たくろふのつぶやき

夏は夜。月の頃は更也。

屏風絵の企み

神戸市の香雪美術館に、不思議な屏風絵がある。



レパント海戦



この屏風は、1571年にスペイン王室とオスマン・トルコ帝国が戦った「レパントの海戦」を描いている。
屏風左側の馬車上にはスペイン君主が描かれ「ろうまの王(ローマの王)」と注記してある。屏風の右側はオスマン・トルコ側が描かれており、トルコの外観を象徴するものとして灯台が描かれ、「つうるこ(トルコ)」と注記がある。トルコであることが分かりやすいように、象に乗った兵士まで描かれている。

これが「不思議」な屏風絵なのは、不可解なことが多いからだ。
まず、なぜに日本で描かれた屏風絵の題材が、レパントの海戦なのか。「レパントの海戦」は、大体の世界史の教科書に載ってはいるが、それほど必須の知識というわけではない。世界史を学んだことのある学生さんだって「知らんなぁ」という程度ではないか。歴史の知識としては、Bマイナスくらいの重要度だろう。なぜ戦国時代末期のご時世に、そんな遠い彼方のヨーロッパ世界の戦争が絵の題材になるのか。

さらに、描かれている状況がおかしい。
読んで字のごとく、レパントの海戦というのは、船で戦われた海戦だ。領土拡張を進めるオスマン・トルコが西進し、キリスト教文化圏まで範囲を伸ばした。その端緒としてキプロスがトルコの手に落ちる。それに危機感を抱いたローマ教皇が、スペイン王国の手を借りて、ギリシアのイオニア海でオスマン・トルコ軍と戦った。

しかし、屏風絵ではなぜかこの戦いが陸戦として描かれている。一応、帆船も描かれているものの、ここで描かれている帆船は軍事用の船ではなく、貿易用の商業帆船だ。軍事史的にはレパントの海戦は、ガレー船が使われた最後の海戦として知られている。しかし屏風絵のなかの船の描写は、その事実を反映していない。

さらに、トルコっぽさを出そうとして描かれた灯台の風景もおかしい。この戦場はギリシアなのだから、トルコの沿岸の景色を描いた絵は状況を正しく表していない。
絵の中のトルコ兵は、ご丁寧に象を乗り回して攻撃を仕掛けているが、もともと海戦に象を連れて行くような間抜けな軍はないだろう。

こうしてよく見ていると、この屏風絵が、何のために、どうやって描かれたのか、疑問を感じることがたくさんある。
わざわざ屏風絵に描いてまで、この戦争を後世に広め伝えようとした制作者の意図は、どこにあったのか。


世界史的な知識としては、レパントの海戦の意義は、オスマン・トルコ側ではなくヨーロッパ世界側にある。戦争の結果として、スペインが勝ち、オスマン・トルコが負けた。領土拡張の野心が高いオスマン・トルコのヨーロッパ進出政策はここで頓挫し、両勢力が拮抗する軍事境界線がある程度確立した。

しかしこの敗戦は、オスマン・トルコにとってそれほど打撃だったわけではなく、この海戦以後もトルコは地理的要衝を占める国として依然、勢力を保ち続けた。ロシアの南下政策やヨーロッパ諸国の近代化によってトルコが相対的に弱体し、オスマン・トルコが革命によって崩壊するのは、第一次世界大戦後のことだ。260年続いた徳川幕府は大したものだが、閉鎖された島国と違い、地理的にも周囲に囲まれた環境にありながら、オスマン・トルコは約620年の長きにわたりイスラム圏を統括し続けた。

むしろ、「イスラム勢力を撃退した」という功を上げたスペイン王国が、その名を轟かせるきっかけとなった。スペイン絶対王政を表す言葉として「無敵艦隊」という用語がよく知られているが、そのイメージはすべてこのレパントの海戦の勝利がきっかけとなっている。無敵艦隊というのは、「誰に対して無敵なのか」というと、それは「イスラム勢力に対して」である。イスラム勢力を追い払ったスペイン強し。イスラム勢力を駆逐した艦隊強し。そういうプライドが、「無敵艦隊」という言葉になって今に残っている。

翻って当時の日本の状況を考えてみると、スペインはこの頃、東南アジアをはじめとする地域の植民地化に熱心だった。スペインがもし当時、日本に接触することがあったとしたら、その目的は明らかに「植民地化」だろう。
その目的のためにスペインがとる方法はいつも決まっている。先に偵察隊として、カトリック宣教師を送り込み、現地の様子や人の性質を報告させる。

当時のヨーロッパは絶対王政の時代で、各王室は植民地の開拓に躍起になっていた。その目的は胡椒や銀の輸入だったから、産地であるアジアがよく狙われた。時代が下って、産業革命後の帝国主義時代になると、植民地は「物産の調達地」から「商品を売り込む市場」として利用価値が変わるが、それでも経済力が高かったアジア諸国が狙われたことに変わりはない。

当時、アジアに進出していたヨーロッパ諸国は、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルなどがひしめいていたが、江戸時代、鎖国を敷いた江戸幕府は、唯一貿易の相手としてオランダを選んでいる。これは徳川幕府が当時の世界情勢を正しく把握していたことを示している。植民地を広げる野望が強いイギリス、スペインなどに比べ、もともと母国の王制が盤石ではなく、軍事力がそれほど強力ではなく、もともと貿易によって国の体制を維持していたオランダは、平和的な貿易相手としては理想的だっただろう。もしこれがスペイン相手だったら、皆殺しにされたインカ帝国のようになっただろうし、イギリス相手だったら、市場として搾取されまくったインドや、アヘン漬けにされた挙句に戦争を吹っかけられた清のようになっただろう。

問題の屏風は、小西行長、黒田孝高らの依頼で作成されている。共にキリシタン大名だ。日本にキリスト教を伝えたのはカトリックのイエズス会だから、当時の日本のキリスト教の布教は、カトリックであるスペイン王国が後ろで糸を引いていると考えて間違いない。日本にキリスト教を伝えたザビエルは、スペインの一地方であるバスク地方の出身だ。

すると、この屏風が作られた意図が見えてくる。つまり、布教の権威付けのために、スペインが勢力を誇示するために描かれたのではないか。「いまヨーロッパでは、われわれスペインが覇を握っていますよ」ということを誇示するためのものだ、と考えて間違いなかろう。
単にスペイン王室の繁栄を誇示したいだけなら、別に宮廷の建築画であっても構わないはずだ。それをわざわざ、トルコを破った戦争の絵を題材にした、ということは、「逆らうとお前らもこうなるぞ」という威嚇と考えられる。

おそらく、小西行長や黒田孝高らは、純粋にキリスト教布教のために宣教師に協力する形でこの屏風絵を作成させたのだと思う。しかし、残念ながら彼らは頭が悪かった。スペイン王室の意図を正しく理解することなく、宗教的で崇高な使命感で操られ、宣教師に言われるままに利用され、この屏風を作ったのだろう。限られた情報源からでも対外情勢を正確に把握していた徳川幕府とは、現状認識能力に雲泥の差がある。彼らもろとも豊臣一派が滅んだのは、歴史の流れで見る限り、日本にとっては幸運だった面があるだろう。

そう考えると、なぜこの屏風が史実通りの海戦ではなく、陸戦として描かれたのかがなんとなく分かる。戦国時代には幾多の戦乱が発生したが、そのほとんどは陸戦だ。日本で海戦といえば、壇ノ浦の戦い、文永・弘安の役くらいのもので、それとて地中海の覇権を賭したレパントの海戦とは、規模が全く異なる。

つまり、「植民地化の下地としてスペインの軍事力を誇示する」という目的のためには、史実通りに海戦を描いても、当時の日本人にはあまりピンとこなかったのではあるまいか。戦国時代の戦争に慣れた日本人は、どうしても軍の戦力を、歩兵の数と武器の数で推し量る。海戦をそのまま描くと、どうしても船団の量を描くことに力点が置かれ、そうした「目に見える戦力」を描きにくい。

プロパガンダや広告のような媒体は、事実を描くことよりも、「受け手の目にどう写るか」によって、表現の方法が違ってくる。それはとりもなおさず、表現の仕方をよく検証することで、情報の発信元が意図していることが推測できる、ということでもある。この屏風の描かれ方からその意図を推察し、その目論見が失敗に終わったことから考えると、日本人というのは当時から、芸術的な審美眼の他に、冷静に事実を推察する思考力が備わっていたことが分かる。



ダイエットのCMを見るたびに狙い打ちする顧客層が想像できて面白い。

なぜ女性の日記が1000年も残るのか

夏の読書は古典に限りますな。


古典というのは、主語が省略されたり場面が不明瞭だったり、情報が不足気味の文章がつらつらと並んでおり、きちんと読み解こうとすると非常に苦労する。
しかし、夏の暑い日に、だれた頭でなんとなくだらだらと読むと、この「いいかげんさ」が非常にちょうどいい。

日本の平安時代前後に書かれたもののうち現存しているものは、大抵、女性が書いたものだ。随筆、日記、物語など、ほとんどが女性の手による。
ひとつには、当時そういう物書きが専業の職種として成立していなかった、ということがある。当時書かれたもののうち男性の手に拠るものは、ほとんどがお上の命によって編纂された、政治的事業の側面がある。随筆や日記などのように「なんとなく書いたもの」は、当時の男性の書くものではない。

そう考えるにしても、もうひとつ疑問がある。日記や随筆というきわめて個人的な書き物が、なぜ1000年の長きにわたって読み継がれるのだろうか。
現在でも芸能人やらアイドルやらの日記やBlog, SNSの記事が広く読まれているが、まぁ、たいして面白いものではない。当人の熱心なファンでもなければ、なんの価値もない文章だろう。ましてや、1000年後にも残っている文章かというと、そんなことは決してない。
では、平安時代の女性の日記が、時代を超えて読み継がれているのは、なぜなのか。

この時代の日記ものを読み返してみると、全然面白くない。少なくとも、1000年の長きに渡って広く長く読み継がれるべきほどのもには見えない。
平安三大日記と目される「枕草子(=清少納言日記)」「紫式部日記」「和泉式部日記」を読んでみると、「瓜に子供の顔を描いてみたらチョーかわいい」だの、「蜘蛛の巣に朝露がかかっているとなんかイイ」だの、他愛もないことばかり書いてある。日記だから別に書きたいことを書けばいいのだが、その手の他愛ない内容が1000年も読み継がれる理由とは思えない。

