たくろふのつぶやき

毎日がエブリデイ。

単語の文字列

Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn't mttaer in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be a toatl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.


「ケンブリッジ大学の研究によると、ひとつの単語における文字の順序は問題ではなく、唯一重要なのは最初と最後の文字が正しく書いてあることである。残りの部分の文字の順番はどうでもよく、何の問題もなく読める。その理由は、人間は一字一字を読んでいるのではなく、単語全体を認識しているからだ。」



(参考)
入れ替えても気づかれにくい単語

拶挨、螂蟷、蝣蜉、蛛蜘、蝠蝙、魎魍魅魑、躇躊、躅躑、蜴蜥、髏髑、萄葡、凰鳳、匐匍、蚓蚯、賂賄。




「ケンブリッジの研究」ってのはフェイクだけどね。

高等学校卒業程度認定試験(数学)

 
kousotsunintei




解けない奴は高校卒業を名乗っちゃダメだろ。

「卓球少女MAIKO」




平野美宇(日本生命)
早田ひな(日本生命)



顔よりもフォームのほうが分かりやすい。

ノウハウ

「あいさつには名前をつけろ」(接客)
「アフターフォローは上客を呼ぶ」(保険業界)
「オーナーがこだわりを捨てると店ははやる」(空間プロデュース)
「オレンジ色は食欲を刺激する」(食品業界)
「お客は靴と時計で見抜け」(ソムリエ)
「お久しぶりですね、は三流」(バーテンダー)
「お座敷では毎日の行いが出る」(花柳界)
「きれいなトイレは汚せない」(スーパーマーケット)
「クレームは最後まで聞く」(キャビンアテンダント)
「ゲームの発売日は木曜日」(ゲーム)
「コンビニおでんは秋に売れる」(コンビニ業界)
「スタッフには、指示ではなく相談する」(外食産業)
「ストーリーは三幕構成で山場を作れ」(映画業界)
「たらい回しにヒットあり」(出版業界)
「トップの椅子は3つある」(芸能界)
「ネタはお客の顔を見て決める」(落語家)
「ネットの1行広告は13文字」(ネット通販業界)
「ヒット商品は多数決から生まれない」(飲食業界)
「ファーストクラスは態度がぶれない」(キャピンアテンダント)
「プリンターはインクで儲けろ」(プリンター業界)
「プレイング・マネージャーに名上司なし」(人材業界)
「プレスリリースは1枚にまとめろ」(広報マン)
「プレゼンの前日はホステスを口説け」(広告業界)
「プロジェクトが行き詰まっても、増員するな」(ソフトウエア業界)
「ホラー映画は不況に強い」(映画業界)
「メモのうまい美容師はカットもうまい」(美容師)
「ヤクルトおばさんが『これ、何?』と聞く映画はヒットする」(映画業界)
「飲食店の開業は1~2月が最適」(外食業界)
「汚い工場から、名品は生まれない」(製造業)
「家を売るなら奥さんを口説け」(不動産)
「家具店は外車ディーラーの近くがいい」(家具)
「会社の業績はトイレでわかる」(コンサル)
「怪我と弁当は自分持ち」(とび職)
「皆が嫌がる仕事ができて一人前」(町工場)
「階段は駆け上がるな」(アナウンサー)
「企画はコンプレックスをつけ」(出版業界)
「休日の飛行機でくつろげないなら一人前」(航空)
「泣き別れは商品価値を下げる」(家電量販店)
「給料日前は生活必需品、給料日後は嗜好品を値引け」(小売業界)
「金持ちは貧乏人から物は買わない」(宝石商)
「見積書は2つ持て」(商社)
「交差点は左折」(タクシー業界)
「困ったときは動物と子ども」(広告業界)
「混んできたら、BGMのテンポをあげろ」(外食業界)
「作業記録を開示せよ」(航空)
「子ども番組の改編は4月じゃなくて1月」(テレビ業界)
「私も使っています」で信頼を得よ (販売)
「実車とすれ違う道は、吉」(タクシー業界)
「社員は優良顧客」(自動車メーカー)
「酒が飲めないほうがバーテンダーは成功する」(バーテンダー)
「寿司は客を見てから握れ」(寿司職人)
「出店は、競合店の近くがいい」(居酒屋業界)
「準備のないところにチャンスは来ない」(舞台俳優)
「商品の色は3色に絞れ」(商業デザイン)
「上手い人より早い人が生き残る」(放送作家)
「人気商品は付属品で稼げ」(小売)
「声かけが盛んなスーパーは売れる」 (流通)
「全国ヒットを狙うなら、北海道を制せ」(食品業界)
「素材だけを使っても、フランス料理にはならない」(料理人)
「送料無料はネットで刺さるキーワード」(ネット通販業界)
「他業界からミスを学べ」(パイロット)
「大道芸は、美術館の近くが穴場」(大道芸人)
「棚には赤と緑の商品を交互に置け」(スーパーマーケット)
 「段取り八分、仕事二分」(大工)
「値引きは二個目の商品から」(スーパーマーケット)
「通販番組では、値段を最後に言え」(通販業界)
「提案は3つ出せ」(ソフトウェア)
「適職は自分ではわからない」(人材業界)
「電話営業は月曜の朝に攻めろ」(テレマーケティング業界)
「『東大』は読者に刺さるキーワード」(出版)
「2時間ドラマは、10時またぎに濡れ場を入れろ」(テレビ業界)
「日本人はラス1に弱い」(キャビンアテンダント)
「売れる商品には適量がある」(食品業界)
「売上が落ちたら値段を上げろ」(おむつメーカー)
「発想はポジティブに、詰めはネガティブに」(広告)
「発売延期をくり返すソフトに名作なし」(ゲーム業界)
「披露宴は洋食で儲けろ」(ホテル業界)
「評論家は深く掘り下げると広くなる」(マスコミ業界)
「不器用な職人ほど大成する」(大工)
「不況になると鉄道本が売れる」(出版業界)
「福袋は松竹梅で売れ」(百貨店業界)
「名器は真似して学べ」(設計士)
「要約できない脚本にヒットなし」(映画業界)
「欲しい車はよく街で見かける」(放送作家)
「緑と紫のオモチャは売れない」(玩具メーカー)
「練習は本番のように。本番は練習のように」(サッカー選手)




他者に対するものと己に対するものに分けられる。

Bizarre Love Triangle (Frente!)




一人暮らしの時代、夜によく聞いてた

第95回箱根駅伝。

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第95回箱根駅伝。


東海大学が46回目の出場にして悲願の初優勝を飾った。
絶対本命と目され、大学駅伝3冠、箱根5連覇を狙った青山学院は往路でまさかの失速を喫し、復路で猛追するも巻き返しには及ばなかった。

東海大学は正直言って、今回の初優勝を祝うというよりも、「なぜ今まで優勝できなかったのか」という疑問のほうが先に立つ。有力高校へのコネクションを活かして有望な生徒を軒並み青田買いし、優秀な生徒を採りまくった。今大会の登録16人中10人を占め「黄金世代」と称される3年生は、そのリクルートシステムが頂点に達した年の入学者だ。

「優秀な生徒を採りまくる」と言うのは簡単だが、それを実行するには大学側の強力なバックアップが必要となる。学生の入学許可というのは、大学の中でもかなり高次に属する機密事項で、いち運動部の監督風情が簡単にシステム化できるものではない。保健体育審議会が強力な権限を持ちすぎる大学は、日大のように歪んでしまう。

つまり東海大学の強力なリクルート力は、大学が両角監督にかなりの権限を認めていることの証左だ。入試に関する一部の権限を認められているということは、それだけ成果を出すことを要求されるということでもある。
東海大は強力な学生を何人も採っておきながら、駅伝では結果を出しているとは言いがたい。「黄金世代」がとったタイトルも、2017年の出雲駅伝の1冠しかない。

もともと東海大学はトラックに特化したスピードランナーを育成することに長けており、関東インカレ、日本インカレ、日本選手権ではきちんと結果を出している。その点では両角監督はきっちり仕事をしてきたと言える
もともとスピードに特化したトラック練習では、1区間20km以上、それが10区間も続く箱根駅伝に勝つのは、そもそも無理なのだ。つまり従来の東海大の強化スタイルからすると、もともと箱根駅伝は「最初からターゲットにない大会」と切って捨てるのが正しい選択だと思う。

しかし大学としては、「やはり学生長距離は駅伝で勝ってなんぼ」「駅伝の中でも『箱根駅伝』に勝ってなんぼ」という圧力をかけてくるのだろう。広告効果も段違いだし、世間的な知名度も高い。学生募集にも大きく影響する。そういう「俗的な利益」を圧力に、大学から両角監督にはかなりのプレッシャーがかけられていたのだと思う。そうでなければ、両角監督が今年度になっていきなり方針転換した理由が見当たらない。

両角監督は今回の箱根駅伝に際して、事前2ヶ月の練習方法を変えた。従来は直前まで選手を競わせ、負荷をかける練習を繰り返していた。これはトラック競技の仕上げ方だ。箱根駅伝やマラソンの仕上げ方ではない。記録会にほぼ皆勤状態で参加し、そのたびに選手は力を振り絞らざるを得ず、いざ箱根本番の時には疲労困憊、ということを毎年繰り返した。

その練習方法は選手の反発を招き、コーチも反対するなど、東海大学内では「直前2ヶ月の練習方法」について迷走した。結局、両角監督が折れる形で調整方法を変えた。記録会への参加を取りやめ、距離走を増やし、ロードに対応するための走り込みを増やした。その成果が箱根優勝だ。

