たくろふのつぶやき

毎日がエブリデイ。

国の主権を担う者

太平洋戦争がもう1年続いていたら、日本で革命は起きていただろうか。


「主権在民」「民主主義」という言葉がある。誰でも聞いたことはあるし、意味も知っているが、その意義を実感してはいないだろう、という言葉だ。日本では、主権は国民にある。憲法にもちゃんと書いてある。しかし、「国民が主権をもつ」ということが一体何を意味しているのか、日常のなかで実感している人はそう多くはないのではないか。

歴史を紐解いてみると、「『国』の主権」というのは、要するに「国以外の単位」が生活単位として跋扈していた時代と区別をつけるためだったものが分かる。つまり、宗教。中世までのヨーロッパでは、「国」という単位よりも、「信仰する宗教」のほうが生活単位を形成していた。

ところが、絶対主義の時代になると事情が変わってくる。「宗教」よりも「国」のほうが単位として強くなる。歴史上、それが露呈したのは三十年戦争(1618〜1648)だろう。もともと三十年戦争は、ベーメンの新教徒の反乱に端を発した、単なる宗教紛争だった。それがいつのまにか「国家間の戦争」に様変わりする。その契機となったのがフランスの参戦だ。カトリック国のフランスが、ハプスブルグ家打倒のために新教国側で参戦する、というおかしなことが起きた。これは、「宗教」よりも「国家」のほうが超越した存在になったということだ。

歴史資料を見れば分かるが、三十年戦争の講和条約のウェストファリア条約は、それまでの戦後の始末とは種類が異なる。条約適用の対象が明確に「国家」となっており、世の中が宗教ではなく「主権国家」を行政単位として再編成されていく過程が見て取れる。絶対王政が隆盛を極める過程で、主権国家の存在が確立し、主権国家間の調整による国際秩序が求められる時代になった。

しかし絶対王政の当時は、国の主権は国王にあり、それが国民に移るのはもう少し時間がかかる。一番分かりやすいのはフランス革命だろう。国王が握っていた主権を、国民が奪う、という最も分かりやすい形での主権委譲だ。

僕は従来、フランス革命を「迷走した挙句、矛盾した結果になった、単なる笑い話」程度の認識しかしていなかった。王制打倒を唱えて、革命戦争を繰り返した挙句、軍事権をひとりに委譲し、そいつが皇帝を名乗る、という本末転倒ぶりはまるで落語のようだ。フランス人は革命をえらく誇らしげに祝うが、なぜあんなに大失敗に終わった革命を誇るのか分からなかった。

しかし考えてみれば、一握りの権力が独占していた「国の主権」を、一般国民が持つようになる歴史の移行など、一回でうまくいくはずがないのだ。フランス革命は確かに失敗したが、そもそも「国民が主権を持つ」というチャレンジを行なった最初の挑戦だった。他の国はすべて、国民が主権を握るようになる過程で、フランスの失敗例をしっかり見据えて主権譲渡を行なってきた。その前例となったという意味で、フランス革命は歴史上の意義を保ち続けるだろう。

フランス革命は近隣の絶対主義諸国に衝撃を与えた。下手をすれば自分の国に革命が飛び火する。だから近隣諸国はフランスを包囲して革命の押さえ込みにかかった。ここで、果たしてナポレオンという軍事的天才がいなければ、革命は瞬時に潰されていただろうか。

そうは思わない。フランス革命以前と以後では、戦争のしかたが違うのだ。
フランス革命では、まがりなりにも「一般市民が主権を持つ」という段階を一応達成した。フランス革命戦争で周辺諸国と戦ったのは一般市民から募った義勇軍だが、その戦意は中世までの戦争とは段違いだっただろう。なにせ、それまでの「王様に徴兵されて嫌々戦う」のではなく、「自分の国のために、自分の力で戦う」のだ。こうしたナショナリズムに基づいた義勇軍は、徴兵制によって常時戦力が補充できる国民軍の編成を可能とした。

これは裏を返せば、戦争が長期化することを意味する。国民主権を達成したことによって、「自分たちの国のために戦う」「決して諦めない」という強い動機付けが生まれる。フランス革命以降、戦争は主権者の一存で終結するのではなく、終戦の判断が合議に委ねられる形態に変化した。

そうした挙国一致体制は第一次世界大戦でも継続したが、その理由はちょっと異なる。第一次大戦の場合、兵器の技術が上がって犠牲者数が激増したため、徴兵制で国民を総動員しないと戦争が継続できなかったのだ。終戦のための講和会議も、莫大な犠牲に見合うだけの成果を得なくては国民世論が納得しないため、戦争が泥沼化した。敗戦国ドイツには1320億金マルクという非現実的な賠償金がで懲罰的に突きつけられた。実際問題として経済が破綻したドイツにこんな莫大な賠償金を支払う能力はなく、踏み倒す以外に道はない。かくして「ベルサイユ条約体制破棄」を唱えるナチスの台頭を招いた。

第一次大戦時に見られる傾向は、国民主権のもとで、「国民の意思で戦争を終結させる」という動きが出始めたことだ。ロシア革命、ドイツ革命は、総力戦への動員に疲弊した国民が、政権を奪い無理やり戦争終結を画策したものだ。

こうして見ると、「主権」というものの形成には、戦争が大きく関わっていることが分かる。国の主権のあり方は資料から直接観察できない類いのものだが、戦争のあり方を見れば、各時代の国家のあり方と密接に結びついていることが分かる。


翻って、日本ではどうだろう。
日本では、「主権」を獲得するための闘争を経験していない。封建制度の次がいきなり立憲民主制で、しかも「国の中枢にいる頭のいい人達が勝手に決めた憲法」によって、上から降ってきたものだ。大日本帝国憲法下では天皇にあった主権が国民に下りてきたのも、国民の苦闘によるものではない。アメリカによって作られた憲法によってそう決められたに過ぎない。

大日本帝国憲法が発布された時、「国の主権は天皇にある」ということの意味を理解していた国民がどれほどいたのだろうか。日本国憲法が発布された時、「これからは国の主権は国民がもつ」ということの意味を理解していた国民がどれほどいたのだろうか。
日本では、必然性もなく、「よその国がそうしているから」という理由で主権国家体制が固まった。国民による希求よりも制度のほうが先に出来てしまったため、いわゆる民主主義的な感覚が十分に育つまえに外枠が決まってしまった観がある。

日本は太平洋戦争で総力戦をはじめて経験したが、戦争があと数年続いたとしても、ドイツやロシアのように戦争継続に異を唱えて革命を起こし、主権のあり方を示すような行動をとれたとは思えない。教育勅語の賜物なのか、本当に最期の一兵まで戦おうとしただろう。決して、民主主義が成熟している国民のやることではない。

そして今、日本の民主主義の浸透度合いは、太平洋戦争当時からどれほど進歩しているのだろうか。政治を「一握りの政治家が勝手にやっていること」と思い込み、政治不正に文句を言って溜飲を下げているレベルに留まっていないか。国の主権を自分たちが握っているということが本当に分かっていれば、政治に対してそういう態度は絶対に取れないはずだ。

今年は夏に参議院選がある。衆議院を解散して衆参ダブル選挙になる可能性もある。
そういう時勢で、国の主権というのは何なのか、主権をもつ主体として国にどう関わるべきか、そういうことをきちんと学校で教えているのか、心配になる。



学生が「面倒だから選挙に行きたくない」とか抜かしていたので

朝日新聞「選挙結果など住民の意思とは認めん」

橋下徹氏 生放送で朝日新聞をメッタ斬り「朝日新聞の論説委員はみんなあんぽんたん」

8日のフジテレビ系「とくダネ!」に元大阪市長の橋下徹氏(49)が出演し、大阪ダブル選挙に言及した。

府知事選では前大阪市長の吉村洋文氏(43)、市長選では前大阪府知事の松井一郎氏(55)がそれぞれ当選した。維新が自民党候補を破り、大阪都構想も加速させ上機嫌なはずの橋下氏だが、なぜかはらわたは煮えくり返っている様子。

矛先を朝日新聞に向け「市議会も84議席のうち、今回、40議席取ってる。府議会は過半数取ってる。これでね、まだ民意を得ていないなんていったら…、朝日新聞の社説なんかメチャクチャですよ」と怒りをあらわにした。

朝日新聞がダブル選挙を「奇策」と表現し、沖縄の辺野古埋め立てについては県民投票の結果を受け止めるよう、促したことに反発。

本当は国の安全保障を県民投票で決めるっていうのはおかしい。こっちのほうが奇策。でも、朝日新聞は県民投票を奇策と言わずに、ダブル選挙を奇策、奇策って。朝日新聞の論説委員はみんなあんぽんたん」と収まらない様子だった。



大阪4重選挙 都構想巡る議論深めよ
(2019年4月8日 朝日新聞社説)
大阪の府知事選と市長選では大勝して引き続きポストを確保し、府議選でも新たに過半数の議席を獲得した。ただ、市議選では半数に及ばなかった。  

大阪市を廃止して東京23区のような特別区に再編する都構想の是非を最大の争点として行われた異例の4重選挙は、構想の実現を訴えた大阪維新の会が幅広い支持を獲得した。  

構想の実現には府議会と市議会の議決が前提となるため、選挙前と同様、維新が単独で手続きを進めることはできない。しかし、四つの選挙の結果からは、2015年の住民投票で否定された都構想への支持が広がっていることが見てとれる。  

その利点や懸念についての検討をさらに深め、どんな都市制度改革が必要かを突き詰めていく。維新と、都構想に反対してきた自民、公明など反維新の各会派は、真摯に議論を重ねなければならない。  

都構想の狙いとして、維新は府と市の二重行政の解消を強調する。現行制度のもとでも取り組むべき課題であり、実際に維新も公営住宅事業や信用保証協会、産業・工業研究所を統合してきた。その上でなぜ都構想の実現が不可欠なのか、コストや懸念にどう向き合うのか、より詳細な議論が必要だ。  

都構想を巡っては、実現に不可欠な2度目の住民投票の実施を巡り、維新と公明の間で様々な駆け引きが続いた。そうした不透明なやり方ではなく、法定協議会をベースとした透明な作業が求められる。  

忘れてならないのは4重選挙となった経緯である。府知事と市長の任期途中での辞職と立場を入れ替えての立候補という、維新による脱法的な行為は看過できない。

維新代表で大阪府知事だった松井一郎氏と政調会長で大阪市長だった吉村洋文氏がそろって辞職したのは、任期満了に伴い予定されていた府議選と市議選に首長選を重ね、議会選に臨む同僚を後押しする狙いだった。辞職した2人がそのまま府知事と市長に再選しても、公職選挙法の規定で任期は辞職前の残り期間に限られる。それをすり抜けようと、立場を入れ替えての「クロス選」に打って出た。  