現存している日記ものの共通点は、「宮中に使える女房が書いたもの」ということだ。要するに一般市民の下々の生活実感ではなく、宮中という上流階級の生活が余すところなく書かれている。現在の視点では、むしろ前者のほうが歴史学的価値が高いと思うのだが、そういう市井の人々はまだ識字率の点でも道具の点でも記録を残せる環境にはなかっただろう。

たとえば「和泉式部日記」には、次のような記述がある。

かくて二三日音もせさせたまはず。頼もしげにのたまはせしことも、いかになるぬるにかと思ひつづくるに、いも寝られず。目もさまして寝たるに、拠るやうやうふけぬらむかしと思ふに、門をうちたたく。あなおぼえなと思へど、問はすれば、宮の御文なりけり。思ひがけぬほどなるを、「心や行きて」とあはれにおぼえて、妻戸押し開けてみれば、

見るや君さ夜うちふけて山の端にくまなくすめる秋の夜の月

うちながめられて、つねよりもあはれにおぼゆ。門も開けねば、御使待ち遠にや思ふらむとて、御返し

ふけぬらむと思ふものから寝られねどなかなかなれば月はしも見ず

とあるを、おしたがへたる心地して「なほくちをしくはあらずかし。いかで近くて、かかるはかなし言も言はせて聞かむ」とおぼし立つ


(口語訳)
こうして、宮様は二、三日お便りもくださらない。頼もしいことをおっしゃっていたのも、どうなってしまったのだろうかと思い続けると、眠ることもできない。目を覚まして横になっていると、夜もだんだん更けてしまったのだろうよと思っているときに、誰かが門を叩いている。誰だか見当もつかないけれど、家のものに応対させると、宮からのお手紙であった。思いがけないタイミングに「心が通じたのかしら」としみじみ嬉しく思われて、妻戸を開けて手紙を読んでみると

見ているかね、あなたは。夜も更けて山の端近くに曇りもなく澄んでいる秋の夜の月を

すると自然に月をぼんやりと見やってしまい、いつもよりもしみじみと感じられる。門を開けないままだったのでお使いの物が待ち遠しく思っているだろうな、と思って、ご返事に

夜も更けてしまいつつ眠れないでいたけれど、月を眺めるとかえって物思いがするので、あえて月は見ていません

と読んだのを、宮は意表をつかれた思いがして、「やはりすばらしい女だ。なんとかして彼女を近くに置いて、このようなたわいない和歌を詠ませて聞きたいものだ」と決心なさった。


宮(=天皇)から夜にラブレターをもらって、こんなお便りをしたら気に入られちゃいましたよ、という自慢話。宮の手紙には「月が奇麗ですね」。これは我が日本では古来の昔より「まるであなたのようです」と相手の美貌を褒める際の常套手段だ。夜の会話に「月」が入ってきた時点で、すでに会話の意図は口説きと断じてよい。

それに対して作者の和泉式部は、わざと逆の内容の「月なんて見ていません」と返事をする。そのこころは「見るとあなたを想ってしまうから」。
その結果、宮は「なんとすばらしい女だ」と感心し、この女を手に入れたいものだ、と気が引かれてしまう。

凄いのは、和泉式部が「こういうことを言ったら、宮様が私のことを『すばらしい女だ』と思ったのですよオホホホホ」と自分で書いていることだ。しかも相手は天皇だ。天皇に見初められた、ということは、つまり和泉式部にまつわる一族郎党すべての栄華繁栄を意味する。

つまり、当時の女性作者の筆による日記物語は、すべて「こういうことを言ったら、誰々にとても気に入られましたの」的な、時の権力者に寵愛されたことの自慢合戦なのだ。
清少納言の「枕草子」は、終始一貫して中宮定子に褒められた自慢で埋め尽くされている。定子が香炉峰の雪に擬えて問いかけをしても誰も理解できなかったのに、清少納言ひとりがその意図を察して御簾を上げたら「さすが頭が良い」と褒められた、のような自慢話を得意げに書き連ねている。

一方、根暗で地味で内向的で、壁に向かって独りごとを言う癖がある紫式部は、明るくて開放的な清少納言を徹底的にこき下ろして批判している。しかしそういう紫式部も、中宮彰子に気に入られた話が中心となっており、「ま、こういうことを書くと自慢話になってしまいますけれど」と断りつつも、その自慢話を延々と並べている。

しかし、清少納言や紫式部などは、自慢の原因がしょせん中宮だから、まだ可愛げがある。これが和泉式部になると「わたくし天皇に気に入られちゃいましたのオホホホホ」となる。当時としては大した自慢だ。しかも自分の筆ながら「ワタクシのこういう所に宮様は夢中になってしまいましたの」のようなことを、臆面もなく書き連ねている。
さすがにこうした描写は第三者的な筆によるものではないか、という憶測から、「和泉式部日記」の実際の作者は本人以外のゴーストライターだったのではないか、という説もある。しかし本人の筆によるものでなくとも、そうした内容が広く読み継がれ、1000年もの時代の評価に耐え続けてきた事実に変わりはない。

つまり、当時の女性作家による日記や随筆は、当時の読者にとって「こういう振る舞いをすれば、たとえ天皇でも虜にできますよ」というハウツー本のような役割を果たしていたのではないか。当時、藤原一族による摂関政治が全盛で、その権力の礎は、何よりも当時の天皇に自分の娘を差し出すことにあった。自分の娘が天皇に気に入られるかどうかが、一族の権力を左右する。そういう世の中にあって、その気に入られっぷりを披露する日記物は、権力を欲する政治家、宮中の生活を羨む下級役人、煌びやかな世界に憧れる一般女性など、多くの層にとって必読の書だったのではないか。

過去でも現在でも、他人の日記というものは、読んでみたい欲求が高い割には、実際に読んでみてもつまらないものだ。「なんだ、こんな程度のことか」という、たわいもない内容が多い。日記というのは基本的に人に読ませるためのものではないのだから、それはそれで一向に構わない。
しかし、平安時代に書かれた日記や随筆を読むと、明らかに他人に自慢したい意識で書かれた文章に読める。意図的に、人に読ませることを前提に書かれているような気がする。時の女房共が大挙して日記や随筆を書き残しているところから考えて、そういう行為を推奨した、何らかの政治的背景を感じてしまう。



僕の日記はトドちゃんが登場する絵日記ですが。

「紳士たれ」がモットーの読売巨人軍のエースをご覧ください

紳士たる巨人軍の大エース様



巨人ベンチ凍りついた…菅野初めてのブチ切れ

巨人は28日の広島戦(京セラドーム)に0―4で完敗。負けが許されない首位との直接対決を落とし、ゲーム差は再び10へと広がった。先発したエース・菅野智之(26)は7回3安打2失点とゲームをつくったが、またしても打線の援護に恵まれず5敗目(6勝)。試合中に怒りをあらわにするなど大荒れで、チームに暗い影を落とした。  

いつもは冷静沈着な菅野が珍しくブチ切れた。テンポのいい投球で会沢、福井から連続三振を奪った直後の3回二死。田中に真ん中に入ったスライダーを痛打され、右翼スタンドへの先制ソロを浴びた。負けられない一戦で、東海大相模―東海大時代の同期に許した一発がよほど悔しかったのだろう。3回を終えてベンチに戻ってくると、その場でグラブを思いっ切り叩きつけた。これまで菅野は伯父の原辰徳前監督から「エースたるもの試合中、喜怒哀楽をあらわにしてはいけない」と教え込まれていた。それだけに「禁」を初めて破った格好だ。このエースの“初ブチ切れ”によって巨人ベンチの空気が一瞬で凍りついたのは言うまでもない。  

この日の打線は散発6安打で無得点。好投するエースを打線が見殺しにするシーンは今季何度も繰り返されてきた。菅野の防御率はリーグ唯一の1点台(1.69)ながら、6勝5敗という成績は気の毒すぎる。野手陣が「自分たちが打てないから、ブチ切れてしまったのかもしれない」と思ったとしても不思議はない。  

さらに7回を投げ終えて交代した直後には、菅野はベンチの端で鬼の形相のまま一点を見つめていた。そんなエースを気遣うかのようにナインや首脳陣が一斉に反対側へと集まる異様なシーンも見られた。周囲からは「このままでは菅野の我慢も限界に達してしまうかも…」と不安の声が出始めている。  

田中に6回にもソロを浴び、プロ入り初めて同じ打者に1試合で2被弾した菅野は「広島とやる時はアイツにだけは打たれたくないと思ってやっている。正直悔しい。来週(8月5~7日に敵地3連戦)でやり返したい」と努めて冷静にコメント。由伸監督はエースの2被弾について「そこが菅野にとってもったいなかった。それ以外は良かったが…」と評した。  

いずれにせよ「メークドラマ」の再現を狙う巨人にとっては、取り返しのつかない1敗となったのは間違いない。


大エース様がこういう振る舞いをした、というだけではなく、監督、コーチをはじめとする首脳陣が誰もこの行為を咎めなかった、ということからして、巨人がこの行為を容認していることは明白ですね。

野球少年の皆様におかれましては、嫌なことがあったら道具に八つ当たりして、怒られたら「だって菅野もやってたよ」「巨人では誰も怒ってなかったよ」と堂々と主張しましょう。



追い込まれた時の人格が、その人の本当の人格。

フランス文学者

毎日新聞「余録」
2016年7月26日

仏文学者で昆虫好きとして名高い奥本大三郎さんは、小学校2年生から約3年間、股関節カリエスで寝たきりの暮らしを強いられた。そんななかでも窓辺に花の鉢を置き、蜜を吸いに来る虫をベッドから網を伸ばして捕らえていたという

回復後は鉄と革製のコルセットをつけたまま昆虫採集に熱中、6年生の夏休み明けにためていた標本箱を学校に持っていく。しかし級友や先生には足の悪い奥本少年にこんな立派な標本ができるはずがないと白い目で見られてしまった(柏原精一(かしわばらせいいち)著「昆虫少年記」)

その昔は学校の夏休みの課題といえば昆虫採集だった。だが、今や「気持ちが悪い」の声で学習ノートの表紙から昆虫の写真が一時消滅する時代である。とはいえ今も、野山に虫を追い、捕らえて標本にしたり、強いカブトムシを育てたりする昆虫少年も健在である

人には生き物を集め、仕分けし、育てる習癖があるようだ。どうやらその欲求を現実と仮想世界が融合したスマホの画面で満たそうというポケモンGOらしい。米国では国内で発見できる全モンスターを捕獲したという男性の話をCNNが伝えるありさまだ