問題は、その成果が東海大学にとって良いことなのかどうかだ。東海大学の選手の中には、箱根駅伝よりもトラックシーズンでの成績を重視し、記録の出やすい冬の時期にトラック記録を狙いたい選手もいる。湊谷春紀主将も「この時期は5000メートル、1万メートルですごく記録が狙える。翌年のトラックシーズンを見据えている選手に関してはどうかな」という意見があったことを認めている。

かように学内意見が割れたことを押し切って両角監督が箱根仕様に練習方法を変えたのは、他でもない、そうせざるを得ない事情があったからだろう。何が何でも箱根を勝て。特に「黄金世代」の3年生がいる間に結果を出せ。そういうプレッシャーが大学からかけられていたのだろう。この強化策が東海大学にとって正しい選択だったのかどうか、箱根に勝つことで捨てたものの価値は本当にどうでもいいのか、来年度の東海大を見てみないと分からない部分がある。

幸か不幸か、東海大学の方針転換は、東海大内でくすぶっていた「ロード特性のある学生」が一気に開花するきっかけとなった。今回の東洋大学で優勝の原動力となったのは、鬼塚翔太、館沢亮次、關颯人といった1年時から活躍していた「エリート」ではない。西田荘志(5区・区間2位)、中島怜利(6区・区間2位)、阪口竜平(7区・区間2位)、小松洋平(8区・区間賞、区間新)といった「干され組」が区間上位で結果をきっちり出し、優勝に貢献している。この4人のうち、出雲駅伝、伊勢駅伝に出走したのは、出雲の3区を走った中島怜利(区間12位)、伊勢を走った西田荘志(区間3位)だけ。8区区間記録を22年ぶりに更新してMVPに輝いた小松洋平に至っては、3大駅伝初出場だ。こうした選手が、ロード対応の調整方法にフィットし、今回の成果につながっている。

また、2位に終わった青山学院、3位の東洋大学の「敗因」も大きいだろう。東洋大学は往路優勝、青山学院は復路優勝と、それぞれ強さは見せている。しかし、それぞれ「裏」の走路ではブレーキ走者を出している。

青山学院の敗因は明らかだ。2区(区間10位)、4区(区間15位)、5区(区間13位)の3区間で区間順位2桁に沈んでいる。さすがの青山学院でも、2桁順位の区間が3つもあっては勝てない。
4区の岩見秀哉は走り始めてすぐ低体温症を発症し、体が動かなくなってしまった。調整の失敗というよりも、勝負のかかった緊張した場面で、相手が東洋大学の相沢晃(4区・区間新記録)というプレッシャーがかかり、心理的に圧迫されたのだろう。この勝負所の大事な局面は、経験のない初出場の選手にはちょっと厳しい。青山学院の原監督も4区が采配ミスだったことを認めている。
5区の竹石尚人は、足のテーピングの貼り方、下りだけ快調に走り切ったことなどから見て、最初の5kmあたりの地点ですでに両足が攣っていたのだと思う。筋肉が弱いというよりも、おそらく寒さに弱いのだろう。箱根5区の上りの適正は、夏合宿ではかることが多い。夏の時期には柔らかくて調子のいい筋肉が、箱根駅伝の時期の5区山登りではうまく働かないのではないか。

一方の東洋大学も敗因が明らかだ。復路が遅過ぎる。主力を往路に集中して、駅伝にとって重要な「チームとしての流れをつくる」という点ではうまくいっていたが、流れをつくることに全力を傾注しすぎて後続の備えが薄くなりすぎた。7区の小笹椋は、もともと青山学院の林奎介対策に差し向けられた「刺客」だが、約1分半の差をつけられている。区間3位ではあるが、2位の東海大・阪口竜平にも区間記録で1分の差をつけられ、往路の貯金をすべて使い果たし4秒差まで詰められてしまった。ほかにも9区・中村拳梧は区間19位、10区・大沢駿は区間10位。復路の層の薄さが敗退につながった。
往路から競った展開になっていた東海大学に抜かれたのは仕方がない。しかし、往路で5分30秒差をつけ、ほぼ勝ちを手中に収めた青山学院にまで抜かれたのはまずいだろう。東洋大学は、あたかも「復路など無い」かのような、往路に偏りすぎた区間配置が負けにつながった。


青山学院と東洋大学で、ひとつ印象的な違いがあった。
青山学院は今回2位、東洋大学は前回2位。その10区ゴール直後の写真がある。


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左:今回大会(2019年)、2位の青山学院
右:前回大会(2018年)、2位の東洋大学 


ともに優勝を逃した直後の写真だが、表情が全然違う。
前回の東洋大学は、一言でいうと悲壮感に溢れている。この世が終わったかのような絶望的な表情だ。
一方の青山学院は、3冠・5連覇を逃した後とは思えないほど、明るい表情をしている。勝負が終わってすぐにも関わらず、すでに負けを自分の中で認め、消化し、それを次に繋げる準備ができている。自分も他人も責めるつもりが全くない。

この写真からは、両チームが常日頃から行なっているメンタルトレーニングの、圧倒的な差を感じる。おそらく、東洋大、青山学院、ともに箱根駅伝の翌日から練習を始めるだろう。しかし、どちらの練習のほうがどれほど効果があるか、やる前から見えているような気がする。おそらく、東洋大学が青山学院に勝てないのは、こういう所に原因があるのではあるまいか。

箱根駅伝期間中、誰も口にはしていないが、東洋大学は今年度、寮で勝手な振る舞いを繰り返した1年生部員に激高した上級生が暴力行為を働いて、1年生部員が退学する事件を起こしている。また、東洋大学の主力は下級生が多く、上級生になるほど人数が少なくなる。酒井監督は「同じ実力であれば下級生を使う」と嘯いているが、単に「使い物になる上級生がいない」というだけの話だ。毎年、育成されずに潰され、部を去って行く部員が多いのではないか。東洋大学は、競技そのものとは関係ないストレスが、部員全体を覆っているように感じられてならない。


その他に目に付く結果としては、なんといっても国学院大学だろう。堂々の総合7位。大学の過去最高順位を更新した。5区・浦野雄平は区間新記録で区間賞。前回大会では1区を走り、区間2位。「誰だあれ!?」と騒がれた選手だ。国学院大学は前回、区間最下位になる走者もいたが、3区(区間5位)、4区(区間3位)、7区(区間5位)など、好走した区間も多かった。今回はそこまで上位に入る走者はいなかったが、全体的に区間6〜12位くらいの中盤に踏みとどまる堅実な走者が多かった。

法政大学も6位に入り、堅実に結果を残した。好成績を残した国学院と法政の共通点は「5区山上りに大砲がいる」「極端に失速する区間がない」ということだ。関東学連は「5区だけで決着がついてしまう」という状況を嫌い5区の区間を短くしたが、相変わらず5区ひと区間だけで3分程度の借金は返済できるのが現状だ。法政大学は5区・青木涼真が、区間3位ではあるものの昨年の自己記録を15秒短縮する見事な走りで7人抜きを演じた。

そして、いつもの通り、いつのまにか帳尻を合わせ、いつのまにか10位につける中央学院大。かつてその不思議さについての記事を紹介したことがあったが、今回も主力が離脱した厳しい状況で、きっちりシード権を確保してきた。往路で15〜16位をうろうろしていた後、どうやって10位まで上がってきたのかすら分からない。ここまで狙い違わず目標を達成し続けると、川崎監督はなにか魔法でも使ってるのではないかという気がしてくる。

逆の目立ち方としては、総合12位に終わった早稲田大学が気になる。今年度は出雲が10位、伊勢が15位の、すべて二桁順位。惨敗と言ってよい。ケガで主力が離脱し、育成も間に合わず、限られた戦力で戦わざるを得ず、散々な1年だった。早稲田OBの瀬古利彦は、やたらと1年生の中谷雄飛を絶賛していたが、1区で区間4位に終わった。記録も1時間2分42秒と、去年同じ1年生で区間賞を穫った西山和弥(東洋大)よりも30秒近く遅い。 それほど絶賛するほどの仕上がりではなかった。シード権すら確保できず、来年は予選会からの出場になる。今の早稲田に予選会を突破する伸びしろは残っているのだろうか。


今回の箱根駅伝を俯瞰すると、レベルが爆上がりした印象がある。
今回の往路優勝は東洋大学、復路優勝は青山学院、総合優勝は東海大学。仲良く優勝を分け合った感があるが、その記録が凄い。
往路1位の東洋大学は5時間26分31秒、2位の東海大学は5時間27分45秒。これは前回大会の往路優勝の東洋大学(5時間28分29秒)よりも格段に速い。
また復路1位の青山学院は5時間23分49秒、2位の東海大学は5時間24分24秒。これは前回大会の復路優勝の青山学院(5時間28分34秒)よりも格段に速い。
また総合記録でも、1位の東海大学は10時間52分09秒、2位の青山学院大学は10時間55分50秒。これは前回大会の総合優勝の青山学院(10時間57分36秒)よりも速い。

つまり青山学院は、あれだけ2, 4, 5区のブレーキがあったにも関わらず、総合タイムとしては去年よりも速いのだ。それだけ今年の東海大学が速かったということになる。

また個々の記録でも区間新記録が続出した。3区で森田歩希(青山学院)が12秒更新、4区で相沢晃(東洋大)が1分27秒更新、5区で浦野雄平(国学院)が50秒更新、6区で小野田勇次が4秒更新、8区で小松陽平が16秒更新。1回の大会でこれだけ区間新が出る年も珍しいだろう。
ほかにも、2区で塩尻和也(順天堂)が三代直樹の日本人記録を1秒更新、7区の林奎介が自己のもつ区間記録に2秒差で走るなど、好記録が続出した。

