たくろふのつぶやき

お鍋には熱燗をつけてくれたまへ。

分詞構文の副詞用法

音楽ショップや楽器屋さんで、よく「No Music, No Life」という標語を見かける。


もともとはタワーレコードが作った標語だそうで、「音楽なくして人生なし」という意味。
厳密には、この標語は誰もが勝手に使っていいわけではない。タワーレコードはこの標語の商標権を取っている。しかし、実際には様々なアーチストがこの標語を使用し、タワーレコードも直接の商用ではない限り黙認している、というのが現状のようだ。


しかしこの標語、なぜ「音楽なくして人生なし」という意味になるのだろうか。


命題論理では、ふたつの命題の間の関係は「条件」だけではない。
機械的には、様々な論理関係が成り立つ。

「音楽がない。そして人生もない」(順接)
「音楽がない。しかし人生もない」(逆接)
「音楽がないので、人生がない」(理由)
「音楽がない。なぜなら人生がないからだ」(結果)
「音楽がないとき、かつそのときのみ、人生がない」(必要十分条件)
「音楽をなくすために、人生をなくす」(目的)
「音楽がないとき、人生がない」(時間)
「音楽がないと同時に、人生がない」(付帯状況)

このうち、なぜ「条件」の「音楽がないとすれば、人生もない」という意味になるのか。
この標語がプリントされているTシャツを着てる高校生あたりは、ちゃんと説明できるのだろうか。


学校文法の範疇では、この表現は現在分詞の副詞的用法に属する。
動詞が、ある形態変化を伴って他の品詞に変換されることを「準動詞」という。準動詞の種類には3種類あって、変化できる品詞も三種類ある。

(1) 不定詞 … 名詞、形容詞、副詞に変化。
(2) 現在分詞 … 名詞、形容詞、副詞に変化。
(3) 過去分詞 … 形容詞、副詞に変化。

(1)〜(3)の準動詞のうち、過去分詞だけは名詞にはなれない。
また、現在分詞の名詞用法は、一般的な慣習として「動名詞」と呼ばれている。
現在分詞と過去分詞の副詞用法が使われる構文は、ふたつまとめて「分詞構文」と呼ばれている。

品詞のうち、英語で修飾語になれるものは形容詞と副詞だけだ。形容詞は名詞を修飾し、副詞は名詞以外のすべて(動詞、形容詞、副詞、節、文全体など)を修飾する。
つまり、副詞は「それ以外」の修飾語なので、用法と意味が雑多でごちゃまぜになっている。不定詞の副詞用法と、現在分詞および過去分詞の副詞用法(分詞構文)は、それぞれ意味が多岐にわたる。

・不定詞の副詞用法 … 時、理由、目的、結果、付帯状況
・分詞構文(現在分詞・過去分詞の副詞用法) … 目的、理由、条件、譲歩、感情の原因、判断の根拠

分詞構文のうち、be動詞が分詞になるときは、省略してもいいことになっている。

Written in a clear hand, this report is easy to read.
(きれいな字で書かれているので、このレポートは読みやすい)


つまり、No Music, No Life の節のつながりは、Being No Music, No Life のように、be動詞の過去分詞が省略された分詞構文、と考えられる。
すると意味としては、「目的」「理由」「条件」「譲歩」「感情の原因」「判断の根拠」のどれか、ということになる。

このうちのどれを意味にとるかは、意味上の主語、意味上の目的語、文脈の組み合わせで決まる。
分詞構文の場合、分詞が「主節の主語とは異なる主語」をとる場合、分詞の主語を明記しなくてはならない。しかし No Music, No Life の場合、そもそもの主節に主語がついていない。
よって主節は主語のない「一般概念」。分詞の主語についてもそれと同じ、ということになる。

特定の主語がいないのだから、主観的な意味を表す「目的」「理由」「感情の原因」「判断の根拠」の可能性が消える。
残る意味は「条件」「譲歩」だけだが、「譲歩」というのは論理接続ではなく、文体論的な接続に過ぎない。「条件」に比べると論理性の「強さ」で劣る。言い替えると、「条件」のほうが、適用される現実世界の有様が多く、普遍性が高い。
よって、「条件」の意味を優先的に採ることになる。

かくしてNo Music, No Lifeの意味は、「音楽がなければ、人生もない」という条件節の解釈、ということになる。
この用法は別にタワーレコードが作った造語用法というわけではなく、No pain, no gain (虎穴に入らずんば虎児を得ず)のような文でも使われている。



「音楽でも生き物でもない」と訳したい。

スタンプラリーの目的は

この夏、東京の街を歩いていて気づいたことがふたつある。


ひとつは、夏休み中に電車に乗っている小学生あたりの子供がやたらに多いこと。
まぁ、夏休みだから子供が電車に乗っておでかけするのは当たり前なのだろうが、僕が子供の頃は夏休み中にそんなに電車に乗る機会などなかった。お出かけするときには車が多かったし、都内に出かけるほどの用事は子供にはない。先立つ資金力もない。今時分の子供達は、夏休みに電車に乗っていったいどこにでかけているのだろうか。

電車の子供達をよく見てみると、どうやら鉄道各社が実施しているスタンプラリーをやっているらしい。みなさんお揃いでスタンプ帳などを持参のうえで「次は○○○駅だね!」なんてやっている。
付き添いで付き合うお父さんお母さんはご苦労なことだ。


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ちょっとやそっとの根性で済むイベントではない。 


この鉄道スタンプラリー、最近では毎年当たり前のように行われるようになった。JRだけでなく、私鉄各社も競合するかのごとく右に倣えでスタンプラリーを実施している。
よく考えると、僕が子供のころはこんなイベントはなかった。このスタンプラリーというイベントが隆盛になっていたのは、ここ10年くらいのことだと思う。
いったいどうして、鉄道各社は夏休みにスタンプラリーをこんなに実施するようになったのだろう。


この夏に気づいたもうひとつの点は、外国人観光客が多くなっていることだ。アジア圏だけでなく、欧米系の観光客も多い。増加している外国人観光客は、夏の東京にいったい何をしに来ているのだろうか。

僕に言わせれば、夏の東京なんて、世界で最も観光旅行に向かないところだと思う。なにせ暑い。暑いだけでなく、湿気があり風通しが悪いので、暑さの質が違う。夏休みに海外に避難したいと思うことはあっても、夏休みの東京を満喫しよう、という感覚は、当の日本人には薄い。

国土交通省の管轄内にある観光庁は、2020年の東京オリンピックまでに、外国人観光客4000万人を目標に『明日の日本を支える観光ビジョン構想会議』を策定した。同時に、文化庁も外国人観光客に向けての他言語情報発信の施策(「文化財の多言語解説等による国際発信力強化の方策に関する有識者会議」)を立ち上げた。日本政府は、外国人観光客を誘致する活動を活発化させる方針で一致している。

しかし、たとえば東京に限って観光客誘致のプロジェクトを組むとしたら、具体的には何をすればいいのだろうか。日本の都市開発や都市運営の目標として「外国人観光客誘致」を掲げるとしても、いったいどうすれば日本への観光客を増やすことができるのだろうか。


僕がこの夏気づいた点、
(1)スタンプラリー、増え過ぎじゃないか?
(2)外国人観光客、何しに来るんだ?
のふたつを、同時に説明できる「何か」が、いま東京で起こっていると思う。


外国人観光客はさておき、東京近郊に住む日本人は、夏休みにどこに遊びにいくのだろうか。国内旅行で各地に出かけるのはともかくとして、東京近郊の中でレジャー需要を満たすとしたら、どういう所に遊びに行くだろうか。

レジャー需要の高い高校生・大学生の目線で考えてみると、東京近郊で遊べるところといえば、としまえん、西武園、東京ディズニーランド&シーなどの「遊園地」、上野動物園、多摩動物園、東武動物公園などの「動物園」、サンシャイン水族館、葛西臨海水族館、しながわ水族館、八景島シーパラダイスなどの「水族館」などがあるだろう。

これが、もう少し経済力がついた社会人になると、お金を使った遊び方が増えてくる。ディズニーリゾートに隣接したイクスピアリ、お台場海浜公園、横浜みなとみらい21など、東京湾岸に相次いで建設されたリゾート施設で遊ぶことが多いだろう。

これらの「日本人向けレジャー施設」の共通点は、都心から一段離れた「周辺地」に建設されていることだ。都心にある新興施設としては東京スカイツリーがあるが、あれはもともと公共設備としての役割をもつ電波塔であって、レジャー機能は付加的なものに過ぎない。
東京のレジャー施設が都心からやや離れた近郊地帯にあるのは、そもそもの東京の都市構造に原因がある。

東京は世界でも珍しいほど一極集中型の都市なので、域内に居住空間が充分ではない。そこで都心で働く労働者は、都心からやや離れたところに住むしかない。行政が主導して、ベッドタウンとして住宅団地を相次いで建設した。東は千葉県柏市・松戸市・市川市、北は埼玉県戸田市・越谷市、西は練馬〜所沢、多摩川流域、横浜市港北区などが該当する。これらの町はすべて「都心で働く人のための住居」のために作られたものだ。

これらの地域から都心に通勤するためには、交通の足が必要だ。そのため、これらのニュータウン開発は、私鉄各社が主導して行った。千葉県西部では京成電鉄、東京都西部は西武鉄道、埼玉県越谷市〜草加市は東武鉄道、多摩川流域・横浜市東部地域は東急鉄道が、それぞれ地域開発を担った。日本の鉄道会社が不動産業務を兼業していることが多いのは、そのためだ。

これらの周辺地域にニュータウンを建設したら、移住してくる世代は若年層が中心になる。そのため、若年層や子供の需要を満たすため、レジャー施設が必要となる。これらを建設するためには、土地の制約上、都心側には作れないため、さらに「外側」に建設することになる。
つまり、東京近郊の都市構造は、「都心」ー「ニュータウン」ー「レジャー地域」のように、放射状に広がり、それらを鉄道がつなぐ構造となっている。

問題は、このように作られた「日本人向けレジャー施設」は、外国人に対する訴求力がないことだ。日本に訪れた外国人観光客は、別に水族館や遊園地で遊ぶために来るわけではあるまい。お台場のショッピングモールに行っても、そこに入っているのは自国にもあるショップばかりだ。
日本を訪れる外国人観光客は、「他の国では味わえない、日本だけにあるもの」を楽しみに来日する。その多くは歴史遺産だ。寺社仏閣、歴史的建造物、歌舞伎・相撲などの伝統的日本文化が目当てだ。

そして、そういう伝統的日本文化の表象は、多くが都心に存在する。多くが山手線の内側にある。夏休みに、都心の地下鉄をうろうろする外国人観光客が多いのは、そのためだ。日本人であれば「あることは知っているが、一度も行ったことがない」というところが目当てになる。
外国人向けに発行されている外国語の日本ガイドブックを見てみると、浅草寺、泉岳寺、明治神宮などの寺社仏閣や、迎賓館、浜離宮庭園、国会議事堂、築地市場などの施設が中心に紹介されている。最近では、秋葉原のアニメショップや、神田神保町の古書店街も人気がある。日本では物議を醸すことが多い靖国神社も、外国人観光客にとっては歴史遺産として紹介されていることが多い。

つまり、「日本人向けのレジャー施設」と、「外国人観光客向けの訪問先」は、相互に噛み合っていないのだ。休日の日本人と、外国人観光客は、動線が違う。大雑把に言って、山手線の内側の都心地域は外国人、周辺近郊は日本人、というように、遊ぶ場所の地域分けが明確になっている。

そして、政府は文化事業の方針として「外国人観光客の誘致」のほうを重視しているわけだ。日本人の内需拡大と消費増大を目指しているわけではない。外国人観光客の嗜好を理解したうえで、そこを強化して誘致をはかるためには、具体的にどのような施策を打てばいいのか。

外国人の目当てが歴史的建造物や伝統的文化だとしたら、インフラ整備や新規の建築事業で需要を拡大するのは現実的ではない。新しく何かハコモノを作ることによって誘致をはかるわけにはいかないのだ。方針としては「すでにあるものを有効利用する」しか方法がない。よって、誘致事業の軸は、建築などのインフラ整備ではなく、「内的要因」の充実しかない。
では、その「内的要因」とは何か。

顧客を増やすための鉄則は、「リピーターを増やすこと」だ。日本に何度も来たい、と外国人に思わせることが第一になる。
アジアの観光で日本とライバル関係にある韓国、中国、台湾、香港なども、近年になって外国人観光客が増加している。欧米のオリエンタル趣味を満たすための国としてこれらの国は魅力的らしいが、リピーター率を調べてみると、それらの国を抑えて、日本が最も多い。

日本交通公社が2016年に実施した「訪日外国人旅行者の意向調査」によると、「今後、旅行したい国はどこか」という問いに対して、日本は51%でトップを占めている。
これは、比較として韓国や中国を考えてみると分かりやすい。アジアからだけでなく、欧米からの観光客の意識調査を見てみると、旅行先として日本を希望している旅行者は30%代〜40%代を占めているのに対して、韓国を希望する旅行者は10%代、中国を希望する旅行者は20%代にとどまる。韓国では観光政策として日本をターゲットに定めており、「なぜソウルよりも東京のほうがリピーターが多いのか」という問題に国是として取り組んでいる。

東京が外国人観光客に人気なのは、大きく言えば治安とインフラ充実度が理由だ。東京では、財布を落としても交番に行けば返ってくる。携帯電話を紛失しても戻ってくる国は、世界で日本だけだそうだ。普通の店に入ればぼったくられる危険も少ない。犯罪に巻き込まれる可能性が少ないため、安心して夜遊びができる。ナイトライフが充実しており、深夜でも一人でコンビニまで買い物に行ける。

