たくろふのつぶやき

夏の雲が大好き。

春の遠足2020

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春休みであったかくなってきたので、ぶらっと日比谷公園から霞ヶ関界隈に出かけてきました。
別になにか用があるわけでもなく、不要不急の外出です。
いま一番やっちゃいけないやつです。



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卒業式が中止になっちゃったのかな。



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伊達政宗ってこの辺で死んだのか。



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東京の公園のど真ん中に、なぜはにわ。



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凄いイチョウがありました。人呼んで「首賭け銀杏」。
伐採されそうになったところを、担当者が「首を賭けて」移植したそうです。



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今年の初桜は外務省の外壁周り。



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いまいろいろと大変な所。
お巡りさんがあちこちに立ち番してました。



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これは「桜田門」。
このあたりで井伊直弼が暗殺されたんですね。



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こちらは「通称・桜田門」。
いわゆる警視庁ですな。



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嫁がいないので一緒に登城ごっこができなかった。



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そりゃ、こんなビル群ばっかり見て暮らしてたら、
ゴジラに全部壊させる映画くらい作りたくなるってものでしょうな。



よく晴れていて暖かかったのですが、春風がけっこう吹いていたので、サングラスをかけて歩きました。
もちろんコロナウィルス対策としてマスクもばっちりです。
サングラスかけて、マスクして、カメラを構えながら霞ヶ関の官庁街を練り歩きました。


3回職務質問されました。




「もう職務質問済みですカード」みたいなのくれないんですかね。

全国で学校一斉休校

「休校の決断 重みに見合う説明を」
(2020年2月29日 朝日新聞社説)
「全国臨時休校へ 混乱抑え感染防止に全力を」
(2020年2月28日 読売新聞社説)
「「全国休校」を通知 説明不足が混乱を広げる」
(2020年2月29日 毎日新聞社説)
「首相の休校要請 説得力ある呼びかけを 「緊急事態宣言」へ法整備急げ」
(2020年2月29日 産経新聞社説)
「新型肺炎厳戒で政府がすべきこと」
(2020年2月28日 日本経済新聞社説)



新型コロナウィルスの流行を鑑みて、政府が突然、全国の学校に休校の要請を出した。それを受けての社説。
まあ予想通りというか、ほぼ揃いも揃って異口同音。特に読むに値する社説は無い。

おおむね批判的な論調が多い。その原因は、出した要請の内容ではなく、要請の出し方にある。今回の首相要請は、会議で諮られることもなく、専門家の検討もなく、ほぼ独断で出されたものだ。それに噛み付いている社説が多い。

首相が方針を表明した時点で文部科学省内で知らされていたのは、一部の幹部だけだった。全国の教育委員会への連絡はその後に始まった。学童保育を受け持つ厚生労働省との調整など、具体策は詰めきれないままの見切り発車だった。政府の専門家会議は24日に出した見解の中で「1~2週間が急速な感染拡大が進むかの瀬戸際」との見方を示したが、休校には触れていない。翌日に政府が発表した基本方針でも、臨時休校の適切な実施に関して都道府県から要請するとの内容が入っていただけだ。専門家会議のメンバーからは「(一斉休校は)諮問もされず、提言もしていない。効果的であるとする科学的根拠は乏しい」との声が漏れる。
(朝日社説)

政府が設けた専門家会議は、全国での一斉休校が感染防止に現時点でどれだけ効果があるかを検討していない。政府は専門家会議の助言を得て、クラスターと呼ばれる小規模な感染者の集団が発生した地域に支援要員を派遣し、感染をおさえこむ計画だった。

全国一律の休校要請は、クラスターごとの対応では追いつかない特別な状況が生じたとの判断なのか。高齢者は重症化するリスクが高いが、子どもにそうした傾向は出ていない。根拠に基づく行動基準を示さないと、自治体が判断に迷うケースも出るだろう。

トップダウンによる臨時休校は、教育現場を混乱させている。感染症にかかった児童・生徒を出席停止とし、臨時休校とする法律はある。だが患者ゼロの学校も休校とする法的根拠は曖昧だ。3月は入試や合否発表があり、結果を踏まえて進路指導を予定する学校も多い。文部科学省は休校期間について「地域や学校の実情を踏まえ設置者の判断を妨げない」とややトーンダウンした通知を出したが、当然だろう。
(日経社説)


今回の措置を批判しているのは、朝日、毎日、日経などの左派系新聞だ。読売、産経などの保守的新聞は今回の対策に一定の理解を示している。

学校は大勢の子供が集まり、ひとたび生徒が発症すると、感染が一気に広がりやすい。家庭に戻って家族にうつす恐れもある。新型肺炎では、感染経路のわからない患者集団が各地で見つかっている。ここ1~2週間は本格的な流行を抑止するための極めて重要な時期である。

全国一斉休校という異例の措置は、危機感の表れと言える。北海道では27日から、小中学校の臨時休校が始まっていた。東京都は都立高校など約200校で、期末試験の終了後、前倒しで春休みに入ることを決めていた。各自治体で独自に休校の動きが広がる中、政府として、統一的な考え方を示す必要に迫られた面もあったとみられる。
(読売社説)

休校要請の対象となる児童、生徒らは約1300万人いる。日本の歴史にこれまでなかった規模だ。新型ウイルスとの戦いが容易ならざるもので、日本が緊急事態の渦中にあることを意味する。休校を決める権限は政府ではなく、全国の教育委員会や学校法人にある。首相の表明を受けて文部科学省や各教委からは驚きの声があがった。首相が打ち出さなければ全国一斉休校は到底実現できない。各地の教委などは要請を重く受け止めて対応すべきである。

学校は、大勢の子供が日々、同じ教室で学び、食事もとる集団生活の場だ。ウイルスにとって格好の温床となる。子供たちがウイルスを持ち帰り、高齢者を含む家族に感染を広げる図式はインフルエンザと共通する。一斉休校の意義は大きく、感染者や犠牲者を減らすことに寄与するだろう。およそ百年前にスペイン風邪が日本で大流行した際は、学校や軍隊から全国へ感染が広がった。その教訓を忘れてはならない。
(産経社説)


今回の措置を、妥当とするかそうでないとするかは、今するべき議論ではないと思う。少なくとも、新聞の社説として今書くべきことは他にあるのではないか。

まず、今回の騒動の原因は、伝染病であって政府ではないということだ。今回の首相要請を非難している新聞は、暗黙のうちに「政府は『いままでの生活水準を1ミリも落とすことのないように』対策を講じろ」という無茶な要求をしているように見える。

しかし今回の新型コロナウィルスの大発生というのは、いわば降って湧いた国難だ。それに対処する過程では、どのみち何らかの不便は生じる。各紙の社説では「いずれにせよ何らかの犠牲は避けられない事態だ」ということが認識できていない。各新聞とも、「学校を一斉休校にするのはけしからん」と言うのであれば、その前提としては「生徒が何人死んでも構わないから」という文言が入ることになるのを忘れてはならない。

政府に求められているのは、いわば「新型肺炎で多数が死ぬか」「死なない替わりに多少の不便を我慢するか」という種類の二者択一なのだ。ところが新聞社説は「両方ダメ。何ひとつ不自由ない完璧な状態を保て」と言っているに等しい。

つまり、各新聞は今回のコロナウィルス流行を舐めているのだ。各新聞は、ペストや天然痘レベルの、致死性の高い伝染病の流行でも「各家庭の事情が」「両親への負担が」などと並べて休校措置に反対するだろうか。新聞各紙は、暗黙のうちに「『この程度の伝染病』でこの措置はおかしい」と言っているように見える。ところが「この程度」がどの程度なのか、という事実はどの新聞も触れていない。

マスコミの常として、連日ショッキングな事例ばかりを強調し、繰り返し報道する。「◯◯県で感染者が発生」「◯◯県では感染者が◯人に到達」など、視聴率のためにインパクトのあるニュースばかりをこれでもかこれでもかと報道する。マスコミの基本姿勢として「こんなにひどい事態なんですよ」と過度に強調して報道している。なのに政府が「じゃあ学校を休みに」という指示をした途端、「それはやりすぎだ」と来る。報道姿勢と政府批判の内容が矛盾している。

朝日、毎日などの左派系の新聞の目的は「対策の是非を問わず、常に政府を批判すること」だ。だから政府が対策を講じて不便な状況を招いても非難するし、対策をなにも講じずに死者が多数出ても非難する。どのみち非難するのだ。だから、何ひとつ建設的な提言になっていない。


今回の社説で最も提言するべきことは、「政策の評価軸を定めること」ではないか。
今回の政府の休校措置は、いま現在、その妥当性を評価することは誰にもできない。問題は、数ヶ月、数年経って問題が収束した後で、「あの時の措置は妥当だった」「あの措置はまずかった」と、評価するための軸を用意して、そのためのデータをしっかり蓄積することではないか。

もし今回の新型肺炎が世界中で予想を上回る死者数を出し、日本はその傾向に巻き込まれず死者が少なかったら、今回の休校措置は「妥当だった」と判断できる。一方、大山鳴動鼠一匹、大した疾病ではなかったことが後日明らかになったら「施策は過剰だった」という評価を下さなければならない。

後日そのような客観的な評価をするためには、「何をもって政策を是とするのか」という、明確な評価軸がなくてはならない。しかし、どの新聞もそんな評価軸を明らかにしていない。暗黙のうちに「今回の施策は過剰だ」という前提のうちに話をすすめている。これが各社説の大きな問題点だろう。

新聞は一旦、政策の非難記事を書いてしまうと、後に施策が妥当であったことが明らかになっても、それを頑として認めない。マスコミのそういう「印象と感覚だけで評価を下す」という傾向は、のちに同じ問題が発生したときに同じ過ちを繰り返す原因となる。いま現在は、緊急事態なのだ。政策の非難は後からでもできる。大切なことは、妥当な非難を行えるための用意をしておくことではないか。


個人的には、今回の政府からの要請は、一種の「ショック政策」だと思う。
伝染病という緊急事態で、感染拡大を防ぐためには人の移動を差し控え、多人数が集まるイベントは控えてほしい。しかし、最初から「できるだけ控えてください。個々の判断は当事者に任せます」では、政府の指示として意味がない。そんなふんわりとした指示は、指示とは言わない。いままでの日本の事例から言っても、そんな指示など誰も聞かないだろう。誰もが無視して「いままで通りの普通の生活」をし続ける。

だから、政府が「この危機は本物だぞ」と国民に知らしめ、活動自粛を本域に高めるために、政府の指示として「全国の学校を休校にする」という形をとったのではないか。学校が休みになるというのは、相当の緊急事態だ。会社を休みにしづらい管理職も休みの指示を出しやすくなるし、イベントを中止にしづらい企画者も中止にしやすい。台風のときに「JRがまず電車を止める」という措置を取ることによって、各企業が自宅待機命令を出しやすくなったのと同じ効果を期待しているのではないか。

もちろん政府も、地域によっては休校措置が実情に合わないこともあることくらい、百も承知だろう。しかし、これとて最初から「休校にするかどうかは地域によって事情が違うので、その辺は各自治体が判断してください」と言ってしまうと、政府の指示として役を成さない。最初にきつめの要求をしておいて、後で状況により緩めることは可能だが、その逆は難しい。最初の指示が曖昧なものだと、全体として効果のある指示にはなりにくい。伝染病のような緊急時の指示であればなおさらだろう。

新聞各紙は、各家庭の事情や、職種によって休みがとれない仕事に就いている人達への配慮を問題点として挙げている。もしそれらを問題点として挙げるのであれば、政府が最初からそのような事情をいちいち勘案した「例外だらけの指示」を出したときの指示効果について、責任をもって立証しなければならない。

各紙とも、「専門家の検討なしに」「この指示の効果は疑わしいという専門家もいる」と、やたらに「専門家」という言葉を並べているが、この「専門家」なるものは何の専門家なのか、どの新聞もはっきり書いていない。伝染病に関する医学専門家なのか、人の行動が疾病伝播に影響する度合いを考察する社会行動学者なのか、学校教育の専門家である教育研究者なのか、どの「専門家」であれば今回の施策の妥当性をきっちり査定できるというのか。新聞は、評価の軸も曖昧なまま、印象だけで政府指示を非難している。 読者の学歴コンプレックスにつけ込んで、「専門家」とさえ書けば説得力のある記事になるだろう、という雑な書き方だ。テレビ番組がやたらと「大学教授」に喋らせて権威付けをしている構造と、何ら変わりはない。

現在の民主主義は間接民主制なので、国民は決断権を選挙によって特定の人達に委託している。その委託が間違っていれば、また選挙によって妥当な人を選び直さなければならない。そこでは「妥当」かどうかをしっかり評価するための基準が必要だろう。今回の新聞各紙の社説では、そのへんの評価軸をしっかり作ろうという気がまったく無く、最初から「非難ありき」の姿勢で書かれている。政府を非難するときは、印象や感情によって曖昧に非難するのではなく、明確な事実やデータによって明確に非難しなければならない。



