たくろふのつぶやき

秋はやきいも ほくほくしてうまし。

まるで間違い探しのごたる

FullSizeRender

本当にそんなことする奴いるのかよ、ってのが混ざる。

国民皆兵かつ標準装備

IMG_1871

だから売店で雑に売ってる。

DSTの威力

IMG_1846

これで夜の8:30。


ヨーロッパの主要都市駅。

IMG_1841

ターミナル萌えにはたまらない。

国際都市

IMG_1830

何語でも通じる。

おみくじ

IMG_1824


中上吉。

漂泊の思いやまず

IMG_1806


海浜に流離え

でんしゃをみるのだ

IMG_1784



一眼レフ持って巨大駅に行くと1日過ごせる。



夏休みの基本。

来た道を戻る

IMG_1695


誰か一人は来た道を戻るはず。



いじめなのか?

うまうま

FullSizeRender


パン食べ放題のモーニングであります。

ワールドカップ2018 ロシア大会

GettyImages-999573216-e1531685658588



ワールドカップ2018、ロシア大会が終了。
フランスの20年ぶり2回めの優勝で幕を閉じた。


なんというか、フランスが優勝というのがしっくりこない感じの大会だった。
強いのは間違いない。2006年ドイツ大会で準優勝、前回ブラジル大会で8強、2016年ユーロで準優勝。優勝こそしていないものの、近年のフランスは着実に地力をつけている。デシャン監督が長期計画でチーム戦術を浸透させている。

それでも「さすがフランス」という気がしないのは、フランスのせいというよりも、大会の傾向が大きく変化しているせいだと思う。きっと、どのチームが優勝しても「ここかよ」という感じがしたのではあるまいか。


今回のワールドカップの傾向をふたつ挙げると、「カウンター」と「セットプレー」のふたつだろう。


ここ最近のワールドカップは、戦術的なトレンドというより、サッカーのあり方そのものが1回ごとに大きく変化しているような気がする。優勝するのは「運良く、最初からその傾向に近かったチーム」か、「大会途中からその傾向に合わせることができたチーム」のいずれかになっている。

前回のブラジル大会は、「暑さ」が各チームを苦しめた。そのため、ディフェンスラインに運動量を課さず、中盤を省略してサイド攻撃やカウンターに優れたチームが勝ち残っていた。優勝したドイツは、そのようなモデルにぴったり合っていたチームだった。

今回大会との対比がよりはっきり分かるのは、前回よりも前々回の南アフリカ大会のほうだと思う。南アフリカ大会のときは、前線からディフェンスラインまでの間が極端に狭く、FW, MF, DFの3列ぜんぶを使ってボールを展開するパス回しがトレンドだった。そういう組み立てに優れたスペインが優勝したのは、偶然ではあるまい。

今回のロシア大会で一番気になったのは、前線からディフェンスラインの間が一定ではないチームが多かったことだ。
パス回しを信条にDFラインを高く押し上げるチームでも、状況によってDFをべったりと下げ、敢えて中盤を間延びさせる。DFラインを「常に高く」でも「常に深く」でもなく、相手や試合展開によってDFラインを上げ下げしているチームが多かった。テレビで試合を見ていると、DFラインの位置が頻繁に上がったり下がったりする。

どうしてそんなラインの上げ下げが行なわれていたのか。
今回、8強以上に勝ち残ったチームは、すべてカウンターでの得点が多かったチームだ。あるいは、カウンターで速攻をかけ、慌てて戻ったDFにファウルをもらって、セットプレーで得点をする、というパターンを確実にものにしたチームだ。優勝したフランスと対戦するチームは、エムバペのスピードに対処するためDFが全力で戻るシーンが多かった。イングランドが躍進したのも、カウンターに優れるケインが得点王をとるほど点を荒稼ぎできたことが大きい。

最もそれを効果的に実践していたのは、意外なことに、開催国ロシアだった。
FIFAランキング70位。参加国中最下位の開催国の開幕戦は、序盤にひどい守備的な布陣を敷いていた。相手がサウジアラビアということもあり、「最低でも引き分け」という意図が見え見えの試合の入り方だった。
ところがロシアは、速攻からのカウンターで次々と得点を重ねる。終わってみれば5-0の大勝。途中からは、ロシアのやりたい放題で試合が展開されているように見えた。

