たくろふのつぶやき

食欲の秋の季節がやってまいりました!o(^▽^)o

国立科学博物館特別展「深海」2017

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国立科学博物館の特別展「深海2017~最深研究でせまる”生命”と”地球”~」に行ってきました。


前からずっと行きたかった特別展なんですよね。最近、地震やら何やらで日本近海の海底調査が進んでいるって聞いていたので、どういう研究が進んでいるのか非常に興味がありました。
7月から始まってる特別展で、10月1日(日)まで開催しています。もうすぐ終わるじゃん。危ねぇ〜。

秋になって校外学習の季節らしく、平日にも関わらず、上野公園には団体の小中学生の姿も見えました。なんか学校から課題が出ているらしく、懸命にメモをとりながら展示を廻っていました。


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やったなぁ、こういう校外学習。


メディアなどでも紹介されている特別展ですが、ほとんどの人が「深海展」だと思ってるんですよね。おどろおどろしい深海魚に期待して来る人が多いみたい。最近、「へんないきもの」だの「ダイオウイカ特集」だの変なブームのせいで、深海魚を恐いもの見たさで珍しがる風潮があるような気がします。
ま、この特別展もそういう世の動向を十分に把握した陳列になってはいました。

展示は主に「深海魚」「地質調査」「地下資源」に分かれています。やっぱり一般受けしやすいのは深海魚のコーナーのようで、いちばん最初にもってきてお客さんを引きつけています。深海魚のコーナーはさらに「発光生物」「巨大生物」「超深海生物」に分かれています。世のニーズをよく分かっておる。 


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ベニオオウミグモ。いっちょまえに肺呼吸するんだって。


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頭が透明な深海魚、デメニギスの標本。
発光するそうだが何のために。


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ダイオウホウズキイカの足だけ。全長は14mもあるんだって。


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お前か。お前なんだな。


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オンデンザメの液浸標本。体長3m、体重300kg。でかい。


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くらえ!ダイオウイカ


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お前はいらん。


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みんな大好き、ダイオウグソクムシ


僕が今回、特別に興味あったのはそこではなく、最近の日本をとりまく深海環境に対する調査の進捗状況です。この特別展は、別に深海魚だけではなく、近年の日本の深海に関するあらゆる調査の成果を公表する目的で行なわれています。地政学的、地質学的、材料工学的、海洋生物学的、さまざまなアプローチの仕方で「深海」を研究して公表しています。

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これこれ。こーゆーのが見たいの。
世界最深撮影に成功した4Kカメラ。NHKスペシャルの映像にも使われてましたよね。 


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ビバ、科学技術。


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「しんかい」のコクピット復元展示。
普通とは違って、実物の1.5倍の大きさ。

 
近年、日本の深海調査が進展している理由は主に、地震による影響と、地下資源の開発のふたつがある。
日本は地震が多いので、地殻変動が地震に及ぼす影響を調べる必要性が高い。2011年の東日本大震災でも、日本近海の地勢は大きく変化した。その変化がどのようなものか、どういう原理で変化したのか、どの程度変化するのか、それを実際に調べる必要がある。

また、日本近海の地下資源の開発は、資源を大きく輸入に依存している日本にとっては喫緊の問題だ。日本は国土面積こそ世界で62位だが、排他的経済水域を含む領域面積にすると世界で6位という広大な水域を範囲としている。中国や韓国が領海侵犯まで犯して領土拡張を目論むのは、それらの国の水域が日本列島によってかなり制限されているからだ。そういう環境にある日本が、海底からレアアースをはじめとして地下資源を確保する重要性が増している。


僕としては今回の展示の大きな目玉は、地球深部探査船「ちきゅう」の掘削記録が見られることだ。
2005年に就航した、海洋研究開発機構が誇る世界最大の科学採掘船。巨大な「海の研究所」だ。2011年の東日本大震災のあと、すぐに「東北地方太平洋沖地震調査掘削プロジェクト」(Japan Trench Fast Drilling Project, JFAST)が始動した。海底採掘を行なって地殻変動の影響を調査し、そのときの記録が公開されている。


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ここを掘る重要性は言わずもがな


「ちきゅう」は、東北地方三陸海岸沖の、北米プレートと太平洋プレートの境目となる日本海溝を掘削した。海上から海溝底までは約7000メートル。そこから約800メートルを掘り下げ、地質調査を行なっている。

つまり「ちきゅう」は、海面から海底まで、富士山ふたつ分の長さの掘削パイプを下し、そこからさらに800メートルを掘り下げたことになる。24時間態勢で地質サンプルを摂取し、すぐに船内の研究区画に運ばれ、即時分析される。まさに「海の研究所」だ。


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これだけの水深下で採掘作業をしたことになる。


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富士山ふたつ分の水深をつないだ掘削パイプの一部


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日本は伊達に地震大国ではないのだよ


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この船体模型だけでごはん3杯はおかわりできます


海底資源についても調査結果が公開されていた。日本が近海資源として重視しているのは、石油とレアアースだ。特にレアアースは「21世紀のダイアモンド」とも呼ばれ、コンピュータ産業に欠かせない希少鉱物の奪い合いが世界中で行なわれている。

日本は現在、レアアースのほとんどを中国からの輸入に頼っている。中国は本土でレアアースが採取される以外に、レアアースの宝庫であるアフリカ各国に眼をつけ、設備投資をじゃんじゃん行なって利権の独占を計っている。最近、アフリカ各国と中国の結びつきが強いのはそのためだ。日本も、中国との貿易関係に対してチャイナリスクを意識し、単独でアフリカ各国との貿易に着手している。

2011年、東日本大震災のための近海底調査の副産物として、太平洋の広範囲にわたってレアアースが濃集した深海泥の分布していることが判明した。日本の排他的経済水域には、メタンハイドレート、熱水鉱床、マンガンクラスト、レアアース泥などが分布していることが分かっている。その調査結果が公開されていた。


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日本でも石油とれるって知ってました?


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中学生にはちょっと分子構造は難しいかな

 
まぁ、一般客にとってはダイオウイカみたいなへんないきものが面白いのでしょうが、ワタクシみたいな科学マニアにとっては、こういう科学技術の粋を結集した成果のほうが面白いですな。


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もちろんミュージアムショップも充実。


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お、おう。


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嫁に所望されるも華麗に無視。


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個人的にイチ押しのおみやげ。国立科学博物館特製フィールドノート。 
無駄に冒険の旅に出たくなる。 



楽しかったです!o(≧∇≦)o

切断する流れ

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。


鴨長明『方丈記』の書き出し。有名な文章なので、誰でも一度は読んだことがあるだろう。
しかしなぜか、その続きを読んだことがある人は少ない。


たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかになひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。


簡単にまとめると、「昔と今は違ってしまうことが多いから、世の中は虚しいね」。
簡単にまとめすぎて身も蓋もないが、言っていることはそういうことだ。

『方丈記』の下敷きが仏教の概念に依拠していることは常識の範疇だが、僕はかねてからそれに対して疑問を持っている。
なぜ、連続概念に対する現実への写像が離散対象なのだろう。

『方丈記』の根底にあるのは仏教概念の「無常観」だ。これは輪廻転生に代表される仏教の世界観のひとつだ。つまり、時の流れの中では等しく変わらないものなど何もない。世の中はすべて繋がっており、現世と来世は連続してつながっている。この「連続概念」が世界観の根底にある。

しかし、鴨長明がそれを表すのに使ったのは、「ある時点を切り取った情景」に過ぎない。人の棲家、人の出で立ち、朝顔の露、すべて「ある時点でそうだったもの」だ。これは時空を越えて連続した実態ではなく、時間を離散的に切り取った表象に過ぎない。
根底概念として「連続」を念頭に置きながら、表象としては「離散」を描く、というのは矛盾ではないのか。

おおむね人間というものは、時間を離散的な概念で再構築するものらしい。
たとえば、子供の頃のことを思い出してみる。頭に思い描くのは「夏休みにキャンプに行ったこと」「クリスマスに贈り物をもらったこと」など、ひとつのイベント、単一の出来事だ。そういうイベントを積み重ねたものが「過去の思い出」を構成している。

それは、履歴書でも同じことだ。教育歴や職歴を書くときには「xxxx年、○○高校を卒業」「xxxx年、△△社に入社」など、時間の一部を切り取って書き並べる。これも、ひとつひとつの経歴を「切り取って」自分史を構成している。


なんてくだらないことを考えている昨今ですが。


数学では、「連続」「離散」という概念を区別する。連続というのは、間に切れ目がない一連の過程のことを指す。対して離散というのは、まぁ、「連続の反対」で、個々の要素がぶつ切りで並んでいることを指す。デジタル時計は離散で、アナログの針時計は連続だ。
自然数は離散概念だ。1, 2, 3, 4, … という自然数の並びに、「その間」は存在しない。ひとの人数を数えるときには「1人」「2人」「3人」という数え方はあっても、「2.4人」「√5人」という数え方はない。

算数と数学は何が違うのか。
一言で言うと、「離散」の概念に留まっているのが算数、それを「連続」に拡げたのが数学だ。小学校の算数の過程では、分数や「分数化できる小数」(いわゆる有理数)は習うが、無理数や虚数は習わない。ひと頃、円周率πを「3」と教えるゆとり教育の弊害が取沙汰されたが、あれも根底にあったのは小学校の算数課程を「離散」の枠に押し込め、無理数を排除しようとした強引な姿勢だろう。

話を実数に限ると、事実として実数は連続している。
これは公理として使われることがあるが、証明可能な定理でもある。ドイツの数学者、リヒャルト・デデキントが証明した。


すべての実数は、実数線の上のどこかの位置に配置される。
話を簡単にするために、0から1までの間の線分図を考える。この0と1の間の実数線を、どこか適当なところで切断してみる。
すると、切断の両端には「一番大きな有理数a」と「一番小さな有理数b」が現れる、と仮定する。