外国人観光客にとって都市のインフラとは「ホテルのベッドの寝心地」「移動の足が保証されていること」であることが多い。日本は高級ホテルからビジネスホテルまでランクの幅が多く、値段ごとに一定のサービスが保証されている。最近では「雑魚寝でもいいから安いほうがいい」という旅行者向けに、外国人向けのゲストハウスやホステルが多く作られている。「あしたのジョー」でお馴染みの東京都荒川区の泪橋周辺は、現在、ドヤ街用の安旅館が軒並み建て替えられ、外国人向けのゲストハウスが密集している。もともと家内制の零細宿泊業者が多かったことと、外国人向け観光地の目玉である築地市場まで近いことが背景にある。

このような東京の現状で、「さらなる招致誘因の充実を」と画策したときに、これ以上なにができるのか。
外国人向けの東京ガイドブックを読んでみると、かなりの長いページを割いて「交通機関の使い方」を説明している。

つまり、JR、私鉄、地下鉄と様々に分岐した鉄道網。外国人にとっては、悪夢のような地下迷宮に見えるらしい。目当ての場所に行くための一番の障害は、「どうやってそこまで行くのか」という鉄道路線の乗り継ぎだ。日本は世界の都市と比べてタクシー料金がダントツで高いため、外国人観光客は基本的に移動には電車を使う。

ガイドブックや地図だけを見て東京の複雑な路線を乗り継ぐのは、地方出身の日本人でも難しい。ましてや、日本は言語的に孤立した国で、基本的に日本語以外は通じない。職員に乗り換えを訊いたとしても、言葉が通じるとは限らない。東京が「旅行しやすい街」を目指すときには、外国人にとって電車の乗り換えがしやすい環境をつくらなくてはならない。端的に言うと、外国人に対する駅員の説明能力を上げる必要がある。

これは鉄道会社の側の立場にたってみると、改善の方法が見えてくる。外国人は日本に不慣れなので、土地勘がなく地名に疎い。だから駅員は、交通の理解度が低い相手に、丁寧に乗り継ぎを説明しなくてはならない。駅員はプロの専門家だから、乗り継ぎの方法を自分では理解しているが、それを「訳わかっていない聞き手に分かりやすく説明する」という説明の技術が必要になってくる。そのためには練習が必要だろうし、継続的で実習的な訓練も必要になる。

夏休みのスタンプラリーは、そのためのものではあるまいか。スタンプラリーに参加するのは、ほとんどが子供だ。ポケモンだの妖怪ウォッチだの、キャラクターのスタンプを使用しているのは、対象者を子供に絞って「地理的理解の低い乗客」を想定するためではあるまいか。子供は脳内に地図ができあがっていないので、たとえば池袋ー新宿ー渋谷の位置関係など理解できない。山手線のどっち側に東京駅があるのか、中央線と総武線の停車駅はどう違うのか、一切知らない。そういう「理解力の低い乗客」に丁寧に説明することで、土地勘がなく言葉が通じにくい外国人観光客に対する、駅員の説明力を高めようというのが、スタンプラリーの本当の目的ではあるまいか。 つまりスタンプラリーの本当の目的は「乗客・子供を引き込む利用者促進のため」ではなく、「駅員の訓練のため」と考えられる。

今年の夏、鉄道各社が実施しているスタンプラリーのなかで、ひとつだけ東京メトロのスタンプラリーだけが異色だ。他の鉄道各社がポケモンなどの子供向けキャラクターを使用しているのに対し、東京メトロのスタンプラリーだけは、1980年〜1990年代の「往年の少年ジャンプのキャラクター」を使用している。「ドラゴンボール」「魁!男塾」「シティーハンター」「スラムダンク」「ろくでなしBLUES」「北斗の拳」「キャプテン翼」「キン肉マン」などの作品は、いまの子供にとってリアルタイムの作品ではなく、それほどテンションが上がるものではあるまい。使用しているキャラクターを見る限り、東京メトロのスタンプラリーの対象は、30代〜40代の大人だと考えてよい。

なぜ、東京メトロだけ大人を対象としたスタンプラリーを実施したのか。
説明の難易度の違いだろう。路線図で説明しやすいJRや、直線路線が多い私鉄各社とは異なり、複雑に入り組んだ東京メトロの乗り換え説明は、段違いに難しい。小学生の子供にいきなり大手町駅の乗り換えを説明するのは、ハードルが高すぎる。だから駅員の側が、段階的に説明力を上げていくためには、まず「ある程度の地理的感覚のある大人に説明する」という段階から入ったほうが現実駅だろう。駅員の側が、大人に説明できるようになってから、順次子供を対象とするように移行していくのだと思う。だから予測として、近年中、少なくとも2020年までには、東京メトロのスタンプラリーも、子供を対象としたものに変化していくと考えられる。

東京メトロは、2016年の秋にもスタンプラリーを実施している。その時に使用したキャラクターは「魔法つかいプリキュア」。期間は2016年9月17日から10月30日までで、これは夏休みが終わり、小中学校がすでに始まっている時期だった。
キャラクターから考えて、対象となるのは、小学生の女の子か、大きなお友達の方々だろう。男の子であれば友達同士でスタンプラリーをやるかもしれないが、小学生の女の子にとっては子供同士でスタンプラリーをするのはハードルが高かろう。週末をつかって、お父さんと一緒にやるだろう。また大きなお友達の客層は、アニメ好きと鉄道好きの分布が重なっている層がスタンプラリーに参加すると予測できる。どちらにしても、乗り換えを駅員に訊いてくるのは大人になる。いずれにしても、「乗り換えを、とりあえず大人にわかりやすく説明する」という目的に沿っている。

最近の外国人観光客の中には、東京のダンジョン的な地下鉄そのものを目的とする観光客が増えているのだそうだ。「路線の全線を制覇する」という剛の者もいる。どの国にも「鉄ヲタ」はいると見えて、東京の鉄道網はその趣味の方々にはたまらないらしい。最近の外国人向けガイドブックでも、東京の地下鉄は「迷う可能性がある」という否定的なニュアンスではなく、「挑戦してみよう!」のようなアグレッシブな書き方に変化している。

道に迷ったとき、外国人を見るや「知るか、自分で探せ」という素っ気ない対応をするのではなく、地図を示して懇切丁寧に説明してくれる駅員が増えれば、東京という街の印象がよくなる。そういう人的サービスの充実が、リピーターの増加につながる。海外旅行をしたとき、街の印象というのは、建物の印象ではなく、人の印象であることが多い。そういう「人的能力の育成」が、インフラ整備とは別に、東京の観光客誘致の根幹にあるような気がする。


スタンプラリーと外国人観光客、どっちもこの夏の東京でよく見かける光景だが、ある変化が起こるとき、そこにはだいたい共通の背景がある。そういう流れをよく見てみると、「いま何が起きているのか」「これからどうなっていくのか」が把握できる。



今年もやろうと思いつつもやらずに終わりました。

天空のペンギン

池袋のサンシャイン水族館へ行ってきました O(≧▽≦)O


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お目当ては当然コレです。



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おお、あれが天空のペンタン水槽。



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ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ



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気持ちよさそうに泳いでいらっしゃる。


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フィーディングタイムは欠かさず見るのだ。



さすが夏休みだけあって、子供連れ家族やカポーの皆様などで大変な混みようでした。
しかしアレですな、水族館の歩き方が分かっていらっしゃらない方が多いようですな。要領を踏まえず、右往左往している家族連れが多く見られました。
えー、そこで不肖たくろふが、水族館を歩くためのコツをアドバイスいたします。 


(1)前売券を買っておく
だいたい夏休みの水族館なんて混むもんです。だいたい混みます。しかし、館内が混むのは如何ともし難いとしても、事前の準備で混雑をやり過ごすことができます。

だいたい、いちばん最初に混雑するのは入館券を買うためのチケット販売窓口なんです。そこで長蛇の列に並ぶと、入る前に疲れます。
だから、あらかじめ前売りの入場券を買っておきます。最近ではインターネットでもコンビニでも、どこでも前売券が簡単に買えます。その入場前売券を買って、窓口の混雑をスルーするのであります。さもないと 

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こんな羽目になります。 



(2)イベント時刻表を事前にチェックする
水族館の歩き方は、イベント時刻表がすべてを左右します。水族館では、ただ漫然と水槽を見て歩くのではなく、アシカのショーとか、シャチやイルカのアクロバットとか、餌やりイベントとか、ペンギンの行進とか、様々なイベントが時間帯に分かれて場所ごとに行なわれています。
 
なので、まずそのイベントの時間と場所をチェックしておきます。
インターネットで当日の時間割は手に入ります。 
 

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こーゆーの。 


(3)動くパターンを時間ごとに決めておく。
イベント時刻表が手に入ったら、Webサイトから館内地図をダウンロードして、時間ごとにどこに移動するのか、行程表を組みます。ワレワレ水族館の専門家が言うところの動線を引くというやつです。

様々なイベントを取捨選択して、複数回行なわれるイベントでは見る回を限定して、何時にどこに動くのか、地図にバンバン書き込んでいきます。常設展示の水槽というものは、イベントの隙間に休憩がてら見るものであります。 


ここまでが準備です。家を出るまでにここまでは最低限やっておくべきところであります。
他にも、夏は水分補給が必要ですので、休憩がとれるところの場所確認、自販機の場所、食事のできる所などもチェックしておきましょう。 


で、サンシャイン水族館ですが。
来るたびに凄いなぁと思うんですよね、この水族館。僕が子供の頃からあるからもう数十年経ってると思うんですが、そんな年月、設備が維持できるのが凄い。

だいたい水族館ってのは海の近くにあります。館内の水槽を維持するためには大量の海水が必要だからです。しかし、サンシャイン水族館ってのは都心の真ん中にあって、海からかなり遠いところに立地しています。僕の知る限り、世界の水族館の中でもこんな所に位置している水族館は他にありません。 

だから当然、使用する海水はどこかの海から運搬していることになります。その費用を考えると、維持費だけでも相当な金額がかかるんですよね。陳列する生物を厳選して、飼育のノウハウをきっちり立てないと、こんな場所に水族館なんて存続できるはずがないんです。 

また、ビルの10〜11階にある水族館ってのがまた凄い。
ちょっと考えれば分かるんですが、水族館ってのは重いんです。大量の水を貯蔵しますから。建物的に、かなり強固に設計しなければ、底が抜けます。

サンシャイン国際水族館の場合、どのくらいの水が貯蔵されているか。
僕は今回、水槽を見て回って、水槽の数を数え、それぞれにどのくらいの水が貯蔵されているのかを見積もってみました。表に出ている展示用水槽だけでなく、裏手には待機水槽や設備用水槽などもあるでしょうから、実際の水量は展示で見られる水槽の1.5倍から2倍くらいはあるでしょう。それらをもとにフェルミ推定してみると、サンシャイン水族館の総水量はだいたい1000tくらいあると思います。 

しかも、サンシャイン水族館の下は、ワールドインポートマートという、普通の商社のオフィスがいっぱい入ってる場所なんですよ。
オフィスの真上に1000tの水ですよ。常識じゃ考えられないでしょう。怖くないんですかね。
まぁ、火事にでもなったら水は大量にありそうですけど。 

だからサンシャイン水族館は、そういう構造に耐えられるように建築が設計されています。水槽を見て回るとき、水槽の中の魚さんたちを見て回るうちは素人です。
ワタクシのような水族館マニアとしましては、水族館の建築的側面、耐重量構造を注視して回るのであります。水槽に熱中している子供達を尻目に、壁やら柱やらを熱心に見て回るのであります。 


ちょうど夏休みでもありますし、今年も充実した水族館ライフを送りたいと思う所存であります。 



でも嫁さんがそれぞれの季節につき一館だけだって

誰を選ぶか

世界の指導者を選ぶときがやってきた。あなたの一票は、貴重な一票である。
以下は、候補者に関する情報である。


候補者A:
不正な政治家とつながりがあり、占星術者に助言を求める。 彼は二人の愛人を持っていた。
また、チェインスモーカーで、一日に8~10杯のマティーニを飲む。

候補者B:
会社を二度クビになった。いつも昼まで寝ている。
学生時代には阿片をやっていた前歴がある。 一晩に1クオート(約1リットル)のウィスキーを飲む。

候補者C:
彼は勲章を受けた戦争の英雄である。 菜食主義者で、タバコは吸わない。
ビールをよく飲むが、これまで浮気をしたことはない。


これらの候補者のうち、あなたは誰を選ぶか?