再選を目指す現職が有利になるよう、辞職によって選挙の時期を選ぶ事態を防ぐのが法の趣旨だ。不意に選挙を仕掛け、自らが率いる政党の押し上げを狙った松井氏と吉村氏は反省すべきであり、今後の都構想論議で「奇策」を弄してはならない。  

大阪を含む政令指定市にとって、道府県との関係や住民の意思を反映する仕組みづくりは共通する課題である。他の市にも参考となる検討を期待する


選挙の結果を「住民の意思」とは認めない、という、民主主義の根源を揺るがす主張。

朝日新聞にとっての「民意を反映していない」というのは、単に「自分たちの思い通りになっていない」というだけのこと。どれだけ選挙で圧倒的な惨敗を喫しても「民意が反映されていない」「十分な議論がされていない」と言い張り続ける。



購読者数の激減が十分に民意だろ。

なぜ「六」は「りく」なのか

漢字の成り立ちを6種類に分類したものを「六書」という。


象形・指事・形声・会意・転注・仮借の6通りのことを指す。実際にはこの6つは同等の分類ではなく、最初の4つ(象形・指事・形声・会意)は漢字の成り立ちを示し、あとの2つ(転注・仮借)は文字の応用方法を指す。まぁ、いかんせん提案されたのが121年の『説文解字』(許慎)によるものなので、現代的な漢字の実情には合っていない面もある。むしろ2000年以上も前の分類がいまだに生き残っていることのほうが驚異だろう。

この六書、漢字という基本的な表記体系に関することでありながら、ほとんどの日本人がはっきりとは知らない。高校の漢文の授業で若干習う程度だろう。僕もこの六書について調べるときは、自分の仕事や授業の必要上、漢字の歴史や背景について詳しく知る必要があるときくらいに限られる。

そのときにいつも疑問に思うことがある。
この六書、なぜ「りくしょ」と読むのだろう?

数字の「六」は、ふつう「ろく」と読む。ところがこういう、なんか中国っぽい古典的な文脈に出てくるときは「りく」と読むことが多い。
それは知っている人が多いだろうが、なぜそうなのか、理由をきちんと説明できる人は少ないのではないか。

漢字に多くの読み方があるのは、日本語を勉強する外国人がいつも嘆息するポイントのひとつだ。漢字を習いたての小学生も、漢字の違う読み方に混乱することがある。
多くの人が知っているのは「音」と「訓」のちがいだろう。ざっくり言って、中国語読みとやまとことば読みの違いだ。もともと日本語には漢字はなく、中国から輸入してきた漢字をむりやり従来の単語に割り当てたため、本来の中国語読みと日本語読みの両方が共存することになった。

ところが、ひとつの漢字に複数の音読みがあるケースが多い。たとえば「行」という漢字は、「コウ(行動)」、「ギョウ(行間)」、「アン(行脚)」という3つの音読みがある。これらの読みがぜんぶ「音読み」とされている、ということは、漢字の「出元」の中国では、いくつもいくつも読み方があったことになってしまう。

調べてみたらこの考え方は、半分正しくて、半分まちがっているらしい。日本に導入された音読みは多岐にわたるが、本場の中国でもいくつも読み方があったわけではなかったらしい。だから中国人がひとつの漢字を見たら、読み方がいくつもあって混乱する、ということはない。

ただし、中国は広くて歴史が長いので、地域的・時代的な違いはあったらしい。「日本は漢字を中国から輸入した」と簡単に言うが、その輸入の時期には時代的なずれがあったようだ。その時代ごとのずれが、違った音の導入になった原因だそうだ。

最初に日本が漢字を輸入したのは奈良時代のことで、中国では三国時代から六朝にかけての読み方が伝わった。日本の奈良時代といえばすでに中国では唐の時代だが、リアルタイムの漢字が輸入されたわけではなく、ちょっと「型落ち」の漢字が輸入されたらしい。この最初期に輸入された漢字の読み方を「呉音」という。

この時代の読み方をなぜ「呉」音というのはよく分かっていないが、勘では当時の日本が関係した地域が華南中心だったからではないか。当時の遣隋使、遣唐使などの海上ルートを調べてみると、中国大陸のやや南よりに漂着するケースが多い。この地域に、三国志時代の「呉」の国で使われた漢字を輸入したのではないか。

のちに遣唐使がバンバン派遣され、「型落ち」の漢字ではなく、最新の漢字が輸入されるようになった。唐の都は北のほうにある長安なので、呉音が使われていた華南の地域とはことばが違う。遣唐使で派遣された日本の留学生は、日本で習ってきた漢字と、長安での漢字では、読み方が違うことに戸惑った。そこで彼らは「長安の漢字こそ標準語。いままで習ってきた呉音は『方言』に過ぎない」と考えた。帰国後、遣唐使の帰国組は最新の「標準語」を大いに宣伝した。この時代にもたらされた長安の最新の読み方を「漢音」と呼ぶ。

いわば、時代と地域が違うふたつの読み方が日本国内で共存することになり、当時の飛鳥朝廷ではかなり混乱したらしい。そこで朝廷は、時代がやや古い呉音を廃止し、「長安の最新の言葉」である漢音を使うように制度をつくった。そのための勅令が何度か出されている。

しかし、いくらお上が「この漢字はこう読め」と言ったところで、すでに呼び方として定着しているモノの名前が簡単に変えられるわけはない。たとえば「屏風」を「びょうぶ」というのは古い呉音の読み方で、漢音では「へいふう」と読むが、勅令が出たからといって「そこの『へいふう』を立てかけてくれ」などと言い換えができるようになるわけはあるまい。日常生活に支障を来す。

もっと支障を来すのは仏典や経文の読み方だ。奈良時代に大量に輸入された経典は、すべて呉音で読まれていた。それをお上の命令でいきなり漢音に置き換えろと言われても、坊さんたちは困るだろう。「極楽」は今日から「ごくらく」ではなく「きょくらく」ですよ、というわけにはいかない。「阿弥陀経」は「あみだきょう」ではなく「あびたけい」と読みなさい、と言われても困るだろう。

面白いのは、宗教や学問が輸入された時期によって、呉音と漢音が使い分けられていることだ。仏教は奈良時代が輸入ラッシュのピークだったので、当時の読み方であった呉音で読まれている漢字が多い。ところが、それより少し時代が経ってから輸入された儒教では、漢音で読む漢字が多い。たとえば「経」という漢字は、仏教では「きょう(経文)」と呉音で読むのに対して、儒教では「けい(経書)」と漢音で読む。

平安時代から室町時代にかけて、どうも日本人の意識的には「呉音は古い読み方だから、できるだけ新しい漢音で読もう」という努力が行われていたらしい。儒教の教典を「六書(りくしょ)」と読むのは、どうもこの時代の努力の名残のようだ。まぁ、儒教の教典だから漢音で読む、という傾向はあったにせよ、仏教的な慣習の縛りがない分野では、できるだけ漢音で読もうとしていたようだ。

それが江戸時代になると、儒教が官学になり、仏教よりも儒教のほうが地位が高くなる。それに伴い、「漢音読みこそが正統」として呉音を排する運動が起きた。その一番の急先鋒が本居宣長だった。宣長は「呉音は古い読み方で単なる方言に過ぎない。漢字はすべて漢音に統一すべきだ」という論文を書いた。世間一般のイメージとは違い、かなり過激な主張をする人だったようだ。

当時の儒教の特徴は「正統」「邪道」という正誤の判断で世の中すべてを断罪する、という極端な正統主義にあるだろう。お上にとって使い勝手のいい道徳律なので、官学になるのも分かる。
しかし、ことばというものは生き物だから、「こっちのほうが正統。いままでの使い方は間違っている。だから今後はこっちを使え」と強制したところで定着するものではない。本居宣長は儒教思想にどっぷり浸りながら国学を大成し、日本人と日本文化の背骨をブチ建てようと苦心していた学者だ。その意気や良し、しかし現実と理想の齟齬を埋められるほど実務的な人ではなかった。

ちなみに漢字の読み方は「呉音」「漢音」で終わりではない。その後の時代の読み方の「唐宋音」というものがある。
中国では唐が崩壊し、統一王朝が一旦途絶える。一般的にはその後の時代を「五代十国時代」と称するが、要するに各地域に豪族が擁立される混乱期だ。その後、北宋が一応統一の体裁をとるが、すぐに南宋に分離し、さらに征服王朝の金に華北を乗っ取られる。

時代が乱れただけあって、この時代の「ことばの乱れ」は相当なものだったようで、各自の方言や外国語が入り乱れ、漢字の読み方も派手に変化した。この時代の漢字の読み方は、鎌倉・室町期に輸入されるが、すでに日本では呉音と漢音の並立状態にあった。新しい唐宋音はすでに日本に入り込む隙が残されておらず、わずか例外的に採用されるに過ぎなかった。「和」を「お(和尚)」、「子」を「す(椅子)」、「頭」を「じゅう(饅頭)」などと読むのは、すべてこの時代に輸入された唐宋音だ。「行脚(あんぎゃ)」に至っては二字とも唐宋音で読んでいる。

感覚では、「和尚」「椅子」「饅頭」「行脚」などの読み方は、より古い読み方のような気がする。しかし実際には、こちらの読み方のほうが新しいのだ。この読み方が日本に入ってきたときには、すでにそれぞれの漢字の読み方が定着していたために、日本では定着しなかった、というのが実情らしい。

こうした事情が重なって、現在の日本の漢字には複数の音読みがある。通常、3つの異なる音読みがある場合、それは「呉音」「漢音」「唐宋音」の3つであることが多い。

「行」
「ぎょう」(改)・・・呉音
「こう」(動)・・・漢音
「あん」(脚)・・・唐宋音

「明」
「みょう」(灯)・・・呉音
「めい」(治)・・・漢音
「みん」(朝体)・・・唐宋音

「請」
「しょう」(起文)・・・呉音
「せい」(要)・・・漢音
「しん」(普)・・・唐宋音

一般的に「漢字は中国から輸入された」と簡単に言うが、輸入元の中国の広さと、輸入された時代の幅を勘案しないと、どうして漢字が現在のような面倒な読み方をするのか分からなくなる。そういう時に時代背景と導入時の事情を調べてみると、どうしてそういうことになっているのか、ある程度わかるものらしい。