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実は、そんなことはありえない。aとbというふたつの有理数の間には、必ず(a+b)/2 という「もうひとつの有理数」が現れてしまう。
これは矛盾。よって、切断の両端に「最大・最小の有理数」が現れることは、あり得ない。

すると考えられるパターンは、
(1)最大の有理数aだけが存在する
(2)最小の有理数bだけが存在する
(3)a, b両方とも存在しない
の3通りになる。

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実際には、(1)と(2)は交換可能(a=b)なので、パターンとしては
(A) どちらかの端に有理数がある
(B) 両端どちらにも有理数が現れない
のどちらか、ということになる。

実数線のなかで、「有理数ではないもの」というのは要するに「無理数」なので、(A)の片方と、(B)の両端には、無理数が現れる。これを言い替えると、実数というものは「ところどころにある有理数」と、「隙間を埋める無理数」が連続しているもの、ということになる。
この考え方は、提唱者の名前をとって「デデキントの切断」と呼ばれている。

小学校の「算数」では有理数しか扱わないので、その構成は「離散」になる。「みかんが4つ、りんごが2つあります。合計でいくつあるでしょう」で表されるように、数がとびとびの個体を表している。
ところが中学校になって「数学」になると、無理数が登場して、数学体系がいきなり「連続」になる。それまで「物の個数」を表すものだった数の概念が、一次関数の登場によって突如として連続体として目の前に現れる。この変化に対応できない生徒が、数学嫌いになる。こと数概念に関しては、連続体系よりも離散体系のほうが「直感的に捉えやすい」のだろう。

しかし方丈記の例を持ち出すまでもなく、おおかたの人は時間を連続概念で捉えている。美空ひばりだって「ああ 川の流れのように いくつも時代は過ぎて」と歌っている。一方、過去の時間を思い出すときには、「夏休みのイベント」「冬休みの一日」のように、離散的に独立した時間の一瞬を切り取って認識している。
人はあたかも、実際には連続している実数の中で、離散的に存在する有理数だけを拾い上げて認識するように、過去の記憶を形作っている。実数の連続性と、人の時間の記憶のあり方が一致しているのは、偶然なのだろうか。


現代数学では、離散数学のほうが重視されている傾向がある。確率論、グラフ理論、プログラミング、アルゴリズムなどは、すべて離散数学で構成されている。だいいち、コンピューターが離散体系だ。すべての計算を「0」と「1」の組み合わせで行なっている。

現代数学の最重要課題は「未来予測」だが、その基礎となる原理はすべて離散数学を使っている。統計的な未来予測では確率論を使い、経済学や政治学での未来予測ではマルコフ連鎖を使い、社会学ではゲーム理論を使う。それらの基礎はすべて離散数学だ。
かくいう僕も専門が理論言語学なので、記号論として言語現象を扱うときには離散数学の体系で数概念を捉えることが多い。

雑に言ってしまえば、「離散数学は、役に立つ」のだ。大学の工学系学部では、1年のうちから「離散数学」が必修で、基礎理論をみっちり学ぶ。内容は要するに「すごく高度な算数」だ。理論的に原理を掘り下げるよりも、それを応用して実践に活かすほうに重点が置かれる。

しかし、「役に立つ」ことと、「世の中の事実がそうなっている」ことの間には、関連性はない。工学系の嗜好としては、役に立つもの、成果を出せるものが「面白い」のだろうが、そういう方針に過度に向き過ぎる傾向と、いわゆる「数学嫌い」とは、同じ根によるものではないか。離散概念が連続概念に拡張され、「算数」が「数学」になった時点で数概念を嫌うようになるのは、「数学なんて何の役に立つんだ」というよくある文句によく表れている。

高校数学の範囲で連続体を構成する操作は積分だが、過去から現在の変化率を積分したとしても、未来が予測できるわけではない。そんなアルゴリズムは原理的に存在しない。
連続概念が「何の役にも立たない」、離散体系が「役に立つ」、という区分けは、表立って表明するかどうかは別として、多くの人が朧げながらに感じていることのようだ。切りがよく、バラバラの数が規則正しく並んでいる離散概念のほうが、認識的にしっくりするという直感を持っている人が多い。

しかし、そういう傾向をもつ人でも、「時は流れるもの」という一般通念をもっている。よく実態が分からない「時間」「時の移ろい」というものに対して、同じくよく分からない「連続」という概念に依存して、分かったつもりになっている。

鴨長明が『方丈記』の書き出しで連続概念を示しておきながら、その具体的な描写として離散的な「時の一点」を書き並べているのは、日本人のそうした傾向が太古の昔から連綿と続いていることを示しているような気がしてならない。ドラえもんのタイムマシンだって、時間移動の本質は「到着地点の時間」ではなく、移動中の「連続した時間帯」にあるにも関わらず、そこにタイムマシンの本質を見いだす人は少ない。

時間をどのように捉えるのかは認識論の問題だが、もし時間を連続した流れとして捉えるのであれば、そこには日常の感覚とは乖離した連続概念がある。そういう感覚で時間を考えると、一瞬を積み重ねたものとしての時間とは、別の時間の捉え方があるような気がする。


最後にまったく関係のない話ですが。
東京大学の医学部を受験するには、かなり数学を勉強しなければならない。塾や予備校では「東大医学部コース」なるものを設けて、その受験用の対策をみっちり行なうのだそうだ。
人呼んで、「理III数学」。数列や確率などの離散数学だけでなく、関数や微積分などの連続概念もちゃんと扱うらしい。



お後がよろしいようで。

解散総選挙の是非

年内解散検討 透ける疑惑隠しの思惑
(2017年9月18日 朝日新聞社説)
早期解散、危機克服への民意を問え 憲法9条などの改正めぐる議論も必要だ。
(2017年9月18日 産経新聞社説)


「トムとジェリー」のように、ことあるごとに正反対の意見でケンカしている朝日と産経の社説。
今回のケンカのネタは、「解散総選挙」。朝日が反対、産経が賛成、という分かりやすい構図。

それぞれの主張の意図は簡単だ。いまのタイミングで解散総選挙をされると、左派には都合が悪く、右派・保守には都合が良い。朝日と産経は、ちょうどそれぞれの立場の意見を代表したものだろう。

まず喫緊の課題として、北朝鮮問題がある。北朝鮮がミサイルを日本に向けてバンバン撃ち込んでいるのは厳然たる事実だし、日本としてはそれを排除する防衛力を行使したい。ところが、憲法9条を盾に「自衛のための戦力」でさえ否定する左派勢力がある。

朝日新聞や民進党に代表される極左組織が憲法9条に固執する理由は簡単だ。彼らの主義主張が、中国、韓国、北朝鮮の立場だからだ。それらの国が武力行使で強引に日本の主権を蹂躙したときに、「日本には憲法9条があるからやり返せない」という状態にしておくためだ。反撃力を封じておかないと、東アジア三国は安心して日本に武力行使ができない。

ところが朝日新聞は開き直って、北朝鮮問題を解散反対の根拠として使っている。

 だが北朝鮮がミサイル発射や核実験をやめないなか、衆院議員を不在にする解散に大義があるとは到底、思えない。
(朝日社説)


「解散総選挙、勘弁してくれよー」という断末魔の悲鳴。北朝鮮問題に対処するための解散総選挙なのに、北朝鮮問題の最中に解散とはけしからん、という本末転倒の理屈だ。
解散総選挙で民進党が議席を減らすと、北朝鮮の核行動に対して自衛隊を緊急出動できる法律を通すことができる。朝日新聞がそれを何としても阻止したいのは分かるが、主張の仕方に無理がありすぎる。

国会は立法機関であって、行政機関ではない。北朝鮮が核開発に懸命になっている最中、機能を保持しておかなければならないのは、内閣であって国会ではない。衆議院に議員が多数つめかけていたところで、危機管理を迅速に行なえるようになるわけではない。

この朝日の悪あがきを見ても分かる通り、いまのタイミングで解散総選挙を行なわれたら、野党第一党の民進党に勝ち目はない。政策云々の問題ではない。いまの民進党が総崩れになっているのは、不祥事による自業自得だ。二重国籍問題に知らん顔をし続けた蓮舫代表が、逃げ切れずに代表辞任。自民党議員の不倫を糾弾し続けた山尾志桜里が、自身の不倫が発覚して離党。いまの民進党は、沈みかけた船からネズミが一斉に逃げ出すかの如く、離党騒ぎが相次いでいる。前原新代表の就任後も、その傾向が収まる気配は一向にない。

第1野党がこんな時であれば、そりゃ誰だって総選挙をするだろう。この時期の総選挙を非難するのであれば、「自民党の横暴」と糾弾するのではなく、そんな自民党の好き勝手を許す状況をつくりあげた民進党を責めるべきだ。今回、もし解散から総選挙の流れになったら、民進党の自滅と言ってよい。

朝日新聞の主張の仕方は一貫して、「こういう時に攻撃してくるなんて、ずるいぞ」ということだ。「こういう時」に追い込まれた自身の責任については知らん顔だ。
しかも朝日新聞は、「自分になにかやましいことがあるから、攻撃してくるんだろ」という口喧嘩レベルの根拠を振りかざしている。

小学校の名誉校長に首相の妻昭恵氏が就いていた森友学園の問題。首相の友人が理事長を務める加計学園の問題……。
臨時国会で野党は、これらの疑惑を引き続きただす構えだ。冒頭解散に踏み切れば首相としては当面、野党の追及を逃れることができるが、国民が求める真相究明はさらに遠のく。そうなれば「森友・加計隠し解散」と言われても仕方がない。
(朝日社説)

北朝鮮情勢が緊迫化するなかで、政治空白を招く解散には明確な大義がいる。その十分な説明がないまま、疑惑隠しや党利党略を優先するようなら、解散権の乱用というほかない。
(朝日社説)