各校、「対・青山学院」の包囲策を念入りに練ってきたと見えて、従来の青学の勝ちパターンのところに主力をあててくるようになってきた。その結果、「主要区間」の置き方が変化している。
たとえば、従来「つなぎの区間」と見られて下級生が置かれることが多かった4, 7, 8区に各校が主力を置いた。4区は東洋大学が相沢晃、東海大学が館沢亨次を置いて、山の前に優位を作ろうとする作戦を敷いている。
7区は去年区間新を出した林奎介対策のため、東洋大学は主将の小笹椋、東海大学は阪口竜平を置いている。東洋は前回大会で7区で逆転不可能な大差をつけられたのが、よほどこたえたのだろう。

青山学院の勝ちパターン、「7区、8区でぶっちぎる」という策を封じることが、各校の主要な区間配置の要点だったようだ。前回まで8区を3回連続区間賞をとった下田裕太は、前回の8区を1時間4分46秒で走っており、これは区間2位に1分半をつける大差だった。しかし今大会では、小松陽平(東海大、1時間3分49秒)、飯田貴之(青山学院、1時間4分34秒)、鈴木宗孝(東洋大、1時間4分44秒)の3人が去年の下田よりも速く走っている。伊勢翔吾(駒沢、1時間4分50秒)もたった4秒差で、各校が「青山学院の8区を封じる」という策をとり、主力を配置するようになってきたことが分かる。

レベルの上昇が顕著だったのが6区だ。6区は「60分台で普通、59分台で上出来、58分台で一流」というのが通例だ。特殊区間なので、同一大学では同一選手が担うことが多い。
前回、青山学院の小野田勇次に1分28秒差をつけられ「人間じゃねぇ」との評を残した今西駿介は、今年、自己記録を1分25秒も短縮した。また去年の区間2位だった中島怜利も、58分36秒から58分06秒に、30秒縮めている。その他にも、今回の6区は58分台が4人、59分台が6人という有様だ。さらに上には上がいるもので、「下りの神」小野田勇次は、とうとう箱根史上初の57分台(57分57秒)に突入した。
例えば10年前、当時1年生だった柏原竜二擁する東洋大学が初優勝した2009年(第85回大会)、6区の区間賞は59分14秒(大東文化大・佐藤匠)だった。これは今年の記録だと区間7位の成績に相当する。10年の間に、箱根の6区はかような進化を遂げている。


東海大の総合新記録を見ると、東海大は決して「たまたま勝った」のではなく、「勝つべくして勝った」と評することができるだろう。青山学院・原晋監督の言うとおり、「進化止めた時点で退化が始まる」のが、最近の箱根駅伝の動向だ。青山学院は「箱根メソッド」が確立されていると豪語し、それに従い去年までのやり方を踏襲して、敗れた。常に新しい戦い方を模索し、新しい挑戦を続けて行かないと勝てない。東海大も、現在の3年が抜けたらどう戦うのか、模索が迫られる。来年以降、各校がどのように鍛え、どのように戦うのか、また楽しみがひとつ増えた。



区間新のピコンピコンが何度も聞けた。

何のために、どこに作るか

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富岡製糸場に行ってきました。


1872年(明治5年)設立。明治政府が設立した官営工場で、輸出品の要である生糸の品質向上と生産のために作られた。明治期には日本製の生糸が世界一になるほどの技術力を誇る。1987年(昭和62年)に操業を停止するまで115年にわたり日本の生糸産業を牽引し続けた。
2014年(平成26年)、世界遺産に登録。

小学校のときに社会の授業で習った。「富国強兵・殖産興業」のうち殖産興業の一例として教科書に載っている。当時から、この製糸場について非常に不思議なことがあった。
なぜ、明治期に最先端の官営工場を作ったのが群馬県なのか。

上信越自動車道を富岡ICで下りると、非常にさびれた感じの街が広がっている。富岡製糸場の近くにも古くから続く地元の商店が続いており、中には閉店し空家になった商店もある。かつての官営工場で栄えた街とは思えない。まぁ、富岡製糸場はあるが、富岡製糸場しかない場所と言っても過言ではない。
どうして明治政府は、こんな所に官営工場を作ったのか。

富岡製糸場でもらった資料を見てみると、その理由は主に5つあったらしい。

(1) 生糸の原料である繭を確保するため、養蚕が盛んな土地であること
(2) 工場用地の広い土地が確保できること
(3) 良質の水が確保できること
(4) 燃料の石炭が採れること
(5) 外国人指導の工場建設に対し地元住民の同意が得られたこと


怪しい。怪し過ぎる。


まぁ「たくつぶ」の読者の方にはお馴染みでしょうが、研究者の常として、僕には日頃から世の中を疑ってかかる習性がある。
この手の「きれいごと」には、非常に胡散臭いものを感じる。

まず第一に怪しいのは、富岡に工場を作った理由がことごとく「流通経路」と「労働力」を無視していることだ。
生糸は、国内需要のために生産していたのではない。外国に売って外貨を獲得することが目的だ。だから輸出が大前提になる。当時の商港は関東地方では横浜に限られていたから、製品の生糸をわざわざ横浜まで運ばなければならない。

工場の立地条件には、大雑把に分けて「原料立地」「市場立地」「労働力立地」がある。工場をどこに立地させるかは、その原料と製品の「運搬費」、つまり流通経路が要素となる。
「原料立地」は、要するに重いものを原料とする産業に属する。鉄鋼業やセメント、金属、精油などの重工業がこれに相当する。
「市場立地」は大都市や消費地に工場を作る方法で、消費傾向が大都市に偏る産業に属する。清涼飲料水、ビール、出版、化粧品などがこれに相当する。
「労働力立地」は、安価な労働力あるいは熟練工が必要な産業に属する。繊維工業、服飾、宝石、精密機械などがこれに相当する。

上の富岡製糸場の工場立地条件を見ると、要するに「原料立地」で工場を建てていることになる。
しかし、生糸のような軽工業はそもそも原料立地にするほど原材料に縛りがあるわけではない。運搬費だって鉄や原油に比べれば格段に安い。わざわざ群馬の山の中に工場を建てなければいけない理由が「原材料の蚕の調達の必要性」とは、とうてい考えられない。 軽工業は、ふつう労働力立地で工場を作る。

富岡製糸場開業当時、もっとも困難だったのは「原材料」でも「石炭」でも「水」でもない。間違いなく「労働力」だっただろう。年頃の女の子を全国からかき集め、労働力として技術を身につけさせた。
富岡製糸場で資料を閲覧すると、当時の工女は別に群馬近辺の地元民に限ったものではなかったらしい。むしろ開業当時は工女のなり手がおらず、工場の要職の子女や、政府の要職を占めていた薩摩・長州の良家の娘が送り込まれていた。当時の工女の日記を見ると、地元出身の娘が「私は最初の1年は既製品のチェックしかさせてもらえなかったのに、長州出身の娘は私よりも後輩のくせにもう糸を紡がせてもらっている」と、出身地による依怙贔屓が行われていたことに対する苦情が綴られている。

かように全国から人員をかき集める製糸場として、富岡という地はそれほど便利な土地には見えない。高速道路や新幹線が整備している現在とは違い、当時の移動手段は船や陸路に限られただろう。官営工場であれば、そういう移動費はすべて国が負担しなければならない。
上の(1)〜(5)の条件は、「労働力の確保」「製品の流通」という最重要条件をまるで無視している。なのに、敢えて富岡にこんな大層な工場を建てた明治政府の意図は何だったのか。

実際に工場を見て、非常に違和感を感じたことがある。
設備投資に金をかけ過ぎなのだ。当時の最先端技術を注ぎ込み、フランスの技術者を雇い入れ、必要な機材をバンバン輸入している。工場の機械すべてを動かすエンジンも、当時の日本では作れない代物なので、フランスからはるばる輸入している。

工場の機械だけでなく、工場の建物そのものの建築様式も当時の最先端技術を使っている。当時は電力ではなく石炭による蒸気で機械を稼働させていたので、建物内には照明がない。そのため自然光を効率よく採り込んで明るい視界を確保するため、建物の窓の向きや大きさまで緻密に計算されて作られている。実際に見学してみると、電気の照明がなくてもかなり明るい。


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超絶気合を入れて作った工場。


日本の建物は木造なので、柱を中心として梁をめぐらせる工法が一般的だが、工場ではそれができない。体育館のように柱のないフラットな空間が必要となる。しかもコンクリートが普及していない時代なので、木造の骨組にレンガを使う、という和洋折衷の建築にならざるを得ない。当時、そこまでの建築技法は日本になかったため、当時の技術者は富岡製糸場を建築するために新しい工法をわざわざ編み出した。

施設を見学しながら、「設備投資や工場建築に必要な予算」と「実際に生糸によって得られる利益」をフェルミ推定してみた。iPhoneの電卓をはじいてみたところ、どうしても赤字になる。しかも、かなりの赤字だ。維持費を含めると、相当の出費がかさむことになる。「殖産興業」どころの話ではない。こんな赤字工場を、金に糸目をつけずに作った明治政府の意図は何だったのか。