漢検1級の勉強してたらこういう脇道に逸れまして

勘定のしかた

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』に、以下のような一節がある。

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ


まぁ、利己的な僕としては、あまり宮沢賢治のよい読者ではない。そもそも、この詩は全体的にあまりピンとこない。
その中でも、この「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という一節は、特に意味が分からない箇所だった。

おおむね、「利己的な気持ちを捨て、他者に対する思いやりと博愛精神をもって」くらいの意味だと理解していたのだが、それにしてはこの「理想の人間像」、食べ過ぎだ。「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と言っているのだが、1日4合は食べ過ぎだろう。当時の農村の食生活は現在ほど副食や総菜が多くなく、大量の穀物を少量のおかずで食べていた、という時代背景はあっただろう。しかし戦前の食料事情にしては十分に過ぎ、豪勢といってもいい食生活だ。これで「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」も何もない。

さらに分からないのが、その直後にある「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という箇所だ。
この詩の後の部分に「東ニ病気ノコドモアレバ・・・、西ニツカレタ母アレバ・・・、南ニ死ニサウナ人アレバ・・・、北ニケンクヮヤソショウガアレバ・・・」という、博愛精神てんこ盛りの箇所があるのはよく知られているが、この部分は「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」から直接つながってはいない。間に「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という、いわば余計な文言が入っている。この部分を入れた宮沢賢治の筆遣いは、いったいどういうことなのか。

僕は普段、宮沢賢治については評論を避けることにしている。「良さが分からない」というよりは、僕自身が誤読をしている可能性が高い気がするのだ。この『雨ニモマケズ』にしても、平易な目で見ると、あまり感心する人間像だとはどうも思えない。少なくとも僕はこんな人間像など御免こうむりたい。あまり楽しくなさそうだ。
その誤読の原因が、どうもこの「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という一節にあるような気がして、かねてからずっと気になっていた。


話は変わるのだが、井原西鶴の『世間胸算用』を読んでいたら、変な文章を見つけた。

またある子は、紙の余慶持ち来りて、紙つかひ過ごして不自由なる子供に、一日一倍ましの利にてこれを貸し、年中に積もりての徳、何程といふ限りもなし。

(口語訳)
またある子供は、紙を余分に持ってきて、紙を使いすぎて不自由している子供に、一日に倍増しの利子をつけてこれを貸し、一年で貯まった儲けは、どれほどとも言えないほどだ。


場面は書道の手習い所。ある商人が息子をそこに通わせていた。息子は日頃から、手習い所で他の子供が使い潰した筆の軸を集めており、まもなく自分で筆軸を細工して軸簾を作った。それを売り払って銀4匁5分を稼いだ。商人はそれを誇らしく思い、手習いの師匠に嬉々として報告した。すると意に反して師匠は渋い顔をして、息子と商人の心得違いを諭す、という話だ。

話の落ちは、「あなたは息子さんが賢く稼いだと思っているかもしれないが、それは息子さんの賢さというよりは、商人であるあなたの日頃の行いを真似しているだけだ。そういう子供が大成したためしはない。書道の手習いに通うのであれば、紙だの筆軸だのに気を取られるのではなく、一心不乱に書くことだけに専念するのがよい」という説教話。まぁ、江戸時代にはこういう「世間的な感覚とは逆振りした説教話」が通の嗜みだったのだろう。

変な箇所というのは、「一日一倍まし」という表現。
「一倍まし」であれば、数学的に、元値とまったく変わらないのではないか。

古語辞典を調べてみたら、「一倍」の意味は「二倍」ということらしい。そんな馬鹿な、という気がするが、複数の古語辞典にそう書いてあるのだから確かだろう。
「ひと一倍」という言葉があるが、これももともとは「ひとの二倍」という意味らしい。厳密に数学的に1倍なのであれば、ほかの人と何も変わらなくなってしまう。

どうやら古語の感覚としては、倍増分を計算するとき、元値からスタートするのではなく、元値から増幅した分だけをカウントするらしい。現在の数学的感覚とは違うが、どうもそういうことのようだ。だから「ひと一倍」という言葉の意味は、「まわりの人と同じ」ではなく「他の人の2倍くらい」ということになる。

ichibai

現在とは感覚が違う。


現代数学は純客観の公理によって構成されているので、「話し手の意識」なんてものは無い。「りんごが3つあります。それを2倍するといくつになりますか」という問題では、「最初のりんご3つが主人公で、そこから増える分が『他のりんご』で・・・」などという区別は無い。りんごは単なる数概念を投射した具象に過ぎず、客観的存在物としての「りんご」であって、そこに主観と客観の区別は無い。

ところが、日常的な感覚としては、「主人公となる主体(=わたし)」と、「異質の他者」の区別をするほうが普通なのだろう。世界中の言語で、人称代名詞は1人称とそれ以外の区別がある。数学的な感覚ではなく、言語に反映されている世界把握の認識としては、「わたし」と「他者」を区別するほうが普通なのかもしれない。


そう考えると、『雨ニモマケズ』の謎の箇所、「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という意味が、なんとなく分かるような気がする。
「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」というのは、「自己犠牲の精神で」という意味ではなく、「主観を排して、客観的に世の中を見て」くらいの意味ではあるまいか。その時の自分の感情や、自分の好き嫌いで世の中を判断するのではなく、世事を離れた高いところから俯瞰する視点を持つ、という心構えを示しているのではないか。古語で「一倍」というのが自分を基準とした現代数学のかけ算ではなく、主体以外の増幅分をカウントするのと同じで、「自分」を基準点とはしない世界把握のしかたを言っているのではないか。

そう考えると、その直後に続く「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」の意味が分かる。世の中の人のために奔走する前に、まず冷静な目で世の中を客観視する。自分の感情で世の中を決めつけて見るのではなく、「主体としての自分を入れない世界観」を身につける。そうしたものの見方で世の中の必要性を見極めてはじめて、東西南北の必要性のために動く。

『雨ニモマケズ』は宮沢賢治自身が世間に公表した詩ではない。東北砕石工場の嘱託を務めていた賢治が病に倒れ、実家の花巻に帰省して闘病していた時代に手帳に書き記されていたのが、死後になって発表されたものだ。手帳の日付から、詩が作られたのは1931年と見られている。

この詩は、宮沢賢治が、他人に知られることなく「自分だけの心構え」としていたものを密かに書き記したものではないか。単純に「自己犠牲の権化」の行動として考えると、「東ニ病気ノコドモアレバ」「南ニ死ニサウナ人アレバ」、自分が食べる分の食べ物を提供してあげればいい。しかし宮沢賢治は冒頭で「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と、自分の食い分をしっかり確保している。

一般に思われているこの詩の印象とは違い、宮沢賢治は冷静に「まず自分の安全をしっかり確保してから、冷静に世の中を把握し、必要と余力があれば動く」というスタンスをつくっていたのだと思う。そりゃ、公表せずに手帳にひっそり書き記すに留めるだろう。
病に臥せっていた賢治は、「どんな偉そうなことを言っても、どんな高い理想を持っていても、自分の身が健康でなければ何もできない」という実感をもっていたのではないか。まず食べるものをしっかり食べる。健康を取り戻して確保する。私情や感情にながされずに客観的に世の中を見る。そしてできれば、ほかの人の助けになれるようなひとになりたい。そういう「病中の願望」を表した詩に思えてならない。

散文とは違い、詩というのはいろいろな読み方ができる。作者が意図しなかったような読み方をする人もいるだろう。ましてや、本人が望んで公表したものでなければなおさらだ。これだから詩は安易に批評できない。



4合っていったらお茶碗8杯分だぞ。

ブーメラン

jibaku




他人に強要することを自分で守らない政治家は信用しない。

大学に向かない人々

こないだ、Twitterにこんなことを呟きましてね。


twitter


そしたら意外に反響が多くて、中には「詳しく説明してくれ」なんてコメントまで入れる人がいる始末。


はぁ?


大学進学率が57.9%に達する現在、日本で普通に中学、高校まで勉強していれば、「大学とは何をしに行くところなのか」くらい分かっていそうなものなのですが、大学がどういう所なのか分かっていない人が多いようです。大学で教えていても、分かっていない大学生が多いような気がします。

まぁ、上に挙げたすべてについてくどくど話していると愚痴話になってしまうので、一番勘違いの多い

・有用な勉強とは「日常の役に立つこと」である

だけについて話をしましょうかね。


僕は大学の授業で、毎学期、初回の授業で学生にアンケートをとる。
その中に必ず「中学・高校で習った教科のうち、必要ないと思う教科は何ですか」という質問を入れている。

不人気教科はおおむね日本史、世界史、数学、物理、化学、古典、漢文といった辺り。理由はすべて同じで「日常生活で使わないから」「役に立たない知識だから」というものだ。
学生はとにかく「役に立つ勉強」が大好きだ。ところが一歩突っ込まれて訊かれると、己の知見の脆弱さを簡単に露呈する。僕の経験からすると、「役に立つ科目」を優先して勉強しようとする学生に、優秀な学生はいない

件の命題を盲信している学生の共通点は、ことばを雑に扱い、「理解したつもりになっている」ことだ。
「有用な勉強とは『日常の役に立つこと』である」という命題には、その意味をよく考えなければならない言葉がふたつある。
「日常」と「役に立つ」のふたつだ。

まず、僕がいつも不思議に思うことがある。


なぜ学生は、そんなに「日常」が好きなのだろうか?