初めてのことで狼狽しているだけのようにも見える。
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コロナウィルス流行に伴う買いだめ騒動

「トイレ紙品薄 潤沢な供給で不安の解消急げ」
(2020年3月4日 読売新聞社説)
「生活必需品の売り切れ 情報見極め冷静な行動を」
(2020年3月3日 毎日新聞社説)
「新型肺炎とマスク 製造と配分の努力不足だ」
(2020年3月4日 産経新聞社説)
「パニック消費をあおる高額転売を許すな」
(2020年3月3日 日本経済新聞社説)


日本人というものは、とにかくトイレットペーパーというものが大好きらしい。何かと言っちゃあトイレットペーパーの買いだめに走る。東日本大震災、先の集中台風など、大災害のたびに店頭からトイレットペーパーが姿を消す。おそらくこの傾向は今後も消えることはないだろう。

各紙ともその現象について問題提起をしているが、その矛先がちょっとずつ異なる。最も記事の焦点が狭いのは産経新聞だ。似たような記事だが、実情は全然違う。他紙が「非常時の買いだめ・高価転売の是非」について話しているのに対し、産経新聞は「マスク」だけに絞って話をしている。話題を絞ることでそれだけ提言が具体的になれば結構なことなのだが、残念ながら焦点とともに内容も萎んでいる。

緊急時に政府は、国民のために権限をふるうことをためらってはいけない。医療機関や介護施設などでのマスク不足は医療の機能不全や肺炎拡大を招く。政府と自治体は医療機関への優先供給を始めている。全力を尽くすべきだ。
(産経社説)


「いま世の中で問題になっていることは、そういうことじゃない」という、ピントのずれた提言だ。医療機関でのマスク不足は、それはそれで問題ではあろうが、一般の新聞社説で提言を鳴らすべき種類の問題ではない。市井の読者にそれを主張したところで、どうにもならない。

のこりの読売、毎日、日経の3紙の中ではさらに、ちょっと趣旨が分かれる。主に読売・毎日は「買いだめ」にフォーカスを当て、日経は「高額転売」に注目している。これは、どちらが妥当な目の付け所かどうかという問題ではなく、純粋に購買層の違いだろう。一般家庭の読者が多い読売・毎日とは異なり、日経の主な購買層は経済・商業・財界従事者だ。それらの業種の人々にとって、現在最も深刻な問題は「流通」だろう。新型コロナウィルスの最も深刻な影響は、人とモノの行き来を流動化する自由な流通が阻害されていることだ。各国政府が躍起になって渡航制限をかけている中、流通の停滞は一部の産業界にとって死活問題だ。それに拍車をかけているのが転売業者だ。日経が高額転売を問題視するのも当然だろう。

一方、一般家庭のお父さんお母さんが読者の読売・毎日は、より日常生活の感覚に近しい「買いだめ」を問題視している。この問題に関して、読売と毎日の両紙は、同じような視点をもち、同じような問題点を指摘し、同じような提言をしているが、その説得力が高いとは言いがたい。

今回の買いだめ騒動には、「製造業者」「政府」「消費者」の3者が関連する。読売も毎日も、要するに言っているのは「製造業者」と「政府」がしっかりしろ、という内容だ。
「在庫はあります」と言うのなら、製造業者はしっかり生産して流通させろ。政府は法令を駆使して騒動の鎮火に努めろ。言っているのはそれだけだ。

このくらいの提言であれば、小学生でも書ける。さらに言うと、このくらいの提言はすでに何度も何度も新聞各紙が繰り返し書き続けてきたことだ。1973年のオイルショック以降、日本の新聞は同じような現象が起きるたびに同じような主張を繰り返してきた。そしてその結果が、今回のザマだ。全く提言が活かされていない。

70年代のオイルショック時の買いだめ騒動は、情報の不足が原因だった。一般消費者にとっては商品の在庫量など見当もつかず、「どうやら足りなくなるらしい」という噂が出た途端、誰も彼もがパニックに陥った。
あれから50年、社会の情報能力は飛躍的に向上し、一般市民も高度な情報を大量に入手できる時代になった。しかし相変わらずやっていることは同じなのだ。簡単に社会不安に陥り、50年前のスマホもネットもなかった時代の主婦と同様、簡単にデマに操られる。

「情報社会」なるものが世の中を決して良いものにしているわけではない、ということだろう。今回のパニック騒動は、「情報が足りないから起こった」のではなく、「情報が多過ぎるから起こった」ものだ。SNSによって、誰もが情報の発信源となり得る時代となり、デマの発生源が飛躍的に増加した。誰でも簡単にドラッグストアの空っぽの商品棚を写真にとり、SNSにアップできる。その結果、パニックが増加する。

世の中がどんなに変化し、テクノロジー的には進歩しても、起きていることは変わっていない。とすると、今回の騒動の真の原因となっているのは「製造業者」でも「政府」でもなく、明らかに「消費者」たる一般市民だろう。買い占め騒動の主体的な参加者である消費者が、もっと頭を使って理性的に判断できるようにならない限り、同じ事態は今後何年経っても相変わらず発生し続けるだろう。

台風や大震災のように製造業の工場稼働が止まるような事態であれば、商品が品薄になることも考えられる。しかし少なくとも今回の新型コロナウィルスの発生では、流通は多少の被害を被るだろうが、生産過程そのものに影響があるとは思えない。「原材料を中国から輸入している」などというデマに至っては、小学校の社会科資料集程度の情報でも嘘だと分かる。今回のデマに簡単に騙された人達は、小学校の授業で習う程度の知識さえ身に付いていないのだ。

人は社会不安に巻き込まれたとき、自分が見たい情報しか見ない。自分の頭で考えることを放棄し、誰かが大声で言っていることを安易に鵜呑みにしてしまう。そういう傾向と危険性に関しては、日本はおそらく世界で最も経験値が高いはずだ。しかしその経験が活かされているとは全く言えない。同じ過ちを、何度も何度も繰り返している。

今回の新聞記事で、各紙が警鐘を鳴らさなければいけないのは、そこではないのか。政府を批判すれば気分が良くなる人もいるだろうし、一般市民としては製造業に喝を入れてほしい気持ちも分かる。しかし、「読みたい内容を読んで喜んでいる」程度の思考能力では、今回のような社会不安を自力で乗り切れるだけの知的体力はとうてい望めないだろう。

蛇足だが、主要5紙のなかで、朝日新聞だけが買いだめ騒動について社説で触れていない。朝日新聞の主な購買層が製造業であることを考えると、朝日新聞の考えとしては「今回の諸悪の根源は、製造業」と考えているのだろう。購買層を非難するわけにはいかないから、いっそのこと社説を載せない。そういう態度だと思われても仕方がない。毎日世の中をこれだけ騒がせている問題に対して、全く問題意識を感じないのであれば、それはそれで大問題だ。



見出し語数の関係で「トイレ紙」という略語が定着しつつある
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裁判員制度の形骸化

「死刑判決の破棄 裁判員に無力感を与える」
(2020年2月3日 産経新聞社説)


最近、韓国や中国の動向がやかましく、保守系の新聞として国際問題を論じることが多かった産経新聞が、珍しい社説を載せている。一般人によって構成される裁判員の判決を職業裁判官が否定し、事実上裁判員制度が形骸化していることを批判した社説だ。時期を同じくしてこの件を社説で論じた全国紙は他に無く、産経新聞だけがこの件をとりあげている。

産経新聞が具体例として挙げているのは、兵庫県洲本市で平成27年3月、男女5人を刺殺したとして殺人罪などに問われた被告の控訴審判決。1審神戸地裁の裁判員裁判の判決では求刑通り死刑としたが、大阪高裁はこの判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。

裁判員裁判の死刑判決を控訴審が破棄したのは7例目であり、5件は最高裁が控訴審判決を支持して確定している。
洲本の事件で1審と2審の判断が分かれたのは、被告の責任能力の評価による。1審では2人の担当医の鑑定結果を検討して完全責任能力を認めたが、高裁は職権で3度目の鑑定を実施し、この結果から心神耗弱を認定して刑を減じた。被害者遺族の一人は代理人弁護士を通じ、「1審の判断を否定して被告人を守ることは、裁判員裁判の趣旨を台無しにするものと思います」とコメントした。

裁判員裁判の判決は、原則として裁判員6人、裁判官3人の合議で行われる。法解釈や判例の判断については裁判官から十分に説明を受けることができる。決して裁判員のみによる感情に任せた結論が導かれることはない。


産経の報道が正しければ、2度にわたって行われた精神鑑定に意味がなかったことになる。なぜ高裁が「職権」で3度目の鑑定を実施したのか、その鑑定が先の2回とどのように異なるのか、納得のいく説明がない。

これに対する産経新聞の提言はストレートだ。

裁判員制度導入前の判例と、国民の日常感覚や常識との間に、ずれが生じていると理解すべきだ。裁判員裁判の判決の破棄が続く現状は、裁判員に無力感を生じさせることにつながる。


僕は裁判員を引き受けたことはないが、相当な負担であることは想像できる。少なくとも、平日に数日間も拘束されるほど仕事に余裕がある人はそういるまい。裁判員制度があまり一般市民に浸透しているとも言えない状況で、このような自体は制度の存続そのものの妥当性に直結する、という指摘だ。

はっきり言及してはいないが、産経新聞がこの一件に注目した契機は、死刑判決との兼ね合いだろう。なまぬるい目で見れば、高裁が死刑判決を強引に翻したのは「一般市民の裁判員に『死刑』という極刑を宣告させる精神的負担を軽減したもの」という見方もできる。

しかし、それが正しければ、裁判員制度というものは死刑反対論者が死刑の履行を強引に覆すための制度的な装置、というだけのことになってしまう。ことの良し悪しは別として、現実問題として日本の法律は死刑制度を定めている。法を直接改訂することなく、運用のほうに枷をかけることにより刑の執行を妨げる、という方策は、法のまっとうな履行のしかたとは言えまい。

僕はつねづね、新聞社説の価値は、主張の内容そのものよりも「そもそもどのような件を採り上げるか」という、視点の持ち方だと思っている。裁判員裁判という、いわば世間的には訴求力の低い静的な話題で、しっかりと現在の日本の問題点を指摘している。最近、似たり寄ったりの社説が多いなか、秀逸な社説と評価できるだろう。



適当にやっても済むことになっちゃうもんね。
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第96回東京箱根間往復大学駅伝競走

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第96回箱根駅伝。


青山学院が2年ぶり5回めの優勝を飾った。一言でいうと、「挑戦者」になった青山学院は、本当に強い。実に7区間で区間新記録が破られ、往路記録は4校が新記録、復路も新記録、総合記録も2校が新記録という、記録尽くめの大会だった。

従来の常識が通用しない高速駅伝と化し、それに対処できたチームとできなかったチームで明暗がはっきりと分かれた。去年までの箱根駅伝とはまったく違う大会となった感があった。時代の移り変わりとともに箱根駅伝の戦術は変化するが、それが全く新しいステージに進化している。

時代の変化にうまく対応できたチームは、青山学院、國學院、東京国際大、創価の4チームだろう。どのチームも今回大会の大きな傾向にしっかり対処している。すなわち、「序盤重視」「エース投入のタイミング」「適正に合わせたピーキングの必要性」だ。

一般的に箱根駅伝の戦術上、欠かせないのは「エース」「クライマー」「ダウンヒラー」「ルーラー」の4種類の走者だ。区間の特性上、クライマーは5区、ダウンヒラーは6区だが、ふつうエースは2区、ルーラー(単独走が可能な走者)は復路の7、8、9、10区に置かれることが多い。

ところが今回大会の傾向として、「エースを何区に置けるか」によって明暗が分かれた。最も分かりやすいのは青山学院だ。前回大会で苦杯を舐めた4区に副将の吉田祐也を置き、区間新記録の爆走で往路の勝負を決めた。今年の青山学院には絶対的なエースがいない。そこで「2区は集団走になる」という予想をたて、「つなぎの区間」として敢えて1年生を投入した。集団走で様子を見ながら他校の選手からペース配分を盗み、ラストの競り合いで抜け出すことで、2区に集まる他校のエースを「無力化」した。

國學院も作戦が明確だった。藤木、土方、青木、浦野の主力4枚を惜しげもなく往路につぎ込み、往路優勝を狙った。去年までの箱根駅伝だったら成功していただろう。誤算は、青山学院が去年までの想定とは違う次元の高速レースを展開したことだった。その代償として往路で大砲を使い果たし、復路では苦戦した。9区では区間20位で失速している。しかし10区で区間4位と踏みとどまり、最後のスパート合戦を制して総合3位を勝ち取った。

