たくろふのつぶやき

カボチャのシチューんまい。

「教義」の必要性

今年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦に呼ばれたら、どうするんですかね。


そろそろ年の瀬が近づいて参りましたが、たくつぶ読者のみなさまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
年末年始の予定を考えたり、忘年会の予定が入ったり、いろいろと年末的な行事が入ってくる季節ですね。
NHKの紅白歌合戦の当落も、年の瀬らしいニュースといえましょう。

去年の2015年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦に「落選」して話題になった。報道では、高圧的なマネジャーがやたらとももクロの演出やら出演方法やらにいろいろと注文をつけ、それにブチ切れたNHKが「そんじゃ出なくていい」と落選にしたんだとか。それに対してももクロ側が「紅白歌合戦を『卒業』します」と声明を出し、紅白ファンから顰蹙を買った。

「卒業宣言」まで出してしまったのだから、普通に考えれば、今年紅白に呼ばれても拒否するだろう。しかしこればかりはいろいろと思惑が錯綜して、本人達の思うようにいかないのが世の中というものだろう。最初から呼ばれないなら呼ばれないで困ったことだろうし、呼ばれたら呼ばれたで去年の言動との辻褄合わせに苦労する。ご苦労なことだ。

そういう時、ももクロのファンとしてはどういう反応になるのだろうか。
僕はアイドルのファンをした経験がないので、追っかけに近いファンの方々の反応のほうが気になる。アイドルのファンというのは、時間も金も使ってアイドルを楽しんでいる方々なので、紅白の当落に際してのファンの気持ちはいかばかりか気になる。

AKB48のような大きなグループでも、ファンの気持ちの持ち方が不思議になることがある。
AKBでは、グループ全体が好き、というよりは、自分一押しの「推しメン」というのがいるファンのほうが多いそうだ。AKB48側でもそれをよく分かってて、総選挙だのじゃんけん大会だの握手会だの様々なイベントで、各メンバーの人気度をランキングする試みを行っている。

たとえば宮脇咲良はAKB48とHKT48を兼任しているが、宮脇が押しメンであるファンは、AKBとHKTの両方のコンサートにも握手会にも行くだろう。そういう時、「純AKB48ファン」から、裏切り者呼ばわりされることはないのだろうか。
AKBとHKTであれば、まぁ、同系列のグループだからまだいい。これがたとえば、AKB48のファンとももクロのファンを兼ねている人が、両方のコンサートに行くことは、「ファンの仁義」としてどう捉えられているのだろうか。


話がまったく変わって申し訳ないのだが、有史以来の人間の知的活動の歴史を紐解くと、中世ヨーロッパを席巻した「スコラ哲学」なるものに行き当たる。
名前だけは世界史や倫理の授業で習ったことがあるが、それがどういうものであるのかは知らん、という人が多いのではあるまいか。

スコラ哲学は、要するにキリスト教の教義の正当性を体系化した学問のことだ。学問とは言っても、「哲学」なる名称を冠していても、その実体は学問でもなければ哲学でもない。
教科書的な知識としては、スコラ哲学の目的は、キリスト教の正当性を追求すること、ということになっている。それは裏を返せば、それに叛くものは「異端」として扱う、ということだ。こっちの見方のほうがスコラ哲学の本質を理解しやすい。

スコラ哲学の成立背景には、内的要因と外的要因がある。
内的要因は、キリスト教が巨大化し過ぎ、各地でそれぞれの生活実体に即した信仰のあり方が分岐したことだ。「○○派」と呼ばれるローカル派閥がいろいろと発生して、ローマの意向とはかけ離れた信仰に向かう宗派もあった。
そもそもキリスト教は395年にローマ帝国が分裂して以来、ローマ・カトリックと東方教会で、ほぼ違う宗教として独自に発展する下地ができあがっている。聖書が編纂されるよりも前の話だ。こうして多岐に渡った教義のあり方を、ひとつの宗教としてみなすには、最初から無理があっただろう。

これはアイドルファンに例えてみれば、「俺は○○ちゃん押しだ」「いや△△ちゃんこそ至高」のような言い争いや、「AKBファンであればHKTに『浮気』するなど邪道」「いや同系列であれば良いはずだ」などという論争に相当する。

外的要因としては、7世紀からキリスト教の「脅威」となったイスラム教の存在がある。イスラム教を「異教徒」「蛮族」と決めつけるためには、「自分達の宗教こそ正当」という理論武装が必要になる。
これはアイドルで言えば、「AKB48ファンであれば、ももクロなどものの数ではない」のような言い方になる。

いずれにせよ、現代的な観点、特に僕のような宗教とは縁なき衆生からすれば、くだらない話だ。宗教というのは本来、人が平穏に生きるためのものであって、誰がどういう方法で何を信じようが、その人の勝手だろう。それを宗教の側が「正当派」のあり方を決め、「こういう信じ方をしない奴は異端だ」のように決めつけることが、宗教本来のあり方からして真っ当だとは思えない。
僕のようにアイドルに疎い者にとっては、別にAKB48とももクロが両方好きでも、別に構わないだろうとしか感じない。それを「正しいアイドルファンのあり方とは」などと規定することが、アイドル人気そのものに寄与する姿勢とは、とうてい思えない。

では中世キリスト教では、なぜそのような自分達の首を絞めるようなことをわざわざしていたのか。
中世ではまだ体系だった政治的方法論が確立しておらず、共同体を治める方法論としてはまだまだ宗教のほうが実効力をもっていた。宗教が、単なる生きる為の信念であるのみならず、政治的な役割を背負う必要があった。

また学問も、哲学や科学が「知の包括的な方法論」として確立するまでには、まだまだ時代を要した。世の中はどうなっているのか、世界を統べる法則はどういうものか、そういう理解を得るための方法論が確立しておらず、キリスト教会が示す「答え」を拠り所にするしか仕方がない時代だった。

スコラ哲学は、そうした時代の中で生まれた。宗教、政治、学問という、基本原理がまったく違う3つの営みを、短期間のうちにまとめあげる必要があったのだ。内的要因と外的要因の必要性に迫られ、世界のあり方と「正解」を、人々に示す必要があった。

スコラ哲学は、13世紀にトマス・アクィナスによって編纂された『神学大全』によって大成した、とされている。僕は学生時代に『神学大全』を通読したが、何が書いてあるのかまったく分からなかった。僕はキリスト教徒ではないし、そもそも『神学大全』が何を目的として書かれたものなのかが不明瞭なままこれを読んでしまった。分かるわけがない。
当時の僕は、『神学大全』を、単に人類の知の集積のひとつとして読んでいた。古代に生まれた哲学と、近代に生まれた科学の、間をつなぐミッシング・リンクとしてこの本を位置づけていた記憶がある。

実際のところ『神学大全』は、当時すでに巨大化していたキリスト教の各分派の教義の違いや、イスラム教に対する正当性をでっち上げるための「辻褄合わせ」が全てと言ってよい。敬虔なキリスト教徒にとってはまた違った位置づけができる書物なのだろうが、キリスト教の外側から見る『神学大全』は、その程度のものだ。少なくとも、現代の科学に立脚した思考方法から逆算して、その方法論の進展を補完する役割としては、まったく役に立たない。

たとえば、キリスト教は「人類に普遍的な愛の必要性」を説いてはいるが、十字軍の時代にはイスラム教徒をぶっ殺して全滅させることを命じている。これは矛盾ではないのか。
こうした素朴な疑問に対して、スコラ哲学は、さももっともらしい「正当性」を説いている。何も矛盾していることはありませんよ、すべて神の御心のままに均整を保っていますよ、という理屈がこね上げられている。

スコラ哲学の必要性のひとつに、「権力」を確立する必要性があっただろう。全体の統一を重んじたキリスト教とよく対比される宗教として、インドや南アジアで広まったヒンドゥー教がある。ヒンドゥー教もキリスト教と同様、広い地域に多くの人を取り込んだ宗教なので、多宗派に分岐する歴史を辿っている。

しかし、ヒンドゥー教にスコラ哲学は発生しなかった。ヒンドゥー教は「分岐したけりゃ分岐すりゃいいじゃん」「この辺とあの辺では生活の仕方が違うからな」のように、宗派が分岐することにあまり抵抗感がなかった。いまでは「ヒンドゥー教」と一言で括るには無理があるほど、各地に根付いた土着宗教のように変容している。それは他宗教に対する姿勢でも同様で、同じ地域にイスラム教が浸透した地域は政治的にも独立している。現在のパキスタンだ。

「統一」を指向するのは、そこに「権力」の存在が必要とされるからだ。少なくとも逆は成り立つ。権力を掌握しようとする者は、必ず統一を指向する。中世のキリスト教がスコラ哲学という理論武装によって教義の統一を図ったのは、当時のキリスト教が政治的な役割を負わざるを得なかったという背景によるものだろう。

当然ながら、そういう姿勢は学問にとってはマイナスでしかない。「これが答えだ」と唯一解が強制され、その他の異論が一切認められない姿勢など、学問とは呼べない。
世の中の成り立ちを理解する学問としてスコラ哲学が採用したのは、アリストテレスの哲学だった。アリストテレスという人物は能力の偏りが激しく、博物学的な分類に関しては驚異的な能力を発揮しているが、自然科学の能力は皆無だった。

クジラが魚ではなく哺乳類であることを発見したのはアリストテレスだ。そういう観察や分類に関しては現代的にも正しいとされる「答え」を出していたが、化学や物理に関しては全くの無能と言ってよい。「物はそれが本来あるべき方向を指向する。だから物は地に落ち、炎は空に上がる」「あらゆる物質は、土、火、空気、水から成り、それを補完するものとして『第五の要素』が満ちている」「軽い物と重い物を同時に落としたら、重い物のほうが早く落ちるに決まってる」「太陽は地球の周りを廻っている」。こうした、現代では中高生でも間違いと分かるような誤謬を、平気で犯している。現代的な観点から答え合わせをしたら、間違いだらけだ。

驚くべきことは、アリストテレスの間違った世界観が、2000年以上の長きにわたって「常識」とされてきたことだ。人間の知を結集すれば、こんな間違った世界観が2000年もまかり通るほど、人間は馬鹿ではあるまい。それがまかり通ってしまったのは、アリストテレスの知見を「教義」にまで昇華し、それに対する異論をすべて犯罪視した、スコラ哲学の弊害があった。人間は2000年の長きに渡って、アリストテレスの間違いに「気がつかなかった」のではなく、そもそも「疑うことを許されていなかった」のだ。

現代の科学では、先行研究に対して「説明できない事実」を発見したら、科学者は嬉々として論文を書く。「間違い」は科学を発展させるための原動力でこそあれ、科学の権威を貶めるものでは決してない。仮説を立て、それに対する反証を見いだし、それを包括するようなさらなる仮説を立てる。そういう無数の階段を積み上げることで、科学は成り立っている。

つまり、科学の実体とは「何か固定化した知識」という静的なものではなく、「間違いを修正していく営み」という動的な方法論なのだ。だから、科学には「聖典」は存在しない。ニュートンの『プリンキピア』であろうと、アインシュタインの『一般相対性理論』だろうと、それらは単に「途中の階段」に過ぎない。その中の矛盾を見いだし、それを克服する営みは、今もなお延々と続けられている。

ところがスコラ哲学では、「これが答えです。これ以外は認めません」という『聖典』を求めてしまい、かつそれを作ってしまった。その枠から外に出ることを禁じたのだから、学問が発展するわけがない。スコラ哲学の「発展」というのは、あくまでもキリスト教的世界観の中での辻褄合わせが遂行されることを指すのであって、それはいわば同じ屋根の下で延々と動き回るような行動に過ぎない。

中世のキリスト教世界では、分化した教義の統一を図るため、「公会議」というものが何度も開催されている。世界史の教科書では、三位一体説を確立した381年のコンスタンチノープル公会議、十字軍派遣を決定した1095年のクレルモン公会議、教会大分裂(シスマ)を収拾した1414年のコンスタンツ公会議などが有名だ。一番新しいところでは、他宗教との対話を重視する声明を発表した1962年のバチカン公会議がある。

公会議を実施するには、決定の基盤となる聖典が要る。理屈づけのために拠り所となる「正しい理由」が必要となる。その目的のためには、聖書は役に立たない。キリストが指向した原始キリスト教は、そもそも政治的・学問的な目的に基づく教義のあり方を目指していない。スコラ哲学は、そうした必要性に迫られて作られた、いわば「最初に目的ありき」の、理屈の集大成だったと言えるだろう。

政治的、学問的な「権威」を確立してしまったら、それを制度に適用する際に、必ず歪みが生じる。特に人間は権力を握ると、必ずそれを濫用する誘惑に駆られる。キリスト教の権威といえどもそれは例外ではなかったようで、スコラ哲学を背景とした政治・学問的な腐敗が顕著になった。それが16世紀のルターによる宗教改革につながっていく。宗教改革というのは、実際のところはカトリックとプロテスタントという二大流派が生じる「宗教分裂」のことだ。教義の統一を図ったはずのスコラ哲学が、行き着く先として宗教分裂を巻き起こしたのは、皮肉としか言いようがない。


スコラ哲学の実体を調べてみると、「多くの人が集まると、あり方を統一しようとする欲求が生じる」「人は人、自分は自分と割り切って、他者を違うものと認めつつ接するのは難しい」という、人間に普遍的な傾向が見て取れる。AKB48のファンであろうと、ももクロのファンであろうと、自分と他人を切り離して、それぞれのあり方を尊重する、というのは、なかなか難しいことなのだろう。「そんな参加の仕方じゃ、本当のファンとは言えないぜ」という言い方は、有史以来スコラ哲学が発生して権威を得た理由を、現代に反映したものだと思う。

もし今年、ももいろクローバーZが紅白歌合戦の出場を打診されたら、スタッフの間でさぞ盛大な「公会議」が開催されることだろう。過去の言動と、実際の行動の辻褄を合わせ、かつファンが納得のいく形で「教義」をでっち上げなくてはならない。
人間というのは、どの時代でも、やっていることは基本的に同じなのだな、という気がする。