日本でも車のながら運転の事故や検挙者が出て、高速道路への侵入者もあった。運転は論外で、弱者を巻き込む歩きスマホ禍や、熱中する子どもの事故もやはり心配だ。往年の虫捕り少年には大人も子どもも入り乱れて捕虫網を手に町をうろうろする様が思い浮かぶ

昆虫採集の夏休みから世上騒然の仮想モンスター集めの夏へ。時代は様変わりしたが、休み明けにそろう子どもらの元気な笑顔は昔も今もかけがえがない。



僕が大学時代にフランス語を習った先生。懐かしいなぁ。
授業シラバスが白紙だったり、演習中にフランス産のワインを飲ませてくれたり、一風変わった先生だったけど、すごく実力があって話が面白い先生だった。

「昆虫好き」なんて紹介してあるけど、この先生、日本昆虫協会の会長だったんだけど。



自分の熱中していることをすごく楽しそうに話す先生だった。

大人の勉強のしかた

文房具が趣味で、いろいろと試してみては使っている。


文房具が趣味、という人が行き着く先は、万年筆だ。
まさしく「キング・オブ・文房具」。値段と価値が比例する、珍しい商品だと思う。高価な万年筆ともなれば、まさしくクラフトマンシップの結晶。その書き心地は素晴らしい。

趣味に昂じる人の陥りやすい罠は、「単なるコレクター」になってしまうことだ。万年筆が趣味、という人でも、その実は単なる万年筆コレクター、という人は珍しくない。
人は誰でも、子供の頃から何かを集めることを趣味にしたことがあるだろう。そして、本人は熱中しているつもりでも、たまにふっと「集めること自体が目的化していること」の空しさを感じたことがあると思う。

僕は経験上、そういう陥穽に嵌らないための、自分なりの方法を持っている。
つまり、「その分野の最高のものを持つこと」。

「欲しい」という欲求は、つまるところ「満たされていない」という感情が原因だ。だから一番欲しいものを手にしてしまえば、それ以上欲しいものはなくなる。
僕はそれを直感的に悟って、まだ学生の頃に世界最高の万年筆を買った。これを買うために、1年くらいせっせとバイトをしてお金を貯めた。
このご加護かどうか知らないが、今でも僕は「要らないのに、単に集めるためだけに欲しい」ということがまったくない。

今でも僕は、自分の勉強をする時には万年筆を使っている。気に入っている道具を使うのが楽しい、ということもあるが、もっと実際的な理由がある。
子供の頃から体育会系だった僕は、筆圧が強い。シャープペンや油性ボールペンを使っていると、筆圧の強さが筆記の疲れに直結し、わずかな勉強量で疲れてしまう。頭の疲れではなく、手首の筋力的な疲れなのだが、子供の頃にはそれを大雑把に「勉強疲れ」と認識してしまっていた。
万年筆を使うと、力を入れなくても、わずかな筆圧でくっきりと字が書ける。長時間書き続けていても、全然疲れない。万年筆を使うことの利点には、そのような勉強疲れを軽減する効果があるだろう。


話はまったく変わるのだが、大学で教えていると、よく学生から「こんな分野を勉強していて、いったい何の役に立つんですか」と訊かれることがある。
また文部科学省は教育の根本理念として、馬鹿の一つ覚えのように「生涯教育」「生きる指針」というお題目を掲げている。

両者とも、言葉だけがひとり歩きして、その実体には誰も踏み込もうとしない、不思議な現象だ。
学生は誰でも、勉強はしなければならないものだと分かっている。分かった上で、「なぜ自分が」その分野を勉強しなければならないのか、と文句を言っている。また、目先のものしか見えない視野狭窄に陥って、短期的に成果の上がるものにしか優先的な価値を見いだせなくなっている。
一般社会人にしても、一生勉強を続けるほうが「豊かで実りある生活」を送れることなど、よく分かっている。分かってはいるが、週末や休日には、ゆっくり寝てテレビを見て酒を飲むほうが、優先順が先になる。生涯教育を続けるほど、自分の中に「学ぶ土台」が出来上がっていない。

あまり知られていないことだが、大学というものは生涯教育のための市民講座や夜間授業を頻繁に開催している。僕が勤務している大学も、社会人対象の公開講座を無料で開講している。昨今では大学というものの存在意義が大きく変わっており、大学は学生相手だけではなく、一般市民の知への貢献度も評価の対象となるご時世なのだそうだ。
それ自体はいいことだと思うのだが、開講されている講座の内容や、受講しているお客さんの層を見る限り、僕はあまり建前を具現化しているような試みには見えない。誰でも、大学で開講する講座に飛び込むのは、勇気のいることだろう。なにか難しそうな内容を、必死に勉強しなければならない、というイメージで公開講座を見ている人が多いような気がする。

だいたいそういう市民講座は、教える側も、大学事務局から頼まれて嫌々引き受けているケースが多い。だから手加減なしの授業を行う。「これくらいのことは分かっているでしょ」という前提知識のもとに、大学とはこのような場所でございます、とばかりに最先端の内容を講義する。こんな講座の開き方で、一般市民の生涯教育が啓発できるとは、とても思えない。
つまるところ、大学の公開講座というものは、「10の知識を100にする」という感じで行われている。僕が考えるに、本当に必要なのは「0の知識を1にする」ことの必要性と方法論を教えることではあるまいか。

大きな本屋さんに行くと、最近は社会人向けの「やりなおし学習」のための本がよく売っている。数学、歴史、理科、政治経済などの「学校で習ってはいたけど、もう一度勉強し直したい」という分野を、やさしく解説している本だ。
僕もそういう本をよく読むが、その手の本を読んで、改めて勉強が好きになる社会人はいないと思う。そういう本の共通点は、要するに「その分野を分かりやすく解説している」だけの、ただの教科書なのだ。自身が中学・高校時代に使っていた教科書と、構成も内容も何も変わらない。むしろ内容が簡単になった分だけ、その質は薄っぺらくなっている。

そういう本の前提として、「学ぶ側が何かの必要性に駆られて必死で勉強するはずだ」という思い込みがあるような気がする。必要があるから勉強し直すのであって、純粋に楽しむために勉強をするようには編集されていない。ああいう本を読んで「なるほど数学は楽しいな」と感じたとしたら、それはまるで使いもしない万年筆をずらっと買い揃え、悦に入っているような趣味と、たいして変わらないのではあるまいか。本人は「楽しい」と思い込んでいるのだろうが、それは本当に優れた逸品を鑑賞し、その価値を味わう姿勢なのだろうか。

大人の趣味が子供と違う点は、「それを使って何をするのか」以前に、「そのモノ自体に価値を見いだす」という、視点の違いだと思う。
子供のおもちゃというものは、それを使って「何かができる」ように作られている。おもちゃを渡されたら、子供はそれがどんなものであろうと、それを使って「何か」をするように行動する。それは勉強するときの態度にも反映され、ある分野を勉強する時には「それを学んだら、何ができるようになるのか」という、具体的な成果を欲しがる。

一方、大人の視点では、それを使うことに興味はなく、そのモノ自体を鑑賞することに意義がある。だから実利的には全く価値のない、盆栽や切手などを収集することで十分に楽しめる。本来は筆記用具である万年筆をやたらに集めるコレクターも、それと同じような心情だろう。100本の万年筆を集めている人に、「で、この万年筆で一体何を書くんですか?」と訊くのは、大人の趣味・嗜好を理解しているとは言えない。

大人の趣味がそのようなものである以上、社会人になってからの勉強の仕方というのも、それに沿ったもののほうが啓発の余地が大きいのではないかと思う。
別に入学試験のために勉強するのではないのだから、大人にとっては学んだ知識が何の役に立たなくても、別に知ったこっちゃないのだ。知識の価値それ自体を楽しみ、自分の知の体系を「作り込む」ような学びの方法を教えるほうが、大人にとっては楽しめる勉強の仕方だと思うのだ。

たとえば、「役に立たない分野」の最高峰と目されやすい数学。
誰でも、ax2+bx+c=0 (a,b,cは0でない数)の2解が、

解の公式


であることを「知っている」。
しかし、なぜ2解がそのような数になるのか説明できる人は、あまりいないだろう。

学校で二次方程式を習う時には、具体的に「答え」を出さないとテストで点をもらえない。だからこの方程式を解き、具体的な2解を出すことが「絶対的な目標」になる。
こういう価値観で勉強をしていれば、次なる疑問として「で、この答えを出したところで、それが何に使えるの?」となるのは自明だろう。「その知識を使って、一体何ができるのか」という姿勢が、学習の基本指針になってしまう。「数学が得意な人」というのは、入試問題に代表されるような「他人に出された問題の、正解を出せる人」という学力観が、支配的だと思う。

実際のところ、二次方程式の解の公式は、平方完成すれば簡単に導ける。それまで自分が「覚えている」だけだった知識に、「どうしてそうなっているのか」という原理原則を理解することが、本当の「勉強」だと思う。その知識が何の役に立つかなど知ったこっちゃない。「なるほど、そうなっているのか」という知的興奮を求めることが、大人の勉強の仕方ではないか。

前の項に一定の数を掛けた数列のことを、等比数列という。初項をa, 公比をrとすると、等比数列は

a, ar, ar2、ar3, …, arn-1

と表せる。

このa1からanまでを全部足した等比数列の和Snは、

等比数列の和

として求められる。学校の数学では、これを公式として「覚えろ」と言われることが多い。
では、等比数列の和は、なぜこの公式で求められるのか。

等比数列の和の公式は、別に根性で暗記しなくても、簡単に求められる。
Snのほかに、公比を一回掛けたrSnというものを用意し、後者から前者を引き算すれば、初項と末項以外の、間にある項はすべて全滅して求められる。
ただ覚えているだけだった知識に、「なぜ、そうなっているのか」という原理原則から始めて、自ら知を形作る方法論こそが、勉強の本当の面白さなのではあるまいか。

市販されている「やりなおし数学」があまり面白くない理由は、そこのところの面白さを啓発するように書かれていないからだ。社会人対象のやりなおし教科書でも、その目標とするところが、学生時代に教室で叩き込まれていた勉強と、まったく同じなのだ。そんな勉強に対しては、学生時代と同じ感情を抱いてしまうのも無理はない。