東京国際大は上位チームで最もエース投入が功を奏したチームだろう。2区にエースの伊藤達彦が入ることによって、留学生のヴィンセントを2区以外の区間で使えるというアドバンテージがあった。しかも東京国際大はヴィンセントを補欠エントリーで隠し、他校の区間配置を揺さぶった。結果としてヴィンセントは3区で59分25秒という、ハーフマラソンの世界記録に匹敵する驚異的な記録でぶっち切り、往路での優位を確立した。

エース投入がユニークだったのは創価大学だ。1区と10区に両エースを置き、その両方で区間賞を取った。創価大学の区間賞は初めてのことで、目論みが100%当たった。目標がシード権獲得という現実を見据え、「序盤で出遅れず、上位で戦い続ける」「10区のラスト勝負で競り勝つ」という中堅チームの鉄則を愚直に実行した。その結果として、各校のエース格が集まり高速レースとなった1区を制して区間賞、10区では現存の最も古い区間記録を破る新記録というおまけつきで、見事に初のシード権を獲得した。特に10区最後の競り合いでは、シード権確保については鉄壁のノウハウを持つ中央学院大を下してのシード権獲得だ。創価大学がどのようなレースプランを組んでいたのかが明確に分かる10区だった。


毎年話題になる青山学院大学の「なんとか大作戦」だが、今回の青山学院の最も大きな作戦は「吉田圭太の1区投入」だろう。これを当日のオーダー変更で行なった。これで他の大学は、かなり動揺したと思う。

近年の1区は、様子見からのスローペースになることが多く、最後のラストスパートだけで勝負が決まることが多かった。だから1区の適正は、ここ数回の大会では「集団走に強く、我慢して終盤に備えることができ、ラストスパートがキレる走者」であることが多かった。1区がスローペースの展開になると、ここにエース格を投入しても差をつけることができず、主力が「ムダ駒」に終わってしまう。特に東洋大学は、2017年(第93回大会)で1区に服部弾馬を投入し、区間賞は取ったものの2位に1秒差という無駄撃ちをしてしまい、それ以後1区の戦力を出し控える傾向にある。

その傾向はここ数年、青山学院も同じだったが、青山学院が連覇を始めた頃は1区に久保田和真というエースを躊躇なく投入していた。全区間1位通過の完全優勝を達成した2016年(第92回大会)では、その1区久保田が区間賞を獲得し、金栗四三杯を獲得している。
今回、青山学院が1区にエース格の吉田圭太を投入したのは、その頃の青山学院の「挑戦者」としての姿勢を取り戻すべく、原監督がチーム全体を引き締めるために行なった賭けだろう。この区間配置で、チーム全体に「序盤で主導権を握る」という目的意識が明確な形で共有されたと思う。

つまり青山学院の作戦は、1区と2区が連動している。2区に1年生を配置した以上、1区で出遅れるわけにはいかない。そこで1区にエース級を配置する。その2区間で無理矢理にでも上位を確保し、有利に戦いを進める。「序盤で支配権を取る」という駅伝の鉄則を守る、基本に忠実な作戦と言える。

時代の変化に対応できなかった大学は、東洋大学、法政大学、中央学院大学だろう。特に東洋大学の失墜は、毎年箱根駅伝を見ている人にとっては信じられない出来事だっただろう。しかし、去年の箱根駅伝復路、今年のトラックシーズンで、すでに東洋大学の凋落の兆しは見えていた。

東洋大学の特徴は、上級生になるほど戦力数が激減することだ。4年生の数が極端に少なく、4年生までチームの主力を張り続ける選手が少ない。相澤晃の突出した実力が注目されることが多いが、言い方を変えれば「相澤晃しかいない」のだ。他に順調に成長した東洋大学の選手は、副将の今西駿介くらいだろう。
2年連続1区区間賞の実績をもつ西山和弥は区間14位、3区の吉川洋次は区間13位、4区の渡邉奏太に至っては区間20位に沈んだ。上級生が相次いでチームの足を引っ張った。 また今年に入ってからようやく主力に定着した定方駿も、コンディション不足でメンバー落ち。その結果、シード権を争う10区に駅伝未経験の1年生・及川瑠音を置くというちぐはぐな配置だった。当然ながら1年生には荷が重く、及川は10区で区間19位に沈んでいる。

東洋大学は全体的に、できる選手とできない選手の差がありすぎる。思うに東洋大学の練習というのは、「30人の大学生を30人全員伸ばす方法」なのではなく、「100人の部員の中で、世界に通用する3〜4人だけが伸び、残りは潰れていく方法」なのだと思う。将来オリンピックに出るほどの素質を持たない学生は、東洋大学の練習についていけず、次々と脱落していくのではあるまいか。「将来、世界で戦うことを見据える練習」にこだわり過ぎるあまり、「普通の大学生の選手」を片っ端から潰しているように見える。

それが如実に現れているのはピーキングだ。今回の東洋大学は特に故障明けの選手が多い。西山和弥は今シーズンの駅伝が軒並み不調で、走り込み不足が明らかだ。吉川洋次に至っては他のレースに出場すらできていない。各自の特質と調子に合わせて、それぞれに合うような調整をしているようには見えない。「相澤を見習え」「相澤について行け」と、やたらと相澤晃を基準にした、無茶な練習を繰り返していたのではないか。 出場選手を万全の状態にもっていけないのは、基本的には監督の手腕に問題がある。

結局、東洋大学の敗因は、1区西山の失速で「序盤で主導権を握る」に失敗し、2区エースの相澤晃の威力を十分に発揮できなかったことだろう。いくら相澤が区間新の快走でも、14位を7位に押し上げる位置取りでは優勝争いに絡めない。戦前、酒井監督は「相澤を活かすチーム戦術」を掲げていたが、1区でそれに失敗し、早くも打つ手がなくなった。

選手のピーキングに関しては法政大学も大失敗をしている。特にダブルエースの一角、佐藤敏也を欠いたのは痛かった。トラックシーズンの後、故障から長い不調に陥ったが、それを回復させ切れなかったのが痛い。半分本人、半分監督の責任だろう。手駒が足りなくなり、1区に1500mが専門の2年生を配置するという苦肉の策をとり、区間19位で完全に高速レースに取り残された。今回の法政大学の作戦は「5区青木」のみと言ってよく、まだ2区を走ってる選手に対して、監督が「青木が何とかしてくれる!」と声掛けする始末だ。

中央学院大学は、得意の「10位確保」が通用せず、よりによって例年勝負区間としている9、10区で逆転されて11位に沈んだ。去年、10位でぎりぎりシード権を確保したときの総合記録は11時間9分23秒、今年の記録は11時間1分10秒。実はチーム記録を8分以上も縮めている。例年であれば、今年の戦い方で十分にシード権は取れただろう。ちなみに今年の中央学院大の記録は、去年であれば6位に相当する好記録だ。
ところが今年は異様ともいえるほどペースが上がり、箱根駅伝全体が高速レースと化した。従来の9、10区の備えでは、シード権をめぐる最後の削り合いには勝てなかった。事実、10区に区間新を叩き出す選手を配置した創価大学の執念の前に屈する形となった。

中央学院と同様に、「出来が悪かったわけではないが、全体のレベルが上がったため、取り残された」というのが東海大学と駒沢大学だ。圧倒的な選手層を誇り、優勝候補の筆頭とされていた東海大学は、今回は勝てなかった。「黄金世代」と称された現4年生は、4年間が終わってみれば、3大駅伝をそれぞれ1勝ずつしかできなかった。一方、原監督に「ダメダメ世代」と呼ばれた青山学院大学の現4年は、4年間で出雲2勝、全日本2勝、箱根3勝の、合計7勝を重ねている。どちらが黄金世代だか分かったものではない。

両角監督が話していた通り、今回の東海大学は大きなミスがあったわけではない。区間賞を狙っていた5区山登りの西田壮志が体調不良による調整不足で7位に沈んだのは誤算だっただろうが、6区山下りで区間新の爆走をした主将・館澤亨次の走りで相殺できる程度のことだ。全体の記録でも、去年の10時間52分09秒に比べて、今年は10時間48分25秒。十分に優勝に資する結果と言える。

しかし、今回の東海大学が「これ以上強くならないベストのチーム」だったか、というと、決してそんなことはない。「黄金世代」の主力とされていた選手のうち、阪口竜平は出走できず、關颯人、中島怜利はエントリー入りさえできていない。8区区間記録保持者の小松陽平は、大差を詰めるはずの8区で青山学院の岩見秀哉に1秒ギリギリしか勝てず、この段階で事実上東海大学の逆転の可能性が静かに潰れた。去年よりも気候のコンディションが良かったことを考えると、小松の不調は直前の調整不足によるものだっただろう。TV放送では、区間賞のインタビューにも関わらず、小松は泣きながら悔いの言葉を並べていた。まるで勝負に負けたかのような応答だった。

つまり東海大学も、東洋大学と同様、「選手個々人の能力を伸ばす」という指導の仕方ではないのだと思う。あまりにも4年間で才能を潰し、大会を絶好調で迎えられない選手が多すぎる。個々の選手の特性に合わせた練習方法も考えていないだろうし、潰れた選手は潰れたまま埋もれていく環境なのだろう。


翻って青山学院の選手を見ていると、1年をかけて「区間適正に合わせた走り方」を練り上げていたことが分かる。
今回大会の大きな特徴は「高速シューズ」と呼ばれるナイキの厚底シューズ(ヴェイパーフライネクスト%)が席巻していたことだ。青山学院の公式スポンサーはアディダスだが、今年からナイキのシューズを解禁した。このシューズが高速化の理由になったことは間違いないが、これを履いたチームが全員速くなったわけではない。勝負に負けた東海大学も、大失墜した東洋大学も、みんなこのシューズを履いている。

このシューズの特性は、正確に言うと「速く走れること」ではない。「速く走っても、ダメージが少ない」ということだ。普通であれば足にダメージが溜まるような無茶な突っ込みをしても、足への負担が少なくて済む。だからこのシューズを効果的に使うためには、そもそも速く走るスピードと、それを維持するスタミナが大前提になる。
またこのシューズは、ソールに「カーボンプレート」が内蔵されている。反発性が従来の靴とは違うため、前傾姿勢を保って体重移動をスムースに行なう走り方が要求される。正確な接地技術と、フォームの維持が必要になる。誰が履いても速く走れる魔法の靴ではないのだ。

今回の青山学院の特徴は、全選手が区間前半から区間記録を更新する勢いのハイペースで突っ込んでいたことだ。集団走での駆け引きが必要な往路序盤だけでなく、前半から飛ばす必要がない復路の7、8、9、10区でも序盤から猛烈なペースで突っ込んでいた。また、後半から終盤になってフォームが崩れて上体が振れてしまっても、前傾姿勢と接地は崩れていなかった。

おそらく青山学院は、1年をかけて箱根駅伝だけにターゲットを定め、高速シューズの利点を活かす走り方を練習していたのだと思う。20キロ前後の距離走を延々と積み重ね、「前半から飛ばし、前傾姿勢を保ったまま、可能な限りペースを維持する」という練習を積みかさねていたのではないか。

復路の青山学院は、後続と大差がつき、それぞれが単独走になった。しかし、それでペースを乱すことなく、全員が「前半から突っ込み後半まで我慢する」という走り方ができていた。典型的なルーラーの走り方で、かなり時間と距離をかけて練習していないと身に付く走り方ではない。

今年の青山学院は、夏前のトラックシーズンと、3大駅伝の出雲、全日本では結果がまったく出ていない。おそらく箱根の長距離に対応する練習のため、捨てたのだと思う。青山学院にとって出雲と全日本の両駅伝は、「駅伝の未経験者に、経験を積ませるための『練習』」に過ぎなかったのだと思う。岸本大紀、湯原慶吾、飯田貴之、中村友哉、神林勇太など、駅伝経験が不足する選手を出雲・全日本にどんどん投入し、駅伝経験を積ませて箱根に備えた。


今回の箱根駅伝を見て、大学スポーツが目指すところに迷走が見られないか、という感じがしてならなかった。

今年はオリンピックイヤーということもあり、箱根駅伝の周辺ではオリンピックのマラソン代表に関する話題が頻繁に聞かれた。中村匠吾(駒沢大出身)、服部勇馬(東洋大出身)が「箱根ランナーが目指すべきお手本」のようにもてはやされ、やたらと「箱根から世界へ」が喧伝されていた。しかし実際には、駒沢大学も東洋大学も、優勝争いどころか、シード権ギリギリの下位に沈んでいる。

大学在籍時から世界を見据えた練習を積み重ねるのも結構だが、大学の選手全員が世界を目指す資質があるわけでもないし、その意思を持ち続けられるわけでもない。世界を目指す前に潰れてしまっては、身も蓋もない。特にここ数年の「東京オリンピックシンドローム」によって、学生スポーツ界全体が、「オリンピックを目指せ」という崇高かつ気高い理想に、気疲れしてしまっているのではないか。東洋大学で不調に陥る多くの選手や、前評判ほど実力を出し切れていない駒沢大学の選手を見ると、そのような「高すぎる意識の高さ」が、指導者の呪いとなっている気がする。