初詣に出かけるタイミングが重要なのだ。

何千万回掲載しても無意味な類いの社説

いじめの手記 きみは独りじゃない
(2016年11月17日 朝日新聞社説)

鉛筆で書いたんだろうか。きみの手記を読んで、胸が張りさけそうになりました。  

「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」  

見知らぬ土地でばい菌あつかいされたり、支援物資の文房具をとられたり、福島から転校してきた5年前からずっとつらい思いをしてきた。それが、いたいほど伝わりました。

きみは独りじゃない。そのことをまず知ってほしい。学校の外に目をやれば、味方はいっぱいいる。そして、学校以外に自分の居場所をみつけて、いまかつやくしている大人も大勢いる。東日本大震災のぎせいとなって生きられなかった多くの人やその家族も、「生きる」という決意を後おししてくれるはずです。  

原発事故で自主避難した横浜で、きみがいじめにあったことは、すこし前の新聞にのっていました。でも多くの人は今回あらためて、きみや同じような立場の人たちに思いをはせるようになった。手記の公表を弁護士さんはためらったそうだけど、「ほかの子のはげみになれば」と、きみが求めたと聞きました。その勇気をありがとう。  

東日本大震災では、いまも大勢の人たちが、住みなれた家をはなれて避難しています。事故を起こした原発のある福島県双葉町の伊沢史朗(いざわしろう)町長が先週、こんな話をしていました。避難先で町の人がパートなどにつくと「賠償金をもらっているのに」とかげ口をいわれるというのです。かといって働かずにいると、今度は「賠償金があるからだ」といわれる。
同じ学年の子たちが、きみに「ばいしょう金あるだろ」と言い、大金をはらわせたことなどは許せません。しかし彼らも、そんなまわりの話を耳にしていたのかもしれない。これは大人の社会の問題です。  

福島からの避難者への冷たい仕打ちは各地で問題になっていたし、きみもサインを出し続けていた。だれか気づいてほしい、助けてほしい。そう思っていたんじゃないだろうか。

なのに学校の対応はまったく不十分だった。ほかの保護者からの連絡で、お金がやり取りされているのを2年前に知っていながら、相談をよせたご両親に伝えなかった。教育委員会も本気で向き合ってほしかった。同じことをくり返さないようにしなければなりません。  

きみが将来、自分のことも、他人のことも大切にできる大人になることを信じています。



勝手に浸ってろ。



晒しておく。

アメリカ大統領選挙、トランプ当選

トランプ氏の勝利 危機に立つ米国の価値観
(2016年11月10日 朝日新聞社説)
米大統領選 トランプ氏勝利の衝撃広がる
(2016年11月10日 読売新聞社説)
米大統領にトランプ氏 世界の漂流を懸念する
(2016年11月10日 毎日新聞社説)
米社会の亀裂映すトランプ氏選出
(日本経済新聞 2016年11月10日)
日本は防衛努力を強める覚悟持て 規格外の人物登場「トランプ・リスク」は不可避だ
(2016年11月10日 産経新聞社説)
トランプのアメリカ(上) 民衆の悲憤を聞け
(2016年11月10日 東京新聞)


政治経験皆無の不動産王ドナルド・トランプが、アメリカ合衆国大統領に当確した。
それを受けての新聞各社の社説。大学生に読ませて批判的読解力を試すのにはいいトピックだろう。
上記社説のなかで、ずば抜けて優れた社説がふたつある。実際に読んでみて、それがどれとどれだか分かるだろうか。

それを判断するには、まず今回の社説で言及すべきことは何か、から考える必要がある。
政治経験皆無、暴言連発の候補者が大統領に当選するという事態は、はっきりいって異常だ。アメリカ大統領選というのは大きなイベントなので、誰が当選しても各社は社説として取り上げるだろう。しかし今回は、その取り上げ方が通常とは異なる。異口同音に「こんなので大丈夫なのか」という論調だ。

日本の立場から、アメリカ大統領選の及ぼす影響および対策を考えることは、どのみち必要だ。しかしその前段階として必要なことがある。現状をまず把握することだ。
現状を正しく把握することなく、理想論によってあるべき方策を提言しても、絵に描いた餅に過ぎない。理想論というのは、すべてがうまくいっている理想状態においてさえ、実現が難しいものだ。ましてや、今回の大統領選のように「異常事態」が発生している時に、のんきに理想論など唱えていても、何の役にも立たない。

つまり、今回の社説がまず明らかにするべきことは、「どうするべきか」ではない。それよりも前に、まず「何が起こっているのか」なのだ。なぜトランプのような奴が大統領に当選してしまったのか。それはアメリカでどういう原理が働いているからなのか。その理解なしでは、これからの対策も方針もへったくれもない。
それを明らかにすることなく、「するべき論」で正論ばかりつらつら並べている社説は、無価値と断じてよい。


そういう観点で社説を読み比べてみると、毎日新聞と東京新聞の2紙がずば抜けている。
いや、冗談ではない。普段は主観ズブズブで煽動意欲バリバリのこの2紙が、今回に関しては書くべきことをきちんと書いている。

そもそも、なぜトランプ氏が勝ったのか。10月末、フロリダ州で開かれた同氏の集会では、元民主党員の40代の男性が「民主党のクリントン政権は女性スキャンダルにまみれ、オバマ政権の『チェンジ』も掛け声倒れだった。もう民主党には期待できない」と語った。これはトランプ支持者の代表的な意見だろう。
(毎日社説)
クリントン氏の決定的な敗因は経済格差に苦しむ人々の怒りを甘く見たことだ。鉄鋼や石炭、自動車産業などが衰退してラストベルト(さびついた工業地帯)と呼ばれる中西部の各州は民主党が強いといわれ、ここで勝てばクリントン氏当選の目もあった。

 実際はトランプ氏に票が流れたのは、給与が頭打ちで移民に職を奪われがちな人々、特に白人の怒りの表明だろう。米国社会で少数派になりつつある白人には「自分たちが米国の中心なのに」という焦りもある。教育を受けても奨学金を返せる職業に就きにくく、アメリカンドリームは過去のものと絶望する人々にもトランプ氏の主張は魅力的だった。

政治経験がなくアウトサイダーを自任する同氏は富豪ではあるが、経済格差などは既成政治家のせいにして低所得者層を引き付けてきた。米国社会の不合理を解消するには既成の秩序や制度を壊すしかない。大統領夫人や上院議員、国務長官を歴任したクリントン氏は既成政治家の代表だ--という立場であり、徹底したポピュリズムと言ってもいい。
(毎日社説)

支配層への怒りが爆発した選挙結果だった。ロイター通信の出口調査によると、「金持ちと権力者から国を取り返す強い指導者が必要だ」「米経済は金持ちと権力者の利益になるようゆがめられている」と見る人がそれぞれ七割以上を占めた。

トランプ氏はその怒りをあおって上昇した。見識の怪しさには目をつぶっても、むしろ政治経験のないトランプ氏なら現状を壊してくれる、と期待を集めた。
(東京新聞社説)
政策論争よりも中傷合戦が前面に出て「史上最低」と酷評された大統領選。それでも数少ない収穫には、顧みられることのなかった人々への手当ての必要性を広く認識させたことがある。トランプ氏の支持基盤の中核となった白人労働者層だ。

製造業の就業者は一九八〇年ごろには二千万人近くいたが、技術革新やグローバル化が招いた産業空洞化などによって、今では千二百万人ほどにまで減った。失業を免れた人も収入は伸びない。米国勢調査局が九月に出した報告書によると、二〇一五年の家計所得の中央値(中間層の所得)は物価上昇分を除いて前年比5・2%増加し、五万六千五百ドル(約五百七十六万円)だった。六七年の調査開始以来、最大の伸びだが、最も多かった九九年の水準には及ばず、金融危機前の〇七年の時点にも回復していない。
(東京新聞社説)
 一方、経済協力開発機構(OECD)のデータでは、米国の最富裕層の上位1%が全国民の収入の22%を占める。これは日本の倍以上だ。上位10%の占める割合となると、全体のほぼ半分に達する。これだけ広がった貧富の格差は、平等・公正という社会の根幹を揺るがし、民主国家としては不健全というほかない。階層の固定化も進み、活力も失う。

展望の開けない生活苦が背景にあるのだろう。中年の白人の死亡率が上昇しているというショッキングな論文が昨年、米科学アカデミーの機関誌に掲載された。それによると、九九年から一三年の間、四十五~五十四歳の白人の死亡率が年間で0・5%上がった。ほかの先進国では見られない傾向で、高卒以下の低学歴層が死亡率を押し上げた。自殺、アルコール・薬物依存が上昇の主要因だ。
(東京新聞社説)
ピュー・リサーチ・センターが八月に行った世論調査では、トランプ支持者の八割が「五十年前に比べて米国は悪くなった」と見ている。米国の先行きについても「悪くなる」と悲観的に見る人が68%に上った。

グローバル化の恩恵にあずかれず、いつの間にか取り残されて、アメリカン・ドリームもまさに夢物語-。トランプ氏に票を投じた人々は窒息しそうな閉塞感を覚えているのだろう。
(東京新聞社説)


普通であれば、トランプが勝利することはないだろう。ということは、今のアメリカは「普通でない状態」ということになる。であれば、その「普通でない状態」とは何なのかを知ることが先決だ。

要するに、今のアメリカで、白人層の生活が困窮していることが要因だ。原因は経済赤字による不況と、移民の増大による労働機会の減少。
今回の大統領選挙を動かしたのは、政治がどうの、経済がどうの、国際関係がどうの、といった理想論の実現可能性ではない。 金がない、仕事がない、生活ができない、という、非常に日常的な不満が鬱積したことが要因だ。

しかも今のアメリカは、その不満を公然と口にすることが禁じられている。
「日本のせいだ」「中国の野郎」「メキシコが悪い」などと公然の場で口にしようものなら、直ちに批判されて引責辞任だ。また移民に対する憎悪の根底には、はっきり言って人種差別的な感情があるだろう。「黒んぼはアメリカから出て行け」と言いたいが、言えない。不満が鬱積していることもさることながら、それを口に出して言えない、ということが、ストレスに拍車をかけている。

それを公然と口にして、白人層の「口に出しては言えないけど、誰もが思っていること」を具体化したのがトランプだった。トランプだったら、溜まりに溜ったストレスを解消してくれる。有色人種の移民どもを懲らしめてくれる。

東京新聞の社説は、かなりのスペースをとって、「アメリカ人の生活が困窮している」ということを具体的な数字で表している。ここの具体例に東京新聞が力を入れているということは、東京新聞が「現状を把握することがまず先決」という姿勢で記事を書いていることを示している。



アメリカ国民は、決して「トランプはアメリカ大統領にふさわしい能力がある」と思って投票したのではない。現状がどうにもやるせなく、生活は苦しく、ストレスがたまり、苛々している。そういう破壊欲求が根底にあるため、現状を破壊するエネルギーをもつトランプが票を集めた。
つまり今回、アメリカ国民がトランプに一票を投じたのは、暴動の替わりだったのだ。クリントンは既得権益を持つ側とされ、いわば打ち壊される側に廻ってしまった。

今回の選挙では、事前の窓口調査や、選挙投票場の出口調査がことごとくまったく役に立たなかった。そりゃそうだろう。アメリカ国民の本音は、口に出して言えないことにある。それを出口調査で「どうでしたかー?」とマイクを向けられて、堂々と喋れるものか。
つまり、今回の要因を考えれば、出口調査が実際の結果と食い違っていたのは、必然だった。それなのにアメリカの新聞各社は、「出口調査をもとに予測をたてる」という固定化した思考パターンに固執し、蓋を開けてから慌てふためく有様となった。

アメリカの新聞でトランプを支持する・当選を予想する新聞社は皆無に近かった。これも後から見ればなんのことはない、新聞社は「既得権益をもつ側」の情報発信源だったから、多数派の国民の声を黙殺しただけだ。新聞各社は、口には出せないアメリカ人の本音を、意図的にしろ無意識的にしろ無視し、のんびりと「大統領に必要な資質」「実際に行わなければならない政策」などの理想論をだらだらと並べ、現状を正確に把握できなかった。

今回の日本の社説の中にも、それと同様な社説がある。「普通の場合では妥当な理想論」がまったく役に立たなかったのが、今回の大統領選なのだ。それを無視して、相変わらず「理想論」「するべき論」を並べている社説は、まったくの無価値だろう。

無価値な社説の最たるものが、日本経済新聞。まぁ行儀のよい理想論と正論が、ずらずらと書き並べてある。言っていることは要するに「みんなでよく考えて、しっかり政治をしましょう」ということに過ぎない。こんな屑のような正論、たとえ本一冊分書き並べたところで、何の役にも立たない。
この社説は、本気で現状に対する策を提案しているようにはまったく見えない。なにせ「現状」を最初から無視している。日経社説で提案していることが現実可能な状況であれば、そもそもトランプは当選していないのだ。

思うに、日経のこの社説は、購買層の必要性に迎合したものだと思う。今回の大統領選挙に関して、なにか「建設的な意見」を求められた時には、この日経社説を棒読みで音読すりゃいい。朝のカフェで、意識高い系の若手サラリーマンが「勉強会カッコ笑い」をするときには、うってつけのカンニングペーパーだろう。意気軒昂とした若手の先輩がひと演説したあとに「それって日経社説の丸パクリですよね」とでも言ったら、顔色が変わると思う。


効果的な対策は、正確な現状把握からしか出てこない。トランプの当選原理が「口に出せない不満を解消する」というのであれば、なんのことはない、要するによくあるパターンのポピュリズムだ。その内容は