候補者Aは、フランクリン・D・ルーズベルト
候補者Bは、ウィンストン・チャーチル
候補者Cは、アドルフ・ヒットラー



政治能力とまったく関係ない個人的な好き嫌いで投票する人が多過ぎる。

東京メトロ スタンプラリー 2017

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どう考えても「かつての少年」が対象だろ。

EU内格差

スペインの有名な車メーカーといえば、何だろう。


ヨーロッパといえば先進的な地域だというイメージがあるが、その内部では思わぬ格差が生じている。一般に、経済が潤っている金持ちの国は、イギリス、ドイツ、オランダ、ベルギーなど。逆に経済が停滞し生活が苦しいのは、スペイン、イタリア、フランスなど。地図上で言うと、おおよそ北部のほうが金持ちで、南部のほうが貧乏、という格差がある。

身も蓋もないことを言ってしまえば、「ヨーロッパでは地下資源が北部に集中しているから」なのだが、それだけが理由ではない。経済格差の分布は、そのまま宗教上の分布と一致する。金持ち国の多くはプロテスタントで、貧乏国の多くはカトリックだ。
マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(通称『プロ倫』)で、その宗教上の分布と経済力の分布が一致するしくみを説いている。

もともとキリスト教というのは原始的共産主義で、財産はすべて共同体の共有だった。個人の蓄財は認められず、個人の経済活動はすべて「共同体への奉仕」だった。そこから「清貧」という道徳律が生まれ、財産の貯蓄を蔑む価値観が生まれた。

その伝統的道徳律が、宗教改革を機に一転する。 カルヴァンは「予定説」を唱え、「神の救済対象はあらかじめ決まっており、個人の努力では変えられない」と主張した。神が救済の対象とするものは、現世での行いとはまったく関係ない。悪いことをしても「救われることになっている人」かもしれないし、良いことをしても「ハズレ」かもしれない。

これは仏教的な「因果律」(善行に励めば救われる)とは対極の考えであり、このままでは道徳律に結びつきにくい教義だった。現世での行いが救済に関係ないのであれば、悪いことをしても構わないじゃないか、というモラルにつながる。

そこでカルヴァンは理屈をひねる。人は神の意思を知ることはできない。しかし「神によって選ばれた人間であれば、人はその意思に沿った行いをするはずだ」と唱えた。これは「善行→救済」ではなく、「救済→善行」というベクトルに因果関係を逆転させた考え方だ。思考の逆転換と言ってよい。

このカルヴァンの説によって、労働とは「金儲け」ではなく、「禁欲的で真摯な奉仕」である、という道徳律が完成した。労働の結果として得られる対価は単なる結果論に過ぎず、労働とはもともと「宗教的な使命感」で行なうべきものである。しかし、結果として得られた対価は「自分がどれだけ神に真摯に向かい合ったか」を示すバロメータなので、肯定的に捉えてもよい。

実際のところカルヴァン主義というのはやたらと禁欲的で、言葉の上では個人の蓄財を否定するものだった。プロテスタントではあるが、カトリックと同じく「人が苦しい思いをすることを良いことだと考える宗教」であったことには変わりない。しかし理屈の上では紆余曲折しているが、カルヴァンの説はつまるところ「金儲けに励んで蓄財をしても良い」ということだ。露骨にそうは言っていないが、結果としてはそういうことになる。これは従来のキリスト教の価値観とは正反対の考え方だ。

従来のキリスト教では、日が昇ったら労働し、おしゃべりしながら適当に働き、お昼になったら昼寝をし、夕方になったら仕事を終える、というのんびりしたものだった。今でもスペイン、フランス、イタリアなどのカトリックの国ではそうした労働観が生きている。こうした労働のあり方というのは、人間性にとっては非常によいものではあり昨今の日本は見習うべきところでもあろうが、生産性は低い。爆発的な経済発展にはつながらない。

一方、カルヴァンの予定説を演繹すると、「働け働け、それが神の意思に沿って生きることだ」となるため、この道徳律は結果として、人類の中に眠っている莫大な生産性を引き出した。ドイツ、イギリスなどのプロテスタントの国々が「勤勉に働く国民性」というイメージがあるのは、そのためだ。その宗教的観念が、現代的な資本主義の精神的な礎となった・・・というのがマックス・ヴェーバーの説だ。

実際には、『プロ倫』の理屈は現実を反映していないところもあり、批判は数多い。またプロテスタントの中でもカルヴァン主義はきわめて少数派であり、影響力という点でも疑わしいところがある。しかし、そういう難点を差っ引いても、『プロ倫』の問題意識の持ち方と、思考の方向を裏返す発想のユニークさは、充分に面白い。「宗教」と「経済」という、まったく関係なさそうなふたつの現象を結びつける発想は、現代的な観点から見ても感心する。


翻って昨今、EUによってヨーロッパの経済は統合に向かっている。域内の関税は撤廃され、ヒト、モノ、サービスの流動性が高まり、経済が一国単位では成り立たなくなっている。
そこまでは常識の範疇だろうが、このEU統合の流れは、これまで分断されていたカトリック、プロテスタントという両宗派の統合をもたらす、ということに注目していない人は多い。

もし『プロ倫』の考え方が正しいとすると、宗教のあり方は経済のあり方に影響する。そこに経済のほうを統合してしまうと、根っこになっている宗教が、対立要素を残したまま統合の必要性に直面する。現在のEUは、その経済的な効果のほうが喧伝されているが、その根っこになっている宗教観や道徳律まで、統合に向かっているのだろうか。


表3-1は、EUの加盟国であるドイツ、フランス、スペインについて、2011年時点でのEU域内相手とEU域外相手に分けた貿易額、および、各国のEU域内相手とEU域外相手を含めた輸出上位品目を示している。なお、貿易収支はそれぞれの輸出と輸入の差額である。

(1)スペインとフランスはいずれも貿易収支が赤字であるが、フランスでは、その赤字の多くがEU域内との貿易で生じている。フランスの貿易で、EU域内との貿易赤字が最も大きいのは機械類や輸送用機器であるが、これらもEU域外との貿易収支は黒字となっている。こうした現象が起こる理由として考えられることを、2行以内で述べなさい。

(2)スペインには、世界的に知られている自動車のブランドが見られないのに、自動車が輸出第1位となっている。その理由を、スペイン国内外の状況にふれながら、3行以内で述べなさい。


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東京大学2014年、地理の問題。
表に出ている国のうち、設問対象になっているフランス、スペインと比較の対象として挙げられているのが、プロテスタントのドイツ。明らかに、『プロ倫』で説かれている経済格差を下敷きにした設問だ。

問題そのものは難しくない。問(1)では親切すぎるヒントが与えられているし、問(2)もスペインの雇用状況や移民問題などを知っていれば演繹的に解ける。 ともに、「知らなくても、考えれば分かる問題」だ。

問(1)では、わざわざ問題文に「フランスの貿易で、EU域内との貿易赤字が最も大きいのは機械類や輸送用機器であるが」と書いてある。ヒントとして、わざとらしい。
フランスで機械類や輸送用機器、とあれば、フランスが誇る輸送用旅客機の巨大メーカー、エアバス社を想起するのは簡単だ。アメリカのボーイング社とともに世界の旅客機のシェアを二分している。エアバスの本社は、フランスのトゥールーズにある。

エアバス社は、フランスだけでなく、ドイツ、イギリス、スペインのメーカーで共同出資する国際企業だ。EUの4カ国が集まったのは、そうしないと莫大な資金力を誇るアメリカのボーイング社に対抗できないからだ。もともとエアバス社は、経済規模からしてボーイング社には到底及ばず、そのまま戦えば生産競争に負けるのは目に見えていた。そこで各国のメーカーがそれぞれの飛行機部品を開発し、それをフランスに持ち込み、組み立てるという分業体制で生産を行なっている。域内関税が撤廃されたEUだから可能なやり方だ。

つまり、フランスが輸入している機械類というのは、「各国で作った飛行機部品をエアバス本社に持ち込んでいる」ということだ。別にフランス国民が消費するための機械類ではない。それをフランス国内で組み立て、EU域外の国々に売る。日本の航空会社もエアバス社の飛行機を買っている。

解答(1)
飛行機部品の組立て工場がEU加盟国に分散し、分業で生産した機械部品を輸入しており、完成品の旅客機をEU域外に多く輸出しているため。



問(2)を見て、「はて?」と首をひねった受験生も多いのではないだろうか。多くの受験生は、まずスペインが自動車輸出のトップランクに位置することを知らなかったのではないか。ヨーロッパの自動車メーカーといえば、ドイツのベンツ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲン、イギリスのロールスロイス、ベントレー、ランドローバー、フランスのルノー、シトロエン、プジョー、イタリアのフィアット、フェラーリ、ランボルギーニ、アルファロメオなどが思い浮かぶが、スペインの自動車メーカーと言われても「知らんなぁ」という人がほとんどではないか。

有名なメーカーがない、ということは、スペインのメーカーが作っているのではなく、国外の企業の受注で作っている、ということだ。問題文にもご丁寧に「スペイン国内のメーカーのことを考える必要はありませんよ」という趣旨のヒントが書いてある。
スペインという国は、『プロ倫』でマックス・ヴェーバーが予測した通り、EU内では「Bランク」に相当する経済国だ。ドイツ、イギリスなどの「Aランク」国よりも、経済格差がついている。

つまり、「Aランク国」からしてみれば、Bランクのスペインは、人件費が安い。スペインは地域的に対岸のアフリカに近く、安い労働力となる移民が多い国でもある。
自国よりも安い人件費で安価に組み立て作業ができ、かつ関税がかからないのであれば、組立て工場はスペインに作ったほうが安い。EU域内だけでなく、アメリカや日本の自動車メーカーもスペインに工場を作り、そこで生産した製品を関税なしでEU域内で売りさばいている。

解答(2)
スペインでは賃金水準が低く人件費が安いため、諸外国が自動車メーカーが進出し生産工場を作り、EU枠内に無関税で売っている。他に特筆すべき産業が少ないため、結果として自動車メーカーが輸出額上位になる。


状況は、今の中国と似たようなものだろう。中国が経済大国となったことは疑いないことだろうが、では中国で有名なブランドは何があるか、と言われると返答に窮する。中国は別に自国でブランドを立ち上げて自国製品を売っているわけではない。安価な労働力に目をつけた先進各国に工場を作られ、他国の製品を作らされているだけだ。

「形を変えた植民地化」だと思う。帝国主義時代の植民地は、産業革命を達成した国による現材料調達と売り込み市場の必要性と、産業革命以前の国による軍事的な膨張政策の、いずれかが背景にあった。現在では、経済格差から人件費に格差が生じ、他国製品を作らされる工場の立地となる。「グローバリズム」と言えば聞こえは良いが、「関税を撤廃して売りさばきやすくする」「現地国の産業育成を阻害して、自国製品を流通させる」という点では共通だ。

この時代の流れに、元祖・植民地大国のイギリスが離脱したのは、面白いというか、皮肉に見える。自国の地理的ハンデを植民地政策で補い、大国にのし上がったイギリスが、こういう方法を取れない「EU離脱」に舵を切った。実際のところ、イギリスがEUを離脱した国民感情の大部分は「充実した社会保証に群がる移民に対する嫌悪感」であって、こうした経済的なメリットを勘案して判断した国民はそれほど多くなかろうが、国民投票前にもこういう経済面でのデメリットは主張されていた。

こういうEU域内の「格差」は、EU拡大に従って循環的に派生するものだろう。例えば2004年の第五次拡大で、東欧諸国が大挙してEUに加盟した。その中には、自動車産業の大国チェコが含まれている。安価な労働力だけでなく、蓄積した技術力と販売網、安価な製品価格によって競争力を増し、旧西側諸国に市場を拡大している。自動車メーカーも、スペインよりも安価な人件費で済む東欧諸国は、企業進出先の候補として魅力的だろう。もし各国メーカーがスペインを切って東欧に拠点を移した場合、はしごを外されたスペインに残る産業はなにもない。

こうした歪みは、マックス・ヴェーバーの時代とはまた違った形での経済格差を生み出すことになるだろう。プロテスタントとカトリックという違いでの経済格差は、EUの統合によって均一に均されているかと思いきや、それとはまた違う軸で経済格差が生じている。人件費の高低というのは、経済学上では何の疑いもなく使われているが、冷静に考えてみれば「人の価値に値段をつけている」ということだ。EUのように、制度上、機械的に統合をすれば、その中の状況までが均一になるわけではない。スペインの場合、「関税の撤廃」という一見平等に見える制度が、却って域内格差を広げる原因になっている。

今のヨーロッパは、今や新しい『新・プロ倫』で捉え直すべき局面にさしかかっているのだと思う。地理的に遠いので生活実感としては薄いが、数字だけを見ても、今のヨーロッパは「統合」「グローバル化」の大合唱のもと、こうした「大企業にとって都合の良い不均衡」がひそかに蓄積してはいないか。ヴェーバーが「信仰」と「蓄財」の関係をひっくり返したように、現在のEUでも「統合」と「経済」の関係が逆転するような何かが出てくるような気がする。



これを2014年の時点で出題する先見性。

栄冠は君に輝く





開幕。
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改正組織犯罪処罰法、成立

権力の病弊 「共謀罪」市民が監視を
(2017年06月16日 朝日新聞社説)
テロ準備罪成立 凶行を未然に防ぐ努力続けよ
(2017年06月16日 読売新聞社説)
「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念
(2017年06月16日 毎日新聞社説)
あまりに強引で説明不足ではないか
(2017年06月16日 日本経済新聞社説)
テロ等準備罪成立 国民を守るための運用を 海外との連携強化に生かせ
(2017年06月16日 産経新聞社説)
「共謀罪」法が成立 「私」への侵入を恐れる
(2017年06月16日 東京新聞社説)



改正組織犯罪処罰法が、参院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。そのことに関する各社の社説。
産経、読売の保守紙が賛成、朝日、毎日、東京の左派系が反対、という非常にわかりやすい対比となった。

当該法の成立をめぐっては、以前から政党間で揉めており、それに影響されて法案そのものが紆余曲折するという異様な事態だった。
国会では、過去3度にわたって「共謀罪」の制定が廃案になっている。野党は「思想に対する取り締まりだ」「私人への監視を強める悪法だ」と攻撃し、なんとかしてテロを法律で封じ込める案を廃止させたい勢いだった。それに懲りたのか、金田勝年法相は「共謀罪」という名称を必死に否定する答弁を繰り返した。この自民党の姿勢については、産経新聞が「明らかに答弁能力を欠いた」と批判している。
また巷の言説では、今回の法改正を、治安維持法の例になぞらえて「悪法の成立」と吹聴する輩が跋扈している。

まぁ、賛成派も反対派も、それなりの根拠と言い分があるのだろうが、議論の方法論として見る限り、賛成派の圧勝だろう。というよりも、反対派の論拠がお粗末極まりない。
まず反対派は、法改正案の妥当性そのものを議論するよりも、読者の印象を操作する姑息な手段に終止している。それは各紙の書き出しを見れば分かる。

「「共謀罪」法が成立した。」
(朝日新聞)

「「共謀罪」法の成立 一層募った乱用への懸念」
(毎日新聞 見出し)

「「共謀罪」が与党の数の力で成立した。」
(東京新聞)