「日常の役に立つ」ということは、「毎日毎日、当たり前に過ごしている生活」を軸として知的活動を捉えている、ということだろう。ところが、そういう学生に限って、退屈な「日常」を忌避し、「すばらしくワクワクする非日常」に惹かれる傾向がある。具体的に言うと、大学の授業に出席することが当たり前の大学生活に嫌気が差し、授業をサボって遊びに行く、という行動をとることが多い。

旅行が好きな人は多いだろう。旅行というのは、繰り返される、決まりきった退屈な日常生活から「逸脱」し、非日常の世界を体感させてくれるものだ。毎日毎日、決まった日課の毎日を過ごしているからこそ楽しい。多くの人は、日常生活にありふれている身近なことよりも、旅行で体感できる珍しい体験のほうが、ワクワクするものではあるまいか。

ところがそれを、知的生活に置き換えて感じることができない学生が多い。
極論してしまえば、大学で学ぶ学問のほとんどは、日常生活には全く関係ないものばかりだ。惑星の周期計算をする天文学だって、微生物の特徴を研究する生物学だって、人間の経済活動の一般法則を導く経済学だって、物体の動きを定式化する物理学だって、すべて「日常生活」とは全く関係ない。

そして、学問というのは「日常生活とは全く関係ないからこそ楽しい」のだ。「日常生活」なる身近なものに近しい分野であれば、何の楽しいことがあろうか。
大学で学ぶ学問分野というのは、いってみれば知的な「旅行」に相当する。日常生活に退屈を感じたときに知らない土地に旅行するのが楽しいように、日常生活にまったく関係ない世界を知る知的興奮こそが、大学で学ぶことの本質なのだ。

「◯◯◯という分野は日常生活の役に立たない」などと嘯く学生に限って、大学の授業に意義を見いだせなくなり、大学に来なくなる。では大学に来ずに何をやっているのかというと、別に何もやっていないのだ。日常に埋没し、生活に退屈を感じるようになり、無気力な毎日を過ごすようになる。
中には「自分の知見を広げるために日本一周の旅に出ます」などという本末転倒の学生もいる。「日常から離れた、自分の知らない世界を見たい」と口で言っておきながら、「日常から離れた、自分の知らない分野について学びたい」とは思わない。

繰り返すが、大学で学ぶ学問分野は、日常とはかけ離れた、毎日の生活には関係ないものばかりなのだ。そういう「未知の世界」を存分に学べる環境に身を置いておきながら、「授業が退屈なので未知の世界に旅に出ます」という、矛盾した行動をとっている。僕は個人的に、そういう学生は、たとえ世界一周の旅をしたとしても、得るものなど何もないと思う。

大学で研究をしている研究者のほとんどは、「日常生活なんて知らねぇよ」と思っている。毎日繰り返される日常生活よりも、自分が夢中になっている分野のほうに心を惹かれる、いわば社会的不適格者の集まりだ。
よくある大学教授のステレオタイプとして、「自分の専門分野については物凄く詳しいが、一般的な常識でも知らないことがある」というのがあるが、さほど間違ってはいない。専門分野の研究者にとっては、「日常」という場でうだうだと管を巻いているよりも、自分が専門としている「非日常」の世界で遊んでいるほうが、楽しいのだ。

大学の学問の意義についての話になると、学生はやたらと「日常生活」「日常生活」と繰り返す。そんなに日常生活が大好きなら、お前ら今後一切旅行に行くなと言いたくなる。


もうひとつの言葉、「役に立つ」にも、学生が暗黙のうちに無視している意味がある。
「役に立つ」というのは、どういう意味なのだろうか?

誰でも家族は大切だろう。親友がいる人もいるだろう。
では、なぜ家族は大切なのか?なぜその人はあなたの親友なのか?


「役に立つ人」だから大切なのか?


「役に立つ」というのは、もともと「道具」に対して使う言葉だ。「本質」に対して使う言葉ではない。
人間が生きていくうえで大切なことは数多あろうが、「なぜ、それが大切なのか?」というのは、言葉では説明できないことばかりなのだ。「役に立つ」から両親が大切なのではない。「役に立つ」から自分の子供を慈しむのではない。「役に立つ」から親友は親友であるわけではない。

つまり、何かに「役に立つのか」という価値基準をあてはめた時点で、それを「道具」として見なしていることになる。
新学期、新しいクラスになって、いままで知らない生徒と一緒になる経験は誰でもあるだろう。この中から誰と誰が自分と友達になってくれるのか、誰を仲良くなれるのか、ドキドキした経験は誰にでもあるだろう。
そのとき、「仲良くなれる友達」の基準として、「誰が自分にとって役に立ちそうな人間なのか」という価値観でクラスメートを値踏みしていただろうか。「役に立ちそうな生徒とは付き合う」「役に立ちそうもない奴は切り捨てる」という態度で、クラスメートに接していただろうか。

かように「役に立つ」「役に立たない」という価値観でなにかに接することは、下品なのだ。ものの本質を見ようとせず、「自分にとって使える道具か否か」という視点しかない。そういう見方で森羅万象、あらゆることを理解しようとする姿勢は、廻り廻って自分の視野を狭め、生きる楽しみを失わせることになる。

僕は長いこと大学にいるが、断言してもいい。大学で「自分の分野は世の中の役に立つ」と思って研究している者など一人もいない
大学の研究者がその分野を研究している理由はただひとつ、「面白そうだったから」なのだ。

誰でも、なにか好きな分野があるだろう。別に学問分野でなくてもいい。漫画でもゲームでもアイドルタレントでも何でもいい。いま自分が夢中になっているものをひとつ挙げてほしい。
その「自分の好きなもの」について、週に1回、90分、一年で30回、50人くらいを前に、その魅力を延々と話し続けることができるだろうか。

大学の講義というのは、つまるところ「日常生活にまったく関係のないひとつの分野に取り憑かれた変態が、1年間で30回、毎回90分、その分野の面白さを好き勝手に喋っている場」なのだ。シェイクスピアについて、ウナギの生態について、国際紛争の解決方法について、目を輝かせながら延々と喋り続ける変態、それが大学教員だ。

ただ「好き」というだけでは、そんなに話のネタは続かない。ものを好きになるにも、その深さを極めるための方法論があるのだ。大学教授と呼ばれる人種は、その深さを延々と掘り続けているような人々だ。決して、高い山に登ろうと決意して着々と努力し続けた人ばかりではない。むしろ「きれいなチョウチョを追いかけて走り回ってたら、いつのまにか山の頂上にまで行き着いてしまった人々」と言った方が実情に近い。

誰でも子供のころに熱中したものがあるだろう。電車が大好きで、路線の駅を全部暗記した子供もいるだろう。ポケモンが大好きで登場キャラと出現分布をすべて覚えてしまった子供もいるだろう。毎日ゲームばかりやり続け、ネット対戦で軒並みハイスコアを更新し続けた子供もいるかもしれない。
では、はたしてそういう経験は、その後の人生において、いったい何の役に立っただろうか

人が何かに熱中するとき、その根本原理は「楽しいから」だけだ。役に立つかどうかなんて知ったこっちゃない。知ることが好きで、覚えることが好きで、新しい技術を身につけることが好き。それが役に立とうが立つまいが関係ない。人生において、心から楽しめることのほとんどは、役に立たないもののほうが多い
大学での学問も、基本的にはそれと同じことなのだ。役に立つかどうかなんて知ったこっちゃない。自分の日常とは関係ない所に、こんなに広く深い世界がある。その未知の世界に足を踏み入れる知的興奮が全てと言ってよい。

世間一般にあまりこういうことが話されないのは、大学で教えている立場であれば、そういう事は口に出して言うべきことではない、と誰もが知っているからだ。本音としては自分の専門分野を「楽しいから」という理由で研究している研究者も、大学や国から研究費をもらっている。税金をいただいて研究をさせていただいている身としては、ありのままに「役になんて立たないっす。面白いからやってるだけっす」と放言するのは、モラルとして許されない。だから誰もが方便として「こんなに人間の集合知に対して貢献しているんですよ」というおためごかしを用意している。大学人であれば最初に身につけるべき「社会的常識」だ。


そういう変態が集まって好き勝手なことを喋りまくっている大学という魔窟で、学生としてはいったい何を学ぶべきか。
卒業するときに、「教養」が身に付いていれば、ある程度大学でちゃんと勉強をしたのではないかと思う。

「教養」という言葉は、一般的に「いろんな知識が頭に入っている」というイメージで捉えられていると思う。しかし、僕は逆だと思う。「教養」というのは「頭の中に詰め込まれた知識」に関する概念ではなく、「まだ頭の中に入っていない知識に対する敬意」のことだ。

「教養のある人」というのは、日常生活に例えれば、「旅行が好きな人」に相当すると思う。決まった場所、決まったお店、決まった行動範囲だけを惰性で繰り返すのではなく、新しい所に行きたがる。知らない世界に興味をもつ。それと同じことで、「教養ある人」というのは、自分の知っている分野、すでに知っている知識だけに捉われず、常に新しい知的体験を求める。

つまり「教養」というのは、端的に「知的好奇心」と言い換えてもよい。「この分野、よく知らないからパス」ではなく、逆に「よく知らないから、もっとたくさん知りたい」という姿勢のことだ。だから教養のある人というのは、人の話をよく聞く。自分のまだ知らないことを、貪欲に吸収しようとする。

先ほども言ったように、大学で教えている先生というのは、根本的には「あるひとつの分野の研究に、一生を捧げようと覚悟した人たち」なのだ。つまり大学で学ぶどの分野も、ひとりの人間を一生虜にするだけの魅力がある。その魅力を感じ取り、その分野がなぜそんなに面白いのか、それを知ろうとする大学生活を送れば、一生退屈しないだけの「教養」が身に付くと思う。

日本は平均年齢が伸びすぎ、定年退職後の生き方について、道を見失う人が多い。何を生き甲斐にして生きればいいのか、毎日何のために生きればいいのか、燃え尽き症候群のようになる人が多いそうだ。
体力とお金があれば、旅行をするのも良かろう。いままで行きたかったけど行けなかった場所に、のんびりと旅をするのはよい老後のすごし方だと思う。しかし、そこまで体力とお金に余力のある人というのは、それほど多くあるまい。

しかし、大学教育で身につけた「教養」を下敷きとした「知的な旅」ができれば、お金も体力もいらない。いままで知らなかった分野を勉強し、いままで知らなかった世界の広がりを感じて、知的興奮を楽しむ能力があれば、毎日家にいながらにして新しい世界への旅が経験できる。大学教授の変態っぷりでも分かる通り、学問というのは、分野の数だけそれぞれの興奮がある。それを体感できれば、生きることも楽しくなる。

文部科学省はそういう知的生活のことを「生きる力」という言葉で表現している。曖昧すぎて一般には理解されていないだろう。しかし、「知ること」「学ぶこと」が自力でできることは、子供がわくわくしながら電車の駅名を覚えるのと、根本的には同じことなのだ。毎日の生活で確かな成長を感じることができ、自分の世界がどんどん広がっていく実感がある。
つまり、大学で学ぶべきことをしっかりと学び取った人というのは、「一生、退屈しないで暮らしていける人」と言える。

もちろん、すべての人がこのような恩恵にあずかれるわけではない。大学教育というのは、基本的には「経済力と能力のある人だけが許される『贅沢』」なのだ。そこのところを誤解している人が多いと思う。
大学の勉強というのは、基本的には日常的に何の役にも立たない。そのような「役に立たない勉強」に熱中する人だけが、大学に入ればいい。だから、「この分野は何の役にも立たないから勉強する意味がない」と嘯く人は、そもそも大学という場に用がない人達なのだ。役に立つ勉強がしたければ、さっさと大学なんて役に立たないところは退学して、専門学校に行けばいい。「役に立つこと」を、たくさん教えてくれる。教育を受けるということがどれほど贅沢なことなのかを分かっていない人が、大学で学んでも意味がない。