(1) 有色人種の移民は死ね
(2) 国内の金持ちは死ね
(3) アメリカ経済の困窮は、有色人種のサルどものせいだ。

くらいに集約できる。そこから逆算すれば、トランプが施行するであろう政策の見当はつく。

馬鹿正直に(1)〜(3)を実行に移していたら、たちまち行き詰まることは明らかだ。トランプは今後、これらの「本音」と、実施する「建前」の、つじつまを合わせるために奔走することになるだろう。
だから、「本音」を保つメンツを守ってやりながら、「建前」として実効性のある落としどころをそっと提示してやることが、今後の具体的な対策になる。社説が論じなければならないのは、その詳細な内容だろう。その「本音」を理解しないまま、高い所から偉そうに「こうするべきなのだ」的な理想論を振り回したところで、机上の空論に過ぎない。

以上のことを簡単に要約すると、次のような文章になる。

 欧州連合(EU)離脱を決めた英国の国民投票でも、グローバル化から取り残された人々の怒りが噴き出した。グローバル化のひずみを正し、こうした人たちに手を差し伸べることは欧米諸国共通の課題だ。

トランプ氏は所得の再配分よりも経済成長を促して国民生活の底上げをすると主張する。それでグローバル化の弊害を解消できるかは疑問だ。対策をよく練ってほしい。
(東京新聞社説)


ここでいう「グローバル化」というのは、要するに「表向きに整えた正論」くらいの意味に理解してよい。差別はいけない。機会は均等に。みんな仲良く。こういう世界基準の「いいこと」が、どれだけ多くのアメリカ人にフラストレーションを与えてきたか。
  東京新聞が問うているのは、「じゃあ国民ひとりひとりの所得を増やせば、それが問題の解決になるのかな?」ということだ。生活に困っている白人の所得を上げたところで、それは対処療法でしかなく、根源的な問題解決にはなっていない。

ではその根源とは何か。

女性や障害者をさげすみ移民排斥を唱えるトランプ氏は、封印されていた弱者や少数派への偏見・差別意識を解き放った。そうした暴言は多民族国家である米社会の分断を、一層進行させることにもなった。

オバマ大統領は「先住民でない限り、われわれはよその土地で生まれた祖先を持つ。移民を迎え入れるのは米国のDNAだ」と語ったことがあるが、その通りだ。米国が移民を排除するのは、自己否定に等しい
(東京新聞社説)


いくらアメリカ人が本音として移民を嫌っても、そもそもアメリカというのは移民によって作られた国なのだ。本当の意味で移民を排斥してよいのは、古くからその土地に居たネイティブアメリカンの人達だけだろう。移民のくせに移民を嫌う、そういうアメリカ人のアイデンティティーに関わる問題なのだ。いくらトランプがアメリカ人の差別感情を口に出して放言したとしても、その差別感情は廻り回って自分たちに跳ね返って来る。

要するに、人というものは、正義も正論もまったく関係なく、「自分さえ良ければいい」という生き物なのだろう。他人に禁じることを、自分では平気でやる。他人が特権階級にいるのは我慢ならないが、自分は特権階級に就きたい。自身が移民でありながら、新たに流入する移民は排斥する。「差別はいけない」と言いながら、差別が大好きなのだ。
そういう人たちに対して、「じゃあ、望みを叶えてあげます」といえば、そりゃ支持はされるだろう。しかし、それが支持されたところで、永続的・恒久的な原則から逸れずに正しく国の方向性が示せるのか。


僕の直感だが、アメリカが今後、いわゆる日経的な「正論」を認めざるを得なくなることは、ないと思う。トランプが社会のしくみを一旦すべて壊し、その後に対処療法的な制度をつくったとして、その不備や欠点はいずれ露呈する。しかしその時にも、アメリカという国は、自分たちの過ちを決して認めないだろう。現実的には保守反動が起こるとしても、それを「新たなチャレンジ」的なイメージでごまかすと思う。実際にアメリカは、それと同じことを何度も繰り返している。

結局のところ、今まで何度も起きてきたことが、また繰り返される、というだけのことになるだろう。やたらに「対トランプ」のような未曾有の危機感を煽る前に、少しは冷静になって現状を把握してはいかがか。



人が死ぬ流血騒ぎよりは、よっぽど平和的な暴動だろ。
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小数と分数

小数と分数は、どちらが便利なのか。


直感的には、「分数」と考える人が多いのではあるまいか。「1枚のピザを8人で分けます。1人分はどれくらいになるでしょう」という問題を考えるとき、「1÷8=0.125」と考えるよりも、「8分の1」と考えるほうがビジュアル的に理解しやすい。
また欧米では、いわゆる「÷」という計算記号が無い。割り算はすべて分数の形で記述する。これも、分数を基本と考え、そこから計算によって小数を導く、という「主従関係」が見える。

確かに日常生活では分数というのは直感に近い理解が可能だが、ことを数の概念全般に拡張して考えれば、小数のほうが広い概念を考えられる。それは「有理数」と「無理数」の違いを考えてみれば明かだろう。
有理数というのは、整数比で表される数のことを言う。要するに既約分数のことだ。例えば1/3というのは有理数だが、円周率πは既約分数で表せないので無理数である。有理数は有限小数か循環小数となるため、小数は有理数も無理数も表せる。しかし整数による既約分数では無理数を表すことはできない。

ヨーロッパの数学は分数に基づいて発展し、アジアの数学は小数を駆使して発展してきた。その違いは、代数方程式に対する「姿勢」の違いに反映されているように思えてならない。
2次、3次、4次の方程式には解の公式が存在するが、5次以上の方程式には解の公式が存在しないことが、アーベルによって証明されている。ここまでは数学上の事実として、まぁいいとしよう。問題は、ヨーロッパとアジアでは、「解の公式がないと、どうなのか」という、そこから先の話が違っていることだ。

ヨーロッパの数学では、5次以上の方程式を解く公式が無い、ということが証明されれば、そこで話が止まる。「求まらないんじゃ、しょうがない」とでも言おうか、その事実を前提とした上で、代数学の発展がもたらされた。

ところが、小数を使う中国の数学や、それを取り入れた日本の和算では、5次以上の方程式に解の公式があろうがなかろうが、関係なく腕力で事実に肉薄しようとする馬力を感じる。なんというか、高次方程式の問題を「正確な数値が求められるかどうか」よりも、「どこまで正解に近づけるか」という問題として捉えていたように見える。

算木や天元術(和算で「代数学」に相当する分野)で計算すれば、無限に「近似解」を求めることができる。例え整数解でなくても、小数点以下100桁でも1万桁でも、時間さえかければどこまでも計算できる。また5次方程式どころか、10次方程式でも100次方程式でも、どんなに次数が上がろうとも関係ない。腕力で計算が可能だ。和算の文献を読むと、1000次を越える方程式を解いたという剛の者も登場する。

たとえば、ある高次方程式の解のひとつが 123456.78910233456789… と求められたとしよう。小数点以下を四捨五入すれば、だいたい123457だ。
これはヨーロッパの数学では「解」として認められない。「だいたいこのくらい」では数学としての解の条件を満たさない。有理数であれ無理数であれ、正確な数値でないと解とはならない。

ところが和算では、数学が目指す方向性が違う。その高次方程式の解を「小数点以下いくつまで計算したか」という競争になっている。それが正確に定まるか否かでばっさり分け、定まらない式については切り捨てるヨーロッパ数学とは、はじめから方程式に向かう姿勢が異なる。

5次以上の方程式が「解けない」というのは、あくまでも「解の公式による冪根では解けない」という意味であって、「その値が求められない」という意味ではない。和算が指向したように、小数点以下を延々と求めるチャレンジとして捉えれば、望む範囲での値は手に入る。

例に挙げた高次方程式だって、そもそも「何のための解を求める方程式なのか」を考えてみれば、たとえば小数点以下100桁までの正確性が求められる状況など、そうそうあるものではない。解が 123456.78910233456789… と求まれば、「だいたい123457」としておけば問題ない状況がほとんどだろう。

つまり「全か無か」という分数に比べ、小数は「近似値」というマージンの存在を許す。「だいたいこのくらい」という概算をする必要がある分野では、小数のほうがむしろ直感に近い理解が可能となる。
たとえば1.8769… という数字を見たら、「1と2の間の数で、だいぶ2のほうに寄ってる数」と分かるが、それを同じことを 595/317 という分数の表記で感じ取るのは困難だ。

また、小数というのはすべての実数を表せるが、分数は有理数しか表せない。
「概算」という日常的な必要性を考えても、表記が記述できる数体系を考えても、小数のほうが優れた記述法と言える。
ただし、便利であるがゆえに、和算では代数学の発展が阻害された観は否めない。なにせ、必要なだけ近似値が求まるのだから、代数方程式を形式的に解く必要性を一切感じなかったのだろう。明治期に西洋の数学を輸入するとき、和算に慣れた日本の数学家は、まず代数学の目指すところが理解できずに苦心したのではあるまいか。

有理数と無理数という区分にしても、その対立概念の根底にある「整数による分数表記の可否」という議論の必要性を、そもそも感じていたようには見えない。江戸時代の和算家にとって、無理数と有理数の違いというのは、「小数計算の終わりがあるか・ないか」程度の違いではなかったか。


tan1°は有理数か
(京都大学)


「世界一短い入試問題」として、日本以外の国々でも話題となった、有名な問題だ。
有理数と無理数の境目を考える問題を出しているということは、京都大学が、数学を学ぶ上で日本と西洋の対立概念を念頭に置く必要性を提唱している気がしてならない。

入試問題に「1°」なんて尋常でない角度が出てくる時点で、加法定理を使う問題と思って間違いない。あとは整数論の証明問題の王道に従って、背理法と帰納法を使えばいい。

(こたえ)
tan1°が有理数であると仮定する。
kを正の整数として、tan k°が有理数であれば、加法定理より
tan(k+1)°= (tan k°+tan 1°)/(1-tan k°tan1°)
となり、これは有理数である。従って帰納的に、すべてのkに対してtan k°は有理数となる。
しかし、例えば30°に関して
tan30° = 1/√3
であり、これは無理数となる。これはすべてのkに対してtan k°が有理数となることと矛盾する。
よって仮定が誤り。tan 1°は無理数である。
(Q.E.D.)


「有理数であれば分数で表せる」という特徴を対偶として使うと、「分数で表せないものは有理数ではない」ということになる。されば、「分数で表せない」ということを背理法で導けばいい。見た目ほど怖い問題ではない。

入試問題程度の世界では、「tan 1°は無理数」ということが言えればそれでよく、その事実がもつ意味などはどうでもいい。しかし実際の数学史を考えてみると、この事実は、ヨーロッパの数学では「そうか、じゃあ分数で表せないのか」という「議論の終点」であり、和算では「そうか、じゃあどこまで求めることができるかやってみよう」という「チャレンジの出発点」だったのではないか。ひとつの数学的な事実が、議論のスタートでもあり、ゴールでもあり得る。その違いは事実の側の違いなのではなく、無理数というものをどのようなものとして捉えるか、人の側の違いに過ぎない。

議論を始める際には、まずその議論の必要性を明確にする必要がある。議論の必要性をそもそも認めない立場にとっては、議論の末の結論がどんなものであろうと意味はない。その齟齬に気がつかないまま議論に臨んでも、見当違いなことを追いかけてしまう恐れがある。こういう徒労は、わりとありふれたものではあるまいか。



考えてみりゃ「無理」の反対は「有理」だと習ったのは数学だったな

トドちゃん日記09

todonikkiline




こんなBlog見てんのもヒマ人だろうがよ

手紙に返事を書け。

次の文章は、明治四十年に書かれた、国木田独歩の、友人あての書簡である。この書簡を受けとったと仮定して、一六〇字以上二〇〇字以内で返事を書け(句読点も一字として数える)。なお、解答に関しては、頭語(「拝復」など)・結語(「かしこ」「敬具」など)・書名・あて名・日付け・改行等は不要で、文体も自由である。


 僕もとうとう病人らしい病人の中に加入してしまった。Aドクトルは咽喉カタルと診断し、Bドクトルは肺尖カタルと診断す。右の中、右肺は軽微、左肺は肺尖以上のカタルの由。両ドクトルともに僕の顔を見ると転地転地とすすめ、ぐずぐずすれば死んでしまいそうな口ぶりで僕を東京から追い出す工夫に余念なし。
 さて何処へ転地するか、目下彼方此方とせんさくするばかりで決定せず。ただ今急に思いついたのはC君の別荘なり。差し当たり、あれを借りる事が出来るならすぐにでも行かれるし、万事好都合と案じたのであるが、君が考えてなるほどと思うならば、先方へ、単に独歩が病を養うべくひと月ばかり借りたいというが如何と、掛け合って見てはくださるまいか急に。右御返事を乞う。
 僕は衰えたよ。まるで骨と皮になったよ。君が見たらびっくりするぞ。ひいき目なしに見て「長くはあるまい」が適評ならん。僕も少々悔しくなって来た。今死んでたまるものかと思うと涙がぽろぽろこぼれる。しかし心弱くてはかなわじと元気を出して、これから大いに病と戦い、遠からず凱歌を奏する積りなり。
(国木田独歩『小杉未醒への手紙』明治四十年八月二十六日付)



何の文章作法の問題かと思うだろうが、これが東京大学・現代文の入試問題だと聞くと驚くだろうか。歴とした東大1982年の現代文[二]の問題だ。
東大がこの問題で受験生のどういう資質を試そうとしたのか、見当がつくだろうか。

東大は別に「いい人」を入学させるべくこんな問題を出したのではあるまい。現代文とはいえ、この問題は「大学という場で学問を修める資格のある学生」を選抜するための試験のはずだ。だとすれば、この問題で要求されている答案は、学問を行う上で必須の能力が試されていると思ってよい。間違っても、東大は文豪と対等に手紙をやりとりできる小説家を見分けようとしているのではない。

大学で行われている学問は、おおよそ科学の方法論を土台としている。たくつぶでも今まで何度となく「科学的方法論とは何か」のような記事を書き散らしてきたが、こういう問題を考えるときもまったくやり方は同じだ。