富岡製糸場で働く工女は期限制で、そこで働く期間は「3年間」と定められていた。3年もみっちりと最新設備で働けば、生糸を精製する技術が身に付く。3年というのは、ずぶの素人が一等工女の資格を得るための平均的な年数だったようだ。
富岡製糸場で一等工女の資格を得た工女たちは、全国の生糸工場に散って現地で製糸技術を指導した。それが全国各地津々浦々に伝播し、日本の軽工業全体のレベル向上に貢献した。

つまり富岡製糸場は、それ自体が製造工場というよりも、製糸技術を身につけるための学校だったのだ。そこで生産する生糸そのものが目的だったのではなく、全国に派遣するための熟練工を養成することが第一の目的だった。だからこそ明治政府は、金に糸目をつけずに最新設備・最新技術を結集させた。もし仮に富岡製糸場が「利益を第一とする生産工場」であれば、この採算度外視の方針は矛盾している。

実際に富岡製糸場を見学して驚くのは、当時使っていた施設や機材が見事に保存されていることだ。この保存状態の良さは、ユネスコが世界遺産として認定したときの理由のひとつとなっている。
富岡製糸場は1987年(昭和62年)に操業を停止し、2014年(平成26年)に世界遺産に認定されている。その間、実に27年にわたって、地元の人達は富岡製糸場を保存し続けた。

保存するとは言っても、年間の維持費は莫大な額になるだろう。富岡製糸場を払い下げられた民間の片倉工業は、「売らない、貸さない、壊さない」を方針とし、頑に維持と管理を徹底した。固定資産税だけで年間2000万円は下らない。その他、建物の補修、機械の維持など、もろもろ合わせると、維持費はおそらく年間1億円は超えるはずだ。

操業停止の頃は、まだ「世界遺産への登録」という動機付けはなかったと思う。世界遺産という制度そのものは1972年に始まっているが、日本初めての世界遺産(法隆寺、姫路城、屋久島、白神山地)が登録されたのは1993年、富岡製糸場が操業停止してから6年も後だ。世界遺産に登録されるまで間、地元の人は富岡製糸場を潰して他の用地として転用することはなかった。

僕の勘だが、明治政府が富岡を製糸場建設地として選んだ本当の理由は、そこにあったのではあるまいか。
街中を見てすぐ分かる通り、富岡市には製糸場以外には何もない。他に特筆するべき産業もなければ、景気のよい企業もない。また北関東地域の特性として保守的で、内陸的な風土から「革新」よりも「保守継続」を重んじる。

富岡製糸場の本当の機能が、製品製造よりも教育的機能にあるのだとしたら、最も重要な立地条件は何か。
学校教育に必要な条件は「継続性」だ。時代の変遷によってコロコロ変わるのではなく、深くどっしりした方針に従って脈々と教えを受け継ぐ。教える内容だけでなく、ハードとしての「学校」という施設そのものに、長期にわたる継続性が必要となる。

富岡には製糸場しかないから、製糸場を潰してしまえば何もなくなる。地元の人は保守的だから、一旦製糸場の存在意義を浸透させ「町の誇り」にしてしまえば、簡単には潰されない。
明治政府は、教育機関としての製糸場を永続させる」という条件を満たす場所として、富岡を選んだのではあるまいか。

明治政府は、工場設立から20年ほど経った1893年には、早くも富岡製糸場を民間に払い下げている。115年も続いた工場を最初の20年で払い下げるのは、どう考えても早過ぎる。 儲かる工場だったら、政府がそんなに簡単に手放すはずがない。これは明治政府が製糸工場が赤字操業になることが最初から分かっており、その「学校機能」を保持したまま工場を存続させることが第一の重要事項と考えたからだろう。

とはいえ、正直に「富岡には何もないから、最先端の工場を、簡単には潰すまい」とは言えない。だから「まわりに桑畑がある」「水が確保できる」「石炭が手に入る」などという、もっともらしい理由を後付けで考えたのではないか。
それらの理由がまったくのでっちあげとは言わない。それぞれ、半分くらいは当たっているだろう。しかし本当の理由は、工場としての採算を度外視しても、教育機関としての製糸場を永続させることではなかったか。

教育というのは、「役に立たないことを延々と続ける」という側面がある。当時の殖産興業の時風では、利益第一を求めるあまり「赤字なら潰してしまえ」「役に立たないなら取りやめろ」という意見が強かっただろう。明治政府は、そういう「効率化」から産業の育成を隔絶し、じっくりと時間をかけて産業を担う人材を育成すべく、地域的に遠い富岡に官営工場を作ったのだと思う。富岡は「地域的に隔絶しているのに工場が作られた」のではなく、「地域的に隔絶しているから工場が作られた」のではないか。

明治政府の見識の正しさは、現在も良好な保存状態で富岡製糸場が現存している、という事実が証明している。日本全国の至るところの市町村が、ここまで維持費のかかる工場を保存し切れたとは思えない。「富岡だから、ここまで保存できた」という側面は大きかろう。

歴史を知ろうとするときには、表面的な事実だけでなく、「そもそも、何を意図して成されたのか」というところまで掘り下げないと、なかなか本当の姿が見えてこないことがある。富岡製糸場は、そういった事例のひとつではあるまいか。

富岡製糸場のうち操糸場と置繭所は国宝に指定されているが、指定されたのは世界遺産に登録された後だ。文化庁は、ユネスコの評価に遅れをとったことになる。富岡製糸場は運良く保存状態が良かったが、遅きに失する文化財が有り得ることになる。しっかり仕事してほしい。




korokke

製糸場近くのお肉屋さん。
揚げたてのコロッケとカレーパンをいただきました。 



世界遺産に指定されてから維持予算が増えた観がありました。

どの面下げてこんな社説を

「イッテQ疑惑 放送への信頼傷つけた」
(2018年11月17日 朝日新聞社説)

人気のバラエティー番組にいったい何があったのか。すみやかに真相を明らかにして、社会に報告する責任がある
日本テレビ制作の「世界の果てまでイッテQ!」に疑念が持たれていることに対し、大久保好男社長が謝罪した。

きっかけは週刊文春の記事だ。芸人が世界の祭りを訪ねる番組中の企画について、5月に放映されたラオスの祭りは存在せず、日テレ側の自作自演によるイベントだと報じた。当初日テレは「番組サイドで企画した事実はない」と反論していたが、タイの祭りでも同様の疑いがあると指摘されると、一転して非を認めた。企画は当面休止し、放送済みの111本の内容を可能な限り検証するという。当然の対応だ。高視聴率が生んだおごりか、あるいは数字を維持するために逸脱行為に及んだのか。

娯楽の要素が強いバラエティー番組は報道と違う、多少の演出は必要だ、という声もある。だが、「ない」ものを作り出して「ある」とする行為は、公共をになう放送番組として許されない。まして「イッテQ!」は「“真実”との出会い」をうたい、ロケの失敗も隠さずにリアルさをアピールしてきた。日テレ自身のコメントにあるように「猛省」が必要だ。

日テレは09年、「真相報道バンキシャ!」で虚偽証言をもとに間違った報道をし、社長が辞任したことがある。以来、危機管理やコンプライアンスの確立に取り組んできたはずだ。ところが今回、企画づくりに当たったコーディネーター会社に責任を押しつけるような態度をとった。その後、「放送責任はすべて日テレが負う」と軌道修正したが、批判の火に油を注ぐ形になったのは残念だった。

NHKと民放でつくる第三者機関BPO(放送倫理・番組向上機構)も日テレに報告書の提出を求めている。そのBPOは09年の意見書で、バラエティー制作者に「何でもありの心意気を失わないで」とエールを送りつつ、一部にある「見つからなければいい」といった態度に警鐘を鳴らし、視聴者が応援してくれる番組づくりを訴えた。また、別の放送局のバラエティーが問題になったときの意見書(14年)にはこうある。「バラエティーを成り立たせる『約束ごと』は、実にもろく、ちょっとしたことでひびが入る。それが続けば、テレビそのものへの信頼が崩れかねない」

フェイクニュースが横行する時代。何より大切にすべきは、この「信頼」ではないか







「厚顔無恥」の実例として後世に晒します

蝉の鳴く風景

次の文章を読んで、「私の風景」という題で、感じたこと、考えたことを、160字以上200字以内でしるせ(題を書く必要はない。句読点も1字として数える)。
 注意
 1. 例文の鑑賞や批評を求めているのではない。
 2. 採点に際しては、表記についても考慮する。


 夏が、そろそろ終わる。
 そう思うと、いつも、なぜだか、あたしの心の中にうかんでくる情景がある。
 そこは、どこかの空き地なのだ。雑草が適当にのび、地肌は見えない。別に囲いもさくもないから、空き地のすぐわきは道路で、その道路はアスファルトで舗装してある。そして、道路には、電柱が一本たっており、その電柱にはセミがとまっている。もちろん、セミはうるさいほどに泣いている。これは何の風景なのだろうか。
 夏の終わりっていうと、必ずこの情景が頭の中にうかんでしまうので、あたしはずっとそれを考えてきた。何度考えても、空き地と電柱以外には何もうかばないので、ひょっとすると、その辺は、全部空き地なのかも知れない。だが ー どこをどう、自分の記憶をひっぱりまわしても、あたしには、その情景に該当する風景の心あたりがないのだ。
 あたしが子供のころには、もうすでに東京は大都会で、空き地なんでめったになかった。一応、二つほどの空き地を覚えているのだが ー どっちも、すぐ横に、電柱なんてなかったし、一つは明確にさくでかこまれていたはずだ。
 それでも、なぜかこの情景は、あたしにとってとても懐かしく、おまけに思い出すと少々胸が痛む。泣きたいほどに、懐かしすぎるのだ。
 あれは、何の情景、どこの風景なのだろうか。現実にある風景なのだろうか。それとも、あたしの心の中だけに存在する、あたしにとって、夏の終わりの原風景なのだろうか。
 今でも、あの電柱では、夏の終わりにはセミが鳴いているのだろうか。