青山学院の4区で区間新記録を叩き出した吉田祐也は、卒業後に実業団に進まず、一般企業に就職する。区間賞のインタビューでそのことを訊かれても、晴れやかな顔で「悔いはありません」と笑顔で答えている。いい大学生活を送り、今後の社会人生活にも資するところ大だろう。大学スポーツを「大学教育の一環」として捉える場合、一握りのオリンピック選手の育成のために多くの「犠牲者」を出すあり方と、すべての学生にそれぞれのやり方で取り組ませるのと、どちらが健全なあり方なのだろうか。

現状では、オリンピックや世界陸上を見据えて現時点の練習を「割り算」で考える大学と、とりあえず目先の目標を一歩ずつ積ませる「足し算」で考える大学が、はっきり分かれているように見える。大学での競技を考えている高校生は、そういう所を見極めて大学を選ぶべきだろう。今回の箱根駅伝を見て、そんなことを思った。

去年の青山学院は、出雲と全日本の駅伝に勝ち、箱根に負けた。今年は出雲と全日本に負けたが、箱根に勝った。ちょうど結果が表裏の関係になったが、どちらが年度締めの総括として「成功」と捉えているか、というと、すべてを捨てて箱根駅伝の勝利に賭けた今年度のほうだろう。関東インカレや日本インカレで勝っても、出雲や全日本駅伝に勝っても、箱根に負けたら意味がないのだ。それだけ大学長距離界における価値の比重が箱根駅伝に偏っている、ということだろう。最終的に何を目指し、何のために練習をしているのか、その辺を見失った大学は、わけの分からない迷走をすることになるだろう。



ピコンピコン鳴り過ぎ。

「厚顔無恥」のお手本のような社説

「日本と韓国の対立 『最悪』を抜け出すために」
(2019年12月25日 朝日新聞社説)


さほど損害が伝えられない韓国側でも、多くの業者や関係者が困難な状況にあるはずだ。政府間にはそれぞれ譲れぬ原則があるにせよ、国民の経済的な実利や、市民同士のふれあいの機会を互いに損ねる現状を放置してよいわけがない
両政府とも、相手の政権が代わらない限り、解決は難しいという突き放し感が漂う。だが、それは両首脳が偏った隣国観に固執するあまり、柔軟性を欠く外交をしかけ、ナショナリズムをあおる結果になっているからだろう。
一方、安倍首相は、朝鮮半島に残る歴史的な感情のしこりに無神経な態度が相変わらずだ。先の臨時国会の所信表明で、100年前のパリ講和会議で日本が人種差別撤廃を提案したことを誇らしげに語った。だが、当時の日本が朝鮮の植民地支配で差別を批判されていたことへの言及はなかった。戦後70年を機に出した「安倍談話」でも、朝鮮支配には触れなかった。韓国市民が「ノー安倍」と呼びかけるのは、そんな歴史観が影響している



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日韓関係を壊滅的にする虚言を自らバラまくだけバラまいておいて、他人事のように「いけませんね」などとほざく無責任。こんなことになった根本的な原因が自分たちにあるなどという自覚は微塵も無い。

朝日新聞としてはさっさと日本を韓国に売り渡したいところだろうから「日本は無条件に韓国に土下座しろ」とでも書きたいところだろうが、正直にそう書いてしまったら世論からの乖離を招く。一方、朝日新聞の主要な購買層である生産業からは「政治・外交はともかく、経済関係だけでも日韓関係が友好的になるように世論を操作しろ」という圧力がかかっているのだろう。書かされている文章だから、内容が支離滅裂になる。

本当に日韓関係の悪化について言及するなら、ことの発端である「慰安婦問題」に触れないはずはない。しかし社説内にはそんなことは一言も触れていない。自社の責任に直結する部分だけきれいに無視して、表層的な事柄にだけ偉そうに講釈を垂れる。新聞社としてだけでなく、一企業としての倫理観が全く無い。



令和になっても相変わらず。
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GSOMIA破棄通告、撤回

「日韓情報協定 関係改善の契機とせよ」
(2019年11月23日 朝日新聞社説)
「GSOMIA 韓国の破棄見直しは当然だ」
(2019年11月23日 読売新聞社説)
「日韓情報協定の維持 最悪の事態は回避された」
(2019年11月23日 毎日新聞社説)
「GSOMIA延長 日米韓の協力を立て直せ」
(2019年11月23日 産経新聞社説)
「協定維持を機に日米韓体制を立て直せ」
(2019年11月23日 日本経済新聞社説)

さすがに韓国も、アメリカから見放されるのは怖かったと見える。日本に対して一方的に通告してきたGSOMIA破棄を、失効寸前1日前という直前ギリギリの場面で翻した。この騒動で日韓関係は戦後最悪のレベルに達し、両国は極度の緊張状態に置かれた。

今回の騒動を表層だけ見ると、韓国の常套手段「論点のすり替え」を積み重ねた挙句、韓国が自縄自縛に陥ったように見える。もとはといえば根本の問題は元徴用工問題だ。韓国が1965年の日韓請求権協定を無視し、国民感情を焚き付けて国内経済の停滞から目を逸らそうとしたことが、ことの発端だった。

それ以降、韓国は反日世論を煽るだけ煽り、「日本が悪い」の理屈を積み重ねるべく、論点をずらし続ける。自衛隊機へレーダーを照射し、自衛隊は韓国軍に強い不信感を抱くようになる。韓国はフッ素化合物や軍事転用可能な物資を不透明に流出させており、北朝鮮への横流しを警戒した日本は輸出規制をかけた。ところが韓国は詳細を説明するどころか、逆ギレを起こして「日本が輸出規制をかけるのであれば、GSOMIAを破棄する」と一方的に通告してきた。国内では反日感情を煽り、日本製品の不買運動を政府が主導して行なった。

どの段階でも、本質的な問題から論点をそらし続け、状況が悪化し続けていた。その根本原理はただひとつ、韓国政府が「メンツ」を守ることだけだ。日本の輸出規制は経済的な問題であり、GSOMIAの破棄は安全保障に関する問題だ。本来は別個に扱うべき全然関係ない問題をぐちゃぐちゃに混ぜ、どさくさに紛れて全部一括で解決しよう、という雑な思考回路が読み取れる。日本政府が終始一貫して「輸出規制とGSOMIAは別問題」と言い続けてきたのは、そういう韓国政府の目論みを遮断するためだ。

韓国としては、「さすがに安全保障に関するGSOMIAの破棄をチラつかせれば、日本はビビって言うことを聞いてくるだろう」という意図に見えた。表層だけ見る限り、韓国の最大のミスはこの錯誤だった、ということになるだろう。実際のところ、情報収集能力は韓国よりも日本のほうが高く、軍事衛星の数も群を抜いて多い。今回の騒動の最中にも、韓国軍は北朝鮮のミサイル発射の情報を、よりによってGSOMIAの締結内容を根拠として日本に情報提供を求めている。日本は別にGSOMIAが必要なわけではなく、GSOMIAの最大の受益者はアメリカだ。この状況を見誤ったのが韓国の最大の失敗、という見方が多い。

韓国は、ひとつの問題から目を背けるべく、次の新たな問題を火種として火を点けて回り、最後には大炎上して自爆した・・・と、まぁ、表層から見ればこういう騒動に見える。ところが実際のところは、逆だったのではないかと思う。韓国は最初からGSOMIAの破棄を目指しており、全ての騒動はそこから逆算した「筋道」だったのではないか。

文在寅はもともと、大統領選挙の際にGSOMIAの撤廃を公約に掲げている。GSOMIAは朴槿恵政権のときに締結された軍事協定で、日米韓の秘密軍事情報の保護に関するものだ。だから親族が北朝鮮出身で、北朝鮮を愛する文在寅にとっては、是が非でも撤廃させなければならないものだった。

ところが、正面から「GSOMIAを撤廃する」と発表してしまうと、日米の猛烈な反発を喰らう。国民だって不安がる。そこで文在寅は「日本のせいでGSOMIAを撤廃せざるを得ない」というシナリオを考えた。日本を悪者にすれば、世論は簡単に煽動できるし、アメリカに対しても面目が立つ。そのため文在寅は、多少無理をしてでも結末をGSOMIA破棄に持っていくように話を混乱させなければならなかった。その無茶が災いしたのだろう。

だから韓国は、「経済問題に、安全保障問題という関係ない問題を絡めて、自縄自縛になった」のではない。「もともと安全保障問題に話を持ち込みたくて、その口実として使えそうだったのが経済問題しか無かった」のではないか。はじめから強引にその話に持ち込みたかったのだから、論理が通っていなくて当たり前だ。

つまり韓国は、ふたつのシナリオを描いていたのだろう。

(1)「日本の輸出規制を撤廃させる」← GSOMIA撤廃をチラつかせて、日本から譲歩を引き出す
(2)「GSOMIAを撤廃する」← 日本の輸出規制を大義名分に、日本のせいにして誰も敵を作らずにGSOMIAを破棄する

韓国にとっては、というより文在寅にとっては、どっちでもよかったのだと思う。最低でもどっちかは取れる、王手飛車取りのような感じだったのではないか。騒動の最中の、文在寅の自信満々な態度からは、そういう目論みが読み取れる。

そして日本は、韓国の「表のシナリオ」と「裏のシナリオ」の、両方を見抜いていたようだ。だから日本は終始一貫して「無視」を決め込んだ。韓国としては、日本にあわてふためいて狼狽してもらわなければ困るところだったが、日本は基本方針を一切ぶれさせず、正論を押し切った。その一方で、GSOMIA破棄を憂慮したアメリカが猛烈に韓国にプレッシャーをかけてきた。

今回の騒動のポイントは、「アメリカはなぜ韓国にだけ圧力をかけ、日本側には何も要求してこなかったのか」ということにある。韓国の言い分としては「日本が輸出規制を緩めれば、GSOMIAは継続する」という理屈なので、アメリカとしては日本に対して「韓国への輸出規制を緩めろ」と圧力をかけることだって可能だった。そしてそれが韓国の狙いだっただろう。ところがアメリカ政府は日本には何も言って来ず、韓国だけに圧力をかけた。それはなぜだったのか。

端的に言うと、「安倍首相と、文在寅大統領の、外交手腕の圧倒的な差」だろう。簡単に言うと、トランプ大統領との個人的な信頼関係の構築度合いの差だ。安倍首相はトランプ大統領の就任以来、日米関係が緊張しないように細部にわたって対策を敷き続けた。

あまり報道されていないが、個人的には、安倍首相がアメリカと良好な関係を保つために採った策は「中国」だと思う。いま日本は中国と珍しいほど良好な関係にあり、年度末には習近平の国賓としての来日が予定されている。一方、アメリカと中国の関係は最悪だ。経済、軍事、政治、外交、すべての面で最悪の状況にある。だからアメリカにとって、対中国という観点から日本は絶対に味方にしておかねばならない「手駒」であり、自陣側に引き入れるためには良好な関係を保つ必要がある。

正直なところ、いまのアメリカは「韓国ごときに関わっている暇はない」のだろう。対中国が重要な局面を迎えていて、外交の全神経を中国対策に集中しなければならない。今回の騒動でアメリカが韓国にとった行動は「高官を派遣して圧力をかけ説得する」という、なんのひねりもないストレートなものだ。策を弄するだけの余裕がアメリカにはないのだろう。力で押し切る棍棒外交だ。それは逆の韓国側から見れば、対話の余地のない、とりつく島もない一方的な圧力だ。日本は「アメリカにこういう態度をとらせることに成功した」といえる。

報道だけを見ていると、現在の日本政府の、対中国の基本方針は「アメリカとの距離感をうまく作り出すために中国を踊らせる」というものに見える。安倍首相は、こういう外堀の埋め方で、あの扱いにくい元不動産屋を手なずけているのだろう。正攻法以外にも、トランプが来日した際には一緒にゴルフをし、鉄板焼に連れて行き、良好な関係を保つ努力を怠らなかった。こうした硬軟取り混ぜての外堀の埋め方が、今回の韓国との関係においてアメリカを味方に引き入れる布石になっていたと思う。

一方、韓国のアメリカに対する姿勢は最悪だった。のっけから「GSOMIA破棄は、アメリカも了解している」と大嘘をついてしまった。この公式発表に仰天したアメリカは瞬時にそれを否定して、激しく非難している。GSIMOA失効直前の数週間でアメリカ政府が怒濤のごとく政府高官を韓国に派遣し、方針の翻意を迫った事実だけを見ても「アメリカも了解している」という韓国の発表が嘘以外の何者でもないことは明白だろう。アメリカ政府はもはや韓国を全く信頼しておらず、「日韓関係は知らん。そっちが勝手に解決しろ。これは韓米関係の問題だ」と構図を局所化して迫った。