このような、大学で身につけるべき「知」のあり方は、小学校、中学校、高校までに求められる「知」と、根本的に違う。だから高校までの勉強のしかたと、大学から先の「知」が目指すものとのギャップに戸惑い、「勉強とはどういう営みなのか」が分からなくなる学生が多い。
学生が不満に思うのは、興味がある・無いに関わらず、勉強しなければならない科目を一方的に押し付けられることだろう。自分の興味のある分野を選んで学べばいい大学とは異なり、高校までの科目というのは基本的に自分では選べない。

高校までで習う科目というのは、端的に言うと「いままで人類が有史以来築き上げてきた『知の集積』の、ほんの上澄みの部分だけを、味見させてくれるもの」なのだ。「日常生活で使わないのに、漢文なんて習わなければならない」のではなく、「漢文を学べば、3000年以上前の時代に何が起こっていたのかを知ることができる」のだ。そういうことに全く興味を示さない人は、文字通り、学ぶ必要はない。前述の通り、「勉強とは贅沢なもの」だからだ。

ただし、そうやって興味のない科目をどんどん切り捨てていく人は、あとになって「自分には学ぶチャンスがなかった」などという泣き言を一切言う資格はなかろう。世界には、学びたくても学ぶ環境になり不幸な人達がたくさんいるのだ。自ら望んでそういう境遇に身を墜としたければ、構うことはない、学ぶことを止めてどんどん墜ちればいい。

高校までの授業でやっていることは、実は「勉強」とはとても呼べない程度の内容なのだ。あれは単なる「知識のサンプル」であって、本来の分野から言えばほんの小さな箱庭を覗かせてもらっている程度に過ぎない。大学に入ってから、本格的に知的好奇心を存分に発揮して「知の冒険」をするための、基本装備を身につけさせてもらっていると思えばいい。どんな教科も、大学に入ってから己の中に大きな建造物をつくるための「知識のレンガ」を、ひとつひとつ身につけている段階なのだ。例えば、大学に入ってから昆虫に興味をもって本格的に勉強しよう、とする可能性のために「そもそも世の中には昆虫というのがいる」ということを教えてもらっているに過ぎない。

ただし、ひとつだけ例外の科目がある。数学だ。
数学という科目だけは「箱庭程度の知識のレンガ」ではない。「そのレンガをどのように組み合わせればいいのか」という、知の体系を作るための方法論を学ぶ科目だ。数学という科目は、個々の具体的事象をどのように繋ぎ合わせ、どのように体系化すればいいのかを学ぶ科目だ。この方法論を身につけていないと、大学でどんなに勉強をしても、単発知識を数多く知っているだけの「雑学王」で終わってしまう。知識の網を張り巡らし、自分の中で体系化する能力が身に付かない。数学という科目だけは、初学者にわかりやすく事実をデフォルメする「理想化」が無いので、中学校でも、高校でも、大学でも、同じ原理・原則が通用する。数学だけは最初から「箱庭」ではなく「本物の世界」を相手にする科目なのだ。

マンガ『東京大学物語』の中に、矢野先生という怖い数学の先生が登場する。高校三年生の数学の授業で、矢野先生は卒業していく生徒を前に、最後の授業で「本当に人生に役立つ学問は、数学だけである」と言い放つ。

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矢野先生の言う通り、学校で習う学問分野の中で、数学だけが唯一、役に立つ。正確には、数学という学問だけが、「役に立つ」「役に立たない」という尺度で計ることができる。つまり、数学だけが「道具」として使える学問なのだ。その道具の汎用性は、ほぼ世の中の学問分野全てを網羅する。数学的な思考法と発想法がない人間が、大学に入ってから「知の冒険」を行おうとしても、剣をもたずにフィールドに踏み込むロールプレイングゲームの主人公の如し、ろくに戦えないだろう。理系分野に限らず、文学だろうと歴史学だろうと法学だろうと社会学だろうと経済学だろうと、数学を学んでいない生徒が丸腰で挑んでも、新しい「知の創出」はできない。数学を学んでいない人は、知識を体系化する方法論を持たない

ところが学生の多くは「学校の科目に数学はいらない。なぜなら日常生活で役に立たないから」と平気で口走る。大学というところはどういう所なのか、役に立たないとはどういう意味なのか、一切考えようとしない。そういう学生は、どんなに本人が真面目に勉強しているつもりであっても、大学で得られる一番大きなものを得ることなく、無為に4年間を送ることになるだろう。


学生に話を訊いてみると、彼らが言う「役に立つ勉強」というのは、つまるところ「就職活動に有利になる勉強」のことを指していることが多い。彼らは目先の就職活動に恐怖を感じるあまり、「就職の役に立たない勉強」をいっさい切り捨てにかかっているのだ。だから「授業に出ないで就活セミナーに参加する」という学費の無駄遣いをしても平気だ。学生の多くは「生涯にわたって知的興奮をもたらしてくれる知のあり方」などに興味はない。「内定を取れるために必要な知識」だけが欲しいのだ。彼らにとって、大学など「就職予備校」でしかない。

だから、一旦就職してしまえば、大学教育で得たものがすべて不要になってしまう。いい会社に就職できることが、大学受験の勉強を頑張ったご褒美だと思っている学生も多い。そんな人が就職したところで、会社と家を往復するばかりの毎日で、たまの週末には家でごろ寝するだけの退屈な生活を送るようになるのが落ちだろう。知的好奇心など皆無。知らない分野を新たに知ることなど、面倒なことこの上ない。
たまに旅行に出かけたとしても、未知の世界に踏み込む知的冒険を「無駄な勉強」と切って捨てる程度の人間が旅行で味わえるものなど、たかが知れている。ガイドブックに載っている場所を廻り、インターネットで評判の高いお店で食べ、みんなに好評を得られる景色を写真に撮りSNSにアップロードして「いいね!」を押してもらう。つまり、すべてが「他人によって決まる旅」でしか無いのだ。自分で「これが知りたい」「ここに足を踏み入れたい」という姿勢を常日頃からつくりあげていないと、その程度の体験しかできない。

僕は、普段の大学の授業では、学生に対してこういう話はしない。これは単に僕が考えている、僕の意見に過ぎないからだ。学生に押し付けるつもりは毛頭ない。役に立たない学問だと思うなら遠慮なく切り捨てればいい。大学教育が役に立たないと思うなら遠慮なく退学すればいい。就活に血道をあげる4年間がお好みならそれも良かろう。こちらとして出来ることは、学ぶ意欲がある学生に、自分が持っている興味関心の話をするだけなのだ。それを得るか捨てるかは、学生が各自で勝手に判断すればいい。



他の項目についても気が向いたら書きますかね。

底から見上げる景色

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(『弱虫ペダル』54巻)


インターハイ前年度総合優勝の総北高校が、新年度キャプテンとして、実力も実績もない手嶋純太をなぜ選んだのか問われた時の、前年度キャプテン金城真護の言葉。



今年の箱根駅伝でも「進化を続けなければそれは退化」と言ってましたね。

長続きする結婚

結婚は、何のために存在するのか

どうやら、人間の愛情というのは、結婚してから「3年」でなくなるらしい。

結婚して20年、30年続いている夫婦がいますが、この人たちがどうして長く続いているのかというと、結婚してから3年の間に、「愛情以外の別の概念」をつくり上げることができたからです。

愛情を永遠のものだと勘違いして、その愛情だけに寄りかかっていると、結婚生活は破綻をきたすらしい。

「いつまでもこの人を愛し続けよう」と思っても、「いつまでもこの人から愛され続けるだろう」と信じていても、生物学的に見ると、愛情は、「結婚後、3年で終わってしまう」ようです。

結婚すると、普通は「ゴールイン」といわれますが、じつは結婚した瞬間から、「3年間の執行猶予」がはじまります。

この執行猶予中に、「愛情以上の価値観=尊敬」をつくり上げることが「結婚生活」のようです。

では、どうすれば相手を尊敬できるようになるのでしょうか。

それは「常に相手のよい面を見つけること」です。

目の前の夫、目の前の妻を、自分の思い通りにつくり変えようとするのではなくて、「相手はこういう個性があって、自分とは違うものを持っているんだ」と、丸ごと全部受け入れる(感謝する)。

そして、相手のすばらしいところ、社会のよいところ、宇宙の楽しさを、自分の中で見出す訓練ができるようになると、あれこれと批判、論評をしなくなり、お互いを認め合うことができるようになります。




お互いに成長を止めた時が、関係の終わりの始まり。

単語の文字列

Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn't mttaer in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be a toatl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.


「ケンブリッジ大学の研究によると、ひとつの単語における文字の順序は問題ではなく、唯一重要なのは最初と最後の文字が正しく書いてあることである。残りの部分の文字の順番はどうでもよく、何の問題もなく読める。その理由は、人間は一字一字を読んでいるのではなく、単語全体を認識しているからだ。」



(参考)
入れ替えても気づかれにくい単語

拶挨、螂蟷、蝣蜉、蛛蜘、蝠蝙、魎魍魅魑、躇躊、躅躑、蜴蜥、髏髑、萄葡、凰鳳、匐匍、蚓蚯、賂賄。




「ケンブリッジの研究」ってのはフェイクだけどね。

高等学校卒業程度認定試験(数学)

 
kousotsunintei




解けない奴は高校卒業を名乗っちゃダメだろ。

「卓球少女MAIKO」




平野美宇(日本生命)
早田ひな(日本生命)