主観と客観を明確に分けること。
客観性を保証するために再現性を備えた観察を行うこと。
漠然とした事象の中に形式化し得る構造を見いだすこと。

そういう「科学的思考法の基本」が備わっていれば、東大がこの問題で何を問いたいのか、見当がつくはずだ。

まず不合格答案としては、「病気なのか、かわいそうだね。早く良くなるように祈るよ」のような返事は全部零点だろう。東大は別に、どれだけ独歩に同情できるか、「いい人競争」をさせようとしているのではない。
むしろ、同情というのは、科学的思考法が必要とする「客観性」と対極にある「主観」に過ぎない。そのような主観まる出しで、「かわいそう」の連打を綴る答案は、すべて学問的な姿勢としては無価値だろう。

科学的思考法の出発点は何か。
現象の中から「謎を見つける」ことだ。「なぜ、こうなっているのだろう?」という疑問を見いだすことが、科学的考察のすべての出発点と言ってよい。

もし僕が独歩からこの手紙を受けとったら、その意図が理解できずに首をひねるだろう。
そもそも、なぜ独歩は自分でC君に直接頼まないのか。なぜ「僕」を介して別荘を依頼するような、回りくどいことを頼んでいるのか。

「独歩はC君とあまり親しい仲ではないから、『僕』に仲介を頼んできた」というのは、違うだろう。誰が死にかけている際の療養に、親しくもない人の別荘を借りようと思うだろうか。余計な気を使い、却って健康に悪いだろう。転地療養の場としてC君のことを考えていることからして、独歩とC君は充分に親しい間柄と考えてよい。

手紙の文面から独歩の意図を察するに、その本意は「別荘を手配すること」ではあるまい。友人である「僕」に、現状を知らせるのが目的ではあるまいか。別荘の手配などはことのついでに過ぎず、今自分がこういう状況に置かれている、ということを知ってもらうためにこの手紙を書いた、と考えられる。

この手紙にテーマがあるとしたら、それは「死」だろう。独歩は手紙の中で死を恐れているし、それに立ち向かう決意表明もしている。受験生がこの文章のテーマとして「死」というものを見いだしたら、その構造を客観的に把握しようと努めなくてはならない。間違っても主観的に「かわいそうだな」などと感想文を書いてはいけない。

また、独歩がこの手紙をわざわざ「僕」に書いてきた、ということは、病気で心が弱くなり、友人としての「僕」に病状を知ってもらい別荘を手配してもらうことにより、「友情を確認したい」という希望があるのだろう。ここから、この文章には「友情」というもうひとつのテーマがあることが察せられる。

ここまで分かったら、もう答案までは一直線だ。東大が問うているのは、「『死』と『友情』に関して、この文章から見いだせる共通点は何か」という問題に過ぎない。自分が死や友情についてどういう考え方をもっているかは一切関係なく、「この文章を読んで」、そのふたつに見いだせる共通点を客観的に示せばよい。

死に瀕している独歩に対して「かわいそうだね」と同情するということは、そう言う自分を「生」という死の対岸に置いていることになる。自分は生きている、独歩は死にかけている、という相反する立場と考えていることになる。死と関係ない安全地帯から、死を他人事のように眺めている。
しかし冷静に考えれば、死というものは、誰にでも平等に訪れる。独歩だけでなく、「僕」もC君も、いずれは死ぬのだ。「死」を独歩のものだけでなく、自分自身も「死」という大きな環からは抜け出せない。

また独歩は、友情を感じたいために、わざわざ僕に別荘の手配を依頼している。つまり独歩にとって友情とは「人とのつながり」であって、人から人へとつながることで友情を確かなものと感じている。

そう考えると、「死」と「友情」の共通点として、「連鎖」というキーワードが思い浮かぶ。死も友情もともに、ひとりの個人が単独で向かい合うものではなく、人と人とのつながりを包括するものだ。その枠の外から他人事のように眺めるものではない。
それを反映させた返事を書けば、東大の要求を満たす答案になるだろう。


東大現代文の第二問は、代々「死」にまつわるテーマが多く、俗に「死の第二問」と呼ばれている。死をテーマにしているだけではなく、受験生にとって答案の書き方がさっぱり分からない、という意味でも「死の問題」と言える。
東大は別に、死についてなにか哲学的・超越的な知見に達している仙人のような受験生を採りたいわけではない。あくまでも学問研究機関として、学問をするに足りる資質を備えている学生を選抜するのが目的だ。

科学に基づく学問を行う以上、どんな学問分野でも「主観」と「客観」を区別することは必須の資質となる。東大が死にまつわる出題を頻発するのは、別に死そのものが重要だからではない。人が誰でも直面する現実問題として、「死」は主観を交えず客観視することが難しいテーマだからだ。たとえ「死」という重いテーマであっても、感情的にならず、冷静に客観視できるような学生を、東大は欲している。

学問というものがどのような営みであるのかをきちんと分かっていれば、そこから逆算して入試問題が問うている資質の見当がつく。東大が求めているのは、他人に共感できる「いい人」ではない。どんな事象にも冷静に客観視できるような学生だ。それは現代文という、一見科学的方法論と無縁に見えるような科目でも例外ではない。
そのような意図が分からずに答案を書いても、ことごとく「学問の本質」から外れた見当違いを書き連ねるだけだろう。


(解答例)
君がC君に直接別荘を依頼せず、僕を介して依頼してきた由、君が僕を友人として大切にしている気持ちを感じる。君と僕とC君と、友人として繋がる関係に感謝する。君は死に直面して辛い日々を送っているだろうが、死に向かうのは君ひとりではない。友人関係と同じく、死も僕ら全員に平等に訪れる。友情と死というものは、すべて等しく人をつなぐ環として、その本質は同じようなものなのだ。君の手紙を読んで、そんなことを思った。
(200字) 




誰か転地休養する別荘、貸してくれませんかね

身体に封じ込める心

ある能楽師のエッセイを読んでいたら、面白いことが書いてあった。


昨今、能楽師や狂言師などの伝統芸能の演者が、現代演劇とコラボして舞台に出演する機会が増えているそうだ。ミュージカルやオペラなどへの出演も増えているという。多くは演劇側からの要請だそうで、日本風の文化を反映させるために伝統芸能の要素を盛り込む工夫をしている。伝統芸能の側でも、演者の所作に新しい風を取り入れるために、そういう企画を歓迎しているのだそうだ。

面白いのは、舞台本番直前の、いわゆる「気持ちを作る」ための時間の使い方が、伝統芸能と現代演劇でまったく違うことだそうだ。
演劇の役者さんは、本番前に、自分が演じる登場人物に「同化」するため、そのキャラクターの心情・感情を心の中に再現する。中には、悲劇を演じる際に、準備の段階で涙を流す俳優さんもいるそうだ。作品に共感できる心理状態を作り上げ、「心」からそのキャラクターになり切る努力をするらしい。

こういう感情移入の方法論を、演劇用語で「スタニスラフスキー・システム」という。モスクワ芸術座の演出家スタニスラフスキーが編み出した手法で、特定のキャラクターを演じるときには、その感情や心情から再現すべく、心をそのキャラクターに一致させる、という演じ方だ。この方法論は、後に「メソッド演劇」として、演じる側の方法論を体系化させる試みに発展している。

実際のところ演劇の世界では、このスタニスラフスキー・システムは、賛否両論ある方法論らしい。「登場人物に感情移入する」ということは、要するに「役者個人の人生経験を、演技に反映させる」ということだ。つまり、役者個人が経験したことがない感情は、演技で再現できない、ということになる。親を亡くして悲しむ役は、実際にそれを経験したことがない者には演じられない。また、演技の質が役者の個人的体験、経験に左右される、ということは、オーディション等で役を決める時の基準が、演技力とは関係ない個人調査に陥りやすい。

現在でも、スタニスラフスキー・システムは、意識的にしろ無意識にしろ、本番前の「気持ち作り」として採用している俳優さんが多いらしい。かくして本番前の舞台裏では、やたらに怒ったり、悲しみのあまりさめざめと泣き出したり、という俳優さんが多くなるそうだ。

能楽師などの伝統芸能の演者さんは、そういう準備を見ると、非常に戸惑うそうだ。
伝統芸能では、本番前にいわゆる「気持ちを作る」ということを全くしない。むしろ、稽古では個別のキャラクターに「感情移入」することを、厳しく禁じられているそうだ。現代演劇とは真逆といっていい。

だから、本番前に能楽師が何をしているかというと、「ぼーっと時間待ちしている」だけなのだそうだ。ところが周りでは、俳優さんたちが必死に怒ったり泣いたり笑ったりして「気持ち」を作っている。「その迫力と、ぼーっとしている自分とのギャップが、なんかいたたまれない」のだそうだ。
その場面を想像してみると、なんとなくおもしろい。さぞ居心地が悪いだろう。

なぜ、能や狂言などの伝統芸能では、「気持ちをつくる」ことを禁じているのか。
伝統芸能の稽古では、演じる側の感情や個人的経験など一切関係なく、ひたすら所作の「型」を習得することに専念する。心の稽古をするのではなく、ただひたすら「体の動き」としての「型」を稽古するのだそうだ。

長い歴史をもつ伝統芸能では、各シーンでの「ココロ」を演じる際に、演じる側が多種多様でも、時代や場所を隔てても、それを忠実に再現する必要がある。たとえ現代と価値観が違う数百年前の演舞を行う時にも、それを忠実に再現する。そんな昔の登場人物に「ココロで接近する」など、どだい無理な話だ。
だから伝統芸能では、各シーンの「ココロ」の奥にある「芯」「思ひ」と言うべきものを、身体の動きに封じている。それが「型」だ。

つまり能や狂言では、各シーンのココロや感情は、それを表す身体の所作によってのみ表す。その「型」は、演じる側の感情や個人的経験に左右されてはならないものだ。個人の体験を越えた、より普遍的なものを保存し、表出するための知恵なのだろう。

だから伝統芸能では、舞台の本番前に「気持ちを作る」などということはしない。むしろ、そういうことをしてはならない。演じるキャラの気持ちがどんなものであろうと、個人の経験が追いつかなくても、関係ない。稽古によって身体に染み込ませた「型」によって、どんな世界のどんな気持ちでも表現する。

同じ演劇という枠でくくられていても、それに対するアプローチのしかたが正反対なのが面白い。世の中のノウハウに正解なんてものはないのだろうが、それぞれの方法にはそれぞれの根拠があり、それぞれの稽古の仕方があるだろう。

これは大きく言うと、「心から入る精神的アプローチ」と「身体から入る『型』のアプローチ」の違い、ということだろう。たとえばスポーツの世界では、昔から試合前に「気持ちを作れ」とよく言われる。試合に負けると「気持ちで負けたからだ」とよく責められる。これは要するに、心を先行させて、身体をそれに追随させる考え方だろう。

こういう指導の仕方は、試合に負けたり上達が滞ったりする原因を、すべて個人の「気持ち」のせいにする風潮につながり、ひいては選手個人への人格を否定することにつながる。
今年の夏に、なでしこリーグの岡山湯郷で、宮間あや、福元美穂ら日本代表経験選手を含む4名が同時に退団するという事件があった。結城治男監督代行に「選手の人格を否定する言動があった」ということが原因と報じられている。
これと近いことは、日本全国の中学・高校の部活に蔓延しているだろう。身体能力に帰着するスポーツの根源資質を「心」「気持ち」「人格」「人生経験」に安易に結びつける傾向は、スタニスラフスキー・システムが重視していることと根っこが同じだと思う。

最近では、選手の側が自発的に工夫をして、メンタルトレーニングやノウハウの蓄積が体系的に行われるようになってきた。ラグビー日本代表の五郎丸選手がプレースキックの前に行う「ルーティン」はかなり有名になった。あれは要するに、「身体の動きによって普遍的なパフォーマンスを表出する」というやり方で、方法論としては能楽師に近い。スポーツ選手のなかには無意識のうちにこれを実行している人もいて、「いつも同じ通路から球場入りする」「試合前にはいつも同じ食事をとる」などの、いわゆる「ジンクス」というものも、要するに身体的な動きによって自らをコントロールする知恵だ。

心で身体を動かそうとするのか、身体で心をコントロールしようとするのか、どちらが正解ということはないだろう。場に応じて、必要に応じて、どちらも正解となり得る方法論だと思う。
しかし、多くの人はそのどちらかに方法論が偏っている気がする。学生が「よし気合を入れて勉強するぞ」と意気込んでいるのを見るたびに、気合が入っていない時にもするのが本当の勉強なんだけどな、とつい茶々を入れたくなる。



たくつぶの更新が多いのは長い論文を書いている時であります。

お作法の恐怖

必ず室内にある

『NHKきょうの料理』2003年年10月号に掲載されている「お作法の恐怖」という随筆は興味深い。

筆者はある時京都で友人に招かれて旧家の邸宅を訪ねる。
そこで友人から「母親がお茶をどうぞと言っている」と招かれ、通された部屋は茶室だった。
茶道の嗜みなど知らない人なら誰でも困惑するだろう。
自分は外国人の如く茶道の事を何も知らないと告白するが、気軽に飲んで下さいと勧められ、筆者は緊張しながら友人の母親の点てた抹茶を頂いた。
抹茶も和菓子も美味だった。

茶を点てた母親が「もう一杯如何ですか?」という意味の事を言った。
そこで辞退しては失礼だろうと気遣って「頂きます」と返事すると隣に座っていた友人から「そこは一応遠慮するのが決まりなの」と“申し訳なさそうに”指導された。
また、後に自分の母親からも調度品を何も褒めなかった事の失態を知らされる。
筆者は羞恥を味わいながら茶室に座っていた、という記事だった。

これを読んで思うに、実に酷い話ではないか。
人を招いておきながら客に飲み食いの仕方で独自の流儀や作法を守る事を要求し、作法の出来不出来を指摘して恥をかかせ肩身の狭い思いを味わわせる。
それも湿った木造家屋の微生物の湧くような植物を編んだものの上で来客に足の痺れる座り方をさせて流儀や作法を要求し、抹茶はともかく暴力的に甘ったるい和菓子を差し出した上に調度品を褒める事までも期待する。