東京大学 1987年現代文[2]の問題。


1999年まで東大現代文が出題していた「死の第二問」のひとつ。
いままでたくつぶでは、このシリーズの出題を、1981年の「樹木の言葉」、1982年の「国木田独歩の手紙」、1985年の「金子みすゞの詩」と3題にわたって紹介してきた。
今回の出題も、それと同じカテゴリーの問題だ。題材にそこはかとなく「死の匂い」が漂い、受験生にとっては「何をどう書けばいいのかさっぱり分からない」という、文字通り「死の問題」だ。

余談だが、たくつぶの「東大現代文 死の第二問」シリーズはなかなか人気のある記事らしい。たまにアクセスランキングなどを見てみると、これらの記事を検索してたくつぶにいらっしゃる読者の方々が多い。どこかの文章作法の問題として使っていらっしゃる方がいるのかもしれない。
著作権など主張しませんのでどうぞご自由にお使いください。辻ちゃんと違ってブログで儲けようなどとはちっとも思っていません。


この問題が出題された1987年には、東大現代文第二問は、すでに受験業界で有名な話題になっていた。「作文」という客観的な優劣判断が難しい出題形式で、何を書けば合格答案になるのか、受験業界は必死に頭を絞っていた。
そして、ほとんどの場合が頭の絞り損に終わっていた。あからさまに「感性」「人間性」を問われている、と勘違いした模範解答が氾濫した。 

これは東大の出題が上手すぎた故のことだろう。東大は、感情で答案を書く受験生を嘲笑うかのごとく、罠として、一読して「かわいそう」と思わせるような内容を好んで出題していた。たとえば「国木田独歩の手紙」の1982年には、大学入試を勘違いした「人格者」が、たくさん不合格を喰らったことだろう。 

今回の「私の風景」でも、
喧噪渦巻く都会から隔絶された、隙間のような空き地で鳴くセミは、いままで勉強ばかりに励んできた自分の生き方が正しいのかどうかを突きつけてくる
どんなに都会であろうと、セミのように死ぬべきときが来れば死ぬしかない。このような寂寥とした風景を常に頭に留めて、後悔のない一生を送らなければならない
・・・のような零点答案が続出したのではあるまいか。 

いままでたくつぶの「死の第二問」を読んだことがある読者の方であれば、東大はこの問題であくまでも「学問を修めるに足りる資質」を問うているのであり、人間性や感性は関係ないということをご存知だろう。現代文という、感性に寄ってると思われがちな科目でも、あくまでも問われているのは「科学研究に必要な観察・分析能力」だ。

答案に際してのコツは、この問題を通して東大は「同じ内容を、違った形で何度も問うている」ということだ。すなわち、

・「主観」と「客観」の区別が問われやすい
・「循環構造」が隠れている

という「出題の癖」がある。
それを参考に今回の問題を見れば、何を答えなければならないのかは一目瞭然だろう。

一読して分かるのは、この筆者が「現実世界」と隔絶しているとおぼしき「心の風景」を設定していることだ。だから少なくとも、「現実」と「私の中の世界」の対比が答案の骨子となることが想像できる。「現実」が客観で、「私の中の世界」が主観だろう。客観と主観という、科学研究に必須な区別を問うのは十分に納得できる。
では、「現実」の何と、「私の世界」の何が、比較の対象となっているのか。

夏の終わりのセミ、ということは、このセミはそろそろ死ぬ運命にある。だから対比のもととなっているのは「死の概念」だろう。これは従来の「死の第二問」と同じ導入のしかただ。
ここで学問に必須な能力、「謎を発見する」が合否を分ける。この文章を読んで、ある箇所に対して「そりゃおかしいだろ」と感じられるかどうか。それが見つからなければ、答案は書けない。

普通、人は生まれて死ぬまで、人生を一度しか生きられない。生まれるのは一度きり、死ぬのも一度きりだ。人の人生というのは生まれてから死ぬまでの一直線であって、終わってしまえばその先はない。

しかし、筆者の「心の中の情景」には、それに反する記述が出てくる。


夏が、そろそろ終わる。そう思うと、いつも、なぜだか、あたしの心の中にうかんでくる情景がある

夏の終わりっていうと、必ずこの情景が頭の中にうかんでしまうので、あたしはずっとそれを考えてきた

何度考えても、空き地と電柱以外には何もうかばない


つまり、この文章の中では、「夏の終わり」が何度もあるのだ。現実の我々の時間概念からすれば、「終わり」というのは一度しかないはずだ。しかし、心の中の「私の風景」では、夏が何度も何度も巡ってきて、そのたびにセミが電柱で鳴いている。



endlesseight

「今回が15532回めに該当する」 


現実では「終わり」は一回しかないのに、心の風景では「終わり」が何度も巡ってくる。つまり心の中では時間が循環構造をしており、ぐるっと巡って同じ情景が何度も繰り返される。我々の死生観に立脚する直線的な時間概念とは異なり、観念上では、このように循環構造をする時間概念も有り得る。「季節」というのは、そういう観念を引き起こす概念のひとつだ。

そう考えれば、なぜ本文中で「それでも、なぜかこの情景は、あたしにとってとても懐かしく、おまけに思い出すと少々胸が痛む。泣きたいほどに、懐かしすぎるのだ」という感想になるのかも分かるだろう。夏の終わりは毎度繰り返されるから「とても懐かしい」のであり、そういう循環的な繰り返しは、自分の生死を司る直線的な時間観では「現実のものではない」から「少々胸が痛む」のだ。現実ではない観念を風景として見ているので「泣きたいほどに、懐かしい」という相反した感情になる。

なんのことはない、書くべき内容は、1981年の「樹木の言葉」と、まったく同じなのだ。「同じ内容を、違う形で何度も何度も問う」という東大の傾向は、ここでも適用されている。主観としての概念世界と、客観としての現実世界の対比を、わかりやすく出題に盛り込んでくれている分、「樹木の言葉」よりも難易度は低かろう。この「死の第二問」、よほど正答率が低かったと見えて、年を追うごとにヒントが分かりやすくなっている。

もっとも、ここまであからさまにヒントを出せば、気づく人も出てくる。「死の第二問」のからくりを見抜いて、対策を立ててくる人もいるだろう。
東大は、そういう受験生の対策を見抜いて、さらに上をいく出題をしてくる。この「私の風景」の2年後の1989年に、今では「伝説の第二問」と呼ばれている「啓蟄」の問題で、東大は出題の視点をがらっと変えてくる。通常の現代文では決して出題されない俳句という題材で、その感想文を問う問題を出題してくる。
その問題については、いずれ気が向いたらたくつぶでも記事にしましょうかね。


(解答例)
現実の我々は生から死まで一直線の時間軸を生きているが、観念上は始まりと終わりが循環する世界観が有り得る。一例として、毎年繰り返される季節がある。季節の境目となる情景を繰り返し思い浮かべるということは、生から死への直線的な時間概念の現実を生きていながら、循環的に繰り返す季節を何度も思い浮かべていることになる。何度も「終わり」を体感するという、矛盾した情景を思い浮かべるため、その感想は感傷的である。
(199字)




今年の夏は猛暑でセミが少なかったそうですね。

原子力は儲かる。

独立行政法人  原子力安全基盤機構
独立行政法人  日本原子力研究開発機構
独立行政法人  原子力環境整備促進資金管理センター
財団法人    原子力安全研究協会
財団法人    原子力安全技術センター
財団法人    原子力国際技術センター
財団法人    日本原子文化振興財団
原子力委員会(JAEC)(内閣府)
原子力安全委員会(NSC)(内閣府)
原子力安全 保安院(NISA)(経済産業省)
原子力発電環境整備機構(NUMO)
(社)日本原子力産業協会(JAIF)
(社)日本原子力学会(AESJ)
(財)原子力安全技術センター(NUSTEC)
(独)原子力安全基盤機構(JNES)
(社)日本原子力技術協会(JANTI)
(財)原子力安全研究協会(NSRA)
(独)日本原子力研究開発機構(JAEA)
(財)原子力研究バックエンド推進センター(RANDEC)
(財)日本原子力文化振興財団(JAERO)
(財)原子力発電技術機構(NUPEC)
(社)火力原子力発電技術協会(TENPES)
(財)原子力国際協力センター(JICC)
(社)原子燃料政策研究会(CNFC)
(財)原子力環境整備促進・資金管理センター(RWMC)



民主党政権時代、どれひとつとして事業仕分けの対象になっていない。



現代の錬金術。

手帳を見てまわる。

tecyou


街の本屋さんや文房具屋さんに手帳が出回ってくる季節になりましたね。


この時期になると、いろんなところで来年の手帳を売り出す頃になりまして、年末に向かう感が満載です。
年の瀬の風物詩というのはいろいろありますが、個人的にはその中に「手帳売り場」というのを付け加えたい気分であります。

僕は文房具好きなので、暇さえあれば手帳売り場をふらついています。新作や定番などいろんな手帳を手に取って、その使い心地を確かめるのであります。
たまに目を引く手帳があったら、一期一会の精神ですぐに買います。