これに反論するのは簡単だ。「森友・加計隠しって、何?」と訊けばよい。
最近、お昼のワイドショーやらニュースショーで「森友・加計疑惑」とくり返しくり返し連呼しているので、視聴者はなにか自民党や安倍首相が不祥事を犯したというイメージをもっている人が多いだろう。しかし実際には、森友・加計問題というのは、明確な違法性も、具体的な証拠も、一切ない。だから必ず「疑惑」という言葉がつく。

マスコミが森友・加計問題をやたらに取り上げるようになったのは、二重国籍やら架空予算の計上やら不倫やら、民進党議員の問題行為が次々と発覚しつつあった頃だ。これらの事例は森友・加計と違い、はっきりとした証拠があり、明確な犯罪行為だ。だからこれを覆い隠すべく、マスコミはやたらに「自民党にはこういう疑惑がある」と騒ぎ立て、証拠も違法性もない「疑惑」をイメージでつくりあげた。

マスコミが森友・加計問題を騒ぎ始めて数ヶ月が経つが、民進党をはじめ野党は、この間に森友・加計問題を根拠として自民党議員の首ひとつ穫れていない。安倍首相が疑惑に関与しているというのなら、きちんとした証拠を揃えて不信任案を突きつけるべきなのに、それすらできていない。もし森友・加計問題が民進党やマスコミが主張するように「大問題の不祥事」であるならば、それを今まで具体的な処罰につなげるように糾弾できていない野党の責任問題だ。

朝日新聞がこの社説で「森友・加計隠し解散」などと怪気炎を上げ、民進党やマスコミがこぞって森友・加計問題を流布したがるのは、いまの左派にとって、政権を攻撃できる弾がこれしか無いからだ。だからこれを撃ちまくるしかない。
しかも実際には、違法性もなく、証拠もない「ハリボテの弾」だ。火の気が一切ないから、しかたなく自分たちで火をつけて「煙だ、煙だ」と騒いでいる。


面白いのは、こうしてケンカしあっている朝日も産経も、ともに「憲法9条」を今回の解散総選挙の向こう側に見据えている、という点だ。

自民党内で首相が唱える9条改正案に異論が噴出し、公明党は改憲論議に慎重姿勢を強めている。一方、民進党からの離党組や小池氏周辺には改憲に前向きな議員もいる。
(朝日社説)

この機会に、防衛の根幹を左右してきた憲法9条などの改正をめぐる議論も必要だ。安倍首相が提起した9条1、2項を残したまま自衛隊の存在を明記する「加憲」案を、逃げずに論じるべきだ。
(産経社説)


おそらく朝日新聞は、北朝鮮のミサイル発射や核実験を、苦々しい思いで見ているだろう。このように近隣諸国で軍事的危機が発生すると、日本で憲法9条改訂の機運が高まってしまう。北朝鮮の核実験を擁護しつつ、日本は憲法9条を守るべきだ、という無茶なことを主張しなくてはならない立場に追い込まれている。最近の朝日の社説には、論理の破綻や強引な我田引水がいつにも増して多くなっているが、そりゃそうだろう。 偉い人の意向を反映して無茶な文章を書かされる記者も気の毒だ。
その不安が常にあるから、解散総選挙という具体的な案件に対しても、つい本音として憲法9条のことがぽろっと口をついて出てしまう。言わなくてもいいことを、つい言ってしまうようになる。

朝日社説のこの箇所だけ、朝日新聞の社説のなかで妙に浮いている。全体の文章のなかで、この部分が果たす役割や、論理的な流れがまったく見えない。
こういう支離滅裂で非論理的な文章こそ、大学入試の現代文の問題にふさわしい。この箇所に傍線を引いて、「この箇所が意図するところを説明せよ」なんて、かなり良い問題になると思う。 大学入試レベルの読解問題になるような悪文なので、一般の読者にとってはその意図などまったく見えないだろう。隠すように書いているので、当然といえば当然だ。

自民党内で9条改正案を抑止する勢力は、アメリカとの意見調整を必要とする立場だ。東アジア3国に気を使ってのことではない。憲法9条は日米安保条約とセットなので、その具体的な進め方をめぐっての議論にすぎない。
また、連立与党を組む公明党が改憲に慎重なのは、先の東京都議会選で都民ファーストと連携する立場をとったために、そのへんの口裏を合わせているだけだ。しかし公明党は選挙のたびに「勝てそうなところと連携する」というコウモリ政党なので、解散総選挙ということになったらまた自民党にすり寄ってくるだろう。

一方、民進党のなかで改憲に前向きな議員がいるのは本当だ。これは離党者が続出しているということから、客観的に判断できる。
つまり朝日社説の、このわけのわからない箇所は、「国会議員全体がゆっくりと改憲に向けて傾いている」という不安を表したものだろう。安倍首相は集団的自衛権を行使する法案を成立させた。いわば「日本の防衛力行使」を禁止する憲法9条の壁が切り崩されたわけであり、これに対する朝日新聞の危機感は相当なものだろう。このままでは朝日新聞は、中国様、北朝鮮様に申し訳が立たない。 

しかし「与党、野党ともに改憲を是とする」と書いてしまったら身も蓋もなく自社の主張につながらないので、話の流れをねじ曲げる必要がある。だから、一応、与党側にも「9条改憲に反するように見える動きがある」という、上っ面の現象だけをとりあげてバランスをとったのだろう。書かなくてもいい余計なことを書いてしまったせいで、より朝日の混迷と不安が浮き出てしまった文章になっている。


朝日新聞の自社ブランドにかける自負心は凄まじく、世の書店には「天声人語」を書き写すためのノートまで売っている。そういう、平常な常識があれば恥ずかしくてできないようなことを臆面もなくやっている割に、その文章はお粗末そのものだ。無茶な主張を強引に成り立たせるため、論理や根拠など無視する、最初から結論ありきの文章なのだから、文章がひどいものになるのは必然と言える。
この社説だって、「文章がうまくなりたい」と眼をキラキラさせた中高生が懸命に書き写す「お手本」にされるのかと思うと、中高生が気の毒になる。



朝日新聞をやたらに勧める先生、よくいましたね。
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フリースタイルスキー選手のトレーニング




アンドリ・ラゲットリ(スイス)

過労自殺の根本要因

電通の国内売上が激減 社員が「働き方改革」への本音を吐露


「現在も会社から言われて22時退社を徹底していますが、そのせいでクライアントから反発を食らって参っています。

夕方、担当者から『急遽、明日の朝イチでプレゼン資料が必要になりました。お願いできませんか』と電話がかかってきた時も、『22時退社なので……』と正直に断って平謝りしています。それでも粘られる場合は局長に相談しますが、当然『ダメだ』。『局長判断でできません』と伝えざるを得ない。

先方から不満を言われることも少なくない。いままでなら絶対に『喜んで』と即答していましたから、本当に大丈夫かと思うこともあります」

かつて電通のクライアント企業の担当者だった男性は、電通が置かれた状況の難しさを語る。

「電通が『ブラック企業批判』を受けるのは、広告を出す側としては印象が悪い。最近ではこうした問題がネットで炎上して不買運動につながりますから。電通への批判が自分の会社の商品に飛び火したらたまりません。

一方で、わがままな話ですが、クライアントとしては、これまで通り『何でもやってくれる電通さん』を続けてもらいたい。電通の経営陣はこのジレンマに苦しんでいると思いますよ」



夕方に連絡してきて「明日の朝イチまでに資料を作れ」なんて甘ったれてんのか


もしそういうニーズがあるとして、それを自社の内部で用意できず、広告代理店に丸投げしてるのなら、それはその会社にその仕事を請け負うだけの能力がはじめから無いということだろう。淘汰されて然るべき無能企業だ。
そういう無能のニーズを汲み取ることで、広告代理店というのは成り立ってきた面があるのだろう。考えてみれば、すべての企業が自社で広報する能力があれば、原理的に「代理店」などというものは不要なのだ。

代理店が企業にとっての「無茶振りをこなす便利屋」に成り下がり、その蓄積が企業体質となり、構造的な歪みとなって、人命が失われた。代理店だけの問題ではなく、代理店を奴隷のようにこき使い、偉そうに上から目線で無茶な要求をする企業にも責任の一端がある。


「ある媒体にクライアントの不祥事の記事が出そうになれば、部長級、局長級が媒体に出向いて土下座してでもそれを止めるということもあった。是非はともかく、そこまでしたから今の電通があるのは間違いない」
(元電通社員の藤沢涼氏)



代理店を使って不祥事をもみ消そうとする企業
その土下座をへらへら請け負う代理店



両方、頭おかしい。



もし広告代理店が、AM9時ーPM5時のような定時出勤よりも、クライアントの急な要求に応えられなければならない業種であるならば、勤務体系を根底から変えなければならないだろう。

たとえば、クライアントからの急な要求に対しては徹夜で勤務をしてもよい。イベントのような短期集中的な仕事のときには24時間働いてもよい。そのかわり、月単位で勤務時間をしっかり計上して、それに見合う休暇を翌月にとらなければならない。

1日24時間が勤務時間に等しい船員などは、20日間ほどの乗船勤務のあとでは、1週間〜10日の休暇をとらなければならない。要するに、勤務時間と休暇の割合が一定になっていればいいのだ。業種によって勤務形態は様々なのだから、それに応じて制度のほうを変えるしかあるまい。

ところが実際にはそうなっていないのは、管理職の無能によるのだろう。勤務時間をフレックスにして、労働時間に見合う休暇を消費しなければならないシステムにすると、そのシステムの継続性は上司の労働時間管理能力にすべてが懸かってくる。仕事の分配と、各個人の勤務時間を、適切に采配するマネジメント能力が必要になる。