茶を点てる人は何の目的で客を招いたのだろう?
これが日本の伝統文化だと言われればそれまでだが、気位だけは高く、品性卑しく心貧しいとしか言いようが無い。
しかしこれが茶の湯の流儀とされてているらしい。
客人の立場になってみれば、足を痺れさせ舌に刺さり歯にしみるような甘い菓子を提供された上に珍奇な作法を知らないというだけで屈辱を味わわされる、
二重三重の暴力を受けるも同然ではないか。
これが日本の伝統的な“おもてなし”か。




「形骸化」が招いた、絵に描いたような本末転倒。

被害者の救済

「殺したがるばかどもと戦って」 瀬戸内寂聴さんの発言に犯罪被害者ら反発「気持ち踏みにじる言葉だ」 日弁連シンポで死刑制度批判

日本弁護士連合会(日弁連)が6日、福井市内で開催した死刑制度に関するシンポジウムに、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(94)がビデオメッセージを寄せ、死刑制度を批判したうえで「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言した。会場には全国犯罪被害者の会(あすの会)のメンバーや支援する弁護士らもおり、「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」と反発した。

日弁連は7日に同市内で開く人権擁護大会で「平成32年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言案を提出する。この日のシンポジウムでは、国内外の研究者らが死刑の存廃をめぐる国際的潮流について報告。瀬戸内さんのビデオメッセージはプログラムの冒頭と終盤の2回にわたって流された。

この中で瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。





君はこの職場にいる限り私の部下だ。そのあいだ、私は君を守ることができる。裁判はいつかは終わる。一生かかるわけじゃない。その先をどうやって生きていくんだ。

君が辞めた瞬間から私は君を守れなくなる。新日鐵という会社には君を置いておくだけのキャパシティはある。勤務地も色々ある。
亡くなった奥さんも、ご両親も、君が仕事を続けながら裁判を見守ってゆくことを望んでおられるんじゃないのか。

この職場で働くのが嫌なら辞めてもよい。君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。
でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人になりなさい

(新日鐵に勤務する本村洋さんの上司の言葉。
光市母子殺害事件で妻子を殺された。)




実際に人を殺したばかどものほうが何よりも大切なんだな。

余りで場合分け

3n+2(nは自然数)の形をした数は、決して平方数にならないことを証明せよ。

x≡0 (mod 3)なら、x2≡0
x≡1 (mod 3)なら、x2≡1
x≡2 (mod 3)なら、x2≡4≡1
よって、任意の数の2乗は、決して3で割って2余ることは無い。
(Q.E.D.)


(合同式を使わないバージョン)
x=3nとすると、x2=9n2  これは3で割り切れる。
x=3n+1とすると、x2=9n2+6n+1  これは3で割ると1余る。
x=3n+2とすると、x2=9n2+12n+4  これは3で割ると1余る。
つまり、任意の数の二乗を3で割ると、余りは常に0か1であり、2余ることはあり得ない。
よって、平方数が3n+2の形をとることは無い。
(Q.E.D.)



(体育会系バージョン)
1の2乗は1、これは3で割って1余る。
2の2乗は4、これは3で割って1余る。
3の2乗は9、これは3で割り切れる。
4の2乗は16、これは3で割って1余る。
5の2乗は25、これは3で割って1余る。
6の2乗は36、これは3で割り切れる。
7の2乗は49、これは3で割って1余る。
8の2乗は64、これは3で割って1余る。
9の2乗は81、これは3で割り切れる。
10の2乗は100、これは3で割って1余る。
11の2乗は121、これは3で割って1余る。
12の2乗は144、これは3で割り切れる。
13の2乗は169、これは3で割って1余る。
14の2乗は196、これは3で割って1余る。
15の2乗は225、これは3で割り切れる。
16の2乗は256、これは3で割って1余る。
17の2乗は289、これは3で割って1余る。
18の2乗は324、これは3で割り切れる。
19の2乗は361、これは3で割って1余る。
20の2乗は400、これは3で割って1余る。

このくらいで勘弁してやると、どうも任意の数の2乗は、3で割ると余りが0か1らしい。
よって証明できたような気がする。
(Q.E.D.的な何か)



ふて寝する。

時代とともにある歌

街中の音楽ショップではCDが売れないのだそうだ。


割と大きなショッピングモールでさえ、CD屋さんは規模を縮小したり閉店に追い込まれたりしている。一昔前の絶頂期は音楽を聴くといえばCDを買うしかなかったわけで、それに比べれば音楽を聴く手段が多様化している昨今では致し方がないという面もあるだろう。特にお金のない学生さんなどは、好きなアーティストのCDが発売されても、「TSUTAYAでレンタルに出るまで待つ」という人も多いと思う。

だいたい、こういう「音楽業界の衰退」は、音楽がダウンロードされ課金配信されるようになった、という要因がとりあげられることが多い。しかし、僕はこの要因には懐疑的だ。
確かに、CDで買うよりもダウンロードで買った方が、資材費の分だけ若干安い。しかし、そもそも「CD売上額の低下」は、即「音楽業界の衰退」に直結するのか、といえば、そうではあるまい。

僕が常々疑問に思っていることのひとつに、なぜ音楽業界はCDの売り上げを「金額」でしか計らないのだろうか、というものがある。そりゃ業界というのは評価の尺度が売上高なのだから、売り上げ金額の多寡が重要なのは分かる。しかし、「売上高が減った」ということと「音楽業界が衰退した」ということの間には、論理の飛躍がある。

たとえば、CDが1枚売れても、楽曲が1回ダウンロード購入されても、聴く側にとっては同じ「1曲」の購入に過ぎない。こういう「購入された音楽の絶対数」が問題とされることは、ほとんどない。音楽で儲けようとしている人はともかく、音楽を作り出し広めようとしている人にとっては、「いくら売れたのか」よりも「どのくらいの人が聴いてくれたのか」のほうが重要なのではあるまいか。

また、CDの売り上げが減って街中のCD屋さんがいくら潰れたとはいえ、彼らはしょせん仲介業の「商人」であって、音楽を作り出しているわけではない。CD屋さんが潰れているのは、もはや一般市民がCD屋さんがなくても困らなくなっているからだ。流通経路が大きく変化することによって仲介業がいくら潰れようとも、音楽そのものが衰退しているわけではない。音楽を作り出しているわけでもない商人が倒産することによって「音楽が衰退している」とは、あまりに短絡的な見方だろう。

また、「最近はCDが売れない」という言葉のなかには、「いったい、どの時代と比較しているのか」という前提をぼかしている姿勢を感じる。
おおむね、業界側が「最近」と言うときは、「売り上げが最高潮だったバブル期と比べて」である。ミリオンセラーが続発した音楽絶頂期の「繁栄」が忘れられず、あの頃よもう一度、という単なる懐古主義に聞こえる。

今の時代が、音楽業界の歴史以来、過去最悪の売り上げなのか、と言われたら、決してそんなことはないだろう。昭和40~50年代の一般家庭には、まだレコードプレーヤーを持っていない家庭も多かった。そういう時代と比べても尚、現在の売り上げが劣っているのかというと、そんなことはないと思う。
「最近は音楽の売り上げが少ない」という人のほとんどは、比較の対象を「例外的な時代」に固定してしまい、その時代の価値観から抜けられなくなっているだけのことだと思う。

バブル期というのは、国中の経済が最高潮の景気だっただけではなく、一番音楽に敏感な若者世代の人口が圧倒的に多かった。要するに、買い手がたくさんいたのだ。買い手がたくさんおり、お金も持っているとなれば、売れるのは当たり前だ。そういう時代の変遷を一切見ない振りをして、「ネット配信のせい」とだけ原因を押しつけるようでは、現状の打開策にはまったく結びつかないだろう。


かようにCD売り上げの衰退には様々な要因があると思うが、僕はそれらとはまったく別に、「歌」というもののもつ機能が、時代によってかなり変化しているのではないか、と感じている。

むかしの日本は、今よりももっと生活とともに歌があったような気がする。田植え歌、子守唄、数え歌、遊び歌、仕事歌など、日常行う普通の営みのなかに、「歌」が自然に溶け込んでいた。

今になって考えれば、それらの「生活の歌」は、日々の暮らしを円滑に行うための「ルーティン」だったのだと思う。これは先のラグビーW杯やリオ五輪など、スポーツの世界で普及して、かなり人口に膾炙するようになってきた表現だろう。
ひとは、気持ちの切り替えを、精神力だけで行えるようにはできていない。気持ちというのは、自分の意思ではうまくコントロールできない。だが、体の動きは自分でコントロールできる。だから体の動きとして決まりきった規範をつくっておくことによって、それに伴って心のほうをうまくコントロールすることができる。「平常心を持て」とだけ言われて簡単にそうできる人はいないが、「ゴールキックを狙う前には両手を組み合わせろ」という体の動きとして習慣化すると、心がそれについてくるようになる。

昔はいまほど社会のあり方がシステム化されていなかった。田畑を耕す農耕民は、田んぼに出る時間に遅刻や始末書もなかっただろうし、子守りをする少女には時給も払われていなかった。システムの力によって人間の行動を制御していなかったのだから、人は自分の力で自分を制御しなくてはならない。「歌」というのは、そういう生活制御の力をもっていたのではなかろうか。お昼の休憩のあとで、さて田植えを再開しよう、というときに、田植え歌の持つ「切り替えの力」は、相当なものであっただろう。 兄弟が多かった時代に、年長の少女が子守りをさせられていた時代では、子守唄というのは赤ちゃんのためではなく、子守りをする少女のためのものだったと思う。

時代が変わって、現在ではあらゆるシステムによって人間の行動が制御されるようになった。あらゆる会社では、(終業時間は守られなくても)仕事を開始する勤務時間はきちんと定められている。お昼休みも時計で決まっている。休み時間におしゃべりしていた女子高生でも、チャイムが鳴れば授業を受ける。

ひとを制御するシステムが発展した一方で、いままで歌によってルーティンをつくりあげる必要があった営みのほうも変化した。腰に負担がかかる田植えは全部機械で行える。子守りは幼い子供がわずかな楽しみを見つけながら行う必要がない。ものを数えるときには数計算ソフトで一瞬に行える。今の世の中には、子守唄を歌おうとも、そもそも歌う側にその必要が無くなっている。
それが持つ機能が希薄となり、またその目的のほうも消滅するのであれば、それが廃れるのは必然だろう。だから今の世の中では、田植え歌も子守唄も、ほとんど伝わっていない。

むかし、歌というのは生活とともにあり、「歌うもの」だった。日常の暮らしを円滑に行うための、生活の知恵だっただろう。
しかし今では、そういう生活の歌が不要となり、歌といえば「金を出して買うもの」となった。現在の中高生が歌を歌うのは、音楽の授業かカラオケに行った時くらいのものだろう。少なくとも、その時自分が行う行為の指針として、ルーティンのごとく歌を歌う生活は、現在の若年層は送っていないのではないか。

歌が「金を出して買うもの」であれば、それは単なる消費の対象に過ぎない。使い潰せば、また新しいものを買って済ます。そうやって、音楽とひとの関係が希薄になってきたことが、本当の意味での「音楽の衰退」ではあるまいか。

まだ歌がひとと共にあり、生活の中に歌が染み込んでいた時代には、たとえ流行の歌謡曲であってもそれを生活の一部に取り込み、人生の一場面を彩る要素として、音楽はその機能を果たしていた。ひとつしかないレコードプレーヤーで同じ曲を何度も聞き込み、若い頃の生活を思い出すと、その時期を過ごした歌を思い出す中高年も多いだろう。

しかし、今の若者にとって、歌というのは「iPhoneにダウンロードされた、数メガバイトの情報」に過ぎない。そのとき聴いている曲に気分がのらなければ、クリックひとつで別の曲に切り替わる。新しい曲が出たら、すぐにダウンロードできる。音楽はすでに「消費するもの」であって、生活の根幹を成すものではなくなっている。上質の手ぬぐいではなく、単なるチリ紙に過ぎない。

技術の発達というものは、それまで希少な価値であったものを、大量生産して広く普及させることだ。音楽業界は、その革新を成功させたと言ってよい。
そして、それに成功したがゆえに、それ自体が持つ価値を自ら変容させてしまったのだ。それは単なる変化に過ぎず、良いも悪いもない。それに「悪いこと」と価値感をのせてしまっているのは、勝手に音楽の売り上げを金額に換算している、音楽業界の側なのだ。

むかしと今では、歌とひととの関係が変化している。これからの時代もそうだろう。音楽がひとと共にあり、人に寄り添う音楽を作ろうとするのであれば、これからの時代に即した「音楽との付き合い方」そのものを編み出して行かなければならない。むかしのやり方に固執して「売れないなぁ」と嘆くだけでは、音楽はどんどん時代に取り残されてしまうだけではないか。



幼稚園のとき「おかたづけの歌」というのにずいぶん操縦された。

文学とは何をするものなのか。

唐代の詩人・張継に「楓橋夜泊」という詩がある。

月落烏啼霜滿天
江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘聲到客船


(書き下し文)
月落ち烏啼きて霜天に満つ
江楓の漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る


(現代語訳)
夜が更けて月は西に傾き、烏が鳴き、霜の気が天に満ちている
漁火の光が運河沿いの楓の向こうに見え、旅愁を抱いて眠れないでいる私の目にチラチラして見える
姑蘇城外にある寒山寺から夜半を告げる鐘の音が響いている。
その鐘の音はこの船にまで聴こえてくる。


あまり日本では有名な漢詩ではないが、典型的な七言絶句で、対句や脚韻も教科書通り。学校で漢文をひととおり習った人であれば苦もなく読める平易な詩だろう。
大運河を旅する途中、蘇州郊外での旅愁を詠ったもので、張継の代表作として知られている。詩に詠まれている寒村寺(中国江蘇省蘇州市姑蘇区)には、この詩碑が立っている。