アメリカのこの出方によって、韓国の目論みとしての両方のシナリオが消えた。「アメリカが仲裁して日本から譲歩を引き出す」も「日本を悪者にしてGSOMIAを破棄する」も、両方とも行き詰まってしまった。韓国の敗因はただひとつ、アメリカの操縦に失敗したことだろう。今回の騒動を通して、韓国の対日方針は「日本に何かを直接言う」だけで、絡め手が絶望的に下手だ。一方の日本は、中国という背後を固め、アメリカを味方に引き入れ、気付いた時には韓国が孤立しているように、長い時間をかけて外堀を埋めた。

結果として韓国はふたつの目論みの両方に失敗している。これを外交戦争と見なすなら、日本の圧勝だろう。結果云々ではなく、過程を見るだけでも相当な差がついた。8月のGSOMIA破棄通告から11月までの4ヶ月間、韓国政府にかかったストレスは甚大なものだろう。対して日本は事態を静観し、黙って見ていただけだ。どちらの政府がより疲弊したのかは明らかだろう。

韓国政府としては「危機を乗り切った」「両国が融和ムードのなれば」「これを機に日本の経済措置の緩和を」などと楽観ムードのようだが、今回の一件は韓国が勝手にGSOMIA破棄というカードを切って、勝手に危機に陥り、勝手に前言撤回しただけだ。7月から何も事態は変わっていない。元徴用工の問題と、韓国が軍事転用可能物品を横流ししている疑惑の問題については、日本は依然として韓国の対応を迫る状態に戻っただけだ。韓国は自分で火を点けて自分で消し、融和ムードに浸っている場合ではなかろう。本当の勝負はこれからだ。

韓国はGSOMIA継続を発表してもなお、「いつでも破棄できるとの認識でいる」などと強がっている。これは、最低でも、裏のシナリオ「誰からも非難されずにGSOMIAを破棄する」の方針だけでも残したい、という最後のあがきだろう。実際のところ、いまの状況で韓国がGSOMIAの破棄を一方的に通告してきたら、アメリカが激怒する。もし文在寅が本当にGSOMIAの破棄を一方的に通告してきたら、その時は韓国が西側の同盟から外れ、中国・北朝鮮・ロシアの側に回るときだろう。韓国国内で頻繁に発表されていた世論調査では、大多数の国民が「GSOMIA破棄に賛成」だった。ということは韓国国民も、西側同盟からの離脱し、中国の傘下に堕ちることを希望しているのだろう。

結局のところ、韓国は今もなお「中国の植民地」ということなのだと思う。数千年をかけて熟成された被支配民としてのメンタリティーは、いまもなお韓国国民の中に脈々と生きている。「過去の過ちを謝罪せよ」などと日本には頻繁に言ってくるが、何世紀にもわたって蹂躙されてきた中国にはそんなことは一言も言わない。なぜなら韓国にとって中国は今もなお「宗主国様」だからだ。北朝鮮を愛して止まない大統領と、ふたたび中国の植民地に戻ることを希望している韓国国民は、相性がとてもよく支持率も高いようだ。念願の朝鮮半島の統一も、そう遠いことではないかもしれない。文在寅は「北朝鮮主導での半島統一」を指向している。韓国国民には、ぜひとも刈り上げ黒電話の支配のもと、経済が破綻し貧困と飢餓に満ちた、北朝鮮式の生活を楽しんでいただきたい。 



さてどうやって面子を保つのかな。
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「フミコの告白」





日本のアニメ強いな。

ラグビーW杯 準々決勝 日本 vs 南アフリカ

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ラグビーワールドカップ 準々決勝第4試合
日本 3-26 南アフリカ


完敗だった。日本のいいところが一切出せず、南アフリカにノートライに抑えられた。さすが南アフリカという他はない。

試合全体として、「相手の作戦におつきあいし過ぎた」という印象がある。南アフリカは、明らかにFWの密集戦が多くなることを想定していた。8人登録できるリザーブメンバーのうち、6人がFW。BKの控えが2人しかいない。明確に、外勝負ではなく、縦突破のFW戦になることを想定している布陣だった。

日本のハーフバックス陣も十分にそれを分かっており、キックを絡めて相手FWを背走させ、体力を消耗させるゲームメイクをしていた。前半に限って言えばそれはうまくいっていたと思う。それが後半になって、途端にゲームの主導権を南アフリカに握られた。そのポイントとなったのはディフェンスだ。

明らかに南アフリカは、日本のオフロードパスの傾向を分析していた。タックルに行くとき、ボールを持っているプレーヤーに守備を集中させすぎず、その周りのサポートプレーヤーを必ずチェックしていた。日本代表はオフロードパスを出しても、あらかじめマークしていたタックラーにすぐにチェックされ、思うようにパス回しができなかった。

この南アフリカのディフェンスの仕方は、ふたつの意味で日本を制約した。ひとつは「オフロードパスからの繋ぎ攻撃を封じること」、ふたつめは「敵を内側で止めさせ、外まで回させない」ということだ。そのため南アフリカはこの試合を通して、ラインディフェンスは極端に詰めのディフェンスを押し通した。
オフロードパスと並んで、南アフリカが警戒してたのは、日本の両WTB、松島と福岡のスピードだろう。出足の速い詰めのディフェンスでスペースを消し、サポートプレーヤーをマークすることで展開を許さず、内側で止めて外まで回させない。これを南アフリカは80分やり切った。

このディフェンスの仕方は、前提として「ひとりが確実にひとりを止める」ということが必須条件だ。最初のタックラーがかわされてしまったら、サポートプレーヤーをマークしている味方ディフェンスとの間にギャップができてしまう。このディフェンスをやり切った南アフリカは、守備力とタックルにおいて盤石の自信を以て臨んでいたことが分かる。

この試合を通しての総タックル数は、日本が91、南アフリカが140。約1.6倍の開きがある。つないで回して相手を守勢に釘付けにして消耗させる作戦は、前半は成功していた。前半終了間際には南アフリカのFW陣は疲労がたまり、足が止まっていた。おまけにPRムタワリラがシンビンで10分間の退場になってしまう。この数的有利の時間帯に日本がトライを取りきれなかったのが、勝敗を分けたポイントだっただろう。あそこで日本がトライを取っていれば、また違った展開になっていたと思う。しかし結局、日本は南アフリカのゲームプランの枠の中から出ることができず、両WTBを自由に走らせる機会を最後まで得られなかった。

結局、南アフリカは前半終了間際の危険な時間帯をなんとか乗り切った。後半になると、豊富な交代要員でFWをどんどん入れ替え、逆に消耗度で優位に立つようになる。
その象徴が後半26分のSHデクラークのトライだ。モールを組まれ、20〜30mに渡って延々とドライブされた。守備陣形が壊滅した隙をつかれ、サイド攻撃からトライを取られた。

後半になると「モール」「ラインアウト」「ターンオーバー」で日本はチャンスを潰し続ける。特にラインアウトはひどかった。試合全体を通して、南アフリカのラインアウトの成功率は100%、一方の日本は61.5%。5本のラインアウトを相手に取られている。また敵陣深くまで攻め込んでから、ターンオーバーで簡単にボールを奪われた。この試合を通じて、合計10回のターンオーバーを南アフリカに許している。こういう局面でのミスが、流れを失うことにつながった。

日本の攻撃が無力だったかというと、そんなことはない。攻撃のスタッツを見てみると、日本の攻撃は想定通りに行なえていたところもあった。
ボールキャリーは、南アの88回に対して日本は120回。ディフェンス突破は南ア14回に対して日本は20回。パスは南ア100回に対して日本は186回。攻撃に関しては、日本は練習したことを実行していた。

南アの出来が良かったかというと、決してそんなことはない。特にハンドリングエラーが多すぎた。トライを狙える重要なチャンスで何度もボールを落とし、流れを失うことがあった。ところが日本はそれにつけ込むことができず、最初のゲームプランに固執し過ぎていた傾向があった。予想よりも厳しい南アの守備と、予想よりもハンドリングが緩いことを活かして、グラバーキックで陣地を稼ぐなどの工夫があってもよかったと思う。


予選プールと、決勝トーナメントでは、また違う次元の戦いがある、ということなのだろう。日本以外にも、例えばアイルランドなどは毎度優勝候補に挙げられながら、実はベスト8の壁を破ったことが一度もない。今回の大会で日本代表は、いままで立ったことのなかったステージに立った。見たことのない景色を見た。こういうことを地道に積み重ねて行くより他に、強くなる方法はない。

今大会、日本代表はよく戦った。どうすれば勝てるのか、よく考えてそれを実行した。その結果、過去最高の成績を収めた。結果の良いところは自信につなげ、悪かったところは改善の課題とする。そのサイクルを高速で回せるチームが強くなる。

アジアで初、伝統国以外の国で初めてとなるラグビー・ワールドカップがここまで盛り上がっているのは、間違いなく日本代表の躍進にその理由の一端がある。日本代表は開催国として立派な成績を収めた。大会全体の成功にも寄与したという点でも、代表チームの功績は大きいだろう。



おつかれさまでした。また次を目指して頑張ろう。

加法定理

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明快な証明。

ラグビーW杯 プールA 日本 vs スコットランド

JPNSCT



ラグビーワールドカップ プールA
日本 28-21 スコットランド


日本が予選プール最終戦でスコットランドを撃破。自力で決勝トーナメント進出を決めた。
日本は初の決勝トーナメント進出を果たし、前回大会で唯一の敗戦を喫した相手に雪辱を果たした。

台風19号の影響で他プールの試合が中止になり、開催が危ぶまれた中での試合だった。台風による中止の可能性が報じられると、スコットランド・ラグビー協会のマーク・ドッドソンCEOは「弁護士と相談したら、日程を柔軟にできるはずとの意見をもらった」と大会規約をまるで無視した言動を繰り返し、開催地・開催日程を変更してでも強行に試合実施の要求を繰り返した。試合が実施されない場合には法的措置も辞さないとの声明さえ発表している。被災地の惨状を顧みず、自分たちの利益のことしか考えないスコットランド協会の言動には、非難が殺到した。

そんな雰囲気の中での試合開催。試合前には台風19号の被災者に対する黙祷が行なわれた。
台風被害によるグラウンドコンディションと天候が懸念されたが、関係各所の尽力によって無事に開催にこぎつけた。ホスト国としての面目躍如といったところだろう。

結果からすると、奇跡でも大番狂わせでもなく、実力で日本が勝ち切った試合だった。
スコットランドと日本は、プレースタイルが似ている。世界トップレベルと比べれば破壊力抜群ではないものの、規律正しいFW陣でマイボールを確実に確保する。バックスの展開に優れ、特にバックスリーの走力が著しい。バックローの守備力が高く、ジャッカルによってマイボールを得る。 いままで日本がスコットランドに苦戦することが多かったのは、単純な実力差というよりも、プレースタイルが噛み合いすぎているが為の「相性」という面が大きい。

特にスコットランドの右FL、ジェーミー・リッチーは鬼だった。密集戦で必ずボールに絡み、日本ボールのラックをことごとくジャッカルされた。ラックやモールではスコットランドのプレッシャーを浴び、SHの流がボール出しに失敗するシーンが多く見られた。
そんな中、局所的には五分か、やや劣勢だった日本が、80分のトータルで勝ち切ったポイントは、ハーフバックス陣の差だろう。その差を生み出したのは、絶えることなく地道に仕事を遂行し続けた、日本のバックロー陣のディフェンスによるところが大きかった。

日本の両FL、リーチ・マイケルとピーター・ラブスカフニは、セットプレーのディフェンスで明確に相手SHのグレイグ・レイドローを狙っていた。ゲームキャプテンを務め、過去日本と4回対戦しており、日本はレイドローが出た試合ではひとつも勝てていない。前回大会でも予選プールで対戦し、その時はプレースキッカーとして20得点を献上している。「日本キラー」として警戒されていた選手だ。

スクラムやラックからの展開では、リーチ・マイケルとラブスカフニは執拗にレイドローをマークした。その結果、出足の早い詰めのディフェンスにプレッシャーを与えられ、レイドローはゲームコントロールを失う。
今大会の傾向は、ハイパントだ。しかもレイドローはキックの名手で、今大会でもスコットランドはハイパントでかなり陣地を稼ぐ傾向がある。しかしこの日本戦では、あれほどキックの警戒が叫ばれていたにもかかわらず、ハイパントがほとんど使われなかった。リーチ・マイケルとラブスカフニの速い潰しによって、レイドローがキックを蹴れなかったからだ。

執拗なディフェンスとコンタクトプレイは徐々にレイドローのペースを乱す。後半10分に、スコットランドはついにSHを交替し、レイドローに替えてジョージ・ホーンを投入する。このSHの交替がひとつの潮目だっただろう。