現在の広告代理店がそのような制度になっていないのは、それができる人材がいないからなのだろう。いれば、そもそも新入社員が過労自殺するような事態にはなるまい。
日本人は、金よりも時間に汚い。売上金をちょろまかそうとする経営者は少なくても、従業員の勤務時間を超過窃取しようとする経営者は後を絶たない。形がなく眼に見えないためか、「時間はいくらでも搾取して構わない」と思ってはいないか。

そういう時間にだらしない根本体質が変わらない限り、広告代理店の勤務形態は変わるまい。表向きはフレックスを導入し、累加で休暇をとらなければならないシステムにしたとしても、すぐにそのシステムは形骸化し、実態は変わらないままだろう。再び「そのシステムのもとでは出るはずのない自殺者」が出るだけのことになる。



嫌な世界だ。

TV局、「間違えました」での印象操作が定番化

バイキング、元SMAP退所に関する誤編集を謝罪

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フジテレビ系「バイキング」で11日に放送された元SMAPメンバーの事務所退所に関する街頭インタビューの内容が間違って編集されたものだったとして、14日放送内で榎並大二郎アナウンサーが訂正して謝罪した。

11日放送では、元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾がジャニーズ事務所を退所したことについてファンに街頭インタビューを行ったVTRがオンエアされたが、その中で香港から来たファンが回答した内容を間違って編集したものが放送されたとした。

同ファンは、3人の退所に関する質問に「本当はうれしい。ずっと応援します」と答え、昨年末にグループが解散した時の感想については「寂しくて辛い」と答えたが、オンエアではそれぞれの回答が逆に編集されていたと説明。

榎並アナはこのミスの原因について「制作過程でのスタッフ間のコミュニケーション不足が原因でした」とし、「視聴者の皆さまに訂正させて頂くと同時に、インタビューを受けた方々に対してご不快な思いをさせてしまったこと、お詫びいたします」と謝罪した。



TBS、イスラム国ニュースで「佳子さま映像」流す
「『イスラム国』家族に『日本人』?」のテロップも


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TBS系の夕方の報道・情報番組で、イスラム国に関するニュースのナレーションの際、誤って秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの映像が流れるハプニングがあった。

ハプニングが起きたのは、2017年9月12日夕に放送された、報道・情報「Nスタ」(TBS系)。16時12分ごろ、CMに入る前に、「イスラム国戦闘員の家族に日本人か」のナレーションとともに、佳子さまがイギリス留学に出発されるときの映像が5秒程度流れた。佳子さまが空港で関係者に笑顔で挨拶している映像だった。また一瞬、画面右上にも「『イスラム国』家族に『日本人』?」というテロップが入った。

CMが明けると、井上貴博アナウンサー(33)が謝罪。CM前にイスラム国のニュースについてのナレーションをしたものの、映像が佳子さまに関するニュースのものだった、として、「大変失礼しました」とお詫びした。



日テレ、「首相発言テロップ誤表示」で謝罪 ビビり過ぎ?当然の事?

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自民党の党大会での安倍晋三首相(自民党総裁)の発言をめぐり、日本テレビがニュース番組内でのテロップに誤りがあったとして陳謝した。

安倍首相は「選挙のためだったら何でもする、無責任な勢力に負けるわけにはいかない」と発言したが、テロップでは前半部分だけを切り出して「安倍首相『選挙のためだったら何でもする』」と表示。安倍首相が批判の対象としている野党ではなく、自民党が「選挙のためだったら何でもする」とも読めるようになっていた。



安倍総理の発言を捏造した日テレ、お詫び訂正でも改行を巧みに使って悪あがき

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肝心の日テレはしばらくだんまりを決め込んだが、深夜になってようやく謝罪・訂正を報じた。しかし、ここでの訂正も誤解をミスリードするもので、もはや悪あがきとしかいいようがない。

こちらは変に入った改行のせいで安倍総理が「選挙のためだったら何でもする」と言ったと解釈できてしまう。高学歴で情報のプロであるテレビ局のスタッフがこんな初歩的なミスをおかすとは考えられず、故意にやっていることは明らかだ。

また、改めて安倍総理の発言を見返すと日テレは発言中の「こんな無責任な勢力に…」の「こんな」をカットしていることが分かった。こちらもまたミスリードを招く目的でわざと省いたのだろう。




まぁ、これだけ続けば、明らかにわざとだろう。


しかも、「編集ミス」の方向性があまりに一致している。テレビ局が印象を操作しようとしている立場にだけ「編集ミス」が生じ、テレビ局が支援したり出資したりしている立場を報道する際には、絶対にこういうミスは生じていない。

「編集ミス」であれば、ニヤニヤ笑いながら「申し訳ありませんでした」と頭を下げて謝罪さえすれば、それで一件は済んだことになる。
そして、そういう「ミス」は、何度も何度も繰り返されることによって、サブリミナル的に視聴者の印象を操作していく。批判されれば、「謝れば済む」ので、TV局にとってリスクはない。

いまマスコミは、こういう手段で印象操作をする段階に入っている、ということだろう。
こういう、マスコミ側の手段を知っておくことで、報道の意図がかなり分かる。



自浄作用がない以上、見る側が自衛するしかない。

国語で「こういう書き方は厳禁」と習うやつ。

「山尾氏離党 民進党よ、しっかりしろ」
(2017年9月9日 東京新聞社説)

民進党新体制の発足早々なぜこんなことになったのか。山尾志桜里衆院議員の離党。政権を担う覚悟を全党で共有しているのかと疑いたくなる。言わねばならない。「民進党よ、しっかりしろ」と。

離党のきっかけは、七日発売の週刊文春で報じられた、山尾氏と既婚男性との交際疑惑である。大島敦幹事長に離党届を提出した後、山尾氏は記者団に文書を読み上げ「誤解を生じさせる行動で迷惑をかけ、深く反省しておわびする。臨時国会の論戦に今回の混乱を持ち込むことは、さらなる迷惑をかけることになると判断した」と理由を説明した。

国会質問では、保育園に子どもを預けられない母親の窮状を訴えた「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログを取り上げて安倍晋三首相を追及。政府が待機児童問題の深刻さを認識し、対策に本腰を入れるきっかけとなった。
その後、当選二回ながら政調会長に登用されるなど、民進党のみならず政界の将来を担うべき有為な人材である。その山尾氏が代表選直後に離党に追い込まれたことに、失望している人たちは多いのではないか。特に、子育て世代には「裏切られた」との思いもあるようだ。

個人的な問題と政治活動は別だとの声がないわけではない。しかし、そもそも誤解を生じさせるような行動を、民進党の再生を期すべき重要な時期にしていたことは軽率の極みである。

常日ごろは説明責任を果たせ、と安倍政権に迫りながら、記者からの質問を一切受け付けなかった対応にも不信感が残る。前原誠司新代表は、山尾氏の幹事長起用を一度は決めながら、男性との交際疑惑を報道前に知り、撤回した。党の要である幹事長自身が疑惑にさらされる事態は避けられたが、前原新体制の船出はかなり厳しいものになるだろう。

早ければ九月下旬には臨時国会が始まり、安倍政権と本格的な対決が始まる。十月二十二日には衆院三選挙区で補欠選挙、来年十二月までには衆院選がある。再び政権交代を果たすには時間を要するだろうが、民進党がその足掛かりを築くには、失墜した党への信頼を回復することが前提だ。

もはや甘えは許されない。自民党に代わる政策や理念の選択肢を示すのは国民のためだ。議員に限らず民進党にかかわるすべての人が、その決意を今後の政治行動で示すべきである。それができないのなら民進党に存在意義はない。




なぜ「個人的な問題と政治活動は別だ」と断定しないのか。



新聞のくせに、なぜ自分たちの声として書かず、「そう言っている人がいる」と責任転嫁しているのか。



世間の感情に迎合する根性無しが。

社説で書くべきこと

絶えない部活動の体罰 意識改革まだまだ足りぬ
(2017年9月7日 毎日新聞社説)
わいせつ教員 情報共有はあたりまえだ
(2017年9月7日 産経新聞社説)


夏休みが終わり秋になって、学校が始まる季節になった。
だいたいの学校では、生徒を夏休みロスの気分から抜くために、この秋口の季節にイベント的な学校行事を置いている。夏の厳しい暑さが和らぎ、生徒の集中力を高めやすい時期になる。9月に文化祭が行なわれる学校が多いのはそのためだ。
そんな時期の2社の社説。それぞれ切り口は違うが、「学校に関する社説」という点で比較してみたい。

結論を先に言うと、産経の社説には意味があり、毎日の社説には意味がない。
そもそも、社説というのは何を書くべき場なのか、という「社説の意義」に立ち返って考えると、そういう評価になる。

産経の社説は、子供にわいせつ行為をはたらいて処分された教員に対する警鐘だ。
毎日新聞がとりあげたいじめ問題とならんで、学校現場での不祥事のトップ2だろう。

子供にわいせつ行為をして処分された教員について都道府県の教育委員会が情報共有するシステムが検討されている。処分歴を隠して他の地域で教壇に立ち、事件を繰り返す例が後を絶たないためだ。子供を守る、あたりまえの情報共有がなされていない現状にこそ驚く。早急に改善策を講じるべきだ。

今年発覚した例でも、女子児童への強制わいせつ容疑で逮捕された愛知県の公立小の臨時講師は、埼玉県内の小学校教諭時代に、児童ポルノ事件で停職処分を受けたことを隠していた。


社説の役割のひとつは、「社会で生じている諸問題を広く知らしめること」だ。その事件が広く知られているか否かは関係ない。世間の耳目を集める大事件であっても、「問題の本質は、世間で思われているのとは違う」ということもあり得る。