この詩が有名なのは、のちに解釈をめぐって論争が起きたからだ。
「老学庵筆記」巻の十では、欧陽脩がこの詩について異議を唱えたことが記載されている。

張継の楓橋夜泊の詩に云ふ、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船と。欧陽公之を嘲りて云ふ、句は則ち佳なるも、夜半は是れ打鐘の時にあらざるを如何せんと。後人また謂ふ、惟ただ蘇州にのみ半夜の鐘ありしなりと。皆な非なり。按ずるに于邺、褒中即事詩に云ふ、遠鐘来半夜、明月入千家と。皇甫冉、秋夜会稽の厳維の宅に宿すの詩に云ふ、秋深臨水月、夜半隔山鐘と。此れ豈に亦た蘇州の詩ならんや。恐らく唐時の僧寺には自ら夜半の鐘ありしなり。京都街鼓今尚ほ廃す。後生唐の詩文を読んで街鼓に及ぶ者、往々にして茫然知る能はず。況はんや僧寺夜半の鐘をや。


文意はなんとか根性で読んでいただきたいが、下線部だけを現代語訳すると

かの欧陽脩でさえこの詩をおかしいと笑っている。「詩句としては素晴らしいが、詩の中の『夜半』というのは、通常、鐘をならすべき時刻ではない」とのことだ。


張継の生没年は不詳だが、唐時代の作家だからおおむね8世紀ごろの人物といわれている。欧陽脩は11世紀の人物だから、両者が生きた時代にはおよそ300年の開きがある。
「老学庵筆記」の作者は、この300年の間に「詩の読み間違いが起きた」と論じている。

「老学庵筆記」の続きには、欧陽脩による批評に対して「いや唐代には、蘇州だけ夜半に鐘を鳴らす習慣があったのだろう」という巷の反論を載せている。
それに対して筆者は、欧陽脩も巷の反論も「両方とも間違い」と断じている。

その根拠として筆者は、于邺の「褒中即事」と、皇甫冉による詩の、2編の詩を挙げている。
「褒中即事」には、長安の地で詠んだ「遠くから響く鐘の音が真夜中に聞こえてきて、明々とした月の光がどの家にも差し込んでいる」という詩が収録されている。
また皇甫冉は、会稽の友人宅に宿泊した際に「秋も深まり月は川面を照らし、夜も更けて鐘は山々を越えて響いている」という詩を読んでいる。
長安も会稽も、蘇州からかなり遠く離れた土地だ。だから「蘇州だけ真夜中に鐘を鳴らす習慣があった」という巷の言説は誤りだ、ということになる。

それを受けて筆者は、「そもそも唐代には、国中で、時報として寺社の鐘を鳴らす習慣があった」と仮説をたてている。時間を知らせるための鐘なので、当然、真夜中にも鐘を鳴らしていただろう。電気も通っていない昔のこと、そういう真夜中というのは普通の人が起きている時間ではないのだろうが、だからこそそんな真夜中に聞こえてくる鐘の音が、詩歌の題材になり得たのだろう。

しかし時代が下って、時報として寺が鐘を鳴らす習慣がなくなってしまった。そうなると、当然ながらお寺が真夜中に鐘を鳴らしていたという習慣など誰も知る人はいなくなってしまう。そういう、唐代の習慣を知らない人が当時の詩を読むと、つい時代背景の違いから誤解が生じて、詩を誤読してしまうのではないか・・・という説だ。


閑話休題。
昨今、日本の大学では、文部科学省が文系学科の再編を促す通達を頻繁によこしてくる。文系学科とはいっても、要するに文学部が対象だ。文学や歴史学などという、「世の中に出てから何の役にも立たない学問」を減らして、目に見えて成果が分かりやすい自然科学系の科目を増やすように、とお達しを突きつけてくる。

それに対する教員、学生の反応がまた面白い。彼らは心のどこかで「文学の教育が減らされるのは仕方がないな」と思っている節がある。自分が志して選んだ学問分野に対して、その存在意義を広く知らしめようという気概がまったく感じられない。

ためしに文学専攻の学生をつかまえて「文学っていうのは、一体何を学ぶ学問なの?」と聞いてみると、これまたおかしいことに、誰一人としてまともに答えることができない。「文化的遺産としての文学を知ることで、この国の文化の価値を云々」「文学で描かれる人生や人間の真理を深く追求することで云々」などと、何を学んでいるのやら甚だ怪しい言説がふわふわと出てくる。

そういう学生の卒業論文を読んでみると、まぁ、読書感想文に毛が生えたようなもの。「人文科学」を標榜する文学研究の風上にも置けない。そういう学生に、ためしに「文学研究ってのは、読書感想文とどう違うの?」と聞いてみると、ごにょごにょとお茶を濁してはっきりした答えが返ってこない。どうやら文学専攻の学生の間では、その違いをずばりと問うことは、タブーになっているらしい。
文学を学んでいる側が、「文学とは何か」をしっかり理解していないのであれば、そりゃ文部化学省に「削れ」と言われても、ぐぬぬと窮してしまうのは仕方なかろう。

大学で行われている知的活動は、そのほとんどが科学的方法論を土台としている。文学や歴史学という、一見科学と関係ない分野でも、その思考法と方法論は科学を基本としている。
まず、そこのところを誤解している学生が多いのではなかろうか。

数学や論理学のような公理系をもつ形式科学は別として、ほとんどの科学は「経験科学」という方法論に基づく。
経験科学の出発点は、「疑問をもつこと」である。科学というのは「答えを導くもの」と思っている人が多いが、実は反対で「問いを立てること」が目的と言っても過言ではない。世の中の誰も気づいていない問題を発見することが、科学の第一目標なのだ。

問いを発見したら、客観的な根拠に基づいて、仮説を立てる。
仮説を立てたら、「その仮説が正しいとしたら、こういうことになっているはずだ」という予測を立てる。
予測を立てたら、それが正しいかどうか、実験したり文献調査をしたりして確認する。

そして、予測が正しかったら、また別の予測を導いて実験する。
もし予測が間違っていたら、仮説を立て直して、それに基づき予測を立て直す。
つまり、「科学」という営みには、明確な「あがり」は存在しない。仮説の立て直し、予測と検証、の延々と続く繰り返しなのだ。だから、山の頂上に達しないと満足できない人は、経験科学には向かない。

世の中の「経験科学」に属する分野、つまり物理、化学、天文学、地質学などは、すべてこの方法論に基づいている。扱う対象を人間の行為に拡張した心理学、社会学、法学、歴史学などの「社会科学」、人間の内面を扱う文学などの「人文科学」なども、基本的な思考方法は同じだ。

卒業論文が「感想文」になってしまっている文学専攻の学生の特徴は、出発点として「問いを立てていない」ことだ。そもそも、解くべき謎がはっきりしていない。小学校のときに夏休みの宿題に課された「読書感想文」をべらぼうに長くしたものが「文学の論文」だと思っている。そういう学生の書くものは、「読みました」「こう思いました」「これからこうしていきたいと思います」の3つの内容しかない。卒業論文の枚数制限をクリアするために、本文のあらすじを延々と説明しており、ひどいのになると「原著よりも長いあらすじ」なるものも出没する。

それに比べると、中国中世の著作のほうが、よほどしっかりと「文学」を行っている。
「老学庵筆記」巻の十で考察されている謎は、明快だ。要するに「唐代では、本当に真夜中に鐘を鳴らしていたのか」という疑問点。欧陽脩はそれに異を唱え、巷では地域限定でそれを是とする意見があった。

普通に考えれば、偉大な詩家である欧陽脩が「夜中に鐘が鳴るなんて、そんなバカなことあるか」と言ってしまえば、その意見が「事実」として世の中に認められてしまうことだってあるだろう。しかし「老学庵筆記」の筆者は、大欧陽脩が何と言おうと、「それは違うんじゃないか」という冷静な判断を下している。

それを議論する過程で、「老学庵筆記」は科学的方法論をきちんと踏まえている。すなわち、自分の主観や感想で議論を進めるのではなく、「同時代の著作」という客観的な証拠によって持論を組み立てている。「この時代の著作にはこういう記述があるから、この箇所はこのように解釈するべきではないか」という仮説の立て方になっている。

つまり、「老学庵筆記」は、それ自体が文学的著作というよりも、科学的方法論に基づく「文学研究」なのだ。
文学作品と、文学研究は、まったく違う。文学作品というのは、作者が自身の世界観に基づいて、主観まる出しで内面世界を描いても良い。しかし「文学研究」というのは、客観性が保証された科学的方法論に基づいて行わなければならないものだ。

「老学庵筆記」には、「文学がするべき仕事」が、明確に記してある。
文学作品というものは、長く後世に残れば残るほど、それが書かれた時代と読まれる時代に隔たりが生じる。読む時代によっては、当時の常識や時代背景が失われ、その意図が誤読されてしまう危険がある。
文学研究の仕事は、そうした時代の齟齬が生じないために、作品が書かれた時代ごとの価値観や時代背景を、後世に保存することだろう。現代的な価値観で読んでしまっては、当時にその物語がどのように読まれていたのか、理解することができなくなる。欧陽脩のように、自分の生きている時代の常識に基づいて作品を誤読する危険が生じてしまう。

シャイクスピアの作品に『ヴェニスの商人』という作品がある。全編を通して、ユダヤ人に対する差別意識が全開の作品だ。これを現代的な価値観で「ユダヤ人に対する差別許すまじ」と断じて、この本を発禁処分にして焚書にすることは、妥当な姿勢なのだろうか。

マーク・トウェインの作品に『ハックルベリー・フィンの冒険』という作品がある。主人公の少年が、逃亡奴隷のジムとミシシッピ河を延々と下るロード・ムービーのような作品だ。黒人の逃亡奴隷ジムはとても迷信深く、しょっちゅう状況判断や行動指針に滑稽な過ちを犯す。これを現代的な正義に基づいて「黒人に対する偏見許すまじ」と批判して、作品を闇に葬ることが正しいことなのだろうか。

「これからの世の中がこうあるべきだ」ということと、「いままでの世の中はこうだった」ということを、混同してはならない。現代の価値に合わない過去の価値観を弾劾することには、何ら生産的な価値はない。単に「いまの自分にとって不愉快なものを抹殺する」という、自分勝手な姿勢だ。人間は過去に数多の過ちを犯してきたが、大事なことはその過ちを正しく理解できる形で保存することであって、過ちを嫌って見ない振りをすることではない。『ヴェニスの商人』や『ハックルベリー・フィンの冒険』を禁書にするという行為は、例えて言えば、民族の大量虐殺を行ったアウシュビッツ強制収容所を「このような施設はけしからん」と取り壊す行為に相当する。

書かれた時代と読まれる時代の差が大きければ大きいほど、文学研究が果たすべき役割は大きくなる。失われた価値観を蘇らせ、それを後世に保存することで、新たに見えてくる当時の姿がある。古典文学を「何言ってるんだこれ」と笑い否定するのではなく、その作品を通して時代に穴を開け、はるか昔の世の中のあり方を覗く営みが必要になる。

つまり、「文学研究」というものを行えること自体、その国が豊かな文学的遺産を多く有していることに他ならないのだ。文部科学省がなにか「新しいこと」を提言するときは、そのほとんどが、アメリカの教育のやり方に悪影響を受けていることが多い。文学分野の削減も、おそらくその手の影響を受けているだろう。

しかし、240年たらずの歴史しかもたないアメリカの「文学研究」など、たかが知れている。240年前の常識であれば、現在でも理解できる範疇のことが多い。よそ者の寄せ集まりで、論理と正義をひけらかして発展してきたアメリカごときの社会的通念など、真っ当な「文学研究」が必要なほど、大した変遷を経ているわけではない。アメリカでは「文学研究など役に立たない」のではなく、「そもそも文学が成り立つほど国が歴史を有していない」だけなのだ。

アメリカよりも比較的ましな歴史をもつイギリスでは、ケンブリッジ、オックスフォードなどの「国を導くエリート」を養成する大学で、文学的素養をみっちりと身につけさせる。それが直接的に世の中に何の役に立つかなど一切問題にせず、国の辿った歴史を学び、過去の人々が何を感じ、何を考えていたのか、文学を通してみっちりと体感させる。「役に立たない教養」をたっぷりと身につけてこそ、迷いなく国を導くリーダーを育成できる、という信念がある。

日本では、その点をしっかりと教えていないのではないか。日本は世界の国の中でも、長大な歴史と豊富な文学作品を蔵し、一国の中だけで「文学研究」が成り立つ、数少ない国なのだ。中学や高校で古典を教えるとき、その意義をしっかり伝えて授業をやっているのだろうか。その目的がはっきり伝わっていれば、「いまの時代では使わない知識だから古典は無駄」などと夜迷い言を抜かす生徒はいないはずなのだ。

日本以上に長大な歴史を有する中国では、数々の焚書坑儒や、近年では個人崇拝以外の価値観を全滅させる文化大革命によって、自国の文化的資産を自ら棄てる政策を行った。こういう政策をどのように評価するのか。学校で「古典」という科目から学ぶべきことをしっかり学び、「文学」という研究分野の目的と価値をきちんと理解していれば、自ずと答えは明らかだろう。



タイムマシンなんて要らないんだよ。

遺伝の法則が教えるもの

メンデル



グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-1884)

オーストリアの修道士。「メンデルの法則」として知られている優性の法則、分離の法則、独立の法則を発見し、「遺伝学の祖」とされている。

当時、遺伝という現象があること自体は知られていたが、生命体の形質は液体のように混じり合って遺伝すると考えられていた。メンデルはエンドウ豆の交配を観察することによって、形質は粒子状の物質(遺伝子に相当するもの)によって遺伝する、とする説を唱えた。