ジョージ・ホーンはもともと第三SHだ。大会前の時点でまだ6キャップしか経験がない。しかし2軍主体で臨んだロシア戦で3トライを挙げる大活躍をし、日本戦では控えSHに昇格した。若さを活かした俊敏な動きと、隙間を縫うような走りでは魅せるものがあるが、この日本戦でSHに要求される資質にはまだ追い付いていなかった。

試合最後の24分、スコットランドはどうしてもトライを取って追い付かなければならない状況に追い込まれた。こういう場面でSHに要求されるのは、FWとBKをうまくコントロールして、その局面に合わせてチーム全体の攻撃方針を瞬時に確立することだ。キャプテンを務めるレイドローはその役割に適役だったが、若いジョージ・ホーンは試合終盤の土壇場の場面になっても、普段と同じゲームメイクしかできなかった。端から見てると「トライ取らなければならない場面だってことが分かってるのかな」というくらい、必死さの欠ける「いつもどおりの攻撃」しか行なえなかった。

つまりスコットランドは、SHの起用順序を間違えたのだ。試合序盤は勢いと速さがあるジョージ・ホーンを使い、試合終盤のギリギリのせめぎ合いに備えてレイドローを後半途中から投入するべきだったのだ。後半最後の24分、スコットランドが猛攻をかけてどうしてもトライを取らなければならなかった時間帯に、FWとBKをうまく操るレイドローがピッチにいなかったことが、スコットランドの致命傷となった。

SOもうまく機能していなかった。スコットランドのSOフィン・ラッセルは、日本のバックロー陣による強いプレッシャーを受けて、自由なゲームメイクを封じられた。特にNo.8の姫野和樹、トイメンSOの田村優には、完全に当たり負けていた。思うようにプレーができず、ラッセルは前半途中からすでにイライラを募らせ、レフェリーの判定に食って掛かるなど平静を欠いていた。その姿勢が視野の狭窄を引き起こし、単調なゲームメイクに終止してしまった。

一方、日本のハーフバック陣は、スコットランドと真逆のマネジメントが行えていた。試合序盤には球足が速くワイドな展開に優れる流大をスタメンで起用し、前半だけで3トライを奪ってリードした状態で後半に入れた。

日本代表は、後半・終盤になってスコットランドが猛攻をかけて来て、防戦一方にならざるを得ない展開をあらかじめ読んでいた。その局面になってから落ち着いてFWを指揮できるよう、後半10分に満を持して経験豊富なSHの田中史朗を投入した。スコットランドとは真逆の選手起用だ。

相手のキーマン、SHレイドローを下げさせる代償として、日本はキャプテンのFLリーチ・マイケルを消耗させてしまい、途中交替せざるを得なくなる。しかし、その後に試合をコントロールする経験豊富な選手がしっかりと役割を引き継いだ。後半から投入されたSH田中史朗は、防戦一方の展開でも落ち着いてFW陣をコントロールし、スコットランドの組織的な攻撃を防ぎ切った。反則でペナルティーを与えないようにFW陣のオフサイドを下げさせ、捨てるラックと入るモールを明確に指示し、何度フェイズを重ねられてもFW陣を叱咤しディフェンスラインを作らせる。一方、スコットランドの控えSHジョージ・ホーンは、どうしてもトライを取らなければいけない土壇場の場面になっても、圧勝したロシア戦と同じようなゲームメイクしかできなかった。経験値という面で格が違っていた。

日本代表SOの田村優も、リーチ・マイケルが下がった後、積極的にFWとコミュニケーションをとり、BKとFWをつなげるディフェンスラインをしっかりと指揮した。試合終盤では、田村が事実上のキャプテンとしてチームを取り仕切り、リーチが欠けた後の日本の組織力が崩れることはなかった。イライラを募らせ、冷静さを欠き、ゲームコントロールを失ったスコットランドSOフィン・ラッセルとは大きな違いだ。

試合後のインタビューで、日本代表の選手は「ゲームプラン」という言葉を頻繁に使った。具体的な内容には言及していなかったが、その主な内容は(1)どうやってレイドローを封じるか、(2)リーチ・マイケルが抜けたときのチームは誰がどう仕切るか、という点に集約されるだろう。日本はそれがうまく機能した。だから勝てた。

モール、ラック、BK展開に関しては、どう見てもスコットランドのほうが上だった。特にスコットランドに取られたトライは、どれも日本が意図的に組んだディフェンスラインを突破されて、組織的に奪われたものだ。
実は日本代表はいままでのロシア戦、アイルランド戦、サモア戦の3試合で、組織的に防御を崩されて取られたトライは、サモア戦の1本しかない。あとのトライは、すべてキックパスやターンオーバーなどの突発的な要因で取られたものだ。ところがスコットランドは日本のディフェンスを組織的に崩し、3本ものトライを取ってきた。

ところが、最後の最後、もう1本のトライが必要なところで、スコットランドはそれを取りきれなかった。日本が周到に準備した「最後の24分」を崩せなかった。そこで力を出し切れるようにチーム戦力をうまくマネジメントし、体力と戦力を温存しつつ最後の場面で力を出し切り、防ぎ切った。日本の「ゲームプラン」によって計画的に勝った試合だった。


個人的には、スコットランド協会のマーク・ドッドソンCEOの、被災者のことを一切鑑みることのない自分勝手な声明が非常に残念だった。自分たちさえ決勝トーナメントに進めれば、被災者が何人死のうが、大会準備委員会がどんなに疲弊しようが、知ったこっちゃない、という許しがたい態度だ。少なくともラガーマンとしては唾棄に値する。あまつさえ、大会規約にサインをしてるにも関わらず「法的措置」などという意味不明な恫喝を浴びせてきた。この一連の言動で、スコットランドの品位は激下がりだ。「自分たちさえ良ければ、他人を踏みにじっても構わないと思っている国」という評価が僕の中では定着した。

4週間にわたって、数多くのチームがそれぞれの目標を目指して熱闘を繰り広げた。予選プールの試合が終了し、敗退したチームは惜しまれながらそれぞれ帰国の途につく。その中で、スコットランドに関しては、ちっとも敗退を惜しむ気になれない。早く帰って頂きたい。



選手が悪いわけではないだけになお一層残念。

ラグビーW杯 プールA 日本 vs サモア

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ラグビーワールドカップ プールA
日本 38-19 サモア


日本が予選プール3連勝。初の決勝トーナメント進出に大きく前進した。
結果だけ見れば楽勝に見えるが、苦しい試合だった。日本のゲームプランをなかなか実践できず、もどかしい時間帯が続いた。

何よりもサモアの修正能力が見事だった。サモアは「フィジカルが強い」とよく言われているが、実はプレイの精度が低いのが弱点だ。特に前大会からアンバインドタックルとハイタックルで反則をとられ、自滅することが多かった。今大会でもこれまで2試合で合計4枚のイエローカードをもらい、スコットランド戦ではレッドカードで退場者まで出している。

しかし日本戦では、その弱点を極力回避しようと策を練ってきた。サモアの防御に反則が多いのは、組織的なディフェンスよりも1対1の局地的なマッチアップに頼りがちな傾向があるからだ。敵の攻撃を前で止められず、後ろから追いかける形になることが多いので、いきおい首にタックルしてしまう。

その弱点を克服するため、サモアはディフェンスの仕方を変えてきた。具体的には、ラックを捨てるのが非常に早い。勝ち目のないラックをすぐに捨て、サイドディフェンスとラインディフェンスに人数をかける。これまでのロシア戦、スコットランド戦に比べると、日本戦のサモアの密集戦は非常に消耗度が軽い。それによって後追いのディフェンスを減らし、日本の縦攻撃を正面から受ける時間帯が長く続いた。

日本にとっては、そのサモアの守備は想定外だっただろう。FWで縦攻撃を続ければ、サモアの防御に人を巻き込める。そこで人数を減らして、BKの外展開を狙う、日本としてはそういう作戦だったはずだ。
しかし、攻めても攻めてもサモアの守備人数が減らない。相手が疲れない。試合後半になって疲労が激しかったのは、むしろ日本代表のほうだった。これは日本にとって、しつこい縦攻撃で相手ディフェンスの体力を削り続けた、ロシア戦とアイルランド戦とは逆の状況だ。


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日本が警戒しなくてはいけないことは、もうひとつあった。サモアFBのティム・ナナイ・ウィリアムズだ。
フィジカル系の選手が多いサモアにあって、ひとり突出してラグビーIQが高い。試合前の会見で日本代表のエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチも、最も警戒するべき選手として挙げていた。キック処理に秀で、ディフェンスの指揮力が高く、エキストラマンとして攻撃参加する頻度も高い。今大会参加選手の中でもトップレベルのFBだ。

試合前半のうちに縦攻撃に活路を見いだせなくなった日本は、キック攻撃に切り替える。SO田村はハイパントを多用し、ボールを一旦イーブンにするリスクを犯しても陣地を進める戦術をとった。
しかし、このハイパントが全く機能しなかった。サモアのバックスリー陣は、ティム・ナナイ・ウィリアムズの指揮のもと、日本のハイパント攻撃によるコンテストボールをことごとく確保した。

大会開始後からずっと言われていることだが、今大会の戦術的傾向は、ハイパントだ。湿度が高く気温が高い日本での開催なので、体力のマネジメントにはキックが不可欠だ。全体の傾向として、セットプレーやサインプレー以外の「アンストラクチャー(秩序が乱れた状態)」からの試合運びがトライに結びつく傾向が多く、ハイパントはアンストラクチャーをつくりだす最も直接的な方法だ。

日本はハイパント攻撃をことごとくティム・ナナイ・ウィリアムズにキャッチされ、みすみす相手にボールを渡してしまう展開が続いた。しかしSO田村は、効果がなくても執拗にハイパントを蹴り続けた。これが試合後半になってボディーブローのように効いてくる。
サモアは、試合前半だけでティム・ナナイ・ウィリアムズを交代し下げてしまったのだ。後半になると、サモアのゲームプランが少しずつ狂ってくる。なぜサモアはティム・ナナイ・ウィリアムズを下げざるを得なかったのか。

やはりサモアの根源的な弱点が露呈された、ということだろう。前半24分に、サモアFLのイオアネが危険なプレーでシンビンを受けた。FWの枚数が削られたことで、サモアは全線のディフェンスにBKから1枚出さざるを得なくなり、後方の守備が手薄になった。
日本代表は、明らかにこのタイミングを狙っていたように見える。FW、BK両方の意思が統一されたかのように、ハイパント攻撃を一変させて縦攻撃に切り替えた。4分後、日本は最初のトライを取ることに成功する。

前半25分過ぎになっても日本のハーフバックス陣は、縦攻撃とハイパント攻撃を陣地によって使い分け、サモアのバックスリーにプレッシャーをかけ続けた。その結果、サモアFBティム・ナナイ・ウィリアムズが消耗してしまい、前半だけで途中交代せざるを得なくなった。
SO田村が執拗にハイパント攻撃を繰り返した理由は、競ってマイボールを確保するためではあるまい。後半になってサモアの体力が落ちてきたときにWTBで外勝負ができるように、サモアの守備の砦であるティム・ナナイ・ウィリアムズを削ることが目的だったのだろう。

その日本のゲームプランは、最後の最後で結実する。後半35分に左WTB福岡、試合終了直前の後半40分には右WTB松島が、それぞれ立て続けにトライを挙げた。これで日本は4トライを奪い、ボーナスポイント1点を獲得した。
試合としてはあれだけFW同士の密集戦が続きながら、4トライのうち2つは両端のWTBが取ったことになる。日本代表は80分をトータルに使い、「FWとバックスリーを地味に削り続けて、最後の最後で外勝負」という戦術がチーム全員に浸透していた。外側のWTBの決定力の高さを最大限に活かすために、80分かけて布石を敷いていた感じの試合だった。

結局のところ、サモアと日本の勝敗を分けたのは「戦術理解度」だろう。日本のほうが、極地的な部分だけでなく、80分トータルで試合を運ぶための意思統一ができていた。前回大会でも日本とサモアは予選プールで対戦し、そのときは日本が26-5で圧勝している。サモアはその時から4年間で進化してきたが、日本が積み重ねてきた進化のほうが勝っていた。そういう類いの勝利だったように見える。

これで日本は3勝を挙げ、プールAの首位に立った。最終戦のスコットランド戦に負けても、4トライ以上か7点差以内のボーナスポイントさえ得られれば決勝トーナメントに進める。しかし、今回の最終戦に関しては、そういう話ではあるまい。相手はあのスコットランドなのだ。前回大会で日本が唯一の負けを喫し、しかも10-45という惨敗だった。南アフリカ戦から中3日というハンデはあったにせよ、「奇跡の勝利」から気持ちを切り替えられず、世界の壁の高さを痛感した試合だった。今回の試合では、世界ランキングは日本が8位、スコットランドが9位。日本のほうが上ということになっているが、実際のところスコットランドはまだまだ日本にとって格上だ。「決勝トーナメントに進むため」だけでなく、前回大会の借りを返すため、日本代表の予選プール最終戦は気合を入れて臨んでほしい。