わいせつ行為をした教員が処罰されるところまではよく報道されるが、その処罰された教員がその後どうなっているのかまでは、あまり知られていないだろう。産経新聞はここで驚くべき事実を公表している。懲戒免職になった教員は、その後、免許失効期限が切れるのを待って、よその地域で知らん顔して教員に復帰している、というのだ。 問題提起としてはかなりの衝撃だろう。

社説の役割のふたつめは、「現行の施策に対して適切な評価をすること」だ。問題が起きた。それに対する世の中の動きがあった。その動きは正しいのか間違っているのか。それを適切に評価しなくてはならない。

 懲戒免職処分や禁錮以上の刑を受けた教員の免許は失効し、官報に掲載される。システムにも登録されるが、検索方法が複雑で、氏名を入力しただけでは失効状況や理由がすぐ分からないという。また、現行では官報に載らない停職以下の処分については、自己申告頼みだという。免許が失効しても3年たてば再交付可能で、他の教委で採用される例がある

教職員らのわいせつ事件をめぐっては、学校や教委が情報を得ながら警察の捜査が及ぶまで調査を行わない例がある。問題ある教員を教壇に立たせず、研修などを行う制度も適用例がわずかだ。


産経新聞は、現行のしくみに対して「ダメ」、という評価を下している。教員現場の不祥事は、扱う対象が児童であるため、情報の公開ができず、過去の問題事例も不透明になる傾向がある。その目的は児童を擁護することにあるのだが、それが悪いほうに働き、教員の不祥事が隠蔽されやすい仕組みになっている。

社説の役割のみっつめは、「具体的な解決案・代案を提示すること」だ。文句ばかり言っているだけではいけない。マスコミとしての社会的責任を果たすには、最低限の解決案は示さねばなるまい。
この点に関して、産経新聞は文部科学省の小さな動きに注目した。

文部科学省が来年度予算の概算要求に「教員免許管理システム」改修の関連経費を盛り込んだ。

13歳未満の児童を対象とした性犯罪について法務、警察両省庁が情報共有するなど、再犯防止を強化する流れにある。教育界も真剣に取り組むべきだ。

 児童生徒へのわいせつ行為は、教職者の立場を利用した卑劣な犯罪と銘記すべきだ。停職など極めて重い処分の情報共有をためらうべきではない。個人情報を名目に子供が危険にさらされている


要するに産経新聞の提案は、「犯罪履歴の登録をシステム化しろ」「警察案件にしろ」という2点だ。現行のやり方では、問題教員がいかようにも過去の履歴をごまかせる。だから、そのごまかしが効かないように情報登録と管理の方法を根底から変えろ、ということだ。

また教育現場では、教員・生徒の両方の立場に対して、警察権力の介入を忌避する傾向がある。学校内の問題は学校内で処理するというのが基本原則となり、あたかも不入権、治外法権かのごとく勘違いしている学校関係者もいる。
しかし、生徒によるいじめ(恐喝、暴行、強要)や、教員によるわいせつ事件などの不祥事は、本来的には警察に届けるべき「犯罪」だ。校則や服務規程の違反ではなく、刑法の違反だ。警察がそういう前科教員に関する情報にアクセスしやすくなることで、再犯を防止することができる。

産経新聞の真意を察すれば、おそらく本来の意図は「個人情報隠匿にまつわる危険性の警鐘」だろう。それも教師側ではなく、児童側のほうが発端だと思う。学校では児童の犯した不祥事は可能な限り隠匿することになっている。児童の出自などの個人情報も秘中の秘だ。それを強力に推進しているのが日教組だ。

日教組はもともと戦時中の学徒動員に反対する教職員組合だったが、「戦争反対」の部分だけが肥大化し、そのイデオロギーを朝鮮総連に利用される極左組織になり下がった。在日生徒の情報開示を頑に拒むのはそのためだ。
現在の小中学校では給食費の未納が相次いで社会問題化しているが、どの生徒、どの親が給食費を払わないのか、学校側は絶対に公表しない。日教組を中心とする勢力が「生徒の個人情報」を盾に、情報開示に反対しているからだ。だから、どういう出自の親が給食費の支払いを拒否しているのか、世間には一切知らされない。

産経はおそらく、わいせつ前科教員の問題を「社説の弾」として用意してあったのではなく、もともと用意してあったのは「教育現場の情報隠匿体質」のほうだろう。特に、日教組が子供の個人情報を秘匿したがることに、かねてから文句をつけたかったのだと思う。そこで「子供を保護するために情報秘匿を」という学校側の主張に対して、「情報秘匿のせいで子供が危機に晒されている」と、相手の主張を逆用して非難する方法をとったのだろう。

産経の社説が評価できるのは、「この提言が正しいから」ではない。正直に言うと、僕個人としてはこの産経の提案には反対だ。学校による情報秘匿をすべて一括して非難し、すべての情報を開示する、という方法は、やはり恩恵よりも弊害のほうが多い。教師の情報は公開し、児童の情報は秘匿する、という方策をとるにしても、教師はそもそも児童の情報を得られる立場にあり、その逆は成り立たない。情報上の立場が不可逆的である以上、片方だけを保護し他方を公開する施策は、無理が生じるだろう。
また、すべての問題教員が再犯を犯すわけではない。真摯に反省し、人生をやり直そうとする教員もいるだろう。過度な情報開示は、そういう人々の人生のやり直しを阻害してしまう恐れがある。社会復帰の道が断たれることで、わいせつ行為の隠匿が悪化し、犯罪がより凶悪化することだって考えられる。

産経社説の価値は提言内容の是非にあるのではなく、それが踏まえている方法論の的確さにある。少なくとも表面的にはこの社説は、社説が満たすべき「啓蒙」「評価」「代案」の3要件をきれいにクリアしている。内容の良し悪しよりも前に、社説の書き方として合格だろう。これらの要件が揃っている主張には、きちんとした反論ができる。発展した議論の足がかりにできる。

誤解されることが多いが、論説では「正しいか、正しくないか」という「内容の是非」よりも、「適切な方法論にのっとり、議論のルールを守っているか」という「方法の是非」のほうが、説得力に直結することが多い。内容さえ正しければいい、というのであれば、すべての社説に対して「我々ひとりひとりがしっかりと自覚して、よりよい世の中をつくっていくために努力していくべきである」とでも書いておけばいいのだ。正しいが、何の役にも立たない。主張の「方法」を無視した一般論というものは、かように無駄なものなのだ。

社説に必要な3要件のうち、「代案」に必要なルールは、「実際にそれを行なったか否かが、はっきりと分かる」という情報単位にまで落とし込んだ提案を行なうことだ。これを科学用語では「反証可能性」という。
たとえば、「どうすれば野球の守備がうまくなるか」という問題に対して、「1日100球のノックを課す」というのは反証可能だが、「ひとりひとりが集中して、最後まであきらめずに努力する」というのは反証可能ではない。やったか、やらなかったかが、客観的に判定できるものでなければ、提言としてはまったくの無価値なのだ。


そこで翻って、毎日の社説を見てみる。
呆れるほどに社説に必要な要件を満たしていない。3要件のすべてが全滅だ。

(1)啓蒙
「部活動で体罰が行なわれている」 ←誰でも知ってる。

(2)評価
「体罰はいけないのである」 ←あたりまえ。

(3)代案
「指導者は意識を変えていかねばならない」 ←反証可能ではない。



小学生にでも書ける。



読者の知らない新しい事態を知らしめているわけでもない。良し悪しを判断するのに独自の視点が必要な問題ですらない。それに対する提案が「意識を変えること」と来る。社説として云々以前に、学校教育を受けたはずのまともな社会人が書いた文章とは思えない。

だいたい、社説の題名にしてからが「意識改革まだまだ足りぬ」。足りる、足りぬの問題ではなく、「意識改革」などという出発点が間違っている。「意識」などという計量不可能な概念に対して、「足りぬ」という計量的な判定。自分で何を言っているのか分かっていないのだと思う。毎日新聞は、「意識が十分」という理由で成功を評価できる段階を、どのように定義しているのだろうか。


毎日はどういう書き方をしなければならなかったか。
もし毎日の社説が僕の学生のレポートで、それに手直しをしなければならないとしたら、「問題指摘のポイント」から基礎工事をやり直さなくてはいけないだろう。

レポートの良し悪しを決めるのは、端的に言って「問いは何か」だ。答えは何か、ではない。「間違った答えを出したくない」というのであれば、反証不可能な言説を並べておけば間違えようがない。「みんなで頑張ればいいと思います」は、間違ってはいないが、決して評価される提案ではない。

その眼で毎日社説を眺めると、「問い」と呼べる問題提起がまったくない。ところがその芽まで皆無かというと、そうではない。惜しいところを何度も素通りしている。

2012年12月、大阪市立桜宮(さくらのみや)高校バスケットボール部の主将が顧問の教諭から日常的に体罰を受け、自殺した事件を契機に、部活動の暴力的な指導が次々と表面化した。
 文科省の調査では、中学・高校の部活動での体罰は減少傾向にあるが、15年度でも195件発生した。体罰全体の約3割が部活動中だ。発生件数というが、認知できた数と取るべきで実際はもっと多いだろう

 桜宮高の事件以降、自治体やさまざまな競技団体が「暴力根絶」を宣言したが、現場には浸透していないとしか思えない


いじめの発生件数が下がったら警戒しろ、というのは学校現場の常識だ。おおむね、いじめが減ったからではなく、単に隠匿が増えて報告回数が減っただけ、という理由であることが多いからだ。いじめの件数が0件と報告されて無邪気に喜ぶのは、よほど間抜けな教育関係者だろう。

社説には「大阪市立桜宮高校バスケットボール部の体罰自殺以来、暴力的な指導が次々に表面化した」とある。毎日新聞はこれを否定的に捉えているが、本当にそう捉えるべきだろうか。いままで隠匿されていた体罰が明るみになったということは、自浄作用が増し、情報の透明度が上がったということでもある。いままで隠匿されていた要因は何なのか。その問いから始まって、学校現場の情報開示に対する具体的提言にもっていく書き方だってできるだろう。