注意しなくても分かるが、左派系各紙が「共謀罪法」と書く時には、必ず「共謀罪」という部分をカッコに入れて書いている。理由は、実際に成立した法案はそんな名前ではないからだ。今回成立したのは「改正組織犯罪処罰法」であって、そこで定義されている罪状は「テロ等準備罪」だ。共謀罪などという名前はどこにも出てこない。

これは読者の恐怖心を煽る印象操作に他ならない。反対派各紙が「共謀罪」という名称を使いたがるのは、そこから治安維持法のような悪法を想起させ、「政府や警察が市民を監視・圧迫する悪法」という印象を植え付けたいからだ。
成立した法案の名称も正確に書かない新聞の記事に、信頼性があるわけがない。「共謀罪」という名称を使う胡散臭さは、読売新聞が指摘している。

実際のところ、民進・共産をはじめ野党が法改正に反対なのは、何のことはない、テロ対策の法案を作られると困るからだ。なにせ民進党は党首からして日本国籍をいまだに証明していない。事実上、中国、朝鮮半島の意向をそのまま反映している党と見てよい。隙を見ては尖閣諸島に不審船を出没させ、折に触れては竹島にちょっかいを出す国にとっては、組織犯罪防止法を制定されてはとても困るだろう。
しかし、そのことをストレートには口に出して言えない。そこで野党は「一般市民に害が及ぶ悪法」というイメージを広める戦略をとった。そこで例に挙げたのが治安維持法だ。

策としては下の下だが、これで騙される国民もいるだろう。実際のところ、学校で日本史と公民を勉強したことのある日本国民であれば、治安維持法と今回の法改正案の違いは簡単に分かる。
治安維持法の場合、制定目的が「国民の統制」だった。背景としては当時、世界を席巻していた共産主義の蔓延がある。それを「防ぐ」ために国民の思想統制をするのが目的だった。力の作用としては「国の内側」に向かっていた法律といってよい。

一方、今回の改正組織犯罪処罰法は、テロの趨勢が世界的規模に拡大した現状を受けている。事実上、現代のテロを一国規模で防ぐのは無理なのだ。世界のテロ組織が日本でテロ活動を行なう拠点づくりをすることを防ぐのが、今回の目的だ。いわば「国の外側」を牽制するのが目的といってよい。

改正組織犯罪処罰法の目的は、日本国内のテロ活動を直接的に抑制する治安活動を保証することではない。本当の目的は、187カ国が加盟している国際組織犯罪防止条約の締結を可能にすることだ。現在、国内にテロ防止法をもたない日本は、この条約締結の要件を満たしていない。国連加盟国の中で未締結なのは、日本、ソマリア、南スーダンなど11か国に過ぎない。つまり今の日本では、国際規模のテロが計画されても、それを海外と連携して防ぐ手段を持たない。ましてや、日本はラグビーW杯や東京オリンピックを控えて、対外テロに備えなくてはならない時期だ。法案の成立が必要なのは、当然と言えば当然といえる。

つまり改正組織犯罪処罰法が狙っている犯罪者層は、「日本国民」よりもむしろ「日本に潜入してテロを行なう外国人」のほうだ。その法案廃止を訴える民進党は、移民の促進を公約に掲げ、日本国内の自衛力を弱体化させる方針をとっている。あまつさえ、法案を「治安維持法」に例えて悪法扱いだ。外国からのテロ抑制を、日本国民への弾圧に話をすり替える印象操作を行なっている。

そういう背景から各紙の書き方を見てみると、反対派は例外なく「事実に基づく議論」をかなぐり捨てて、印象とイメージから法改正案を「悪法」と断じる書き方をしている。
まったく問題にならないのは東京新聞だ。これはポエムであって、社説ではない。事実を詳細に検証すると自説のボロが出てしまうので、それを怖れて最初から最後まで印象操作に終止している。

例えばこんなケースがある。暴力団の組長が「目配せ」をした。組員はそれが「拳銃を持て」というサインだとわかった。同じ目の動きでも「まばたき」はたんなる生理現象にすぎないが、「目配せ」は「拳銃を持て」という意思の伝達行為である。目の動きが「行為」にあたるわけだ。実際にあった事件で最高裁でも有罪になっている。」
(東京社説)


たとえ話を使うのは、事実そのものよりも、印象を植え付けることによって、「なんとなく分かった気にさせる」のが目的だ。だから宗教家はよくたとえ話を使う。新約聖書のキリストだって問答にはたとえ話ばかりで答えている。少なくとも、たとえ話というのは、事実に基づき意見を述べる社説で使っていい書き方ではない。最初から議論を放棄している態度だ。

身に覚えのないことで警察に呼ばれたり、家宅捜索を受けたり、事情聴取を受けたり…。そのような不審な出来事が起きはしないだろうか。冤罪が起きはしないだろうか。そんな社会になってしまわないか。それを危ぶむ。何しろ犯罪の実行行為がないのだから…。
(東京社説)


「改正法の内容なんて、読者はどうせろくに知らないだろう」という、読者を最初からバカにした態度。実際のところ今回の法改正は、あくまでも犯罪の成立要件や刑罰を定めた実体法に過ぎない。捜査手続きは従来の刑事訴訟法に基づいて行われ、政府や警察が新たな捜査手段や鎮圧手段を手にするわけではない。

読売新聞はこうした脅迫記事に対して「こうした説明により、摘発対象が明確になったのではないか。『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」と断じている。法律の実際をもとに判断する限り、読売新聞の圧勝だろう。勝負になっていない。

朝日新聞は、この法案を押し通した自民・公明の強権姿勢を批判している。法律の必要性は認めざるを得ないが、その決定のしかたが問題だったのではないか、という書き方だ。着地点を自民党批判にもってくるあたり、いつもの朝日新聞の書き方だが、東京新聞よりは一億倍くらいはまともな書き方だろう。

しかし、その内容にはやはり「はじめから自民・公明批判ありき」の姿勢がにじみ出る。しかも、攻撃するべき所が違う。

その際大切なのは、見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢だ。どの法律もそうだが、とりわけ刑事立法の場合、独善と強権からは多くの理解を得られるものは生まれない。その観点からふり返った時、共謀罪法案で見せた政府の姿勢はあまりにも問題が多かった。277もの犯罪について、実行されなくても計画段階から処罰できるようにするという、刑事法の原則の転換につながる法案であるにもかかわらずだ。
(朝日社説)


今回の法改正過程では、野党の側が、朝日のいう「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」をとっていたとは言い難い。野党は法の妥当性を審議する、というよりも、はじめから「廃止あるのみ」という姿勢で臨んだ。立場上、成立しては困る法案だったからだろう。審議拒否をくり返し、話が通じないと分かると女性議員で「女の壁」をつくり、与党議員が審議場に入場するのを強行阻止しようとする醜態を晒した。これが「見解の異なる人の話も聞き、事実に即して意見を交わし、合意形成をめざす姿勢」なのか。議論を通じて法の妥当性を審議する姿勢を軽んじていたのは、公平に見る限り、野党のほうだっただろう。

政治家同士の議論を活発にしようという国会の合意を踏みにじり、官僚を政府参考人として委員会に出席させることを数の力で決めた。
(朝日社説)


「多数決」という政党政治の原則を真っ向から否定している。旧民主党が政権をとった時には、「国民の信を得られた」という名目のもと、衆参ともに多数決で強引に法案を可決していたことには知らん顔をして、自民党が多数議席に基づいて採決するのを批判するのは、筋が通らない。「数の力で決めた」となにやら批判的に書いているが、では国会という場所で他に何を基本原理に採決を決めればいいというつもりなのだろうか。

毎日新聞は、露骨には書いていないが、治安維持法のような強権操作が一般市民を圧迫するのではないか、という点から法案を批判している。

「参院段階では、政府から「周辺者」も適用対象との説明が新たにあった。これでは、一般人とは、警察の捜査対象から外れた人に過ぎなくなる。重大な疑問として残った。法は来月にも施行される見通しだ。法務省刑事局長は国会答弁で「犯罪の嫌疑が生じていないのに尾行や張り込みをすることは許されない」と述べた。国民の信頼を損ねない法の運用を重ねて警察に求める。 仮に強制捜査が行われる場合、令状の審査に当たる裁判所の責任が重いことは言うまでもない。捜査機関が捜査を名目に行き過ぎた監視に走る可能性があることは、これまでの例をみても明らかだ」
(毎日社説)


まぁ、今回の法案で一抹の不安があるとすれば、ここだろう。僕の見る限り、日本の警察は、新たに考案された犯罪に対して、それに対処する法案が施行されても、それをすぐには適切に運用できない。時代が代わり、犯罪のあり方が変わり、法律が変わっても、捜査のしかたは相変わらず従来の「あいつが怪しい。しょっぴいて絞れば、何か吐くだろ」という杜撰な捜査をしているように見える。 治安維持法の時代もそうだったが、悪法が悪法となるのは、法律そのものが原因というよりも、それを実際に施行する側の問題であることが多い。

今回の法案に関して言えば、「周辺者」というのは、日本においてはテロ組織がそのまま主体となる場合よりも、組織に属していた元構成員が在野に散らばり、草の根的に活動支援をしているという背景がある。折しも、1971年に起きた「渋谷暴動事件」で指名手配されていた大坂正明容疑者(67)が逮捕された。40年以上も逃亡生活ができたのは、なぜだったのか。

半年前の2016年11月、警視庁は大坂容疑者を匿うグループのリーダーとして、永井隆容疑者(67)を逮捕している。もともと大坂容疑者は生存の確認もとれていない状態だったが、立川市の中核派アジトを家宅捜査した際、大坂容疑者をかくまう支援チームに関するメモが見つかった。その結果、中核派を離脱していても、その影響下にある「一般人」が全国に点在しており、支援のネットワークを敷いていることが明らかになった。

テロのような重大犯罪の場合、少数の限られた組織構成員が秩序だって活動している例は、むしろ少ない。ひとつのテロ活動の裏には、それに関わる多くの偽装構成員がいる。「周辺者」というのは、そこのところを包括的に捜査対象に含められるようにした措置だ。
犯罪を犯す人間は「それまでは普通の一般市民」であることが多い。暴力団の資金源となっている振り込め詐欺でも、実行犯は組織構成員ではなく、そこらの一般人を使っていることが多い。

そういう背景を考えれば、読売新聞の主張の通り、「『一般人も処罰される』という野党の主張は、不安を煽あおるだけだったと言わざるを得ない」のほうが正鵠を射ているだろう。読売はさらに突っ込んで「制約が多すぎて、テロ等準備罪を効果的に運用できるのか、という懸念さえ生じる」と書いているが、こっちのほうが実際の懸念としては当たっている気がする。


僕が読んだ限り、左派各紙が今回の法改正を批判する際の、ピントがぼけている社説が多い。今回の法改正でもっとも批判するべき点は、与党が参院法務委員会での採決を省略し、審議経過などに関する委員長の「中間報告」で済ませたことだろう。法成立のために必要な手続きをすっとばすという、とんでもない暴挙だ。
法律自体は必要なものだろうし、その内容もそれほど危険なものとは感じない。しかし、それを決める過程で与党は付け入る隙を与えた。一言でいえば、国会運営が下手だ。

今回、与党がこのように参院法務委員会での採決をすっとばしたのは、法成立を急いでいたからだ。ひとつには会期が6月18日で満了するため、会期内に成立させなければならない、という事情があっただろう。
この件に関しては、野党が行なっていた見苦しい妨害行為も、要は「時間稼ぎ」であり、タイムアップでの試合終了、引き分け狙いの観が強かった。与党が強引な手段を取らざるを得なかったのは、野党が恥も外聞もかなぐり捨てて、法案廃止ありきの強硬姿勢をとり続け、議論らしい議論が成立し得なかったからだ。もともと野党は議論をしようとすらしていない。与党のやった採決省略は決して許されることではないが、かといって今回の野党はそれを批判できる立場にはないと思う。端的に言うと、「どっちもどっち」だ。

唯一、日経だけがこの観点から社説を書いている。しかし、社説としての出来は悪い。
日経の記事は、改正組織犯罪処罰法そのものを題材にしているのではない。学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部の新設問題と、改正組織犯罪処罰法のふたつの問題をめぐり、自民党の強引な手法を一般的に批判したものだ。「ふたつの別物に見える問題が、実は同じ根に基づく同じ問題だ」という問題提起そのものは良い。しかし、別々の事例をまとめあげる文章力に欠け、要するに何を批判しているのか分かりにくい社説になっている。これは問題意識の持ち方というよりも、文章力の問題だろう。書き方が下手だ。もったいないという印象の社説になってしまっている。


与党が法成立を急いだもうひとつの理由は、今年の7月2日に迫った東京都議会議員選挙だろう。与党としては、今回の法改正成立をひとつの手柄として、有権者に東京オリンピックへの準備段階の進捗をアピールしたい狙いがあっただろう。時期的にパリやロンドンでテロが相次いだため、オリンピックを見据えた東京の安全はひとつの争点になる。そこで「法改正に反対した」という立場の野党を追い込み、東京の議会運営を自陣側に有利に運営したい、という思惑があったのだろう。

そういう観点で見る限り、与党がマイナス評価を覚悟の上で、参院法務委員会での採決を飛ばして強引に法案を通したのは、戦術的に相殺が可能と見越してのことだったと思う。自民党は、今回の強行採決過程を咎められ、自民への投票者層が離脱しても、その受け皿として「都民ファーストの会」というポートフォリオを用意している。間に公明党が挟まってはいるが、自民ー公明のラインの先に都民ファーストがある、ということは、事実上、自民党の息がかかっている議員がもぐり込む可能性が高い。

今回の社説で法改正を批判するとしたら、そこではないか。与党は必要な国会手続きを省略して法案を成立させるというルール違反を行なった。本来ならば、それは民意として選挙で反映させるべき事案だ。しかし、与党は「回収可能なマイナス点」という戦術的な見込みのもと、その方針を強引に押し切った。しかし、もし与党の目論み通りに都議会議員選が収束したとしても、それとこれとは別問題だ。選挙に勝てば、やったことが許されたということにはならない。そこを指摘して批判しなくては、今回の法改正は「すべて与党のやったことは正しい」ということになってしまうだろう。