今から考えてみれば、この開幕戦が、今回のワールドカップ全体の傾向を決めた一戦だったと思う。ロシアは初戦に大量得点で圧勝することで、戦術に自信をもっただろう。強豪相手にきっちり引いて守ってカウンター。近年は「DFラインを高く上げ、狭いスペースでパスを廻す」という戦術が無条件に良しとされていたが、そんなセオリーにはおかまいなく、DFを深く下げて人数で守り切る。

この戦術の弱点は、中盤が間延びしてしまい、相手MFに自由な動きを許してしまうことだ。それを防ぎ、相手のエースに仕事をさせないために、パスの供給源を断つ必要がある。そのため、2.5列目のセントラルMFの役割が、時代を遡って原点回帰していた。

最近のサッカーにおける「ボランチ」は、ロングパスを駆使して攻撃を指揮するレジスタが多い。ところが、今回のワールドカップでは、クラシックなタイプの「びったりとマンマークをする守備的MF」が脚光を浴びていた。前線にパスを出される前に、パサーの選手をぴったりマークして、ボールを出させない。フランスのカンテ、クロアチアのラキティッチ、ベルギーのヴィツェルなど、対人守備の強いボランチのいるチームが上位に進出した。日本が決勝トーナメントに進出できたのは、大会途中からその傾向に気づいた長谷部が、潰し役に徹してマンマーカーに専念したことが大きい。

そういう傾向の最初の餌食になったのが、ドイツだった。初戦のメキシコ戦で、メキシコはボランチを3人配置し、徹底してクロースのパスを断ち切ることに専念していた。そのためドイツは前線によいパスを供給することができず、前線が孤立する。メキシコは辛抱強い守備で徐々にドイツのリズムを崩し、ジャイアントキリングに成功した。

FIFAランキング8位の強豪ポーランドも、その傾向に封じられたチームのひとつだ。グループHの各チームは、日本も含めて、MF3人(ジエリンスキ、リネティ、クリホビアク)をぴったりマークして、レバンドフスキを孤立させる戦術をとっていた。ポーランドはその戦術を徹底的に分析され、まさかのグループ最下位で予選落ちとなった。

相手がカウンターを狙っていればDFラインを下げ、ビルドアップで来るようであればDFラインを上げる。基本戦術としてどちらかに固定するのではなく、相手・時間帯・消耗度によってDFラインを上げ下げする。そういう戦術の柔軟性をもっていたチームが、今回はよい成績を収めていた。


今回大会のもうひとつの傾向は、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)の採用によって、リプレイ検証が頻繁に行なわれたことだ。これによって中南米勢が全滅する。コロンビアのファルカオ、ブラジルのネイマールなどの「役者」は、VARによってことごとく芝居を暴かれ、逆にチームのリズムを崩してしまう。
前回ブラジル大会のPKによる得点は13。今回のPKによる得点は20。失敗したPKも含めると、PK自体の数がかなり増えている。決勝戦のフランスなど、押し込まれた展開にも関わらずPKを得て、シュート数0のまま先制に成功した。

PK以上に目立ったのが、コーナーキック、フリーキックなどセットプレーによる得点だ。開催中、VARによる試合中断とセットプレー増加の是非に話題が集中していたが、もしVARによってセットプレーの機会を得ても、それを決められなければ意味がないのだ。勝ち残っていたチームはどこも、数少ないチャンスを、決め打ちで確実にものにしていた。
その新傾向の恩恵を最も受けていたのは、イングランドだろう。流れのなかでの得点はそれほど特筆するべきものはなかったが、とにかくセットプレーが強い。集中力が段違いになる。

セットプレーの増加と比例して、GKの重要度が非常に増した試合だった。PK、FK、CKを止める守備力の高いGKを擁するチームが勝ち進んだ。
日本と、「世紀の大逆転」を食らったベルギーを比べると、いちばん大きな差はGKだっただろう。スーパーセーブで1点を防ぐGKがいると、DFは前に出やすくなる。


全体的に、「強豪国だからといって、前評判が高いからといって、勝ち進めるとは限らない」ということが明らかになった大会だった。どんな強豪国であっても、その時の時流に乗ることができなければ簡単に負ける。