普通の修道士であればおとなしくエンドウ豆を栽培していればよいものを、遺伝の形質に気づいたことから、メンデルはかなり自然科学に興味をもっていたことが分かる。
実際、メンデルの所属していた修道院は、哲学、数学、鉱物学、植物学などで当時の最先端に匹敵する研究を行っている、一種の学術研究機関だった。またメンデルは、2年間ウィーン大学に留学して、物理学、数学、解剖学、生理動物学などを学んでいる。どう考えても普通の修道士風情ではない。

エンドウ豆の交配実験によって遺伝の法則を形式化したメンデルは、論文を、当時の細胞学の権威であった研究者に送る。しかし、浮世と離れて科学を独学していたメンデルは、当時としては斬新な、数値による計量的分析を独自に行っていたために、論文を黙殺されてしまう。ひとつには、数学的で抽象的な概念が理解されなかったからだという。当時の大学に跋扈していた学術主義や派閥意識も、外様の研究者を受け入れることを阻んでいただろう。

遺伝の研究を黙殺されたメンデルは失意に沈んだかというと、そうではなく、その後も修道院での業務に忙しい日々を送った。のちには修道院長に就任している。修道士としてもかなり優秀な人材だったらしい。
独学による科学研究も続けており、気象観測や天文学の研究でも成果を上げており、死去した時にはむしろ気象学者として知られていた。

メンデルの遺伝研究は、死去およそ15年後に、フリース、コレンス、チェルマクという3人の学者によって、偶然再発見された。この3人の学者はそれぞれ独自に遺伝学の研究でメンデルと同様に仮説にたどり着いており、自分たちの仮説をすでにメンデルが発表していることを同時に知った。3人は、遺伝法則発見の栄誉はメンデルが浴するべきである、と考え、メンデルの研究成果を広く再発表した。


現在、高校の生物の授業でもメンデル遺伝は教えられている。まぁ、話としてはよくできているし、遺伝というメカニズムをシンプルに提示するモデルケースとして題材に採り上げるのは分からないでもない。
しかし、メンデルの逸話から本当に我々が汲み取ることは、その遺伝法則の内容ではないような気がする。

実は、メンデルの法則は、それに該当しない事例が多く観察されていることが知られている。
メンデルが遺伝実験にエンドウ豆を使用したのは、品種改良が人為的に操作しやすく、純系からの交配が安定しているからだ。エンドウ豆という素材自体が、遺伝操作に絡む雑多な要素を排した「理想化された品種」と言える。

しかし、多くの生物はそのような「純系」を抽出することが困難で、遺伝に絡む様々な要素が含まれる。学校の試験では「摩擦はないものとする」と理想化していても、実際の世の中には摩擦があるように、エンドウ豆でうまくいった交配実験が世の中すべての生物に適用できるわけではない。

さらに、メンデルの実験には致命的な弱点があった。
たとえば、分離の法則には、つるつるのエンドウ豆と、皺のあるエンドウ豆の形質発現が問題になる。
メンデルは、このふたつの種類のエンドウ豆を、「感覚」で区別した。実際には第2世代、第3世代のエンドウ豆になると、ツルツルともシワシワともつかないような「中間形質」が多く現れる。メンデルはこれらの曖昧な形質を、「なんとなくこっち」と、自分の直感に基づく感覚で区別した。

このような感覚に基づく分類は、当然ながら再現性がない。他の人がその実験を追試してみても、同じような結果を出すことができない。
これは、黄色と緑のエンドウ豆の色彩区別の実験でも同様の結果が出ている。黄色とも緑ともつかないような「黄緑色」をどっちに区分するか、かなり感覚的に分けてしまっている。

メンデルの研究が当時理解されなかったのは、数値に基づく計量的な立証方法が理解されなかったからだが、その計量方法それ自体にすでに誤りがあった。いくら「ツルツルのエンドウ豆が○○個」「シワシワのエンドウ豆が××個」と数値化して考察したとしても、その数値の根拠が個人の感覚では、科学研究の土台として失格だ。

要するにメンデルは、正しい統計データの取り方を知らなかったのだ。統計データの基本は、そこで使用されている諸概念の定義をきっちり行うことだ。その定義は、再現可能性を保証するために数値化する必要がある。
たとえば「シワシワのエンドウ豆」を、「皮角表面との屈曲率が表面積全体の○○パーセント以上のもの」などと定義しなければならない。ひとつひとつのエンドウ豆について、その定義に照らし合わせて「シワシワなのかどうか」を決めなければならない。そのように数値化された定義を使ってはじめて、実験に再現可能性が保証される。

統計データの信憑性をきちんと保証する訓練を積んでいれば、直感で決めるエンドウ豆の形のような「似非データ」の危険性を排除できるはずだ。
たとえば、頻繁に行われる似非統計に「都道府県の幸せ指数」「幸福度の高い国ランキング」のようなものがある。このようなランキングの上位は、大都会から遠く離れた郊外地方が軒並み選ばれる。

しかし、実際に「何をもって『幸せ』とするのか」という構成要素をひとつひとつ見てみると、「人口ひとり当たりの公園面積」「道路の広さの平均」「保育園の待機児童の少なさ」のような、恣意的なものばかりだ。それが本当にひとの「幸せ」につながるかどうかは一切無視。勝手に幸せのあり方を押し付けられているように見える。

そのような公的インフラのような数値がいくら束になって掛かろうとも、おそらく「年収1000万」ひとつのほうが幸せ指数は高かろう。そして、地方企業よりも大都市に集中している大企業のほうが、収入の高さは期待できる。
「幸せ指数」のようなランキングは、そもそもの目的が「人口を地方に分散させて、大都市への人口集中を防ぐ」というものだ。「地方はこんなにいいところですよ」という、行政府による打ち上げ広告に過ぎない。だからそもそも「地方都市が上位でなければならない」という、はじめから目的ありきの似非統計なのだ。

このようなインチキ統計に引っかからないためには、「正しい統計データ」をきちんと見分ける訓練が必要だ。中学、高校などの中等教育では、これを教えるのは社会、理科、数学にまたがる分野になる。資料集に乗っている表やグラフが本当に統計的に妥当なものなのか、ひとつひとつ検証する癖をつけなければならない。


そこへメンデル遺伝である。高校の生物の授業では、メンデルが実際に収集した数値データとその根拠を開示せず、いきなり「ツルツルの豆と、シワシワの豆が、○○対xxの割合で発現」などと教えてしまう。そのデータの信頼性については一切触れない。本来であれば正しい科学的思考の方法論を教えるべき理科の授業で、重大な誤認を犯している事例を覚えさせていることになる。

これは、正しい中等教育の仕方として妥当なのだろうか。日本人は統計に騙されやすいところがある。その原因は、初等・中等教育の段階でこのような「正しい統計データの取り方」を教わっていないところにあるのではないか。

以前、僕の講義を受講していた学生が、期末に「戦争というのは本当に惨禍だけをもたらすものなのか」というテーマで課題レポートを書いてきたことがある。戦争というのは歴史的に悪いだけのものではなく、戦争があったからこそ世の中が進歩した、という面もあったのではないか、というレポートだった。
その結論を導くために、その学生はデータとして、歴史の教科書に載っているような戦争をひとつひとつ取り上げていた。それらの戦争が「益をもたらした」のか、「害しか与えなかった」のか、ひとつひとつ区分していた。

僕は別に歴史学の授業を担当していたわけではなく、その授業は「世界の言語」という言語学の授業だったのだが、そこは別に問うまい。その授業は1, 2年生対象の入門授業だったので、僕は期末レポートの課題として「科学的思考の方法論が実践されていればそれでよし。テーマは言語についてでなくても何でもいい」という出題をしていた。仮に言語についてでなく歴史についてであっても、その方法論が適切でさえあれば、ちゃんと単位をあげる所存だ。

しかしその学生のレポートは、ある戦争が「益」なのか「害」なのか、その一番大事なところを、本人の直感で分けていた。その学生によると、第一次世界大戦は「害」だが、第二次世界大戦は「益」なのだそうだ。これは適切な統計データの取り方ではない。考察のはじまりがこのような似非統計に基づいてしまうと、その先に考察をいくら組み立てたところで、すべては無駄に終わる。
そのレポートは50枚を超える労作で、時間も手間もかけたのだろうが、問答無用で不合格にした。授業をきちんと聞いておらず、自分の中で決めてあるマイルールに基づいただけの、単なる「お話」に過ぎない。少なくとも、「再現可能性が保証された共有可能な知」としての科学研究の条件をまったく満たしていない。

そういう学生は、メンデルと同じだと思う。決して、悪気があって研究結果を「捏造」したわけではない。単に、「適切な統計データ」がどのようなものか知らなかっただけだ。着眼点がいくら良くても、そこで使われる方法論が間違っていたら、学問的に無価値なものになってしまう。
「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」、俗に「ハンロンの剃刀」と呼ばれるこの手の誤謬は、世の中に思いのほか多いのではあるまいか。


かように間違いのあるメンデルの研究だが、僕は個人的に、このメンデルの遺伝研究の仕事について、ちょっと説明しにくい複雑な感想をもっている。
科学的に誤謬が伏在していることは間違いない。しかし、だからといってこの事例を「無価値」として科学史から葬り去るには、ちょっと抵抗がある。

そもそも、なぜメンデルの研究は、発表当時に広く知られず、埋もれたままだったのか。ひとつには、メンデルが行った数値化する科学的思考の概念がまだ不十分だった時代という不運はあるだろう。しかし、僕は当時の生物学をとりまく状況から、メンデルの研究が知られていなかった他の理由を疑っている。

そもそも、メンデルが修道士だったことを忘れてはならない。メンデルは修道士として、キリスト教の価値観のみで作られた世界で暮らしていた。「生命体はすべて神が作り給う」という世界観のなかで、「生命の形質には法則性があるのではないか」という発想をすること自体、かなりの掟破りな破戒行為だったのではないか。メンデルの論文が抽象的で難解だったのは、メンデル自身がそのように、わざと真の意図を隠して曖昧に書いたのであるまいか。

つまり、「知られていなかった」というよりも、「意図的に隠していた」と考えるほうが、当時の時代背景に合うような気がする。神に仕える修道士として、神の意志と関係なく生命体の形質に関して形式的な考察を行うなど、ダーウィンの進化論に匹敵するほどのヤバさだろう。

そう考えると、なぜメンデルが遺伝形質の研究からすぐに離れたのか、その理由も理解できる。メンデルは終世、修道士としての人生を全うした。宗教的信仰のなかで独学で科学研究を行うことは、「信仰」と「科学」の間で折り合いをつける努力の繰り返しだっただろう。天文学を学べば自力で地動説にもたどり着くだろうが、同時期に生きたダーウィンの進化論についてはむしろ宗教界から批判を行う側だったと思う。

また修道院というのは女人禁制の場で、そこでは性や生殖に対する言動はタブーとなる。そのような道徳律の中で、交配による形質遺伝の研究をする、ということ自体、場を支配する道徳律に反するものとして弾劾される危険があったのではないか。

そのような時代背景を考慮すると、メンデルというのは、控えめに見積もっても「宗教上、道徳上のタブーをものともせず、事実を事実として見極めたい求道者」という人物だったのではないか。温厚そうな宗教者としての顔と、冷徹に事実を見極めたい科学者としての顔が、同居していた人だったのだろう。時代と環境の制約の枠にとらわれず、知りたいことを知ろうとする、知的なガッツを感じる。

科学を志す者に必要なのは、「事実を知りたいという知的欲求」と「考察を正しく行う方法論」だ。後者は訓練によって身に付けることができるが、前者は個人の性格が大きくものを言うことが多い。高校まで成績優等生でも、大学に入ってから勉強ができなくなる学生が多いのはそのためだ。メンデルは、その知的欲求が非常に強く、それが為に新たな科学分野を切り開くほどの足跡を歴史に残すことができたのではあるまいか。

惜しむらくは、後者がきちんと備わっていなかったことだ。時代の不幸、環境の不幸、いろいろな理由があろうが、本人がそれを本気で望んで、宗教的信仰よりも科学研究を最上位の価値に置くような人生を送ったならば、おそらく自力でその方法論を編み出せたのではあるまいか。そうなれば、現在におけるメンデル遺伝の位置づけはまた違うものになっていたのかもしれない。



エンドウ豆でビールのむと(゚Д゚)ウマー

都電荒川線の遠足に行ってきました


スタンプラリーがやりたい。



秋のはじめとなりましたが、暑さが残る今日この頃、みなさまいかがおすごしでしょうか。
ワタクシめは大学の新学期がまだちょっと先なので、夏休みの続きを満喫中であります。

夏になるとあれですな、各公共交通機関がこどもたち向けのスタンプラリーをいろいろと実施しておりますな。
大体、そういうのに熱中するのは男の子だそうです。「すべてをコンプリートして集める」「夏の暑さをものともせずに動き回る」「何の得にもならないことに熱中して手段が目的化する」というのは、どう考えても男の子向けのイベントでありましょう。同伴するご両親諸氏におかれましてはお疲れさまです。

さて、かつての男の子としては、この夏にいっちょスタンプラリーを完遂してみようか、と思い立ちました。
こちとら手段も時間も金もある大人です。本気になってとりかかればスタンプラリーなど1日でコンプリートなのであります。

僕は電車好きですので、普段は乗らない路線でスタンプラリーをやってみることにしました。
ターゲットは都電荒川線。東京の都心を走る唯一の路面電車です。三ノ輪橋から早稲田まで、東京東北部の下町情緒溢れる界隈を走ります。


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いかにも地元的な乗り物。 


この路線沿線は、『こち亀』でも両津勘吉の地元、「東京の下町情緒を伝える街」として頻出する地域です。ちょうどこち亀も連載終了が決まったことですし、記念がてら乗ってみることにしました。