あ、ちなみに僕は手帳は使いません
僕が使っているのはシステム手帳なので、その年が終わったら使い捨て、というわけではありません。中のリフィルを取り替えつつ、もう20年くらい使っています。学生時代、はじめて手帳を買った時に、「どうせ買うならしっかりした一生モノを買おう」と思って、アルバイトしてお金ためて買いました。


IMG_2456

fILOFAXのPocket Hamilton。もう売ってない。


ですから、僕が街中のお店で来年度の手帳を買うのは、観賞用です。
使うのではなく、来年の手帳のレイアウトや構成や手触りや質感などを確かめつつ夜に一杯やるのが僕の使い方です。
真の文房具好きというのはかくありたいものです。

なんというんですかね、初めて手帳を持ったときのことを思い出すんですよね。
僕がはじめて手帳なるものを持ったのは高校生の頃だったと思いますが、自分の予定を実際に書き込んでいくと、なんかとても大人になった感があったんですよね。
なんとなく予定の「つもり」を考えるのではなく、実際に紙に書いてみると、実際にそれを実行するための影響力に違いがある、というのを実感したのもその頃です。
だからなんですかね、手帳そのものを愉楽の対象とするというよりも、手帳を使ってその頃のことを思い出しているだけかもしれません。

まぁ、さすがに商品数が多いだけあって、高橋書店の手帳にはまぁまぁ見られるものがあります。「手帳は高橋」でおなじみの実用手帳ですね。
高橋書店の優れているところは、サラリーマン、学生、主婦、その他の職業別のモデルや、中高年、青少年の年齢別、それぞれの性別のモデルを特化して作り込み、訴求先を絞っていることですね。昨今のように商品数が多くなると、「なんとなく手帳です」というのは売れません。それぞれの使用者に、それぞれの使い方ができるように、細かく工夫してそれぞれのモデルを作り込んでいるところが凄いです。

それに比べて、V6の岡田准一の広告でお馴染みのNOLTYは、はるかに訴求先を絞っています。あれは明確にサラリーマンだけを対象としている手帳で、効率性と実用性だけを追求しています。レイアウト、フォント、色配置なども昭和臭が全開です。手に取った感じ、明確に「おっさん手帳」です。
もとからしてが、最近はNOLTYなんてオシャレに展開していますが、僕にとってはあれはいまだに能率手帳です。企業ごとに社員手帳として配ってた頃のレイアウトが基調になっているものです。ですから、NOLTYは厳しいビジネス社会を生き抜くサラリーマンにとっての「武士の刀」とでも言うべきものであって、ワタクシのようにフワフワ生きている輩がむやみに手を出すべきものではありますまい。


で、僕にとっての観賞用の手帳の条件ですが。
マニアだけありまして、僕の好みの手帳にはいろいろ条件があります。

1. 見開き一週間(横書き)式
2. かつ冒頭には見開き一ヶ月(ブロック式)付き
3. 余計な罫線がなく、白紙レイアウト
4. 裏写りしない紙質
5. 180度、平らに開く製本
6. フォントがゴチック体以外
7. カバー材質の柔らかさと手触り


これらの条件を満たさない限り、夜に一杯やるお伴としては失格であります。


で、ないんですよね。この条件を満たす手帳って。
(4)で裏写りしないというのは、僕は主に手帳を万年筆で書くからです。だいたいの手帳というのは、機能性と軽さを追求し、かつボールペンやシャープペンで記入することを想定しているので、紙質が薄いものが多いです。万年筆で書いたら2, 3ページくらい染み抜いていまうのもあります。

手帳というのは立ち書きできるようにコンパクトなものが多いですが、僕にとっては夜の観賞用ですので、机の上でじっくりと使うものです。だから(5)のように机上で使うことを前提にしている製本のほうがよろしい。

ほとんどの手帳は、条件(3)で全滅になります。僕は紙に引いてある罫線が嫌いなので、僕が使うノート類はすべて白紙です。
しかし、どうしてなんですかね、市販の手帳はことごとく余計な罫線が引いてあるんですよ。まぁまぁマシなので方眼です。純白の白さを誇る手帳というものが少な過ぎる。まったくけしからん。

邪推ですが、手帳メーカーは他社製品との差別化をはかるために、「いろいろと工夫していますよ」という仕掛けをやたらと盛り込みたがるのだと思います。それが売れるかどうかではなく、そうしないと企画会議を通らないのでしょう。ただの罫線に見えても、手帳の罫線というのは商品によって幅や太さや色がすべて微妙に違います。
そんな中、「一切罫線を引かない」という商品は、「積極的に顧客を穫りに行こうとしていない」と見られて忌避されているんだと思います。


で、手帳売り場にはあれだけ手帳が並んでいながら、買うに値するピッタリの手帳がなかなかないわけですが、とうとう見つけました。すべての条件を満たす手帳の中の手帳を。


esdaiary

枻出版社「ESダイアリー(見開き1週間式)」


素晴らしい。



ぱっと見て圧倒的に優れているのは、紙質です。他社製品とは明らかに紙質が違う。実際に試してみると、万年筆でもまったく裏写りしません。
製本も接着製法ではなく、丁寧に糸かがり製本ですので、机の上で180度きれいに開きます。手帳を開くときにストレスがありません。
使用フォントも「カッパープレート」という、のほほんとした書体を使っています。予定を迫ってくる圧迫感と脅迫感がなく、かつトラディショナルに引き締まっているという、非常に絶妙な感じです。
巻末付録も多すぎず少なすぎず、その年に必要な情報をコンパクトに必要かつ十分なだけ掲載しています。かなり利用者のことを考えて作られており、只者ではない完成度です。

なによりも、(3)の「罫線がない」という条件を満たしているのが素晴らしい。作る側の事情で作るのではなく、使う側のことを考えてくれている感が非常にありがたいです。

製造元の枻出版社は、もともと文房具系の雑誌を発行するなど、文房具に造詣の深い会社です。この時期には手帳の特集雑誌なども作っています。それだけに、市販の手帳の特徴と弱点をよく分かっているのでしょう。それをうまく自社製品に反映させて、「手帳とはかくあるべき」というものを見事に作りあげています。

ESダイアリーは、見開き一週間以外にも、レフト式、バーチカル式、見開き1ヶ月ノート、ウィークリーノート、1日1ページ式など、いろんなレイアウトを展開しています。サイズもいろいろな大きさを展開しており、用途によって使い分けできます。
当分、このシリーズを上回る手帳はないかどうか探す感じで、手帳売り場をうろつくことになりそうです。



使う用と鑑賞用に2冊買おうか迷い中。

中小企業の問題点





問題があるのはどっちだ。

小言癖

『父は忘れる』
(リヴィングストン・ラーネッド)

坊や、きいておくれ。

おまえは小さな手に頬をのせ、
汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、
安らかに眠っているね。

お父さんは、ひとりで、
こっそりおまえの部屋にやってきた。

今しがたまで、
お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、
急に、息苦しい悔恨の念にせまられた。
罪の意識にさいなまれておまえのそばへやってきたのだ。
  
お父さんは考えた。
これまでわたしは
おまえにずいぶんつらく当たっていたのだ。

おまえが学校へ行く支度をしている最中に、
タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。

靴をみがかないからといって、叱りつけた。

また、持ちものを床のうえに
放り投げたといっては、どなりつけた。

今朝も食事中に小言をいった。
食物をこぼすとか、丸のみにするとか、
テーブルにひじをつくとか、
パンにバターをつけすぎるとかいって叱りつけた。

それから、おまえは遊びに出かけるし、
お父さんは駅へ行くので、一緒に家を出たが、
別れるとき、おまえは振り返って手をふりながら、
「お父さん、行っていらっしゃい!」といった。
すると、お父さんは、顔をしかめて、
「胸を張りなさい!」といった。

同じようなことが
また夕方にくりかえされた。

わたしが帰ってくると、
おまえは地面にひざをついて、
ビー玉で遊んでいた。

ストッキングは
ひざのところが穴だらけになっていた。
お父さんはおまえを家へ追いかえし、
友だちの前で恥をかかせた。

「靴下は高いのだ。
おまえが自分で金をもうけて買うんだったら、
もっとたいせつにするはずだ!」

これが、お父さんの口から出たことばだから、
われながら情けない!

それから夜になって
お父さんが書斎で新聞を読んでいるとき、
おまえは、悲しげな目つきをして、
おずおずと部屋にはいってきたね。

うるさそうにわたしが目をあげると、
おまえは、入口のところで、ためらった。

「何の用だ」とわたしがどなると、
おまえは何もいわずに、
さっとわたしのそばにかけよってきた。

両の手をわたしの首に巻きつけて、
わたしにキスした。

おまえの小さな両腕には、
神さまがうえつけてくださった愛情がこもっていた。  

どんなにないがしろにされても、
決して枯れることのない愛情だ。  

やがて、
おまえは、ばたばたと足音をたてて、
二階の部屋へ行ってしまった。  

ところが、坊や、
そのすぐあとで、
お父さんは突然何ともいえない不安におそわれ、
手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。

何という習慣に、
お父さんは、取りつかれていたのだろう!  

叱ってばかりいる習慣…
まだほんの子供にすぎないおまえに、
お父さんは何ということをしてきたのだろう!