日本は開幕前から監督交替や選手選考などいろいろと騒がれたが、その時流にうまく乗ることができた国のひとつだろう。「実力以外の要素で勝ち進んだ」という批判もあるが、むしろ最近の傾向としては「実力以外の要素をうまく取り込むこと」ができないチームが敗退している。でなければドイツが予選で敗退したり、ロシアが予選突破できたりするようなことは起きない。

今回、日本は予選最終戦のポーランド戦で、負けているにもかかわらずボール廻しで時間を稼ぎ、その戦い方が批判の対象とされた。フランスやアルゼンチンも同様の時間稼ぎを行い、非難されている。
しかし考えてみれば、VARで反則が明確に分かる時代になった今、「勝てる勝負は確実に勝ち切る」という方法を取れるチームが、上位に進出するようになっているということでもある。日本代表の時間稼ぎに違和感を感じるのは、単に観ている側が「変わってしまったサッカー」にまだ感覚が追いついていないだけなのかもしれないのだ。

ワールドカップは真剣勝負なので、とった戦術自体に「良い」も「悪い」もない。あるのは「どこまで勝ちすすんだのか」という事実だけだ。だから必然的に「少しでも上位に残るための戦術」が「良い戦術」ということになる。
しかし、観る側は安易にサッカーに「美学」を求める。武士道を要求する。サッカーのほうが変化しているのに、観る側が昔ながらの「単独でドリブル突破してゴールを決めるスーパースター」を待ちこがれているような感覚だと、眼前に展開している試合がどういうものなのか、視ることはできないだろう。



早朝3時からの試合は勘弁してくれ。

ボール捌きが上手いホームレス




子供、嬉しそう。

本当に必要な情報は

アメフト問題 選手の悲鳴受けとめよ
(2018年5月25日 朝日新聞社説)
日大アメフト部 選手を追い詰めた責任は重い
(2018年5月25日 読売新聞社説)
選手説明翌日の日大会見 責任逃れだけが目立った
(2018年5月25日 毎日新聞社説)
日大選手会見 スポーツ界最大の悲劇だ
(2018年5月23日 産経新聞社説)
スポーツ史上まれな不祥事だ
(2018年5月24日 日本経済新聞社説)
悪質タックル 監督が真相を説明せよ
(2018年5月18日 東京新聞社説)


連日報道されてているお馴染みの日大反則タックル問題に関する各紙の社説。
日経の圧勝。一人勝ち。他紙をぜんぶ足しても日経1紙の社説に及ばない。
というより、日経以外の社説には価値がない

理由は簡単。
日経だけが「なぜ日大はこんな対応のしかたをしているのか」の原因まで踏み込んでいるからだ。


内田前監督が大学経営の中枢である常務理事の要職にあることと無関係であるまい。日大は年80億円を超す私学助成を受けている。理事の不祥事や法令違反が確認された場合、補助金が不交付、または減額される。これを回避するため、前監督の反則行為への指示などを否定しているのだとすれば、理事会の責任は重大だ。文部科学省は、適切な指導をする必要がある。



80億円が懸かっていれば、必死になって否定もするだろう。



以上です。
続きを読む

日大は何を考えているのか

日大アメフト部の反則行為の波紋が凄いことになっている。


関学大が怒りの会見を行い、反則を犯した学生選手が実名公表・顔出しの上で会見を行った。学生スポーツのあり方を考えると異様な出来事だ。
ここに至り、それまでひたすら事態を静観してきた日本大学が、ようやく重い腰を上げた。世間の非難に突き上げられて、しぶしぶ会見を開いた格好だ。



iatsuteki

手を後ろに組むのは相手を威圧する態度ですよ


この会見で内田正人前監督も井上コーチも、ひたすら責任回避のための自己正当化に終止した。あくまで「違反の指示はしていない」と言い通し、明確な責任を認めなかった。
また、威圧的な司会者が世間の反感を招いた。謝罪会見のくせに「もう終わりにします!」「打ち切りますよ!」など声を荒げ、「この会見は、みんな見てますよ」という声に対して「見てても見てなくてもいいんですけど。同じ質問を繰り返されたら迷惑です」と言い放った。「司会者のあなたの発言で、日大のブランドが落ちてしまうかもしれない」とまで言われたが、「落ちません!余計なこと言わず」と言い返す有様だ。