今回の改正組織犯罪処罰法と、東京都議会議員選は、東京オリンピックというひとつの軸にまつわる、同じ争点を共有する問題だ。新聞の社説は、起きたことだけではなく、これから起こるであろうことも視野に入れなければならない。今回の社説はどこも視野が狭く、最初から結論ありきで後から内容を埋めた観が強い。どの社も雁首揃えて、あまり読み応えのある社説ではない。



法律を怖れる人と頼りに感じる人がいますな。
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トドちゃん日記11

okaimono




だって夏の基本でしょうがよ。

CG無し。




凄ぇ。

『応仁の乱』に見る歴史学の姿

最近、巷の本屋さんで頻繁に取り上げられている本を読んでみた。


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『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』
(呉座勇一著、中公新書)


出版は2016年10月25日だが、発売して半年程度の2017年5月15日の時点で、第19版という、とても信じられない重版を繰り返している。堅実に歴史ものを出版する中公新書が、ここまで売れる本を出すのも珍しい。

一読して感じたこととしては、「日本ってすごい国だな」ということ。書いてある内容のことではなく、このような本がベストセラーとなってよく売れる、ということ自体がすでに凄い。欧米では、売れる本といえば、ほとんどが同時代的な政治・経済ものの「役に立つ本」であって、歴史本、特にこの本のような「世間に一切媚びない本」が売れる、というのは、世界的に珍しい現象なのではないか。

日本には数多の歴史ファンがいるが、僕はその風潮に懐疑的なところがある。
自分の趣味として歴史探訪を楽しむ分には、何の問題もない。趣味というのはそもそも自己完結的なものであり、自分で楽しければそれでいい。
ところが、中には「歴史というのは高尚な趣味」「最近の若者はマンガばかり読んでけしからん、司馬遼太郎を読め」などという勘違いをしている輩がいる。『こち亀』の大原巡査部長のように、歴史趣味の価値を絶対化し、他人に押しつけ強要する手合いがいる。

ところが、そういう「歴史趣味伝導師」の話を聞いてみると、実は「歴史好き」なのではなく、単なる「歴史を題材にした『つくり話』好き」に過ぎないことが多い。歴史小説にかぶれて歴史好きを自称して憚らない人というのは、なんのことはない、著者のつくり話に夢中になっているだけだ。

例えば、司馬遼太郎は数多の歴史的偉人を題材にとっているが、司馬は実際にそれらの人物に会ったことがあるわけではない。その作品で描かれている世界も、「実際の世の中はこうだった」という、事実の描写ではない。司馬に限らず、歴史小説というものは、人物や題材こそ実話に近しいものであったが、その話の内容や詳細は作者が描きたいことを描いたにすぎず、所詮「作り話」の域を出ないものなのだ。司馬遼太郎は歴史小説作家として精力的な活動を行なったが、彼の示した世界が歴史学会で認められているわけではないし、彼自身が歴史研究家として名を成しているわけでもない。

つまり、「歴史小説が好き」という趣味も、「マンガを読むのが好き」という趣味も、ともに「作り話が好き」という同種のものに過ぎない。片方が他方を貶してよい関係ではあるまい。
そう言われると、「自称歴史好き」はすぐに反論する。曰く「いや、歴史小説はすべてが作り話ではない。そこで起きている事件や登場人物は実際に即している場合が多く、そういう物語を読むことで歴史の知識が身につく」・・・だそうだ。多くの人が「マンガよりも歴史小説のほうが高尚な趣味」と思い込んでいる原因も、おそらくそんなところだろう。
僕は、こういう言い方をする大人がいること自体が、日本の歴史教育の大失敗を示しているような気がする。

「自称歴史好き」の自己弁護の着地点は、つまるところ「歴史の知識を身につけることができる」ということだ。つまり、知識を覚えることが歴史の勉強だと思っている。人名を覚えて、事件を覚えて、年号を覚えることが、歴史の勉強だと思っている。

もちろん、そういう「覚えて覚えて覚えて」が大好きというのであれば、自分の趣味の範囲で充分に楽しめばいい。どんな趣味でも、個人が楽しむ範囲であれば良いも悪いもない。しかし、そういう「知識を増やすことが歴史の勉強」と思っているのであれば、他人に向かって偉そうに「歴史を学ぶ意義」を吹聴する資格はない、と僕は思う。


今でこそ日本の歴史は各時代の詳細が明らかになっているが、なぜそんな昔のことまでが明らかになっているのだろうか。平清盛が何を考えて権力を掌握したのか、徳川家康が幕府を作ったときに何に苦労したのか、明治新政府を作った時にどういういざこざがあったのか、いま現在の我々が知り得る「歴史の事実」というのは、どのようにして再現されたのだろうか。

歴史家というものは、別にタイムマシンを持っているわけではない。学校で使った歴史の教科書に書いてあることは、誰かが実際に「見てきたこと」ではないのだ。歴史学という概念が発生し、同時代の記録を後世に残す意義が理解され、方法論が確立されたのは、19世紀になってからのことだ。それまでの時代を生きた市井の人々は、国の通史はおろか、ほんの100年前に起こった出来事すらよく知らなかったに違いない。

では、歴史研究者はどのようにして太古の出来事を現代に再現しているのか。
特別な方法などない。文献に書かれていることを丹念に読んでいるだけなのだ。一字一句を精読し、複数の文献を比較し、地を這うような地道な作業を繰り返し、その時代の「事実」を明らかにする。現存している資料だけを頼りに、その針の穴から小さく見える世界だけを頼りに、その時代の様子を描いている。

以前、中島敦の『文字禍』を題材に、「歴史とは何か」について書いたことがある。そこで中島敦の「歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板に誌しるされたものである」「書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ」という文言を挙げた。乱暴に聞こえるが、実際の歴史学研究というのは、そんなものなのだ。

実際には、文書に記されなかった「事実」もたくさんあるだろう。しかし、そういう「沈黙の事実」は、歴史学という研究活動が対象にしない(できない)ものだ。歴史学というのは、過去に起きたすべての事実を網羅しようとする試みではない。限られた資料から、可能な限り、継続性のある客観的な方法論で、事実のかけらを細々と紡いでいく行為なのだ。

当然、間違いもある。ある時代には歴史の事実だと思われていたことが、新しい証拠の発見によって覆ることもある。学問である以上、そうした誤謬はいわば必然であり、避けられない。
つまり「歴史を学ぶ」ということで得られる最大の福音は、研究の結果として出てくる「知識」ではなく、それを導くための「方法論」のほうにある。研究結果としての「知識」は、間違っているかもしれないのだ。「どこかの歴史家がそう言っているから」「この本にそう書いてあるから」という、いわば「他力本願」の知識をいくら集めても、そんなものは一夜にして覆る可能性がある、脆弱なものなのだ。

歴史の知識をひけらかす人というのは、ほぼ例外なく、「根拠」を知らない。「今川は武田を孤立させるために通商路を遮断したけど、困窮した武田に塩を送ったのが上杉なんだぜ」などという「知識」を披露した人に、「出典は?」「何に載っているの?」と聞くと、ほとんど答えられない。
出典を答えられない、ということは、知識の確実性を自分で理解していない、ということでもある。なにか新しい証拠が出てきたときに、比較ができない。それまでの常識を疑い、新たな知見を導くことができない。つまり、自分自身の力で、自分の知識を改訂していくことができない。

そういう人は、いつまでも「誰々がこう言っているから」「何々の本にこう書いてあるから」と、他人の言説を鵜呑みにして盲信していくだけだろう。覚えるだけで、自分の頭で考えていない。信じやすく、騙されやすいだけの人だ。いくら歴史についていろいろ「知って」いても、その根拠がただの作り話の歴史小説であれば、たいした信憑性はない。 
もし歴史小説に書いてあることが歴史そのものであるならば、逆に歴史をでっちあげたければ歴史小説を書けばいい、ということになる。自分たちの得心のいくストーリーを勝手にこね上げて、国民こぞって熱狂し、いつのまにかそのストーリーを歴史上の「事実」だと思い込む、という無知蒙昧な行為が幅を利かせることになる。日本が、そんな歴史教育が皆無などこかの国のようになってもいいのだろうか。

つまるところ、歴史を学ぶ意義というのは、「証拠に基づく」「問いをたてる」「仮説を導く」「信頼性を検証する」「予測を検証する」という、一連の思考過程を鍛えるところにある。それは歴史に限らず、科学一般の方法論、およびそれがもたらす意義と、なんら変わらない。歴史学が「人文科学」というわけの分からない名称で括られているのは、それが生み出す「知識」が同質なものだからではなく、それが基づく「方法論」が同一だからだ。


この『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』という本は、そのあたりの「歴史を学ぶということは、一体どういうことなのか」を理解していない人が読んでも、まったく面白くない本だと思う。
応仁の乱。戦国時代を招いた大戦乱。誰でも名称くらいは知っているだろう。しかし、「何が原因で、誰が関わって、結局どういうことになったの?」と改めて聞かれると、答えられる人は少ないだろう。

この本を読めばよく分かることだが、結局、応仁の乱というのは、決まった原因がない。誰かひとりの意思によって始まった戦乱ではなく、室町時代という構造のねじれが溜まりに溜って、抑え切れなくなって一気に噴出したのが応仁の乱なのだ。そこには多くの人間の利益関係が複雑に絡まっている。
また本書の評によると、応仁の乱には「ただの一人の勝者もいない」。つまり全員が痛み分けだったのであり、勝者と敗者の二項区分で分けられるような、単純な結果ではない。

要するに、応仁の乱という事件は、「自称歴史好き」が大好きな、「固定化した知識を覚える」という作業に、最も向かない事件なのだ。勝者がいないから、ヒーローもいない。それぞれの利益に関する駆け引きが同時進行するから、TVドラマで分かりやすく描けるストーリーでもない。結果として「覚えにくい」「よく分からない」「面白くない」事件、という理解のされ方になる。

そういう「インチキ歴史好き」の好みなど一切顧みず、この本は淡々と歴史的検証を積み重ねる。
ふつう戦乱を描くとなれば、武将が主人公になると思うだろう。しかしこの本の主人公は、経覚と尋尊という、奈良・興福寺の2人の高僧だ。なぜ京都の戦乱を描くための主人公が、奈良の坊主なのか。

その人物設定は、べつに著者が奇をてらったわけでも、ストーリー的に新機軸を打ち出そうとしたわけでもない。単に、応仁の乱を検証するための重要な文書資料が『経覚私要鈔』『大乗院寺社雑事記』という文献であり、その著者がふたりの坊主、というだけの理由だ。文献資料の著者を主役に据える、という、当然すぎる理由だ。

当然、文献の信憑性を検証するためには、ふたりの坊主の置かれた環境や経歴を知る必要がある。この本のはじめには、そういう必要な情報を怠ることなく、丹念に紹介する章が設けられている。業火の中で刀を斬り合う決闘を期待して読んだ人は、本の最初のほうで延々と奈良の坊主について説明されて、戸惑うことだろう。この本で行なっているのは「文献を丁寧に読み解いて、時代の姿を再現する」という歴史学の検証であって、「見てきたように嘘を言う」という歴史小説の記述ではない。物語性の高いドラマチックな展開だけを期待するインチキ歴史好きの手合いが読んで、面白いと思う類いのものではあるまい。

文献を読みとくと、いままで学校で習った「応仁の乱」観が、わりといいかげんなものだったことが分かる。僕はこの本を読むまで、応仁の乱の原因は、子がいなかった足利義政が、弟の足利義視に将軍職を譲ろうとしたが、実子の義尚を将軍にしたい日野富子が対立し、それに細川勝元、山名宗全らの権力争いが絡んだもの・・・という理解をしていた。しかし文献をひとつひとつ紐解くと、そういう「常識」とは異なる事実がいろいろと分かる。

たとえば、実は足利義視と日野富子は個人的に親しい良好な関係だったこと(日野富子の妹が義視の妻なので、両者は義理のきょうだいの関係にある)。細川勝元と山名宗全は「不倶戴天の敵」ではなく、むしろ20年以上の長きにわたって苦楽をともにした盟友だったこと。東軍から総大将に祭り上げられた足利義視が、いつのまにか西軍側の大将になっていたこと。京都の戦乱が各地に拡大した理由は「補給路を潰した結果」であり、その中継地となった奈良のほうがむしろ物騒になり、坊主が記録を残す理由になったこと。城にめぐらせた堀は攻め込まれないための施設だが、市街戦になると単なる塹壕となり、戦乱が長期化する原因になったこと。

すべて、歴史にストーリー性を求めようとせず、文献から事実を丁寧に拾うようにする姿勢をもって、はじめて分かることだ。おそらく大河ドラマが応仁の乱を取り上げるとしたら、義視と富子は「不倶戴天の敵」として描かれるだろう。ドラマの視聴者は、「直感的には分かりにくい事実」よりも「面白くて分かりやすい嘘」のほうを好む。インチキ歴史趣味の好みも、似たようなものだろう。

そういう一般的な傾向に一切媚びることなく、淡々と文献から客観的根拠を拾い上げていく構成は、がっちりして弛みがない。足腰が盤石な、知的な堅牢さを感じる。物語性など関係ありません、ドラマチックな展開なんてありません、ただ単に歴史資料にはこのように書いてあります。そういう積み重ねでこの本は成り立っている。

構成と方法論がしっかりしているだけでなく、著者の文章力がなかなか高い。記述ひとつおろそかにせず、研究成果を余す所無く公表したい、という魂の込もった文章だ。いわゆる名文・美文の類いではないが、そもそも学問研究にはそんなものは必要ない。伝えたいことを過不足なく、わかりやすいように例えを入れ、簡潔かつ躍動感のある文章を綴る。機能美に溢れた文章とでも言おうか。


