得をすることを至上の価値とする貧しい精神のなせる技だろう。
一言で言えば、日本では当たり前の「誇り」がないんだと思う。

何様だ、という気もするけど

米国人酔漢、機内で泣く乳児に水浴びせる 強制送還
(2004.01.30 CNN)

アメリカとブラジルってかなり仲悪くなっちゃうんじゃないの?

僕の研究室にも何人かブラジルから来てるのがいるけど、みんなのほほんとした、むしろのんびりとした人たちだと思うけどなぁ。なんでこんなにピリピリするんだろ。

空港で強制送還、っていうのは結構ヘコむものらしい。経験した先輩がそう言ってた。日本からアメリカに来て強制送還されると、行き帰りでのべ1日半以上飛行機に乗り続ける訳で、体力的な疲労と精神的なショックで結構ボロボロになるらしい。今のご時世では、アメリカは基本的に外国人は全員強制送還にしたいみたい。ボロを出さないやつだけ「仕方なく」入国させてやる、という態度だと思えばあたらずとも遠からず。渡米を考えてる方、間違いなく空港で指紋とられますのでケンカしないようにね。

わーいわーい

ふっふっふ。
買ってしまった。

Powerbook G4 15inch superdrive.

とうとうMacユーザーになってしまった。
まぁ、これも一生懸命勉強している自分にご褒美ということにしよう。(ホントか?)

Macをとりあえず使って思ったこと。

1. 静か。Windows XPを使ってたときのあの「ヴイーン」という大音響がない。
2. フリーズしない。Windowsは複数のアプリケーションを使ったりするとすーぐゴネるけど、Macはけっこう淡々と仕事をこなしてくれる。WindowsのマシンでDVDなんぞ見ようもんならものすごく熱をもって、しばらく電源を切らないといけなかったりしたんだけど、Macはそんなことないみたい。
3. 操作簡単。基本的にずるずるマウスで引っ張ってパッてはなすだけでだいたいの操作ができる。ありがたかったのはPDFにドキュメントを変換するのにナーンの設定もいらないことかな。
4. 数式に強い。コレがMac転向の決断の決定的な理由だったんだけど、もともとWindowsはムカつくほど数式処理に弱い。Wordにはいってる「数式エディタ」ってのはなんじゃありゃ。ズレるし縮むし、PDFにしたら文字化けするし、ハラたつ。その点、Macの数式処理のなんと鮮やかなこと。困っても、Windowsとは比較にならんくらいいっぱい数式処理ソフトが出てる。
5. インターナショナル。Macは全世界の言語に対応しているから、他言語のデータを使う論文でも文字化けしないという利点あり。OSの表示も、日本語と英語で瞬時に切り替え可能だからやりやすい。

それに、なんといってもMac最大の魅力。

美しい。

究極にシンプル。フォルムのデザインからしてPCの追随を許さない。インターフェイスのシンプルさも非常に特記に値する。アプリケーションをあけても、ごてごてと目にうるさいツールバーがなく、必要最低限の表層に押さえる徹底ぶり。当然、マウスは純製のワイヤレス。
友達のことよ嬢がパソコンへのこだわりを熱く語ってるのを読んで「『かわいさ』でパソコンを選ぶだぁ!?」と、ことよ姉さんもとうとうヤキが廻ったかと思ってたんですが、

やっぱりかわいさって重要っすよね。

仙台からなにかアメリカに向けて何か呪いが飛んできそうで怖い。

歴史を学ぶ

2004年1月29日 産経新聞・産経抄

あなたがテロリストで、武装集団を率いてヨーロッパ全域に戦争を仕掛け、欧州の覇権を手に入れ皇帝の座を名乗ろうと試みるとしよう。全ヨーロッパを制圧すべく軍事行動を起こす際、戦略的に必ず守るべき2つの注意点がある。それは何か。

歴史上、全ヨーロッパの覇権を手にしかけた者が二人いた。ところがその二人とも、その「ふたつの重要な注意点」を守らなかったために没落し、敗退したという。

その「ふたつの注意点」とは、

1. イギリスを速攻で潰すこと
2. ロシアを攻めないこと

だそうだ。

ナポレオンはフランスを拠点にヨーロッパを制圧、イギリスの命綱であるインド貿易路を経つため中継地点のエジプトを攻め、ほぼ地中海世界を手中に収めた。しかし、制海権を握られたイギリスを徹底的に叩く機会が得られないまま反撃を許し、ネルソン率いるイギリス艦隊にトラファルガーの海戦で壊滅的打撃を受けた。拡張を東に転換せんと試みた1812年のロシア遠征では、ロシア軍以前に「冬にロシアを攻める」という愚がたたり、ロシア軍の反撃を受け、アウステルリッツの恨みを晴らされるハメになった。以降は連戦連敗。

ヒトラーは電撃戦を展開し、パリを筆頭にワルシャワ、プラハ、ブタペスト、ウィーンなどヨーロッパの主要都市を電光石火で陥落させた。短時間での広域制圧を見るにつけ、この時点でのナチスドイツ軍は史上最強だったと思う。ところがUボートで海上封鎖に成功するものの、イギリス本国を制圧する機会を先延ばしにしたことで、イギリスの反撃準備を見過ごした。東部戦線では1943年2月のスターリングラード攻防戦でロシア軍に完敗。「冬のロシアを甘く見る」というナポレオンの轍を踏み東部戦線が崩壊。挙句の果ては1944年6月にアイゼンハワー率いる連合軍にノルマンディー上陸を許し、翌45年にはソ連軍にベルリンを包囲されることになる。