僕は個人的に、大人になってから数学を勉強し直す際には、学生時代に暗記させられていた公式を全部証明していくだけで、十分に楽しめると思う。
万年筆を楽しむときには、「それで何を書くのか」は問題にならない。万年筆という道具自体を楽しみ、その構造や精密性を味わうだけで、十分楽しめる。それと同様に、数学の知識を使って何をするかなど知ったこっちゃなく、既存の知識のしくみを知り、その精巧さに驚嘆する、というのは、思いがけないほど「凄いこと」なのだ。

別にそれは数学に限ったことではない。歴史を勉強する際にも、学生時代の呪縛から外れて、知識を精密化し再構築していけば、十分に楽しい。
例えば、誰でも「幕府」という用語を知っている。しかし、本当に幕府が何であるのかを知っている人は、思いのほか少ない。たとえば、「いま自分で幕府を作ろうと思ったら、必要なことは何か」という問いに答えれる大人は、あまりいないだろう。

幕府というのは、もともと征夷大将軍に与えられた行政権を指す。京都におわします天皇から遠く離れた「夷人」を征伐する際に、その責任者である頭領に全権を与えたのが始まりだ。京都から遠くなればなるほど、夷人を征伐するためには、様々な事業が必要になる。前衛基地としての都市を作る必要もあろうし、膨大な人員を統括するための立法機能も必要になる。そういうときにいちいち京都にお伺いを立てていたのでは小回りが効かないから、「必要なことは全部そっちで勝手に決めてくれ」という全権委任が、幕府の前段階となる概念だ。

時代が下って武家政権の世の中になると、いっそのこと国の政治全部を武士の頭領に委譲したほうが話が早い、ということになった。それが制度化したものが幕府だ。
つまり幕府というものの存在の前提として、「行政権を朝廷が握っている」という背景がある。それを譲渡したものが幕府だ。江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜は、委譲された政治権限を朝廷に返納している。俗にいわれる「大政奉還」だ。

だから、朝廷(天皇)が行政権を握っていない現在の日本では、幕府というものは原理的に成立し得ないことになる。もし今の日本で、誰かが幕府を開こうとしたら、行政権を一旦日本国政府から天皇に戻し、その上で天皇から行政権を委譲してもらう必要がある。

戦国時代、各地に割拠した戦国武将は、みな「京都を目指せ」と上洛を目指した。幕府の何たるかを知らないと、なぜ戦国武将が京都を目指したのか、その理由が理解できない。
戦国武将の究極の目的は「全国を自分の支配下に入れること」。そのためには、朝廷から「お前が武士の頭領だ」というお墨付きである征夷大将軍に任じられることが、必要かつ十分な条件だ。

鎌倉幕府は、行政府が鎌倉という辺境の地に置かれた事情から、原始的な「征夷大将軍」のイメージに近い幕府の開かれ方だった。その時代の朝廷はまだ実質的な力を失っておらず、純粋に権力を「委譲」しているだけだったので、朝廷は何かにつけて幕府に目を光らせ、武家政権に偏った政策には介入を行った。
ところが戦国時代になると、朝廷は単独で行政を敷けるほどの地盤と背景を失う。建武の新政に失敗して以来、朝廷は武士の助力なくして行政権を安定させることが事実上不可能だった。つまり、室町時代以後、征夷大将軍に任じられることは、同時に行政権のすべてを掌握することを意味する。

その過渡期にある室町幕府が、あまり一般的に「幕府」としてのイメージが薄いのは、地理的理由と背景的理由のふたつがある。
室町幕府は、京都に開かれている。つまり、朝廷のお膝元で開かれているわけで、これは原始的な「征夷大将軍」の必要性からすれば、本末転倒と言える。つまり、朝廷としては単独で行政権を執行したいものの、時代の変化によって武士がもつ軍事力に依存しなければその実現が不可能になっていたのだ。そこで、建前的には武士に政権を委譲するものの、「それを委譲しているのは朝廷だからな」と面子を保とうとした苦肉の策が、室町幕府なのだ。その時代では武士のほうでも朝廷の威光は利用価値があったので、その体制のもとでの自己の権威付けに利用した。

その体制が崩壊したのは、「もう朝廷の威光に頼るだけで軍事力のない勢力などものの数ではない」と価値観をがらっと転換した織田信長が、室町幕府を滅ぼした時だ。織田信長が凄かったのは、単に「朝廷にお墨付きをもらっている」という室町幕府の形骸化を見抜き、「それよりも力のある勢力があれば、朝廷はそちらに権力を委譲するはずだ」という時代の流れを正確に掴んでいたことだ。

このように、「幕府とは一体何なのか」という原理原則を知るだけで、鎌倉・室町・戦国時代という時代がひとつにつながり、「朝廷と武士の関係」というひとつの横糸で歴史が見えるようになる。一般的に室町時代は「つなぎの時代」と見なされ、歴史ファンにも人気が薄い。その一般的なイメージに乗っかるだけでなく、「なぜそういう時代だったのか」「何と何をつないでいた時代なのか」を自分で再構築するだけで、歴史を見る目が変わってくる。

それを考え、自分で答えに至ったところで、別に入試問題が解けるようになるわけではない。目的のために勉強するのではなく、既存の知識を、自分の中で「作り込む」作業をすることで、見えるものが違ってくる。
勉強というのは本来、自分の知らなかった世界を見るためにするものだ。凡人には、盆栽の何が楽しいのか、万年筆の何がそんなに面白いのか、理解できない向きもあろう。しかし、そういうものの中に独自の価値観を見いだし、モノそのものに価値を見いだすようになると、かなり楽しい時間が送れるようになる。それが一般的に認められる価値であろうとなかろうと、知ったこっちゃない。自分だけが楽しめればいいのだ。「知的に充実する人生」とは、そういう経験を自分の中だけでじっくり熟成させる生き方のことではあるまいか。

一般的には、「知識をいっぱい知っている人」を「頭のいい人」という学力観があると思う。しかし、その知っている知識なるものを、ただ知っているだけの人は、100本の万年筆を集めているコレクターと変わりない。自分の気に入った知識を、微に入り細を穿ち作り込み、丹念に鍛え抜いてこそ、その知識の本当の「使い方」が分かる。知識というものは、持っている量よりも、それをどれだけいじり回して楽しい時間を過ごせるか、のほうに価値の基準があると思う。


大学の公開講座や市民講座は、何かにつけて「○○○に役立つ歴史講座」「すぐに活かせる○○○授業」など、実利や効能を謳い過ぎる。個人的には、何かに役に立つ勉強など、全くつまらないと思う。端から見ればつまらないものに、それ独自の価値を見いだすことが、本当に熱中に値する行いではあるまいか。役に立つことを求めて、せっせと知識の暗記に精を出す勉強など、学生時代の呪縛の中に再び足を突っ込もうとする、愚かな行為に見える。



「ダンゴムシの生態」という公開講座はなかなか面白かった。

哲学の試験

変わり者の哲学教授が学期末に最終試験を実施した。
クラスの全員が集まったところで、教授は椅子を机の上に置き、こう言った。

「今学期に学んだ全てを使ってこの椅子が存在しないことを証明しなさい」

学生はいろんな理論を駆使し、書いたり消したりして、答案用紙を埋めていった。
30ページを越える答案を書いたものもいた。

ところが一人だけは一分もしないうちに立って教室を出て行ってしまった。

数週後に成績が発表されたとき、みんなはなぜこの学生が「優」を取れたのかを不思議がった。
彼はほとんど書いていなかったのだから。
みんなは彼の答案の内容を知りたがった。

彼の答案用紙には、こう書かれてあった。


「どの椅子?」




公理系の基本。

第98回全国高校野球選手権大会CM




熱中症に気をつけて。

イギリス出身者の感想

ピーター・バラカンさん「大英帝国の変なプライド今も」
(朝日新聞Digital 2016年6月25日)

英国の人たちが離脱を選んだことに、僕は複雑な思いです。

英国は自分の道を1人で歩くことになるのか。本当に1人でやっていけるのか。もちろんそんなわけはないですから、前より不利な状況で欧州の国々と付き合うようになるし、米国との関係も難しくなるだろう。「墓穴を掘ってしまった」などと思わないように、うまくやってほしい。僕が今言えることは、こんなことぐらいです。  

もともと欧州大陸の人たちと英国人の感覚は、どこか決定的に違うところがあります。  

欧州大陸の人たちを十把一絡げにはできませんが、大陸内は陸続きで、昔から行き来があり、戦争したり貿易したり、仲が良いかどうか別にして、わかりあっている部分は英国人よりはあると思う。  

一方で、大陸と、ドーバー海峡を隔てる英国人は少し異なります。英国人だって、自分たちが単一民族ではない、雑多な集まりだということはわかっている。でも、なんだかんだ言いながら「昔は大英帝国だった」という変なプライドがどこかに残っている。何かあったら「だって我々はブリティッシュだから」と。  

世界中どこででも、申し訳ない気持ちなしで英語で切り出すという人も少なくありません。インテリはともかく、多くの英国人にはどこの国でも英語が通用して当たり前という感覚がまだあります。  

若い世代、特に大学出の人たちの目は欧州に向いています。彼らは外国語も学び外国に旅行もしている。グローバルな視野を持っている。そういう人たちだけなら大騒ぎにはならなかったし、離脱派が勝つこともなかったでしょう。  

問題は僕らぐらいの世代で、第2次世界大戦の体験者から直接聞いてきた人たちです。子どものころは「ドイツは敵だ」という意識がありました。例えば「フォルティ・タワーズ」というどたばたテレビ番組があって、ドイツ人観光客をナチス扱いし、完全にばかにしていた。伝説の爆笑番組です。あの世代にはドイツに対する潜在的反感が残っていると思います。  

タブロイド紙も、フランス人やドイツ人を蔑称で呼ぶことがあります。まだ英国にはこんな反感があるのかと時々感じますね。  

英国人が「英国と欧州」と言っている、ですか。いいところを突きましたね。まるで英国は欧州の外にいるかのようです。日本人が「日本とアジア」と言うのと一緒です。最近は「日本もアジアの一員だ」という意識を持つ人が増えたけれど。すごく似ています。  

多くの一般市民は、長年EUの一員だったのだから、多少の不満があってもこれでいいと思っていたでしょう。離脱なんて考えもしなかったと思う。キャメロン首相が国民投票をすると発表したことで、EUに不信感や不満を持っていた人たちは声をあげ、騒ぐ人は騒ぐし、メディアがそれを取り上げ、人びとはだんだんあおられていった。国民投票をすると決めなければ、こんなことにはならなかったでしょう。  