顔よりもフォームのほうが分かりやすい。

ノウハウ

「あいさつには名前をつけろ」(接客)
「アフターフォローは上客を呼ぶ」(保険業界)
「オーナーがこだわりを捨てると店ははやる」(空間プロデュース)
「オレンジ色は食欲を刺激する」(食品業界)
「お客は靴と時計で見抜け」(ソムリエ)
「お久しぶりですね、は三流」(バーテンダー)
「お座敷では毎日の行いが出る」(花柳界)
「きれいなトイレは汚せない」(スーパーマーケット)
「クレームは最後まで聞く」(キャビンアテンダント)
「ゲームの発売日は木曜日」(ゲーム)
「コンビニおでんは秋に売れる」(コンビニ業界)
「スタッフには、指示ではなく相談する」(外食産業)
「ストーリーは三幕構成で山場を作れ」(映画業界)
「たらい回しにヒットあり」(出版業界)
「トップの椅子は3つある」(芸能界)
「ネタはお客の顔を見て決める」(落語家)
「ネットの1行広告は13文字」(ネット通販業界)
「ヒット商品は多数決から生まれない」(飲食業界)
「ファーストクラスは態度がぶれない」(キャピンアテンダント)
「プリンターはインクで儲けろ」(プリンター業界)
「プレイング・マネージャーに名上司なし」(人材業界)
「プレスリリースは1枚にまとめろ」(広報マン)
「プレゼンの前日はホステスを口説け」(広告業界)
「プロジェクトが行き詰まっても、増員するな」(ソフトウエア業界)
「ホラー映画は不況に強い」(映画業界)
「メモのうまい美容師はカットもうまい」(美容師)
「ヤクルトおばさんが『これ、何?』と聞く映画はヒットする」(映画業界)
「飲食店の開業は1~2月が最適」(外食業界)
「汚い工場から、名品は生まれない」(製造業)
「家を売るなら奥さんを口説け」(不動産)
「家具店は外車ディーラーの近くがいい」(家具)
「会社の業績はトイレでわかる」(コンサル)
「怪我と弁当は自分持ち」(とび職)
「皆が嫌がる仕事ができて一人前」(町工場)
「階段は駆け上がるな」(アナウンサー)
「企画はコンプレックスをつけ」(出版業界)
「休日の飛行機でくつろげないなら一人前」(航空)
「泣き別れは商品価値を下げる」(家電量販店)
「給料日前は生活必需品、給料日後は嗜好品を値引け」(小売業界)
「金持ちは貧乏人から物は買わない」(宝石商)
「見積書は2つ持て」(商社)
「交差点は左折」(タクシー業界)
「困ったときは動物と子ども」(広告業界)
「混んできたら、BGMのテンポをあげろ」(外食業界)
「作業記録を開示せよ」(航空)
「子ども番組の改編は4月じゃなくて1月」(テレビ業界)
「私も使っています」で信頼を得よ (販売)
「実車とすれ違う道は、吉」(タクシー業界)
「社員は優良顧客」(自動車メーカー)
「酒が飲めないほうがバーテンダーは成功する」(バーテンダー)
「寿司は客を見てから握れ」(寿司職人)
「出店は、競合店の近くがいい」(居酒屋業界)
「準備のないところにチャンスは来ない」(舞台俳優)
「商品の色は3色に絞れ」(商業デザイン)
「上手い人より早い人が生き残る」(放送作家)
「人気商品は付属品で稼げ」(小売)
「声かけが盛んなスーパーは売れる」 (流通)
「全国ヒットを狙うなら、北海道を制せ」(食品業界)
「素材だけを使っても、フランス料理にはならない」(料理人)
「送料無料はネットで刺さるキーワード」(ネット通販業界)
「他業界からミスを学べ」(パイロット)
「大道芸は、美術館の近くが穴場」(大道芸人)
「棚には赤と緑の商品を交互に置け」(スーパーマーケット)
 「段取り八分、仕事二分」(大工)
「値引きは二個目の商品から」(スーパーマーケット)
「通販番組では、値段を最後に言え」(通販業界)
「提案は3つ出せ」(ソフトウェア)
「適職は自分ではわからない」(人材業界)
「電話営業は月曜の朝に攻めろ」(テレマーケティング業界)
「『東大』は読者に刺さるキーワード」(出版)
「2時間ドラマは、10時またぎに濡れ場を入れろ」(テレビ業界)
「日本人はラス1に弱い」(キャビンアテンダント)
「売れる商品には適量がある」(食品業界)
「売上が落ちたら値段を上げろ」(おむつメーカー)
「発想はポジティブに、詰めはネガティブに」(広告)
「発売延期をくり返すソフトに名作なし」(ゲーム業界)
「披露宴は洋食で儲けろ」(ホテル業界)
「評論家は深く掘り下げると広くなる」(マスコミ業界)
「不器用な職人ほど大成する」(大工)
「不況になると鉄道本が売れる」(出版業界)
「福袋は松竹梅で売れ」(百貨店業界)
「名器は真似して学べ」(設計士)
「要約できない脚本にヒットなし」(映画業界)
「欲しい車はよく街で見かける」(放送作家)
「緑と紫のオモチャは売れない」(玩具メーカー)
「練習は本番のように。本番は練習のように」(サッカー選手)




他者に対するものと己に対するものに分けられる。

Bizarre Love Triangle (Frente!)




一人暮らしの時代、夜によく聞いてた

第95回箱根駅伝。

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第95回箱根駅伝。


東海大学が46回目の出場にして悲願の初優勝を飾った。
絶対本命と目され、大学駅伝3冠、箱根5連覇を狙った青山学院は往路でまさかの失速を喫し、復路で猛追するも巻き返しには及ばなかった。

東海大学は正直言って、今回の初優勝を祝うというよりも、「なぜ今まで優勝できなかったのか」という疑問のほうが先に立つ。有力高校へのコネクションを活かして有望な生徒を軒並み青田買いし、優秀な生徒を採りまくった。今大会の登録16人中10人を占め「黄金世代」と称される3年生は、そのリクルートシステムが頂点に達した年の入学者だ。

「優秀な生徒を採りまくる」と言うのは簡単だが、それを実行するには大学側の強力なバックアップが必要となる。学生の入学許可というのは、大学の中でもかなり高次に属する機密事項で、いち運動部の監督風情が簡単にシステム化できるものではない。保健体育審議会が強力な権限を持ちすぎる大学は、日大のように歪んでしまう。

つまり東海大学の強力なリクルート力は、大学が両角監督にかなりの権限を認めていることの証左だ。入試に関する一部の権限を認められているということは、それだけ成果を出すことを要求されるということでもある。
東海大は強力な学生を何人も採っておきながら、駅伝では結果を出しているとは言いがたい。「黄金世代」がとったタイトルも、2017年の出雲駅伝の1冠しかない。

もともと東海大学はトラックに特化したスピードランナーを育成することに長けており、関東インカレ、日本インカレ、日本選手権ではきちんと結果を出している。その点では両角監督はきっちり仕事をしてきたと言える
もともとスピードに特化したトラック練習では、1区間20km以上、それが10区間も続く箱根駅伝に勝つのは、そもそも無理なのだ。つまり従来の東海大の強化スタイルからすると、もともと箱根駅伝は「最初からターゲットにない大会」と切って捨てるのが正しい選択だと思う。

しかし大学としては、「やはり学生長距離は駅伝で勝ってなんぼ」「駅伝の中でも『箱根駅伝』に勝ってなんぼ」という圧力をかけてくるのだろう。広告効果も段違いだし、世間的な知名度も高い。学生募集にも大きく影響する。そういう「俗的な利益」を圧力に、大学から両角監督にはかなりのプレッシャーがかけられていたのだと思う。そうでなければ、両角監督が今年度になっていきなり方針転換した理由が見当たらない。

両角監督は今回の箱根駅伝に際して、事前2ヶ月の練習方法を変えた。従来は直前まで選手を競わせ、負荷をかける練習を繰り返していた。これはトラック競技の仕上げ方だ。箱根駅伝やマラソンの仕上げ方ではない。記録会にほぼ皆勤状態で参加し、そのたびに選手は力を振り絞らざるを得ず、いざ箱根本番の時には疲労困憊、ということを毎年繰り返した。

その練習方法は選手の反発を招き、コーチも反対するなど、東海大学内では「直前2ヶ月の練習方法」について迷走した。結局、両角監督が折れる形で調整方法を変えた。記録会への参加を取りやめ、距離走を増やし、ロードに対応するための走り込みを増やした。その成果が箱根優勝だ。

問題は、その成果が東海大学にとって良いことなのかどうかだ。東海大学の選手の中には、箱根駅伝よりもトラックシーズンでの成績を重視し、記録の出やすい冬の時期にトラック記録を狙いたい選手もいる。湊谷春紀主将も「この時期は5000メートル、1万メートルですごく記録が狙える。翌年のトラックシーズンを見据えている選手に関してはどうかな」という意見があったことを認めている。

かように学内意見が割れたことを押し切って両角監督が箱根仕様に練習方法を変えたのは、他でもない、そうせざるを得ない事情があったからだろう。何が何でも箱根を勝て。特に「黄金世代」の3年生がいる間に結果を出せ。そういうプレッシャーが大学からかけられていたのだろう。この強化策が東海大学にとって正しい選択だったのかどうか、箱根に勝つことで捨てたものの価値は本当にどうでもいいのか、来年度の東海大を見てみないと分からない部分がある。

幸か不幸か、東海大学の方針転換は、東海大内でくすぶっていた「ロード特性のある学生」が一気に開花するきっかけとなった。今回の東洋大学で優勝の原動力となったのは、鬼塚翔太、館沢亮次、關颯人といった1年時から活躍していた「エリート」ではない。西田荘志(5区・区間2位)、中島怜利(6区・区間2位)、阪口竜平(7区・区間2位)、小松洋平(8区・区間賞、区間新)といった「干され組」が区間上位で結果をきっちり出し、優勝に貢献している。この4人のうち、出雲駅伝、伊勢駅伝に出走したのは、出雲の3区を走った中島怜利(区間12位)、伊勢を走った西田荘志(区間3位)だけ。8区区間記録を22年ぶりに更新してMVPに輝いた小松洋平に至っては、3大駅伝初出場だ。こうした選手が、ロード対応の調整方法にフィットし、今回の成果につながっている。

また、2位に終わった青山学院、3位の東洋大学の「敗因」も大きいだろう。東洋大学は往路優勝、青山学院は復路優勝と、それぞれ強さは見せている。しかし、それぞれ「裏」の走路ではブレーキ走者を出している。

青山学院の敗因は明らかだ。2区(区間10位)、4区(区間15位)、5区(区間13位)の3区間で区間順位2桁に沈んでいる。さすがの青山学院でも、2桁順位の区間が3つもあっては勝てない。
4区の岩見秀哉は走り始めてすぐ低体温症を発症し、体が動かなくなってしまった。調整の失敗というよりも、勝負のかかった緊張した場面で、相手が東洋大学の相沢晃(4区・区間新記録)というプレッシャーがかかり、心理的に圧迫されたのだろう。この勝負所の大事な局面は、経験のない初出場の選手にはちょっと厳しい。青山学院の原監督も4区が采配ミスだったことを認めている。
5区の竹石尚人は、足のテーピングの貼り方、下りだけ快調に走り切ったことなどから見て、最初の5kmあたりの地点ですでに両足が攣っていたのだと思う。筋肉が弱いというよりも、おそらく寒さに弱いのだろう。箱根5区の上りの適正は、夏合宿ではかることが多い。夏の時期には柔らかくて調子のいい筋肉が、箱根駅伝の時期の5区山登りではうまく働かないのではないか。