決しておまえを愛していないわけではない。

お父さんは、
まだ年端もゆかないおまえに、
むりなことを期待しすぎていたのだ。

おまえをおとなと同列に考えていたのだ。  

おまえのなかには、
善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。  

おまえのやさしい心根は、
ちょうど山の向こうからひろがってくる
あけぼのを見るようだ。  

おまえがこのお父さんにとびつき、
お休みのキスをしたとき、
そのことが、お父さんにははっきりわかった。

ほかのことは問題ではない。  

お父さんは、おまえに詫びたくて、
こうしてひざまずいているのだ。  

お父さんとしては、
これが、おまえに対するせめてものつぐないだ。  

昼間こういうことを話しても、
おまえにはわかるまい。

だが、あすからは、
きっと、よいお父さんになってみせる。  

おまえと仲よしになって、
いっしょに喜んだり悲しんだりしよう。

小言をいいたくなったら舌をかもう。
そして、おまえがまだ子供だということを
常に忘れないようにしよう。  

お父さんはおまえを
一人前の人間とみなしていたようだ。

こうして、あどけない寝顔を見ていると、
やはりおまえはまだ赤ちゃんだ。

きのうも、お母さんに抱っこされて、
肩にもたれかかっていたではないか。

お父さんの注文が多すぎたのだ。




別に子供に対してだけのことじゃあるまい。

ワースト・オブ・社説

「高校の改革 生徒の将来に資する教育を」
(2018年09月15日 読売新聞社説)


なんとために書いたのか、なぜ書いたのか、全く分からない社説。屑ほどの値打ちもない。
久しぶりに徹底して有害無益な社説を見た。ここまで無能な社説だと、読売新聞は本当に学校を卒業した執筆者に社説を書かせているのか疑わしくなる。

問題提起の前提からして何を言っているのか分からない。

高校進学率は98%を超え、生徒全体の7割が普通科で学ぶ。多様化する関心や進路の希望に応えきれていない面がある。職業に関する内容も学ぶ総合学科が20年余り前に登場したが、生徒数は全体の5%程度にとどまっている。画一的になりがちな普通科の教育内容について、時代の変化に即した見直しが必要ではないか。



98%が高校に進学し、その7割が普通科。総合学科の生徒数は5%。
この数字から見えてくることは、「最近の生徒の進路志望は画一化している」ということだ。
どこをどう見たら「多様化する関心や進路の希望に応えきれていない面がある」などという問題提起が出てくるのだろうか。

論理の矛盾も甚だしい。

無論、高校生の基礎学力を全体的に底上げすることは大切だ。授業時間以外は机に向かわず、中学までの学習内容さえ、身に付けていない生徒もいる。

進学校では、受験対策に偏り、思考力や表現力を伸ばす教育が不足している、との指摘がある。先端的な科学教育や、グローバルな人材育成を目指す高校の授業内容の質向上は欠かせない。


「従来の授業内容を徹底して基礎事項をちゃんと教えろ」と「従来の教育はダメだから新しい教育をしろ」という、矛盾する要求をしている。
しかもその具体的な内容が無茶苦茶だ。

先端的な科学教育」って具体的に何のことだ。基礎的な理科の知識もない生徒にそんなこと教えて何になるのか。
さんざん「教育に多様性を」と主張しておいて、行き着く先の提案が「グローバルな人材育成」と来る。この文言しか知らないのか、というほどの馬鹿の一つ覚えだ。やたらと「グローバル」「グローバル」と連呼さえしておけば、それらしい提言ができたつもりになっている。しかし、その具体的な内容について知っている人は誰もいない。教育の画一化を批判しておいて、画一化された文言した使えない無能さを自ら露呈している。

社説にとって一番重要な「提言」のところで、「思考力や表現力を伸ばす教育」「先端的な科学教育」「グローバルな人材育成」など、実態がまったく伴わないマジックワードを書いて、読者を分かった気にさせようとしている。これらの言葉が実際に示している教育など無い。読者を無能無学とあざ笑い、「こういう言葉を並べておけばそれっぽく見えるだろう」と馬鹿にした文章だ。

米国では、大学レベルの授業を高校で履修できる仕組みが定着している。大学入学後の学力向上に結びつくとされる。日本でも導入を検討する価値はあるだろう。


マスコミの悪癖、「アメリカのやることは全て善い」の典型例。自分たちがやっておらずアメリカがやっていることをすべて「先進的」と盲信し、一切の思考を停止して追従する。
大学で教えていれば、そんな先取り教育がろくな結果にならないことは誰でも知っている。僕もアメリカの大学で、飛び級や早期入学してきた「秀才くん」たちをたくさん見てきたが、そういう学生が順調に伸びて充実した研究活動を続けた例は全く無かった。

しかも、そういう先取り教育が「大学入学後の学力向上に結びつくとされる」。
そんなこと誰が言っているのか。そんなことを示す具体的なデータがあるのなら見せてもらいたい。なにが「・・・とされる」だ。受動態で行為主をごまかさず、根拠となる一次資料と出典を示さなければ、単なる読売新聞の妄言だ。「文章を書く」ということに、これほど無責任な姿勢もなかろう。


かように支離滅裂で無意味な社説を掲載した読売新聞の意図は何なのか。
つまるところ、「助けて!農村から若い人が出て行くの!」という地方自治体の悲鳴を反映しているのだろう。読売新聞の購買層は、地方の第一次産業従事者の保守層だ。高校を卒業すると、若い人がみんな都会に出て行ってしまう。地元に残って地元のために働こうという若者がいない。そういう「購買層の悲鳴」に斟酌した提灯記事に過ぎないだろう。

注目されるのは、地域と高校の連携が広がっていることだ。長野県では、高校が企業や大学の協力を得て、生徒が地場産業や地元の課題について学び、職場体験や商品開発に取り組む授業を進めている。県内の企業への就職率が向上する効果も出ている。

文部科学省は来年度、人口減が進む地方を中心に、高校を拠点とした振興事業を進める計画だ。地域研究や実践的な職業教育を行う高校など約50校を対象にする。高校時代に地元で働く大人と交流し、故郷への貢献について考える。その経験は、いったん県外に進学する生徒にも有益だろう。


読売新聞の本音は、ここだけだ。
しかし、地方の過疎化問題と人口流出問題の解決策を、「教育のせい」だけに押し付ける考え方には無理がある。若者が都市に流出する現象は、経済と社会を包括する根源的なシステムや、若者の趣味趣向の問題であって、教育の問題ではない。教育をなんとかすれば人口流出が防げる、というのは考えが甘過ぎる。

しかもその提言が読売社説の内容自体に矛盾している。 仮に地方の中学・高校で、若者の都市流出を食い止めるべく、地元密着・地域連携の教育施策を行ったとしよう。それのどこが「先端的な科学教育」「グローバルな人材育成」なのだろうか。地元に根ざした極地的・ミクロ的な教育内容は、当の社説が高らかに謳い上げている「教育の未来像」とは正反対だ。

問題提起そのものも矛盾している。要するに困っていることは「若者が地元を捨てて都会に流れる」という傾向のことだろう。若い人達がみんな町から出て行ってしまう。それのどこが「多様化する関心や進路の希望」なのだろうか。都会で働きたい。大学に行くなら都会の大学がいい。若者の希望は、きちんと画一化しているではないか。この社説が出発点としている問題提起は、「そもそも最初からそんな問題は起きていない」で一蹴できる。

今回の読売社説がわけ分からない理由は、すべての段階で論旨が破綻していることにある。問題提起が自己矛盾、状況に対する施策も矛盾、提言は適当きわまりなく無責任。これほどひどい社説もなかなかお目にかかれない。作文が苦手な中学生だってもうちょっとまともな文章を書くだろう。



まぁ、たくつぶのネタになる程度の役には立つか。
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医学入試点数操作問題

「医学部の入試状況調査 男子優位はやはり不自然」
(2018年9月6日 毎日新聞社説)
「医学部入試 明確な基準で良い医師を」
(2018年9月6日 産経新聞社説)
「医学部入試 公正かつ明確な選考基準を」
(2018年09月05日 読売新聞社説)


東京医科大が、入学試験の得点を操作し、女子学生に不利な採点をしていたことが摘発された。それに関する社説。
事実報道として見ると、産経新聞の社説が役に立つ。一方、提言としての社説を評価すると、読売新聞が頭一つ抜けている。

この件が問題なのは、件の事例が東京医科大だけに限らず、どの大学医学部でも起きていた問題らしい、ということだ。その側面を明らかにしただけでも産経新聞は一定の仕事をしている。ところが、この件を「だから医学部はしっかりしろ」というだけでは、ことの解決にはつながらないだろう。

読売新聞の社説の要点は、「これは大学医学部だけの問題ではなく、日本の医療システム全体の根幹に関わる問題だ」という視点をもっていることだ。医学部の入試採点操作は氷山の一角であり、入試採点の透明化を訴えるだけでは単なる対処療法に過ぎない。その点、提言を「入試」に絞っている毎日新聞は説得力に欠ける。

産経新聞の言う通り、医学部全体で「男子を採る」という傾向があるのは明らかだろう。問題は「なぜそうなっているのか」だ。
単純に考えると、「その方が都合がいいから」「女性が必要な事態になっていないから」というあたりが現場の医療関係者の言い分だろう。その言い分が妥当かどうかの問題ではなく、事実としてそういう感覚が根っこにあると思う。

「その方が都合がいいから」という背景には、女性医療従事者の離職率の高さがある。結婚、出産、育児などで一時的にせよ離職するということは、病院側にとっては「余計な人員補充」が必要になる、ということなのだろう。「女はどうせ辞める」という観念が、医療現場から女性を締め出そうとする機運の背景にあると思う。