ただし、僕は、国民投票そのものには賛成です。これは究極の民主主義です。議会制民主主義が公平かと言ったら、必ずしもそうじゃないと多くの人は思っている。選挙で過半数をとったら、少数派になった残りの人たちは次の選挙までずっと涙をのまなければいけないのか。そうじゃない。  

民主主義をうたうのであれば、大事なことに関しては国民の意見をきちんと聞くために、国民投票は不可欠です。何に関して行うかは慎重に決める。そして行うと決めたら、政府は情報を十分に出すこと。人びとはそれをもとに率直な議論を十分に重ねること。みんなが「もういやだ」と思うほどいろんな意見を全部聞いて、判断できるようにしないといけません。  

その結果がこれですから、英国人としては受け止めないといけないですね。




特にコメントはありません。

ストリート・ドラマー




何者だ。

Euro2016 アイスランド・サポーター




初出場で決勝トーナメント進出。天晴。

舛添要一東京都知事、辞任

舛添都知事辞職 見限られた末の遅過ぎた決断
(2016年06月16日 読売新聞社説)
舛添都知事辞職 苦い経験を次に生かせ
(2016年06月16日 毎日新聞社説)
混乱を深めた舛添知事の遅すぎる辞職
(2016年06月16日 日本経済新聞)
舛添氏の辞職 人気投票の後任選び許されない
(2016年06月16日 産経新聞社説)
舛添知事が辞職 東京は教訓を学べるか
(2016年06月16日 東京新聞社説)


舛添要一東京都知事が、ようやく観念した。政治資金の私的流用問題を理由に、都議会議長に辞職願を提出した。それに対しての各社の社説。
ことが重大事件だけに、各紙が競って気合の入った論説を載せている。特に、毎日、産経、東京の3紙は、社説全段をぶち抜きでこの記事に充てている。

どの記事も、経過説明と今後の教訓を均等に配した記事で、内容はそれほど乖離していない。まぁ、平均点前後に散らばった社説と言えるだろう。不祥事の責任を糾弾する記事は、書き手が「正義の味方」になり切って暴走する傾向があるが、今回に関してはそれほど極端な記事は見られない。

僕が今回の舛添問題を見るに、今後につなげるために考えなければならないことは3点あると思う。

(1)与党・自民党と、都議会・都庁の管理責任
(2)マスコミの果たした役割
(3)政治家の資質を見るための一般市民の眼

まず(1)の責任問題だが、今回の直接の原因が舛添要一個人の資質に帰するべきものであることは論を待たない。しかし、舛添ひとりをフルボッコに叩いたところで、第二、第三の舛添が出てくる抑止力にはならない。

毎日新聞が指摘しているように、舛添要一はもともと自民党を離党した人間だ。それを都知事選に際して、袖にされたはずの自民・公明は舛添を支持する選挙戦を取った。知名度が高い舛添に勝機あり、と名ばかりの候補者を擁立する無節操さは、与党として失格だ。折しも今夏の参議院選に、自民党は民進党を見限った谷亮子を擁立する構えだ。知名度を頼りとする選挙戦は、国民を馬鹿にするにも程がある。

自民党の管理責任は、毎日新聞が厳しく触れている。

自民、公明両党は、知事の公私混同問題が浮上した当初、責任を追及する姿勢に乏しかった。とりわけ自民党は集中審議の開催にも煮え切らない態度をとり続けた。

ところが、国民の関心が高まり、与党にも火の粉が降り注ぎそうになると対応を一変させた。参院選にも影響しかねないとの空気が自民党本部に広がり、収拾に走った。ただし、自民党が政治とカネをめぐる問題を本気で正そうとしているのかどうか疑問だ。
(毎日社説) 

自民党のこうした煮え切らない姿勢は、明らかに舛添問題と夏の参議院選を絡めた上での方策だったのだろう。しかし、自民党は有権者の感情を軽視した。そこが誤算だっただろう。まさか、ここまで舛添憎しの有権者感情が膨らむとは、思っていなかったのではないか。

これで、11年4月に石原慎太郎氏が4選されて以来、5年半で都知事選挙が4回行われることになる。カネの問題による更迭が1度なら個人の資質で済むだろうが、こうまで同じ不祥事が続くと、都議会や都庁の監視体勢に疑問符がつく。石原元都知事も言及していたことだが、都知事の出張予算や運用方法は、基本的に都知事ひとりでは決められない。数多くの職員が手分けをして予算配分を行う。ここまでの不祥事につながったということは、実際の予算運用に至るどの段階においても、都庁内から「待った」がかからなかった、ということだ。予算運用の監視体勢が機能していないことは明らかだろう。

舛添は東大助教授を務めた経験があり、マスコミにも太いパイプをもつ。産官学に多くのコネをもつ舛添の言いなりになっていれば、都庁の役職者は天下り先には困らない。そうしたズブズブの利権関係が、今回のチェック機能の甘さにつながっているのではないか。


(2)のマスコミの役割については、今回の問題発覚の経緯に不自然さが感じられる。東京新聞が指摘しているように、今回の舛添の資金運用問題が明らかになったのは、週刊文春の調査記事がきっかけだった。なぜ文春の記事が、ここまでの大問題に発展したのか。

日本では多くみられる現象だが、政治家が失脚するのは、「政治的能力が無能である」という理由ではなく、「有権者に嫌われる」という理由が多い。金や女にだらしないことは、政治的な無能よりも罪が重いとされる。舛添が退職に追い込まれたのも、つまるところ「有権者に嫌われた」のが原因だろう。

僕も、舛添の資金運用問題を報じた一連の週刊文春の記事を読んだが、批判の仕方は一様に「猾い」「セコい」「汚い」であって、「無能だ」ではなかった。文春は、いったん資金運用問題を明るみにすれば、舛添が見苦しい自己正当化を並べることを予測していたのだろう。

文春の読みは、気味悪いくらい的中した。

航空機のファーストクラスや高級ホテルのスイートルームを利用しての豪華海外出張。必要な場合もあるだろうが、批判に対しての反論は「トップが二流のビジネスホテルに泊まりますか。恥ずかしいでしょう」。居直りである。あるいは、公用車を使っての神奈川県湯河原町の別荘通い。それへの釈明は「公用車は『動く知事室』。緊急の連絡態勢があり、危機管理上も問題ない」。さらに、家族旅行の宿泊代に政治資金を充てた公私混同ぶり。支出の事実を認めながら、開き直ったように「客室で事務所関係者らと緊急かつ重要な会議をした。これは政治活動です」。

舛添氏の一連の発言を振り返れば、自己正当化を繰り返し、保身を図ろうとする意図がくっきりと浮かぶ。そこには都政も、都民も不在だった。都民の常識はそれを見逃さなかったのである。
(東京新聞社説)

個人的には、世論が舛添弾劾に転じたのは、舛添都知事が新宿区の保育施設建設予定地を、韓国人学校のために貸し出した件がきっかけだと思う。
新宿区矢来町の土地、約6千平方メートルを韓国政府が韓国人学校を建設する為、有償で貸し出すと発表した。この土地は前年、新宿区が保育施設を建設する為、借り入れを申し入れたが拒否された場所だ。つまり日本人の保育施設建設を拒否して韓国人学校を建設することになる。折しも保育施設の不足が社会問題化している時勢に、韓国への土地供与など何事ぞ、という不満が相次いだ。

そもそもこの土地供与は、2014年7月にソウルで朴槿恵大統領に招かれて韓国大統領府で会談したときに要請されたものだ。その際に「90%以上の東京都民は韓国が好き」と発言したことが、不満噴出の伏線になっている。

おそらく文春は、こうした一連の「燃料」が十分に蓄積されたことを見計らって、一気に舛添都政の暗部を暴露したのだろう。政治家が脇の甘さを攻撃されるのはいつものことだが、ここまで一気に国民感情が「舛添憎し」一辺倒に傾く有様は、公平に見て異常といっていい。

文春としては、舛添に関する暴露記事が売れに売れる方策として、そのようなタイミングを見計らったに過ぎない。内容に齟齬はなかったわけだから、これは文春の優秀さと敏腕ぶりを示すだけのことであって、文春を非難するにはあたらない。
問題は、その文春の意図通りに感情を煽られた読者の側にある。今回、舛添を口撃する有権者のうち、はたしてどれくらいが「もしかして自分は文春に操られているのか?」という自覚があるだろうか。マスコミの報道以外のソースに基づいて、自分の頭で考え、その上で都知事の資質を評価している有権者はどれだけいるのだろうか。

舛添は先の都知事選で、実に211万票を獲得して当選した。その211万人のうち、マスコミから得られる「印象」だけで投票した有権者は、少なくとも舛添を弾劾する資格はあるまい。 (1)で、自民党の選挙戦が国民を馬鹿にするにも程がある、と書いたが、馬鹿にされるほうも馬鹿にされるほうなのだ。


(3)は、そうしたマスコミと有権者意識のつながりを懐疑的に見るために必要なことだろう。舛添が都知事として不適格な人間だったのは間違いないが、不適格性にも種類がある。(1)でも触れたように、いま有権者が舛添を弾劾する理由は「猾い」「セコい」「金に汚い」であって、「無能だ」ではあるまい。

舛添の辞任を受けて、これから都知事のやりなおし選挙が行われる。ここでまた有権者がろくに候補者を知ろうとせず、知名度にひっぱられて「なんとなく」投票をするのであれば、同じことの二の舞になる。選挙は、候補者の知名度ではなく、政治運用能力と個人的資質をもとに投票しなければならない。

もしそうであるのなら、今回の政治資金運用問題を取り除いた、舛添の政治能力を公平に評価することが前提となる。はたして舛添は、都知事として「無能」だったのか。

舛添都政が欠点だらけだったわけではない。石原都政の負の遺産だった新銀行東京の他行との経営統合を成し遂げ、障害者雇用や五輪施設の建設費圧縮でも実績を残した。韓国を訪問して朴槿恵大統領と会談するなど都市外交にも積極的だった。
(毎日社説)

「世界一の東京」を掲げて、障害者雇用の促進、水素社会の実現、国際金融センター構想など、様々な施策に取り組んだ。石原都政の負の遺産だった新銀行東京も他行との経営統合に踏み切った。知事個人の問題とは別に、舛添都政そのものはある程度評価できるのではないか。
(日経社説)