自治体や競技団体が「暴力根絶」を宣言しても無駄っぽい、と言うのであれば、それらの宣言の実効性を数値的な件数で公表してもいいだろう。暴力根絶宣言は、体裁を繕うだけの単なる題目と化してはいないか。それが現場の改善に結びつかない要因は何か。必要な措置と現実の間には、どういうギャップがあるのか。そういう提言をして、はじめて反証可能性が保証された具体的な提言になり得る。

毎日新聞は、なぜこんな無意味な社説を書いたのか。
要因を端的に言うと、「ネタ切れ」だろう。新聞は社説を毎日載せなければならないが、世の中にはそうそう大事件が頻発するわけではない。書くことがない、という日だってある。
 
そういう日のために、新聞社は常々、「隠れた事案」に対するアンテナを張り巡らし、提言のストックをたくさん用意しておかねばならない。緊急の事案ではないが、長期的な視野での提言が必要なことだってあるだろう。そういう「持ち弾」の多寡が、新聞社としての基礎体力を決める。

毎日新聞には、そうした「貯め」がないように見える。社説の内容を日々のビッグニュースに依存し、泥縄式に社説を書き飛ばしてはいないか。だから何も起こらなかった日は、「体罰」という、特に何が起こったわけでもなく、世間的な評価も当たり前、提言など皆無、という安易な記事しか書けないのだと思う。どうせこんな屑のような社説を書いたところで、読者はその屑さ加減など分からないだろう、という舐めた態度も垣間見える。


社説に限らず、物事に対する提言というのは「合っている」「間違っている」という二極分化でばっさり分けられるものではない。どの主張にも、それなりの背景と思惑と正義がある。だから論説の是非を決めるのは「方法論」だ。何を主張するのか、ではなく、どうやって主張するのか、が論説全体の是非を決める。そこらへんを理解していない社説は、単なる印象のばら撒きに過ぎない。



はじめから目的ありきの文章ほど方法論を無視して書いている。
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日本経済新聞「大機小機」2017年9月2日

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いつか使うことになる予感がする文章なので貼っとく。

信じられるか?これ、日本の新聞なんだぜ...

朝日新聞「素粒子」2017年8月30日

 北朝鮮のミサイルで得をしそうな。日本に迎撃システムを売る米の軍事産業。こんな時にはすぐ国会を開く政権。

 ヒトラーの場合は選民思想や反ユダヤでは。動機がいくら正しくても、と麻生氏。あい変わらずナチスにご執心。

 これしか食うもんがねえんだ。おしんが食べたのは大根めし。飽食時代の糖質オフばやりでシャリ抜き大根ずし。




中国よりも北朝鮮よりも気が狂ってる。

分詞構文の副詞用法

音楽ショップや楽器屋さんで、よく「No Music, No Life」という標語を見かける。


もともとはタワーレコードが作った標語だそうで、「音楽なくして人生なし」という意味。
厳密には、この標語は誰もが勝手に使っていいわけではない。タワーレコードはこの標語の商標権を取っている。しかし、実際には様々なアーチストがこの標語を使用し、タワーレコードも直接の商用ではない限り黙認している、というのが現状のようだ。


しかしこの標語、なぜ「音楽なくして人生なし」という意味になるのだろうか。


命題論理では、ふたつの命題の間の関係は「条件」だけではない。
機械的には、様々な論理関係が成り立つ。

「音楽がない。そして人生もない」(順接)
「音楽がない。しかし人生もない」(逆接)
「音楽がないので、人生がない」(理由)
「音楽がない。なぜなら人生がないからだ」(結果)
「音楽がないとき、かつそのときのみ、人生がない」(必要十分条件)
「音楽をなくすために、人生をなくす」(目的)
「音楽がないとき、人生がない」(時間)
「音楽がないと同時に、人生がない」(付帯状況)

このうち、なぜ「条件」の「音楽がないとすれば、人生もない」という意味になるのか。
この標語がプリントされているTシャツを着てる高校生あたりは、ちゃんと説明できるのだろうか。


学校文法の範疇では、この表現は現在分詞の副詞的用法に属する。
動詞が、ある形態変化を伴って他の品詞に変換されることを「準動詞」という。準動詞の種類には3種類あって、変化できる品詞も三種類ある。

(1) 不定詞 … 名詞、形容詞、副詞に変化。
(2) 現在分詞 … 名詞、形容詞、副詞に変化。
(3) 過去分詞 … 形容詞、副詞に変化。

(1)〜(3)の準動詞のうち、過去分詞だけは名詞にはなれない。
また、現在分詞の名詞用法は、一般的な慣習として「動名詞」と呼ばれている。
現在分詞と過去分詞の副詞用法が使われる構文は、ふたつまとめて「分詞構文」と呼ばれている。

品詞のうち、英語で修飾語になれるものは形容詞と副詞だけだ。形容詞は名詞を修飾し、副詞は名詞以外のすべて(動詞、形容詞、副詞、節、文全体など)を修飾する。
つまり、副詞は「それ以外」の修飾語なので、用法と意味が雑多でごちゃまぜになっている。不定詞の副詞用法と、現在分詞および過去分詞の副詞用法(分詞構文)は、それぞれ意味が多岐にわたる。

・不定詞の副詞用法 … 時、理由、目的、結果、付帯状況
・分詞構文(現在分詞・過去分詞の副詞用法) … 目的、理由、条件、譲歩、感情の原因、判断の根拠

分詞構文のうち、be動詞が分詞になるときは、省略してもいいことになっている。

Written in a clear hand, this report is easy to read.
(きれいな字で書かれているので、このレポートは読みやすい)


つまり、No Music, No Life の節のつながりは、Being No Music, No Life のように、be動詞の過去分詞が省略された分詞構文、と考えられる。
すると意味としては、「目的」「理由」「条件」「譲歩」「感情の原因」「判断の根拠」のどれか、ということになる。

このうちのどれを意味にとるかは、意味上の主語、意味上の目的語、文脈の組み合わせで決まる。
分詞構文の場合、分詞が「主節の主語とは異なる主語」をとる場合、分詞の主語を明記しなくてはならない。しかし No Music, No Life の場合、そもそもの主節に主語がついていない。
よって主節は主語のない「一般概念」。分詞の主語についてもそれと同じ、ということになる。

特定の主語がいないのだから、主観的な意味を表す「目的」「理由」「感情の原因」「判断の根拠」の可能性が消える。
残る意味は「条件」「譲歩」だけだが、「譲歩」というのは論理接続ではなく、文体論的な接続に過ぎない。「条件」に比べると論理性の「強さ」で劣る。言い替えると、「条件」のほうが、適用される現実世界の有様が多く、普遍性が高い。
よって、「条件」の意味を優先的に採ることになる。

かくしてNo Music, No Lifeの意味は、「音楽がなければ、人生もない」という条件節の解釈、ということになる。
この用法は別にタワーレコードが作った造語用法というわけではなく、No pain, no gain (虎穴に入らずんば虎児を得ず)のような文でも使われている。



「音楽でも生き物でもない」と訳したい。

スタンプラリーの目的は

この夏、東京の街を歩いていて気づいたことがふたつある。


ひとつは、夏休み中に電車に乗っている小学生あたりの子供がやたらに多いこと。
まぁ、夏休みだから子供が電車に乗っておでかけするのは当たり前なのだろうが、僕が子供の頃は夏休み中にそんなに電車に乗る機会などなかった。お出かけするときには車が多かったし、都内に出かけるほどの用事は子供にはない。先立つ資金力もない。今時分の子供達は、夏休みに電車に乗っていったいどこにでかけているのだろうか。

電車の子供達をよく見てみると、どうやら鉄道各社が実施しているスタンプラリーをやっているらしい。みなさんお揃いでスタンプ帳などを持参のうえで「次は○○○駅だね!」なんてやっている。
付き添いで付き合うお父さんお母さんはご苦労なことだ。


pokemon

ちょっとやそっとの根性で済むイベントではない。 


この鉄道スタンプラリー、最近では毎年当たり前のように行われるようになった。JRだけでなく、私鉄各社も競合するかのごとく右に倣えでスタンプラリーを実施している。
よく考えると、僕が子供のころはこんなイベントはなかった。このスタンプラリーというイベントが隆盛になっていたのは、ここ10年くらいのことだと思う。
いったいどうして、鉄道各社は夏休みにスタンプラリーをこんなに実施するようになったのだろう。


この夏に気づいたもうひとつの点は、外国人観光客が多くなっていることだ。アジア圏だけでなく、欧米系の観光客も多い。増加している外国人観光客は、夏の東京にいったい何をしに来ているのだろうか。

僕に言わせれば、夏の東京なんて、世界で最も観光旅行に向かないところだと思う。なにせ暑い。暑いだけでなく、湿気があり風通しが悪いので、暑さの質が違う。夏休みに海外に避難したいと思うことはあっても、夏休みの東京を満喫しよう、という感覚は、当の日本人には薄い。

国土交通省の管轄内にある観光庁は、2020年の東京オリンピックまでに、外国人観光客4000万人を目標に『明日の日本を支える観光ビジョン構想会議』を策定した。同時に、文化庁も外国人観光客に向けての他言語情報発信の施策(「文化財の多言語解説等による国際発信力強化の方策に関する有識者会議」)を立ち上げた。日本政府は、外国人観光客を誘致する活動を活発化させる方針で一致している。

しかし、たとえば東京に限って観光客誘致のプロジェクトを組むとしたら、具体的には何をすればいいのだろうか。日本の都市開発や都市運営の目標として「外国人観光客誘致」を掲げるとしても、いったいどうすれば日本への観光客を増やすことができるのだろうか。