僕の見るところ、あの司会者は日大の広報あたりの人間だろうが、純粋な大学人ではないだろう。おそらくマスコミあたりで働いていたのを、横滑りか天下りで日本大学に入ってきた人間だと思う。日大は「元◯◯◯」という肩書きをもつ人材が大好きなので、マスコミの業界ではそこそこ名が知れている人かもしれない。そうでもなければ、若手記者も多かったマスコミ勢にあそこまで威圧的な態度はとれない。

ここまでの経過を見ると、日大が腐心しているのは「大学の体面を保つこと」「内田正人を庇うこと」のふたつだけだろう。日大の不可解な行動は、その2つだけが行動原理になっている。
当初、関学大があれだけ怒りのコメントを出していたのに、日大は動かなかった。問題の規模を希望的観測によって矮小化して捉えていたのだろう。大学ホームページに形だけの「おわび文」を掲載し、それですべてが幕引きにできる、と考えていたようだ。

日大は関学大の説明要求を受け、「意図的な乱暴行為を教えることはまったくない。ルールに基づいた指導を徹底しており、指導者の教えと選手の理解にかい離があった。指導方法について深く反省している」と答申した。要するに「選手が勝手にやったこと。内田正人は悪くない」ということだ。ここに至って日大はいまだに問題を小さいものと考えていたようだ。おそらく日大は、関学大からの説明要求を「形ばかりのもの」と考えていたのではあるまいか。交流戦の提携校として、一応やりとりの形を整えなければいけないが、形だけ整っていればなんとかごまかせる。日大はそのような「なぁなぁ」の関係を関学大に期待していたように見える。

日大にとって誤算だったのは、関学大の原因追及の姿勢が本気だったことと、被害者家族が予想以上に激怒していたことだろう。この頃になると世論が騒ぎ始め、トップニュースとしてこの件が取り上げられるようになる。日大の思惑と、世間の反応が大きく乖離しはじめたのは、この頃だっただろう。

内田正人本人が関学大に詫びを入れに行ったとき、空港の立ち話程度の会見で、口では「全責任は私にある」と言っていた。しかしその言葉は、のちの内田正人と井上奨コーチの会見内容と真逆といってよい。
会見で言っていたのは、要するに「悪いのは選手」ということだ。自分たちは真っ当な指導をしていた。言葉を誤解して選手が勝手に反則行為に走った。そういう言い分だ。ならば、どこが「全責任は私にある」のだろうか。会見で言っていた内容は「全責任は選手にある」だった。

日大の対応はすべて後手後手に廻っていたが、その理由はすべての姿勢が「もみ消し」だからだろう。早急に臭いものに蓋をしたい態度が丸見えだ。空港で内田正人が「全責任は私にある」と口にしたのは、「だからこれ以上騒ぐな」が本意だろう。

それは後日、内田と井上が行った会見での司会者の態度も同じだ。大学が開いた謝罪会見にも関わらず、マスコミの質問を遮り、威圧し、恫喝していた。「こっちは会見を開いてやったんだ。これ以上突っつき回すな」という大学側の姿勢が見える。
結局、「責任」「責任」と口では言っておいて、事実は一切明らかにしない。関学大や世間が何を求めているのかが分かっていない。

事態は、反則を犯した学生選手が会見を開いたときから一変する。学生選手の会見は、世の中が知りたいことをすべて明らかにする、とても分かりやすいものだった。マスコミはセンセーショナルな見出しに使える言質を引き出そうと醜い質疑を重ねていたが、そういう誘導には一切乗らなかった。ただひたすら「謝罪」と「事実説明」に終止し、その一線を超えなかった。

この会見で日大は慌てただろう。問題の構造が変わったからだ。
それまでは、問題の構図は「関学大 vs. 日大アメフト部」だった。関学大側が怒りの攻撃をかけてきて、それを日大アメフト部がのらりくらりとかわしていた。しかしこの学生選手の会見で、構図が「学生選手 vs. 日本大学全体」に変わってしまった。