政治家の「政治能力」と「個人としての清廉度」は、別物だ。政治的には有能でも、個人としてはどうしようもないクズもいる。また個人としてはとてもいい人でも、政治家としては全くの無能、というケースもあるだろう。

もしこれから行われる都知事選で、東京都民が「今度こそちゃんとした候補に投票しよう」と思うのであれば、人柄が清廉な人だけを選び出す過ちを犯してはならない。政治能力と、個人の資質と、両方のバランスを考えて投票しなければならない。いま舛添を弾劾する大合唱を見ていると、次の都知事選は、能力としては無能でも、「いい人」が優先的に有利になりそうな危険性がありはしまいか。

東京都知事の仕事というのは、石原都知事のように、時には世論を捩じ伏せて豪腕を奮わなければならない場合もあろう。すべてが都民に好かれることばかりやっているわけにはいかないと思う。すべからくリーダーとはかくあるべきで、殊に東京オリンピックという大きなイベントを控えている時にはなおさらだろう。

だからこそ、舛添都知事を総括するときには、負の遺産だけでなく、正の遺産も正しく評価する必要がある。たとえ嫌な奴が行った仕事でも、評価すべきところは評価すべきなのだ。昨今の報道を見ると、そうした継承すべき部分がまったく顧みられることが無い。このままの雰囲気で都知事選に突入すれば、こんどは舛添とは「正反対」の候補者だけが当選してしまうだろう。


僕が今回の舛添騒動を見ていると、なんか有権者は政治というものを「どこかの誰かが、素晴らしい政治を行ってくれる」ことを夢見ているのではないか、という気がする。そういう人は、どこぞの独裁主義国家にでも亡命していただきたい。民主政治というものは、特定の有能な人の資質によって断行されるものではなく、国民ひとりひとりの政治的成熟度が問われるものだ。政治は一握りの政治家のものではない、ということは、すべての国民が政治について責任を負う、ということでもある。今回の舛添のような事例を、舛添ひとりを叩いて悦に入っているような輩は、民主政治の中で生きる資格はない。そういう状況を許した有権者のあり方を恥じ入ってしかるべきだろう。折しも、参議院選挙と東京都知事選という大きな選挙が続く。参政権の役割をきちんと理解せず、知名度ばかりのタレント候補ばかりに投票している限り、日本は「三流の民主主義国」に堕するがままだろう。



ここにきて自民党の選挙対策が堕落しまくってる。
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偽りの優等生

二十歳過ぎればただの人(3)
 
偽りの優等生のほとんどは女の子です。男の子でこのタイプは少ないですし、居ても外見上、優等生に見えなかったりします。というのは、このタイプの優等生であり続ける為には、驚異的な暗記能力が要るからです。  

思うに、このタイプの優等生と言うのは小学校高学年での優等生グループの生き残りです。中学校に入ると、小学校とは全く異なる資質が優等生について要求されます。その要求に応えられる子どもは中学校でも優等生ですし、それに応えられない子どもは劣等生または普通の子のグループに転落します。ところが、中には中学校での要求に応えられない部分を、驚異的な記憶力でカバーしながら、優等生であり続けようとする子どもが居るのです。  

彼女達は、中学校での学習内容を全て丸暗記していきます。英文とその訳を対訳形式で覚え込みます。英単語や英熟語なども、意味と一緒に丸暗記です。数学なども、例題の解答法を丸暗記していきます。国語は、先生の板書を写したノートの内容を覚えます。

こうして、偽りの優等生達は授業嫌い、勉強嫌いの大人に育っていきます。彼女達にとって、学校の授業は我慢大会に過ぎませんし、勉強は訳の分からないお経を延々と覚え続ける苦行のようなものです。勉強が何かの役に立つという実感もありません。実際、彼女の勉強方法では、何かに役立てる事の出来る知識など身に付けようもないのですから。  

困るのは、こういう女性が母となって子どもの勉強を見たり、短大で教職免許を取って小学校の先生になったりする事です。  

母親が教育熱心な家庭の男の子が成績不振になるケースで、母親が自分の勉強法を伝授しているケースがままあります。定期試験で悪い点を取って帰った息子に、自分がかつて点を稼いだやり方で良い点を取らせようとしたりするのです。ですが、一般的に男の子は女の子ほどの暗記能力はありませんから、成果は上がりません。論理的理解を拒絶している分、成績は逆に下がっていきます。

彼女達が小学校の教師になるのが困るというのは、学力の問題ではありません。何しろ、彼女達は自分が小学生だった頃は押しも押されもせぬ優等生だった訳ですから、今は四年制大学を出て威張っている男性連中も、小学生の頃は彼女達の足元にも及ばずに小さくなっていたりしたのです。その意味で、小学校での優等生が小学生の指導に当たる事に何の問題も無いように思えます。  

問題は、彼女達の中に根付いてしまった勉強嫌いの感覚です。勉強は面白くないもの、我慢して努力してやるもの、そういう大前提で教壇に立つ先生が多い、と私には思えます。  

そういう先生は、子どもが楽しそうに勉強したり、授業を受けたりしていると不安に思うようです。何か、大事な事を、子ども達が学んでいない、という気になるのです。そこで、授業中の私語を禁じたり、ごそごそ動く生徒に直立不動の姿勢を要求したり、少し難しめの問題で脅して、勉強は楽しいだけでは駄目なのだという事を分からせようとします。  

やがて、生徒達はかつての活力を失っていきます。授業中、横の生徒と話す事も無くなり、黙って先生の話を聞きながら、後どれ位で休み時間になるのだろうと時計を気にし出したりして初めて、この先生は良いクラス作りが出来たと安心するのです。  

ですが、この子ども達の姿はかつてクラスの優等生として活き活きしていた自分の姿ではありません。中・高を通じて、息を殺すようにして自分の気配を消していた、勉強嫌いの頃の自分の姿なのです。その事に、この先生は気が付いているでしょうか。




自分の価値観に縛られた教師ほど有害なものは無い。

トドちゃん日記08

トド日記セイウチの巻




だってほらトドならセイウチでしょ

思考能力を鍛えるには

まずはクイズを。

10個のびんがあります。そのうち9個のびんにはひとつ1グラムのあめ玉が10個入っており、のこり1個のびんにはひとつ1.1グラムのあめ玉が10個入っています。
秤をつかって重さを一回だけはかり、1.1グラムのあめ玉が入っているびんを見つけてください。


まず、びんに1から10まで名前をつける。
そして、びんから名前の数だけあめ玉を取り出す。 すると、量るあめ玉の合計は1+2+3+4+5+6+7+8+9+10 = 55個、になる。

もしあめ玉すべての重さが1グラムだったら、これらのあめ玉の重さは55gのはずだ。
しかし実際には、ひとつのびんだけは1.1グラムのあめ玉が入っているので、実際のあめ玉の重さは、

55 + 0.1n グラム (nは、1.1グラムのあめ玉が入っているびんの名前)


となる。
例えば、量った重さが55.4グラムだったら、4番のびんが答え。55.9グラムだったら、9番のびんが答え。



・・・という枕を振っておいて、本番の問題はコチラ。

10個のびんがあり、そのうち8個のびんにはひとつ10gのあめ玉が100個ずつ入っていて、のこりふたつのびんにはひとつ11gのあめ玉が100個入っている。
11gのあめ玉が入っているふたつのびんを、秤を一回だけ使って重さをはかり、見つけてください。


先の問題ではあめ玉がひとつ1gだったが、こちらの問題ではひとつ10gになっており、あめ玉が10倍でかい。その分だけ、こちらの問題のほうが「大人向けの問題」と言えるだろう。

そんな冗談はともかく、この問題では、びんがふたつあるため、先ほどの方法がそのままの形では使えない。たとえば余剰分の重さが5gだとしたら、探すべきふたつが「1のびん+4のびん」なのか、「2のびん+3のびん」なのか、区別がつかないからだ。

それをもう一歩進めて考えると、「じゃあ、びんから取り出すあめ玉の数は、『2数の和が決して同じにならないような数』にすればいいのではないか」ということに思いつく。
基本的な考え方は先ほどの問題と同じだが、とりだすあめ玉の数にもう一歩工夫がいる。


フィボナッチ数列というのは、1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, … という数の並びのことだ。前ふたつの数字の和が、次の数字となっている。つまり、
1+2 = 3
2+3 = 5
3+5 = 8
5+8 = 13
8+13 = 21
という関係になっている。
フィボナッチ数列は、花びらの数、ひまわりの種の数、ウサギやアリの子供の数など、自然界にわりと見られる法則性である。

フィボナッチ数列の特徴は、任意の2数の和が等しくなる組み合わせが一通りしかない、ということだ。a=1(初項)、b=2(第2項)とすると、すべてのフィボナッチ数はaとbの2数で表せる。
1 = a
2 = b
3 = a + b
5 = b + (a+b) = a+2b
8 = (a+b)+(a+2b) = 2a+3b
13 = (a+2b)+(2a+3b) = 3a+5b
21 = (2a+3b)+(3a+5b) = 5a+8b
34 = (3a+5b)+(5a+8b) = 8a+13b
見て分かる通り、それぞれの数をa, bを使って表すと、それぞれの係数もまたフィボナッチ数になっている。任意のフィボナッチ数ふたつを足し合わせると、その和はaとbの係数のフィボナッチ数同士の組み合わせになるので、一通りに特定できる。
たとえば、8と34を足すと、(2a+3b)+(8a+13b)=10a+16bとなる。aとbの係数をそれぞれバラに見て、それらをフィボナッチ数の和に分解すると、10=2+8、16=3+13の組み合わせしかない。そのため、それらの数をa, bの係数とする、8と34に特定できる。

この性質を使うと、先の問題が解ける。
この問題でも、びんを順番に1, 2, 3, 4, 5, …, 10と名前をつけ、それぞれのびんにフィボナッチ数をラベルとして順番に貼っていく。1のびんは1, 2のびんは2, 3のびんは5, 4のびんは8, ・・・といった具合だ。

そして、それぞれのびんから、貼ってあるフィボナッチ数のラベルの数だけあめ玉を取り出す。 すると、あめ玉の合計は1+2+3+5+8+13+21+34+55+89 = 231個、となる。

もし全部のあめ玉が10gであれば、この合計は2310gとなるはずだ。しかし実際には、ふたつのびんだけは11gのあめ玉が入っているのだから、実際の合計は

2310 + M (g)

となる。 ここでMは、任意のフィボナッチ数の和になっているはずである。
たとえばM=18だとしたら、これは5+13なので、第4のびんと第6のびんが答えだと分かる。