僕がこの夏気づいた点、
(1)スタンプラリー、増え過ぎじゃないか?
(2)外国人観光客、何しに来るんだ?
のふたつを、同時に説明できる「何か」が、いま東京で起こっていると思う。


外国人観光客はさておき、東京近郊に住む日本人は、夏休みにどこに遊びにいくのだろうか。国内旅行で各地に出かけるのはともかくとして、東京近郊の中でレジャー需要を満たすとしたら、どういう所に遊びに行くだろうか。

レジャー需要の高い高校生・大学生の目線で考えてみると、東京近郊で遊べるところといえば、としまえん、西武園、東京ディズニーランド&シーなどの「遊園地」、上野動物園、多摩動物園、東武動物公園などの「動物園」、サンシャイン水族館、葛西臨海水族館、しながわ水族館、八景島シーパラダイスなどの「水族館」などがあるだろう。

これが、もう少し経済力がついた社会人になると、お金を使った遊び方が増えてくる。ディズニーリゾートに隣接したイクスピアリ、お台場海浜公園、横浜みなとみらい21など、東京湾岸に相次いで建設されたリゾート施設で遊ぶことが多いだろう。

これらの「日本人向けレジャー施設」の共通点は、都心から一段離れた「周辺地」に建設されていることだ。都心にある新興施設としては東京スカイツリーがあるが、あれはもともと公共設備としての役割をもつ電波塔であって、レジャー機能は付加的なものに過ぎない。
東京のレジャー施設が都心からやや離れた近郊地帯にあるのは、そもそもの東京の都市構造に原因がある。

東京は世界でも珍しいほど一極集中型の都市なので、域内に居住空間が充分ではない。そこで都心で働く労働者は、都心からやや離れたところに住むしかない。行政が主導して、ベッドタウンとして住宅団地を相次いで建設した。東は千葉県柏市・松戸市・市川市、北は埼玉県戸田市・越谷市、西は練馬〜所沢、多摩川流域、横浜市港北区などが該当する。これらの町はすべて「都心で働く人のための住居」のために作られたものだ。

これらの地域から都心に通勤するためには、交通の足が必要だ。そのため、これらのニュータウン開発は、私鉄各社が主導して行った。千葉県西部では京成電鉄、東京都西部は西武鉄道、埼玉県越谷市〜草加市は東武鉄道、多摩川流域・横浜市東部地域は東急鉄道が、それぞれ地域開発を担った。日本の鉄道会社が不動産業務を兼業していることが多いのは、そのためだ。

これらの周辺地域にニュータウンを建設したら、移住してくる世代は若年層が中心になる。そのため、若年層や子供の需要を満たすため、レジャー施設が必要となる。これらを建設するためには、土地の制約上、都心側には作れないため、さらに「外側」に建設することになる。
つまり、東京近郊の都市構造は、「都心」ー「ニュータウン」ー「レジャー地域」のように、放射状に広がり、それらを鉄道がつなぐ構造となっている。

問題は、このように作られた「日本人向けレジャー施設」は、外国人に対する訴求力がないことだ。日本に訪れた外国人観光客は、別に水族館や遊園地で遊ぶために来るわけではあるまい。お台場のショッピングモールに行っても、そこに入っているのは自国にもあるショップばかりだ。
日本を訪れる外国人観光客は、「他の国では味わえない、日本だけにあるもの」を楽しみに来日する。その多くは歴史遺産だ。寺社仏閣、歴史的建造物、歌舞伎・相撲などの伝統的日本文化が目当てだ。

そして、そういう伝統的日本文化の表象は、多くが都心に存在する。多くが山手線の内側にある。夏休みに、都心の地下鉄をうろうろする外国人観光客が多いのは、そのためだ。日本人であれば「あることは知っているが、一度も行ったことがない」というところが目当てになる。
外国人向けに発行されている外国語の日本ガイドブックを見てみると、浅草寺、泉岳寺、明治神宮などの寺社仏閣や、迎賓館、浜離宮庭園、国会議事堂、築地市場などの施設が中心に紹介されている。最近では、秋葉原のアニメショップや、神田神保町の古書店街も人気がある。日本では物議を醸すことが多い靖国神社も、外国人観光客にとっては歴史遺産として紹介されていることが多い。

つまり、「日本人向けのレジャー施設」と、「外国人観光客向けの訪問先」は、相互に噛み合っていないのだ。休日の日本人と、外国人観光客は、動線が違う。大雑把に言って、山手線の内側の都心地域は外国人、周辺近郊は日本人、というように、遊ぶ場所の地域分けが明確になっている。

そして、政府は文化事業の方針として「外国人観光客の誘致」のほうを重視しているわけだ。日本人の内需拡大と消費増大を目指しているわけではない。外国人観光客の嗜好を理解したうえで、そこを強化して誘致をはかるためには、具体的にどのような施策を打てばいいのか。

外国人の目当てが歴史的建造物や伝統的文化だとしたら、インフラ整備や新規の建築事業で需要を拡大するのは現実的ではない。新しく何かハコモノを作ることによって誘致をはかるわけにはいかないのだ。方針としては「すでにあるものを有効利用する」しか方法がない。よって、誘致事業の軸は、建築などのインフラ整備ではなく、「内的要因」の充実しかない。
では、その「内的要因」とは何か。

顧客を増やすための鉄則は、「リピーターを増やすこと」だ。日本に何度も来たい、と外国人に思わせることが第一になる。
アジアの観光で日本とライバル関係にある韓国、中国、台湾、香港なども、近年になって外国人観光客が増加している。欧米のオリエンタル趣味を満たすための国としてこれらの国は魅力的らしいが、リピーター率を調べてみると、それらの国を抑えて、日本が最も多い。

日本交通公社が2016年に実施した「訪日外国人旅行者の意向調査」によると、「今後、旅行したい国はどこか」という問いに対して、日本は51%でトップを占めている。
これは、比較として韓国や中国を考えてみると分かりやすい。アジアからだけでなく、欧米からの観光客の意識調査を見てみると、旅行先として日本を希望している旅行者は30%代〜40%代を占めているのに対して、韓国を希望する旅行者は10%代、中国を希望する旅行者は20%代にとどまる。韓国では観光政策として日本をターゲットに定めており、「なぜソウルよりも東京のほうがリピーターが多いのか」という問題に国是として取り組んでいる。

東京が外国人観光客に人気なのは、大きく言えば治安とインフラ充実度が理由だ。東京では、財布を落としても交番に行けば返ってくる。携帯電話を紛失しても戻ってくる国は、世界で日本だけだそうだ。普通の店に入ればぼったくられる危険も少ない。犯罪に巻き込まれる可能性が少ないため、安心して夜遊びができる。ナイトライフが充実しており、深夜でも一人でコンビニまで買い物に行ける。

外国人観光客にとって都市のインフラとは「ホテルのベッドの寝心地」「移動の足が保証されていること」であることが多い。日本は高級ホテルからビジネスホテルまでランクの幅が多く、値段ごとに一定のサービスが保証されている。最近では「雑魚寝でもいいから安いほうがいい」という旅行者向けに、外国人向けのゲストハウスやホステルが多く作られている。「あしたのジョー」でお馴染みの東京都荒川区の泪橋周辺は、現在、ドヤ街用の安旅館が軒並み建て替えられ、外国人向けのゲストハウスが密集している。もともと家内制の零細宿泊業者が多かったことと、外国人向け観光地の目玉である築地市場まで近いことが背景にある。

このような東京の現状で、「さらなる招致誘因の充実を」と画策したときに、これ以上なにができるのか。
外国人向けの東京ガイドブックを読んでみると、かなりの長いページを割いて「交通機関の使い方」を説明している。

つまり、JR、私鉄、地下鉄と様々に分岐した鉄道網。外国人にとっては、悪夢のような地下迷宮に見えるらしい。目当ての場所に行くための一番の障害は、「どうやってそこまで行くのか」という鉄道路線の乗り継ぎだ。日本は世界の都市と比べてタクシー料金がダントツで高いため、外国人観光客は基本的に移動には電車を使う。

ガイドブックや地図だけを見て東京の複雑な路線を乗り継ぐのは、地方出身の日本人でも難しい。ましてや、日本は言語的に孤立した国で、基本的に日本語以外は通じない。職員に乗り換えを訊いたとしても、言葉が通じるとは限らない。東京が「旅行しやすい街」を目指すときには、外国人にとって電車の乗り換えがしやすい環境をつくらなくてはならない。端的に言うと、外国人に対する駅員の説明能力を上げる必要がある。

これは鉄道会社の側の立場にたってみると、改善の方法が見えてくる。外国人は日本に不慣れなので、土地勘がなく地名に疎い。だから駅員は、交通の理解度が低い相手に、丁寧に乗り継ぎを説明しなくてはならない。駅員はプロの専門家だから、乗り継ぎの方法を自分では理解しているが、それを「訳わかっていない聞き手に分かりやすく説明する」という説明の技術が必要になってくる。そのためには練習が必要だろうし、継続的で実習的な訓練も必要になる。

夏休みのスタンプラリーは、そのためのものではあるまいか。スタンプラリーに参加するのは、ほとんどが子供だ。ポケモンだの妖怪ウォッチだの、キャラクターのスタンプを使用しているのは、対象者を子供に絞って「地理的理解の低い乗客」を想定するためではあるまいか。子供は脳内に地図ができあがっていないので、たとえば池袋ー新宿ー渋谷の位置関係など理解できない。山手線のどっち側に東京駅があるのか、中央線と総武線の停車駅はどう違うのか、一切知らない。そういう「理解力の低い乗客」に丁寧に説明することで、土地勘がなく言葉が通じにくい外国人観光客に対する、駅員の説明力を高めようというのが、スタンプラリーの本当の目的ではあるまいか。 つまりスタンプラリーの本当の目的は「乗客・子供を引き込む利用者促進のため」ではなく、「駅員の訓練のため」と考えられる。