日本という国は長い歴史があるので、学校で日本史を学ぶのは大変だ。試験が嫌いなあまり「歴史なんて昔のことを暗記ばっかりして、いったい何の意味があるのか」と嘯く学生がいる。また先述の通り、歴史小説と歴史学習を混同し、ただの作り話に心酔することを「歴史を学ぶこと」と勘違いしている大人も多い。ともに、日本の歴史教育がきちんと目的を果たしていないことによる結果だろう。
この本の筆者が、歴史学の方法論を啓蒙する意図でこの本を書いたのかどうかは分からない。しかし、偶然かもしれないが、応仁の乱という題材そのものが、「歴史を学ぶということはどういうことなのか」を問うための、よい試金石だったのではないか。このような本が版を重ねているということは、日本人の知的レベルも、なかなか高いものなのだろう。 日本もまだ捨てたものではないのかもしれない。



堅実な中公新書らしい本といえば中公らしい。

書かれた記録

毎日、日記をつけている。


いままで、習慣として日記を書いていた時期はいくつかある。
子供の頃に書いていた日記は論外だ。あれは、学校によって宿題として課されていたものであり、書いていてちっとも楽しいものではなかった。確か「生活記録帳」とかいう名前で、提出が義務づけられていた。当然、先生が読むことを前提としている。だからいきおい、「先生に読ませるための日記」となる。僕はそういう理不尽に敏感なガキだったから、わざと事実無根の架空日記をつけて、先生を困らせていた記憶がある。

大学院のころに、このたくつぶを書き始めた。僕がいたアメリカの大学街は、まぁ、大学以外に何もない、陸の孤島みたいな所だった。当然、夜や週末にヒマを持て余す。そこでアメリカでの生活を日記のように書き綴るようになった。
思えば、たくぶつも途中から「人に読ませるための日記」になった感がある。当時、地球の反対側で遠距離恋愛をしていた今の嫁に、毎日の生活を知らせるための日記になった気がする。今でも、当時の日記記事を読み返すと、読まなければならない論文を放ったらかして、いそいそとBlogの更新をしていた頃のことを思い出す。

今でも、僕はたくつぶの他に日記をつけている。Blogではなく、紙の日記を書いている。たくつぶと違うことは、絵日記であること。僕は文房具好きなので、定評のある文房具をつい買ってしまう癖がある。世に好評の「ほぼ日手帳」(ほぼ日刊イトイ新聞刊)というものを買ってみたのだが、使い道がない。そこで落書きのように絵日記をつけはじめた。これがまた嫁に好評で、いつのまにか嫁に見せる絵日記になってしまった。僕の日記の宿命として、どうも「誰かに見せるもの」になってしまうらしい。


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日記帳として大変つかいやすい。 


嫁は僕の絵日記に、勝手に『トド記』と名付けて、年ごとに保存している。前のことを思い出そうとして絵日記を読み返すと、その日に何をやっていたのかを思い出してなかなかおもしろい。
しかし、その「おもしろさ」は、ちょっと普通の意味とは違う気がする。

絵日記に書いてないことを思い出そうとしても、なかなか思い出せない。昔のことを思い出そうとすると、自分の記憶にあることと、絵日記に描いてあることが、違うことがある。僕の記憶は、僕目線での、いわば「一人称」の記憶であるのに対し、絵日記に描いたのは、他者の目線で自分を描く「三人称」の記憶だ。その目線の違いがひきおこす記憶との齟齬が、なかなか面白い。これは、日記を描いている本人しか分からない面白さだろう。紙に記録として残したことは、あくまでも保存された情報であり、本当にあったこととは違うのが普通なのだろう。



話は突然変わるのだが、中島敦に『文字禍』、芥川龍之介に『西郷隆盛』という小説がある。


中島敦のほうは有名だろう。代表作のひとつに数えられることもある。
舞台は古代アッシリア。この設定だけでも尋常ではない。普通の日本人になじみのある生活感の設定ではない。主人公は、宮廷に仕える博学者のナブ・アヘ・エリバ。彼は粘土版に彫られた文字を研究しているうちに、文字が意味のない記号の連鎖に見えるような、奇妙な気分を体験する。もしかすると、これは「文字の霊」の仕業ではないか。

人に話を聞いてみると、文字を覚えた途端に人が能力を落とす事例が報告される。文字を覚えてから急に蝨を捕とるのが下手になった者、眼に埃ほこりが余計はいるようになった者、今まで良く見えた空の鷲の姿が見えなくなった者、空の色が以前ほど碧くなくなったという者。文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなった。

中島敦の筆致は格調高く、特定の事件が起こる訳でもない抽象的な「感覚」を描いていながら、まったく澱みがない。おそらく中島敦は、文筆で生計を立てる身でありながら、文字に対して、かたちのない「畏敬の念」を持っていたのではないか。誰でもうっすら感じることなのだろうが、それをひとつの物語に結実させる創作能力は、感嘆に値する。同じ文字を繰り返し読み書きしているうちに、意味のない線のかたまりに見えてしまう現象は、現在の認知科学では「ゲシュタルト崩壊」としてよく知られている。しかし、そういう用語もなかったであろう時代に、そういう現象を拾い上げる感性は、並大抵のものではあるまい。

『文字禍』では、文字がもたらす惨禍の例として、「歴史」をとりあげている。
エリバ博士のもとに、歴史を学ぶことに疑問をもった若い歴史学者が尋ねてくる。

若い歴史家は、次のような形に問を変えた。歴史とは、昔、在った事柄ことがらをいうのであろうか?それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?
 獅子狩りと、獅子狩の浮彫とを混同しているような所がこの問の中にある。博士はそれを感じたが、はっきり口で言えないので、次のように答えた。歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板に誌しるされたものである。この二つは同じことではないか。
 書洩らしは? と歴史家が聞く。
 書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。


エリバ博士の言は、乱暴のように聞こえるが、実際の歴史学はまさしくこの考え方を前提にしている。実証的な歴史学が根拠とするのは「過去の文字記録」だけである。今現在、世界史や日本史の教科書に「事実」として書いてある多くの事例は、すべて過去の記録に出典がある。文字記録に残されていないことを推測して書くのは、作り話であり、歴史的事実としては認められない。 中島敦は、文字がもたらす「実体験から遊離した仮想現実」の危うさを、エリバ博士の言を借りて言及している。

物語の最後で、エリバ博士は、「文字の霊」の呪いを受けて死んでしまう。具体的には、大地震の際に書架が倒れ、おびただしい数の粘土版の下敷きになって死ぬ。
この物語が、古代アッシリアなどという素っ頓狂な舞台設定になっているのは、この結末のための伏線だろう。中島敦は、「文字の呪いを受けて死ぬ」という出来事を、具体的な事例に落とし込もうとして、「粘土版の下敷きになる」というアイデアを思いつき、そこから逆算してアッシリアを舞台に設定したのではなかったか。


一方、芥川の『西郷隆盛』のほうは、お世辞にも小説として完成度が高いとは言えない。
テーマは同じく、「文字に書かれたことだけが歴史なのか」という問題だ。

物語は、筆者が「大学の友人の本間さん」という人に聞いた話、という体裁になっている。本間さんは、筆者と同じ大学で、歴史学を専攻している。そして「本当か嘘かは、聞いた人が判断してくれればいいよ」と言って、誰にでもこの話をしてくれる。筆者のまわりでは、この話は「本間さんの西郷隆盛」として有名なのだそうだ。

曰く、本間さんが京都旅行の際に夜行列車に乗ったときのこと。本間さんは窮屈な客車に音を上げて、食堂車に逃げ込んだ。そこで白ワインをちびちび飲んでいると、別のテーブルで、とある老紳士が杯を傾けている。本間さんはどこかでその老紳士を見たことがあるような気がした。するとその老紳士は、本間さんのテーブルに歩み寄り、話しかけてくる。暇を紛らわす話し相手くらいにはいいだろうと、本間さんはその老紳士と話しはじめる。

本間さんが、自分の専門は歴史学だ、という話をすると、老紳士は身を乗り出して語り出す。
君は歴史を学ぶときに書物を読むでしょう。しかし、そこに書かれていることが本当だと断ずることができますか?文字に書かれた記録なんて嘘だらけだ。実際、私はそういう歴史の誤謬を数多く知っている。

本間さんは、自分の歴史研究にケチをつけられたような気分になり、むきになって反論する。すると老紳士は笑いながら、驚くような話をする。
たとえば西郷隆盛。誰もが、彼は西南戦争で死んだと思っているでしょう。でも、もし彼が生きていたらどうします?

本間さんは唖然として、そんなことはあり得ない、と断言する。西郷が死んだことは記録にあるし、多くの人が彼の死体を目にしている。
すると老人は悠然と続けて、「僕はあらゆる弁護を超越した、確かな実証を持っている。君はそれを何だと思いますか。それは西郷隆盛が僕と一緒に、今この汽車に乗っていると云う事です。」

それから本間さんは老紳士に連れられて、一等客車に赴く。
そこで本間さんが目にしたのは、客車のカーテンに寄りかかり、居眠りをしている白頭の肥大漢。まさしく西郷隆盛その人だった・・・。

「君は今現に、南洲先生を眼のあたりに見ながら、しかも猶なお史料を信じたがっている。しかし、一体君の信じたがっている史料とは何か、それからまず考えて見給え。城山戦死説はしばらく問題外にしても、およそ歴史上の判断を下すに足るほど、正確な史料などと云うものは、どこにだってありはしないです。誰でもある事実の記録をするには自然と自分でディテエルの取捨選択をしながら、書いてゆく。これはしないつもりでも、事実としてするのだから仕方がない。と云う意味は、それだけもう客観的の事実から遠ざかると云う事です。そうでしょう。だから一見当あてになりそうで、実ははなはだ当にならない。」


度肝を抜かれている本間さんを見て、老紳士は笑い、種明かしをしてくれる。
「あれは僕の友人ですよ。本職は医者で、かたわら南画を描く男ですが。」

西郷隆盛本人ではないのですね、と念を押す本間さんに、老紳士は「もし気に障さわったら、勘忍し給え。僕は君と話している中に、あんまり君が青年らしい正直な考を持っていたから、ちょいと悪戯をする気になったのです。しかしした事は悪戯でも、云った事は冗談ではない。僕はこう云う人間です。」と名刺を渡してくれる。肩書きも何も書いていない名刺を見て、本間さんは老紳士をどこで見たことがあるのかを思い出す。
「先生とは実際夢にも思いませんでした。私こそいろいろ失礼な事を申し上げて、恐縮です。」


なんじゃこりゃ、という感じの小説だ。
モチーフとなっているのは、文字がもたらす歴史の誤認。人間が実際に経験したことと、文字情報によって得た歴史認識は、まったく別物である。このモチーフ自体は優れた視点だ。芥川くらいの博学才穎であれば、この手の問題意識は持っていて不思議ではない。

しかし、それを小説として昇華させる腕前に、疑問を感じる。起こったことはなんということはない、「西郷隆盛のそっくりさんを見てびっくりした」というだけの話だ。物語として、それほど面白いものではない。老紳士の正体も、結局は最後まで明らかにされない。全体として、曖昧模糊とした印象のまま話が終わる。芥川の多くの作品に感じるような、すぱっと世の中を斬ったような読後感がない。

しかも芥川は、わざわざこの物語を、入れ子の構造にしている。筆者が「こういう経験をした」という一人称で話しているのではなく、わざわざ本間さんという登場人物を間に入れ、「彼からこういう話を聞いた」という体裁にしている。

この入れ子の構造は、19世紀に小説というものが書かれ始めたときに定番だった手法だ。嚆矢はメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』とされている。この伝奇小説は、はじめから最後まで、「北氷洋で遭難していたところを助けられた学者が、死ぬ寸前に、どうしてそうなったのかの経緯を語った話」という体裁をとっている。 この手法には時代背景があり、当時は小説という「つくり話」を読み手が許容する土壌が育っていなかった。科学技術によって作られた人造人間、などという話を書いてしまうと、それを読んだ一般市民は「本当にそういうことがあったのか」と信じ込んでしまう危険がある。教育レベルがそれほど高くなく、無知蒙昧な伝説が闊歩する時代では、独創的なストーリーテラーは、不要な混乱を社会にもたらす危険があっただろう。それを避けるために、「・・・という話を誰々さんから聞いたの」という伝聞の体裁をとる。

しかし、芥川の『西郷隆盛』は、わざわざ入れ子の構造にする必然性が見えない。なにせ、語った事件自体が真に迫ったものではない。作中に登場する本間さんは「本当か嘘かは、聞いた人が判断してくれればいいよ」などともったいぶっているが、そもそも真偽を云々するほど、中身は大した話ではない。

芥川の小説は、時期によって書き方がかなり異なり、しかも劣化に向かっていったのは周知の事実だ。傑作は初期の作品に多い。しかしこの『西郷隆盛』が書かれたのは、初期の1917年。『鼻』『芋粥』が1916年、『蜘蛛の糸』『地獄変』『奉教人の死』が1918年だから、最も創作意欲が旺盛だった時期の作品といってよい。そんな時期の作品に、こんな駄作が紛れていること自体、ひとつの疑問になり得る。

おそらく、中島敦と芥川龍之介では、モチーフを形にするためのアプローチの仕方が、逆だったのではあるまいか。
中島敦の『文字禍』では、「文字とは何か」から話を始めている。文字が意味のない羅列に見える。文字(=間接体験)を覚えると、能力(=直接体験)が疎かになる。そういう話の筋で、文字がもたらす惨禍の最たるものとして、「歴史」を取り上げている。