フィボナッチ数列がどういうものか知っている人は多いが、この問題を解くための道具としてフィボナッチ数列を思い浮かべられる人は、それほど多くないだろう。
フィボナッチ数列を「知っている」という段階から、「問題を解くために使える」という段階までに移行するには、どういう類いの勉強が必要なのだろうか。

そういう発想の転換を可能にするために必要なのは、一般に言われている「勉強」とは、違うと思う。知識は、知っていることが大事なのではなく、それを使いこなせるようになることのほうが大事だ。しかし、どうすれば知識を「使いこなせるようになる」のか、その方法論はあまり教えてもらう機会がないのではないか。

ある知識を使えるようになるには、その知識を、教わった通りの形で覚えているだけでは不十分で、いろんな角度から眺める経験が必要となる。ひととおりの角度だけでなく、上からも下からも横からも逆からも、どこから辿ってもすらすらと論じられるような理解の仕方が必要だ。

そのために必要なのは、ひたすら「勉強しよう」「覚えよう」という、知識の量を問題にする態度ではない。知った知識を面白がって、頭のなかでムダにいろいろと転がし、その使い方にあれこれと思いを馳せるような「知的遊戯」だと思う。「知識の咀嚼」と言ってもよい。

学問に必要な姿勢は、生真面目な義務感ではなく、柔軟な知的好奇心だ。その理由は、義務感で勉強している人は、頭のなかで知識を転がして遊ぶ心の余裕がないからだ。知ること自体が目的なのではなく、その知識を使っていろいろと「考える」ことを楽しむ人でないと、なかなか多面的な視点でものごとを捉える能力は身に付きにくい。
受身で学ばされた知識と、能動的に頭で生み出した思考は、種類が違う。俗に言われる「頭がいい」というのは、後者のことを指す。

ところが多くの人は、勉強というと「知識を覚えること」と思い込み、思考によって知識の使い方をあれこれと編み出していく手間を嫌う。中には、そういう「思考によって生み出した知識の使い方」を他人から聞く人もいる。そういう本もたくさん出版されている。
しかし、そういうズルは、ほとんど実を結ばない。そういうノウハウを他人から聞いた時点で、それは生産的な思考ではなくなってしまう。単なる「覚えなければならない知識」に過ぎなくなってしまう。知識の使い方というのは、他人から貰える類いのものではなく、あくまで自分の頭を使って生み出さなければならないのだ。


以前、ある有名進学校の高校で世界史の講師をしている人と話したことがある。その先生は、国立大学の進学を希望している学生を中心に、論述問題の指導をしているそうだ。その分野では有名な先生で、かなりの実績を上げ、難関国立大学への合格者を多数輩出しているそうだ。
僕も国立大学出身なので、受験時代には歴史の論述問題の勉強をしたことがあるが、当時から勉強のしかたがさっぱり分からなかった。世界史など教科書の太字を覚えるだけでも大変なのに、それらの知識を使って論述問題を解け、など不可能に等しい。僕が入試を受けた時の答案は、さぞ惨憺たるものだっただろう。

一体どういう授業をしているのか非常に気になって、「論述問題の勉強というのは、どうやってやるんですか」と訊いてみた。
その先生は、笑いながら、気前よく方法を教えてくれた。

曰く、その先生が授業でやっていることは、ふたつだけだそうだ。
ひとつは、「すべての歴史上の出来事に対して、『なぜ』を考えさせること」、もうひとつは、「生徒に『入試の予想問題を作らせること』」だそうだ。

普通、歴史の勉強というのは、時系列の順番に教わる。たとえばフランス革命を習うときには、「絶対君主制」→「三部会開催」→「テニスコートの誓い」→「バスチーユ襲撃」→「国王処刑」→「ジャコバン独裁」→「クーデター」→「ナポレオン統領政府樹立」、という具合に教わる。

そして、この順番で教えて、この順番でちゃんと覚える生徒はいないそうだ。だいたい授業では、バスチーユ襲撃あたりで「フランス革命っぽさ」を味わった気分になって、その先の展開を覚える気力がなくなる。
その先生は、「たぶん、歴史は延々と続いて、終わりがないからでしょうねぇ」と言っていた。時系列順に歴史を教える弊害は、「ここで終わり」という勉強のゴールがないために、ひとつの「閉じたストーリー」として歴史を把握する意欲がなくなること、だそうだ。

だからその先生は、いきなり「ナポレオンは一体何をやったのか」と問う。ナポレオンを知っている人は多いが、いざ実際に「ナポレオンって一体なにをやった人なの?」と訊かれて、答えられる人は意外に少ないだろう。中には「フランス革命を行った人」などと答える人もいると思う。

実際のところナポレオンは、ブリュメールのクーデターによって、革命政府から実権を奪って統領政府を樹立している。のちには皇帝を名乗って帝政まで始めている。つまり、「フランス革命をやった人」ではなく、「フランス革命を終わらせた人」なのだ。

「ナポレオンは一体何をやったのか」という問いに対して、生徒が「クーデターで政権を奪いました」と答えたら、そこから本当の勉強が始まる。「なぜ、そんなことをしたのか」。その問いを皮切りに、歴史を逆へ逆へと辿っていく勉強が始まる。
つまりその先生は、教える順番が逆なのだ。時系列にそって出来事を教えていくのではなく、最も歴史にインパクトを与えた事件をまず持ってきて、「なぜその事件が起きたのか」という理由を考えさせる。

なぜナポレオンはクーデターを起こしたのか。当時の革命政府が過激になりすぎて恐怖政治を敷いたからだ。
ではなぜ革命政府は過激になりすぎたのか。王党派を全滅させる必要があったからだ。
なぜ王党派を全滅させる必要があったのか。当時の議会が王党派によって形成されていたからだ。
なぜ議会が王党派ばかりだったのか。その前段階に絶対王政があったからだ・・・。

「なぜ、そうなったのか」を軸に歴史を逆に辿ると、見えてこなかった歴史の流れがすっきりと頭の中に入る。理由を求めて歴史を掘ると、それまでバラバラに見えていた知識が有機的につながり、ひとつのストーリーに編み上がる。
その先生は、「たぶん、人というものは、『これから、どうなるのか』には興味がないけど、『なぜ、そんなことをしたのか』を追求するのは大好きなんでしょう」と言っていた。今現在でも、夏の参議院選について展望をする議論よりも、舛添都知事の不祥事を弾劾するニュースのほうが受けがいい。舛添都知事の不祥事を暴くことには熱心でも、では都議会はこれからどうあるべきなのかを提言するひとは皆無だ。「これからどうなるか」よりも、「なぜそんなことを」という追求のほうが、たしかに受けている。

生徒が歴史のストーリーを辿ったら、それを実際に紙に書いて思考を形にする。つまり、「どうして」「なぜ」と辿った過程で得た知識を使って、そのストーリーを問う入試問題を予想させて作らせる。入試の論述問題なんて、基本的には「なぜ」が基本となっているから、普段から問いを立てさせる練習を繰り返していたら、大学が問うてくる問題の見当がつきやすい。
30人のクラスで授業をしたら、30人の生徒が30通りの論述問題を作ってくる。それをクラスで発表し、発想と思考を共有する。「ひとつのテーマに30通りの論述問題があれば、そこそこの予想問題になりますよ」と笑っていた。

歴史の勉強とは、年号と人名と事件を「暗記すること」と思っている人が多い。そう思っている人は、知識を暗記してから、そこから先なにをやっているのだろうか。覚えるために覚えた知識では、使いこなせないのも、忘れてしまうのも、当たり前だ。知識を「使うため」に掘り出し、頭の中でひとつのストーリーを作り出し、知識を関連づける思考遊戯を行う時間をとらなければ、なかなか思考は定着しにくい。道具は、道具として覚えるのではなく、作業の流れの中で、必要性とともに覚えなければ、熟達しない。


昨今の書店を覗いてみると、ビジネスマンや学生を対象とした自己啓発書がたくさん出版されている。発想力、思考力、ひらめきなど、既存の「暗記学習」では身に付かない方法論が大はやりだ。

僕は、そういう本が大受けしている理由は、「新しい知識を覚える必要がないから」だと思っている。これまで暗記暗記で勉強してきた人は、ひたすら知識を暗記することが苦痛であることをよく知っているし、そういう勉強の仕方はあまり効果がないことを実は悟っている。だから「無理して覚える必要はないんですよ。知っている知識を使うほうが大事なんですよ」という指南書に飛びつく。実際にそういう啓発書を立ち読みしていると、ほぼ例外なく、既存の知識の「使い方」を解き、違う角度から知識体系を眺める多面的な視野の必要性を説いている。

「知識は、覚えている量ではなく、それを使いこなせることのほうが大事」とはよく言われているが、ではどうすれば「知識を使いこなせる能力」が身に付くのか、という方法論が明快に提示されることは少ない。
そういう能力を身につけるためには、別にお金を出して自己啓発書を買う必要はないと思う。早い話が、中学・高校で習った教科をちゃんと復習すれば、それで十分ではないか。フィボナッチ数列だって、フランス革命だって、それを単なる知識として暗記対象と見なしているうちは、苦痛の種でしかない。しかし、勉強の仕方をがらっと変えて、「しくみを知るために分解する」「『なぜ』を問う」「逆に辿る」「答えではなく、問題をつくる」のように、手を変え品を変え「知識を頭の中で転がして遊ぶ経験」として捉えると、わりと勉強というものは楽しいものだ。


知識というのは、思考の材料であって、それ自体を頭に詰め込むことが「頭がいい」ということではない。その知識を縦横無尽に駆使して使いこなす思考に昇華しなければ、知識が無駄になる。その思考能力は、決して他人から与えられるものではない。あくまでも「自分の頭で考える」という経験によってしか身に付かないものだ。
世の中のどんな些細な知識でも、その知識を血肉と化して、思考の燃料としている人がいるのだろう。どういう人が、どういう思考のために、その知識を使っているのだろうと想像してみると、世の中につまらない知識など何もないような気がする。



「歴史は暗記」「数学は不要」という姿勢は、まだ勉強を始めていない人。

広島原爆の日

G7 伊勢志摩サミットと前後して、アメリカのオバマ大統領が広島を訪問することが話題になっている。
もし現職の大統領が原爆被害地を訪れれば、史上初のこととなる。

広島では原爆被害者の関係者が、謝罪の言葉を求める動きがある。原爆被害を受けた国民感情として、謝罪の言葉を要求する気持ちは分からないではない。折しも沖縄で元アメリカ海兵隊員の男による20歳の女性の死体遺棄事件が発生し、オバマ大統領は立場を危うくしている。難しいタイミングで厄介な事件が起きた、という実感だろう。多くの日本人が、アメリカとオバマ大統領について、難しい距離感を感じているようだ。