今年の夏、鉄道各社が実施しているスタンプラリーのなかで、ひとつだけ東京メトロのスタンプラリーだけが異色だ。他の鉄道各社がポケモンなどの子供向けキャラクターを使用しているのに対し、東京メトロのスタンプラリーだけは、1980年〜1990年代の「往年の少年ジャンプのキャラクター」を使用している。「ドラゴンボール」「魁!男塾」「シティーハンター」「スラムダンク」「ろくでなしBLUES」「北斗の拳」「キャプテン翼」「キン肉マン」などの作品は、いまの子供にとってリアルタイムの作品ではなく、それほどテンションが上がるものではあるまい。使用しているキャラクターを見る限り、東京メトロのスタンプラリーの対象は、30代〜40代の大人だと考えてよい。

なぜ、東京メトロだけ大人を対象としたスタンプラリーを実施したのか。
説明の難易度の違いだろう。路線図で説明しやすいJRや、直線路線が多い私鉄各社とは異なり、複雑に入り組んだ東京メトロの乗り換え説明は、段違いに難しい。小学生の子供にいきなり大手町駅の乗り換えを説明するのは、ハードルが高すぎる。だから駅員の側が、段階的に説明力を上げていくためには、まず「ある程度の地理的感覚のある大人に説明する」という段階から入ったほうが現実駅だろう。駅員の側が、大人に説明できるようになってから、順次子供を対象とするように移行していくのだと思う。だから予測として、近年中、少なくとも2020年までには、東京メトロのスタンプラリーも、子供を対象としたものに変化していくと考えられる。

東京メトロは、2016年の秋にもスタンプラリーを実施している。その時に使用したキャラクターは「魔法つかいプリキュア」。期間は2016年9月17日から10月30日までで、これは夏休みが終わり、小中学校がすでに始まっている時期だった。
キャラクターから考えて、対象となるのは、小学生の女の子か、大きなお友達の方々だろう。男の子であれば友達同士でスタンプラリーをやるかもしれないが、小学生の女の子にとっては子供同士でスタンプラリーをするのはハードルが高かろう。週末をつかって、お父さんと一緒にやるだろう。また大きなお友達の客層は、アニメ好きと鉄道好きの分布が重なっている層がスタンプラリーに参加すると予測できる。どちらにしても、乗り換えを駅員に訊いてくるのは大人になる。いずれにしても、「乗り換えを、とりあえず大人にわかりやすく説明する」という目的に沿っている。

最近の外国人観光客の中には、東京のダンジョン的な地下鉄そのものを目的とする観光客が増えているのだそうだ。「路線の全線を制覇する」という剛の者もいる。どの国にも「鉄ヲタ」はいると見えて、東京の鉄道網はその趣味の方々にはたまらないらしい。最近の外国人向けガイドブックでも、東京の地下鉄は「迷う可能性がある」という否定的なニュアンスではなく、「挑戦してみよう!」のようなアグレッシブな書き方に変化している。

道に迷ったとき、外国人を見るや「知るか、自分で探せ」という素っ気ない対応をするのではなく、地図を示して懇切丁寧に説明してくれる駅員が増えれば、東京という街の印象がよくなる。そういう人的サービスの充実が、リピーターの増加につながる。海外旅行をしたとき、街の印象というのは、建物の印象ではなく、人の印象であることが多い。そういう「人的能力の育成」が、インフラ整備とは別に、東京の観光客誘致の根幹にあるような気がする。


スタンプラリーと外国人観光客、どっちもこの夏の東京でよく見かける光景だが、ある変化が起こるとき、そこにはだいたい共通の背景がある。そういう流れをよく見てみると、「いま何が起きているのか」「これからどうなっていくのか」が把握できる。



今年もやろうと思いつつもやらずに終わりました。

天空のペンギン

池袋のサンシャイン水族館へ行ってきました O(≧▽≦)O


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お目当ては当然コレです。



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おお、あれが天空のペンタン水槽。



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ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ



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気持ちよさそうに泳いでいらっしゃる。


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フィーディングタイムは欠かさず見るのだ。



さすが夏休みだけあって、子供連れ家族やカポーの皆様などで大変な混みようでした。
しかしアレですな、水族館の歩き方が分かっていらっしゃらない方が多いようですな。要領を踏まえず、右往左往している家族連れが多く見られました。
えー、そこで不肖たくろふが、水族館を歩くためのコツをアドバイスいたします。 


(1)前売券を買っておく
だいたい夏休みの水族館なんて混むもんです。だいたい混みます。しかし、館内が混むのは如何ともし難いとしても、事前の準備で混雑をやり過ごすことができます。

だいたい、いちばん最初に混雑するのは入館券を買うためのチケット販売窓口なんです。そこで長蛇の列に並ぶと、入る前に疲れます。
だから、あらかじめ前売りの入場券を買っておきます。最近ではインターネットでもコンビニでも、どこでも前売券が簡単に買えます。その入場前売券を買って、窓口の混雑をスルーするのであります。さもないと 

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こんな羽目になります。 



(2)イベント時刻表を事前にチェックする
水族館の歩き方は、イベント時刻表がすべてを左右します。水族館では、ただ漫然と水槽を見て歩くのではなく、アシカのショーとか、シャチやイルカのアクロバットとか、餌やりイベントとか、ペンギンの行進とか、様々なイベントが時間帯に分かれて場所ごとに行なわれています。
 
なので、まずそのイベントの時間と場所をチェックしておきます。
インターネットで当日の時間割は手に入ります。 
 

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こーゆーの。 


(3)動くパターンを時間ごとに決めておく。
イベント時刻表が手に入ったら、Webサイトから館内地図をダウンロードして、時間ごとにどこに移動するのか、行程表を組みます。ワレワレ水族館の専門家が言うところの動線を引くというやつです。

様々なイベントを取捨選択して、複数回行なわれるイベントでは見る回を限定して、何時にどこに動くのか、地図にバンバン書き込んでいきます。常設展示の水槽というものは、イベントの隙間に休憩がてら見るものであります。 


ここまでが準備です。家を出るまでにここまでは最低限やっておくべきところであります。
他にも、夏は水分補給が必要ですので、休憩がとれるところの場所確認、自販機の場所、食事のできる所などもチェックしておきましょう。 


で、サンシャイン水族館ですが。
来るたびに凄いなぁと思うんですよね、この水族館。僕が子供の頃からあるからもう数十年経ってると思うんですが、そんな年月、設備が維持できるのが凄い。

だいたい水族館ってのは海の近くにあります。館内の水槽を維持するためには大量の海水が必要だからです。しかし、サンシャイン水族館ってのは都心の真ん中にあって、海からかなり遠いところに立地しています。僕の知る限り、世界の水族館の中でもこんな所に位置している水族館は他にありません。 

だから当然、使用する海水はどこかの海から運搬していることになります。その費用を考えると、維持費だけでも相当な金額がかかるんですよね。陳列する生物を厳選して、飼育のノウハウをきっちり立てないと、こんな場所に水族館なんて存続できるはずがないんです。 

また、ビルの10〜11階にある水族館ってのがまた凄い。
ちょっと考えれば分かるんですが、水族館ってのは重いんです。大量の水を貯蔵しますから。建物的に、かなり強固に設計しなければ、底が抜けます。

サンシャイン国際水族館の場合、どのくらいの水が貯蔵されているか。
僕は今回、水槽を見て回って、水槽の数を数え、それぞれにどのくらいの水が貯蔵されているのかを見積もってみました。表に出ている展示用水槽だけでなく、裏手には待機水槽や設備用水槽などもあるでしょうから、実際の水量は展示で見られる水槽の1.5倍から2倍くらいはあるでしょう。それらをもとにフェルミ推定してみると、サンシャイン水族館の総水量はだいたい1000tくらいあると思います。 

しかも、サンシャイン水族館の下は、ワールドインポートマートという、普通の商社のオフィスがいっぱい入ってる場所なんですよ。
オフィスの真上に1000tの水ですよ。常識じゃ考えられないでしょう。怖くないんですかね。
まぁ、火事にでもなったら水は大量にありそうですけど。 

だからサンシャイン水族館は、そういう構造に耐えられるように建築が設計されています。水槽を見て回るとき、水槽の中の魚さんたちを見て回るうちは素人です。
ワタクシのような水族館マニアとしましては、水族館の建築的側面、耐重量構造を注視して回るのであります。水槽に熱中している子供達を尻目に、壁やら柱やらを熱心に見て回るのであります。 


ちょうど夏休みでもありますし、今年も充実した水族館ライフを送りたいと思う所存であります。 



でも嫁さんがそれぞれの季節につき一館だけだって

誰を選ぶか

世界の指導者を選ぶときがやってきた。あなたの一票は、貴重な一票である。
以下は、候補者に関する情報である。


候補者A:
不正な政治家とつながりがあり、占星術者に助言を求める。 彼は二人の愛人を持っていた。
また、チェインスモーカーで、一日に8~10杯のマティーニを飲む。

候補者B:
会社を二度クビになった。いつも昼まで寝ている。
学生時代には阿片をやっていた前歴がある。 一晩に1クオート(約1リットル)のウィスキーを飲む。

候補者C:
彼は勲章を受けた戦争の英雄である。 菜食主義者で、タバコは吸わない。
ビールをよく飲むが、これまで浮気をしたことはない。


これらの候補者のうち、あなたは誰を選ぶか?



候補者Aは、フランクリン・D・ルーズベルト
候補者Bは、ウィンストン・チャーチル
候補者Cは、アドルフ・ヒットラー



政治能力とまったく関係ない個人的な好き嫌いで投票する人が多過ぎる。

東京メトロ スタンプラリー 2017

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どう考えても「かつての少年」が対象だろ。
ペンギン命
ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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