一方の東洋大学も敗因が明らかだ。復路が遅過ぎる。主力を往路に集中して、駅伝にとって重要な「チームとしての流れをつくる」という点ではうまくいっていたが、流れをつくることに全力を傾注しすぎて後続の備えが薄くなりすぎた。7区の小笹椋は、もともと青山学院の林奎介対策に差し向けられた「刺客」だが、約1分半の差をつけられている。区間3位ではあるが、2位の東海大・阪口竜平にも区間記録で1分の差をつけられ、往路の貯金をすべて使い果たし4秒差まで詰められてしまった。ほかにも9区・中村拳梧は区間19位、10区・大沢駿は区間10位。復路の層の薄さが敗退につながった。
往路から競った展開になっていた東海大学に抜かれたのは仕方がない。しかし、往路で5分30秒差をつけ、ほぼ勝ちを手中に収めた青山学院にまで抜かれたのはまずいだろう。東洋大学は、あたかも「復路など無い」かのような、往路に偏りすぎた区間配置が負けにつながった。


青山学院と東洋大学で、ひとつ印象的な違いがあった。
青山学院は今回2位、東洋大学は前回2位。その10区ゴール直後の写真がある。


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左:今回大会(2019年)、2位の青山学院
右:前回大会(2018年)、2位の東洋大学 


ともに優勝を逃した直後の写真だが、表情が全然違う。
前回の東洋大学は、一言でいうと悲壮感に溢れている。この世が終わったかのような絶望的な表情だ。
一方の青山学院は、3冠・5連覇を逃した後とは思えないほど、明るい表情をしている。勝負が終わってすぐにも関わらず、すでに負けを自分の中で認め、消化し、それを次に繋げる準備ができている。自分も他人も責めるつもりが全くない。

この写真からは、両チームが常日頃から行なっているメンタルトレーニングの、圧倒的な差を感じる。おそらく、東洋大、青山学院、ともに箱根駅伝の翌日から練習を始めるだろう。しかし、どちらの練習のほうがどれほど効果があるか、やる前から見えているような気がする。おそらく、東洋大学が青山学院に勝てないのは、こういう所に原因があるのではあるまいか。

箱根駅伝期間中、誰も口にはしていないが、東洋大学は今年度、寮で勝手な振る舞いを繰り返した1年生部員に激高した上級生が暴力行為を働いて、1年生部員が退学する事件を起こしている。また、東洋大学の主力は下級生が多く、上級生になるほど人数が少なくなる。酒井監督は「同じ実力であれば下級生を使う」と嘯いているが、単に「使い物になる上級生がいない」というだけの話だ。毎年、育成されずに潰され、部を去って行く部員が多いのではないか。東洋大学は、競技そのものとは関係ないストレスが、部員全体を覆っているように感じられてならない。


その他に目に付く結果としては、なんといっても国学院大学だろう。堂々の総合7位。大学の過去最高順位を更新した。5区・浦野雄平は区間新記録で区間賞。前回大会では1区を走り、区間2位。「誰だあれ!?」と騒がれた選手だ。国学院大学は前回、区間最下位になる走者もいたが、3区(区間5位)、4区(区間3位)、7区(区間5位)など、好走した区間も多かった。今回はそこまで上位に入る走者はいなかったが、全体的に区間6〜12位くらいの中盤に踏みとどまる堅実な走者が多かった。

法政大学も6位に入り、堅実に結果を残した。好成績を残した国学院と法政の共通点は「5区山上りに大砲がいる」「極端に失速する区間がない」ということだ。関東学連は「5区だけで決着がついてしまう」という状況を嫌い5区の区間を短くしたが、相変わらず5区ひと区間だけで3分程度の借金は返済できるのが現状だ。法政大学は5区・青木涼真が、区間3位ではあるものの昨年の自己記録を15秒短縮する見事な走りで7人抜きを演じた。

そして、いつもの通り、いつのまにか帳尻を合わせ、いつのまにか10位につける中央学院大。かつてその不思議さについての記事を紹介したことがあったが、今回も主力が離脱した厳しい状況で、きっちりシード権を確保してきた。往路で15〜16位をうろうろしていた後、どうやって10位まで上がってきたのかすら分からない。ここまで狙い違わず目標を達成し続けると、川崎監督はなにか魔法でも使ってるのではないかという気がしてくる。

逆の目立ち方としては、総合12位に終わった早稲田大学が気になる。今年度は出雲が10位、伊勢が15位の、すべて二桁順位。惨敗と言ってよい。ケガで主力が離脱し、育成も間に合わず、限られた戦力で戦わざるを得ず、散々な1年だった。早稲田OBの瀬古利彦は、やたらと1年生の中谷雄飛を絶賛していたが、1区で区間4位に終わった。記録も1時間2分42秒と、去年同じ1年生で区間賞を穫った西山和弥(東洋大)よりも30秒近く遅い。 それほど絶賛するほどの仕上がりではなかった。シード権すら確保できず、来年は予選会からの出場になる。今の早稲田に予選会を突破する伸びしろは残っているのだろうか。


今回の箱根駅伝を俯瞰すると、レベルが爆上がりした印象がある。
今回の往路優勝は東洋大学、復路優勝は青山学院、総合優勝は東海大学。仲良く優勝を分け合った感があるが、その記録が凄い。
往路1位の東洋大学は5時間26分31秒、2位の東海大学は5時間27分45秒。これは前回大会の往路優勝の東洋大学(5時間28分29秒)よりも格段に速い。
また復路1位の青山学院は5時間23分49秒、2位の東海大学は5時間24分24秒。これは前回大会の復路優勝の青山学院(5時間28分34秒)よりも格段に速い。
また総合記録でも、1位の東海大学は10時間52分09秒、2位の青山学院大学は10時間55分50秒。これは前回大会の総合優勝の青山学院(10時間57分36秒)よりも速い。

つまり青山学院は、あれだけ2, 4, 5区のブレーキがあったにも関わらず、総合タイムとしては去年よりも速いのだ。それだけ今年の東海大学が速かったということになる。

また個々の記録でも区間新記録が続出した。3区で森田歩希(青山学院)が12秒更新、4区で相沢晃(東洋大)が1分27秒更新、5区で浦野雄平(国学院)が50秒更新、6区で小野田勇次が4秒更新、8区で小松陽平が16秒更新。1回の大会でこれだけ区間新が出る年も珍しいだろう。
ほかにも、2区で塩尻和也(順天堂)が三代直樹の日本人記録を1秒更新、7区の林奎介が自己のもつ区間記録に2秒差で走るなど、好記録が続出した。

各校、「対・青山学院」の包囲策を念入りに練ってきたと見えて、従来の青学の勝ちパターンのところに主力をあててくるようになってきた。その結果、「主要区間」の置き方が変化している。
たとえば、従来「つなぎの区間」と見られて下級生が置かれることが多かった4, 7, 8区に各校が主力を置いた。4区は東洋大学が相沢晃、東海大学が館沢亨次を置いて、山の前に優位を作ろうとする作戦を敷いている。
7区は去年区間新を出した林奎介対策のため、東洋大学は主将の小笹椋、東海大学は阪口竜平を置いている。東洋は前回大会で7区で逆転不可能な大差をつけられたのが、よほどこたえたのだろう。

青山学院の勝ちパターン、「7区、8区でぶっちぎる」という策を封じることが、各校の主要な区間配置の要点だったようだ。前回まで8区を3回連続区間賞をとった下田裕太は、前回の8区を1時間4分46秒で走っており、これは区間2位に1分半をつける大差だった。しかし今大会では、小松陽平(東海大、1時間3分49秒)、飯田貴之(青山学院、1時間4分34秒)、鈴木宗孝(東洋大、1時間4分44秒)の3人が去年の下田よりも速く走っている。伊勢翔吾(駒沢、1時間4分50秒)もたった4秒差で、各校が「青山学院の8区を封じる」という策をとり、主力を配置するようになってきたことが分かる。

レベルの上昇が顕著だったのが6区だ。6区は「60分台で普通、59分台で上出来、58分台で一流」というのが通例だ。特殊区間なので、同一大学では同一選手が担うことが多い。
前回、青山学院の小野田勇次に1分28秒差をつけられ「人間じゃねぇ」との評を残した今西駿介は、今年、自己記録を1分25秒も短縮した。また去年の区間2位だった中島怜利も、58分36秒から58分06秒に、30秒縮めている。その他にも、今回の6区は58分台が4人、59分台が6人という有様だ。さらに上には上がいるもので、「下りの神」小野田勇次は、とうとう箱根史上初の57分台(57分57秒)に突入した。
例えば10年前、当時1年生だった柏原竜二擁する東洋大学が初優勝した2009年(第85回大会)、6区の区間賞は59分14秒(大東文化大・佐藤匠)だった。これは今年の記録だと区間7位の成績に相当する。10年の間に、箱根の6区はかような進化を遂げている。


東海大の総合新記録を見ると、東海大は決して「たまたま勝った」のではなく、「勝つべくして勝った」と評することができるだろう。青山学院・原晋監督の言うとおり、「進化止めた時点で退化が始まる」のが、最近の箱根駅伝の動向だ。青山学院は「箱根メソッド」が確立されていると豪語し、それに従い去年までのやり方を踏襲して、敗れた。常に新しい戦い方を模索し、新しい挑戦を続けて行かないと勝てない。東海大も、現在の3年が抜けたらどう戦うのか、模索が迫られる。来年以降、各校がどのように鍛え、どのように戦うのか、また楽しみがひとつ増えた。



区間新のピコンピコンが何度も聞けた。

何のために、どこに作るか

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富岡製糸場に行ってきました。


1872年(明治5年)設立。明治政府が設立した官営工場で、輸出品の要である生糸の品質向上と生産のために作られた。明治期には日本製の生糸が世界一になるほどの技術力を誇る。1987年(昭和62年)に操業を停止するまで115年にわたり日本の生糸産業を牽引し続けた。
2014年(平成26年)、世界遺産に登録。

小学校のときに社会の授業で習った。「富国強兵・殖産興業」のうち殖産興業の一例として教科書に載っている。当時から、この製糸場について非常に不思議なことがあった。
なぜ、明治期に最先端の官営工場を作ったのが群馬県なのか。

上信越自動車道を富岡ICで下りると、非常にさびれた感じの街が広がっている。富岡製糸場の近くにも古くから続く地元の商店が続いており、中には閉店し空家になった商店もある。かつての官営工場で栄えた街とは思えない。まぁ、富岡製糸場はあるが、富岡製糸場しかない場所と言っても過言ではない。
どうして明治政府は、こんな所に官営工場を作ったのか。