しかし、今回のサミットでその謝罪要求をすることが、本当によいことなのかどうか、多くの日本人は判断ができていないような気がする。
ちょっと考えれば、アメリカ大統領という公職にある者が、公式に謝罪をすることなどほとんど不可能だ、ということくらい、すぐ分かるはずだ。オバマは個人的には、人道的観点に基づいて謝罪をしたい気持ちがあるのかもしれないが、それを公人として謝罪するわけにはいくまい。公に謝罪をしてしまえば、それは個人としての見解に留めることはできない。賠償請求、国家間のパワーバランス、今後の交渉事など、さまざまな面に影響を及ぼす。
マキャベリは「個人としての人格と、国家としての人格は、別問題だ」ということを歴史上初めてはっきり言った人物だが、このマキャベリの言わんとしていることを理解していない人が多すぎる。

それとは別に僕は、今の日本人が、原爆に対してその背景と要因をきちんと理解しているとは思えない。それはひとつには「被害者感情ありきの原爆史教育」に原因があるだろうし、ひとつには日本の歴史教育のレベルがそこまで高くないことが原因でもあるだろう。

原爆教育というのは、悲惨な写真や映像を見せて「二度とこんなことを繰り返さない」と情緒に訴えることだけではあるまい。アメリカがなぜ原爆を使用せざるを得なかったのか。原爆使用に至るにはどのような背景があったのか。それをしっかりと把握することが、今後の予防につながる。原因をしっかり理解していない者が、再発を防げるわけがない。

たとえば、広島の原爆が8月6日だったことを知っている日本人は多いが、なぜ8月6日であるのか、理由を知っている人は少ない。
もし当時、世界情勢を正しく認識している者が日本政府の中枢にいたならば、原爆は予知できたはずだ。

広島原爆が8月6日である理由は、簡単だ。

ナチスドイツの無条件降伏が、5月7日だったから。


この理由を理解するには、まず第二次世界大戦時にいったい何が起きていたのかを理解する必要がある。
まず、そもそも日本はどこの国に負けたのか。

ほとんどの日本人が、先の大戦は「アメリカに負けた」と思っている。中国やソ連に負けた、と思っている日本人はほとんどいないだろう。
しかし、連合国はアメリカだけでなく、中国、ソ連、イギリス、フランスなど、様々な国を含んでいる。その中で、日本人がアメリカだけを「敗戦の相手」だと思っているのは、なぜなのか。

原爆こそ、その理由だろう。広島と長崎に原爆を落とされ、日本は無条件降伏した。つまり裏を返せば、アメリカが原爆を落としたのは、「日本人に『アメリカに負けた』と思わせるため」だった。世界史の教科書的に言えば、「戦後の日本の占領政策で、他国よりも優位な立場に就くため」だ。

第二次世界大戦の連合国は決して一枚岩ではなく、お互いに戦後の支配圏拡大を目論むための駆け引きの場だった。普通に考えれば、1917年のロシア革命以来、共産主義国と資本主義国が手を結ぶことなど、あり得ない。それがあり得たのは、第一次世界大戦後のベルサイユ体制が破綻し、ドイツやイタリアなどで全体主義国が台頭し、共産主義国よりも脅威となったからだ。伝統的にヨーロッパの大戦には不干渉主義を貫いてきたアメリカが第二次世界大戦に参戦したのも、戦後の影響力を考えてのことに過ぎない。決してアメリカは人道主義的な理由から参戦したのではない。

アメリカは日本を攻撃するにあたって、兵士の負担と犠牲をなるべく少なくしたい、と考えていた。アメリカはいつでも、戦争で多大な死傷者を出した大統領は、歴史の後々まで長きにわたって非難される。当時の大統領ルーズヴェルトは異例の4選を果たした長期政権であり、勇退後に自分の名を汚すような犠牲は避けたかっただろう。

そこでルーズヴェルト大統領は、日本を攻撃するときにソ連の力を利用することを考えた。日本はアメリカが単独で攻撃するのではなく、南の硫黄島・沖縄からアメリカ軍が、北の樺太からソ連軍が、挟み撃ちにする。そのプランに基づいて、ルーズヴェルトはソ連に対日参戦を要求する。
ソ連のスターリンは、それを承諾するかわりに、見返りとして千島・樺太の領土を要求した。ルーズヴェルトは、その程度ならお安い御用、とばかりにその要求を呑む。

ソ連の対日参戦は、ヨーロッパでの戦争の終結、つまりドイツの降伏から数えて3ヶ月後、と決まった。この密約を「ヤルタ密約」という。この密約は、本当に「密約」で、ルーズヴェルト、スターリン、チャーチルの3人しかほぼ知らなかったと言われている。

ところが戦争途中でルーズヴェルトが没し、後任の大統領にトルーマンが就いてから、状況が変わってくる。トルーマンはヤルタ密約のことを知らされておらず、大統領就任後に密約の内容を知らされて仰天した。トルーマンはすでに日本など敵ではなく、ソ連を始めとする共産主義国こそが戦後の相手になる、と睨んでいた。日本は極東の安全保障のためには最も重要な拠点となる。そこに、わずかなりともソ連の影響力を引き込むとは言語道断。
ルーズヴェルトにとっては、ソ連への千島・樺太の譲渡など「お安いもの」であったが、それはトルーマンにとってはちっともお安いものではなかった。

焦るトルーマンのもとに、朗報が入る。アメリカ国内で秘密に進んでいた「マンハッタン計画」から、原爆実験成功の知らせが入った。原爆が使用可能になれば、ソ連軍の力を借りなくとも、アメリカ単独で日本を無条件降伏に追い込める。

トルーマンはさっそく手を打った。対日降伏文書の「ポツダム宣言」から、ソ連を除外する工作をした。ポツダム宣言は、ソ連との事前連絡なしで文書が作成されている。宣言の署名欄には、アメリカ、イギリス、中国(中華民国)のサインだけがあり、ソ連のサインはない。

ソ連のスターリンは、それを知って激怒した。アメリカは明らかに、戦後の日本における影響力からソ連を排除しようとしている。
スターリンはもともと、人道的な理由や国の防衛のために第二次世界大戦に参戦したのではない。旧ロシア帝国の領土復活がスターリンの目的だった。ソ連は、日露戦争、第一次世界大戦で失った旧ロシア帝国の領土を奪うために、第二次世界大戦を利用したに過ぎない。そもそもそれが目的だったのだから、日本から千島・樺太を奪えなくなるポツダム宣言は、断固容認せざる内容だった。

ヤルタ密約によると、ソ連の対日参戦はドイツ降伏の3ヶ月後。スターリンはすでにその日程で対日参戦の準備を進めていた。そしてドイツが5月7日に降伏。そこからちょうど3ヶ月後の8月7日には、ソ連が日本に参戦してしまう。アメリカとしては、なんとしてもその前日までに阻止する必要があった。

つまりアメリカが8月6日に原爆を落としたのは、ソ連軍の介入を妨げ、アメリカが単独で日本を降伏させるための、ギリギリのタイムリミットだったのだ。そして、その日程の決定に深く関わっていたのは、日本ではなくソ連だった。広島の原爆投下は、当事国の日本などまったく蚊帳の外で、戦後の米ソの冷戦構造の前段階こそが本当の背景だった。

結局、ソ連の対日参戦は8月9日と決まる。それを知ったアメリカは、その日に長崎にもう一発原爆を落とした。あくまでもソ連の参戦を封じて、日本を速やかに降伏させるための駄目押しだった。長崎の原爆投下でも、アメリカの目線の先にあったのは、ソ連であって日本ではない。

結局、日本はアメリカの圧力に屈する形で、無条件降伏をした。多くの日本人は、戦後の占領時の印象を、マッカーサーに代表される進駐軍を思い浮かべるだろうが、それは「アメリカ単独での日本占領」というトルーマンの目論みが成功したからだ。
もし原爆が投下されず、ソ連が対日参戦し、日本がアメリカとソ連の勢力争いの場になったとしたら、どうなっていただろうか。


おそらく、日本はいまの朝鮮半島のようになっていただろう。


日本に対する影響力を封じられ、極東地域への拡大策の変換を迫られたスターリンは、その力を朝鮮半島に向けた。朝鮮戦争の勃発だ。朝鮮戦争は単に同じ民族間の内戦ではなく、アメリカとソ連に代表される二大陣営の「代理戦争」だった。

日本において原爆を語る時には、いつも被害者として、受けた被害の甚大さを訴える論調が支配的になる。しかし世界の歴史の中で、被害を受ける者の苦痛の訴えが、戦争の惨禍を食い止めた例など無い。広島や長崎を中心とした現在の原爆教育のやり方で、今後の世界から核の脅威を廃絶できると、本当に思っているのだろうか。

被害の悲惨さを語り継ぐことは大切だ。しかし、それは必要条件であって、十分条件ではない。それさえやっていれば大丈夫、というものではないのだ。
原爆や核兵器は、人道的に、断固使ってはならない。しかし、戦争というのはもともと、人道的な観点を越えたところで発生するものなのだ。人間が人道的な道徳律を常に守れるようなものであれば、そもそも戦争など発生し得ない。人道主義や道徳観に基づいた核兵器の非難は、それを越えた状況ではまったく通用しない。単なるお題目と化す。

だからこそ、核兵器を語る時には、人道主義以外の方法によって使用を封じる方策が必要となる。歴史教育というのは、そのような必要性のために行うものだろう。
原爆被害者の関係者が謝罪を求め、仮にもしオバマ大統領が謝罪したとしたら、被害者および関係者の「感情」は満たされるだろう。しかし、厳しいことを言うようだが、感情が満たされる代償として失われるものを、本当に冷静に理解しているのだろうか。もし原爆被害者が、己の「感情」のためだけに謝罪を要求し、それによって引き起こされる更なる惨禍など知ったこっちゃない、という態度であるのであれば、それは真摯に恒久の平和を希求する態度とは言えない。歴史教育がしっかり行われていれば、「感情」と「理性による判断」の間にきっちり線を引くことの重要性が、理解されているはずだ。



誰もが納得できる落としどころなど無い。
ペンギン命
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