ところが芥川の『西郷隆盛』では、最初のとっかかりが「歴史とは何か」だったのではないか。歴史とは事実として過去にあった全てのことなのか、現在の我々が資料から知り得るだけのものなのか。
そこでは、「文字」は、資料を残すための媒体としての位置しか占めていない。物語のなかで老紳士が疑義を呈しているのは「資料の信憑性」であって、「文字がもたらす情報形態」ではない。このふたつは、似ているようで異なる。資料の信憑性を論じるときには、調査方法、資料保存、執筆者の事情など、歴史に関わる「研究作業」が焦点になる。文字そのものの機能や存在意義に関してまで否定しているわけではない。

つまり中島敦と芥川では、どっちの端をスタートにして、どっちの端をゴールにするのか、線の引き方が逆なのだ。文字から始めて歴史を論じるのと、歴史から始めて文字資料を論じるのでは、話の奥行きが異なる。ともに歴史を捉える視点をもっていることは共通しているが、彫り方によって完成品の出来が大きく違ってしまった、ということだろう。


そこまでの話を是としても、まだ芥川には疑問がある。
芥川はモチーフの芽を嗅ぎ出して、それを作品に昇華する技としては、天才的な技能をもっていた。少なくとも初期の作品では、ただのお話に過ぎない昔の説話を、鮮やかな小説に作り変えている。
その芥川が、「歴史とは何か」という大きなテーマを扱う際に、料理の仕方を誤るようなヘマをするだろうか。

僕が芥川の全作品を読んだ印象としては、時期によって出来・不出来の差があるのは確かとしても、全作品に共通する特徴がある。それは「人とは何か」「人は社会にどう関わればいいのか」という、人の内面や生き方を描いている点だ。問題作品として議論されることが多い『河童』などは、ほとんど告白小説に近い。

おそらく芥川は、自分の内面を堅固につくりあげることに苦心し続けた作家ではなかったか。そして、それに失敗して自ら命を断った。不安定な自己の内面に直面する努力を続け、それを描くことに創作能力の全てを注ぎ込んだ。

そういう「内面への視点」は、歴史学などという客観的記述を是とする思考作業とは、まったく思考回路が異なる。世の中を大きな流れとして捉え、自分をその流れをつくる要素のひとつとして適切に配置する。世の中における、そういう客観的な自己の置き方は、芥川のような孤高の巨星には、難しかったのだろう。

一方の中島敦は、幼少の頃から喘息を煩い、自分の命が長くないことを早くから悟っていた。「将来に対する漠然とした不安」を感じていた芥川とは異なり、自分の命と使命を早くから悟り、醒めた眼で己と世界を視ていた。そういう達観が、文字と歴史という大きなテーマを追求し切る客観性につながったのではないか。

中島敦は作品の絶対数が少ないが、芥川と同じように、人の内面を鋭く抉る傑作も書いている。『山月記』『李陵』などはそちら側の作品だろう。古典に題材を得ているところも芥川に通じるものがある。技法としては共通、技量としては互角、しかし、作家として書き切ることができる世界の幅が違かったのだろう。

いわば芥川は「ひとつのアプローチ法を突き詰めた一点突破の作家」であり、中島敦は「知的作業そのものに意義を見いだし、幅広い対象に興味を感じる作家」だったのではないかと思う。能力の差というよりは、タイプが違う作家だったのだろう。芥川は幅広い知識を誇り、食事の時でも本を読んでいるような勉強家だった。しかし、得た知識を作品に活かす段になると、その生き方と考え方が、己の作品の幅を狭めてしまった感が否めない。
芥川は終世、長編小説を書き上げることができなかった。その理由についてはいろんな人がいろんなことを言っているが、最も根源的な理由は、ひとの生き方を貫く大きな幹になるものが、自分自身の中に備わっていなかったからではないか。


記録されたことだけが事実なのか。文字がもつ力を人は使いこなせるのか。哲学的には面白いテーマだが、文人が小説にするには抽象的過ぎるテーマだろう。私小説が全盛だった時代に、このようなテーマに取り組むこと自体、ふたりの能力の特異性を示してあまりある。しかし、「記録された文書」と「現実世界」の遊離を描く際には、その一端である「現実世界」をどう生きたか、という作者の人生背景が色濃く影響を及ぼしているような気がしてならない。



なぜ僕の日記が嫁の本棚に並んでいるのだ。

エンタープライズ、衝突の危険あり

1965年の3月14日にニューファンドランドの海岸で、アメリカ海軍とカナダ当局との間で交わされた実際の無線の記録である。

カナダ  「衝突の危険あり、貴艦の針路を15度南に変更されたし」

アメリカ 「衝突の恐れあり、そちらの針路を15度北に変更されよ」

カナダ  「出来ない。衝突の恐れあり、そちらの針路を15度南へ変更せよ」

アメリカ 「こちらアメリカ海軍の軍艦の艦長である。もう一度繰り返りかえす。 そちらの針路を変更せよ」

カナダ  「NO、それは不可能だ。もう一度繰り返す、貴艦の針路を変更せよ」

アメリカ 「こちらはアメリカ海軍太平洋艦隊最大級の航空母艦エンタープライズである。 我々は駆逐艦八隻、巡洋艦四隻と多数の艦船を従えている。我々はそちらの針路を15度北に変更するよう要求する。もう一度繰り返す。そちらが15度北に変進せよ。 我々の要求が容れられなければ、艦の安全のために対抗措置をとる用意がある」

カナダ  「エンタープライズ、こちら灯台である、どうぞ」


が、ジョークであって史実ではない、ということをアメリカ海軍の公式ホームページが掲載しているのですが。



問い合わせが多いのだろうか。

例外的な革命家

革命に興味があって、世界史上の革命をいろいろと調べている。


革命というのは、既存の体制に不満をもった民衆が支配層を倒す、一種の下克上だ。ところが面白いことに、革命に成功して「自分たちの新政府」をたてたはずなのに、どう見ても以前よりも民衆が不幸になっているケースが多い。
一応、新政府を樹立できれば革命は「成功」ということになるのだろうが、現代的な観点からみて革命がマイナスに働いている事例が非常に多い。何が理由でそうなっているのだろうか。

思うに、その根本的な要因は「革命を成功させるための力と、新政府を運営する力は、別物である」ということを理解していない人が多かったからではないか。
革命の第一段階は旧体制の破壊だから、そこには暴力的なエネルギーが必要となる。軍事行動やゲリラ戦に長けている人間がリーダーになりやすい。ところが、革命に成功して新政府を樹立して以降は、そういう暴力エネルギーは不要どころか障害になる。新政府のリーダーに必要なのは、国内外の状況をうまく調整して冷静に事態を収束できる行政能力だ。

原始的な革命では、その暴力エネルギーの「熱冷まし」に苦慮し、自らの支持母体である一般市民を抑圧するような本末転倒な愚作を行なった。史上初めての市民革命であるイギリスの清教徒革命では、クロムウェルが独裁主義体制を布いたし、フランス革命ではロベスピエールが文句を言う反対勢力を皆殺しにした。いずれも、革命時に沸き起こした暴力エネルギーを持て余し、その矛先を間違えて発揮してしまった例だろう。

世界史上、「うまくいった革命」というイメージをもたれている革命は、すべてその暴力エネルギーを発散させるための場をもっていた。なければ強引にその場を作った。
清教徒革命の場合は、生贄としてアイルランドが標的にされ、いわれのない「征伐」を受けて虐殺や略奪を被った。フランス革命の場合は、革命が自国に飛び火することを怖れた各国が対仏大同盟を敷いたため、フランスは孤立無援に陥る。それを打ち破るために軍事力を発揮したナポレオンが権力を掌握したのは周知の事実だ。中国の辛亥革命の場合は、革命直後に世界大戦が起きた。また革命の主導的地位をめぐって国民党と共産党で内紛があったため、暴力エネルギーを冷ます暇がなかった。

中世における「王権から共和制への革命」と、現代のトレンドであった共産主義革命では、ともに「革命に必要な暴力的軍事能力」「革命後の社会をつくる行政能力」の両方を備え持つ指導者が少なかった、という共通点がある。現代の共産主義革命の場合は、それに加えて「諸各国に革命政府の承認を得る外交能力」も必要になる。大きく言って、「軍事力」と「行政力」のふたつを併せる指導者の不在は、その国がもともと持っていた教育力による所が多い。

中南米の多くの国は旧支配国からの独立を勝ち取るための革命を経験しているが、そのほとんどは強大な軍事力をもつ超大国に軍事的に対抗するためのゲリラ戦を基本戦略としていた。そういう革命のしかたで国を作ったら、そりゃ軍事政権しか樹立できなかろう。軍事によって作った国は、軍事によってしか維持できない。そういう国にそれぞれのガンディーがいなかったのは不幸だが、インドの場合は例外的な人材に恵まれた希有な例と言えるだろう。

ところが、世界史上の革命家のなかで、ひとりだけ例外がいる。
「軍事力と行政力の両方を兼ね備えていた革命家」ではない。そんな偉人は世界の歴史に存在しない。例外的なひとりとは、「軍事力を公使して革命を成功させたが、自分には行政力がないことを自覚しており、革命後の政権で権力をもつことを放棄した人」だ。




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ジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882)。


めったに偉人を尊敬しないイタリア人から、「建国の三傑」のひとりとして尊敬されている。 世界史の教科書にも太字で載っているが、「イタリア統一戦争」という、わりと隙間の知識であることもあり、あまり知られている革命家ではないだろう。一般的には「Bマイナー程度の重要度」とされている人物ではあるまいか。

しかし、その軍事指導力とカリスマ性はかなりのものだったらしく、当時、諸国分立状態だったイタリア南部を豪腕でまとめあげている。千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリアの反乱を援助し、イタリア南部の両シチリア王国を滅ぼした。反対勢力をも味方に引き込むほどのカリスマ性があり、「戦うたびに味方が増える」という状況だった。当時、イタリア統一の主導的立場にあったサルディーニャ王国も、イタリア南部の民衆から圧倒的な支持を集めているガルバルディの影響力を無視できなかった。

世界史では俗に「ドイツの軍隊に敗北なし、イタリアの軍隊に勝利なし」と揶揄されるほど、とにかくイタリアの軍隊は弱い。ガリバルディも、何度も革命運動を鎮圧され、そのたびに逃亡を余儀なくされている。これは当時のイタリアに眼を光らせていたのがオーストリアとフランスという二大強国だったため、仕方ない部分もあるだろう。

ガリバルディは、秘密結社カルボナリに加入して共和制を求める反乱を起こしたが、失敗して南米に逃亡する。そこでゲリラ戦の能力を磨き、革命に必要な民衆操作の方法論を身につけた。のちに南米の革命児チェ・ゲバラは、ガリバルディのゲリラ戦術を学んで影響を受けている。
ガリバルディは幼い頃から海上貿易に従事しており、基本的な教育を受ける時期はなかっただろう。それに加えて諸国放浪でゲリラ戦を繰り返していたため、行政能力はほぼゼロだったと思われる。

当時のイタリアは諸国分裂状態だったが、その中で最もイタリア統一に意欲的だったのは、サルディーニャ王国だった。国王のカルロ=アルベルトは自由主義的な国王で、在位中に憲法を制定している。わりと「庶民寄りの国王」と言ってよい。
その子であるヴィットーリオ=エマヌエーレ2世は、宰相にカヴールを重用し、北部イタリアを外交政策によって統一することを目論んでいた。

だから、南部で武力蜂起をおこして両シチリア王国を征服したガリバルディの勢力は、サルディーニャ王国にとって脅威だったはずだ。下手をすれば、イタリアが南北に分裂する危機だった。
しかもガリバルディは、サルディーニャ王国宰相カヴールを、個人的に憎んでいた。カヴールは第二次イタリア独立戦争の際に、フランスの支援を取り付ける密約(プロンビエール密約)を結び、その見返りにサヴォイアとニースを割譲した。ニースはガリバルティの故郷だ。自分の故郷をフランスに売り渡したカヴールは、ガリバルディにとって嫌悪の対象だった。しかもフランスのナポレオン三世は密約を無視し、単独でオーストリアと和平協定を結んでしまう。サルディーニャ王国は、いわばサヴォイアとニースを「取られ損」したことになる。

こうした背景から、北部のサルディーニャ王国と、南部のガリバルディ軍は、いわば水と油の関係だったといえる。統一どころか、支配権力をめぐって武力衝突をしてもおかしくない状態だっただろう。
ところが、ガリバルディは、武力によって制圧した南部イタリアを、あっさりとサルディーニャ王国に「献上」してしまう。革命勢力を動員して打ち立てた新体制を、あっさりと他者に譲り渡す。世界史上の革命において、ほぼ唯一の例外といってもいい行為だ。

1860年、ガリバルディはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と会談する。握手を交わし、自分の軍勢に向かって「ここにイタリア国王がおられるのだ!」と叫んだ。また国王に服従の言葉を誓い、軍職を含む一切の役職や報償を辞した。
もしここでガリバルディが、自力でイタリアを統一することに固執し、サルディーニャ王国を滅ぼす方向に動いていたら、イタリア全土を巻き込む大内乱につながっていただろう。当然、イタリア統一は大きく遅れることになったはずだ。ガリバルディが、自力によるイタリア統一を放棄し、サルディーニャ王国にそれを委ねたのは、いかなる判断によるものなのか。

様々な要因があろうが、一番大きなものは、「自分はゲリラ屋であって、政治家ではない」という判断ではあるまいか。もしサルディーニャ王国と一戦交えて、よしんば滅ぼしたとしても、旧サルディーニャ王国の領域を含む広大なイタリア全土を統治する力は、自分にはない。軍事力を行使して戦争に勝つことはできても、その後の統治ができない。そういう客観的な自己評価が、権力放棄の基本原理ではなかったか。

ガリバルディは、敗走を重ねゲリラに身を投じた経験から、客観的に現状を把握する能力に優れていた。両シチリア王国を滅ぼしたときに、王国を支配していたのはブルボン家だったが、ガリバルディは国王フランチェスコ2世を処刑せず、身柄を保証している。イタリア南部は伝統的に王政が敷かれていた時期が長く、ガリバルディの軍に合流した義勇軍も多くは元王党派だった。そういう民衆感情を汲み取った処置だ。