富岡製糸場でもらった資料を見てみると、その理由は主に5つあったらしい。

(1) 生糸の原料である繭を確保するため、養蚕が盛んな土地であること
(2) 工場用地の広い土地が確保できること
(3) 良質の水が確保できること
(4) 燃料の石炭が採れること
(5) 外国人指導の工場建設に対し地元住民の同意が得られたこと


怪しい。怪し過ぎる。


まぁ「たくつぶ」の読者の方にはお馴染みでしょうが、研究者の常として、僕には日頃から世の中を疑ってかかる習性がある。
この手の「きれいごと」には、非常に胡散臭いものを感じる。

まず第一に怪しいのは、富岡に工場を作った理由がことごとく「流通経路」と「労働力」を無視していることだ。
生糸は、国内需要のために生産していたのではない。外国に売って外貨を獲得することが目的だ。だから輸出が大前提になる。当時の商港は関東地方では横浜に限られていたから、製品の生糸をわざわざ横浜まで運ばなければならない。

工場の立地条件には、大雑把に分けて「原料立地」「市場立地」「労働力立地」がある。工場をどこに立地させるかは、その原料と製品の「運搬費」、つまり流通経路が要素となる。
「原料立地」は、要するに重いものを原料とする産業に属する。鉄鋼業やセメント、金属、精油などの重工業がこれに相当する。
「市場立地」は大都市や消費地に工場を作る方法で、消費傾向が大都市に偏る産業に属する。清涼飲料水、ビール、出版、化粧品などがこれに相当する。
「労働力立地」は、安価な労働力あるいは熟練工が必要な産業に属する。繊維工業、服飾、宝石、精密機械などがこれに相当する。

上の富岡製糸場の工場立地条件を見ると、要するに「原料立地」で工場を建てていることになる。
しかし、生糸のような軽工業はそもそも原料立地にするほど原材料に縛りがあるわけではない。運搬費だって鉄や原油に比べれば格段に安い。わざわざ群馬の山の中に工場を建てなければいけない理由が「原材料の蚕の調達の必要性」とは、とうてい考えられない。 軽工業は、ふつう労働力立地で工場を作る。

富岡製糸場開業当時、もっとも困難だったのは「原材料」でも「石炭」でも「水」でもない。間違いなく「労働力」だっただろう。年頃の女の子を全国からかき集め、労働力として技術を身につけさせた。
富岡製糸場で資料を閲覧すると、当時の工女は別に群馬近辺の地元民に限ったものではなかったらしい。むしろ開業当時は工女のなり手がおらず、工場の要職の子女や、政府の要職を占めていた薩摩・長州の良家の娘が送り込まれていた。当時の工女の日記を見ると、地元出身の娘が「私は最初の1年は既製品のチェックしかさせてもらえなかったのに、長州出身の娘は私よりも後輩のくせにもう糸を紡がせてもらっている」と、出身地による依怙贔屓が行われていたことに対する苦情が綴られている。

かように全国から人員をかき集める製糸場として、富岡という地はそれほど便利な土地には見えない。高速道路や新幹線が整備している現在とは違い、当時の移動手段は船や陸路に限られただろう。官営工場であれば、そういう移動費はすべて国が負担しなければならない。
上の(1)〜(5)の条件は、「労働力の確保」「製品の流通」という最重要条件をまるで無視している。なのに、敢えて富岡にこんな大層な工場を建てた明治政府の意図は何だったのか。

実際に工場を見て、非常に違和感を感じたことがある。
設備投資に金をかけ過ぎなのだ。当時の最先端技術を注ぎ込み、フランスの技術者を雇い入れ、必要な機材をバンバン輸入している。工場の機械すべてを動かすエンジンも、当時の日本では作れない代物なので、フランスからはるばる輸入している。

工場の機械だけでなく、工場の建物そのものの建築様式も当時の最先端技術を使っている。当時は電力ではなく石炭による蒸気で機械を稼働させていたので、建物内には照明がない。そのため自然光を効率よく採り込んで明るい視界を確保するため、建物の窓の向きや大きさまで緻密に計算されて作られている。実際に見学してみると、電気の照明がなくてもかなり明るい。


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超絶気合を入れて作った工場。


日本の建物は木造なので、柱を中心として梁をめぐらせる工法が一般的だが、工場ではそれができない。体育館のように柱のないフラットな空間が必要となる。しかもコンクリートが普及していない時代なので、木造の骨組にレンガを使う、という和洋折衷の建築にならざるを得ない。当時、そこまでの建築技法は日本になかったため、当時の技術者は富岡製糸場を建築するために新しい工法をわざわざ編み出した。

施設を見学しながら、「設備投資や工場建築に必要な予算」と「実際に生糸によって得られる利益」をフェルミ推定してみた。iPhoneの電卓をはじいてみたところ、どうしても赤字になる。しかも、かなりの赤字だ。維持費を含めると、相当の出費がかさむことになる。「殖産興業」どころの話ではない。こんな赤字工場を、金に糸目をつけずに作った明治政府の意図は何だったのか。

富岡製糸場で働く工女は期限制で、そこで働く期間は「3年間」と定められていた。3年もみっちりと最新設備で働けば、生糸を精製する技術が身に付く。3年というのは、ずぶの素人が一等工女の資格を得るための平均的な年数だったようだ。
富岡製糸場で一等工女の資格を得た工女たちは、全国の生糸工場に散って現地で製糸技術を指導した。それが全国各地津々浦々に伝播し、日本の軽工業全体のレベル向上に貢献した。

つまり富岡製糸場は、それ自体が製造工場というよりも、製糸技術を身につけるための学校だったのだ。そこで生産する生糸そのものが目的だったのではなく、全国に派遣するための熟練工を養成することが第一の目的だった。だからこそ明治政府は、金に糸目をつけずに最新設備・最新技術を結集させた。もし仮に富岡製糸場が「利益を第一とする生産工場」であれば、この採算度外視の方針は矛盾している。

実際に富岡製糸場を見学して驚くのは、当時使っていた施設や機材が見事に保存されていることだ。この保存状態の良さは、ユネスコが世界遺産として認定したときの理由のひとつとなっている。
富岡製糸場は1987年(昭和62年)に操業を停止し、2014年(平成26年)に世界遺産に認定されている。その間、実に27年にわたって、地元の人達は富岡製糸場を保存し続けた。

保存するとは言っても、年間の維持費は莫大な額になるだろう。富岡製糸場を払い下げられた民間の片倉工業は、「売らない、貸さない、壊さない」を方針とし、頑に維持と管理を徹底した。固定資産税だけで年間2000万円は下らない。その他、建物の補修、機械の維持など、もろもろ合わせると、維持費はおそらく年間1億円は超えるはずだ。

操業停止の頃は、まだ「世界遺産への登録」という動機付けはなかったと思う。世界遺産という制度そのものは1972年に始まっているが、日本初めての世界遺産(法隆寺、姫路城、屋久島、白神山地)が登録されたのは1993年、富岡製糸場が操業停止してから6年も後だ。世界遺産に登録されるまで間、地元の人は富岡製糸場を潰して他の用地として転用することはなかった。

僕の勘だが、明治政府が富岡を製糸場建設地として選んだ本当の理由は、そこにあったのではあるまいか。
街中を見てすぐ分かる通り、富岡市には製糸場以外には何もない。他に特筆するべき産業もなければ、景気のよい企業もない。また北関東地域の特性として保守的で、内陸的な風土から「革新」よりも「保守継続」を重んじる。

富岡製糸場の本当の機能が、製品製造よりも教育的機能にあるのだとしたら、最も重要な立地条件は何か。
学校教育に必要な条件は「継続性」だ。時代の変遷によってコロコロ変わるのではなく、深くどっしりした方針に従って脈々と教えを受け継ぐ。教える内容だけでなく、ハードとしての「学校」という施設そのものに、長期にわたる継続性が必要となる。

富岡には製糸場しかないから、製糸場を潰してしまえば何もなくなる。地元の人は保守的だから、一旦製糸場の存在意義を浸透させ「町の誇り」にしてしまえば、簡単には潰されない。
明治政府は、教育機関としての製糸場を永続させる」という条件を満たす場所として、富岡を選んだのではあるまいか。

明治政府は、工場設立から20年ほど経った1893年には、早くも富岡製糸場を民間に払い下げている。115年も続いた工場を最初の20年で払い下げるのは、どう考えても早過ぎる。 儲かる工場だったら、政府がそんなに簡単に手放すはずがない。これは明治政府が製糸工場が赤字操業になることが最初から分かっており、その「学校機能」を保持したまま工場を存続させることが第一の重要事項と考えたからだろう。

とはいえ、正直に「富岡には何もないから、最先端の工場を、簡単には潰すまい」とは言えない。だから「まわりに桑畑がある」「水が確保できる」「石炭が手に入る」などという、もっともらしい理由を後付けで考えたのではないか。
それらの理由がまったくのでっちあげとは言わない。それぞれ、半分くらいは当たっているだろう。しかし本当の理由は、工場としての採算を度外視しても、教育機関としての製糸場を永続させることではなかったか。

教育というのは、「役に立たないことを延々と続ける」という側面がある。当時の殖産興業の時風では、利益第一を求めるあまり「赤字なら潰してしまえ」「役に立たないなら取りやめろ」という意見が強かっただろう。明治政府は、そういう「効率化」から産業の育成を隔絶し、じっくりと時間をかけて産業を担う人材を育成すべく、地域的に遠い富岡に官営工場を作ったのだと思う。富岡は「地域的に隔絶しているのに工場が作られた」のではなく、「地域的に隔絶しているから工場が作られた」のではないか。

明治政府の見識の正しさは、現在も良好な保存状態で富岡製糸場が現存している、という事実が証明している。日本全国の至るところの市町村が、ここまで維持費のかかる工場を保存し切れたとは思えない。「富岡だから、ここまで保存できた」という側面は大きかろう。

歴史を知ろうとするときには、表面的な事実だけでなく、「そもそも、何を意図して成されたのか」というところまで掘り下げないと、なかなか本当の姿が見えてこないことがある。富岡製糸場は、そういった事例のひとつではあるまいか。

富岡製糸場のうち操糸場と置繭所は国宝に指定されているが、指定されたのは世界遺産に登録された後だ。文化庁は、ユネスコの評価に遅れをとったことになる。富岡製糸場は運良く保存状態が良かったが、遅きに失する文化財が有り得ることになる。しっかり仕事してほしい。




korokke

製糸場近くのお肉屋さん。
揚げたてのコロッケとカレーパンをいただきました。 



世界遺産に指定されてから維持予算が増えた観がありました。
ペンギン命

takutsubu

ここでもつぶやき
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