…という話を、高校のときに世界史の授業で聞いた。おもしろい先生で、「結局、人間っていうのはいつの時代も似たようなことばっかりやってるんだね」ということを、具体的な歴史的事件を例にとり面白く話してくれた。教科書は一切使わない。歴史の時間軸など無視。「今日は人間の嫉妬について話しましょう」「今日は食べ物がなくなると人はどういう行動にでるかという話です」などという切り出し方をする先生だった。「今日はヨーロッパ征服の方法を教えます」で授業が始まった時には本当に仰天した。この先生の授業のおかげで、私は提示された歴史的事実を、自分の実感として整理し消化する方法を学んだ。私は世界史の試験では、センター試験のような知識を問う客観問題は最後まで苦手だったが、国立大学の2次試験の論述問題はけっこう得意だった。今でも僕は、フランス革命からナポレオン戦争終結までの流れと、ヴェルサイユ体制から第二次世界大戦終結までの流れはほぼ完璧に頭の中で押さえてる。授業でおもしろい話を聞いて、詳しい事を知りたくなり、自分で本を読んだのだ。

歴史を学ぶ意義は、「人間の基本的な性質」と「世界の未来に対する指針」を過去の具体的事例から読み取ることだと思う。温故知新という言葉の例えもある。たとえば、人間は平等を正しいと謳いながらもそれを実践はできない。中国の文化大革命や、マルクスの『共産党宣言』執筆からソ連崩壊に至る流れなどを土台に、共産主義の思想と実践のギャップを一般的に昇華させて考えればそれがよく分かる。

戦争も、歴史の中では無数の事例がある。そのすべての事例について、戦争の原因から決着について現象を一般化し、「人はどういうときに争うのか」と考えるのは面白い思考遊戯だと思う。僕の学んだところ、戦争の原因、経過、意義を鑑みるに、そのどれもが当事者にとって「正しい戦争」だったのではないか。間違っていると分かっている、大義のない戦争を仕掛けたという例は歴史上皆無といっていいと思う。戦争が起これば、少なくともその当事者にとってはその戦争は大義にもとるものであり、如何ようにも正当性の屁理屈をつけられるものだ。戦争と関係ない立場から「あの戦争には意味がない」という論調は、その現象ひとつしか見えず、戦争というものはそもそもどういう行為なのかという複眼的視野に欠ける物言いではないか。歴史を紐解けば、すべての当事者にとって戦争は「大義」のあるものだ。そしてそのすべてを客観できる現在の我々にとっては、逆に、あまねく戦争というものに大義など無い。判断者のレベルが違うので、大義とは何かという位置づけが違うのだ。

産経新聞は、野党側の「イラク戦争に大義はあったのか」という問いを「愚論」と一刀両断にしている。野党の問いが愚かである原因は、上述のような視点の欠落にあると思う。イラク戦争に直接関わる当事者としての局地的な視点では、大義などいくらでも並べられよう。逆に、すべての歴史を超越した客観的な視点では、大義のある戦争どない。野党は、どういう視野から問いを発しているのか。仮に、イラク戦争に直接関与する当事者としての局地的な視点だとしたら、大義があって当たり前だし、逆にすべてを超越した客観的な視点だとしたら、戦争に大義などなくて当たり前なのだ。野党側の質問は、「戦争に直接関わる局地的な立場」から問いを発し、「客観的な視点に基づく大義」を求める矛盾した行為だと思う。愚問極まりない。今の日本に必要な行動は、戦争の意義などという幻想をつつきまわし机上の空論に終始することではなく、混迷している世界の現状を地に足をつけて考え、その収束のために成し得ることを具体的に考え行動することだと思う。

国会で国を代表する者の歴史的素養がこの程度である。「高校生の学力が落ち、歴史についての認識能力が落ちたのは危機だ」などと騒いでる場合じゃない。歴史を学ぶことによって得られる思考能力が皆無に等しく、視点を混在させる愚問を発する者が代表者になり得る国の行く末こそが、まったくもって危機だと思う。

うまかった?

赤ちゃん、おしゃぶり代わりにヘビをかむ

 アラバマ州Schillinger Roadで24日、生後11カ月の乳児がジャガイモの袋の中にいたヘビを過ってかんだと、27日付の地元紙が報じた。

 母親がスーパーでテキサス産のジャガイモを購入。袋の中から現れたヘビを乳児がつかみ、口に入れたという。発見した母親が赤ちゃんの手からヘビを取り上げた。赤ちゃんにけがはなかった。

*****************************


お母さん普通だったら悲鳴をあげてヘビを触るどころの騒ぎじゃないと思う。母は赤ちゃんのためならヘビ何するものぞ。強いね。

なにげに普通に書いてあるけど、ヘビの入ったジャガイモ売ってるスーパーってどうよ。
ちゃんと買い物のたびに中身を確認しよっと。

一面真っ白

授業しやがった
大雪なのに。ちっ。

休講を見越して徹夜した身にはちょっとキツかった。学生は、夜はちゃんと寝ましょうねという教訓。学部生どもは結構、思ったよりも来てたな。4分の3くらい。しかし他のTAで来てなかったヤツがいるってどういうことよ。

世界のいろんな国から集まってるだけあって、同僚にはいろんな人がいる。日本人の目から見て、仕事がすごくルーズな人が多い。。会議にも授業にも平気な顔してズル休みする。悪いことだと思ってないみたい。休んでおいて、自分は正等だってことをやたらと主張する。遅刻もものすごく多い。朝一番の授業では間に合う方が少ないって人もいる。30分以上、堂々と遅刻してくる。土日でも研究室に出てくるのは日本人と韓国人だけ。なんかやっぱり出身国の特徴ってのはあるみたい。

Acquisitionの授業が眠かった…。今日は早く寝ようっと…。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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