サモアの防御からは学ぶべきことが多かった。

ラグビーW杯 プールA 日本 vs アイルランド

 
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ラグビーワールドカップ プールA
日本 19-12 アイルランド


日本代表が、優勝候補の一角アイルランドを倒した。
前回大会の南アフリカに続き、再びジャイアントキリングを達成。プールAは大混戦にもつれこんだ。
開催国の躍進は、大会全体の盛り上がりにつながる。この一勝が意味するものは大きい。

僕は開幕戦のロシア戦を見て、正直「今回のW杯、日本代表は厳しいだろうな」と思っていた。理由はリーチ・マイケルだ。
想像を越える絶不調。キック処理を誤り、ハンドリングエラーを犯し、オフサイドに引っかかり、タックル回数も少ない。開幕戦ということで日本代表選手のほとんどが固くなっていたが、その中でリーチの緊張の度合いは尋常ではなかった。

今大会前の沖縄合宿で、リーチ・マイケルは恥骨炎を発症している。一時はW杯出場も危ぶまれるほどの故障だったが、なんとか本大会には間に合わせた。しかし初戦の不調はその怪我の影響ではなく、「開催国のキャプテン」として、背負っているものがあまりにも大きすぎたことにあるように見えた。

そもそも、キャプテンというのはそういう仕事なのだ。重圧を背負い、不調が許されず、自分のパフォーマンスが悪いときでも味方を鼓舞しなければならない。誰だってすき好んでやりたい仕事ではない。特に、リーチほど長く代表キャプテンを務めている者には、いつか歪みが現れる。NZのキアラン・リード、オーストラリアのマイケル・フーパーなどは「例外中の例外」という化物なのだ。

だから僕は、日本がグループリーグを突破するためのポイントは、いかにしてジェミー・ジョセフ監督がリーチを蘇えさせるか、その監督手腕にかかっていると読んでいた。
それが表れる第2戦、グループリーグ大一番のアイルランド戦で、ジョセフ監督は「リーチをスタメンから外す」という、まさかの対処に打って出た。

おそらく、一種の荒療治だろう。リーチの不調は身体的なものではなく、精神的なものだ。一旦、キャプテンという責務の重圧からリーチを開放し、いちプレーヤーとしてラグビーをプレーさせる原点に回帰させる。ハードタックラーとしての自分の価値を取り戻させる。
なかなかの賭けだったと思う。リーチは代表選出以来、過去2度のW杯ですべてスタメン出場を果たしている。それがスタメン落ちするのはかなりの屈辱だっただろう。

ジョセフ監督は私情を挟むことなく、ロシア戦の個人データをリーチに見せて「パフォーマンスが足りないから、先発から外す」とシンプルに告げた。コミュニケーションの取り方にはかなり気を使ったようだ。リーチは取り乱すことなく現状を受け入れ、リザーブとして途中交代の戦力となるべく適切に準備を重ねた。このジョセフ監督の冷静な判断と、それをきちんと自分の中で消化できたリーチの成熟さが、今回の大きな勝因のひとつだと思う。

ジョセフ監督がそのような思い切った手を打てたひとつの理由は、FWにリーダーが多数育っていたことだろう。前回大会ではリーチひとりに頼り切っていた精神面が、飛躍的に向上している。PR稲垣啓太、HO堀江翔太はいまやFWリーダーが立派に務まる経験者だ。ゲームキャプテンを務めたピーター・ラブスカフニは、大会直前の合宿の時点では日本代表資格が得られるかどうか微妙な立場で、不安定な状態のまま過酷な合宿を乗り切った。この試合の先発LOを任されたトンプソン・ルークは日本代表として4回目のW杯で、リーチ不在のFW陣を鼓舞する精神的支柱としては十分な存在だ。前半はFL、後半からNO.8として出場した姫野和樹は、アイルランドの肉弾戦に怯むことなく正面から戦いを挑み、何度もアイルランドFW陣に競り勝った。

こうしたFW陣の成長が、リーチ主将の復活を大きく後押しした。途中交代で出場したリーチ・マイケルは、ロシア戦の絶不調が嘘のような活躍を見せる。足首を刈るような低いタックルでアイルランド攻撃陣の出足をくじき、ターンオーバーを狙って密集戦で奮闘した。
アイルランドのジョー・シュミット監督は、警戒する選手としてかねてからリーチ・マイケルを挙げていた。結果としてそれは正しかったが、事前の警戒とは違う意味での活躍ぶりだっただろう。


ゲームの展開を見ると、アイルランドの直接的な敗因は「体力」だろう。日本人にとっては涼しくなって過ごしやすい気候だが、アイルランドの選手にとっては暑く、湿度が高く、体力が削られる気候だったようだ。特にFW陣のかいてる汗の量は半端ではなかった。
日本代表はW杯本番が暑さとの戦いになることを見越して、直前合宿をわざわざ暑い沖縄で行なっている。暑さ対策と、スタミナのコントロールが十分に行き渡っていた。試合後半になると、アイルランドの消耗は激しく、ほとんど足が動いていなかった。日本代表の完全な走り勝ちだ。

そういう気候的条件で不利に立たされたアイルランドは、正面からあたるFW戦を、ことごとく日本に受け止められてしまう。アイルランドの攻撃の基本は「縦、縦、横」だ。一次攻撃、二次攻撃はFWで突っ込み、モールやラックで相手ディフェンスの数を減らす。ディフェンスラインが手薄になったところを見計らって、BKに展開してトライを取る。
そのゲームプランは、初戦のスコットランド戦では完璧に機能した。スコットランドのディフェンスはアイルランドの縦攻撃を防ぎきれず、ずるずると後退を続け、防戦一方の戦いを強いられた。

ところが日本代表は、アイルランドFW陣の縦攻撃を、気迫のタックルで正面から受けて立った。何度フェイズを重ねても前進できない。時にはBKまでがサイド攻撃に備え密集戦に参加した。それでも防御が薄くならない。前半のはじめの時点で、アイルランドの攻撃陣は「なんか予定と違うぞ」という違和感を抱いたと思う。

前半にとったアイルランドのトライは、日本の防御を組織的に崩したものではない。縦攻撃がことごとく封じられ、ラインディフェンスを突破できず、苦し紛れに出したキックパスで、中盤を飛ばしたものだ。あれはあれで相当に高度な技術ではあるが、再現性は低い。同じ手が何度も使える策ではない。結局、日本のディフェンスはアイルランドの突破に最後まで耐えきり、一度もラインブレイクからのトライを許さなかった。

戦術的交代も要素のひとつだろう。アイルランドの弱点は、スタメンとリザーブの戦力差に開きがあることだ。できればスタメンを長い時間引っ張りたい。特にSOセクストンを負傷で欠いたことで、BK陣の展開力が半減した感がある。
しかし、日本代表の途中交代は、すべて戦術的に行なわれていた。前回大会で南アフリカに勝ったときも、勝敗を分けたポイントは選手交代だった。今回も、FLリーチ・マイケル、SH田中史朗を決め打ちで途中から投入することで、ゲームのリズムを一変させた。

つまり、今回のアイルランド戦の勝ち方は、前回大会の南アフリカ戦の勝ち方と同じなのだ。ディフェンスを徹底して肉弾戦に負けない。途中後退を効果的に利用して戦力をフレッシュに保つ。唯一のネックはリーチ主将の不調だったが、それも荒療治で克服した。監督手腕と選手ひとりひとりの仕上がり、両方が噛み合っての勝利だった。決してまぐれでも奇跡でもない。

日本がアイルランドに勝利したことによって、スコットランドに決勝トーナメント進出の可能性が復活し、逆にアイルランドは追いつめられる結果となった。前回大会と同じ三つ巴の構図だ。ここから先は、「4トライ以上の勝利」「7点差以内の負け」というボーナスポイントが重要になってくる。ボーナスポイントは、前回大会で日本代表が「3勝していながら予選落ち」という初のケースに陥った、最大の原因だ。アイルランドもその重要性をよく分かっており、試合終了直前には自陣に釘付けにされたため、7点差を確保するためにあっさり「降参」し、タッチキックで自ら試合を終わらせている。
これから各チームともひとつも落とせない戦いが続き、消化試合がなくなる。前回は越えられなかった壁を越えることができるか。これからの試合がますます面白くなった。



SO田村が集中力を取り戻したのも大きい。

ラグビーのルール(初級編)





俺の魂がこれを貼れと騒いでいる

ラグビーW杯 プールB NZ vs 南アフリカ

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ラグビーワールドカップ プールB
NZ 23-13 南アフリカ


本来であれば、決勝戦であってもおかしくない対戦。それがいきなり予選プールの、しかも初戦に当たった。おそらく予選プール最大の注目カードだろう。
日本開催という幸運に恵まれ、実際に試合を見てきた。会場は横浜国際競技場。自宅から歩いて行ける距離だ。

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ひかえーい、ひかえおろうー。


実際に観た感想としては、凄く驚いた。僕はオールブラックスを観て20年以上になるが、いままで観たことのないオールブラックスだった。
しかも、たぶんテレビで観ていたら分からなかったであろうことがたくさんあった。これだからラグビーは実際に会場で観ないといけない。

開幕直前までのNZは、いろいろと不可解なことが多かった。
たとえば、SOのボーデン・バレット。今や「世界最高のSO」と称される彼を、最近のNZはなぜかFBで使っている。
そのFBには、これも「世界最高のFB」と称されるベン・スミスがいる。ところが最近のNZは、なぜかベン・スミスをWTB登録にしている。

バックスに限って言えば、両WTBの起用も分からない。今回の南アフリカ戦の先発WTBは、左ジョージ・ブリッジ、右セブ・リース。今回大会前までのキャップ数は、ブリッジが5、リースが3。ほとんど経験のないWTBといっていい。相手が南アフリカなのだから、せめて片方のWTBには経験豊富なベン・スミスを置くべきであるはずなのに、「誰それ?」という新人起用だ。

こうしたNZの、いわば「迷走」した選手起用の悪影響は、W杯直前に行なわれた、ザ・ラグビー・チャンピオンシップ(南半球4ヶ国対抗戦)で露呈してしまう。南アフリカとは16-16の引き分け、対オーストラリアに至っては47-26という近年見ない大差で敗北してしまう。その結果、NZは3大会連続で優勝していた連勝記録が途絶え、4連覇を逃してしまう。
僕はこれらの試合を「言わんこっちゃない」という気分で観ていた。選手起用の迷走からの惨敗。世界ランキング1位からも10年ぶりに陥落した。そういう状況だったため、僕は正直、「今回のW杯は厳しいかな」と思っていた。

その初戦の相手が、よりによって南アフリカ。直前に行なわれたザ・ラグビー・チャンピオンシップでは優勝を飾り、連覇を続けていたNZから王座を奪還した。いま絶好調のチームと言ってよい。W杯の前回大会でも準決勝でNZと当たり、大差での勝利が続いたNZに唯一、20-18という僅差まで追いつめた。

その前回大会でNZを追いつめた作戦が、ハイパントだった。当時のNZ代表は両WTBのキック処理能力が低く、空中戦の競り合いをほとんど南アフリカに制された。当時のNZのWTB陣、ミルナースカッダーとサヴェアは、トライ奪取能力に特化して選抜されており、その分キック処理が甘かった。南アフリカはその弱点を突き、NZを苦しめた。
あれから4年、両チームの戦い方はどのように変化してきたのか、とても楽しみな試合だった。


試合が始まると、南アフリカは、予想通りにキックを多用してきた。前回大会の準決勝と、ここ最近の数試合の分析で、「NZはハイパントに弱い」と見てきたのだろう。SHのデクラーク、SOのハンドレ・ポラードは距離を稼ぐキックではなく、中間点に落としキャッチングを競らせるコンテスト・キックを多用するゲームメイクを行なった。

ところが前回大会と違い、南アフリカのキック攻撃は、それほど効果がなかった。NZはいろいろな手を使ってハイパント攻撃に対応してきている。
一番顕著なのは、NZの両WTBだ。ブリッジもリースも、競り合いに強い。前半一発めのハイパントを、左WTBのブリッジが競り勝って取った。このワンプレーで、南アフリカのハーフバックス陣には「何か違うぞ」という違和感があったと思う。

つまりNZの、経験値の浅いWTBの起用は、「ハイパントキャッチャーに特化した人選」だったのだろう。従来の、走力にものを言わせて敵陣をぶっち切る俊足WTBではなく、確実にキック処理が行なえる補給能力の高いWTBを使う。これは今までのNZにはなかった選抜方法だ。