いくら「そんなことは許されない」「今はそんな時代ではない」と力こぶをつくっても、現実として医療現場ではそういう状況に対処できる体制がつくられていないのだろう。専門技能が必要な特殊な職業でもあり、安易に「休職し、戻る」という人材システムが構築されていない。

「女性が必要な事態になっていないから」という考え方には、世の中の推移に人の感覚が追いついていない時代錯誤を感じる。日本は他国と比較にならないほどの高齢化社会であり、かつ医療福祉が充実している。病院の人材不足と医者のブラック勤務はもはや社会問題だ。「医者が足りない」というのは日本全国に共通した問題であり、そこから女性を排除するのは理にかなっていない。

そもそも、女性はどういう時に社会に進出してきたのか。
一橋大学の2010年、世界史の入試問題で、女性参政権の歴史を問う問題が出題されている。

(2) アメリカ合衆国以外の各国においても、この1920年前後に、女性参政権が実現した国々が多い。なぜこの時期に多くの国々で女性参政権が実現したのか、その歴史的背景を説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい(350字)。

クリミア戦争 総力戦 ウィルソン ロシア革命 国民
(一橋大学 2010年 [2] )


「国民」なんていう普通名詞を指定語句にしているあたりが一橋らしいが、この語句から想像する限り、一橋大学の考えとしては女性参政権拡大の契機となったのは「クリミア戦争」「第一次世界大戦」「ロシア革命」の3つということだろう。

クリミア戦争」といえばナイチンゲール。地獄のような泥沼の戦場で医療行為の従事し、戦場での致死率を劇的に下げることに貢献した。ヴィクトリア女王が彼女の医療行為を全面的に支援したこともあり、国民の間での認知度も高かった。「女性が戦場で活躍している」という事実は、女性の地位向上に大きく貢献しただろう。

「第一次世界大戦」については、日本と欧州各国では捉え方が異なる。日本にとって地獄の戦争とは第二次世界大戦下の太平洋戦争だったが、欧州各国では第一次世界大戦のほうが犠牲者が多い。国民を総動員する総力戦で、社会的な消耗もはるかに大きかった。国民総力戦 にはもちろん女性も動員され、工場や生産など「銃後の貢献」によって当時の戦況を支えていた。

ロシア革命」が女性の地位向上に果たした役割は、わりと盲点だと思う。社会主義革命においては、対立構造は「ブルジョア」と「労働者」しかなく、性別間や民族間の差別意識は無い。1918年、ソヴィエト政権は世界で初めて女性参政権を実現させた。「労働者であれば男女の区別はない」という考え方だ。

この画期的な社会改革は当時の欧米諸国に衝撃を与え、「自分たちのほうが先進的」という対抗意識によって次々と女性参政権が実現する。1918年にはイギリス(30歳以上の女性限定)、1919年にはドイツ、1920年にはアメリカでウィルソン大統領が女性に参政権を与えている。
現代的な視点では「大失敗した社会実験」扱いされている社会主義革命が、現在につながる社会システムをいち早く実現させていたのは、歴史の皮肉だろう。

これらの歴史を顧みると、女性の社会的地位は「歴史が女性を必要としている時に、女性の地位は上がる」という経緯があることが分かる。クリミア戦争や第一次大戦はその範疇だろう。
ところがロシア革命に関してはそうではない。イデオロギーが先にあり、現実をそれに沿わせた「方策」によって女性参政権が実現している。

ロシア革命下で女性参政権が実現したのは、「選択」の問題であって「善悪」の問題ではない。女性が政治に参加できないのが「悪いこと」だから参政権が認められたのではなく、当時のソヴィエト政権は「女性も政治に参加する国づくりをする」という「選択」を行った。
現在の日本では、その「選択」という意識が希薄なのだと思う。これは日本の歴史教育において最も欠けている視点だろう。

たとえば、「男女平等の理念」を高らかに掲げて、イスラム諸国における女性の地位を非難する人がいる。女性を家庭に縛り付け、社会的な進出を阻むのはけしからん。そういう理想論者が後を絶たない。
しかしイスラム諸国の理念をよく調べてみると、砂漠気候の高温という過酷な自然環境において「女性を守り、女性に負担をかけない」という原則が出発点になっている。子供を生んで育てるという過酷な仕事に集中してもらうため、生活のための労働を「免除する」という感覚が大元にある。

誤解している人が多いが、イスラム諸国は共産主義が多い。誤解の根源は「社会主義」と「共産主義」の違いを理解していないことだ。
「共産主義」というのは、極論すると「働かなくても皆が食べていける」という理想状態のことだ。医療、教育はすべて無料。ベーシックインカムが保証され、国民の生活はすべて国が保証する。

イスラム諸国は、豊富な原油資産によって、共産主義を実現している国が多い。別にマルクス主義を信奉しているという意味ではなく、社会システムとして国民の生活が保証され「報酬は労働の対価」という概念が薄い。イスラム諸国だけでなく、リン鉱石の対外輸出によって「誰も働かない国」として有名だったナウルも「共産主義国」の一例だ。

そういう国々では、誰も好き好んで働こうとしない。だから政治は仕方なく王族が担うことになる。世界史で共産主義革命を勉強した頭では「共産主義国で王制が残存している」というのは矛盾に見えるが、それはマルクス主義が掲げる共産主義革命の部分しか見ていないだけに過ぎない。

一方、「社会主義国」というのは、共産主義をめざす過渡的な段階の国々を指す。本来的には共産主義体制を確立したいが、現実的な問題として国がそこまで豊かではない段階だ。だから国による強力な統制を必要とする。国民全体が福祉を享受するためには、国民全体が政治体制を支えなければならない。現実可能性はともかくとして、理屈は合っている。
実際には、理想と現実のギャップがありすぎ、社会主義国が自転車操業に陥り、次々と崩落したのは歴史が示す通りだ。

実際には出発時の理念と乖離している部分はあるだろうが、基本的にイスラム諸国が女性を社会に出さないのは「する必要がなかったから」なのだ。それはイスラム諸国が行った「選択」であって、歴史や社会的背景を超越した「善悪」の問題ではない。背負った歴史や社会背景が違う立場から「女性の社会進出を阻むのはけしからん」と口を出せる問題ではないのだ。
善悪の判断というのは、何をもって「善」とするのか、最終的には価値観の問題になる。自らの立場を絶対的なものと勘違いし、価値観の違う人達に「間違っている」と偉そうに指摘するのは、歴史的素養の不足を露呈しているに過ぎない。

その「歴史的素養の不足」の裏返しが、いまの日本で起きてはいないか。
日本は欧米的な価値観に追従し、女性が社会に進出し活躍する世の中を善しとする価値観を「選択」した。しかし、その「選択」に見合うほどの覚悟をもって社会システムを構築しようとする意識が低過ぎる。

日本にも、女性が活躍して国を支えた時期があった。
日本の産業革命は軽工業から始まったが、その担い手は主に女性だった。1872年に富岡製糸場が操業を開始し、そこから全国に軽工業の産業体制が広まった。そこから得られた外貨によって日本が軍国主義の基盤を整えたのは常識の範疇だろう。

しかし、日本の婦人参政権が実現したのは1945年、太平洋戦争の後だ。いくらなんでも時間がかかりすぎている。しかも自発的に制定したというより、GHQによって草案が作られた新憲法のもとでの実現だった。太平洋戦争レベルの外圧があって、アメリカの圧力があって、ようやく実現した観がある。

かように日本という国は「国のシステムを大きく変える」という必要性に、鈍いのだ。産業革命期から大戦期まで、女性の力が必要でなかったわけではない。女性が国に貢献していなかったわけでもない。しかし「今までそうだったから」という慣性にどっぷり嵌り、現実的には不備が生じていても、体制を変えようとはしない。

加えて、日本は「男女は平等に社会に貢献する」という価値観を、すでに選択している。イスラム諸国とは違うのだ。だから、仮に女性が社会に貢献できない側面があると思い込んでも、理念として男女の平等を実現する義務がある。
実際の病院現場でも、女性を排除して男だけで現場を回した方が手っ取り早いという側面があるのかもしれない。しかし、だからといって制度上それを固定化するような施策は許されない。

実際のところ、女性が出産や育児で職場から一時的に離脱することを「社会貢献できない」と見なすこと自体、病院という企業体の利益しか考えていない偏狭な考え方だ。子供を生み、育てることのどこが「社会貢献してない」のだろうか。

実際のところ病院は経営が苦しいのかもしれないが、目先の利益に捉われて、自らが選択した社会理念に反する施策を採り続けるのは、病院経営者の怠慢だろう。女性が出産・育児で離脱するのであれば、その離脱を計算に入れた上での人事シフトを構築しなければならない。

極論すれば、医学部の入試点数操作の一件は、医学部の問題ではなく、病院経営者の怠慢が日本の医療現場にもたらした現状が問題なのだろう。入試点数操作は、その病理が表にあらわれた現象のひとつに過ぎない。医療というのはひとつの社会システムであり、その根本的なシステムを、自らが選択した理念に沿って構築できないのであれば、その組織が社会的に認められる資格はない。

日本は社会システムの構築を後回しにし続け、戦争で大きなツケを支払う羽目になった。今の日本でも、女性の社会進出のシステムを適切に構築する努力を後回しにし続けるようだと、数年後にその大きなツケを支払う羽目になると思う。少数の労働力が大量の高齢者を支える時代はすぐ目前に来ている。女性の力なしにその事態を乗り切れると思っているのなら、小学校からの歴史の勉強を一からやり直す必要がある。



歴史の時間に何を勉強してたんだ。
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ペンギン命

takutsubu

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