ガリバルディにとって、故郷を売り渡したカヴールは確かに憎かったが、半面、そういう冷静な措置がとれるカヴールの外交能力を認めてもいたのではないか。当時、イタリアはフランスとオーストリアから圧力を受けており、新興のプロイセンも勢力を拡大していた。イタリアが統一されたら、そういう軍事大国と互角に渡り合う外交能力が必須となる。そして、自分にはその能力がない。この「坊主憎いけどその袈裟なかなかいいじゃん」的な判断は、なかなかできることではあるまい。

現在、カヴールは、ガリバルディ、青年イタリア発起人のマッツィー二と並んで「イタリア統一の三傑」に数えられている。のちのイタリア市民は、カヴールの現実的な外交能力を高く評価しているのだ。ガリバルディは、自分の故郷という個人的な要因に惑わされることなく、「イタリア統一に必要なものは何か」を冷静に、客観的に、判断する能力があったのだろう。

ガリバルディの人徳とカリスマ性は、イタリアのみならず各国でも高く評価されていた。アメリカ南北戦争のときには、リンカーン大統領に北軍の司令官就任を打診されている。
何度敗走しても、民衆からの支持を失わない。それは行動にぶれがなく、信念が揺れていないからだろう。また「革命家が良い政治家とは限らない」ということを自覚しており、自分にできない仕事は請け負わない。いわば「プロの革命家」であり、力を発揮する場と引くべき場を弁えていた人物といえるだろう。


世界史では、わりと早い時期から文民統治(シビリアン・コントロール)の制度が発明されている。しかし、こと革命に関しては、「軍事力、即、権力」となりやすい。革命には民衆をまとめるカリスマが必要だろうし、そういうカリスマは革命後もお役御免というわけにはいかないのだろう。その結果、行政能力が皆無な人物が国の最高権力者の座に就き続けることになる。ゲリラ戦と対国民党軍事行動で辣腕を振るった毛沢東だって、国の政治をさせたら大躍進運動の醜態を晒す有様だった。

それに比べて考えてみると、日本にはわりと軍事力と行政力を兼ね備えた人材が多かったように見える。
誰でも知ってる織田信長。その業績を問うと、多くの人は馬鹿の一つ覚えのように「楽市・楽座」と答える。戦国武将でありながら、後世に伝わっている業績は、行政に関するものなのだ。
日本では三回、幕府が開かれたが、その開祖となった源頼朝、足利尊氏、徳川家康は、いずれも軍事力・行政力ともに高かった。共通点は、幼少期に人質や蟄居などの要因で、学問に励まざるを得ない環境にあったことだ。そういう時に、学ぶべきことをしっかり学んでいたことが、のちの行政力を発揮する際の下地になっていたのではないか。

日本で唯一、「革命」と呼んでもよい政治的転機は明治維新だっただろうが、その際にも明治新政府の指導者の多くは軍事力と行政力を兼ね備えていた。中には西郷隆盛のような武力馬鹿もいたが、そうした人間は日本史上、時代の流れに従って自然に淘汰されている。西郷隆盛はあくまでも「武士の棟梁」であって、「明治新政府を担う政治家」ではあり得なかっただろう。


革命は、旧体制を倒した時点では、道半ばの折り返し点に過ぎない。国を倒すことと、国をつくることは、同様に重要でありながら必要な能力がまったく違うのだ。革命であまり高い理想を掲げ過ぎると、のちにそのハードルが高すぎて自らの首を絞める。革命政権の多くがのちに恐怖政治を敷くのはそのためだ。
そんな中、「自分にできる仕事とできない仕事を見切る」というのは、なかなかできることではあるまい。そういう「歴史に埋もれた事例」を探して、革命史を掘り起こしている。



春休みの自由研究的なおべんきょうで。

第四アウト

野球の盲点ルールに、「第四アウト」というのがある。




かなりややこしいのでまずは映像で。 



このルールは、水島新司の野球漫画『ドカベン』単行本35巻で紹介されている。
夏の甲子園・神奈川県予選大会三回戦。山田太郎擁する明訓高校と、不知火守率いる白新高校の試合。
試合は0-0のまま延長10回表、明訓高校の攻撃。一死満塁で打者は微笑三太郎。


4thout

延長10回ワンアウトでこれはかなり危機的状況。 



投手の不知火が投球モーションに入るや、三塁走者の岩鬼がスクイズのタイミングでホームに突進した。 ここで打者の微笑はスクイズを狙ってバントをする。
ところがバントの打球は小フライとなり、投手の不知火にノーバウンドでキャッチされてしまう。三塁走者の岩鬼は帰塁せず、そのままホームに到達した。
そのとき一塁走者の山田は大きく離塁していたため、不知火は余裕でボールを一塁に転送し、山田をアウトにする。ダブルプレイで3アウトをとった白新高校の守備陣は、全員がベンチに引き上げた。

ところがスコアボードでは、岩鬼の本塁到達が認められ、明訓高校に1点が入る。この1点を守り切り、試合は明訓高校が勝利した。
普通であれば、ダブルプレーが成立してチェンジになれば、その間の本塁帰塁は認められない。なぜ、岩鬼の得点が認められたのか。


このプレイを時系列で並べると、次のようになる。

(a)微笑のバントによる小フライを、不知火が捕球。打者の微笑がアウト
  ↓
(b)三塁走者の岩鬼が、本塁に到達(タッチアップなし)
  ↓
(c)不知火がボールを一塁に転送、一塁走者の山田がアウト


ここで、盲点ルールの成立するポイントが4つある。


(1) 微笑の小フライはバントの飛球であるため、インフィールドフライが宣告されない。
(2) 三塁走者の岩鬼は、不知火の捕球前に離塁しているため、タッチアップをしていない。
(3) 一塁で山田がアウトになる前に、三塁走者の岩鬼が本塁に到達している。
(4) 3つめのアウトをとられたのが、打者走者の微笑ではなく、一塁走者の山田である。


まず(1)のポイントによって、不知火の捕球以前のプレイに関して、各走者には進塁の強制が解除されていない。インフィールドフライの宣告というのは、要するに「ランナーが強制的に次の塁にすすまなければならない義務を解除すること」なので、それが宣告されてない以上、各ランナーは不知火が捕球する以前には進塁しなければならない状態だった。その状態が解除されて帰塁の義務が発生するのは、不知火が小フライを捕球した瞬間だ。

つまり守備側にしてみれば、不知火が小フライを捕球してからは、フォースアウトをとれなくなる。最初に打者走者がアウトになっており、かつ各ランナーは帰塁しなければならないからだ。フォースアウトは、各走者に進塁義務がある場合しかできない。だから一塁走者の山田をアウトにしたければ、二塁に送球するのではなく、一塁に送球しなければならない。

もしフォースプレイで第3アウトをとり、かつ第3アウトが打者走者だった場合には、時間軸に関係なく、三塁走者の本塁生還は認められない。しかし、そのふたつの前提は、両方とも「ドカベン」のケースでは成り立っていない。不知火の一塁転送はフォースプレイではない(ポイント(1))し、第3アウトをとられたのは打者走者の微笑ではなく、一塁走者の山田(ポイント(4))だ。

フォースアウトがとれない状況ということは、第3アウトをとる前に成立した得点は有効(ポイント(3))ということになる。不知火が一塁にボールを転送した時点で、一塁走者の山田はアウトになるが、それより早く本塁に到達した岩鬼はアウトになっていない。それが、岩鬼の本塁生還が認められた理由だ。

これは例えば、一・二塁間に一塁走者が挟まれ、その間に三塁走者がホームインするのと状況が同じことになる。この場合、一塁走者をタッチアウトにしても、それよりも前にホームインした三塁走者の得点が取り消されることはない。それと同じことだ。

つまり、不知火はボールを一塁ではなく、三塁に転送すべきだったのだ。三塁走者の岩鬼はタッチアップしておらず(ポイント(2))、不知火が小フライを捕球した時点で帰塁の義務が生じる。そこで三塁に転送すれば、岩鬼がアウトとなって得点は認められない。


ところが、一塁に転送して、一塁走者の山田をアウトにした後でも、三塁走者の岩鬼をアウトにする方法がある。これが俗に言われる「第四アウト」だ。
一塁走者の山田をアウトにした時点で、3アウトとなりチェンジになる。そのあとベンチに引き上げず、すぐにボールを三塁に転送して触塁したうえで、審判に「タッチアップをしていないので、第3アウトを、三塁走者の岩鬼のアウトに置き換えます」と申告する。するとその時点で、三塁走者の岩鬼にアウトが宣告される。

一塁で山田がアウトになったのが第3アウトなので、その後に三塁で岩鬼からとるアウトは「第4アウト」ということになる。記録上は、山田の第3アウトを、岩鬼のアウトに「置き換える」措置となる。審判にアピールするときに「置き換えます」と申告するのは、そのためだ。
このプレイは、三塁に黙って触塁しても成り立たない。必ず、審判に申告してアピールする必要がある。


野球規則 7.10 「アピールアウト」


次の場合、アピールすれば走者はアウトになる。

(a) リタッチ
飛球が捕らえられた後、走者が再度の触塁(リタッチ)を果たす前に、身体あるいはその塁にタッチされた場合。
(b) 塁の空過
(c) 一塁をオーバーラン後の触球
(d) 本塁空過時の触球


本項規程のアピールは、投手が打者への次の1球を投じるまで、またはたとえ投球しなくてもその前にプレイをしたりプレイを企てるまでに行わなければならない。イニングの表または裏が終わったときのアピールは、守備側チームのプレーヤーが競技場を去るまでに行わなければならない。

アピールするには、言葉と動作とで、はっきりとその旨を表示しなければならない。なお、ある一つの塁を2人以上の走者が通過した際、その塁の空過を発見してアピールするには、どの走者に対するアピールであるかを明示しなければならない。例えば、甲、乙、丙の3人の走者が、三塁を通過し、乙が三塁を踏まなかったときは、乙に対するアピールである旨を明示しなければならないが、もしこのとき甲が空過したと誤って申し出て、審判員に認められなかった場合でも、その塁を空過した走者の数までは、アピールを繰り返して行うことができる。



白新高校の守備陣は、3アウトをとったため、全員がベンチへ引き上げた。このとき、フェアラインを通り過ぎて全員がファウルゾーンに入ってしまった時点で、アピールの権利を喪失した。このとき、岩鬼の本塁生還と得点が、ルール上確定したことになる。



4thout2

ルールくらい知っとけ、不知火。 


まとめると、守備側の白新高校がこの回を無得点に抑えるには、次の3つのいずれかの可能性があったことになる。

[ 1 ] 打者・微笑のバントフライを、不知火がわざと落球する。
すかさずボールを拾って二塁に転送(一塁走者の山田がアウト)、さらに一塁に転送(打者走者の微笑がアウト)して、ダブルプレー成立。
この場合、落球によって打者走者がアウトになっていないので、各ランナーには進塁義務がある。よって、フォースアウト(二塁転送で山田からアウトをとる)が可能となる。また第3アウトが打者走者なので、上記のポイント(4)が成り立たたず、得点は認められない。また、このダブルプレーの取り方は、インフィールドフライが宣告された場合には不可能だが、上記のポイント(1)によって、この場合は可能になる。

[ 2 ] 打者・微笑のバントフライを、不知火が捕球(打者走者の微笑がアウト)。
この場合、すでに岩鬼が本塁に達しているので、その得点を取り消すために、ボールを三塁に転送し、タッチアップをしていない岩鬼がアウト。ダブルプレー成立。

[ 3 ] 打者・微笑のバントフライを、不知火が捕球(打者走者の微笑がアウト)。
ボールを一塁に転送(一塁走者の山田がアウト)。これで3アウト。ただし岩鬼の得点は有効
この得点を取り消すために、ボールを三塁に転送して触塁し、「タッチアップをしていない岩鬼に第3アウトを適用する」と審判に申告する(三塁走者の岩鬼が第4アウト=第3アウトに置き換え)。



実際の野球の試合でも、これと似たような状況があった。
2012年8月13日、第94回全国高等学校野球選手権大会の第6日、済々黌高校(熊本)と鳴門高校(徳島)戦。
7回裏、済々黌高校の攻撃中、1死、1・3塁の場面。

ここで済々黌の打者がライナー性のあたりを打つが、ショートがファインプレーでこれを捕球した(第2アウト)。一塁ランナーも三塁ランナーもヒットエンドランを企図してタッチアップなしで飛び出しており、三塁ランナーは本塁に到達。ショートはボールを一塁に転送し、一塁走者がアウト(第3アウト)となった。
ところが、三塁ランナーの本塁到達が認められ、済々黌に得点が入った。鳴門高校はアピールアウトをとらずに全員がベンチに引き上げたため、アピールの権利を失った。



まったく同じ状況。


このとき、済々黌の三塁ランナーは、子供の頃に「ドカベン」を読んだことがあり、アピールアウトのルールを知っていた。あえてタッチアップのための帰塁をせず、一塁ランナーがアウトになるよりも先に本塁に入り、本塁到達のタイミングを主審に確認している。その後は素知らぬ顔をして、鳴門高校が気づかないままベンチに引き上げるのを黙って見ていた。

アピールアウトは、本塁への進塁が絡む際に発生することが多い。主にスクイズだ。プロ野球よりも高校野球のほうがスクイズを多用するので、このルールが適用される状況は高校野球のほうが多い。
甲子園大会を見ていると、1アウトで1, 3塁か2, 3塁という状況は、わりと多い。そういう時にスクイズを選択するチームも多い。そういう時には、「ちゃんとルール分かってるかな」と、要らん心配をしてしまう。



日本の漫画っていろいろ勉強になるなぁ。
ペンギン命
ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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