都電荒川線のスタンプラリーは9カ所。駅ではなく、路線に近い地域のランドマーク的なところにスタンプが設置してあります。
スタンプラリーの台紙には、周囲のおすすめスポットなどが紹介されており、僕のような大人がぶらぶらと街歩きをするのに非常にぴったりの企画になっています。スタンプも他の鉄道会社のようにアニメのキャラクターなど一切使わず、チェックポイントも寺社や公園など、渋いチョイスになっています。こりゃ子供向けというよりも、僕みたいな大人を対象としてるんじゃあるまいか、と思ってしまいます。

で、実際に三ノ輪橋から都電に乗ってみたんですが。
「渋いチョイス」の理由がなんとなく分かりました。

とにかく、乗客に高齢者が多い。
始点の三ノ輪橋から乗った乗客は、僕以外は全部後期高齢者の方々ばかりでした。席を譲らずに座席に座っていると、そこはかとない罪悪感を感じます。

都電荒川線は、地元の方々が多く使用する路線のようで、普段のお買い物や近所の用事程度の出歩きにも、普通に使われる路線のようです。なんかみなさん普段使いに乗っていらっしゃる。
ワタクシのような若輩者の一見さんといたしましては、こうした地元の方々のお邪魔にならないように、端っこのほうにこっそりと乗せていただくのが仁義でありましょう。



都電2

(1) 三ノ輪橋駅
都電荒川線の始発駅です。もちろんターミナル駅です。ターミナル愛好家としてはぜひとも押さえておきたいスポットであります。
接続は、地下鉄日比谷線の南千住駅が便利です。この界隈は松尾芭蕉が奥の細道へと旅立った始点として知られており、近所の素盞雄(すさのお)神社には芭蕉の句碑がありました。


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見よ、この堂々としたターミナルっぷり。 


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現役でお仕事中の看板の大先輩のみなさん 




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(2)荒川ふるさと文化館
荒川区の歴史、文化を展示してある博物館です。地域文化の保存館としてはかなりレベルの高い展示がありました。入館料が100円というところも良心的。子供の夏休みの自由研究ではかなり重宝しそうです。
館内には、荒川区で出土した遺跡・遺品のほかに、昭和当時の街並を再現したコーナーがあります。


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こういうの大好きなんですよね 



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ジョイフル三ノ輪商店街。「ザ・昭和」の趣きが満載。 



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(3)あらかわ遊園
こち亀などで、名前だけは聞いたことあるけど実際には行ったことがない遊園地。荒川区のこども達はここが人生初の遊園地のでしょうか。
東京23区内で唯一の公営遊園地です。入園料が大人200円、子供100円というのがすばらしい。こども同士で遊びに行くにはこのくらいの遊園地が最適なんじゃないか、と思います。いきなりディズニーランドとか行くな。のちの人生の楽しみ方の大事な部分を失うぞ。


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プールは8月31日まで。夏休みは子供で一杯だったのかな。 



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(4)都電荒川電車営業所
都電荒川線の車両基地です。車両基地とあらば是非とも寄らねばなりますまい。
近くには「都電おもいで広場」が併設されていて、懐かしい停留所を再現して、旧型車両が展示されています。


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パン屋さんまで下町風。 



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(5)音無親水公園
都電の「王子駅前駅」で降りてしばらく歩くと、石神井川沿いの木立に囲まれたところに音無親水公園があります。木々に囲まれて水が流れているため、とても涼しい所です。のんびりと文庫本を読みふけっている学生さんらしき人達がちらほらいっらっしゃいました。僕もここで足を冷やして、のんびり休憩しました。

そういえば余談なんですが、都電荒川線には「王子駅前駅」「大塚駅前駅」というのがありまして、それぞれJRの王子駅、大塚駅と接続しているんですが、駅の名前が「○○駅前」っていうのはどうなんでしょう。それ自体が駅でしょうに。



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(6)飛鳥山公園
王子駅の西側に広がる大きな公園です。「紙の博物館」「北区飛鳥山博物館」などが併設されており、そんじょそこらの公園とは格が違います。
公園広場には、いまどき珍しい大型遊具が並び、D51型機関車などが遊具として無造作に置かれています。子供が一日遊べる公園といえましょう。


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俺が子供の頃だったら絶対に主になってる。 


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公園とはこうでなくてはならない。 



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(7)雑司ヶ谷鬼子母神堂(法明寺)
雑司ヶ谷、怖いです。池袋にありながら、ちょっと街並が周りと比べて5度くらい涼しくなった感じがします。夜とか絶対に一人で歩けない。
都電の雑司ヶ谷駅を降りると、いきなり雑司ヶ谷霊園の入り口があります。そこからちょっと歩くと、鬼子母神堂のある法明寺まで参道が続いています。


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お祓いしてから行った方がいいかなぁ。 


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こんな所まで来てやるんじゃねぇよ。 



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(8)早稲田大学
都電の終点駅、早稲田駅の近くにある大学です。実はまだ一度も行ったことがなかったんですよね。嫁の出身大学で、話には何度も聞いたことがあるので、なんか始めて来た気がしません。
校内は広いので、油断すると迷子になります。早稲田大学には、JR高田馬場駅、東西線の早稲田駅、都電荒川線の早稲田駅が最寄り駅ということになっていますが、実際の大学の目的地にたどり着くにはそのどの駅からも遠い、という構造になっています。


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(9)早稲田駅
都電のもうひとつの端のターミナル駅です。都電の線路は新目白通り(都道8号)の真ん中をぶっちぎって通っていますので、大通りのど真ん中にいきなり駅があります。駅から降りると、まるで中央分離帯の真ん中に降り立つような感じになります。


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なかなかのターミナルっぷりだ。 



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大人の本気をもってすれば、このくらい楽勝なのだ。 



季節に一度くらいはこういう遠足してみたいですね。

屏風絵の企み

神戸市の香雪美術館に、不思議な屏風絵がある。



レパント海戦



この屏風は、1571年にスペイン王室とオスマン・トルコ帝国が戦った「レパントの海戦」を描いている。
屏風左側の馬車上にはスペイン君主が描かれ「ろうまの王(ローマの王)」と注記してある。屏風の右側はオスマン・トルコ側が描かれており、トルコの外観を象徴するものとして灯台が描かれ、「つうるこ(トルコ)」と注記がある。トルコであることが分かりやすいように、象に乗った兵士まで描かれている。

これが「不思議」な屏風絵なのは、不可解なことが多いからだ。
まず、なぜに日本で描かれた屏風絵の題材が、レパントの海戦なのか。「レパントの海戦」は、大体の世界史の教科書に載ってはいるが、それほど必須の知識というわけではない。世界史を学んだことのある学生さんだって「知らんなぁ」という程度ではないか。歴史の知識としては、Bマイナスくらいの重要度だろう。なぜ戦国時代末期のご時世に、そんな遠い彼方のヨーロッパ世界の戦争が絵の題材になるのか。

さらに、描かれている状況がおかしい。
読んで字のごとく、レパントの海戦というのは、船で戦われた海戦だ。領土拡張を進めるオスマン・トルコが西進し、キリスト教文化圏まで範囲を伸ばした。その端緒としてキプロスがトルコの手に落ちる。それに危機感を抱いたローマ教皇が、スペイン王国の手を借りて、ギリシアのイオニア海でオスマン・トルコ軍と戦った。

しかし、屏風絵ではなぜかこの戦いが陸戦として描かれている。一応、帆船も描かれているものの、ここで描かれている帆船は軍事用の船ではなく、貿易用の商業帆船だ。軍事史的にはレパントの海戦は、ガレー船が使われた最後の海戦として知られている。しかし屏風絵のなかの船の描写は、その事実を反映していない。

さらに、トルコっぽさを出そうとして描かれた灯台の風景もおかしい。この戦場はギリシアなのだから、トルコの沿岸の景色を描いた絵は状況を正しく表していない。
絵の中のトルコ兵は、ご丁寧に象を乗り回して攻撃を仕掛けているが、もともと海戦に象を連れて行くような間抜けな軍はないだろう。

こうしてよく見ていると、この屏風絵が、何のために、どうやって描かれたのか、疑問を感じることがたくさんある。
わざわざ屏風絵に描いてまで、この戦争を後世に広め伝えようとした制作者の意図は、どこにあったのか。


世界史的な知識としては、レパントの海戦の意義は、オスマン・トルコ側ではなくヨーロッパ世界側にある。戦争の結果として、スペインが勝ち、オスマン・トルコが負けた。領土拡張の野心が高いオスマン・トルコのヨーロッパ進出政策はここで頓挫し、両勢力が拮抗する軍事境界線がある程度確立した。

しかしこの敗戦は、オスマン・トルコにとってそれほど打撃だったわけではなく、この海戦以後もトルコは地理的要衝を占める国として依然、勢力を保ち続けた。ロシアの南下政策やヨーロッパ諸国の近代化によってトルコが相対的に弱体し、オスマン・トルコが革命によって崩壊するのは、第一次世界大戦後のことだ。260年続いた徳川幕府は大したものだが、閉鎖された島国と違い、地理的にも周囲に囲まれた環境にありながら、オスマン・トルコは約620年の長きにわたりイスラム圏を統括し続けた。

むしろ、「イスラム勢力を撃退した」という功を上げたスペイン王国が、その名を轟かせるきっかけとなった。スペイン絶対王政を表す言葉として「無敵艦隊」という用語がよく知られているが、そのイメージはすべてこのレパントの海戦の勝利がきっかけとなっている。無敵艦隊というのは、「誰に対して無敵なのか」というと、それは「イスラム勢力に対して」である。イスラム勢力を追い払ったスペイン強し。イスラム勢力を駆逐した艦隊強し。そういうプライドが、「無敵艦隊」という言葉になって今に残っている。

翻って当時の日本の状況を考えてみると、スペインはこの頃、東南アジアをはじめとする地域の植民地化に熱心だった。スペインがもし当時、日本に接触することがあったとしたら、その目的は明らかに「植民地化」だろう。
その目的のためにスペインがとる方法はいつも決まっている。先に偵察隊として、カトリック宣教師を送り込み、現地の様子や人の性質を報告させる。

当時のヨーロッパは絶対王政の時代で、各王室は植民地の開拓に躍起になっていた。その目的は胡椒や銀の輸入だったから、産地であるアジアがよく狙われた。時代が下って、産業革命後の帝国主義時代になると、植民地は「物産の調達地」から「商品を売り込む市場」として利用価値が変わるが、それでも経済力が高かったアジア諸国が狙われたことに変わりはない。

当時、アジアに進出していたヨーロッパ諸国は、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルなどがひしめいていたが、江戸時代、鎖国を敷いた江戸幕府は、唯一貿易の相手としてオランダを選んでいる。これは徳川幕府が当時の世界情勢を正しく把握していたことを示している。植民地を広げる野望が強いイギリス、スペインなどに比べ、もともと母国の王制が盤石ではなく、軍事力がそれほど強力ではなく、もともと貿易によって国の体制を維持していたオランダは、平和的な貿易相手としては理想的だっただろう。もしこれがスペイン相手だったら、皆殺しにされたインカ帝国のようになっただろうし、イギリス相手だったら、市場として搾取されまくったインドや、アヘン漬けにされた挙句に戦争を吹っかけられた清のようになっただろう。

問題の屏風は、小西行長、黒田孝高らの依頼で作成されている。共にキリシタン大名だ。日本にキリスト教を伝えたのはカトリックのイエズス会だから、当時の日本のキリスト教の布教は、カトリックであるスペイン王国が後ろで糸を引いていると考えて間違いない。日本にキリスト教を伝えたザビエルは、スペインの一地方であるバスク地方の出身だ。

すると、この屏風が作られた意図が見えてくる。つまり、布教の権威付けのために、スペインが勢力を誇示するために描かれたのではないか。「いまヨーロッパでは、われわれスペインが覇を握っていますよ」ということを誇示するためのものだ、と考えて間違いなかろう。
単にスペイン王室の繁栄を誇示したいだけなら、別に宮廷の建築画であっても構わないはずだ。それをわざわざ、トルコを破った戦争の絵を題材にした、ということは、「逆らうとお前らもこうなるぞ」という威嚇と考えられる。

おそらく、小西行長や黒田孝高らは、純粋にキリスト教布教のために宣教師に協力する形でこの屏風絵を作成させたのだと思う。しかし、残念ながら彼らは頭が悪かった。スペイン王室の意図を正しく理解することなく、宗教的で崇高な使命感で操られ、宣教師に言われるままに利用され、この屏風を作ったのだろう。限られた情報源からでも対外情勢を正確に把握していた徳川幕府とは、現状認識能力に雲泥の差がある。彼らもろとも豊臣一派が滅んだのは、歴史の流れで見る限り、日本にとっては幸運だった面があるだろう。

そう考えると、なぜこの屏風が史実通りの海戦ではなく、陸戦として描かれたのかがなんとなく分かる。戦国時代には幾多の戦乱が発生したが、そのほとんどは陸戦だ。日本で海戦といえば、壇ノ浦の戦い、文永・弘安の役くらいのもので、それとて地中海の覇権を賭したレパントの海戦とは、規模が全く異なる。

つまり、「植民地化の下地としてスペインの軍事力を誇示する」という目的のためには、史実通りに海戦を描いても、当時の日本人にはあまりピンとこなかったのではあるまいか。戦国時代の戦争に慣れた日本人は、どうしても軍の戦力を、歩兵の数と武器の数で推し量る。海戦をそのまま描くと、どうしても船団の量を描くことに力点が置かれ、そうした「目に見える戦力」を描きにくい。

プロパガンダや広告のような媒体は、事実を描くことよりも、「受け手の目にどう写るか」によって、表現の方法が違ってくる。それはとりもなおさず、表現の仕方をよく検証することで、情報の発信元が意図していることが推測できる、ということでもある。この屏風の描かれ方からその意図を推察し、その目論見が失敗に終わったことから考えると、日本人というのは当時から、芸術的な審美眼の他に、冷静に事実を推察する思考力が備わっていたことが分かる。



ダイエットのCMを見るたびに狙い打ちする顧客層が想像できて面白い。
ペンギン命
ここでもつぶやき
バックナンバー長いよ。
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