テレビで観てると分からないが、実際に会場で試合を観ていると、NZバックスリーの守備陣形が通常とは違うのがよく分かる。テレビの画面には映らない位置になるが、攻撃時と守備時で、ボジションを変えている。
FBに入ったボーデン・バレットは、攻撃時には両CTBの中間、やや下がったところに位置している。これは通常のFBの位置ではない。通常、FBはライン攻撃を止められたあとカウンターでキック攻撃された時に備え、攻撃ラインよりもかなり深い位置にいる。

つまりボーデン・バレットは、FBではなく、「セブンエース」(7/8th、「8分の7の位置」)なのだ。これは最近のラグビーではほとんど見られないポジション取りの仕方で、その主な役割は「影のSO」と言ってよい。最後尾に近い位置にいながら、ライン展開の2、3次攻撃ではするするっと上がってきてSOの位置に入る。展開によってはWTBの外に構えて大外を走り切る。 つまり今のNZは「司令塔が2人いる」システムなのだ。

ボーデン・バレットの最も特筆すべき能力は、その圧倒的な走力だ。相手WTBでさえ簡単に振り切る。そのスピードは、前回大会の決勝戦でもオーストラリアの心を折る、とどめのトライを奪った。もしバレットを純粋なSOで使用すると、その走力が十分に活かせない。NZは、バレットの攻撃力を最大限に活かすため、その走力と展開力を両方引き出せるポジションをやらせているのだろう。

今回の試合を見てみると、NZの両WTBは、攻撃時にあまり上がらない。カウンターのキック攻撃に備えて下がっている。つまり、本来であればFBがやるべき仕事を、両WTBがカバーして行なっている。両WTBに後ろを任せたFBバレットは、攻撃時にはラインの裏まで上がって攻撃に参加する。
通常であれば、バックスリーの攻撃は、パス回しの最終点となるため、ライン際の両端を走ることが多い。ところがセブンエースとして攻撃参加するバレットは、フィールドの中央を走るコース取りになる。

それが顕著に表れたのが、前半23分のトライだ。セブンエースの位置から攻撃参加したバレットが中央を抜き、それをサポートした左WTBジョージ・ブリッジがトライを奪った。このトライの取り方は、いままでのNZのWTBのトライの取り方ではない。大外のライン際で勝負するのではなく、中央を走るセブンエースのサポートとしてWTBを使う。この攻撃のバリエーションは、前回大会までのNZには全くなかったものだ。

ボーデン・バレットは、常に前任者SOのダン・カーターと比較され続けてきた。前回大会でもカーターの控えとされ、この4年間は「カーターの後継者」という二つ名で紹介されることが多かった。しかし今回の初戦を見る限り、バレットは「カーターの後継者」などではなく、全く違ったタイプのプレースタイルを完成させつつある。

バレットに替わってSOに入ったのは、リッチー・モウンガ。屈強で体が強く、ゲームメイクよりも縦の突破力に特徴がある。今年に入って負傷離脱していたが、調子を上げてW杯開幕に間に合わせてきた。
モウンガは展開力よりも突破力に優れているため、バレットがSOに入ったときとはゲームの展開の仕方が違う。おそらくこれが、NZがバレットをSOに入れていないもうひとつの理由だろう。

つまり、「SOの負傷離脱」を防ぐため。NZは伝統的に、SOのゲームメイクによってバックス陣の統制をとってきたチームだ。縦横無尽に走り回るBK陣は、SOの指揮によって自由自在の攻撃を仕掛けてくる。
だから、SOを封じられると、NZは攻撃力が激減する。2003年大会では、当時世界最高のSOだったカルロス・「キング」・スペンサーのゲームメイクを徹底的に分析され、準決勝でオーストラリアに苦杯を喫している。2011年大会では、準決勝でダン・カーターを負傷で欠き、決勝戦では第二SOのアーロン・クルーデンまで負傷、第三SOのドナルドで戦わざるを得ず、決勝でフランスに1点差まで詰め寄られる薄氷の勝利だった。

NZがモウンガを第一SOに据えているのは、「SOのゲーム展開を分析され対策を絞られないため」「ゲームメーカーの負傷離脱を防ぐため」という、ふたつの理由があると思う。それがはっきりと分かったのが、試合後半の選手交代だ。
NZは後半10分にCTBライアン・クロティに替えて、ソニービル・ウィリアムズを投入する。ソニービルは日本でプレーした経験もあり、変幻自在なオフロードパスが秀逸で、日本でも人気がある。選手交代の時には会場中から大きな歓声が上がった。

CTBに替えて入れるのだし、もともとソニービルはCTBが本職なのだから、投入されたらそのままCTBに入るのが普通だ。しかし後半途中で投入されたソニービルは、なんとSOの位置に入った。そしてSOのモウンガが替わりにCTBにずれる。つまりソニービルは、今のチームでは、CTBだけでなく「第三のSO」の役割も果たしていることになる。

確かにソニービルの縦突破とオフロードパスを考えたら、SOとして使うのは理に適ってる。相手チームのバックローにしてみれば、ソニービルのような屈強なSOは嫌だろう。しかも、モウンガともバレットとも、全く違うタイプのSOだ。それぞれ違うタイプのSOが、ゲーム展開によって自在にポジションを入れ替えて全く違うタイプのゲームメイクをする。これが今大会のNZの、新しい試みだろう。体の強いモウンガやソニービルは、「ゲームメーカー」のSOではない。むしろ「CTBが3人いる」という感じのフロントスリーだろう。

ポジションチェンジを繰り返していたのは、BKだけではない。NZはFW陣もポジションチェンジを頻繁に行なっていた。最も不思議だったのは、キャプテンのNo.8、キアラン・リードだ。8番なのに、スクラムのときにはなぜかFLの位置に入っている。また、LOのスタメンはスコット・バレットだったが、後半途中の選手交代からFLに入っている。

NZのバックロー陣の主な狙いは、ブレイクダウン時のプレッシャーを迅速にかけることだろう。速攻守備で相手バックロー陣を封殺し、南アSOのハンドレ・ポラードにプレッシャーをかける。そうすることで、ポラードにキックを蹴らせない。
すると南アのキック攻撃は、SHデクラークからのボックスキックに限られる。NZバックロー陣のプレッシャーによってSOにパスを回す余裕がなくなるので、デクラークが蹴るしかない。SHからのボックスキックは、地域的にタッチライン沿いの両端を狙うことになる。

そして、これが、NZがベン・スミスをWTBで使っている理由だろう。ベン・スミスは、トライを取るためにWTBで使われているのではない。高い補球能力で、相手SHからのボックスキックを取り、空中戦を制圧するためのWTBだ。この試合でも、途中交代でWTBの位置に入り、ライン際のキックを危なげなく処理した。この「バックローがプレッシャーをかけ、SHにボックスキックを蹴らせる」「WTBがライン際の空中戦を制する」というのが、今のNZのディフェンスの基本になっている。

ライン展開を防がれ、ボックスキックを封じられ、試合途中から南アSHのデクラークは明らかに攻め手を失っていた。苛々が募ったデクラークは、不要なファウルやオフサイドを犯し、みすみすNZにペナルティーを献上してしまう。
また、南アのバックロー陣は、NZバックローの頻繁なポジションチェンジに対処できず、局地戦をことごとく制圧されてしまう。機能不全に陥った南アのバックローは、なんとキャプテンのFLシヤ・コリシを途中交代で下げてしまう。

この、SHデクラークとFLコリシの途中交代は、南アがNZの戦術に嵌ったことを象徴していた出来事だったと思う。
しかしそれ以外にも、それぞれのポジションで、南アはNZの大局的戦略にしてやられた部分があった。

今回の試合で、NZはフロントローの3人を後半10分の段階で交代している。後半開始時にはHOコールズ、後半10分には両PRのムーディー、ラウララを相次いで投入した。これは従来のNZの最前列の交代よりも、かなり早い時間帯での交代だ。

南アが最も強いのは、出足の早い詰めのディフェンスだ。ガンガン出て相手にプレッシャーをかけるのは、南ア得意の守備だ。その一方で、詰めのディフェンスは消耗度が激しいという難点がある。体力が80分続かず、途中で息切れしてしまう危険性がある。
NZは、抜かりなくその消耗を突いてきた。フロントローを早い時間で替えたのは、南アのパスミスが多くなったためだ。ノックオンやスローフォワードは、相手ボールのスクラムになる。 NZは、南アがハンドリングの反則を多く犯すことに気付いて、すぐに対策を立ててきた。

そのNZの周到な対策によって、結局、南アは勝ち点1を失う結果になる。
試合後半、南アはハンドレ・ポラードのDGによって4点差まで迫る。W杯のルールでは、負けたチームも7点差以内での敗北なら勝ち点1がもらえる。ところが、南アはハンドリングエラーで次々とNZにスクラムを与えてしまう。そのスクラムで、南アの消耗したフロントロー陣が、選手交代したばかりで体力十分なNZのフロントローに太刀打ちできず、反則でペナルティーキックを与えてしまう。そのペナルティーを2本たて続けに決められ、一気に6点を離された。終わってみれば10点差の敗北。この点差を生んだのは、試合終盤でスクラムに圧倒的な差をつけた、NZフロントロー陣の手柄だろう。

NZが局地戦を制したのは、途中交代で入ったSHのTJ・ペレナラによるところが大きい。スタメンSHのアーロン・スミスは展開力に優れ、自身も走力がありトライ奪取能力も高いが、ペレナラはそれとはタイプの違うSHだ。
ペレナラがSHとして優れているところは、FWを動かす指揮力にある。密集ごとに、ジャッカルを狙って絡みにいくのか、捨ててラインディフェンスに備えるのか、その判断と伝達能力が高い。
南アは、NZの連続攻撃でフェイズを重ねられるのを嫌った。南アのディフェンスの仕方では、連続攻撃への防御は消耗に直結し、体力を削られる。南アがキック戦術でフィールドを広く使おうとしていたことには、そういう背景もある。しかしペレナラはそれを見抜き、FWを使って縦に押し込む展開を続けた。

その結果、試合後半の最後の時間帯は、ずっとNZボールで、南ア陣内で試合が続くという展開になった。ペレナラの指揮によってNZのFW陣が地域を確保し、マイボールの展開でフェイズを重ねる。南アにとっては、反則をひとつ犯したら即3点を失う、という時間帯が延々と続いた。

南アにしてみれば、キック展開を封じられ、相手のアンストラクチャーを狙う攻撃に対処できず、FWの体力を削られ、自陣深くに押し込まれる。どうにもできない試合展開だっただろう。
南アの能力が劣っていたのではない。FBルルーは相変わらず高い捕球能力で空中戦を制していたし、SOポラードは正確なキックで得点源になっていた。しかし、それらの能力を完全に活かすための試合展開をつくる能力は、NZのほうが高かった。

NZとて、そうした試合展開をつくることが、最初からできたわけではない。今回のチーム戦術は、前回大会までのNZの戦術とは全く異なる。新しい試みがいくつもある。そのために、NZは4年間を費やし、W杯開幕直前の貴重なテストマッチを有効に活用してきた。
NZは去年のこの時期、オーストラリアとの定期戦を日本で行い、実際のW杯の時期の日本の気候や条件、決勝戦会場の横浜国際競技場までも、実際に試している。日本の湿度に対応するため、練習では濡れたボールを使ってハンドリングエラーに備えていた。そういう周到な準備を重ねた上で、今大会に臨んでいる。

W杯開幕直前に行なわれたザ・ラグビー・チャンピオンシップも、新システムの試行のために、敢えて「捨てた」のだろう。新しいシステムを試し、定着するための「実践練習」として、開幕直前に行なわれた4ヶ国対抗戦を利用した。大会4連覇を捨ててまで、ワールドカップの優勝のための準備に費やした。世界ランキング1位から陥落しようが知ったこっちゃない。それよりも、新システムに磨きをかけ、W杯優勝を狙うほうを選んだ。

今回の新しいシステムで臨んだNZは、7月20日の対戦で南アフリカと16-16で引き分けている。その時はまだ未完成だったから引き分けに終わったが、そのシステムを洗練させ完成に近づけたW杯本大会の大事な初戦では、きっちり23-13で勝ち切った。NZが開幕直前の数ヶ月をどのように位置づけ、どのように強化プランを練ってきたのかが、よく分かる試合だった。


サッカーのW杯と違い、ラグビーのW杯は応援するチームごとに観客席が分かれていない。両チームを応援する観客が入り乱れて座っている。声を張り上げて応援しながらも、試合が終わればどちらのチームのサポーターも笑顔で挨拶をし、お互いを尊重する。試合が終われば「ノーサイド」になるのは、選手だけではないのだ。
この試合でも、ノーサイドの後で、それぞれのチームのレプリカジャージを着ているサポーター同士が、一緒にビールを飲みながらスマホの自撮りで一緒に記念撮影をしていた。さすが世界の舞台。さすがワールドカップ。質の高さが求められるのは、選手も観客も同じなんだなぁと思った。



やばい書いてて超楽しい。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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