ことの本質は、その構図のどちらにも内田正人が絡んでいることだ。内田正人は「アメフト部の監督」というだけではなく、「日大の常務理事」でもある。日本大学が必死になってかばおうとしていたのは、後者の「日大の常務理事」としての内田だろう。アメフト部の監督というのは、理事としての地位を裏付ける立場のひとつでしかない。事実、内田は関学大に詫びを入れに行ったときに、あっさりとアメフト部監督からの辞任を表明している。

日大と内田としては、「関学大に詫びを入れに行く」「アメフト部の監督を辞任する」という2枚のカードで、すべての問題を幕引きにできると踏んでいたのだろう。実態としては、日大は「アメフト部の監督としての内田」を切り離すことで、最低限「日大の常務理事の内田」を守ろうとしたのだと思う。日大の思惑としては、「日本一にまでなった偉大な監督が、わざわざ自ら辞任を表明するのだから、これで世間には納得してもらえるだろう」という、手前味噌的な過大評価があったのではないか。

学生選手が会見を開き自らの口で語ったことで、日大に対する世間の逆風が一気に高まった。慌てた日大は内田と井上のふたりを並べて急遽会見を開いた。この会見も、随所に日大の「できれば誰も見ないでくれ」「できるだけ早く蓋を閉めたい」という思惑が透けて見えた。会見を開いたのが、テレビで生放送が不可能な夜8時。しかもそれをマスコミに通知したのが、ほんの1時間前。司会者に威圧的な人間を配置し、可能なかぎり会見自体を潰そうとする態度。

日大は会見を開く前に、前日に行われた学生選手の会見に対する世間の反応を調べたのだろう。そこには「マスコミの質問がひどい」「監督に対する非難の言質を取ろうとしてばかりいる」という反応が多かった。日大は「これだ」と踏んで、「悪質な質問をし続けるマスコミ側を悪者にする」という作戦を練ったのではないか。あの司会者はそういう印象を視聴者に与える役割を課されていたように見える。

内田と井上の会見内容はひどかった。日本大学が会見を開いた目的は「責任をすべて井上コーチに押しつけ、すべての問題をそこで食い止めることで、常務理事としての内田の安全を確保する」というものだろう。会見で井上コーチは目線が虚ろで、言っていることが「言っていない」から「覚えていない」に変化するなど不安定だった。生け贄にされ、切り捨てられる犠牲者は、そういう精神状態にもなるだろう。ましてや隣では、自分に全責任を押し付けて、のうのうと生き延びようとしている御本尊が、平気な顔をして責任転嫁を繰り返しているのだ。これで怒りが湧かないほうが不思議だ。

僕が会見を見ていて不思議だったことがある。内田と井上曰く、反則を犯した選手は「闘志のなさを指摘され、反則後に泣いていたことを『優し過ぎる』と叱責されていたような選手」だった。そんな選手が、なぜ「言葉の取り違え」などという理由であんな暴力的な反則を犯すことになるのだろうか。闘志がない故にスタメンを外されるような選手が、何らかの強力な力が働くことなしに、あんなひどい反則を犯すものだろうか。

学生選手の会見と、内田と井上の会見は、内容が矛盾している。どちらかが正しくてどちらかが嘘をついているのは確かだ。ともに言葉だけなので正否を決める決定的な証拠は原理的に存在しない。しかし内容と事実の整合性は、圧倒的な精度で学生選手の言明のほうが高い。内田と井上の会見は、会見中の言葉だけでも辻褄が合わず、ましてや実際に起きた事実との整合性がまったくない。いまの段階では信憑性が皆無だ。

ことはアメフト部の枠を超えて、すでに日本大学全体の問題になってしまっている。内田正人の保身に固執したことで、日大の屋台骨が揺らぐ事態にまで発展した。端から見れば本末転倒なことをやっているが、日大としてみれば本望なのだろう。日本大学にとっては、大学の名誉が毀損され、積み重ねた実績と歴史がすべて灰燼に帰し、未来を担うことになる受験生にそっぽを向かれることになるよりも、それ以上に内田正人という人間ひとりが可愛いのだろう。それは日本大学の判断と選択であって、外の人間が非難する筋合いのことではないと思う。



そういう大学だとこちら側が認識していれば済む話。

超絶技巧のさらに向こう




指が見えん。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
リンク用
かんたんアクセス
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